漣浄は、思惑どおりにはいかなかった結果について、いちいち悔やむことはない。
なぜなら、どれほど長く生きていても、人は人でしかない。総てを知り、総てを見通すことなど人には出来はしないことを、知っているからだ。
だが、今回はやや後悔をしている様子だ。
「止めておけばよかったか」
漣浄の口から、思わず出た言葉は、漢将を少なからず驚かせた。
「あなたでも、そんな顔をすることがあるんですね」
楽しそうに、嬉しそうに、漢将は杯を啜った。
昼日中の呑み屋という、存外に明るく、かつ不道徳な匂いのする場所で、向かい合う二人は、声をひそめることはなかった。しかし何を言っているのか、端から聞いていても分からないように話をしていた。
「少し様子を見ようと思っていただけなんだが、意外に大物が釣れてしまって、正直参った」
漣浄が溜息を落とす。
「しかも、逃がしてしまってますからね」
「参ったね。本当、参った」
章羊を泳がせてみたところ、賊は意外な人数と人物で襲ってきた。そんなひと月も前の話を今さら蒸し返すようなことは、漣浄にしては珍しいことだった。
漢将は、漣浄の下について仕事をし始めてから今まで、この男の『参った』などと言う言葉を聞いたことがなかった。
章羊を見張るという仕事は、実は漣浄も、漢将ですら、それほど重要視はしていなかった。
章羊の持っている賊の情報など、大したものではないだろうと踏んでいたので、賊が章羊の口を塞ぐなどといういうことを本気でするとは思えなかったからだ。
「裏切りは許さない。ということだな」
そう考えるのが自然だ。
「そうでしょうね。他の協力者への見せしめにしたんでしょう」
漢将のその言葉に、漣浄は頷いた。
「しかし、参った」
「それほどに打撃はなかったと思いますけど」
再び『参った』を繰り返す漣浄に、さすがに言いすぎではないかと、漢将は怪訝に思う。
漣浄は、ちらりと漢将の方を見ると、直ぐに目を逸らした。
「打撃はあった。と、いうか、誤算だな」
「どんな誤算かありました?」
「戒莉だ」
「ああ……」
漢将は、あの白く輝く肌と、黒く光る髪を思い出していた。
異様な姿をした剣客だった。あのような男は、過去に出逢ったことはないし、おそらくこれから先もないだろうと、漢将は思う。
「惜しいことをした」
まるで大切なものを失くしたかのような口ぶりで、漣浄は悔やんでみせていた。
これまた珍しいことだったが、もはや漢将は驚きはしなかった。
「戒莉は、この状況を終わらせることが出来たかもしれない」
『この状況』を終わらせる力が、自分にも、漣浄にもないことを、漢将は口惜しくも、安堵していた。
果たしてそれが戒莉にあったか否かは、もう分からぬことだ。
漢将は国を愛し、王を尊んでもいる。故に無力な己の身が歯がゆく、そして無力であることが救いでもあった。
漢将は一瞬、己れの物思いに沈み、次に小さく呟く漣浄の言葉を、うっかりと聞き逃しかけたところだった。
漣浄は自信のない声で、探りながら、こう言ったのだ。
「いや、もしかしたら、まだ間に合うかもしれない」