BanG Dream! 澄み渡る空、翔け抜ける星 作:ティア
今年も頑張って執筆していくので、応援よろしくお願いします!スピードも上げていけるように努力します!
それと、今日でこの小説を投稿してちょうど1年が経ちます!たった1年の間に、多くの人に読んでもらえて嬉しいです!
お気に入りも、感想も、評価までいただいて、本当に感謝しかないです!何なら、一人一人にありがとうって言って回りたいくらい!
さて、前置き長くなりましたが、行きましょう。では、どうぞ!
電話越しの告白に、沙綾は震えが止まらなかった。
お母さんが倒れた。あの時と同じように、ライブを目前に控えたこの状況で。冷や汗が噴出し、目の前を真っ白に染め上げていく。
思い起こされる光景。耳に焼き付く悲鳴と、気遣う仲間たち。急かされるように飛び出した会場にはない、自分の姿。
そうして永遠に失われた、かつてのCHiSPAとしての時間も。
「……わかった。お父さんには、こっちから伝えておくから」
「いいって。俺から言っとく。ねーちゃんは文化祭でいそがしーだろ?だからーー」
「大丈夫。私から言うから。……それじゃ」
何とかそれだけ言うと、沙綾はすぐに電話を切った。これ以上純の声を聞いていると、胸が苦しくて正気を保てなくなりそうだった。
今回はお父さんがいる。パンを届けに学校に来るから、その時に伝えたらいい。後は、すぐにでも家に帰って、お母さんを病院に連れて行ってくれるだろう。
けど……今こうしている間も、家ではお母さんが倒れている。純や紗南は、きっと恐怖を感じているはずなんだ。
「あれ、さーや?どうしたの?」
戻ってこない沙綾を心配してか、香澄が教室から廊下に顔を出す。その声で正気を取り戻すが、すぐに平常心を保てるほど、沙綾の状態はよくなかった。
「あ、香澄……」
「さーやも早くおいでよ!準備して、すぐにでも曲の練習しようよ!」
「う、うん……」
「家に曲の歌詞届けたんだけど、さーや見てくれた?みんなにも手伝ってもらってたんだけど、昨日の事もあって書き直したんだ!」
「そ、そうなんだ……」
何とか取り繕ってはいるが、さっきまでと比べると明らかに違う。だが香澄は、沙綾がバンドに入ってくれた事が嬉しくて、異変に気づけないほどテンションが上がっている。
そんな喜ぶ香澄を見て、沙綾は一人苦悩していた。母が倒れ、すぐにでも駆けつけたい。純や紗南に悲しい思いをさせないために、今からでも学校を飛び出して、家に戻りたい。なのに、それを拒むものがある。
香澄だ。そして、彼女のバンドだ。
「……香澄」
「うん?どうかしたの、さーや?」
「あっ、いや……」
母の元に向かうと言う事は、それは文化祭を諦める事を意味していた。家に戻り、そこから病院へと向かい、全てが終わってから学校に戻っていては、とても間に合わない。喫茶店はおろか、バンド発表の時間にすら出られなくなってしまう。
そうなれば、沙綾はまたバンドを裏切ってしまうことになる。ライブを台無しにして、今日を楽しみに頑張ってきた、香澄たちの時間を奪ってしまう。
バンドに対して真剣に向き合う香澄を知っている。そんな彼女の姿を見ている。だからこそ、今日のライブは何のしがらみもなく、香澄らしいものにしてほしかった。そこに余計な心配は不要だ。
せっかく手にした、迎え入れてくれた居場所を……今回も自分の手で壊してしまうわけには、いかなかった。
「……何でもないよ。ちょっと緊張しちゃったのかも」
「緊張しなくても大丈夫だよ~!クラスのみんながいてくれるし、ライブだって、有咲にりみりん、おたえになーくん……さーやだっているから!」
「……うん。そうだね。今は頼れる人が、私にはいるからね」
今回は、私だけじゃない。お父さんがいる。お母さんの事を託して、私は私のやるべきことをしないといけない。
不安はある。でも、割り切らないと。何でも自分だけで抱え込むことが、本当に正しいわけじゃないんだから。それを教えてくれた人だって、私にはいるんだ。
だから……。
「みんな、パン届いたよー!運ぶの手伝って!」
「あ、うん!今行くー!」
クラスメイトの一人が、パンの到着を知らせに来てくれた。という事は、お父さんも外にいる。
「私たちも行った方がいいよね?パン運ぶのって、大変そうだし……」
「いや、そんなに大勢でゾロゾロ行っても仕方ない。教室でパンを受け取って、それを準備する役も必要だろ?」
「そうだよ、りみ。ここにはちょうどいい力仕事の専門家もいるんだから」
「遠回しに俺の事を都合のいい運搬役みたいに言うの止めてくれないか」
教室の中から、そんなやり取りが聞こえてくる。けれど、私の心の中に浮かぶのは、倒れてしまったお母さんの事。いつもなら、おかしくて笑ってしまうのに。
それでも、香澄は……。
「さーや、行こ!」
「……うん」
手を差し伸べてくれた。気づいていないだけかもしれないけど、今はその気遣いが私を文化祭と言う現実へと引き戻す。
「…………」
今日は私が行かなくてもいい。
友達を優先してもいいんだよね。
あの時とは違うんだから。
お父さんがいるんだから。
一緒じゃない。同じ事が起こるわけじゃない。
また……同じ道を辿る事にはならない。
「……大丈夫」
今日は、大丈夫。
……なんだよね。
***
「おはようございます!」
「おはよう、香澄ちゃん。それに、翔君も」
「ご無沙汰してます」
俺は校舎を出て、パンの受け取りに来ていた。関係者用の門の近くに車を停めていたらしく、俺たちの姿を見つけると手を振って応えてくれた。
メンバーは俺と香澄、そして沙綾の三人だ。特に示し合わせて決めたわけじゃなかったが、実行委員だし、自然とこのメンバーになっていた。他は教室に残ってもらって、パンを運ぶのを待機してくれている。
「ご無沙汰、ねぇ……。そう言えば翔君、昨日は色々とあったそうじゃないか」
「えぇ、まぁ……。沙綾と少し話をしてまして。うるさくしてしまったでしょうか?」
「いやいや。けど、それだけじゃないだろ?昨日は一晩、部屋にいたそうじゃないか。もしかして、沙綾に気があるとか……」
「なっ!?///」
待ってくれ。普通にパンの受け取りだけかと思ったら、いきなり何を言い出すんだ!?当然俺がいた事は知ってるだろうが、このタイミングで言うかそれ!?
「ハハハハ。顔が赤くなっているよ、翔君?」
「そ、それはお父さんが……」
「ふ~ん?私はまだ、君に『お義父さん』と呼ばれるつもりはないよ?」
「あっ、いや、そう言うつもりで言ったんじゃ……」
「えっ、何でなーくんはお父さんって呼んでいけないの?」
「お前は知らなくてもいい!」
「えぇーっ!?」
こいつ、変なところで鈍感だからな。てか、香澄に首突っ込まれると、後々面倒なことになりそうで怖い。というか、普通に知られるのが恥ずかしい。
「何にでも食いついてきやがって……。そう言うところ、嫌いじゃないんだけどさ……」
「おや?これはもしかして、香澄ちゃんの事も……?」
「ち、ちち、違いますから!そろそろからかうのは止めてくださいよ!///」
この人、キャラこんなだったか!?沙綾がたまに俺の事からかってくるのは、この人に似たんだろうな、きっと……。
「ちょ、沙綾も何か言ってくれよ!お父さん、今日は何かテンション高くないか!?」
「……え?あ、うん。そうだね」
「……沙綾?」
何だ……?沙綾の様子が少し変だ。さっきまでは普通だったのに、別人のように沈んだ表情を見せている。今も何か反応を示していいようなものだが、軽く相槌を打つだけで静かに俯いているばかりだ。
バンドへの思いを語り、これから先に進もうと決意を見せていたのに。その反面、沙綾からは笑顔が消えている。その理由がわからない。
「今日は朝から張り切っちゃってね。いつもより気合い入れて作ったんだ」
「そうなんですね!……あれ、このパン箱、前に頼んでた量よりも多くないですか?」
「張り切りすぎて、たくさん作ってしまってね。余るかもしれないから、その時はみんなで山分けして食べてほしいんだ」
「えっ、いいんですか!?ありがとうございます!」
確かに、当初の予定とは違う数のパン箱が、車の中には積みあがっている。喫茶店で売り切るには少し多いかもしれないが、それだけのパンを提供してくれるやまぶきベーカリーには、感謝しかないな。
「やったね、なーくん!みんなもきっと喜ぶよ!」
「あぁ!前に試食してないパンも何種類かあるし、これはお客さんも喜んでくれるな!」
「ハハハ。そう言ってくれると、私も作った甲斐があったよ!」
それにしても、色んなパンがあるな。おっ、こっちのパン箱にはチョココロネが入ってる。りみが喜びそうだな。
「見てみろよ、沙綾!お父さんがこんなにーー」
だが、そう言いかけて俺は、続く言葉を抑え込む。沙綾は俺たちの輪に入ろうともしないまま、時が止まったかのように呆然としていたから。
「沙綾……?」
やはり、今の沙綾は何かがおかしい。あれだけ元気だったはずなのに、どうしてこんなにも暗く落ち込んでしまっているのか。
香澄とのやり取りから今まで、そう時間は経っていないはずだ。恐らく10分も過ぎていない。その間に、沙綾の感情をここまで欠落させるほどの何かがあったことになる。
バンドには乗り気のはずだ。さっきの告白に嘘はない。なら、その後か?けど、後と言われてもな……沙綾に何か変わったことがあったかどうか……。
「…………」
ダメだ。それらしい理由が何一つとして思い当たらない。これは直接聞いた方が早いか。
けど、目の前には沙綾のお父さんがいる。それに、香澄だって。沙綾の事を考えると、どっちにも迷惑をかけたくないはずだ。だから、ここで無理に詮索するよりは、少し人気のない場所に移った方が……。
「沙綾」
「…………」
「さーや?お父さん呼んでるよ?」
「……あっ、ごめん香澄。お父さんも。何だった?」
ボーっとしてて、名前を呼ぶ声すら聞こえていないみたいだった。香澄に肩を叩かれたことで、沙綾はハッと我に返る。
何が沙綾を変えたのか。その答えは、意外にもすぐに明らかとなる。
「……気にしてるんだな。母さんの事」
「っ!?それ……何で」
「さっき母さんから着信が来てたから、かけ直したら純が出たんだ。それで、母さんが倒れたって話を聞いた」
「純……こっちから伝えるって言ったのに……」
沙綾の困り果てた顔を見て、俺は悟る。きっと、ここに来るまでの間にお母さんが倒れた話を聞いていたんだ。それを、香澄や俺には黙っておこうとしたんだ。余計な心配をかけないために。
けど、不本意にもお父さんの口から告げられた、沙綾のお母さんの容態。文化祭にすら身が入っていない沙綾を見て、親心で気にかけてくれたからこその言葉だったんだろう。
「え……お母さん、倒れたって……!?」
「……うん。さっき、純から電話かかってきて、それで母さんが倒れたって聞いたんだ」
「じゃあ、今沙綾のお母さんは……!?」
「これが終わったら、すぐに私が戻って病院に連れていく。だから、心配はしなくてもいいよ」
心配になるに決まっている。友達の母親が倒れて、心を痛めないわけがない。それに、この事を知った沙綾の気持ちだって……。
「だったらすぐにでも運び出します!なーくんもお願い!」
「わかってる!とりあえず、すぐに車出せるように箱だけでも一旦車から降ろすぞ!」
「いや……そこまで急がなくてもいいよ。少し、沙綾と話がしたいからね」
パン箱を担ごうとする俺たちを、沙綾のお父さんはゆっくりでいいと制する。そして、今もまだ何も動こうとはしない沙綾の元へ、お父さんは近づいて行った。
「……沙綾。お母さんの事は、何も気にしなくてもいい。沙綾には、やるべきことがあって、いるべき場所があるはずだよ」
「わかってるよ。けど……」
「沙綾は家族思いだ。前に母さんが倒れた時の事、今もずっと気にしているんだね。自分が傍にいなくて、純と紗南に怖い思いをさせてしまったから」
「……うん」
「家の事は気にしないで、自分の好きな事だけしていてほしい。お父さんは……いや、お母さんだってそう思ってるんだから」
この人も、後悔しているんだろう。自分の娘に、望まない生活を強いることになってしまったから。それに気づけずに、今まで甘えてしまった事も。
だから、言葉を投げかけているんだ。こんな時だからこそ、親として。子供が立ち止まって、道を選べずに悩んでいるなら、その背中を押してあげるのが大人の務めだ。それは、この人にしかできない。
「沙綾がバンドを止めた時だって、受験や内部進学の試験があるからと言っていたけど……それだけじゃないんだろう?お母さんのために、自分から止めたんだろ?」
「……気づいていたんだ」
「いや、あの時はその言葉を鵜呑みにしてしまったんだ。昨日の話が聞こえてきて、私はようやく真実を知ったんだ。お父さんやお母さんも、何も疑わなかったから。……心の中では、沙綾が一番辛かったはずなのにな」
やり切れない思いが、握りしめられた拳の震えから伝わってくる。沙綾の本心に触れた時、この人は一体どれだけ自分を責めた事だろう。
「不甲斐ない……情けないよ。娘の事すら何もわかってやれずに、ただ追い詰めるような真似しかできなかったんだから」
「そんな……それはお父さんのせいじゃない!私はただ、少しでも支えになりたかっただけで、自分で勝手に決めただけ!お父さんが自分を責める必要なんてどこにもない!」
「……こんな時でも、沙綾は父さんの事を第一に心配してくれるんだな。やっぱり、沙綾は優しいよ」
自分より他人を。それが沙綾らしさでもある。だが、それは時として自分を縛る鎖にもなってしまう。沙綾がバンドを止めたように。
「だからこれは、私の責務だ。親として、沙綾にこれ以上やりたい事まで失わせるような真似はさせたくはない。これからは、もっと頼りになるような父親として、力の限り家族を支えていく」
「お父さん……」
沙綾が前を向いたように、この人もまた前を向いている。父として決意を語るその姿が、俺には勇ましく見えた。
「すまないね、二人とも。話は終わったよ。後は私の方で何とかするから、沙綾の事はーー」
「待って」
が、そんな彼を止めたのは、他でもない沙綾だった。俺たちへの言葉を遮り、話を終わらせようとする父を再び向き合わせる。
父の思いを聞き、それでも引き止めて何を語るのか。バンドへの思いか。母への思いか。何にせよ……沙綾は、何か決意のある表情を見せていた。
さっきとは違う。沈んではいないが、引き締まったような強い覚悟をその瞳からは感じ取れた。沙綾のお父さんの背中越しに、沙綾の姿が映る。
そんな沙綾が語ったのは……。
「私も車に乗せて。一緒に病院まで連れて行ってほしいんだ」
「え……!?」
パンを車から降ろし終わったら、このまま沙綾もお父さんに付き添って家に戻り、病院へと向かう。そう言っているんだ。
香澄も思わず声を上げてしまったように……俺も驚いていた。今から向かっては、喫茶店にはほとんど顔を出せなくなるかもしれない。ライブだって、沙綾抜きで行う事になるかもしれない。
自分に正直になって、ここからスタートするための大事なライブだ。ただのライブとは違う。そこに沙綾がいなくては、何の意味もない。
けど、沙綾らしいとも思った。どこまでも優しくて、だからこそ振り回されて。今もこの決断に至るまでに、どれだけの苦労を重ねたのかわからない。
だから、場違いにも笑みがこぼれてしまった。
「沙綾……今から病院に行くって事か?」
「うん、ごめん。お父さんの話聞いて、色々考えたんだけど……私はお母さんの所に行きたい。わがままかもしれないけど」
「……それは、どうしてだ?」
「自分のやりたい事をやってほしい……。お父さんはさっき、そう言ってた。前は何もないって答えてたかもしれないけど……今は違う。あるんだよ、やりたい事が」
ずっと沙綾の中に封じ込めてきたことが。それを今、沙綾は口にする。
「……私ね。昨日二人と話して気づいたの。やっぱり、私バンドがしたいって。今日の有志ライブも、香澄たちと一緒に出て、演奏して……一度しかない楽しい時間にしたいって」
「だったら……」
「けど、私やっぱりお母さんの所に行きたい。今ここで行かなかったら、私この気持ちをどうにもできない。ライブやっても……きっと楽しめない」
意味のあるライブだから、中途半端な気持ちで臨みたくはない。不安を抱えて演奏しても、そこには何も生まれない。
母の元に行き、全てにけじめをつけてからじゃないと……本当のライブはできないんだ。
「……それはできない。気持ちはわかるけど、沙綾はここに残るんだ。今学校を離れたら、文化祭はどうする?やりたいと思っているライブは?」
「そうかもしれない。私のわがままで、香澄たちには負担かけてしまうことになる。ライブだって、めちゃくちゃにしてしまう。だから本当は、父さんに任せるのが一番だって事くらい気づいてる」
それを押しのけ、沙綾は自分を押し通そうとしている。どれだけの迷惑がかかるのかなんて、誰かの事を第一に考える沙綾なら、すぐに想像がついているはずだ。
それでも、沙綾は……この選択をした。
「でも……ごめん香澄。それに翔も。私……やっぱりお母さんの事とか、純に紗南の事も、どうしても放っておけないんだよ」
「さーや……」
「バンドはやりたい。香澄たちと一緒にライブもしたい。でも……まだ、そのために前を向く強さが足りなかったんだね」
「前を向く、強さ……」
「あの時と同じ状況だから、余計に意識しちゃって。また同じ事、繰り返されるのかなって思うと……怖いんだ。私はまだ、完全に過去から抜け出せていないんだよ」
そうか……言われて初めて、俺は気がついた。このシチュエーション、沙綾が初めてライブを行った時とほぼ一緒だ。
軽くトラウマになっていてもおかしくはない。そんな出来事がフラッシュバックしてしまえば、恐怖はより強いものとなって襲い掛かってくるはずだ。
「だから、向き合わなくちゃ。お母さんの事や、純たちの事だけじゃない。ナツたちとバンド組んでた時の私……そんな時間を壊してしまった私……強がって、一人で全て背負い込もうとしてきた、昨日までの私とも」
その恐怖から抜け出し、自分自身と向き合うために。沙綾にとって、今必要なものはそれだった。
かつての自分を超えないと、その先には進めない。
「父さん、お願い。一緒に病院まで連れて行って」
もう一度、強く訴えかけるような口調で。沙綾はその言葉を繰り返す。
「私が、私じゃない誰かに何かを背負わせる勇気を手にしたのは……二人のおかげだから。けどもう少し、前を向くための時間が欲しいの」
「…………」
「私が本当にやりたい事を、やり遂げるためにも」
父が娘に気持ちをぶつけたように。今度は娘が、父に気持ちをぶつける。
全てを知って、その言葉にどう応えるか。沙綾の思いを優先させるのか、それとも反対するのか。しばらく無言の時間が続き、俺たちも余計な口出しすらできずに待つばかりだった。
そんな沈黙を破るように、沙綾のお父さんが答えを導きだした。
「……わかった。それで沙綾が納得するのなら、父さんは力になる」
「お父さん……!」
「と言うわけだ、二人とも。悪いけど、少しだけ沙綾を預かるよ。ライブまでには、私が責任をもって学校まで送り届ける」
「わかりました。沙綾の事、お願いします」
それが選択なら、俺たちも止める事はしない。喫茶店は無理だとしても、絶対にライブには間に合わせると言ってくれたんだ。それを信じて、待つしかない。
俺はパン箱を一旦車から全て降ろし、すぐにでも車を出せる状態にする。それを見て、沙綾はお父さんと一緒に車へと乗りこもうとする。
そんな彼女の背中に向けて、香澄は……。
「待ってる」
「……っ!」
「待ってるから」
それは、昨日香澄が残した言葉。思いをぶつけ、涙に濡れ、それでもまだ立ち止まってしまう沙綾に向けて、前に進んでほしいと祈りを込めた香澄からのメッセージ。
けど、今は違う。あの時とは別の意味を持ち、沙綾の心に強く響く。自分を信じて、待っていてくれる場所がここにはあるんだと、香澄のまなざしがそう告げていた。
あの時は、その言葉に言葉を返すことができなかった。けど、今は……返す時だ。その言葉に、気持ちに、応える時だと。
「……うん、待ってて」
***
沙綾を乗せた車が学校を離れた一方、俺たちはパン箱を教室まで運び終えていたところだった。
香澄にも手伝っては貰ったが、ほとんど俺が持つ事に。戻ってきたときは、一斉にクラスメイトに心配されることになったけどな。
「一人で大丈夫だった?このパン箱、結構重いよね?」
「さっきも二人掛かりで持ったけど、何人か連れて行った方がよかったんじゃない?香澄と二人じゃ、大変だったでしょ?」
「いいって、気にすんなよ。俺はバイトで力仕事は慣れてるし、こういう時こそ男子の出番だ。女子にはちょっときついだろうし」
「でも、よかったの?」
「何言ってんだよ。これくらいなら俺一人でも大丈夫だって。俺には俺の、みんなにはみんなの仕事があるんだ。女子に力仕事なんて、そんな大変な事させたくないしな。困った時は、俺に頼ってくれ」
「あ、うん……///」
俺はパン箱を教室に設置した大きめの棚にセットし、すぐにでも引き出せる状態にしておく。他のクラスメイトも率先して手伝ってくれたおかげで、時間もそこまでかからずに終割らせることができたけど。
後、なぜか無数の視線を感じるんだが。さっきからずっと見られてるような気がして、どうにも落ち着かない。これはどういうことだ……?
「ところで、沙綾は?」
「ん?あぁ……。ちょっと、ご家族が体調を崩してしまってな。念のために病院に行くらしくて、沙綾も同行するらしい。今日の喫茶店は……多分、ほぼ沙綾抜きでやる事になる」
「そうなんだ……。沙綾がいないのは残念だけど、それなら仕方ないよね」
沙綾の事も、言葉を選びながらみんなに話す。辛いとは思うが、すぐに事情を理解して割りきってくれた。
だが……この中で一番辛いのは、きっと香澄だ。待ってるとは言ったが、今日の文化祭をずっと楽しみにしていたんだ。それはこの喫茶店も、ライブも。
喫茶店の準備に中心となって動いてくれたのは、やっぱり実行委員の香澄と沙綾で。ライブだって、今日一緒にできると知って、香澄は大喜びだった。一緒に作り上げて、願っていた舞台が待っていたのに、それが急に崩れてしまった。
「よーし、みんな!さーやは参加できなくなっちゃったけど、私たちで1-Aカフェを盛り上げて行こーっ!!」
「「「「「「おおーっ!!」」」」」」
実行委員として、前に立って。心配させまいと、明るく振る舞っていても。そうして強がっていても、俺にはわかる。
香澄はこう見えて、繊細だから。誰よりも傷ついているはずなんだ。
「……香澄」
「うん?どーしたの、なーくん?」
「辛くなったら、いつでも言えよ。何もできないかもしれないが、シフト代わるくらいのサポートくらいはしてやるから」
「……うん。ありがと、なーくん。でも、私は待つって決めたから。大丈夫だよ」
「……そっか」
俺は少しでも落ち着けるならと、香澄の肩にポンと手を置いて教室を離れる。そんな香澄の耳が一瞬赤かった気がするが、見間違いかもしれない。
「……なーくん。――――」
名前を呼び、その後ポツリとつぶやいた言葉は、彼に届くことはなく消えていく。香澄は緩めた頬を戻そうともしないまま、準備に戻っていった。
その一方、クラスメイトはと言うと……。
「成川君って、何かカッコよくない?」
「私たちの事気遣って、仕事引き受けてくれたって事でしょ?すっごく優しい!」
「困った時は頼ってくれ、だって……ちょっとときめいちゃうかも」
翔が教室からいなくなったのを見計らい、その話題で持ち切りとなっていた。
「……何か、すごいね。翔君、みんなからカッコいいって言われてる……」
その様子を見ていたりみとたえも、翔の話をしていた。が、こっちはその人気っぷりに対しての話だったが。
「む~……」
「えっ、おたえちゃん?どうしたの?」
「翔がちやほやされてるの見てたら、何だかモヤモヤしちゃう」
翔が褒められて、好感を持ってくれている。翔の良さにクラスメイトが気づいたと言う事だから、悪い事ではないはずだ。むしろ、嬉しい事なのに。
だが、たえはどこか、この状況を受け入れられないでいる。周りが翔をもてはやしているのを見て、素直に快く思えない。
「私も……ちょっと胸がキューってなってるかも。何か、落ち着かないね」
「不安……ライブが近づいてるから?」
「翔君の事と、ライブの事は関係ないんじゃないかな……?」
「う~ん……。じゃあ、何でだろ?」
「そ、それは……」
好きだから。成川翔と言う人物の事を、りみは異性として好きだと思っているから。自分に自信が持てなかった自分を変えてくれた翔を、いつしか好きになっていた。
それはたえもだった。翔に好意を持ち、だからこそよく思われていることに嫉妬してしまう。けど、二人はそのモヤモヤの生じる理由をよくわかってはいない。
だが、それは明らかに……二人が翔を好きだと言う証明だった。
「おたえ、りみりん!そろそろ文化祭始まるから、一旦集合しよ!」
「わかった~!ほら、りみ。行こ?」
「うん!」
香澄に呼ばれ、二人はクラスメイトの輪の中に向かう。答えの出ないモヤモヤを放っておいて、目の前の文化祭に集中するために。
けど……二人は知らない。
自分が抱いている感情を、他にも抱いている人がいると。
星型のギターを持つ女の子。素直になれない女の子。今はまだ、バンドの舞台に立ててない女の子。
それは、それぞれがよく知る人であり……後にかけがえのない仲間として結ばれる五人。
その事を、五人それぞれが知る時は、まだ遠い。
その気持ちが表に出る時は、まだ先の話で……。
成川翔と言う人物の、悲劇と直面する時でもあった。
沙綾の欠けた文化祭。それでも香澄たちは、待つと信じて臨む。
自分にできる事を、全力で。その思いに応えるように、賑わいを見せる喫茶店。
そんな中、一人の女子生徒が喫茶店を訪れる。
それは、翔にとって見覚えのある生徒で……。
次回「笑顔で」