『紅い河を下れ』 天涯Ⅳ   作:清夏

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「禍福」

 

 こんな平和な道中が続いていいものだろうか。

 襲い来るものは、もはや睡魔でしかないくらいだ。

 戒莉が馬の背から落ちそうになるところを、寸でのところで踏み留まったのは、一度や二度ではなかった。

 あまりの緊張感の無さに、戒莉は舌打ちをした。

―― このままだと、剣が錆び付きそうだ

 それは、大袈裟だ。

「気負いすぎだよ」

 誰かが声をかけてきた。戒莉は、小さく振り返り、チラとそちらに視線をやった。

 やわらかな薄茶の髪が、陽に透けて輝いている。

「ここらでは気楽~にやらないと、最後までもたないよ」

 軽やかな口調は、男の魅力でもあるが、戒莉にとっては苛立ちの素だった。

 

 宍道。それが、この男の字だ。

 戒莉と剣の師を同じくするこの男は、光などなくてもキラキラとしたものを、自力でまとっているような気がする。

「あんたはいつも気楽そうだ」

 戒莉は、この兄弟子に払うような敬意を全く持ち合わせていなかった。

「そうだよ。だって、四六時中しかめっ面してたって、くたびれるだけだよ。それに、そんな顔しなきゃならない時がきたら、嫌でもそんな顔になるんだからさ」

 呑気すぎる発言はいつもならば癇に障るが、戒莉はそれをぼんやりと受け流した。

―― 俺はどうしてこの男と、こんなこと話してるんだか……

 

 その理由は分からないが、この男が突然登場したのには、きちんとした経緯がある。

 香々を置いて一行が旅を再開した、その次の街で現れたのが方義という商人だった。

 方義は供を僅かに二人連れて旅をしていた。その供のひとりが宍道であったのだ。

 方儀のような小規模の商人は、馴染みの商隊に加わって旅することもあるのだそうだ。今回も、方義は章羊の元に身を寄せたいと、申し出てきたようだ。

 章羊がその要求を受け入れたことで、結果、戒莉は宍道とともに旅をする羽目に陥っているという訳だ。

 

 

「それにしても楽な旅だねえ。これだけ暇だと、ちゃんと報酬呉れるか心配にならない?」

 などと、面白そうに話す男の満面の笑顔に、戒莉は胸の内だけで溜息をついた。

「まあ、そんなにケチじゃないだろうね。そっちの雇い主さんはさ。でも、こっちはホント、冗談じゃないかもね」

 戒莉の心持ちを知ってか知らずか、宍道はきれいに片目をつぶってみせた。

 

 

 

 

 

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 野営の夜は、深い。夕餉の後などはすることもなく、眠るしかない。見張りのための焚き火も、ただ惰性で燃えているに過ぎないように見えた。

 

 

 

 

 

 戒莉が見張り交代のために、天幕から這いずり出てみると、何故かそこに一花がいた。

「つまんない、つまんない」

 それを繰り返しながら、少女は焚き火の周りをグルグルと廻っていた。

「寝ないのか?」

 この戒莉の物言いは、『さっさと寝ろ』と言っているに等しい。

「眠れないの! みんな、こんなに早く眠れるなんて信じられない」

 夜中にこんなに元気だとは、こちらの方が戒莉には信じられない。

「俺は眠い。できれば代わって欲しいくらいだ」

「あたしが起きてたって、戒莉の代わりにはなれません」

 ぷいとそっぽを向く一花の様子に、戒莉は溜息をつきながら、視線を一花から外した。

 と、あろうことか、外した視線の先に、宍道がキラキラと笑っていた。それは暗闇の中でも、明らかで、眩しく、胡散臭かった。

「やあ~、なんかにぎやかだね」

 見張りでもないくせに、焚き火に近づいてくる。

 一花のカン高い声と、宍道のキラキラしさに戒莉は眩暈を感じた。

 

 

 

 一花は、奏についたら何を見てみたいとか、どこそこへ行ってみたい、なんとかというものを買いたいと、きゃあきゃあ騒ぎ始めた。

 宍道は、このけたたましい少女の話に、いちいちキラキラと頷いていた。

「そういえば知ってる? 奏にはさ、占いの姫って呼ばれているすっごい美女が居るんだよ」

「ええっ、占いの姫?」

 一花のことだ、この話題には直ぐに喰らいついた。

 一方、戒莉はどかりと胡坐をかいたまま、あらぬ方向を見ていた。

「その姫はさあ、初めて会った人でも、その過去をピタリと当てちゃうらしいんだよね」

「凄い、なんで過去が分かっちゃうの?」

「それは分からないな。まあ、それが分かったら僕だって占いの姫になれるよ」

「それは無理よ。だって宍道は男じゃない」

「ああ、そう言えばそうだねえ。僕としたことが、だね」

 また、キラキラと片目をつぶってみせる。

 

―― 言われて気付くようなことかよ

 戒莉は、知らず知らずのうちに一花と宍道の会話に耳を傾けていた。しかも本人はそれに気付いていない。

「あたし、その占いの姫に絶対に会う!」

 一花は、息巻いていた。

 戒莉はその様子を眺めながら、なんでその占いの姫は人の過去など言い当てるなどと言う、どうでもいいことをするのだろうかと、ぼんやりと思っていた。

「ねえ戒莉は?」

 突然、一花が戒莉に話を振った。

「何が?」

 そう聞き返す以外に、戒莉に術はなかった。

 何を問いかけられているのか、さっぱりだ。

「戒莉も、その姫に会いにいこうよ」

「なんで、俺が」

 以前は、一花に対してそれなりにかまえて喋っていた戒莉だったが、この頃になるとかなり力がぬけてきてた。

「面白そうじゃない」

「いや、全く」

 過去など言い当てられて何か嬉しいことがあるのだろうか。戒莉には、理解不能だ。

「戒莉は、過去を知られるのが嫌なんだよね」

 突然切り込んでくる、宍道の笑顔。

「別に」

 戒莉はつい、口癖のように、そう言い返していた。

「ふうん。じゃあ聞いていいんだ?」

 宍道の思うツボだ。

 

「何を?」

 思わず、それが戒莉の口をついて出た。

 宍道は、『おや』という顔をした。戒莉が誘いに応じてくるとは思っていなかったのだ。

「何でもいいけど、そうだなあ」

 宍道は、考えるふりをしてみせた。

 と、一花が割り込んできた。

「ねえ、蓬莱のこと話して。蓬莱に里木がないって本当?」

「ああ。そう」

 戒莉にとっては、特に当たり障りのない話だ。これは答え易い。

「嘘。じゃあ、子供はどうやって生まれてくるの?」

 すかさず、一花は次の質問を繰り出してきた。

 これは、ちょっと答え難い。

「ええと、子供は母親の腹の中で育って生まれてくる」

 少し考えて、戒莉は言葉を選び出した。

 できるだけ、抑えたもの言いだと戒莉は思っていたが、一花にとっては衝撃的であったようだ。

 疑問は彼女の内から、泉のごとく湧き出して来る。

 それにいちいち回答を出していくのは、戒莉にはなかなか骨の折れることだった。

 

「ねえ、戒莉はさ、蓬莱で幸せだったのかな?」

 一花によって、ごちゃごちゃにかき回された話に、宍道は切れ込みを入れた。

 ピタリと、一花と戒莉の声は止んだ。

 

 

―― 不幸じゃなかった

 と、思う。

 そう思うのが精一杯なのに、我ながら嫌気がさす。

 幸福だったと、言えばいいのに。

 優しい両親がいて、安心して眠れる家があって、飢える心配などなく、何もかも与えられていた。人に殺されることも、人を殺すこともない。

 あらためて、戒莉は今の自分の状態が、いかに異常であるかを思い知った。

 いや、幸福であったのだ。日本にいたときは。

「幸せだった……」

 声にしてみると、その自信のなさが露呈する。

 宍道は、戒莉の言葉は満足しなかったが、一花の甲高い声に阻まれた。

「じゃあ、戒莉はここじゃ不幸せなのね」

 決め付ける。

「いや」

 否定する。

 一花は、戒莉が即座に発した言葉に、驚いて息を飲んだ。

  その隙をついて、また宍道が入り込む。

 

「今が幸せなら、過去はどうでもいいよね」

 キラキラと、宍道の顔に笑みが灯った。

 

 

 

 

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