暫しの間、一花はポカンと宍道のなんとも奇妙な笑みを見入っていたが、何が合図だったのか、急にはっと我にかえった。
「つまんないっ」
一花は、あきれたと言う顔をして一言。そう棄て吐くと、立ち上がって天幕へと大股に歩いて行った。
ぱちりと、火の粒が跳ねた。
「あんたも寝ろ」
これで戯言は、お仕舞だと宣言している。
「じゃあ、休ませてもらうかな。明日も早いから」
宍道は、ゆっくりと立ち上がり、体についた砂を払う。もったいぶった儀式のように。
「じゃあね。また明日」
かるく手を振り、去っていく宍道の背中に、戒莉は安堵のような溜息を落とした。
これ以上、会話を続けらる体力と気力を、戒莉は持ち合わせていなかった。ここで一花や宍道が引き上げてくれたのは、正直ありがたかった。
戒莉は、なぜ自分がここに起きてきたのか、目的を思い出した。
見張りだ。今は、見張りだ。
心にそう言い聞かせるが、空気はどうしようもなく間延びした姿で横たわっているばかりだ。
なんという平和。
音もなく、光もなく、ただ闇の色をしているだけで、何の危険も感じさせない風景。
なぜに、ここまでに何も起きないのだろうか。
まるで何かに守られているかのようだ。
ふいに、以前珊揮が話していた昇山のことが、ぶくぶくと戒莉の内で浮上してきた。
人々は、王となるべく黄海を渡り、蓬山に向かうのだという。蓬山には麒麟がいて、黄海を無事に渡りきった者達が王か否かを見極めるのだと。
これを聞いた時に、麒麟というのは随分と怠慢な生き物だと、戒莉は思った。
黄海は、妖魔、妖獣の巣窟のようなところだ。そんなところを旅すれば、命を落とす者もいる。そこを生き残ってこその王なのかもしれないが、その仕組みは民をいたづらに減らすだけではないだろうか。そして、間違って王が死んでしまったら、どうするつもりだと。
麒麟ならば、黄海などひとっ飛びで、自分で王を探しに行けばいい。
戒莉は、それらを胸の内にたたんでおくような性分ではない。当然、珊揮にそうぶちまけた。
珊揮は、なるほどなるとほどと、いちいち頷きながら戒莉の話をひと通り聞いていた。そしてその後で、こんな話をした。
王となるべき者が黄海を旅する時、その道中は、そうでない者と比べると楽であるらしい。まるで何かに守られているかのように。
だが、と珊揮は付け加えた。完全なる庇護が保障されているという訳ではない。うっかりすれば、王となる前に、その雛は命をなくすこともあるのだと。
王に選ばれる前に、民が黄海を旅することにも何か意味があるのかもしれないし、全く無意味であるのかもしれない。
世界は、完璧に出来ているわけではない。と、いうことだ。
この平和も、跡形も無く消え去ってしまうのかもしれない。いや、いつかこれは終わりを告げる。章羊が持っている怖ろしいほどの強運が、戒莉には永遠に続くとは思えなかった。
静かな空気を戒莉は肺いっぱいに吸い込み、ひといきで吐き出した。
その行為で、平和は違うものへと変質したかのようだった。