所によっては雪も降り始め、一年の終わりを感じ始める師走の夜。
ある事務所のオフィスで、一人の男がちょうど仕事を終わらせた時だった。胸ポケットの携帯がぶるる、と振動して着信を知らせた。
何かと思って男が画面を見れば、それなりに仲良くさせてもらっている、先輩のプロデューサーからの電話だった。
「もしもし」
「おお、よう。久しぶりだな」
「そんなに経ってもないでしょう?一週間くらい前には現場で挨拶したじゃないですか」
軽く訂正すると、「お、そうか?へへ」とあちらも軽く返してくる。そんな小さなやり取りからも、先輩の愛嬌ある人柄が伺える。実際に、彼のそんなところを男も気に入っていた。
「それで、一体どんな用ですか?そちらの部署とは仕事の予定も無いはずですが」
「いや、悪いな、仕事じゃねえんだ。どっちかって言うと私用みたいな感じだ。こんな時間に悪いな」
「いえ、別に構いませんが…」
壁にかかった時計を見ると、それは既に八時を示そうという時間だった。仕事に集中し過ぎたな、と少し反省した。
「それで、私用とは?」
「お前に…と言うか雪美ちゃんに伝えたいことが出来てな。ほたるちゃんと雪美ちゃん、仲良かったろ?だから早めに伝えようと思ってさ」
それから聞かされた言葉に男は驚き、そして喜んだ。
「…!……そうですか。おめでとうございます。本当に。雪美ちゃんもきっと喜びます」
「ああ、ありがとうな。俺もほたるちゃんに伝えとくよ」
そうして電話はいつしか終わり、このことを伝えようと彼女を探した。両親が多忙のせいで中々一緒に居られない、という事で彼女はよく事務所に遊びに来る。そうしていつのまにか、帰りは担当プロデューサーである自分が彼女を送るようになっていた。
「…仕事……終わった……?…」
「うん、終わったよ。待たせてごめんね、雪美ちゃん」
彼女はすぐに見つかった。自身の飼っている黒猫・ペロと一緒に、ソファに横になって寝ていた。男のデスクからではソファの背と重なっていて見えなかっただけだった。
まだ少し眠そうに眉毛を擦り、ふぁ、と小さな口を可愛らしく広げて欠伸もしている。ペロを退かして体を起き上がらせ、こちらを見上げてきた。
佐城雪美。
男がプロデュースを担当する、新米アイドルだ。
まだ十歳という幼い体だが、ストレートに伸ばした紺色の髪と、少しタレ目の紅い瞳を持つその整った容姿は十分に人を魅了させる。本人は話すことが苦手というが、その緘黙さも、自身が好むというゴシック調の衣装に相まって、より美しさを引き立たせる。
「電話…何……話してたの…?…」
「…あー、聞こえてたんだね…」
それから一度言葉を区切って、熱のこもった声で言った。
「さっきのは、ほたるちゃんのプロデューサーさんからの電話でね。ほたるちゃんのCDデビューが決まったって言ってた」
「……!…ほたるが……CDデビュー……本当…に…?…」
「うん、本当だよ」
「…ふふ……やった、ね…!…」
雪美は、友人の思いがけない朗報に、普段よりも力強い声で、喜びの言葉を口にする。
「…うん、本当に嬉しいよ」
男の口から自然と溢れたその言葉を聞いた時、雪美は男の様子に少し違和感を覚えた。
喜んでいないわけではない。雪美に話した男の声は普段よりも興奮したものだったし、今も彼の顔は笑っている。
「…プロデューサー……?」
そう言ってから、男に詰め寄り、上目遣いになりながら目線を合わせようとする。男は驚いて後ずさるも、そうはさせないと雪美の手が男のシャツを掴み、逃そうとしない。
「ど、どうしたの、雪美ちゃん」
喜んでいる男に感じた違和感、それを雪美は不思議に思った。
先程男がその名前を口にした少女、白菊ほたるは雪美の友人の一人であり、またアイドルである。雪美と仕事を共にする事も決して少なくなく、故に雪美だけでなくそのプロデューサーである男も、彼女とはそれなりに親しい。当然、男も彼女の朗報を喜んでいるものと思っていた。実際に喜んでいる。
しかしそれだけではなく、何か喜びとは別の感情も入り混じっているように見えた。違和感の正体はそれなのだ。
「……プロデューサーは……嬉しく…ないの…?…」
「何言ってるんだ、嬉しいよ。嬉しく無いわけないさ」
「…うん……それはきっと…本当。…でも…それだけじゃ……ない…」
男はギクリとした。
思うところが無いわけではない。
白菊ほたるの方が雪美より僅かに芸歴が長いとは言え、雪美がアイドルとして活動を始めたばかりの時は、二人の人気にそれほど大きな差は付いていなかった。
しかし白菊ほたるがCDデビューを果たす一方、雪美の方ではまだその段階に漕ぎ着けてはいなかった。
それは徐々に付き始めた二人の人気の差の結果である。
人気の差が出来たのは自分の責任だ、と自責の念が前々から男にあり、CDデビューという結果でその差が如実に現れたことで、自分を責める気持ちはより一層強くなった。
しかし、この朗報を雪美に知らせた時、男は白菊ほたるを祝う気持ちでいっぱいで、彼自身、その思いを意識してはいなかった。それを見抜いて来た彼女が鋭いのか、それとも男が知らない内に、雪美があっさりと分かるほど顔に出ていたのかは分からない。
「話…して………?……」
雪美は言葉よりなにより、男の目を真っ直ぐに見つめてるその紅い瞳でもって問い掛けた。
「………」
「プロデュー……サー……」
男が何を思っているのかは分からない。
だがそれでも彼女は、男が何かで苦しんでいるのならそれを取り除いてあげたい、救ってやりたいと思った。そう決心した彼女は、何がなんでも男の隠れた気持ちを聞き出すつもりだった。そして自分に出来る限りの力を貸すつもりでもあった。
そうして数秒が経った後、音を挙げたのは男の方だった。
「分かった、話すよ」
「……!」
男が苦笑いしながら口に出した言葉に、雪美は勝ち誇ったような、満足げな笑みを浮かべた。
(たぶん、これからもきっと、僕はこの少女に敵わないんだろうな)
そう思うと、その少女に自分の気持ちを隠し通そうとしていた、数秒前の自分がおかしくなってきた。
雪美が寝転んでいたソファに腰掛け、雪美にも座るよう勧める。彼女が座ると、いつのまにかその姿を消していた彼女の飼い猫がどこからか近寄って、彼女の膝の上へと飛び乗って丸くなった。
そんな黒猫を撫でる彼女と隣り合って座る形になってから、告白の言葉を探しつつ、ゆっくりと喋り始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雪美と白菊ほたるとの人気の差を気にしていたこと。
それを自身の責任だと感じていたこと。
白菊ほたるのCDデビューで、気付かぬ内にその思いがより一層強くなったこと。
無意識的ではあるがそれを隠そうとしていたこと。
男は自分でも纏めきれていないそれらの思いを、それでもなんとか言葉に変えて、雪美にうち明かした。
言葉が見つからない時や、自身でも気づいていなかった、それにつける名前も分からない気持ちが始めて見つかった時もあった。それでもなんとか伝えようと苦心することが幾度もあったが、雪美は何も言わず、ただただ男の言葉を待っていてくれた。
「自分でも、結構追い詰められてたんだなって思えたよ。それが分かったら、なんか気が抜けた。ありがとう、雪美ちゃん」
「ううん………私も……話してくれて嬉しかった……」
おあいこ、ね。そう言って微笑む。
それから、おもむろにペロを彼女の膝からすぐ横にあるソファの手かけへと移したかと思うと、いきなり男の頭を掴んで、彼女の膝へと沈ませた。
「ちょっ、雪美ちゃんっ、何を」
男は後頭部に、スカート越しに彼女の太ももの柔らかさを感じた。目線は天井に向き、男の顔を覗く雪美の顔がよく見える。
つまりは膝枕の体勢であった。
彼女が男の顔を覗き込んできたことで、彼女の髪の毛が鼻先に垂れてきて、少しくすぐったい。男が突然のことに驚いて、呆けたままでいると、雪美は男の頭を撫で始めた。
「もっと……頼っても……いいんだよ………?」
「雪美ちゃん…」
「悪いのは……プロデューサーだけじゃ…ない……。私も…同じ………。おあいこ……ね…。だから……もっと…私を頼って……いい……」
「違う、それは違うよ雪美ちゃん。もっと僕がうまくプロデュースできていれば、君はもっと人気を取れるはずなんだ。君は悪くないんだ。悪いのは僕だけだ」
雪美の言葉を否定する男の言い分が気に障ったのか、雪美はむっ、と眉をひそめて言った。
「違わ…ない……。違うのは………そっち」
雪美のその強気な口調に、男は驚いた。
(これは、怒ってる…のか)
雪美は口数こそ少ないかもしれないが、言いたいことははっきりと言ってくる少女である。そのおかげかコミュニケーションが変に拗れることはなく、トラブルもなかった。そうやってきたので、男が雪美に怒りという感情をぶつけられるのは、初めての経験だった。
「アイドルは……大変……。レッスン……つらい……たくさんの人にも……見られる……」
雪美は俯きがちに弱音を零すが、それもそのはずだ。
雪美は元々人前に出る性格でも無いし、活発な子でも無かった。アイドルとしてやらなければならない事、求められる事をこなしていくことが苦痛に感じても仕方ない。
しかし、雪美はそこで言葉を終わらせずに、でもね、と続けた。
「楽しい…よ……。プロデューサーと……いっしょ…だから……アイドルも………楽しい。だから……今まで…アイドル……続けられた……。プロデューサー……頑張ってる……だから……今度は……わたしの……番…」
「雪美ちゃん…」
「たくさんの………人の前……話す……苦手……。でも……頑張る……。わたしも……頑張らないと……だから…」
「それって」
アイドルの仕事を厳選するのもプロデューサーとしての仕事のうちである。
雪美の「話すことが苦手」という弱みもあり、男はそれよりも写真や歌など、雪美がしやすく、かつ彼女の魅力を引き出しやすい仕事を多く選んできた。
それを踏まえれば、雪美のその決断は大きなものだと言える。
良い方に転ぶか、はたまた悪い方へと転ぶのか。そのどちらかは分からない。
笑みをたたえる雪美の顔には不安も見えるが、しかし、やると言ったらやる、という強さも感じられた。
彼女の笑顔には自信がある。そして、そのせいぜい十歳の少女の笑顔には何故か、頼もしささえも感じられてしまうのだ。
だから男は自身の弱みも曝け出せたし、元気付けられも、励まされもした。
彼女が決意して、そこまでやる気を見せているのだ。
彼女をアイドルにスカウトし、これまで支えてきた男が、その思いに応えない道理があるだろうか。いや、ない。
考えること数秒。決意を固めた男は雪美に宣誓する。
「分かった。そこまで言うほどなんだね。少しずつだけど、歌や写真以外の仕事も増やしていこう。多少大変かもしれないけど、今の雪美ちゃんならできると思う」
少しづつでも、前へと進むのだ。
友人として、好敵手として互いを意識し合っている彼女達に引けを取らないくらいに。
「そして、約束するよ。…僕は君を必ずほたるちゃんに追いつかせてみせる。そして追い越させてもみせる」
「!……分かった。……約束…」
雪美は男の決意の言葉に大きく頷き、小指を差し出す。
男は躊躇せず小指で握り返し、指切りをした。
「嘘ついたら……針千本………」
その言葉にはいやに凄みがあった。
「まさか、本気で言ってる…?」
「冗談……冗談、だよ……」
どうだ、とでも言いそうな不敵な笑顔を見るに、どうやら演技だったらしい。それにしては真に迫ったものを感じた。だが冗談ならそれでいい、それでいいのだ。引きつった笑いしか出なかった。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
話を始めてからも随分と時間が経ってしまった。寝始めている子どもが居てもおかしくない時刻だ。
男がソファから立ち上がり、雪美を促すと、
「ん……」
手の甲を上に向けてこちらへと差し出していた。取って立ち上がらせろ、ということだろうか。
それは余りにも華奢で白く、綺麗な手だった。そのせいか、手を取って立ち上がらせるだけなのに、無意識のうちに傷付けないよう注意深くそれを行っていた。
「お姫様と…王子様みたい……ね……」
(僕が王子様か…)
男は嬉しく思うと同時に、自分では彼女に釣り合わないだろう、と苦笑いした。それでも男の喜んでいるのを見通したのか、雪美はふふ、と顔を綻ばせる。
自分がウブなだけなんだろうか、と男が自身の未熟さに落ち込むも、それを知ってか知らずか、彼女は気にすることもない。
「………ふふ…」
雪美は引っ張られたその手を離さなかった。手を握ったまま、車まで行くつもりなのだろうか。男にしてみれば気恥ずかしくて堪らないので、その手を離さそうとするのだが、そうしても握る力を強くされるばかりなので、抵抗もさせてくれないのだなと諦めた。
「…それじゃあ、帰ろうか」
黒猫も後ろからついて来たのを確認して、事務所の戸締りをする。駐車場までの道のりも、やはり彼女は手を離してくれず、それどころか車に着く頃には恋人繋ぎの形にさせられた。
(やはり、僕はこの子には敵わないんだな)
男はきっとこれからも、雪美に振り回されるのだろう。
そう思うとため息が出るが、しかし、不思議と嫌な気持ちではなかった。
☆☆☆☆☆
車に乗ること数分。
真っ暗な空と、その中に丸く輝く月が背景となり、幻想的な雰囲気を醸し出している洋館風の屋敷。
やがて着いたその屋敷こそが雪美の家であった。
玄関先で停めた車から雪美とペロを下ろして、彼女の姿を見送る。
トトト、と玄関まで駆け寄って行き、ペロもその後を追って駆けていく。彼女の後ろ姿を見ていると、左右に振れるその長髪が思わず目に留まった。明るく輝くような青でなく、深い水底のような藍色のそれ。
彼女の背景となっている夜空と、そこに映える屋敷との二つが持つ幻想的な雰囲気のせいか、とても深く吸い込まれるような心地がした。どこまでもどこまでも深く沈んで暗くなっていくのに、恐れる気持ちは不思議な程に無く、むしろ安心するような感覚。段々と目が離せなくなってくる妖艶さとも言える魅力。
―――ああ、綺麗だ。
「それじゃあ……おやすみ……プロデューサー…。プロデューサー……?…」
振り返って別れの挨拶をする雪美の声を聞いて、はっ、とする。
「あ、ああ。おやすみ。雪美ちゃん」
戸惑いを隠せず声がどもる。
雪美もそれを不思議と思って首を傾げていた。
(いかん)
貴女が綺麗で見惚れていた、なんて気恥ずかしくて言える筈もない。だからといって黙って、彼女に問い詰められてはどうしようもない。なので雪美につつかれる前にどうにか誤魔化そうと、話をそらす。
「そ、そうだ。明日、もしほたるちゃんが来てたら、祝いに会いにいってみないか。お祝いのケーキも買って行こう。きっと喜ぶ」
「……!」
ぱっと顔を明るくさせて、雪美は大きく頷いた。
「私も……ほたる……喜ぶと思う…!…」
「それじゃあ、そうしよう」
(切り抜けられた…!)
「また明日。おやすみ、雪美ちゃん」
「おやすみ……プロデューサー……」
そうして別れの挨拶を済ませた後、車を走らせて、雪美の家を後にした。
走っていく向きと、月の見える向きがちょうど重なったようで、フロントガラス越しにも月の姿をはっきりと覗くことができた。静かに光を放つそれを眺めていると、先ほどの、吸い込まれるような、沈んでいくような感覚を思い出した。
静かな夜で、暗く、しかし恐ろしいわけでもない。
そんな晩だから、彼女の姿と雰囲気がマッチしていたのかもしれない。緘黙で、紺色の髪、可愛らしい女の子。そんな彼女に。
だから、あんな風に惹かれたのだろうか、とふと思い至った。
(なるほど、そう考えると"夜"というのは彼女のイメージにも当てはまるかもしれない…?)
夜、そして彼女の魅力…長所……歌…………曲。
夜曲、
(
夜、慕う人の為に窓の下にて奏でる曲、
"
―――月夜の輝く空の下、洋館の前で此方を迎える少女。傍には黒猫が控えていて、その少女を守っているようにも見える。
ふっと湧いたその心象風景は、とても美しく、神秘的な魅力を持っていて。何故だか、その景色を思い描いていると自信が溢れ出てきた。
その少女は果たして、雪美ちゃんのアイドルとしての目指すべき姿か、自分の中での勝手なイメージか。
しかしとにかく、それは佐城雪美というアイドル像には似つかわしく思えた。
(そういった方向で企画を練るのも良さそうだ)
彼女との"約束"を果たす為の、第一歩。
まずはそれに向けて、と気持ちが高ぶってくると、身体中に力が漲るようだった。どこまでも気力が尽きることなく、自分本来の力の何倍までも。
その力を感じて、明日からも頑張ろうと、自分を励ます。頑張って、頑張って、いつか約束を果たすために。
―――少女と自分だけの秘密の約束を。