「参ったなあ」
あまり参っているとは思えない程の呑気な調子で、男は寝台から声を上げた。
ここひと月ほど、この男は寝台に縛られている。
実際に縄で縛られている訳ではない。
そうでないのに、寝台に横になり続けているしかないということが、問題なのだ。
きっかけは、ほんのちょっとした出来心だった。
あの剣客には、もっと違う世界で生きることが相応しいと思った。
けれど、あの剣客は今居るところから、動きそうになかった。だから、手を貸してやろうと思った。それだけのことだった。
「それだけ……のこと?」
男は、自分の思いを反芻する。
「ちょっと、違うかなぁ」
すべて、独り言だ。
この部屋には、誰もいない。
「何で僕が手を貸してやらなくちゃならなかったのかな」
あの剣客をあるべき姿にしてやる手伝いなどする義理は、この男にはない。
しかし、男はそうした。そうしたくて、堪らなくなった。
あれは、どういう心情だったのだろうか。あの衝動は、なんと名づければいいのだろうか。
「ああ、参ったなあ」
男は、その言葉を繰り返した。
そして、何かに取り付かれたように笑い出した。
「ああ、やられた。参った、ほんと、参ったね」
あまりに笑い過ぎたために、隣室で控えていた男が部屋に飛び込んできた。
「どうしましたっ?」
「ああ、聞いてくれよ」
涙目になりながら、寝台の上の男はなおもこみ上げる笑いに喉を鳴らしていた。
「なんですか」
投げやりに問う。
あわを食って、やってくれば、この態度だ。飛びこんできた男は、既に怒り気味だ。
「僕がなんで章羊を殺ろうって決めたか、分かるかな?」
「『裏切り者には、死、あるのみ!』 ……とか言ってませんでしたっけ?」
寝台の上の男が何を言い出そうとしているのか、嫌な予感を抱えながら、男は探り探り、問いかけた。
「そうだよ。僕もそう思ってたよ。でも、それは建前だった。ホント、馬鹿みたいだよ。こんなことだって、僕自身も気付かなかったんだからね」
再び、笑いがこみ上げてくる。
その男の笑いは、暫く止むことはなかった。
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片腕を落とされた男が、運ばれた。
と、いう薬師のもとに駆けつけてみたが、すでにその片腕の男の姿はなかった。しかも、その薬師一家までが姿を消していたのだ。
英俊は、まあこんなものかと、切り替える。
それは相棒の希央も同じ心持ちのようだった。
ひと月前、漣浄を追って章羊を追っているうちに、英俊と希央は賊に辿り着いた。
それはそれでよかったのだが、辿りつき方が最悪だった。
そこには惨憺たる光景が広がっていた。
章羊と一花が助かったのは、奇跡的であったとしか言い様がない。
その理由のひとつは、賊の手が一人に集中していたおかげであるらしい。それは、その『一人』の人物の周囲に散った遺体から想像ができる。
その『一人』、戒莉は遺骸の中心で、血溜まりに沈んでいた。
その様を思い出す度に、英俊はひどく苦い想いがする。
あの時、英俊はどこかでほっとしていたことに、気付いていた。
―― 珊揮が、これでもう戒莉に煩わされることがなくなる……
そんなことで、自分が安堵していたのだと思うと、その甘さが憎い。
珊揮はあれ以来、どこか変ってしまった。
それは、英俊だけの想いではなかっただろう。しかし、希央はそれについて何も言いはしなかった。
「手がかりなし、だな」
ひととおり薬師の家の中を調べると、希央はそう締めくくった。
「そうですね。みごとに何もなしですね」
故にこれが奴らに関わりのあることだと、思わざるを得ない。
奴らは、自らの痕跡を非情なまでに、徹底的に消していく。
奴らが自ら名乗る名はなかったが、一部では海楼党などと呼ばれるらしい。
薬師一家も、海楼党の一味であったのか、ただ単に顔を見られたので口封じに葬られたのか、分からない。どちらにしても、ありうる話だ。
海楼党は、そもそも存在するのか否かも怪しい集団だった。何百年もの間、忽然と姿を消す商隊があれば、彼らの仕業だとされていたが、その目撃者はいなかったに等しい。
それが今、その姿を見せた。
章羊という海楼党の協力者が現れ、それを襲う集団が現れ、その姿を見た者が生き延びている。
最大の手がかりは、左腕を落とされた宍道という男だ。
もっともその手がかりは、英俊たちが今いる薬師の家で、ふつりと途切れてしまっている。
宍道という男の過去を調べてみると、思いの外、その出自が明らかでないことが分かった。
宍道が過去に寄り付いていたところで、明確なのは雁の岳昭という男のひらく道場くらいだった。そこにしても、十年ほど前にふらりとやって来て、暫く寄宿していた後は、たまに姿を見せるだけのところであったらしい。
岳昭も一味ではないかという疑いがかかり、道場にも調べが入ったが、特に怪しいところはないとされたと聞く。ここひと月、道場は出入り禁止となり、岳昭は軟禁され、門弟は減りと、さんざんな状態であるらしい。
あの道場には、英俊も何度か行ったことがある。岳昭は、戒莉の剣の師でもある。
岳昭は良くいえば大変に温厚な人物で、あれが殺戮集団の徒であったら、大した役者ぶりと言えた。
戒莉はあの道場で宍道と出会っているのだ。兄弟子と弟弟子として。
その戒莉が、宍道の腕を落とすことになるとは、何んとも運命的だ。
いや、これはそんな偶然のようなものではない。
戒莉はたまたま章羊という男に関わったばかりに、賊である宍道と対峙することになった。
戒莉と宍道は、たまたま知り合いだった。
果たして、そうなのだろうか。
英俊は、その想いに囚われる。
そして、変ってしまった珊揮のことを、苦々しく思うのだ。