戒莉は、賊の探索に一切関わることは出来なかった。瀕死の重傷を負っていた上に、目が見えなくなっていたし、ほとんど何も知らないに等しく、ただ巻き込まれただけの存在に過ぎなかった。
宍道についても、兄弟子であったが、それほど親しい関わりがあるわけではないので、話すべきことはない。
それでも、体調のいいときをみはからって珊揮と話をする。たぶん、これを珊揮が調書のようなものに作り変えているのだろう。戒莉の元には、役人も来なかったし、漣浄も姿を見せていない。
幸いなことに章羊が生存していたために、賊の人相風体などが聞き取れたらしいので、戒莉が言うべきことは宍道の左腕を落としたことくらいだった。
「章羊の一族は、代々その賊の盗品をさばいたり、物資を提供したりしてきたらしいよ。おそらく、何百年も親から子へ、そしてそのまた子へと、それを家業としてきたんだね。そのために、商売も普通にしてね。そこそこ繁盛させてきたらしいよ」
珊揮は、実に簡単に言ってくれた。
章羊が強盗行為には直接関わることはなく、ただ盗品を引き受けて金に換えてきただけで、賊の実態はよくは知らないのだという。なんて都合のいい話だ。
「だけどね。確かにこの賊は、そうしてきたようだよ。秘密というのは、できるだけ少ない人間が知っていた方がいいからね。章羊は組織の末端だったんだよ。最低限のことだけ知ってるだけで、自分の持ち場で自分にふられた役目を果たしていれば、それでよかったんだよ」
もしも、章羊たち一族が盗品を扱っていることが知られても、トカゲの尻尾を切る要領で、本体は逃げおおせるという仕組みでもあるらしい。
「たぶん、他にも章羊の一族のように、普通に暮らし続けている仲間がいるんだろうね」
そう考えてみると、奇妙なことに気付く。
「章羊ひとり裏切ったくらいで、痛くも痒くもないんじゃないか」
章羊は、賊仲間を裏切って、奏へ逃亡しようとしていた。しかし、大したことは知らないばすだから、抹殺しようなんて考える必要はないのだ。
「そうだね。実際、章羊は賊のことについては何も知らないに等しいらしいよ。でも、章羊が思っていたよりも、賊の中では重要人物が関わっていたんじゃないかな」
「宍道か?」
戒莉は思ったことは口にする性質だ。
「そうかもね」
戒莉の疑問に用意していたように、珊揮はさらりと笑う。
「あの方義という人物は、商いもしたことのある相手だったらしいね。宍道もよく方義に雇われているのを章羊は知っていたということだよ。でも、方義は、あくまでも商売仲間で、賊としては別の男としか関わったことはないのだと、章羊は言っていたよ」
当然、その『別の男』はもちろん宍道の人相書も作られているのだろう。
「宍道は、どうして章羊が許せなかったんだろうな」
聞いた限りでは、宍道は章羊がつかまったとて、不利になるような係わり合い方はしていなかったように思える。
それに、宍道は道中で章羊を探るような素振りは一切見せていない。
ただ、戒莉にやたらとからんできたくらいだ。戒莉の身なりに注文をつけたり、着物を見立てたり。
「あいつ、どういうつもりだったんだ?」
心の内で言ったつもりが、つい声になって出た。
珊揮は、それを聞き逃さなかった。
「どういうつもりって、何かあったのかい?」
「え、あ、ああ」
戒莉はつい、口ごもっていた。
「宍道に何か、言われた?」
珊揮は、優しげに問うてくる。
ああ、と、戒莉は思う。少し、後ろめたかったのだ。
「宍道は、俺に仲間になれといってきた。そうすれば、俺が血のことで悩むことはなくなる。そんなこと言っていた」
戒莉は、ありのままに言うしかなかった。
「どう、悩むことがないって、言ってた?」
「それは」
戒莉は考える。
それは仲間にならないと教えられない。そう、その場では確か言われた。
だが、あの夜、戒莉が宍道と剣を交えたあの夜に、宍道は何と言っただろか。
「仲間になれば、人を殺すことが平気になる……そう、言っていた」
そう、言っていた。
戒莉は、その意味を今更ながら考えて、ぞっとするようなことに気付いた。
「宍道が欲しかったのは、章羊の命ではなくて、お前だったのかもしれないね」
珊揮が、そのぞっとするようなことを、あっさりと口にした。
「お前は、その誘いを受けたのかな?」
つづけて、そんな怖ろしいことを珊揮が問うとは、戒莉は想像もしなかった。
戒莉は思わず言葉を失う。
珊揮がどんな顔で、そう言っていたのだろうか。戒莉には、何も見えなかった。
「まあ、きくまでもなかったね。宍道の腕を落としたのが、お前の答えだった訳だからね」
ふっと、力を抜くように珊揮は息をひとつ落とす。
「私はね。お前を宍道のところにやるつもりはないよ」
宍道にも、他の誰にも、天にすら、くれてなどやらない。
珊揮は心のうちでそう呟きながら、戒莉に微笑みかけた。
◆◆◆◆
戒莉が屋外に出るのは、久しぶりだった。
このところの戒莉は、体調が良いときが多い。
珊揮は、戒莉に外の空気でもすわないかと誘った。
外、といってもほんの庭先で、家の中に居るに等しいようなものだが、天井があるのとないのとでは、気分が違うはずだ。
「足元に注意して」
自分で歩くと、強固に言う戒莉につきあって、珊揮はその亀のごとき歩みにつき従った。
ようやく外に置いた長椅子に体を落ち着かせた頃には、戒莉はぐったりとしていた。
戒莉の息が整うのを待つように、珊揮はぼんやりと庭を眺めていた。
小さな別荘の、ささやかな庭だが、詠礼がよく手入れをしていてくれる。
草木が程よく風に揺れていて、耳に心地いいはずだ。
「珊揮」
今、水上に浮上してきたかのような風情の声が響いてきた。
「なんだい?」
視線を庭から戒莉にうつす。
「あんた、仕事はどうしたんだ?」
突然、戒莉は今更なことを言い出した。
このひと月以上、珊揮は全く仕事をしていなかった。それは、とりもなおさず戒莉の傍についていたからだ。
「オヤスミ中だよ」
軽やかに、珊揮は言った。
「もう、そろそろいいんじゃないのか」
「何が?」
「もう、俺のことはいいんじゃないか」
「それって、どういう意味?」
珊揮の声の調子が、ほんの少しだが軽やかさを失うのが、戒莉にも分かったようだ。
「もう、俺は大丈夫だから、仕事に戻ってもいいんじゃないか……って意味だ」
できるだけ当たり前のことを往っているように、戒莉は言い放っている。
「そうかな?お前は、もう大丈夫なのかな?」
珊揮は、そっと戒莉の顔を覗き込んだ。
確かに、最近陽にあたっていないせいで顔は白いが、以前に比べて血色はいい。食事も少ないながら、きちんと三食とっている。毎日からだを動かす訓練もこなしている。
戒莉は、回復してきていると言えた。
だが、依然として歩くのもやっとであるし、左腕は動かない。そして、目はぼんやりと見え始めているらしいが、まだ光を見ない方がいいと包帯を巻いたままだ。
「私はね、心配なんだよ」
「俺のことは、もう心配ない」
すかさず、戒莉は言い返した。
「何で、そんなこと言うのかな」
珊揮は、戒莉のまぶたを覆う包帯に触れた。この下には、あの黒玉が眠っている。
「私が心配なんだよ。お前が心配することじゃあないよ」
珊揮の声は、戒莉のより近くで響く。
「俺はあんたの邪魔はしたくない」
少し弱い心で、戒莉はそう呟いた。
「ならば、お前は私を邪魔にしてはいけないよ」
平和すぎる日々は、いつまでも続いていこうとしているようだった。