大団長はハンマーのグリップをより深く握り込み、両腕のしなりを活かした打撃を繰り出す。
同じく、太刀を構えたソードマスターが息を整えた後に斬りかかる。
最後に、宙へ跳んだ竜人ハンターの操虫棍が薙ぐ。
かつて一期団の腕利きと称された者達は、40年という歳月が経った今でも健在だった。昔は若さに任せた『力』で振るわれていた武器が『技』へと昇華すれば、老いなど些細なものだろう。
「もう一度だ!」
大団長の声がエリアに響く。
ネルギガンテが次の標的に定めたのは、龍結晶の地の西側から中央へと移動していた調査団達と、炎王龍・炎妃龍だった。
東側のクシャルダオラを圧倒した後、ネルギガンテは一直線に奇襲を仕掛けた。しかし、西側から展開した調査団は縄張りに最も近いという理由で戦力を集中させていた部隊であったため、その抵抗は想像していたよりも激しかったらしい。ネルギガンテの優勢に変化は無いが、その動きに疲労の雰囲気が出てきたからだ。
炎王龍は炎妃龍の盾になる位置を崩さず、ネルギガンテから少し距離を取った位置にいる。以前の戦いで痛手を受けた龍封力を警戒しての行動だったが、それがネルギガンテの集中力を上手く削いでいた。ネルギガンテはその二匹との間合いを一定に保ったままソードマスターをはじめとするハンターへ攻撃を仕掛けていたが、炎王龍の火炎攻撃がいつ飛んでくるか分からないために慎重な戦法を取らざるを得なかったのだ。
「斬る!」
竜人ハンターの操虫棍が、左の翼に生えていた白い棘を斬り落とす。
真正面のソードマスター、それに注意を向けた隙に繰り出された攻撃は、会心の一撃だった。
「下からも行くぞ!」
大団長の持つ鉄塊そのものと言うべきハンマーが振るわれる。
純粋な大質量による攻撃は避ける以外に対処法は無い。その事実を告げるかのように白い棘がさらに吹き飛んでいく。
だが、棘の下に備わっている外殻自体は想像以上に強固であった。斬撃でいくら棘を斬り落とそうと、肝心のネルギガンテの外殻まで刃が届かない。打撃攻撃も棘によって威力が分散されて有効な一撃とはならず、刺突による一撃も強固な外殻に阻まれてダメージが期待できない。
大団長は、胸の内から湧き上がる焦りを痛感していた。だがそれは、ネルギガンテの強さに由来する焦りではない。
30年前に総司令が負傷した際、その救援に駆け付けた時に初めて相対したネルギガンテは、今戦っているネルギガンテよりも粗削りな戦法が目立った。一撃一撃が大振りで、捨て身の一撃とさえ言える攻撃を連発していたために「滅尽龍」という名前が付けられたほどである。事実、その戦法で総司令は重傷を負い、ハンターとしての職を失う事態になった。
しかし今はどうだ。必要最小限の動きと卓越した反射神経、こちらの同士討ちを誘発する位置取りなど、高度な戦術を駆使する実戦慣れした動きを見せている。
ハンターとの戦いを長らく続けたモンスターは、その武器の特徴や動きのクセを学習し、対策を立てる個体が出現することも少なくない。人間並みかそれ以上の知能を持っていることが疑われている古龍種には特にその傾向が強い。ネルギガンテもその部類に入ることは明白なのだが、調査団がネルギガンテに対して攻勢に出たのは僅か数か月前という最近のことである。それまではゾラ・マグダラオス捕獲作戦などで数回の小競り合いがあった程度だ。
暗号名を持つハンターや五期団との戦闘を経験したとしても、これほどまでに高度な戦術を構築する意味があるのだろうか?
「ぐっ……!」
飛散したネルギガンテの棘がソードマスターの頭を掠った。
曲面の装甲を持つ兜が威力を逸らしたものの、衝撃までは完全に吸収できない。ほんの一瞬だけ視界が揺らぎ、集中力が途切れた瞬間をネルギガンテは見逃さなかった。
大きく振りかぶり、ネルギガンテの腕がソードマスターの目前へ振り下ろされる。経験に由来する直感から既に回避行動を取っていたソードマスターだが、その攻撃は陽動だった。さらに地面へ振り下ろした方とは反対の腕を軸に、ネルギガンテはその場で全身をスピンさせたのだ。
広範囲を薙ぎ払う故に威力こそ低かったものの、大団長と竜人ハンターは援護の攻撃が出来なかった。ソードマスターがネルギガンテの尾に弾き飛ばされ、地面に倒れ込む。
「いかん!」
大団長は叫び、ネルギガンテはその声に向き直る。
今の攻撃でソードマスターを気絶させたと思い込んだのだろう。だが、不用意に次の相手へと視線を逸らした楽観的な意識がテオ・テスカトルの突撃を許した。
ソードマスターを庇っての行動なのか、それとも古き好敵手が他の相手に仕留められることを嫌ってのことだったのか、テオ・テスカトルはその脚力を活かした突進でソードマスターからネルギガンテを引き離す。
それでも、疲労が溜まった状態ですらネルギガンテの力は驚異的だった。助走を付けての体当たりはネルギガンテを数歩下がらせたのみで、そこで炎王龍の攻撃は終わった。その直後、炎の化身とさえ表現される炎王龍がまるで風に飛ばされた火の粉の如く軽々と投げ飛ばされたのだ。
つい先程に弾き飛ばされたソードマスターさえ飛び越えてしまうほどの投げ技だが、炎王龍も伊達ではない。背中を龍結晶に打ち付けながらも受け身を取り、着地に成功する。
テオ・テスカトルの勇猛果敢な戦いぶりに鼓舞されたか、ナナ・テスカトリが援護の攻撃を開始する。
受け身を取ったと言えども、背中を強打したテオ・テスカトルは隙を晒してしまっていた。例えそれがほんの僅かな一瞬でも、ネルギガンテにとっては十分すぎる猶予だろう。その気を逸らすべく、ナナ・テスカトリは蒼い炎を翼で叩きつけるように扇いだ。
その攻撃は他の炎妃龍には出来ない『技』だった。爆発性の粉塵をただ放出するのではなく、翼で扇ぐことで地面に付着させるのだ。
クシャルダオラが得意とする疾風とテオ・テスカトルの粉塵。鋼龍と炎王龍の技を組み合わせたかのような攻撃に物理的な破壊力は無い。地面に燻る蒼い炎が真価を発揮したのは、まさに次の瞬間だった。
蒼い粉塵の性質を知っていたソードマスターは、テオ・テスカトルとネルギガンテの間から咄嗟に起き上がり、横へ飛び退いた。ネルギガンテの真正面がガラ空きになった瞬間、蒼い燻りに向かってテオ・テスカトルが火炎を吐く。溜める間も無く繰り出したその攻撃は牽制程度の威力だったが、ナナ・テスカトリの粉塵によって爆発的な威力へ昇華した火炎がネルギガンテを怯ませた。
だが、ネルギガンテはそれでも退かなかった。激しく燃えていた龍炎が、体表から僅かに放出された黒い霧によってみるみる内に消えていく。
その光景を見て、一期団のハンター達は愕然とする。炎王龍と炎妃龍の攻撃ですらマトモに効かないという事実が、気力を大きく削いでいった。
「大丈夫か!?」
「これしきの事……」
大団長はソードマスターの元に駆け寄った。その防具に深手が無いことを確認し、安堵する。
旧式とはいえ徹底的に鍛えられた鋼鉄、満遍なく手入れが行き届いた防具というのは、古龍の一撃すら耐えられる堅牢なものだったのだ。
「それよりも態勢の立て直しを!このままでは彼奴に押し切られる!」
誰よりも狩猟経験が豊富なソードマスターだからこその判断だった。
狩猟には『流れ』というものがある。理屈では説明できない『戦いの勢い』とも言うべきこの概念は、ハンターならば誰しもが感じることであろう。
流れがこちらにあれば、例え大型モンスターであろうとこれを巻き返すのは難しい。時には一気に勝負が決まる事すらあるのだが、無論ハンター側に不利な流れも存在する。
相手との力に差がありすぎると、流れを引き込むには多大な労力を必要とする。入念な下調べ、力量を正しく把握した上での戦術、不測の事態への備えなど、数えればキリが無い。しかし、実力が劣るとしても『流れ』を引き込むことは不可能ではない。人とモンスターの間に存在する圧倒的な体格差と重量差を、武器装備と道具、戦術で補い『流れ』で制する。これはハンターの常識だ。
ソードマスターが感じていたのは、この『流れ』を引き込むために必要となる絶対的な力が足りない事だ。天候に干渉する超自然的な特殊能力ではなく、高い再生能力と圧倒的な身体能力。それは、古龍の能力としては目立たないながらも極めて実戦的なものだ。故に、生半可な戦法では簡単に押し戻されてしまう。
大団長とソードマスターの僅かなやり取りの内に、ネルギガンテの体表の棘は黒く変色し、より強固なものへと変化した。
「クッ……」
足元で燃えていた最後の粉塵を踏みつぶしたネルギガンテは、一期団と炎王龍、炎妃龍を睨みつける。
「先生!」
その時、ネルギガンテの背後のエリアから調査班リーダーとクシャルダオラが走ってくるのがソードマスターの視界に入った。
最初にネルギガンテと交戦していた調査班リーダーは、体の至る所に包帯を巻きつけていた。その殆どに血は滲んでおらず、掠り傷や擦り傷程度の負傷であることが分かる。本人もそんな怪我など全く障害にならないという勢いで大剣を抜き、同じく甲殻に傷が出来た程度のクシャルダオラも追いついた。
背後を取ったことで先走ったか、クシャルダオラはそのままの勢いで体当たりを仕掛ける。しかしその攻撃は避けられただけでなく、背中を押さえつけられた上で引き摺るように投げ飛ばされてしまった。
投げられた先に居たテオ・テスカトルは脚を踏ん張り、咄嗟にクシャルダオラの全身をその身で受けた。陸珊瑚の台地で同じ技を受けたことで、その攻撃が二体をまとめて攻撃するものだと学習していたからだ。今度は無様に壁に打ち付けられる事無く、二匹とも受け身を取ることが出来た。
クシャルダオラの攻撃が失敗した事を確認した後、調査班リーダーも続いて攻撃を仕掛ける。ネルギガンテの圧倒的な筋力を支える後脚は、硬質の棘が生えていない弱点と言える部位である。そこへ大剣を振り下ろした調査班リーダーだが、その攻撃でさえ避けられてしまった。
大剣が手数よりも一撃の威力を重視する武器であることを把握しての行動だった。もしネルギガンテが大剣と言う武器を知らなければ、斬撃は当たっていただろう。しかし最初の戦い――古代樹の森での戦いで、小回りの利かない大剣が弱点を狙う事に拘ると読んでいたネルギガンテは、最小限の動きでそれを回避した。
「まだだ!」
調査班リーダーはすぐさま体勢を整え、今度は横薙ぎに大剣を振った。
ネルギガンテがその腕で掬い上げるように繰り出した攻撃が、調査班リーダーの大剣と激突する。しかし、ネルギガンテには大剣でもパワー不足だった。
大剣が空を舞うと同時に、調査班リーダーの体も弾き飛ばされた。地面に2回バウンドしながらも、その体を大団長が受け止める。
「無茶するな!」
「何ともありません!」
数で圧倒していながらも、この場に居る者全てがネルギガンテに勝つ方法すら思い浮かばなかった。
属性攻撃を封じる龍封力、斬撃も刺突も通らない甲殻。打撃の威力を分散させる無数の棘。飛び道具を避ける瞬発力。疲れを知らぬ持久力。周囲の状況を最大限に活用する空間認識力。そして、どんな状況でも冷静に行動する精神力。
調査団と渡りの古龍達は、完全に追い詰められていた。
エリアの一角に全員が追い込まれた陣形に、誰も動くことが出来ない。鋼龍、炎王龍、炎妃龍も次の一手が出せない。出したところで、そのまま一気に追い込まれる事が分かりきっていたのだ。
一歩、また一歩と間合いを詰めるネルギガンテに、誰もが死を覚悟した時だった。ネルギガンテが何か狼狽えるような様子で周囲を見回し、脇目も振らずに走り去っていったのだ。
「何!?」
もう追い込まれたも同然だった一同は、何が起きたのか分からずに呆然としていたが、すぐさま意識を戦いに集中させた。
「追うしかない!」
竜人ハンターが叫ぶ。ネルギガンテが見せた様子が尋常ではない焦り様だったからだ。
調査団が動くよりも先に、渡りの古龍がネルギガンテの後を追った。大団長、ソードマスター、竜人ハンター、調査班リーダーも後に続いた。
そして、その追跡はすぐに終わることになる。
龍結晶の地、その中で最も高く伸びる暗い結晶が鎮座するエリアへ向かう通路に、その青年は居た。質素な外套を羽織った姿のまま、歩みを止めないでいる。
ネルギガンテは完全に背後を取った形なのだが、攻撃を仕掛けることは無かった。代わりに行われたのは、凄まじき咆哮だった。
怒りではなく、自らへの鼓舞のような咆哮。今まで誰にも向けたことの無かった咆哮だった。それは威嚇という次元ではなく、まさに覚悟を決めたそれだ。
ネルギガンテを追ってきた調査団と渡りの古龍は、その咆哮を聞いた瞬間に脚が止まった。自らに向けられた敵意ではないことを理解しつつも、恐怖で体が動かないのだ。
「…………」
その青年、ダークは歩みを止めた。だが、顔は依然として前を向いたまま振り返らなかった。
「相棒……!」
一人の女性の声に、ダークが気付いた。
受付嬢が北西の火山地帯から到着し、フィールドマスター、三期団長が続く。そして、屍套龍:ヴァルハザクも顔を見せた。
ヴァルハザクはすぐにネルギガンテに加勢する動きを見せたものの、渡りの古龍と同じく脚が止まる。
ネルギガンテを取り巻く空気が、今までにない程に緊迫したものだったからだ。
「…………」
今、その戦いを制していたのは静寂だった。
互いの手の内を知り尽くした者同士の戦いは、一瞬の判断ミスが命取りになることをネルギガンテは知っていた。
だからこそ、他のハンターとは明らかに違うダークに対して初手を出すことができないでいた。
「…………!」
同時。
比喩ではなく、ダークとネルギガンテは同時に動いた。
瞬時に振り返り、質素な外套に隠れていたライトボウガンを構えるダーク。罠を警戒し、跳躍からの攻撃を取ったネルギガンテ。
空に飛んだ黒き龍の姿を銃口が狙う。それに構わず、一瞬で間合いを詰めたネルギガンテ。
「……だろうな」
勝負は一発で終わった。
ネルギガンテは呆然とした顔でダークを見た。その爪はダークを掠ることも無く、ただ目の前に振り下ろされただけだった。
そして、息が掛かるほどの至近距離にいるネルギガンテに対して、ダークのボウガンも沈黙している。
一発の弾すら発射せずにその銃口を降ろした時、30年以上に渡る調査団とネルギガンテの戦いは、終わりを迎えたのである。