恐らく、その戦いは瘴気の谷で行われた戦いとしては最も大規模なものだっただろう。
ヴァルハザクとレイギエナとオドガロン、そして双剣隊五人とフィールドマスター、三期団長と受付嬢とアポロ、忍猫とギルオス達。
彼ら、彼女らは、世界に4名しか存在しないハンターの内の一人、『黒き闇』の暗号名を持つ相手に戦いを挑んでいた。例えそれが調査のための演技であったとしても、楽観できる状況ではなかった。
「側面!」
右側面から斬りかかった双剣隊の男性は、ダークの剣と斬り結んだ。
「何か気付いたか?」
「いいえ、相変わらずあなたを狙ってますよ」
ダークと双剣隊の男性は斬り結びながら短い会話を交わす。調査員達はダークが提案した作戦を不安ながらも実行していた。その内容は至極単純で、『ダークと戦う演技をする』というものだった。
要は、ダークだけに敵視を向けるヴァルハザクを皆で援護することで、その理由を探そうというものだった。
数では圧倒的にヴァルハザク側が有利である。しかし、ダークの周囲に大勢の人員が展開しているために、演技とは思っていないモンスター達も同士討ちを恐れて迂闊に攻撃が出来ない状況であった。
「ヴァルハザクの後方で待機だ」
「了解です」
斬り結んだ剣を互いに引くと、双剣隊の男性はヴァルハザクの後方へ移動した。
ダークの経験上、古龍であれ飛竜であれ、モンスターが人間に攻撃を仕掛けることには必ず理由が存在した。中でも『縄張りへ侵入する』ことは最も多い理由であろう。
モンスターの縄張りとは人間やアイルーに例えるなら『自分の部屋』である。人間でも自分の部屋に見ず知らずの者がいきなり入ってくれば、警戒したり怒ったりするだろう。
モンスターの場合はその『部屋』の境界が壁や天井といった見えるものではないため、どこからどこまでが縄張りなのかは分からないのである。
縄張りを主張する場合、爪や鱗、体毛や排泄物を落とすマーキングを行う。しかし、ヴァルハザクの場合はそのようなものは見当たらなかった上に、他の調査員には全く攻撃を仕掛けていないのである。
初対面の者が縄張りに侵入したことに対して怒っているのであれば、同じく初対面であるはずの受付嬢やアポロも攻撃対象になる。ダークが顔なじみではないから、という理由は否定された。
「ウラァァァ!」
ダークの左側面からは、ギルオスに跨った忍猫が突撃の指令で突っ込んできた。
ぶんどり族の言語で事態を理解しているのか、ギルオスも攻撃に覇気が無い。本来であれば牙から大量の麻痺毒が分泌しているはずが、一滴も落ちていなかったからだ。
ダークはスリンガーへ捕獲用ネットを装填した。環境生物を捕獲するために使用される使い切りのネットだが、小型モンスターの大きさであれば体に絡ませて無力化することもできる。
構えたスリンガーからネットが発射された。ネットの端に取り付けられた重りによって放射状に開いたそれは、ギルオスの上に跨っていた忍猫に直撃する。
「ナァァァ!?」
まさか自分がターゲットになるとは思っていなかった忍猫は体に絡まったネットでバランスを崩し、地面に転がり落ちた。
「ムアァァァ!!! 誰か助けろ!」
ギルオスは攻撃よりも忍猫の救援を優先した。ダークを取り囲んでいたギルオス達が忍猫のところへ集まりネットを解こうとするが、複雑に絡まったネットを見て早々に諦めたようである。
ネットごと引き摺られてヴァルハザクの後方に運ばれた忍猫は、双剣隊の男性によって解かれるまで地面に突っ伏したままだった。
「後ろから仕掛けますよ!」
次の相手である双剣隊の女性はそう叫ぶなり、ダークに斬りかかった。
瘴気の影響を軽減する目的の火属性の双剣がダーク目掛けて振るわれる。右手の剣を縦斬りで繰り出した攻撃は、曲面のデザインを描く『左手の盾』にいなされる。
本来、右利きの場合における片手剣の構えは、右手に盾、左手に剣を持つ。
片手剣に限らず、ランスやチャージアックスといった『矛と盾』を持つタイプの武器は、通常利き手とは逆の位置に剣を持つ。これは狩猟を成功させることより生きて帰ることを重視し、利き手の盾で致命傷を避け、確実に防御する目的があるのだ。
ハンターが使用する武器でも小型の部類に入る片手剣でも重量はそれなりにあるため、訓練を重ねれば利き手でなくとも効果的な斬撃を行うことができる。故に、正規の構えを崩すハンターは稀である。
ダークは左手に盾を、右手に剣を持つ構えをしていた。だが、素人がやりがちなミスとは明らかに異なる構えである。
「…………なッ!?」
双剣隊の女性は、盾の表面を滑り地面を斬った右手の双剣をダークに蹴り飛ばされた。地面を滑っていった双剣の片割れは軽い火花を出して止まる。そして、次の瞬間には地面と天井が逆転していた。
武器を蹴り飛ばされた勢いのまま、体を投げ飛ばされたのだ。
無論、双剣隊の女性も並のハンターではない。無様に背中から落ちる事は無く、瞬時に受け身を取り武器を構える。しかし、片方とはいえあまりに一瞬で武器を喪失したために双剣隊の女性は動揺した。明らかにモンスター相手に行う動きではなかったからだ。
「同じくヴァルハザクの後方へ」
双剣隊の女性は、ダークの異質な構えと素早い体術を見て確信した。『対人戦闘に慣れている』ということに。
ギルドナイト、組織名では『ギルドナイツ』と呼ばれる者達は、ギルドに所属するハンターなら誰でも知っている治安部隊である。
密輸を行う違法ハンターの取り締まりや、貨幣を狙った野盗の排除、偽造通貨の摘発、報酬を巡るトラブルの解決など、ギルドの根底となる制度の維持を目的としている。
時には狩猟用武器で武装した違法ハンターと戦闘に発展する事例もある。そのためにギルドナイトは対人戦闘を徹底的に訓練している。
ハンターがモンスターの頑丈な甲殻や鱗へ効果的な攻撃を行うためには、大型の武器を体重を乗せて振りぬくことが必要である。大振りの『力』を重視した対モンスター戦闘術に比べ、ギルドナイトの対人剣術は『速度』を重視したものである。
厚い装甲で覆うことができない首や関節といった部分へ適切な攻撃を繰り出し、生かした状態で逮捕することに特化している。
人間が相手である以上、過剰な大きさや過剰な重さの武器はかえって不利になる。故にギルドナイトの武器装備は細身かつ軽量な物が多く、速さを重視した戦闘術も加われば当然『構え』も変わってくる。
双剣隊の女性はダークがギルドナイトであることを疑ったが、今はその正体よりも任務が優先であることを自覚していたために、気持ちを切り替える。
「了解です!」
「ついでに借りるぞ」
蹴り飛ばされた火属性の双剣の片割れをダークが拾う。代わりに盾をその場で捨てると、即席の双剣になった。片手剣と双剣は盾と剣を交換すれば互いの装備を瞬時に入れ替えることができる簡便さも長所の一つである。
武器の技術が洗練されはじめている現代では陳腐化した戦術だが、弱点が異なる複数のモンスターと遭遇した場合には今でも行われることがある。ダークの場合は瘴気ブレスを盾で防げないことが理由だった。
双剣隊の三名はフィールドマスター、三期団長、受付嬢の護衛で動かない。忍猫とギルオス達、残り二名の双剣隊はヴァルハザクの後方へ移動した。
オドガロンが代わりに前に出ようとする。しかし、アポロが攻撃の巻き添えになることを直感したのか、ヴァルハザクがそれを押さえつけて許さなかった。レイギエナもそれを見て後方に留まった。
このことにより、ダークとヴァルハザクの射線上に残ったのはアポロだけになった。
「旦那さん……」
アポロの手には、ぶんどり族の拠点で忍猫から渡された『ぶんどり刀』が握られている。奇しくも同じ装備構成となった両者だが、アポロは手が震えていた。演技とはいえ、人に武器を向けたことは無かったからだ。
ダークはヴァルハザクを見た。瘴気のブレスを撃ってこないということは、ヴァルハザクはアポロも敵ではないと認識していることになる。
「来い、アポロ」
「行くニャ、旦那さん!」
アポロはぶんどり刀のような双刀武器の訓練を受けたことはあるものの、その武器を用いた実戦は初めてであった。しかし、相手が暗号持ちのハンターだったことが逆に自信に繋がった。実力差から互いに間違って斬ってしまう事は無いと考えたからだ。
ぶんどり刀を構え、アポロは駆け出した。
姿勢を低くしたままダークの間合いに入ったアポロは、右のぶんどり刀を胴体目掛けて振るう。ダークはそれを左の剣で受けると、右手の剣をアポロへ横薙ぎで繰り出した。その剣は片刃であり、当然ながら峰打ちである。
アポロはダークの動きを再現するように左の剣で受けた。ぶんどり刀の曲線を描く独特な刃に噛み込み、ダークの剣も同じく受けられた。
「…………!」
ダークがアポロの戦闘訓練を行ったのは、大蟻塚の荒地でソードマスターが行方不明になる直前の一回だけだ。
それだけでも尚、アポロの実力は急速なペースで上昇しつつある。陸珊瑚の台地ではネルギガンテへの攻撃で的確な援護を行い、今この瞬間でも優れた剣術を繰り出してきている。
互いに斬り結んだ状態で、アポロは真っ直ぐダークの目を見ている。その目には先ほどまでの気の迷いは無い。
アポロの成長に感心したダークだが、不意に左手の剣を離した。アポロは斬り結んだ勢いのまま前方へよろけてしまい、一瞬で背後を取られてしまった。
「なんと!?」
あまりの早業にアポロは何が起きたのか理解できなかった。気付いた時にはダークの左腕で首を締められるようにホールドされていたのだ。
「強くなった、と言いたいところだが……アポロに対人剣術はまだ早いな」
「ウニャー!不覚!」
ダークの左腕で首を絞められながら、アポロはジタバタする演技を見せる。
その腕には全く力が入っていないために、アポロは問題なく呼吸が出来る。だが、ヴァルハザクはそう見えなかった様子であった。
人質ならぬ猫質を取られたヴァルハザクは、ゆっくりと間合いを詰め始めた。今すぐその子を離しなさい、とでも言うように、一歩一歩進む。
「旦那さん、どうするニャ……?」
アポロの質問に、ダークは答えられなかった。
ヴァルハザクは瘴気を最大限利用した生態を持つ。通常、瘴気に侵食された個体は軽い興奮状態に陥る。その程度は人にもよるが、飲酒によって正常な判断力を失ったものに似ているという。一方で、幻覚や幻聴などといった完全な錯乱状態に陥ることは今までに確認されたことがなかった。
もしヴァルハザクが瘴気を溜め込みすぎた事によって錯乱しているならば、レイギエナとオドガロンや他の調査員へ無差別に攻撃しているはずである。だが事態発生の時と同じく、ヴァルハザクはダークのみをターゲットに攻撃している。さらに、調査員がダークに接近している状態では誤射を避けるために攻撃を控えるほどの戦術を見せた。
アポロや忍猫のような獣人族も例外ではなかった故に、冷静な判断力も鈍っていない。
つまり、ヴァルハザクは錯乱もしていなければ興奮状態にもなっていない。ダークはヴァルハザクが過剰な瘴気の吸収によって精神に影響が出ていることも考慮していたが、アテが外れた。
これ以上の戦闘は危険だと判断したダークは、このままアポロを猫質に取ったままキャンプへ後退する事を考えたが、もう一つの想定が確定したたためにその場に留まった。
ネルギガンテが現れたからだ。
「うわッ!」
この演じられた戦いは瘴気の谷の最下層かつ最深部で行われていた。ネルギガンテはそのさらに奥地、地図には存在しないルートから出現したのだ。
屍肉の壁を力づくで吹き飛ばし現れたネルギガンテは、衝撃で転倒していた目の前のハンターに速攻を仕掛ける。強靭な腕が双剣隊の女性へ向けられるが、ネルギガンテは寸前でそれを制止した。
双剣隊の女性とネルギガンテの間に、ヴァルハザクが自らの身体を割り込ませたからだ。
だが、ヴァルハザクとネルギガンテはお互いに視線を交わしたまま次の行動へ移行しない。ネルギガンテが見せている態度は、明らかに渡りの古龍へ向けられていた敵対的なものとは違っていた。同時に初めに見せていた攻撃的な構えも、徐々に収めている。
「大丈夫かい!?」
二匹の古龍に挟まれたままだった双剣隊の女性を、フィールドマスターが肩を貸して移動させる。
ネルギガンテはすぐそれに気付いたが、追撃は掛けなかった。まるでヴァルハザクに説得され、調査団へ攻撃をすることを止めたようなその光景を見て、ダークは確信した。
「アポロ、作戦は終了だ。龍結晶の地へ向かった遠征の本隊と合流するんだ」
「旦那さん?」
「ネルギガンテが出現した場所を真っ直ぐ行けば龍結晶の地へ行ける。急げ!」
ネルギガンテが今まで調査団の監視に引っ掛からなかったのは、空路ではなく地下を通じて移動していたためだとダークは気付いたのだ。
瘴気の谷に生息しているヴァルハザクの存在が矛盾を呼んでいたが、二匹が手を組んでいるのであれば何も問題は無い。ネルギガンテは陸珊瑚の台地から瘴気の谷へ、そして龍結晶の地へ繋がっているルートを今まで秘匿し続けていたのだ。
さらに、この作戦でダークは三つの重要な情報を入手した。
1.ネルギガンテは無差別に古龍を襲っているのではなく、ヴァルハザクという同志がいる事。ただし、行動に差があるために完全に同一の目的を共有している訳ではない。
2.仲間意識が存在する事。同志であるヴァルハザクの咆哮を聞きつけ、龍結晶の地から戻ってきた事がそれを証明している。
3.高度な敵味方の判断ができる事。レイギエナとオドガロンや調査団など、同志のヴァルハザクと敵対していない者には攻撃をしなかった。
「走れ!」
ダークがアポロの拘束を解いた。
アポロはダークの身を心配していたが、指示通りに受付嬢の元へ走った。それを見たヴァルハザクとネルギガンテは、もはや手加減は不要と言わんばかりにダークへ襲い掛かる。
瘴気ブレスとネルギガンテの拳がダークの体を掠めた。だが、互いの攻撃が誤射しないように配慮しているそれは、ダークにとっては詰めが甘い攻撃であった。
「……遊びは終わりだ」
ダークは猛攻を躱しながら、アイテムポーチからスリンガー弾を取り出した。『涙を流す目』のマークが印されているそれは、かつて大蟻塚の荒地でネルギガンテ撃退に使用した『スリンガー催涙弾』である。
その弾の種類に気付いたのか、ネルギガンテはヴァルハザクを庇いながら後退する。その直後に放たれた催涙弾が炸裂し、エリア一帯に白い煙が充満し始めた。
ヴァルハザクはその煙が最初の戦いに使われた煙幕では無いことを察知し、広範囲に瘴気を撒き散らした。催涙弾の煙が瞬時に分解され、視界が晴れていく。
しかし、黒き闇の姿は、既に消え失せていた。
【解説】
・瘴気
谷の中層付近で観測される気体。『瘴気の谷』という名称もここから取られた。
濁った黄色のガスであり、僅かな毒性を持つ。
吸引すると軽い眩暈、判断能力の低下、頭痛などを引き起こす。体内で高濃度に濃縮された場合は強い発汗と動悸を伴う興奮状態へ陥る。
しかし、体内で濃縮する量には限界があるため、酸欠などの別の要因が絡まない限りは死亡することはまず無い。
また、瘴気によって分解された生肉は水分が失われると同時に殺菌も行われるため、この段階で瘴気を除去すれば味は劣るが保存食として利用できる。
人体が瘴気に侵食された場合は、古龍のヴァルハザクに吸収してもらうか、時間経過で体外へ自然放出されるまで待つしかない。
・酸
瘴気の谷の最下層に大量に存在する液体。少量では無色透明だが、高濃度のものは青白く発光するという奇妙な現象を見せる。
三期団は炭酸水と外見が似ているために便宜上『酸』と呼称しているが、実態は酸とは全く別物の未知の液体である。
金属や水分を含むものを浸しても溶解はせず、塩基性の物質とも反応しない。
唯一の例外は『生体』であり、皮膚に付着すると強い痛みを発する。
そのため飲用も実質的に不可能だが、痛みがあるだけで薬傷や後遺症、感染症といった二次被害が全く無いために、液体の正体も含めて大きな謎になっている。
・谷のぶんどり族
瘴気の谷に拠点を置くテトルーの一種。
屍肉によって狩りをせずとも生活できているが、味で勝る新鮮な生肉を求め、大型モンスターよりも先に死骸から肉を削り取る技に長けている。
その際に使用する『ぶんどり刀』は、素材の異なる刃が何層にも重なる多積層構造である。
この特徴は荒地のまもり族の『まもりの大盾』に共通する構造であり、極めて高度な技術で製造されていることが判明しているが、どのようにしてこの技術を会得したのかは一切不明である。
・干し肉
アステラで働いている調査員の保存食。物資班で『アステラジャーキー』という商品名で販売されている。
万が一新大陸調査団が食糧難に陥った場合に備え、アステラには常に一か月分の干し肉が備蓄されている。
ハンターへ支給される携帯食料が栄養分を重視しているのに対し、こちらは保存性と味を重視している。適度な塩気が絶妙な旨味を持つため、調査員のみならずモンスターにも愛好家が多い。特に台地のレイギエナと瘴気の谷のオドガロンは、この干し肉のために調査団へ協力していると言っても過言ではない。
・ギルドナイト(ギルドナイツ)
ハンターズギルドの治安維持部隊。個人を指す場合は『ギルドナイト』、組織そのものを指す場合は『ギルドナイツ』と複数系で呼ぶ。
違法ハンターの取り締まり、報酬に関するトラブル、偽造通貨の摘発など、職務の内容は国家としての『警察』によく似ている。
ギルドナイトが相手をするのは一般人だけではなく、違法ハンターや野盗といった強力な武装を持っている者も含まれている。そのため、ギルドナイトが使用する武器は対人戦闘を前提とし、細身で小型の物が多い。故にハンターとは全く異なる基礎戦術と戦闘技術を持っている。
採用試験も高難度かつ極秘であり、最低でも対人剣術や対人格闘戦といった試験に合格しなければならない。
抑止力を誇示するため正装で勤務する者が大半だが、工作員や諜報員など裏の仕事を担当する者は、服装や身分を偽装している者も存在する。