諏訪。それは長野県にある諏訪湖を中心とした地域。諏訪大社の本宮は湖の南東側にある。社自体は他にも三つあって、全部で四つの社が諏訪湖を囲うように建っている。冬になれば諏訪湖は全面凍りつき、真冬に起きるらしい自然現象「御神渡り」は必見。見たことないけど。見てみたいよね。超神秘的らしいから。
そんな諏訪なんだけど、バーテックスが世界を襲った現在では、他の街同様に破壊されてる。社がそれぞれ結界を張り、諏訪湖全体とその周囲を守っていたらしいんだけど、それも敵の攻勢が強まるに連れ縮小。そして通信が途絶えて以降は……。
「まーくん、大丈夫?」
「……うん。僕は見ないといけないからね」
心配してくれる友奈にお礼を言って、本宮を目指して歩く。この辺も全然バーテックスがいないから安心なんだけど、それはそれで不安になる。バーテックスのことは分かってないことのほうが多いからね。
「壊されてるね。徹底的に」
「っ……、そうだな」
僕と同じか、それ以上に辛そうにしてる若葉と言葉を交わす。無駄な励ましなんていらないし、ここはいつもみたいにバカするわけにもいかない。僕らはここにあるものから、決して目を逸らしちゃいけない。ここで何があったのか、その詳細は分からずとも、結果を受け止める必要がある。
本宮を中心に探索することになって、僕は例に漏れず友奈と一緒に行動。バーテックスもいないわけだし、手を繋がなくてもいいと思うんだけど、友奈は手を離してくれない。僕ってそんなにフラフラいなくなるって思われてるのかな。
「友奈は大丈夫なの?」
「へ?」
手を軽く引っ張ってから問いかける。友奈は目をぱちくりさせてて、たぶん半分くらい聞き逃しちゃってるね。一言なんだけど。
「僕の心配をしてくれてるけど、友奈自身は大丈夫なのかなって」
「私は大丈夫だよ。まーくんがいてくれてるから!」
「そっか……。なら、よかった」
さらっと恥ずかしいことを言ってくる。いつものことなんだけど、なんかいつもとは違う感じがする。何がどうとは言えないんだけど、言われて恥ずかしかった。だから僕は、言葉を詰まらせながら返答することしかできなかった。視線も友奈から外して、生い茂る雑草を見下ろす。
たぶん顔が赤くなってるんだろうなぁ。熱いもん。これはしばらく友奈見れないや。そうしてしばらく友奈を直視できなかったから、僕は友奈も赤くなってたことを知る由もなかった。
手は繋いだまま。でも会話は途切れて、なんだか気まずいというか、気恥ずかしい空気が流れる。それに耐えられそうにもなく、僕は周りをキョロキョロと見ながら歩く。諏訪大社は他の建物よりも徹底的に壊されていて、鳥居も本殿も何もかもが。まるで存在していたことすら否定するように。執拗に。
「あれ?」
「友奈? どうしたの?」
「あそこ、たぶん畑じゃないかな?」
「え? ……あ、ほんとだ。……そっか、あそこが……」
友奈と一緒にそこまで歩いて、茂みを手で避けながら地面を覗く。放置されてから数年経ってるのは一目瞭然。そして、ここが畑だったことも確認できた。婆ちゃんが家の庭に畑作ってたし、それと似た感じがするから間違いない。ここが、通話の時に言ってた畑なんだ。生きるために、食料を確保するために一から作った畑。彼女たちを、ここにいた諏訪の人たちを支えた生活の基盤。
「わりと広いね……。諏訪の人たちも手伝ってたって話だし、これくらいにもなるものなのかな」
「みんなでやってたんだね。じゃないと畑の面倒を見きれないだろうし」
「だね。若葉たちもここに呼ぼう」
「うん」
友奈が連絡を取って、すぐに若葉たちが合流した。少しの間僕はこの畑を眺めてた。手入れされなくなってからしばらくの年月が経つ。雑草がたくさん生えてるのも仕方ない畑。でも、その下にある土を見れば分かるんだ。この畑がどれだけ大切にされていたのかが。
「勝希、ここは」
「うたのんたちが耕してた畑みたいだね」
「そうか……」
言葉数少ない若葉に、何を言ってあげることもできない。僕らは無言でこの場に固まっていたけれど、やっぱりこういう時に流れを変えてくれるのは友奈だ。土から箱の一部がはみ出てるのを見つけた友奈が、それを手で掘り起こし始めた。僕らもそれに続いて箱を掘り起こし始めた。素手でやってるから汚れるんだけど、そんなのは気にしない。
みんなで掘り起こしてたらやっぱり早いね。箱の全体が分かって、それを土の中から引っこ抜いた。身の丈くらいはありそうな長い箱。土の中に入れてたらバーテックスに壊されないってことで、うたのんたちが埋めたんだろうね。箱を若葉が丁寧に開けると中から出てきたのは、一本の鍬と手紙。若葉が手紙を読む。
その手紙は、うたのんが若葉に向けたものだった。うたのんは諏訪の厳しい情勢を認め、それを真正面から受け止めていた。決して下を向かずに、真っ直ぐと前向いていた。人類が決して負けないと信じて、たとえそれを叶えられるのが自分じゃないのだとしても、誰かが引き継いでくれるのならと。うたのんから受け継ぐ『誰か』、それは若葉で、僕らで、四国に残ってる人間なんだ。
「白鳥さん……!」
「ここも同じ……! 全部壊されて……!」
「ちーちゃん」
「ううん。全部じゃないよ」
手紙をグシャグシャに握って、渦巻く感情を押さえ込む若葉。それを横目に、現実を嘆くちーちゃん。だけど、決して悲観しちゃいけない。それは友奈が示してくれてる。箱の中から取り出した鍬をそっと持って。
「これが残ってた。歌野さんから受け継いだバトンだよね、きっと」
大切に、小さい子を抱くように、包み込むように持っていた鍬を若葉に差し出す。それを若葉は受け取った。力強く。うたのんの気持ちを、たしかに。いや、うたのんだけじゃない。そこには、みとりんも、ここにいた諏訪の人たちの想いも詰まっているんだ。決して軽いわけがない。
──耕そう
それを誰から発したわけじゃない。僕らは自然と畑を耕し始めた。交代で鍬持って。雑草を手で引っこ抜いていって。僕は婆ちゃんの手伝いをしたことがあるけど、それでも初心者同然だ。他のみんなだって畑作業をやったことなんてない。鍬の振り方もきっと良くないんだろう。体に負担がかかるんだろう。それでもいいんだ。僕らは、たとえ一部だけであろうと耕したいと思ったんだから。
気休めだと言われても構わない。年月が経てばまた雑草まみれになるのも分かってる。だけど、そうだとしても、僕らはここを放置することなんてできなかった。夜になったら月明かりを頼りにして、一部を耕し終わった時には朝日が顔を覗かせていた。こんなに晴れやかな気持ちで迎えられる朝日は、そうそうないんじゃないかな。
「うたのんは凄いな……」
僕らの手で耕された畑の一部を見る。初めはうたのん一人で始めたっていう畑。一人でやってる時は、いったいどれだけの範囲だったんだろう。みんなの食料をって考えたら、僕らがやった範囲よりは広い気がする。それに、見渡す限りだと、広大な畑になっていたことがよく分かるし。諏訪の人たちが前向きにいられたのも伝わってくる。
人の強さを諏訪の人たち全員が示していた。この事は忘れちゃいけないんだ。
「まーくん、眠れないの?」
「ううん、眠たいんだけど、あんまり寝たくないなって。友奈こそ寝ててよ。移動の時僕は友奈に頼っちゃうわけだし」
「……少しだけ起きるね。ちゃんと休むから」
僕らは耕した畑の周辺で雑魚寝してた。慣れない作業で疲労困憊してたし、精神的にも疲れが溜まってたからね。ひなが見つけてきた野菜や蕎麦の種を蒔いて、残ったやつと鍬は持って帰ることになった。それにしても杏は物知りだよね。何の種か分かっちゃうんだから。
さすがに立っていられないけど、僕は畑から離れて、木に背を預けてぼうっと考え事をしていた。それに気づいた友奈が、眠そうにしながら僕の横にまで歩いてきたんだけど、無理はしてほしくない。僕の肩を枕代わりにしながら、そっと視線を空に向けてる。友奈も何か考え事してるみたい。
「ねぇ、まーくんにとって藤森さんはどんな人だったの?」
「へ? うたのんじゃなくて?」
「うん。だって白鳥さんの話はよくしてくれてたじゃん。仲良くできるだって」
「そういえばそうだった」
連絡を取った時はいつもうたのんとワイワイしてたから、それを友奈にもよく話してたんだった。反対にみとりんのことは全然話してない。もちろん、みとりんとも仲良くしていたんだけどね。顔も見たことのない大切な二人の友達。どんな人だったのか……か。
どう言葉にするかを考えて、話すことを頭の中で整理する。それが終わってから友奈に一度視線を向けて、そっと手を重ねたら前を向いた。
「藤森水都さん、うたのんは『みーちゃん』って呼んでて、僕は『みとりん』って呼んでた女の子。引っ込み思案で内気な性格らしくて、体力を求められることは全然駄目って言ってたね。だから、畑作業は手伝えないって。でも、世界が戻ったら、うたのんが育てた野菜を配達したいって言ってたよ。自分には何もできないって、自分を低く評価しちゃってたけど、自分が本当にできる事はちゃんと分かってた。本当はしっかりしてたと思うんだ。だから巫女にも選ばれたんだと思う」
「うん、それから?」
「それからね。実は少しお茶目なところもあって、僕と話すのが慣れてきた頃からは、時々僕を揶揄ったりしてたんだよ。会ったことないのにさ……本当に……ほん、とうに……ともだち、って……」
初めてみとりんと通話した時のことを思い出す。元々僕だって連絡に参加してなかった。若葉の話に乱入してみて、怒られたけども、うたのんが許してくれて。それからは連絡の時に僕もいるようになった。諏訪にも巫女がいるって聞いて、どんな人なのかって話から、実際に話してみようってなった。
みとりんはすっごい緊張してたし、通話越しでもオドオドしてるのが伝わってきた。若葉はその時って今ほど丸くなかったし、僕が主にみとりんと話してた。そのおかげなのかな、みとりんと話せるようになったのは。
脳裏に甦ってくる過去の通話の記憶の数々。思い起こされる会話の内容、うたのんとみとりんの声。脳内再生されて、それがとても懐かしくて、温かくて。気づいた時には、僕は話を途切れさせてた。視界が霞んでる。頭に何か乗ってて、それが友奈の手だってことは遅れて気づいた。
「まーくんの大切な友達だったんだね」
「うん……友達で……好きで……」
「……うん」
それ以上は何も言葉が出なかった。無言になった僕は、そっと友奈の手を退かせて大丈夫だと伝える。休むからって。それに頷いてくれて、友奈はそっと瞳を閉じて静かに寝息を立て始めた。友奈だって限界が来てたのに、話を聞いてくれてたんだね。
「ありがとう、友奈」
友奈の髪をそっと撫でる。気持ち良さそうに眠れてる友奈を見て、僕もホッとする。今回はずっと友奈に気苦労させちゃってたからね。だから、腕を抱き枕代わりにされるのも全然オッケーです。
「……みとりん」
ポケットから一枚の手紙を取り出す。ひなが見つけて、僕に渡してくれた。みとりんからの手紙だ。綺麗に畳まれた手紙を片手で広げて、それに目を通す。一文字一文字、見落とさないように。
「……あ、はは……ズルい、よ…………みとりん」
優しい風が吹く。紙が飛ばされないように握ってるけど、その力は強過ぎて手紙にシワができちゃう。紙の代わりに飛ばされるのは、小さな雫たちだった。
初めまして……でいいのでしょうか。会ったことはないですし、きっと初めましてでいいですよね。もし読んでる人が、佐天勝希くんじゃなかったら、この手紙を香川にいる佐天勝希くんに届けてください。
佐天くんと知り合ったのは、うたのんが急に私を連絡に同伴させた時でしたね。佐天くんとの話の流れでって聞きました。びっくりしちゃいました。でも、今では知り合えてよかったって心から思えてます。私は人付き合いが全然できなくて、友達もなかなかできませんでした。うたのんは大切な親友ですが、男友達は佐天くんが初めてです。面白くて、話しやすくて、いろんな話題をくれて。いつの間にか私も自然体でいられました。実はだんだんと連絡に参加するのが楽しみになってました。佐天くんとお話できるので。
諏訪がもう限界なのは、うたのんだって分かってます。いいて、諏訪の人たちみんな気づいてます。それでも、誰もここを離れようとしませんでした。ここが大好きだから。きっと他の人たちが受け継いでくれるからって。私は……怖いんですけどね。誰も逃げないなら、私も逃げるわけにはいきません。
佐天くんに野菜を送るって約束、守れなくてごめんなさい。信州蕎麦を振る舞ってあげられなくてごめんなさい。せめて、と思ってうたのん達が育てた野菜や蕎麦の種を袋に分けときました。きっと香川に持ち帰ってください。蕎麦が育つかは分からないけれど、野菜は大丈夫なはずです。
遠い地にできた初めての男の人のお友達。私の大切なお友達。この先何があるか分からないけれど、周りにいる人たちと協力して、どれだけ苦しくても、少し凹んでしまっても、その後には前を向いてください。きっとそれが人の強さ。そして、大切なことは信じることです。信じて進み続ければ、きっと……。それをすぐ隣にいる大切な人と掴んでください。
佐天くんへのこの気持ちがどっちのものかはよく分かりません。ですが、これだけはそうなんだと言えます。私は佐天勝希くんのことが好きでした。あなたが幸せを掴めることを願っています。
藤森水都より