あれから十日以上たっているというのに、漣浄は姿を現さない。正しく言えば、現せないのだろう。以前にも増して、珊揮がべったりと張り付いていて、漣浄どころか他の誰も戒莉に近づく隙がほとんどない。
心が決まってみると、あれ程に疎ましいと感じていた漣浄の来訪が待ち遠しい。何とか珊揮を追いやる方法はないかとまで考え始めるのだから、げんきんなものだ。
今、珊揮は英俊となにごとか話があるらしく、戒莉の側近くにはいない。
こういう時に漣浄は来ればいいのにと考えて、戒莉は苦笑した。
少し窓が開いているのだろう。風が頬にあたり、外の音が流れ込んでくる。だが、誰かの足音や気配は感じられなかった。
誰か、来ないだろうか。
戒莉は、ふとそんなことを思っていた。
今までに、見舞いらしい者はひとりも来ていない。奏には知人はいないし、遠国からここまではるばるやって来るような親しい者もないということだ。
ふだんの人間関係の希薄さが、こういう時に顕著になるのだ。
誰かと話したいと思うなどとは、いつもは思いもしなかったが、話す相手が珊揮だけのこの数ヶ月で、戒莉はすっかり人恋しいという気持ちを身にしみて知った。
確か、真佳は戒莉と話がしたいと言っていた。ならば、少しくらい足を伸ばして訪ねて来てもいいくらいだと、恨み言のような言葉が戒莉の内に浮かんでくるのだから、重症だ。
「退屈だ」
挙句、声になってまで、あらわれてしまう。
口を開いたことで、戒莉は喉の乾きに気付いた。
詠礼に、何か頼もうかと戒莉は身をゆっくりと起した。
枕元には、呼び鈴が置いてある。正直、こういうもので人を呼びつけることは、気分がよくないと、最初は触れもしなかった戒莉だった。しかし、大声を出すのもつらい時には、便利なものだと珊揮に促されて手に取るようになった。
詠礼は鈴の音を耳にすると、すぐに戒莉の元にかけつける。
ぱたぱたと小走り気味の足音で、戒莉は詠礼が近づいてくるのを感じていた。
詠礼は、口がきけないのだと、珊揮は言っていた。だが、耳は聞こえるのだと。
何か、原因があって口がきけなくなったのだろうか。それはもしかして、詠礼に痣をつくる程の暴力的な元夫という男が原因なのだろうか。
戒莉がそこまで考えたところで、寝室の扉が叩かれた。
「どうぞ」
呼んでおいて、『どうぞ』とは横柄なものだと思いながらも、それ以外の言葉が戒莉からは出てこなかった。
扉が静かに開く音がして、軽い足音が部屋に滑り込んでくる。
「水を一杯、持ってきてくれないか」
戒莉の言葉に、答えるようにさらりと衣のすれる音がする。目が見えていない戒莉に対して、おそらく詠礼は体を少し折り、頭をさげているのだろう。
そうして部屋を出ていこうとする足音を、戒莉は急に呼び止めた。
「あ、待ってくれ」
ぴたりと足音が止まる。さらさらと、ふりかえる。
「わるいんだけど水じゃなくて、お湯にしてくれないかな。少しぬるめで」
また、さらりと衣がなってから、足音が響きだす。
ぱたりと戸が閉まり、またパタパタという音が遠のいていく。