BanG Dream! 澄み渡る空、翔け抜ける星 作:ティア
ついに、UAが20000を突破しました!ありがとうございます!これだけ多くの人に読んでもらえて、本当に嬉しいです!
それと、直接確認したわけじゃないのですが、どうやらランキングにも乗っていたみたい……?です。知人からの情報なので、どこまで本当かはわかりかねますが。
とにかく、これからもよろしくお願いします!物語は続きますので、応援してくださいね!
今回はついに佳境。沙綾と翔の対話。完全にオリジナルです。かなり力入れることができたかと思います。字数も今までで一番多いかも。
そして予告でも語りましたが、ついに翔の過去に触れる時が……。
では、長くなりましたが、どうぞ!
沙綾の家に来るのは、これで何度目だろう。
SPACEのバイト前に立ち寄った事もあった。あの時は、俺に気を利かせて差し入れをくれたんだった。
普通に客として来た事もあったな。最近だと、文化祭の準備か。器用に裁縫をこなすって、沙綾には褒められたっけ。
「…………」
そして今日。俺は沙綾と話をするために、ここに来た。香澄も頑張ってくれたが、俺は俺として話がしたいんだ。
沙綾は、俺が花女に入学してから初めてできた友達なんだ。女子校で、男子なんて誰もいなくて。香澄はいたけど……やっぱり、全ての始まりは沙綾だった。
沙綾が初めての友達だったから、俺は女子しかいない気まずい空間の中でも、俺らしく居られたんだと思う。男子だからって特別扱いせず、いつも変わらず接してくれたから。
だからな……思う気持ちは、他の奴よりも強いに決まっている。
「……翔も、私と話すつもりだったんだ。優しいね。香澄みたいに、気遣ってくれるんだ」
「気遣いだって気づいているなら、今の場所から前を向こうとは思わないのか?」
「それは……無理だよ。さっきの話、下まで聞こえてたんだよね?だったら、何となく事情はわかってるでしょ?」
まだピリピリしている空気を持ち込みたくないからか、沙綾は俺を自室へと連れていく。香澄たちはもうここにはいない。俺だけだ。
今、沙綾と向き合えるのは……俺だけなんだ。
「そうだな。けどな、だからと言って沙綾の言い分を、はいそうですかって認めるわけにはいかない。このままずっと自分を殺して、後になってつまらない高校生活だったって……後悔だけはしてほしくない」
「つまらないかどうかなんて……翔には関係ない。翔が決める事でもないよね」
「確かに、決める事ではないな。でも、勝手に無関係な事にするのは止めてくれ。友達の事なんだぞ?これからも一緒に高校生活を送っていく、大切な仲間の事なんだぞ?そんな沙綾に、後悔なんかしてほしいと思うわけないだろ」
「……後悔なんて、するつもりなんかない。誰かに迷惑かけてまで、掴んだ幸せを思い出にしたくない!」
ここに来た時には、まだ日も沈み切っていなかったのに。今では部屋の電気をつけないと、互いの顔がハッキリと見えないほどになっている。明かりの灯る沙綾の部屋で、俺は沙綾の顔をまっすぐに捉える。
だからわかる。沙綾は今、自分の感情を押し殺して、必死に言葉を並べているだけなんだって。辛そうに吐き捨てる気持ちが、正しいものだとは思えない。無理に自分に言い聞かせて、正当化しているようにしか見えないんだ。
嫌悪、悲愴、覚悟。混ざり合う思いが、確かに表情には滲み出ているから。本音に被せている蓋を、俺が丁寧に外していかないといけない。
「それこそ、後悔しちゃうよ……。自分のやりたい事のために、どうして周りを巻き込んで負担を背負わせないといけないの?それなら、私一人で背負ってた方がいいに決まってる!」
「それで本当にいいのか?頼れる人もいて、後押ししてくれる関係が沙綾にはあるだろ?なのに、その善意を蔑ろにして、自分が正しいと信じて疑わないまま進むのか?」
「善意……そうかもしれない。でも、そこに縋ってしまったら、生まれるのは罪悪感だけなんだよ。本当の幸せなんて、とっくの前から見えていないんだよ。私には」
「だったら、その幸せを手にしようとは思わないのか?」
「思うわけない……。誰かの幸せを奪ってまで、自分の幸せなんか手にしたくない。それって、ただのわがままじゃん!自分勝手な子どものする事じゃん!」
さっき香澄と話している事もあってか、すぐに感情的になる沙綾。また大声を出して、純や紗南は大丈夫だろうか。
けど、少しでいい。耐えてやってくれ。沙綾は、溜め込んできた気持ちを吐き出させないといけない。その隙間に刺激を与えて、本音を表に見せてやらないといけないんだ。
「私は、そんな事してまでバンドをするつもりはない!だから、ナツの前からも姿を消したのに……っ!今さら、無理矢理バンドに引き込もうとしないでよ!」
「それは無理だ。まだ沙綾は、バンドが好きなんだって気持ちが伝わってくるからな」
「だから……!」
「感情的になってまでバンドを否定するやつに、バンドへの情熱がないとは思えない。本当に無関心なら、香澄だって適当にあしらっていればよかっただろ」
「…………」
「沙綾は、誰かに気づいて欲しかったんだな。止めてほしかったんだな。自分の中のモヤモヤした気持ちを、どこかにぶつけて受け止めてくれる……そんな関係がほしかったんだ。葛藤を受け入れて、またバンドをやってもいいんだって認めてくれる関係がな」
俺はチラリと、部屋の片隅にしまわれていたものに目を向ける。それは、ドラムのペダルバッグ。これでもドラムの経験者だから、すぐにわかる。
バンドが嫌で、覚悟があって、金輪際触れずに絶ちたいと本気で願っていたのなら、いつまでもペダルバッグを置いたりなんかしない。それこそ、後悔しか残らない。過去にいつまでも縛られ、バンドを断つ事なんかできないはずだ。
バンドをやりたい気持ちは残っている。それを前に出せないから、沙綾は苦しんでいるんだ。助けてほしかったんだ。
よく見れば、ドラムのスティックもまとめて棚の上に置かれている。大事に使っていたんだな。俺にはわかるよ。
だから、自分でバンドを捨てようとするな。やりたい事を諦めるな。諦めたくなかったから、回りくどくても、誰かに話を聞いて欲しかったんだろ。
間違っているって、言って欲しかったんだろ。
もう一度バンドやろうって、言って欲しかったんだろ。
「沙綾、バンドやろう。それが自分勝手で、誰かに迷惑かけてるだけだって、それを決めるのは沙綾じゃない。自分の中の基準を、俺たちに押し付けて正当化してるだけだぞ、それは」
「私が、間違ってるって言うの?」
「あぁ。自分で決めた事が、何でも正しいわけじゃない」
「本当にそうなの?私には、そうは思えないよ……」
説得しようとしても、すぐに言葉巧みに逃げようとする。それだけ沙綾の意志が固いって事か。
「そもそも、どうして翔や香澄は、そこまで私の事をどうにかしようとするの?私がバンドをしても、していなくても、関係なんかないはずなのに」
「そんな事はないさ。香澄も、俺だって沙綾の事を心配してるんだ。有咲に、りみやたえだって……」
「……っ、だから、どうしてなの!?別に放っておいてくれたっていいじゃん!私は、今のままで十分なの!これでいいのっ!」
「良くなんかない。自分で自分を苦しめてるのに、それをどうにかしたいと思う方が間違っているのか?」
「間違ってるよ!私はいいって言ってるんだよ!?私は……心配されるような生き方をしてるつもりはないの!!」
「……っ!」
放っておいてもいいだと?これでいいと、今のままでいいと?心配されるような生き方なんて、していない……?
そうかよ。今の沙綾には、自分自身の姿が、そんな風に映っているんだな。だから、俺の手も振り払えるんだな。力強く、何か重りをつけたみたいな強引さで。
だとしたら……何だよ。チクショウ。何だよ、それ……!
そんなの、まるで……!!
「……ふざけるなよ!」
「っ、し、翔……!?」
「ふざけるなって言ったんだ!自分だけで何もかも抱え込んで、全てを犠牲にしようなんて……簡単に言い切って見せるなよ!!」
言ってやるのは簡単だ。けど、そんな軽々しく口にするな。それができるのは、本当に自分を捧げる事ができる奴だけなんだ。
「俺は……っ!今の沙綾のように、誰かのために動いて、自分を捨てて、感情を殺すしかなかった奴を知っている!そいつのように、沙綾にも同じ道を辿ってほしくないだけなんだよ!!」
「私と、同じように……?誰の事……!?」
「この際だから、全て教えてやる。沙綾と同じ生き方しかできなかった、哀れな奴の事を」
そいつの事は、他の誰でもない俺自身が、一番よく知っている。当然だ。それは……。
「……そいつは、俺の事だ」
「え……!?」
俺自身の話。沙綾が自分を犠牲にしたように、俺もまた自分を犠牲にしてここにいる。
そうするしかなかったから。沙綾に偉そうに説教している身だが、俺も人の事は言えない。
だが……俺は、仕方なかったんだ。この生き方を選ぶしか、どうにもできなかったから。他にできる事があったのなら、俺はその生き方を選んでいたはずだった。
「何、それ……?どういう事……!?」
「言ったはずだ。今から教えてやるって。沙綾のように、俺も何かを犠牲にするしかなかったから……その全てを」
沙綾、よく聞いていろ。これが……俺の過去。俺の全てを変え。そのための誓いを生んだ出来事の話だ。
「俺が中学3年の時の話だ。美羽の事は覚えてるな?前に一緒に病院に見舞いに行っただろ?」
「うん、覚えてる。翔の妹なんだよね?」
「あぁ、そうだ。その美羽の事で、少しトラブルが起こったんだ」
「トラブル?」
忘れるはずがない。あの日の事は、いつまでも俺の中に残り続けている。
「俺は当然、中学の時は美羽と違う学校に通ってた。美羽は花女だったけど、俺は普通の共学の学校。香澄も一緒の学校だったんだ」
「うん……。それで?」
「その当時から、美羽は病気だった。もっと言えば、小学生に上がる前からずっとな」
「そ、そんなに前から……!?」
「あぁ。美羽は病気を抱えて、闘いながら今まで過ごしてきた。学校にいる間も、家にいる時でも。いつ病気が悪化するかもわからない恐怖感に苛まれていたんだ」
前はそこまで踏み込んだ話はしていなかったからな。ちょっと入院していたくらいの、軽い感覚でしかなかったはずだ。
「そんな美羽が、ある日倒れた」
「えっ!?た、倒れたって……!?」
「そのままの意味だ。俺は授業中に職員室に呼び出されて、美羽が急に倒れて病院に運ばれた話を聞いたんだ。病院と花女から、学校に連絡があったらしい」
当時の俺は、頭が真っ白になっていた。授業中にもかかわらず、職員室に連れ出されるくらいだ。何かやってしまったのかと、内心恐怖で身構えていたくらいだ。
そこに告げられた、美羽の病院への搬送についての連絡。頭を握りつぶされたかのような衝撃と痛みが、俺に襲い掛かる。焦りが胸を締め付け、吐き気や眩暈を引き起こしていた。
「俺、父さんがいないんだ。離婚して、母さんが一人で俺たちを育ててくれて……。だから仕事も忙しくて、ほとんど家にいる時間がないくらい余裕がなかったんだ。家の事は、基本俺がしてたくらいだよ」
「それで、学校に電話が?」
「あぁ、そうだ。多分、連絡がつかなかったんだろう。ついていたのかもしれないけど、残っている家族は俺だけだ。だからこっちに連絡してきたんだろうな」
「……翔は、どうしたの?」
「どうするも何も、すぐに学校を早退して、病院に向かったさ。大切な家族、妹なんだ。けど、少し問題があった」
美羽の話を聞き、走ってはいけない廊下を走り抜けて教室に戻っていた。授業中の教室の横を通り過ぎ、俺に向けられる訝し気な騒ぎを聞きながら。
教室に戻り、荷物をまとめて学校を出るのに、5分もかからなかったのを覚えている。説明しているのも面倒で、教師の静止も聞かずに鞄に荷物を詰め込んでいたんだった。
早く美羽に。美羽に会いたい。
会って、無事な姿を見せてほしい。
そうでなかったら、俺は……どうすればいい。
決死の思いで、俺は病院へと走っていたんだ。
でも……。
「俺の通っていた中学は、病院から距離があってな。30分以上は確実にかかってる」
「30分も……」
母さんは、仕事ですぐには病院に行けない。俺も、病院まではかなり時間がかかる。でも、俺が行かないと美羽は、ずっと一人なんだ。
倒れて、不安で、一番傍にいてあげないといけない時に……誰も家族がついてやれない事が、どんなに悲しい事か。その気持ちが、本当にわかっているか?
「電車を待つ時間も、腹立たしかった。乗っている間も、急いでくれと運転手に頼み込んでやりたかった。ようやく病院の最寄り駅に降りて、俺は無我夢中で走ったよ」
「病院には、ちゃんと着いたんだよね?美羽は、無事だったんだよね?」
「検査自体はすぐに終わったみたいでな。無事なのは無事だった。けどな、それは外見だけの話だ」
「……どういう事?」
「体は良くても、心は傷ついていた。誰にも傍にいてもらえず、ずっと一人きりだったんだぞ?まして、命に関わるかもしれない病気を抱えて、それがきっかけで病院に運ばれたんだ。不安で、仕方なかったはずだ」
「……それは、きっとそうだよ。もし私が同じ立場に立ったら、耐えられないと思う」
「友達も、家族もいない。医師や看護師はいても、そう言う時に心の拠り所になれるのって、やっぱり身近な存在だと俺は思う。だからな、俺が病院に到着するまで、病室のベッドで気の抜けたように横になってたみたいだ」
その苦しみは、俺にはわからない。病気から生じる発作の症状。そして、そんな辛さとたった一人で立ち向かわなくてはいけないと言う、縋るもののない恐怖。
30分だ。ほんの30分だ。だが、されど30分なんだ。
そのわずかに感じる時間でも、美羽にとっては数時間……いや、数日のように感じる程、長い長い時間なんだ。その間、美羽は死と隣り合わせの苦しみを経験していた。
恐怖の中で、俺が力になれなかった事が、ただ悔しかった。もっと早く、少しでも早く着いていれば、美羽の苦しみを1秒でもなくしてやることができたかもしれないのに。
「俺が病室に入った時、美羽は何もせずに、ボーッと天井を見ていた。何も考えられなかったのか、何も考えたくなかったのか……両方かもしれないけどな」
「美羽……」
「けど、俺が来たってわかった途端、美羽はどうしたと思う?」
「えっ?それは……喜んでくれた、とか?」
俺は首を振って、沙綾の答えを否定する。ある意味、美羽の取った行動は、その真逆だったから。
「泣いたんだ。号泣して、俺に抱き着いてきたよ。ベッドから這いずるように、必死に……っ、もう離したくないんだってくらいに……!」
嬉しかったんだろうな。怖かったんだろうな。俺の背中に回した手は、弱々しくも力強かった。荒れ狂う海原で溺れそうな時に、ようやく縋れるものを見つけたような……あの時の美羽は、まさにそうだった。
抱き返した美羽の体は、震えていて。緊張の糸がほどけて、溜め込んでいた気持ちが爆発して、俺の制服を濡らしていた。
まだ中学2年の女の子だ。病気と闘うには、あまりにも弱かった。
あの時の美羽の悲痛な声は、頭から消えない。消したくても、消せない記憶だ。
「その時、俺は決めたんだ。これから先、美羽を一人きりで悲しませたりなんかしないって。また同じ事を繰り返して、誰にも頼れない時間ができるのは……嫌なんだよ」
「翔……」
「だから俺は、普通じゃない生き方を選んだ。特務生として、女子校である花咲川女子学園に入学するって生き方をな」
「翔が花女に入学した理由って……」
「あぁ、美羽のためだ。俺は家族のために、自分を犠牲にした」
俺が犠牲にしたのは、普通の男子高生としての青春。花女には当然、女子しかいない。同性の人たちと過ごす時間は、学校生活の枠組みの中では永遠に保証されなくなってしまう。
休み時間にバカ騒ぎして、部活して。学校行事で騒いで、一緒に思い出を作る事だって。それは、今の俺には女子としか作れないから。
それでも、美羽のためだからと言い聞かせてここに来た。当然葛藤はあったし、そもそも受け入れてくれるのかもわからなかったけど。
けど、全てが上手く行った結果がこれだ。俺は美羽に何かあった時、すぐにでも駆けつけられる場所を得ることができたんだ。
その場所が、花咲川女子学園。男子の俺が決して入ることのできないはずの、女子校だった。
そこにたどり着くまでに、また色々と問題を抱えてしまうことになったが……今はその話は関係ない。
いつか時が来たら、俺の口から語ることになるのかもしれないな。
「沙綾と一緒なんだよ。同じように家族を思って、同じように決心して、自分自身に言い聞かせながら、過酷な道を選んだのは」
だから沙綾……根っこは一緒なんだ。沙綾は自分の大好きなバンドを捨て、俺は男子と共に過ごす普通の青春を捨てた。違うように見えても、同じなんだよ。
俺たちは、自分を投げ打って得た今を生きているんだ。
「でも、どうして花女なの?共学じゃないし、他にも学校はいくらでも……」
「そう思うだろ?けど、病院に近い学校はここしかなかったんだ。学力がなかったとか、そうじゃない。単純に、この辺りには花女しか行ける場所がなかったんだよ」
花女からなら、病院までの距離はそこまでかからない。前のように30分も時間を使う事はなくなった。
それに、結果的に俺は、美羽と同じ学校にいることができるようになった。学校にいる間に倒れても、すぐに駆けつけてやれる。登下校中だろうが、中学に比べたら時間を割くことはできるからな。
「SPACEでバイトしてるのも、病院から近いのが理由だ。美羽の治療もあるし、少しでもバイトして、家計を支えたかったからな」
忙しい母さんの代わりに、俺がどうにかしないといけなかったんだ。だって、何かあった時にすぐ動けるのは、俺しかいないんだから。
どこまでも美羽のため。そんな俺の行動がキモいとか、シスコンだとか、言いたいのなら勝手に言ってろ。誰に何を言われても、俺は俺自身で選ぶしかなかった生き方を曲げるつもりはない。
俺にとっては、かけがえのない妹なんだ。
「とにかく今の俺は、美羽を悲しませない事だけを考えて動いてる。花女に入学して、たまにこれでよかったのかって、わからなくなる時もあるけど……後悔しても仕方ないんだ。だって、それが俺の選んだ道だから」
「…………」
「沙綾には、俺のようになってほしくない。この先いつかきっと、自分の気持ちをだまし続けた事を後悔してしまう時が来るかもしれないから」
そうなってからじゃ遅いから。俺は今、後悔しているわけじゃないけど、後悔してしまうかもしれない。今は正しいと信じていても、間違いだと思う日が来るかもしれない。
あの時できたかもしれない事。それを後から振り返って、思い出にも残らない意識の片隅でしか描けない将来を、俺は認めたくはない。せめて、沙綾には。
「自分のしたい事、全力でしてほしいんだよ。俺と同じ道を進もうとしている、沙綾だから」
けど、沙綾はまだ変えられる。手を伸ばせば、自分の生き方をどうにかできる場所に立っている。俺みたいに、後戻りできない場所にいるわけじゃないんだ。
沙綾……変わってくれ。
「……そう言ってくれるのは嬉しい。翔の気持ちとか、抱えてる物も伝わったよ」
「……そうか」
「でも、私には無理だよ。誰かを傷つけるくらいなら、自分だけが後悔した方がよっぽどいい。それがいいんだよ……」
「本当に、そうする道しかないと思っているのか?」
「そうだよ。だって、翔の言っている事は、誰かを振り回しているのと同じなんだよ?子供が駄々こねるような事で、大切な友達を振り回したくない。できるはずないよ……」
いつしか、沙綾の声も弱々しく、静かになっていた。あれだけ大声を出していたのに、今は俯いて目を合わせようとしない。
自分よりも、他人を優先して。そのためなら、どれだけ酷な道でも選んで、後悔を一人で背負ってやる覚悟が沙綾にはある。
あぁ……だからなんだろうな。沙綾が、誰にも頼れないのは。他人の事を考えすぎて、優しくなってしまうから。優しすぎるんだ。
優しさは必要だ。でも、度の過ぎた優しさは、時として自分自身を傷つける。見えているはずの物を霞ませ、自分がどうにかしなければと、我が身を削る刃になる。そこから流れた血で、他人を潤す。
でも、それじゃダメなんだ。
「……もっと周りを見てくれよ」
「え……?」
「俺には、頼れる人がいなかった。友達に協力してもらう事でもないし、まして母さんにはなおさらだ。仕事で忙しくて、すぐに病院に来られなかったからこうなった。頼ったところで、また繰り返してしまうかもしれないんだ」
ハッとして、沙綾は顔を上げる。俺の言葉が、少しだけ沙綾の心の壁に亀裂を入れる。
母さんを信用していないわけではないが、現に起こってしまった事だ。仕事のせいだし、仕方なかった。
けど、俺は?
急いだとは言っても、すぐに美羽の近くにいてやる事ができなかった。悲しい思いをさせてしまったんだ。
だから、俺が何とかするしかない。誰にも頼れないのなら、俺が美羽を支えてやるしかない。そう思って、俺は今日まで動いてきたんだ。
「けど、沙綾は違う。支えあえる家族がいて、心配してくれる仲間がいる。俺のように、自分だけで背負い込む選択肢しかないわけじゃないだろ?」
「で、でも……」
「それは迷惑だとか損だとか、そんな話とは一切関係ない。そう思うのなら、それは優しさでも何でもない」
自分を押し通しているだけ。ただのエゴだ。取れる選択肢を放棄し、わがままを口にしているだけ。
「みんなは、沙綾を待ってる。海野さんだって、香澄だって、俺だってそうなんだ」
「翔、も……?」
「俺も沙綾の力になりたい。まだ周りが見えなくて、そこから前に進めないのなら、俺たちの手で連れ出してやりたい」
病気の事を知って、そこから止まってしまった沙綾の時間を、前に向かわせる手助けをしてやりたい。もう一度、バンドと向き合ってほしい。
「沙綾は、俺の事聞いてどう思う?」
「どうって……」
俺の言葉を聞いて、沙綾は何を思ったのか。少し間が開いたが、沙綾はゆっくりと話し出した。
「……私も、何か協力できることがあったら、そうしたいって思った」
「だよな。けど、それって同じなんだよ。みんなが沙綾に思っている事は、今沙綾が俺に対して思ってくれた事と一緒なんだ。迷惑だと思われても、力になってやりたいって、そう思わないか?」
「……うん、思うよ」
俺も沙綾も、抱いた決意は変わらない。ただ、向かう方向が少しずれてしまっただけなんだ。
「……私、気づいてたよ。本当は、バンドの事を完全に捨てきる事なんか、できないんだって」
「沙綾……」
「でも、いいのかな?私、迷惑じゃないのかな?このまま自分の気持ちに、正直になってしまったら……」
「そうじゃない、沙綾」
何も迷惑なんかじゃない。そう思う人は、どこにもいない。いるはずがない。だって、沙綾……。
「バンドってさ、一人じゃできないだろ」
「……あ」
「自分の音に合わせてくれる仲間がいて、初めてできるものだろ?一人だけの気持ちじゃ、成立するものじゃないんだ」
ハッと気づかされるように、沙綾は瞳を揺らして俺を見つめる。一人だけの気持ちを前面に押し出していても、バンドは成功するはずがない。その言葉に、沙綾の中で変化が大きくなっているのかもしれない。
「みんなが沙綾の思いを共有して、沙綾がみんなの思いを共有する。それがバンドだ。喜びもあれば、衝突だってあるさ。もちろん、迷惑な事だってあるかもしれない」
「…………」
「でも、それでいいんだ。みんな、沙綾と一緒に損したいだけなんだ。その代わりに得られるものは、どんなに苦しい事だって乗り越えられる力になる」
それは、一人では決して得られるはずのないものだ。目には見えない。けど確かに、胸の中に刻み込まれる、大切な何か。
「……私、本当にいいの?バンド、しても」
「あぁ、大丈夫さ。自分に正直になって見ろよ」
「お母さんやみんなに、迷惑じゃないんだよね……?」
「もちろんさ。沙綾が前向きになれば、それこそお母さんだって喜ぶはずだ。それは、香澄たちだって……」
「香澄……」
沙綾が前を向いたからと言って、お母さんの病気が治るわけじゃない。回復に向かうわけでもない。
もしかしたら、沙綾が家にいる時間が減って、無理をしてしまうかもしれない。その結果、より悪化してしまう事だって……。
「……っ」
けど、それを支えてくれる人は周りにいる。沙綾は、恵まれているんだ。
少しずつ、沙綾の心を何かが満たしていく。想いを紡いで重ねた言葉が、心の内側から溢れ出そうとするものをせき止める壁を壊す。
そしてついに、望んでいた言葉が外に出た。
「……うん、そうだね。私、やっぱりバンドを諦める事なんか無理だったよ」
バンドを止めたくない。沙綾は、ようやく自分の気持ちを前に押し出すことができた。
「アハハッ……。私、バカみたいだよね。頑固になって、香澄や翔に言ってもらうまで、素直になれなかったから」
「そんな事ない。沙綾だって、苦しかっただろ?」
「苦しいなんて……。私、市ヶ谷さんの事も笑えないくらいに強情だっただけだよ」
「強がらなくてもいい。沙綾は十分、一人で頑張ったよ。責任を感じて、背負って、よくここまで我慢したな」
ポンと、優しく沙綾の頭に手を置く。驚いて頬を染める沙綾をよそに、俺はさらさらとした沙綾の髪をなでてやる。
誰にも支えられなかったんだ。今は、沙綾をゆっくりと休ませてやりたい。褒めてやりたい。そう思ったら、自然と体が動いていた。
その動きに合わせて、光るものが零れ落ちていた。
「え、あれ……?わ、私……何で」
俺が頭をなでてやるたびに、沙綾の瞳からは一滴ずつ涙が流れていく。次第に溢れ出し、感情の制御が効かなくなっていく。
「ご、ごめんね、翔。ずっと、止まらなくて……。な、何でだろ……」
「強がるなって言っただろ?泣いていい」
「だ、大丈夫。みっとも、ないから……っ」
「泣いていいんだ、沙綾。今は泣いていい」
「翔……ありがとう。うっ、う……っ!」
「辛かったな、沙綾。一人で抱え込んで、誰にも相談できない苦しみは俺がよく知ってる。だから、その辛さを今は吐き出してくれよ。前に進むために」
手を止めることなく、俺は沙綾をあやし続けた。最初はうめくように声を殺して泣いていた沙綾も、小さい子供の様に大声を出し、ただ泣いた。
その距離も次第に近づき、いつしか俺の胸に沙綾の温もりを感じていた。背中に腕を回され、抱き着かれていた。俺ももう片方の手で、沙綾の背中に手を回して優しくなでる。
あの時の美羽のように。俺の決意が生まれ、今度は沙綾の決意が生まれる。
「…………」
そうしてひとしきり泣いた後、沙綾は恥ずかしくなったのか、俺から距離を置く。と言うか、俺も今になって思えば、かなり気恥ずかしいことしてるんだよな……。
「……落ち着いたか?」
「う、うん……」
まだ目は赤いが、それだけ溜まっていたものを外に出せたと言う事だろう。
「ごめんね、翔。私、あんな風に泣いちゃって……」
「ごめん、が最初に出てくるあたり、やっぱり沙綾は沙綾だな。けど、それだけ辛かったって事だろ?」
「……そうかもね」
何はともあれ、無事に話が片付いてよかった。これで沙綾は、もう周りばかりを気にすることなく、自分に縛られたりはしない。
もっと自分自身を、大切にできる時間が増える。
「でも翔、その……大丈夫?ほ、ほら、私、思いっきり泣いちゃったし、服とか濡れてないかなって……」
「制服のままだし、大丈夫だろ。俺は何も気にしてないって」
「それならよかった……」
また自分より、俺の事を心配するんだな。その優しさを、これからは正しく向けることができる。
「……私、明日ちゃんとお母さんに話すよ、バンドの事。何か、あやふやなままにしてたから。それから、香澄たちと一緒にステージに立ちたい」
「それがいい。きっと香澄も、喜んでステージで待っててくれる」
「うん……ありがと」
ニコリとほほ笑んで、沙綾は感謝を口にする。俺は今日、初めて沙綾の笑顔を見ることができた。
けど……何故か、まだ影が見えているような気がしていた。
「それじゃ、もう大丈夫だな。もう時間も遅いし、そろそろ帰らないと」
「えっ?……あ、今こんな時間なんだ」
気が付けば、もうかなり遅い時間帯だった。電車の事もあるし、帰るならこのタイミングしかない。
俺は沙綾の部屋の端に置いてあった荷物を持ち、もう一度バンドに向き合う決心がついた事を嬉しく思いながら部屋を出ようとして……。
「……ん?」
急に後ろから、制服の裾を掴まれたような気がした。振り返ると、そこには当然沙綾が。俺の事を帰さないと言わんばかりに、裾を引っ張って俺を止めている。
沙綾がこんな風に、自分の感情をさらけ出すことは、珍しい……と言うより、初めてかもしれない。驚きと、緊張と、妙な恥ずかしさが俺の頬を熱くする。が、沙綾はと言うと……。
「え、あ、え……!?」
「さ、沙綾……?」
沙綾自身も、自分がどうして引き留めたのか、よくわかっていないみたいだった。いや、俺にもわかんないんだけど。
顔も赤い。明らかにテンパっている。恐らく、無意識だったんだろう。そうじゃないなら、ここまで思い切った行動を沙綾が起こすとも思えない。
俺もどうすればいいのかわからず、沙綾が何かしらのアクションを起こしてくれるまで向かい合い続ける。沙綾も自分自身に驚いて、フリーズでもしているのか。俺も至近距離の沙綾に、フリーズしそうではある。
だが、少し冷静になったのか、沙綾は自分の行動の意味をようやく理解したようだった。そうなのかどうかはわからないが、頬の染まり具合が、一段と色濃くなったように思えた。
何を企んでいるのか。自然と俺の胸も高鳴ってくる中、沙綾は震える声である頼みごとをする。
「……っ、い、行かないで」
「え、沙綾……!?」
「急に、その、怖くなってきて……っ。これまで間違っていた事、失った時間の事考えてたら、何だかモヤモヤして、押しつぶされそうで……怖くなった、みたい……」
「沙綾……」
さっきの陰の正体は、これだったのか。自分を犠牲にして得た時間と、本来あるはずだった時間とのギャップが、沙綾にどうしようもない喪失感と後悔を与えていた。
失った時間は、あまりにも大きくて。バンドを捨てて、その間違いに気づいて戻ってきたとしても……それでも、時間は戻らない。
その時間に、何ができたのか。自分のために使えた時間を棒に振ったようで、やり場のない感情だけが後には残る。それがきっと、沙綾の胸に靄となって残っているんだ。怖くなったんだ。
「だから、そっ、その……」
「……な、何だ?」
「今日は……ここにいて……?///」
涙を滲ませ、上目遣いで懇願する沙綾。こんなにも弱々しく、何かを頼み込んでくる沙綾は初めてで……心が締め付けられる。
「……ダメ、かな?///」
そんな沙綾を見捨てて、家に帰られるはずもなく……。
「……わ、わかりました」
俺は今日、家に帰らないと決めた。
一人の少女が前を向き、その先に待つ文化祭。
喫茶店、そしてライブ。それぞれの準備が進み、決意を新たにする少女たち。
絶対に、文化祭を成功させる。
翔は、香澄は。そして沙綾は、みんなの見守る中で誓いを立てる。
だが……。
次回「振り絞る声」