ある日の夕暮れ。結城家に大赦から派遣された一人の神官が訪れた。大赦の者たちは決まって仮面をつけており、その人物もまた例外ではない。声からは女性なのだと判断できるが、分かることはそれだけである。
友奈はその女性を客間に通し、お茶を用意して差し出した。女性は黙って平伏しており、どういう対応すればいいのか友奈には分からない。フレンドリーな友奈であっても、目上の人が相手でさらにその人が取っ付きにくければ戸惑う。少しでも話をしやすくしたく、そして気まずい雰囲気を解消したい。
「あの……顔を上げてください」
床につくほど平伏していた女性は、しかし完全に顔を上げることはしなかった。体を少し起こし、仮面越しではあるがその視線は下がったまま。顔も上げたとは言い難い。楽な姿勢で顔を伏せている、といった状況か。
「それで、今日は何の御用でしょうか」
彼女が訪問するのは初めてではない。友奈に祟りのことを教え、勇者御記を渡しているのだから。
「友奈様に急ぎお知らせしないといけないことがございます」
前回もそうだったが、突然の来訪である。大赦は実権を持てど、表立った行動は控えている。その大赦がわざわざ訪れているのだ。急を要する自体なのは明白である。
「神樹様の寿命が近づいております」
息を呑んだ。
生まれたときから当然のように存在し、親の世代もその前の世代も同じでずっと在り続けた神だ。寿命があったということ自体衝撃的である。
動揺する友奈が落ち着くのを待たず、女性は話を続ける。
「私達を約300年間守り続けておられましたが、その神樹様が枯れてしまわれれば、外の炎から私達を守る結界も無くなり、この世界は消えてしまいます」
「……消える……?」
世界が消える。それは比喩でも何でもなく、この世界が無くなるということ。皆と過ごしてきたこの世界が。
「そ、そんなの駄目……!」
「はい。人類をこのまま滅亡させるわけにはいきません」
友奈の言葉を力強く肯定する。その声色は、ただ報告する薄っぺらいものではなく、何か自信を持っているかのよう。体を蝕まれ、衝撃的な情報を叩きつけられた友奈はそこに気づけないが、壁越しに話を聞いている勝希は感じ取っていた。
「全滅を免れ、皆が生き抜く解決策を、我々は見つけ出しております」
勿体ぶることなくその事実を告げられた。時間を多く取らないようにするためなのか、それとも別の意図があるのか。女性は友奈が発言しない限り、情報を次々と提供していくらしい。
「あの、これって勇者部みんなで聞いたほうが……」
人類を守ってきたのは友奈一人ではない。同じ部活にいる大切な仲間たち。彼女たちがいたからこそ、人類はバーテックスとの戦いに勝ててきたのだ。
自惚れることのない友奈は、勇者部全員で聞いたほうがいいと思った。しかし女性はそうしなかった。そして今からそうさせる気もない。
「まずは友奈様だけに」
友奈はチラッと部屋のドアに視線を向けた。女性には気づかれないようにしているが、友奈は勝希が話を聞いていることを知っている。理由は聞いていないが、勝希は大赦の人間との接触を避けている。今回も友奈がお茶を用意している時に話をし、自分の存在は伏せるようにと頼んでいる。
そんな勝希に気づくどころか、そもそも考慮すらしていない女性は、友奈一人に話しているつもりで会話を続けた。
「皆が助かる方法は一つ。選ばれたものが、神樹様と結婚することです」
「……へ? 結婚? 結婚って、あの結婚ですか?」
「はい。神との結婚のことを神婚と言います。神と聖なる乙女の結合によって、世界の安寧を確かなものとする。それが神婚」
頭の理解が追いつかない。何を言われているのかは分かっているのだが、それをたしかに認識できているかと言われたら怪しい。
しかし、理解して納得できるかは別の話なのだ。友奈は自分の寿命を理解している。できることがあるのなら、それを行おうと考えてしまう。
「あの、それだとみんな助かるんですか?」
「はい。神婚することで新たな力を得て、人は神の一族となり、皆永久に神樹様と共に生きられるのです。ご理解いただけましたでしょうか」
聞き慣れていない用語が多く、スケールの大きな話だ。話のすべてを飲み込めているわけでもなく、まずは頭の整理も兼ねて疑問を口にする。
「あの、神婚人はどうなるんですか?」
「神婚した少女は死ぬことになります」
今日何度目かも分からない衝撃だった。話を整理すれば、このままでは神樹の寿命が訪れて世界が滅ぶ。友奈は世界の命運関係なく祟りで死ぬ。神婚という手段があるが、選ばれた少女は死ぬ。
「そして、神婚の相手として、神樹様は友奈様を神託によって示されました」
「な……なんで私を……」
「心も体も神に近い、御姿だからです」
全てのことは繋がっている。友奈が強引に満開をして御姿となり、美森を助けたあの時から、こうなることは決まっていたのかもしれない。
他の誰でもなく、皆を思って戦い、友人を想って動ける友奈だからこそできたこと。それが今へと影響している。
「私達大赦は、人類が生き延びるために、さまざまな方法を模索してきました。そして、神婚という手段のみが残されたのです」
再び低く平伏している女性の言葉は、抑揚が一切なかった。ただ事実を述べ、言い逃れをする気もない。事実、大赦は人知れず手段を探し続けていた。防人と呼ばれる少女たちに任務を与え、調査を頼み、別の方法も試そうとしていた。
しかしそれらは叶うことなく、振り出しに戻された。その後も研究を続け、神話を調べ、唯一にして最大の手段を見つけ出したのだ。
「私、友達を傷つけちゃって……」
「皆を慈しむ心。友奈様は素晴らしい勇者であると私は思います。その友達を、人類を救えるのは友奈様だけです」
ズルい言い方だと罵る人もいるだろう。そう言われても受け入れようと、女性は決めていた。手段が一つしかなく、選択肢が残されていない状況で、同じく選択肢が残されていない少女の性格をついて、話をしているのだから。
しかし友奈は女性を責めることはなかった。反発の声を上げることなく、話を理解するために疑問の解消を続ける。
「神婚したとして、その……人が神の一族となってずっと生きるというのは……」
「言葉通りの意味です。我々を神樹様に管理していただく優しい世界。人は死んでしまえば終わりですが、神の眷属となり、神樹様と共に生きていけば希望を持てます」
「それって、みんなちゃんと人間なんですか?」
「神の膝下で確かに存在できます。信仰心の高い者から神樹様の下へ」
友奈の質問に対する直接の解答ではない。それはつまり、友奈の懸念が当たっていることの裏付けとなる。それを女性は言及するつもりもなく、頭を深々と下げて友奈に頼み込む。
「どうか……この世の全ての人々をお救いください。──慈悲深い選択を」
話はそれまでとなり、女性は結城家を後にした。勝希は女性に気づかれないように身を隠し、友奈に声をかけることなく部屋に戻った。友奈にとって重大な話であり、そしてスケールの大きな話だ。しばらく一人にさせ、落ち着くための時間も必要だろうとの判断だ。
大赦からの説明は両親にも行き届き、夕食の後にその話となった。両親どちらも涙を溢していたが、決断は友奈の意志に任せるとした。名誉なことであれど、死ねと宣告されたも同然なのだ。唯一の愛娘を失う恐怖は、子供の友奈と勝希には想像もできない。
「……祟りの次は……結婚だって……。びっくりだね」
「そうだね」
入浴を済ませ、勝希は友奈の部屋へと来ていた。ここで夜を明かすのも定番となっており、祟りの影響を弱めるためにもやはりここにいるしかない。
祟りの苦痛は大きく、友奈は嫌な汗をかいている。握り合う手には自然と力が入り、流れ出る汗は勝希が拭う。
「お父さんとお母さんは泣いてたけど、私に任せてくれるって言ってくれた。……それに、私の体は……」
「……たしか明日だよね?」
「え、……うん」
「なら、今日は頑張って早く寝ないとね。朝早く起きる気なんでしょ?」
「あ、はは、お見通しなんだ……。ついて来てくれる?」
「それはもちろん。ついて行くし、朝も起こしてあげるよ」
友奈の瞳を手で覆い、おやすみと挨拶する。友奈もおやすみと返し、瞳をゆっくりと閉じた。しばらくすれば目を覆っていた手をどけられ、優しく一定のリズムで胸を叩かれる。平常時の心音とほぼ同じペース。それによって少しは気が紛れ、友奈は眠りにつくことができた。
翌朝。朝もまだ早い時間に勝希は起床し、友奈も起こした。相変わらず朝が弱い友奈。少しぐずるも、自分で早朝にやりたいことを勝希に言っていたのを思い出し、ベッドから起き上がった。
着替えを済ませ、動きやすさと暖かさを考えた服装を選ぶ。友奈が廊下に出ると、勝希も既に着替えを済ませており、友奈にそっと手を差し伸べる。手を重ね、階段を降りて靴を履く。学校に行く時間までに戻ってくる必要があり、少し急ぐ必要があるか。
「麓までは自転車で行こうか。僕が漕ぐから、友奈は後ろで座ってて」
「でも……」
「少し距離があるし、ここで体力使ってもね? あそこ登るのキツイから」
「……ありがとう」
自転車に跨り、友奈が後ろに座る。基本的に二人乗りは禁止されているが、友奈の体を考えれば例外として処理できるだろう。
安全運転で進んで行く。時間も早いことから人通りも車通りもほとんどない。スムーズに進んでいくことができた。麓にある看板の近くに自転車を置き、そこからは徒歩で登っていく。
「友奈を乗せたまま坂を上がれたら良かったんだけどね」
「ううん、十分だよ」
下宮までは道が舗装されており、登りやすい状態となっている。そこまでは難なく行けるのだが、問題は下宮から本宮に行くまでの道だ。今訪れている高屋神社は、天空の神社と呼ばれており、山頂に近い位置に本宮が設置されている。そのため、そこに行くまでの道は山道となるのだ。裏から回る手段もあるが、そちらは車だけが行ける道だ。
もはや登山となる山道を登るのは、今の友奈には過酷というもの。健康であってもなかなかにキツイものがある程なのだから。道も決して良いとは言えず、友奈が足をとられないように勝希が気にかけながら登っている。
「いっそ背負おうか?」
「だめ……自分で、登らせて……」
「わかった。でも、限界が来たらちゃんと言ってね」
岩に座って小休止を挟みつつ、友奈と勝希は登り続けた。木々に覆われるのは、最後の石段の直前まで。そこからは景色が一気に開け、石段やその上の本宮から振り返れば讃州市が見渡せる。
「はぁはぁ、きれい……」
「うん」
「神婚して死ぬと、どうなるんだろう……。祟りで死ぬより、苦しくないのかな」
「……まぁ、苦しくはないだろうね。たぶん、睡眠と似た感覚だよ。雪山で遭難した的なあれ。意識が遠のいて、完全に途絶えたら死んでる的な」
「それはそれで、怖いね」
「まぁね」
呼吸も大きく乱れ、大量の汗をかく友奈。勝希は友奈にタオルを渡し、友奈がバランスを崩さないように支える。もしバランスを崩してしまえば、石段を転げ落ちる羽目になってしまう。
「私は勇者だから……勇者らしいことをしなきゃ……!」
「……」
友奈が決断し、覚悟を決めているのだと分かる。勝希は口を挟まず、街を見下ろす友奈を支え続ける。
(祟りで消えてしまう命なら……みんなの為に使おう)
今友奈に提示されている選択肢は二つ。このまま祟りで命を落とし、世界も滅んでしまうのか。それとも神婚で命を落とし、世界を救うかである。
(怖くない……怖くない……。怖く……ない……!!)
自分に言い聞かせる。怯える心を引き締めさせ、自分の辿る道を決める。
「私……決めたよ」
横にいる勝希に視線を向けて宣言する。神婚を選ぶということを。
勝希はそれに一言だけ呟き、友奈に向き合う。勝希としても、動くなら今日のほうが都合がいい。神婚となれば、天の神も自ら動くと予測できる。神樹に近づくのなら、好都合なのだ。
しかし、それとは別に勝希は友奈に確認したいことがあった。
「結城友奈という一人の人間の気持ちは?」
「……?」
「勇者である友奈の決断でしょ? 否定する気はないけどさ、勇者という立場を捨てた友奈の気持ちを聞きたいなって。端的に言うなら、友奈って死にたいの?」
「っ!」
歯に衣を着せず、勝希は友奈に言葉をぶつけた。それが一人の少女としての本心なのかと。命を諦めたのかと。
友奈は顔を伏せ、勝希に持ちかけられた賭けのことを思い出す。あれがどういうことなのか、今になってやっと理解できた。勝希について謎が多いが、友奈だって愚かではない。理屈はわからないが、直感的に勝希にはそれができる可能性があるのだと分かる。
「……これしか私にはないんだよ?」
「大赦から提示された話だけだとね」
「本当に……できるの?」
「気持ち的には確約したいけど、現実的な話だと確約とまではいかない。でも、勝算はある」
勝希の目を見つめ、本気でそう言ってることが伝わる。
不思議な付き合いだが、友奈は勝希のことを勇者部員と変わらず信じている。疑わしい点を拭いきれないが、それでもトータルで考えると信じるに値するのだ。
友奈は黙って勝希との距離を詰め、額を勝希の胸へと押し当てる。表情は見させず、裾を握って。
勝希は黙って友奈の背に腕を回した。細く華奢な体に思えた。本来なら健康的だという印象を受けるのに、今はそう感じられない。弱っていることが直に分かる。今にも崩れてしまいそうなほど脆く、儚い存在だと思わされる。壊さないように優しく、しかしそれでいて強く抱きしめた。
「私、まーくんの賭けに乗るね」
「うん。きっと勝ってみせるから。……ごめんね、今日は放課後は側にいてあげられない」
「ううん、いいよ。私、放課後にみんなに神婚の話しに行くね」
勝希の賭けで勝てるのが一番。しかし、それはそれとして、保険として神婚の道は残さないといけない。友奈の判断に勝希は何も口を出さなかった。妥当な判断だと頷けるから。
顔を上げた友奈の表情は、覚悟を決めた者のそれだった。しかし、瞳にはまた別の感情が見え、僅かに揺らいでいるのを勝希は確かに見た。
抱きしめる腕に力が増す。友奈は背を伸ばし、勝希との顔の距離を詰めた。
(さぁ──今日で神との戦いを終わらせよう)