「さて、君は幸せというものがどういうものか分かるかなぁ?」
男がそう問い始める。
戒莉の混乱など、おかまいなしだ。
「そうだね、僕はこう思うんだよ」
宍道が次の言葉を繰り出す前に、戒莉は動いた。
「……っ」
宍道の真正面に、戒莉は剣を力任せに打ち込んだ。
けれど、宍道はそれで終わる男ではなかった。宍道は俊敏に、戒莉の剣を受け止めた。さすがに戒莉の渾身の力を止めるのは、難しかったらしい。宍道の剣は、やや押され、彼の額にうっすらと傷をつけた。
「お前の御託を、これ以上聞くつもりはない」
地の底から湧き上がるようなどす黒い声が、空気を震わせた。
宍道は、いちどは失った微笑みを取り戻した。
「残念だよ。ああ、残念だね。戒莉」
がっかりした。そういう顔を作り直して、宍道は戒莉の剣を押し戻してきた。
力で負けることは、戒莉には分かっている。
思い切って戒莉が体を引くと、宍道は力の拠り所を一瞬失う。しかし直ぐに立て直しを図り、宍道は戒莉に攻撃する隙を与えなかった。
戒莉は、自分の腹の奥底からたぎるような熱いものに、手足が痺れてくるのに焦りを感じた。
これは、殺意だ。
「僕を殺したいんだろう、戒莉。分かってるよ」
宍道は、戒莉の心に切り込んでくる。
「じゃあ、斬らせろよ」
ごく自然にそれが口から、吐き出された。もしも、もう少し戒莉が正気であったなら、それに戸惑いを感じただろう。
「それは、だめ」
いたずらを咎めるように、宍道は右目をつぶって見せた。
戒莉は、その右から宍道のこめかみに向かって、剣を突き立てる。
それも寸でのところで宍道にかわされる。
戒莉は、また体勢を低くする。先だっての方義への攻撃を見ていたのか、宍道はっと身構えた。
地を蹴り、飛び込んでいきながら、戒莉は敵が既に宍道だけではないことに気付いていた。
背後から戒莉に向けて切り込んできた刃は、戒莉の頭上をかすめ、宍道に向かった。宍道はとっさにそれを払いのけた。しかし、下からくる戒莉の刃には間に合わない。
と、戒莉と宍道の間に割り込む剣があった。
「……っ」
軽い舌打ち。
戒莉は、その顔を確認した。
それは名前も憶えていない、章羊の5人目の杖身だった。
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気付けば、夜のあちこちで、剣と剣がぶつかり合う音がする。
敵はどれだけいて、味方がどれほどいるのかも、分からない。
そもそも、敵と味方の区別をするのが難しい。
戒莉は、絶望に近い心持ちになりつつも、決してそこに至らない自分を不思議に感じていた。
体が、ただ動いていた。
どこから湧いて出たのか、戒莉の周囲にぐるりと数人が輪をつくっている。
―― さすがに、まずい……か
戒莉は、いったん息を整え、腰をおとす。右手の長剣を頭上に掲げ、左の脇差しを逆手に胸の前にかまえた。
敵の動きもピタリと止まる。しかし、逃げる様子はない。彼らは戒莉の予想がつきにくい動きに警戒しながら、すきを探っている。
戒莉は、このままでいられるはずがないことを知っていた。
いずれは、動かなければならない。
戒莉は自分が正気でいられる残りの時間を測った。
口元をぬらすものは、唾液ではなく血であることを感じた。じわりと額を流れているものも、同じものだ。
宍道の素早く鋭い攻撃で受けた腹部からの失血も、はなはだしい。
今回は、失神などという生易しいものではすまないだろう。
だが、戒莉の心は、不思議と静まっていった。
「…ぃっ」
戒莉の左手から脇差しが放たれ、左後ろの男の右目に突き刺さった。
死にはしないだろうが、その攻撃の手は止まる。
それに一瞬気を取られたその隣の男の胴をはらいながら、その肩に足をかけ、飛んだ。
そして今度こそと、宍道の頭に刃をたたき込む。
宍道は、それをとっさに真っ向から受けとめようと身構えた。
しかし先だってとは違い、勢いと戒莉の全体重がのせられたそれを受けとめることは出来ないはずだ。
と、ひとりが宍道に体当たりした。宍道は後ろに飛ばされ倒れ、戒莉の剣は体当たりした男に突き立たった。男は、絶命する。
天涯が深く刺さり過ぎて、容易に抜けない。
戒莉はたった今、自分が殺した男の手から剣を奪い、宍道へと体をひねった。
宍道は素早く立ち上がり、切っ先をまっすぐ戒莉に向けた。
ざくりと戒莉の左肩に剣が刺さる。
宍道は、その感触にうっすらと微笑んだ。
「ぐ……」
戒利は短くうめくと、迷わず自ら前に出る。
宍道の剣が戒莉を貫いた。
「は」
これで、宍道の剣を完全に封じた。
知らず、戒莉は笑っていた。
戒莉は渾身の力を込めて右手の剣を大きく振り上げ、振り下した。
すとんと、宍道の左腕が文字通り落ちる。
あまり血が出ない。一瞬、宍道も何が起きたか理解出来ない様子であったが、瞬きの後に激痛が彼を襲った。
宍道は、人のものとは思えない叫びを上げて、転げ回る。
戒莉も転げ回りたいところだが、あとふたり。戒莉は、肩に剣を突き刺したまま、背後をとってくる男を振り返りざまに袈裟懸けに斬った。
左腕が痺れて全く動かない。
と、何か熱いと感じるものを、浴びせかけられた。
戒莉の視界は一瞬白く光り、そして紅く、黒く変容した。
目を塞がれる。
その隙に、誰かが転がる宍道を担いで騎獣にまたがり、あっという間に走り去った。それが、戒莉の目がなんとか確認できた、この場の最後の出来事だった。
唇を噛むと、舌に血が乗った。
口惜しいというものに味があるならば、こんな味かもしれない。
「おい……」
遠ざかっていく物音で、戒莉は総てが終わりゆくことを知った。
ぽつん。と、取り残された。ここまでの勢いが急に絶たれた。
「痛ぇ」
などと、言っている自分に戒莉は笑った。今更、痛みが何だと言うのだ。
突然聞こえてくる子供の泣き声。
一花だ。良かった、無事だ。
もはや戒莉には何も見えなかったが、眼前に地面は迫ってきていた。