朝7時にアラームが鳴る。僅か2秒でそれは止められ、勝希は体を起こしてカーテンを開ける。日光が部屋に差し込み、太陽の眩しい日差しに目を細める。アラームを設定しなければ起床時間がバラバラになる勝希だが、アラームを設定すると必ずその5分前までには目が覚めている。ただ体を起こすのを億劫に感じるだけ。
体を伸ばし、歪んだ関節を調節してから部屋を出る。1階に降りて洗面所で顔を洗い、リビングに行って友奈の両親に挨拶する。
「おはよう。いつも悪いのだけど、今日もお願いしていい?」
「わかりました」
「お願いね。それまでに朝ご飯を用意しとくから」
居候の身になってからというもの、勝希には毎朝の日課ができていた。それは、この家のひとり娘である結城友奈を起こすことだ。朝に弱い彼女は自力で起きられた回数が少ない。夜ふかしをするような子でもないため、気持ちよさそうに眠る姿を見ると、起こすのが忍びなくなる。
「友奈〜。朝だよ〜」
ドアをノックして声をかけるも、部屋の中から返事はない。友奈はまだ眠っているようだ。たまには自分で起きるということもできればいいのに、と思いつつもう一度ドアをノックする勝希。もちろん反応はなく、一言断りを入れてからドアを開ける。
活発な少女である友奈だが、部屋には普段見え隠れしている彼女の
(どこまで似るんだか)
気持ちよさそうに目を細めている友奈に近づき、改めて声をかける。あまり朝から大きな音は立てたくない。声も抑えめとなってしまう。
そしてそれでは友奈が起きることはない。今日も駄目だったかと重く息を吐き、素早く布団を剥ぐ。急に体感温度が変わったことで友奈は寒そうに身を縮こめる。しかし未だに起きない。
「筋金入りだなー。不必要なとこで」
友奈の肩に手を当てて揺する。しばらくそうしていると友奈の瞼がだんだん開いていき、肩を揺すっている勝希と目が合う。
「まーくん……おはよう……」
「うん。おはよう友奈。朝ご飯食べよっか?」
「う、ん……。えっと、まーくん?」
「どうしたの?」
「なんでまだ揺するの?」
「友奈が寝ぼけてるから」
言葉も次第にはっきりし始め、ぼんやりとしていた表情も引き締まっている。友奈は目覚めこそ遅いが、寝起きが悪いわけではない。目が覚めてから脳が覚醒するまでの時間は短い方だ。それを知っていながら勝希は揺するのを辞めなかった。
「えいっ!」
「ぐえっ! 寝技!?」
寝転んでいた友奈は、肩を揺する勝希の腕を掴み、一瞬のうちに足で勝希の首を絡めとった。ベッドに組み伏せられた勝希は、体を起こせなくなったと同時に腕の関節を決められてしまっている。
「ギブギブ! 腕がもげるよ!」
「大丈夫だよ。加減には気をつけてるから!」
「そういう問題でもないよ! 痛いものは痛いの!」
「仕方ないなー。着替えるからすぐに部屋から出てね?」
「イエスマム!」
友奈に解放され、勝希はよろよろとベッドから起き上がる。多少オーバーに振る舞う勝希だが、ダメージが入っていたのも事実であり、腕の調子を確かめるように軽く動かす。
「……大丈夫?」
「駄目かも」
「え!? ご、ごめ──」
「前より調子よくてテンション抑えられないや」
「へ?」
やり過ぎたのかもしれない。そう思った瞬間心に陰りが生まれ、すぐさま謝ろうとした。それを勝希が遮り、軽快に笑い飛ばして腕を元気に振り回す。今ならボクシングで勝てるかもしれない、なんてジョークを飛ばすぐらいに余裕だ。
「あはは! 友奈はジョークに弱いよね〜!」
「……本当に心配したのに……」
「ごめんね。質が悪かったね」
「ううん。いいよ」
「あ、さっき友奈に足技決められたときだけどさ」
「う、うん……」
足技では首を狙っていた。その勢いでベッドに倒れさせたのもあり、何かあったのならそっちの方が恐ろしい。友奈は神妙な表情で勝希の言葉を待った。
「友奈の脚がムチムチしてでっ!?」
「そ、それは許さないから!」
「許さないもなにも……仕掛けたの友奈さ──ッ!」
「まーくんのバカ!」
枕を投げられ、口答えしたら拾った枕を顔面に叩きつけられた。起こしに来ただけだというのに、とんだ災難である。
「これ、体が持たないや……。明日からはやめとこ」
顔が少しヒリヒリする。
廊下で待ちながら反省する勝希であった。
❀❀❀❀❀
朝食を取り終え、それぞれ外出するための支度をする。友奈は勇者部の活動のために。保育園で演劇をすることになっており、それに必要な小道具をカバンに入れていく。
「忘れ物はない? 僕も出かけるから届けられないよ?」
「大丈夫だよ。2回確認したし、ちゃんとリストを用意したんだから!」
「あ、これはフラグですわ」
「フラグって?」
「なんでもないよ」
カバンを背負い、親しみのない単語に友奈は首を傾げる。通じないネタを続けても仕方なく、勝希は話題を切って本当に友奈が忘れ物をしていないか確認する。部屋に取り残された小道具はなく、どうやらちゃんと用意できたらしい。
「まーくんは今日どうするの?」
「遠足かな〜。昼過ぎにはドーナツの差し入れでも持っていくよ」
「いいの!? やったー! あ、でもお金……」
友奈と同じく、人の笑顔が大好きな勝希だ。保育園で活動している間に差し入れを持ってくるということは、勇者部だけでなく園児や先生の分も当然買ってくるつもりである。その総額ともなれば、お小遣いだけで生活している中学生にとって、とても手痛い出費となる。
勝希の財布事情を気にかける友奈に、勝希はなんともないように笑い飛ばした。
「みんなが喜んでくれるならそれでいいよ」
「まーくん……ちゃんと領収書もらってね? 後で私も払うから!」
「え、いやそれは──」
「は ら う か ら」
「はい」
笑顔という名の圧力に白旗を上げ、勝希はがっくりと肩を落とした。支払いを自分だけで済ませる、といった姿にちょっぴり憧れているのだ。バイトを始められる年齢になるまで、それはできそうにないが。
財布をサコッシュに入れ、スマホはポケットの中に。必要最低限の荷物だけを勝希は用意し、友奈と共に家を出る。家を出てからしばらくは一緒に歩き、分かれ道に至ってから別々になる。眩しい笑顔を浮かべて手を振る友奈を見送り、勝希は駅の方へと歩き出した。
「えーっと、ありゃちょっと遅かったね」
一部の時間帯を除けば、1時間に1本しかないような鉄道だ。逃していたら大幅なタイムロスとなる。それなのに電車の時間を把握していないのは、生来の楽観的な性格故か。
1時間弱待てば電車は来るが、それでは保育園に差し入れを持っていくのが間に合わなくなる可能性がある。何としても避けたい。
「仕方ない。──ヒッチハイクしよう」
「ハッハッハ! それでヒッチハイクしてたわけか! 坊主は思い切りがいいなぁ!」
「おじさんこそ、そんな僕を乗せてくれるなんて思い切りがいいですね」
「俺も若い頃はいろいろやってたからなー! 最近じゃそういう若いモンを見かけなくて白けてたが、坊主みたいなのを見たら体が勝手に動きやがるんだ!」
「おかげ様で目的地に行けますよ」
頭に手ぬぐいを巻き、いかにもな見た目をしているトラックの運転手。その豪快さは見ていて心地よいほどで、勝希も言葉の節々が弾んでいる。
「坊主の目的地は俺が働いてる工場の近くだしなー。先にそっち行って坊主を下ろしてやる!」
「親方は器が大きいですねー!」
「よせやい! そんな褒めたって饅頭しか出ねぇぞ!」
「饅頭くれるんですね! いただきます!」
「俺が食う」
「なん……だと……!」
茶番を繰り広げては、二人で声を大にして笑い飛ばす。陽気になってくると感覚も狂い始めるもので、途中からは何が面白いのか分からないものでも笑うようになったいた。
運転手は勝希の姿に若かりし頃の自分を重ね、勝希は運転手の豪快さを気に入った上に人生初の大型トラック乗車に気持ちを高ぶらせている。信号が少ない道を通り、想定していた時間よりも少し早く勝希は目的地に着くことができた。
「オジキ、ありがとうございました!」
「いいってことよ! それよかこれ、持ってけ。それで何か買うといい。またな!」
「いやこれ饅頭……って、袋にお金仕込んでたのね。……中学生にこの値段は驚愕です」
饅頭二つとゼロが四つ書かれているお札を受け取り、しばらく固まる。トラックの姿はもう見えず、返すこともできない。
「大切に使うしかないか」
ひとまず財布に入れ、平日になったら銀行に預けよう。
饅頭を摘みながら足を目的地へと進める。人が全くいないが、ここは植えられた木々や芝生によって彩られている。建てられた記念館や展望台は、今では使われていない。隣に見える大橋も壊れて道路が反り返っている。
そんな場所で、唯一使われている箇所がある。かつてはホールだった。真ん中に小さなステージがあり、そこを見下ろせるように椅子が何段にもなって配置されていた。そこを改修し、今では石碑が建てられている。
「英霊之碑、か。ま、それだけの事を成したわけだしね」
かつて勇者として戦った者や巫女であった者。彼女らの死後に石碑は建てられ、ここで祀られている。本来は大赦関係者しか立ち入ることができない場所であり、一般民は近寄ることすらできない。
(あのオッチャンは多少イジったけど、この辺で働いてる時点で大赦関係者か)
正確には大赦の参加に当たる企業に務めている一人、となるのだが、そこまでは勝希の知ったところではない。
ステージの床に描かれている3枚の絵。それはバーテックスたちと戦い、人類滅亡の危機を跳ね除けた者たちが描かれている絵だ。初代勇者、2年前の勇者、そして今の勇者。
「大赦は……なるほど、あの二人のせめてもの抵抗がその
初代勇者たちが描かれた絵。そこには不自然に影が描かれていて、その影が一つのアルファベットを表している。かつて、たしかに存在し、戦い、命を落とした少女のイニシャル。好きだったゲームのアバター名でも使われていたアルファベット『C』。それが薄っすらと描かれているのだ。
しばらくそれを見つめ、他の絵にも目を通してから勝希はステージから下りる。最下段に置かれている石碑には、2年前に命を落とした勇者の名前。そしてその横には初代勇者たちの名前が続いていく。
「お墓参りが遅くなってごめんね」
手を合わせ、1分ほど黙祷を捧げる。
「これは謝らないほうがいいんだろうけど──っ!」
語りかけようとしたところで、勝希は言葉を噤みステージ中央にある巨大な石碑の裏に身を潜めた。他の来訪者の存在を感じたからだ。
その来訪者は勝希も知る人物であり、先日勇者部に入部してきた少女だった。
「やっほーミノさん。やっと来れたよ〜」
乃木園子はかつての親友にして戦友である少女、三ノ輪銀の石碑の前に屈みこむ。体の機能を失う満開の後遺症により、身動きが取れなかった園子は、自由になって初めてこの場に訪れることができたのだ。
話したいことは多々あり、それを順番に話していく。時々話が混ざることもあったが、園子は楽しく思いを語れていた。
「そうそう、焼きそば作ってみたんよ〜。まだミノさんほど美味しくはできないけど、それはこれからの努力次第ということで〜。……あれ?」
手提げカバンから焼きそばを取り出し、それを銀の石碑の前に置く。料理を教わるという話は実現しなかったが、園子は自分の小さな成長を親友に見てもらいたかった。
そこで園子は違和感に気づいた。自分が今取り出した焼きそばは全てで3パック。
一つは三ノ輪銀のためのもの。
一つは自分のためのもの。
ではもう一つは?
なぜ園子はいないはずの3人目の焼きそばを用意したのか。
その疑問の答えを
「わた、し…………ミノさん……ごめんね……。ちょっと……行ってくるね……!」
銀に謝り、焼きそばを置いて駆け出して行く園子。その一部始終を気づかれることなく見ていた勝希は、園子が見えなくなったところで石碑の影から出てくる。
「神樹も酷いことするね〜。……さてさて、僕はどうしようかな」