有浦柑奈はいいぞ。
午後4時にダンスレッスンスタジオの更衣室で丁寧に折り畳んだトレーニングウェアをスポーツバッグへしまい込んだ有浦柑奈は20分後には緑地公園の中央広場の隅のほうで音叉を頼りにアコースティックギターのチューニングをしていた。
ハードケースを開けたとき、わずかに漂ったオレンジの香りは彼女が入れておいた湿度調整剤によるものだったが、屋外ではあっという間に拡散していく。ここではその匂いよりもギターのボディから鳴る音叉の反響音の方がいくぶん長く感知できる。ということは、自分は嗅覚より聴覚に長けている。そんなことを柑奈は思ったわけではなかったが、公園という空間にいる自分の今の実感としては嗅覚よりも聴覚で感じることの方が感触が強いというか、色が濃いというか……とにかくそんな感じがあった。
そしてたった今、頭の中で漠然と出てきた『感触が強い・色が濃い』という形容が触覚と視覚に依拠する言葉で、無意識的にこれらの言葉が頭に浮かんだということは、そもそも嗅覚、聴覚よりまず触覚、視覚が自分にとっては先に来るものなのではないのか、ということを柑奈は考えてはいなかった。しかしそういったことを考える可能性の発生源みたいなものをまったく素通りしたわけでもなく、それは思考の切れ端の残像がわずかに脳裏を
言の葉として結ぶには到底希薄すぎる事柄を彼女は弱いとか不確かだとか思わず、むしろ逆で、柑奈は言葉とは別の視点、他方から来る存在に重きを置くことを志向するように生きていた。そんな彼女にとって、その他方から来る存在というのはとりわけ音楽のことであり、言語として抽出可能なものより音の葉によって結び得るものの到来を予感したときの方が、言葉で理解できることよりも柑奈はずっと気分が高揚した。言葉の領域にあるわけでないこのことも、当然彼女はいちいち考えて感じたりしてるわけではない。
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音叉が鳴らすのは“A”の音だということを彼女は小さい頃に彼女の祖父から教わった。Aの音とはつまり“ラ”の音のことで、多分に漏れず彼女はなぜ“ラ”がAで、音階の始まりである“ド”がCなのかわからず困惑した。インターネットでそれについて調べてみると、情報が錯綜というか色々と込み入っておりさらに困惑した。
柑奈はインターネットや本で調べても判然としないことを祖父が答えられるとは思っていなかったが、それでも
彼はその問いに答える代わりに、のそり──と腰を上げて棚から『ビートルズ・フォー・セール』のLPを取り出しターンテーブルに載せ、再生した。
柑奈の世界に音楽の神が宿った瞬間だった。
時が流れて彼女は音楽の基礎的な知識・理論や技術なんかを理解し身につけていた。子供の頃よりはずっと色々なことを知った気になっていた。
それでも音階の問題は未だ解決していなかった。
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手がかじかむほどではないとはいえ、やはり11月下旬の夕方近くとあってはすっかり寒い。ましてや彼女がいるのは日陰だ。右を向くと15メートルほど先はまだ日向になっていて、そこに白猫が1匹いた。
チューニングの終えたギターで猫の気を惹こうとアップ・ダウンのストロークでジャカジャカ弦をかき鳴らしたが猫は日向から動かない。柑奈の今までの経験によれば、猫はギターの音を聞けばそちらにやって来るものよりも、離れるかその場を動かないものの方が多かった。それでもギターを弾いたのは手に持っていたからだ。まだチューニングの段階だったら音叉を強く叩いていたかもしれない。
柑奈が愛用しているアコースティックギターは、かつては祖父が弾いていたものだった。祖父はもう今は彼女のそばにはいない。
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柑奈の祖父は、柑奈の故郷の長崎の実家で親戚からの頂き物の巨峰を縁側で庭の柿の木を眺めながら食べていた。
柿の木のすぐ横にあるプレハブの物置の屋根に猫がいたがそれは虎のような模様のある茶色の猫で、公園にいる柑奈の視線の先にいる猫とは似ても似つかない。猫は眠っていて動かず、柑奈の祖父は柿の木と猫と交互に視線をいったり来たりさせながら、ティーバッグのほうじ茶が置いている場所を思い出しながら巨峰を食べ続けた。結局彼は思い出したほうじ茶のティーバッグの場所よりも縁側から近い冷蔵庫からペットボトルのサイダーを取ってそれを飲んだ。ペットボトルを掴んだときふと視界に入った親指の爪がけっこう伸びていることに気づいた彼は風呂上がりに爪を切ろうと思った。
夜になって、物置の屋根で寝ていた猫のことを思い出して外に出ようとしたが外灯の光は物置までは届いておらず、懐中電灯を持ち出すほど猫が気がかりだったわけでもないので柑奈の祖父は開けた玄関扉をすぐまた閉めて居間に戻った。爪は切り忘れた。
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柑奈は愛用しているアコースティックギターを昔、祖父から譲り受けたが、そこになにかドラマのようなものはなかった。音楽に関心を持った柑奈がある日祖父にギターの弾き方を教えてもらおうとそう言ったら祖父は弾き方を教えただけでなく、自分のギターを「やるよ」と言い柑奈にそのまま与えた。祖父はもう一本アコースティックギターを持っている。
柑奈は嬉しくて、それからしばらくはどこに行くときもギターを持ち歩いた。散歩や学校の登下校の道すがらでギターを弾きながら近所をうろつき回ったりした。そんなことをしても近所の住民からあまり奇異の目で見られなかったのは祖父も少し前まで同じことをしていたからだった。年輩の、柑奈と柑奈の祖父を知る者はさして考えもせずに「血だね」などと言いながら、微笑んで見守るでもなしに彼女を見ていた。
だが柑奈と同年代の者たちの反応はそれよりもう少し様々で、スクールカースト上位にいる女子などは「調子乗ってる」と冷ややかな目で見たり、そう思わなかった女子たちは憧れというほどのことではないくらいのちょっと浮わついた視線を送ったりした。男子たちなると、柑奈の容姿もあって女子よりもさらに浮わついた、甘酸っぱい視線を陰から送ったり、送ることすらできずにいたりした。柑奈が化粧を覚えてからはいっそうその視線は強くなった。小規模ながら彼女はこの頃からすでにアイドルであった。
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柑奈の持つアコースティックギターは昔は祖父のものではあったが、当然ながら弦は替えている。祖父からギターを受け取ってから何度も替えている。替えたての弦の音は柑奈の耳には不自然に瑞々しい、妙に弾みのある感じがあったから彼女は頻繁には弦を張り替えない。それでも回数をいちいち記録してはいないが、おそらくもうこれまでに20回は替えているだろうと思った。祖父が自分にギターを差し出したときに張ってあった弦はもうとっくの昔に張り替えてなくなっている。ペグやフレットもくたびれていたからギターを貰ってから割とすぐに楽器店に預けて新しいのに交換してもらった。
楽器店の帰りぎわにクリーニング用品のコーナーに並んでいたボトルの中のオレンジオイルが店内の照明に照らされて綺麗だったことを柑奈は今でも時々思い出すが、別にそのときの光景が特別すぎるほど美しかったわけではない。
アイドルになってから、おびただしいほどのオレンジの光が広がる光景を何度か見た。それを柑奈は特別な光景だと頭の中で思ったわけではないが、記憶はそういうもののように強く焼き付けられているらしく、しばらくは思い出すと胸が温かくなった。無数のオレンジ色のペンライトを見たとき、あの日のオレンジオイルを思い出しはしなかったが、それからも柑奈はあの楽器店の照明に照らされたオレンジオイルのことを
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楽器店からリペアされたギターを受け取って、少しばかりの時が経ってギターの腕前がある程度形になってから最初のしばらくは、柑奈は『アイル・フォロー・ザ・サン』ばっかり弾いて歌っていた。それはかつて祖父が柑奈に聴かせた『ビートルズ・フォー・セール』に入っている曲だったが、アルバムの1曲目の曲ではなかった。
『アイル・フォロー・ザ・サン』をやたら繰り返し弾いていたのは、この曲に特別な思いがあったからではなく、演奏が簡単だからという理由でもなかった。しかし明くる日も明くる日も、柑奈はそればかり弾いていた。
特別好きというほど夢中になったわけでもないこの曲をこんなにも演奏するのはなぜなのか。柑奈はにわかに不思議なものを感じていたが、演奏するほどに曲が自分に馴染んでいく実感を得るにつれて曲に愛着が湧いて、不思議さは具体的な情緒を帯びる前に消えた。
今、秋の終わりの公園の日陰の草の上で『アイ・ホープ・アイ・ディドント・セイ・トゥ・マッチ・ラスト・ナイト』という長いタイトルの曲をギター一本でラフに弾き語る柑奈は、曲が自分に馴染むのでなく、自分が曲に近づいていくように感じていた。それは演奏する楽曲の違いによってもたらされたものではないと意識したわけではないが、無意識では概ねそういう感じを肯定していた。無意識が柑奈に勘のようなものを与えていた。それがインスピレーションとなり、柑奈は曲や歌を作ったり作れなかったりした。未完で終わることは柑奈自身にはあまり問題ではなかったがアイドル活動をやる上ではそれで終わらせるわけにもいかなかった。
『アイ・ホープ・アイ・ディドント・セイ・トゥ・マッチ・ラスト・ナイト』が誰の曲だったかをこのとき柑奈は一時的に忘れていたが、いい曲だと思う気持ちになにも支障はなかった。誰の曲だったかごく短い時間考えを巡らせたとき、柑奈の頭に木村夏樹の姿が一瞬よぎった。
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『アイ・ホープ・アイ・ディドント・セイ・トゥ・マッチ・ラスト・ナイト』の作者ではない木村夏樹は、このとき多田李衣菜にナックの『マイ・シャローナ』のリフを実際にギターを弾きながら教えていた。ギターはエレキギターだがアンプには繋いでいない。夏樹は汗を軽くかいて必死だ。必死ではあったが打ち合わせの時間までの少しの時間を埋めるための暇潰しでもあった。
「本気で遊べないやつはロックじゃない」
柑奈は少し前にそんな感じのことを夏樹が言っていたのを思い出したが、正確になんと言っていたかはっきりしない。
「本気なときほど遊ぶものさ」
「『本気』に、真面目もいいかげんもない」
「『本気』と『遊び半分』は両立できる」
何通りか考えてはみたがどれも正確な言葉ではなかった。もどかしさの中でさらに考え続けていくと、
「風になる感覚、サイコーだぜ」
という、おそらくバイクにまつわるこんなことをいつか夏樹が言っていたことを思い出して、柑奈はそれを聞いたとき、向井拓海みたいでなんかいいな、と思った。柑奈は拓海とは仕事でもプライベートでもほとんど交流はなかった。なかったのにこんなことを思うのは夏樹との会話の中で彼女の話をよく聞くことがあって、その話が面白かったからだと柑奈は思った。そしてこの言葉は向井拓海らしいものであり、木村夏樹らしい言葉でもあると一瞬思った。
このふたつの『らしさ』が同じものである必要はないとは考えなかったが、考えなかったものがイコール『ないもの』とは限らない。が、考えないことには本人の意識には浮上してこない。
結局、夏樹の『本気と遊び』の正確な言葉は思い出せなかった。『アイ・ホープ~』の作者の方は思い出せた。
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李衣菜にギターを教えている夏樹は、陽炎のようにゆらめく、サイケ調にあしらわれたタンポポの花がデザインされたピックで弦を弾いている。それは夏樹がライブツアー中どこかの滞在先で寄った楽器店で見つけて柑奈にプレゼントしたものだった。タンポポが描かれた面の裏には『Love & Peace』と書かれていて、それを目にしたとき瞬時に夏樹は「こりゃいいや」と思って10枚買ってその内の5枚をツアーが終わって帰ってきてから柑奈にプレゼントした。夏樹は、実はその中の1枚にだけ『Love & Peace』のあとに器用に黒の極細のサインペンで『……& Soul』と書き足して、そのことについてはなにも告げずに渡した。
柑奈は喜んで受け取ったそのピックを、帰って早速使ってみた。ピックは普段柑奈が使っているものよりも少し分厚いもので、わずかだが弾きにくかった。しかし柑奈は今もこうしてそのピックでギターを弾いていた。友人からの贈り物を無下にはできないという理由からではなく、柑奈はこのピックを使ってギターを弾くと、いつでも心地よい風に吹かれているような清々しい気分でギターと向き合えた。
『Love & Peace』のあとに書かれた『……& Soul』の文字を、それが消える前に柑奈が気づくかどうかは夏樹にはわからなかった。
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「音が見えるの」
太陽の下で奏でられたマンドリンから流れる色彩を梅木音葉は当然のように見逃さなかったが、柑奈はそもそもマンドリンの演奏音が色を発するなど思いもしなかった。この記憶を思い出すたび、自分とユニットを組んで活動している現在の梅木音葉よりも、はじめて顔を交わし話をした頃の記憶の中の梅木音葉のほうにリアリティが立ち上る。
「そこはもっと青色で」
レッスンやライブのリハーサルで音葉はそんなことを平然と言う。平然と言っていると柑奈が思うのは、彼女の声の調子や表情仕草に不自然さのようなものを感じなかったからで実際のところは本人でなければわからないかもしれないが、本人だってそんなことはわからないかもしれないし、そもそもそんなことは考えもしなかったことだってあり得る。いずれにせよ柑奈は自分の弾くギターから青色の音を出す
だからこのことをはじめて音葉に言われたとき、唐突だったことも相まって柑奈は、実に素朴な気持ちを声に出した。
「…………は?」
そのときの柑奈の顔を見て音葉はかすかに笑った。
柑奈は
音に色や形を感じる、というのは理屈というか気持ちの上でというか、比喩的になら柑奈にも理解はできる。でもそれはおそらく違くて、リアルに? 生々しく? 色や形を感じるのだろう。それはどんな具合だろう? 柑奈は考える。
例えば音叉を鳴らしたとして、色ならどういったふうに視認するのか。蛇口の水のように音から色が流れ出てくるのか、発生源のあたりから放射状になって拡散していくのか。音の色はいつまで見える? 聞こえるまで? それとも普通にものを見るように視覚がそれを認識するなら視界で捉えられる間か。ありきたりに考えれば色の濃淡は音の強弱に比例する?
柑奈はなにも答えを出せずにいたが、答えを出すことや共感覚を理解することが彼女と親密になるための関門のようなものとしてあるわけではなかったし、長崎と北海道というふたりの出身地の距離の差も、友情を結ぶに関係のないことだった。
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野外フェスの熱気の中でも梅木音葉は緻密で正確な歌唱を聴かせる。“静謐なる吟遊詩人”、“五線譜の追従者”──同じくフェスに参加していた二宮飛鳥が待機中に言った二つ名を柑奈はステージの上でエレキギターをかき鳴らしながら心で
音葉の歌は確実にリハーサルのものを大きく上回ったものだった。柑奈にはそれが判で押したように想定内の領域を出ない、音の葉の庭の中でしか行われていないものに思えて仕方なかった。音葉を尊敬する気持ちと、そういった胸のわだかまりを両立できることが柑奈には自然に感じられた。
「せからしかっ!」
と柑奈は声に出しては言わなかったが間奏に入るやいなや、思い切り叫ぶように弦を激しくチョーキングして唸らせてから、短いフレーズを早弾きで繰り返しはじめる。技術より感情と直感を信じて闇雲にギターを弾いて音葉のペースを崩しにかかった。
観客席で見ていた松永涼はそんな柑奈を、獰猛なリスみたいなやつだ、と喜んだ。涼は
ひょっこり現れた暴れリスによって音の葉の庭は荒らされるかに思われたかもしれなかったが、そうはならなかった。音葉は柑奈の早弾きにスキャットでユニゾンさせてみせたと同時に、タタタタタタタッ──! とグランドピアノの鍵盤を小刻みに連打してパーカッシブなリズムを弾いた。歌に戻ってからも演奏の疾走感は持続していた。
柑奈は驚き、やや自分を恥じた。音楽を志向する意志の塊である音葉がライブの感覚を持っていないわけがなかった。少なくとも、生の音楽に身を任せる力は音葉よりもあると、身体のどこかで思っていた。音葉の器を勝手に小さく想定していた。
しかし音葉の方もまた自身を恥じていた。手慣れた、というより手垢のついた技による歌唱、演奏のみで持ち時間を終えようとしていたことに。そもそも柑奈がギターで抗おうとするまで、それにまったく気づいていなかったことに。
「私は自分の音楽的な能力がお前よりあるとは思ってない。だがな梅木、そんな私でもお前にアドバイスできることがある。技術はお前を助けたり支えたりするためのものではない。枠を越えて、飛躍させるものだ」
音葉は、かつてマスタートレーナーから向けられた言葉が今の柑奈の姿からふたたび浮かび上がってくるようだった。安定したクオリティを保つためがゆえにいつの間にか無意識の内に
が、狼狽するのは一瞬で済んだ。汗を流しながらその場の感覚のままにギターを弾く柑奈の風通しのいい姿に、型や技を忘れてただ身体の動いていくままに弾き、歌った。音葉はなにも考えずに演奏するのは久しぶりだが、そう思いはしなかった。お互いがお互いの姿を通して自らを恥じることで自由な演奏ができたことをふたりとも奇跡のようには感じなかった。流れを生むきっかけは柑奈だったが自身を恥じた順番は音葉のあとに柑奈だった。ふたりとも流れに身を任せてからは深く考えないままにライブを続行したが、深く考えなかったぶん歌と音は密に奏でられた気がした。
「飛躍──」
音葉が歌の途中、マイクを口元から離したときに小さく呟いた。
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ふたりのパフォーマンスを現地で感じることができなかった木村夏樹はライブビューイングの帰り道、いても立ってもいられなくなってとりあえず買った瓶コーラをがぶ飲みしながら夕空を見ていた。自分が今いる場所の環境と、なにも関係なしに身体が熱かった。
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そういえば無音にも色や形はあるのだろうか、と柑奈はふと考えた。
音が無いという音。普通に言ったらそれは“ない”ものだが、音楽において無音は“ある”ものだ。“ないこと”が、“ある”ということだ。
音葉は無音にも色や形を見ているのだろうか? この発される音のない、“
子供が駆け回って遊んでいたりとか、ジョギングをする人らの足音とか、放課後の女子高生の喋り声とか、もっと言えば風が吹く、草が揺れる、木がざわめく、鳥が鳴く……
間には、たくさんの音が息づいていた。
柑奈にとっての無音も、世界にとってはあらゆる音が鳴らされている時間だった。その音はこちらに寄り添いもしなければ離れもしない。
風は吹いていたが、柑奈は凪の時間の音をしばらく聴いた。