ふいに、何かが天幕に入ってくる音を感じた。
瞬間に手が、枕元の脇差に伸びた。
「戒莉」
名を呼ばれた。
知った声だ。
戒莉は、これに警戒を解いた。
「真佳……何かあったのか?」
夜の見張りは、交代で行っている。
今夜は、真佳が見張りに立っていたはずだ。
戒莉は、今日は一晩眠れるはずだったが、仕事中は例によって眠りが浅くて、少しの物音でも直ぐに目が覚めてしまう。
「特に異常はなし。交代時間だ。漢将に代わった」
「そうか。早いところ寝ておけよ」
「お前は、眠れないのか」
「今、お前が入ってきたから起きただけだ」
「そりゃ、悪かったな」
別にそんなことはないと、応えておくべきかもしれなかったが、戒莉は再び眠る体勢に入っていった。
「戒莉」
真佳は、うとうとする戒莉の肩をつかんで引き止めた。
「なんだ」
苛立ちが声に出る。
「お前は、珊揮をどう思ってる?」
「は?」
それが眠ろうとしている者を押し留めてまで尋ねることだろうか。戒莉は、益々苛立った。
「はっきり、しておきたいんだ」
「斬られたいのか?」
戒莉の手が、先ほど離した剣を掴んだ。
はっと、真佳は戒莉の手元を抑えた。
「聞いてくれ」
「一言で済ませろ」
すこし、譲歩した。
「俺と一緒になってくれ」
「断る」
即決。
「こんな夜中に、天幕で二人きりの時にこういう嫌がらせはやめろ」
戒莉は、眠気など吹き飛ばして、盛大に真佳を睨みつけた。
「じゃあ昼間に公衆の面前でなら良かったのか?」
真佳は、真顔で応えた。
確かにそれは、更に御免こうむりたい。
が、言いたいことはそういうことではない。
「とにかく、俺を弱らせるつもりなら違うやりかたをしろ」
額を押さえて、戒莉は溜息を落とした。
「お前を弱らせる理由がないだろう。それと、言い間違えた」
「なにを間違えたって?」
ひとつ息を吸って吐いて、真佳はゆっくりと口を開いた。
「俺と一緒になってくれ、じゃなくて、俺と一緒に仕事をしないか、だ」
「してるだろ。現に、今」
きょとんとする。
「そうじゃない。つまり、今回だけとか、珊揮を介してとか、そういうことじゃなくて」
「なんだ?」
戒莉は、眉間に皺を刻んで怪訝そうに真佳を見返した。
「俺は剣はそれほど得意じゃないが、情報の収集については、けっこう力があると思う」
「だから俺と組みたいと、そういうことか」
「そうだ」
「それは俺に、相棒を珊揮からお前に変えないか、とか言ってるのか?」
戒莉は真佳の胸の内を探り探り、そう口にしてみた。
「そうだ。独り立ちしても良い頃じゃないか。お前も俺も」
「へえ。そんなこと考えてたんだなお前」
正直驚いたと、戒莉は思う。
「ああ、どうだ?」
真佳は、身を乗り出し気味に戒莉に迫ってきた。
「お前は、俺のことを嫌いだと思ってた」
ふと笑って、戒莉は真佳をかわした。
「確かに、嫌いだった」
すんなりと、真佳は認めた。
「珊揮が俺を相棒にしたからだろう」
「……」
沈黙が、それを認めた。
「それなのに、今度はその珊揮から離れて俺と組みたい? 俺の頭じゃ、お前の考えてることが全然理解できない」
やはり冗談か嫌がらせなのかと、思わざるを得ない。
「珊揮は確かに頼りになる。それに、ずっと尊敬もしてきた。でも、それだけじゃダメだ。ただ、珊揮を頼りにするだけでは、ダメだ」
真佳が繰り出す言葉は、強く、そして断定的だった。
だが、戒莉の心は真佳と同じ方向へは響かなかった。
「でも、お前は今度は俺を、俺の剣を頼みにするんだろ。独り立ちしたいなら、一人でやれ。俺を巻き込むな」
奇妙なほどに、その声には拒絶が込められていた。