『紅い河を下れ』 天涯Ⅳ   作:清夏

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 赤い 紅い アカイ

 赤い世界が広がっている。

 いや、これは黒いのかもしれない。  

 

 

 この赤くて、黒いものが何かを、戒莉は知っている。

 このぬるい液体の正体を、戒莉は知っている。

 

 人の体から噴き出すこの体液を、戒莉はひどく苦手としていた。

 今や自分の体から漏れ出すこの液体に、戒莉は溺れてしまいそうだ。

 

 

 血は、果てしなく流れ続けるような気がした。

 そんなはずはない。いつか、血は尽きる。

 息が止まる。胸の鼓動が止まる。思考が止まる。

 総てが終る。

 

 ああ、俺は死ぬのだと

 ふと、気付く。

 気付くあたりが、何んとも可笑しい。

 

 静かだ。何もかもが、止まったかのような、静けさだ。

 

「あんた一人が死んでも、誰も、何も、困りはしないんだよ」

 

 そんな言葉が、蘇る。

 あの、名も知らぬ女が言った。

 こんな状況では、意外に響く言葉だ。

 

 やはり、死ぬのだと、戒莉は改めて思った。

 

「海里」

 忘れかけていた母親の声、父親の声。

 たぶん。そうだ。

 両親のことを思い出すと、いつも申し訳ない気持ちになる。

 この期に及んでも、それは変らない。

 生まれてきて、ごめんなさい。とか。

 こんな風に生きてしまって、すみません。とか。

 なにを言っても、どう謝っても、ふたりには伝わらないのだけれど。

 もしも、自分が死んだなら、ふたりは悲しむだろう。

 それすら、申し訳ない。

 

 

 

「それで俺が死んだらどうするつもりだ」

「泣いてやるよ。ひと月くらいは」

 

 そんなことを言って笑っていたあの男は、泣いてなどくれるだろうか。

 一月は、無理だろうが、一晩くらいなら、いや一粒くらいなら望みはあるだろう。

 

 泣いてくれなくても、いい。

 

 ただ死んでいくだけの自分に、生き続けなければ男が、涙など流す必要があるだろうか。

 戒莉は、自嘲する。

 

 以前もあった。

 自分が死ぬのだと、思う時が。

 その時も、あの男のことを考えていた。

 

 あの時は、ただあの男の声が聞きたいと思っていた。

 今は、何も望んでなどいない。

 

「お前は、私より先に死んではいけないよ」

 

 そんな約束など、もとより守れるはずがなかった。

 珊揮も、許してくれるだろう。

 

「戒莉」

 

 声が、聞こえる。

 あの時に聞きたいと思っていた声だ。

 

「やっぱり俺は、あんたを置いていくんだな……」

 そう言って笑うと、珊揮の顔が見えたような気がした。

 ひどく慌てたような、怒っているような、珍しい表情をしていた。

 これから死んでいくというのだから、もっと穏やかに笑ってくれればいいものだと、戒莉はまた笑った。

 

「許さないよ」

 

 そうだ、そんな風に穏やかに死んでいくことなど、許されていない。

 赦されていない。

 

「もう、許してくれないか」

 

 なにを許されたいのか、なにに赦されたいのか。

 総てを手放して、ただ落ちていくしか、もう出来ないというのに。

 

 

 

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