こんな平和な道中が続いていいものだろうか。
襲い来るものは、もはや睡魔でしかないくらいだ。
戒莉が馬の背から落ちそうになるところを、寸でのところで踏み留まったのは、一度や二度ではなかった。
あまりの緊張感の無さに、戒莉は舌打ちをした。
―― このままだと、剣が錆び付きそうだ
それは、大袈裟だ。
「気負いすぎだよ」
誰かが声をかけてきた。戒莉は、小さく振り返り、チラとそちらに視線をやった。
やわらかな薄茶の髪が、陽に透けて輝いている。
「ここらでは気楽~にやらないと、最後までもたないよ」
軽やかな口調は、男の魅力でもあるが、戒莉にとっては苛立ちの素だった。
宍道。それが、この男の字だ。
戒莉と剣の師を同じくするこの男は、光などなくてもキラキラとしたものを、自力でまとっているような気がする。
「あんたはいつも気楽そうだ」
戒莉は、この兄弟子に払うような敬意を全く持ち合わせていなかった。
「そうだよ。だって、四六時中しかめっ面してたって、くたびれるだけだよ。それに、そんな顔しなきゃならない時がきたら、嫌でもそんな顔になるんだからさ」
呑気すぎる発言はいつもならば癇に障るが、戒莉はそれをぼんやりと受け流した。
―― 俺はどうしてこの男と、こんなこと話してるんだか……
その理由は分からないが、この男が突然登場したのには、きちんとした経緯がある。
香々を置いて一行が旅を再開した、その次の街で現れたのが方義という商人だった。
方義は供を僅かに二人連れて旅をしていた。その供のひとりが宍道であったのだ。
方儀のような小規模の商人は、馴染みの商隊に加わって旅することもあるのだそうだ。今回も、方義は章羊の元に身を寄せたいと、申し出てきたようだ。
章羊がその要求を受け入れたことで、結果、戒莉は宍道とともに旅をする羽目に陥っているという訳だ。
「それにしても楽な旅だねえ。これだけ暇だと、ちゃんと報酬呉れるか心配にならない?」
などと、面白そうに話す男の満面の笑顔に、戒莉は胸の内だけで溜息をついた。
「まあ、そんなにケチじゃないだろうね。そっちの雇い主さんはさ。でも、こっちはホント、冗談じゃないかもね」
戒莉の心持ちを知ってか知らずか、宍道はきれいに片目をつぶってみせた。
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野営の夜は、深い。夕餉の後などはすることもなく、眠るしかない。見張りのための焚き火も、ただ惰性で燃えているに過ぎないように見えた。
戒莉が見張り交代のために、天幕から這いずり出てみると、何故かそこに一花がいた。
「つまんない、つまんない」
それを繰り返しながら、少女は焚き火の周りをグルグルと廻っていた。
「寝ないのか?」
この戒莉の物言いは、『さっさと寝ろ』と言っているに等しい。
「眠れないの! みんな、こんなに早く眠れるなんて信じられない」
夜中にこんなに元気だとは、こちらの方が戒莉には信じられない。
「俺は眠い。できれば代わって欲しいくらいだ」
「あたしが起きてたって、戒莉の代わりにはなれません」
ぷいとそっぽを向く一花の様子に、戒莉は溜息をつきながら、視線を一花から外した。
と、あろうことか、外した視線の先に、宍道がキラキラと笑っていた。それは暗闇の中でも、明らかで、眩しく、胡散臭かった。
「やあ~、なんかにぎやかだね」
見張りでもないくせに、焚き火に近づいてくる。
一花のカン高い声と、宍道のキラキラしさに戒莉は眩暈を感じた。
一花は、奏についたら何を見てみたいとか、どこそこへ行ってみたい、なんとかというものを買いたいと、きゃあきゃあ騒ぎ始めた。
宍道は、このけたたましい少女の話に、いちいちキラキラと頷いていた。
「そういえば知ってる? 奏にはさ、占いの姫って呼ばれているすっごい美女が居るんだよ」
「ええっ、占いの姫?」
一花のことだ、この話題には直ぐに喰らいついた。
一方、戒莉はどかりと胡坐をかいたまま、あらぬ方向を見ていた。
「その姫はさあ、初めて会った人でも、その過去をピタリと当てちゃうらしいんだよね」
「凄い、なんで過去が分かっちゃうの?」
「それは分からないな。まあ、それが分かったら僕だって占いの姫になれるよ」
「それは無理よ。だって宍道は男じゃない」
「ああ、そう言えばそうだねえ。僕としたことが、だね」
また、キラキラと片目をつぶってみせる。
―― 言われて気付くようなことかよ
戒莉は、知らず知らずのうちに一花と宍道の会話に耳を傾けていた。しかも本人はそれに気付いていない。
「あたし、その占いの姫に絶対に会う!」
一花は、息巻いていた。
戒莉はその様子を眺めながら、なんでその占いの姫は人の過去など言い当てるなどと言う、どうでもいいことをするのだろうかと、ぼんやりと思っていた。
「ねえ戒莉は?」
突然、一花が戒莉に話を振った。
「何が?」
そう聞き返す以外に、戒莉に術はなかった。
何を問いかけられているのか、さっぱりだ。
「戒莉も、その姫に会いにいこうよ」
「なんで、俺が」
以前は、一花に対してそれなりにかまえて喋っていた戒莉だったが、この頃になるとかなり力がぬけてきてた。
「面白そうじゃない」
「いや、全く」
過去など言い当てられて何か嬉しいことがあるのだろうか。戒莉には、理解不能だ。
「戒莉は、過去を知られるのが嫌なんだよね」
突然切り込んでくる、宍道の笑顔。
「別に」
戒莉はつい、口癖のように、そう言い返していた。
「ふうん。じゃあ聞いていいんだ?」
宍道の思うツボだ。
「何を?」
思わず、それが戒莉の口をついて出た。
宍道は、『おや』という顔をした。戒莉が誘いに応じてくるとは思っていなかったのだ。
「何でもいいけど、そうだなあ」
宍道は、考えるふりをしてみせた。
と、一花が割り込んできた。
「ねえ、蓬莱のこと話して。蓬莱に里木がないって本当?」
「ああ。そう」
戒莉にとっては、特に当たり障りのない話だ。これは答え易い。
「嘘。じゃあ、子供はどうやって生まれてくるの?」
すかさず、一花は次の質問を繰り出してきた。
これは、ちょっと答え難い。
「ええと、子供は母親の腹の中で育って生まれてくる」
少し考えて、戒莉は言葉を選び出した。
できるだけ、抑えたもの言いだと戒莉は思っていたが、一花にとっては衝撃的であったようだ。
疑問は彼女の内から、泉のごとく湧き出して来る。
それにいちいち回答を出していくのは、戒莉にはなかなか骨の折れることだった。
「ねえ、戒莉はさ、蓬莱で幸せだったのかな?」
一花によって、ごちゃごちゃにかき回された話に、宍道は切れ込みを入れた。
ピタリと、一花と戒莉の声は止んだ。
―― 不幸じゃなかった
と、思う。
そう思うのが精一杯なのに、我ながら嫌気がさす。
幸福だったと、言えばいいのに。
優しい両親がいて、安心して眠れる家があって、飢える心配などなく、何もかも与えられていた。人に殺されることも、人を殺すこともない。
あらためて、戒莉は今の自分の状態が、いかに異常であるかを思い知った。
いや、幸福であったのだ。日本にいたときは。
「幸せだった……」
声にしてみると、その自信のなさが露呈する。
宍道は、戒莉の言葉は満足しなかったが、一花の甲高い声に阻まれた。
「じゃあ、戒莉はここじゃ不幸せなのね」
決め付ける。
「いや」
否定する。
一花は、戒莉が即座に発した言葉に、驚いて息を飲んだ。
その隙をついて、また宍道が入り込む。
「今が幸せなら、過去はどうでもいいよね」
キラキラと、宍道の顔に笑みが灯った。