『紅い河を下れ』 天涯Ⅳ   作:清夏

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『強がりは 強さではないのだろうか』

 

 

 

 珊揮は、燭台に灯を点す。

 

 喉を斯き切られた男の遺体。

 その下に押しつぶされる姿の戒莉。

 

 何があったと問うよりも前に、珊揮は戒莉の体調が悪くなることを予感した。

 これだけの血だ。戒莉がまだ失神していないことが珍しいくらいだ。

 だが、戒莉は弱っているものの、気を失うこともなく、詠礼をここから遠ざけることを指示し、その遺体が詠礼の元夫だと示した。

「俺が斬ったんじゃない。こいつが、自分でしたことだ」

 その答えに、珊揮はなるほどと思う。遺体の男の手には、しっかり小刀が握れており、その刃は血に染まっている。

 しかし、それにしては戒莉が憔悴している様子だ。

「なにがあったんだい?」

 

 戒莉は少し言いよどんで、短く言った。

「ちょっと、思い出したことがあっただけだ」

 

 戒莉は、あまり詳しいことは語らなかった。周囲も何も訊かなかった。あえて、珊揮も深くは追求しなかった。

 そんな過去があったことを、珊揮はふいに思い出していた。

「そう。で、大丈夫かい?」

「平気だ」

 それが本当なのかは、本人にも分かっていないのだろう。

 それでも、言葉どおりに珊揮は受け止めることにした。

「じゃあ、とりあえず血を落として、着替えようか」

 珊揮がそう促すと、戒莉は素直に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 珊揮は詠礼に寝室には入らないように、それから自分の部屋に居るようにと、伝えた。詠礼は、その言葉を聞いて、不安を浮かべた瞳を珊揮に向けた。

「何があったんでしょうか。戒莉さまは?」

「ああ、大丈夫だよ。本人がそう言っているから間違いはないよ」

 場違いなくらいに、柔らかな口調と笑顔。

 詠礼は、益々不安をつのらせた。

「怪我をされたのですか?」

「いや、かすり傷ひとつしてないよ。ただ、血を浴びただけでね」

「血?」

 その一言に、詠礼は小さく震えた。

「賊のね、血だよ」

 珊揮の賊という言葉に、詠礼の肩が跳ねた。

「そっちは、もう動けなくなっているから大丈夫だよ」

 詠礼の肩に、そっと手を置いて珊揮はさらりと言った。

 詠礼は、ただ珊揮の目を見つめ返していた。

 無言で、無音。

 それほどの間はなかっただろう。

「わたし、お湯を沸かします」

 唐突に、詠礼はそう言い出した。

 珊揮は、一瞬その意味するところを見失っていたが、すぐにそれが戒莉の血を洗い流すためだということに気付いた。

「じゃあ、御願いするよ」

 詠礼を押し留めることは、できないような気がした。

 

 

 

 

 

 珊揮はまずは家中を見回り、安全を確かめた上で詠礼に湯を沸かしてもらい、大き目の布と戒莉の着替えを引っ張り出した。

 寝室の扉を押すと、戒莉が身を起こし、立ち上がろうとしている最中だった。

 頭の先から真っ赤に染まっている上に、顔が青白い。けれど、気を失っていない戒莉の姿は、珍しかった。

「本当に平気なんだね」

「そう言っただろ。信じてなかったのか?」

 小さく呻きながら、戒莉は勢いをつけて立ち上がった。

「ああ、またお前の強がりかと思ったよ」

 わざと怒らせるような調子で珊揮は、ふらついた戒莉に手をかした。

 戒莉はむっとしているものの、何も言い返しては来なかった。

 てっきり手を振り払われるものだと思っていた珊揮は、戒莉がそうしないことに『おや』と、思った

「やっぱり苦しいのかい?」

「ちょっと眩んだだけだ」

 やはり強がりにしか聞こえない。

 

 戒莉は、べったりと赤黒く血で汚れた夜着を脱ぎすてると、顔の包帯に手をかけた。

 するすると包帯が落ちると、やはり顔にも血が染みていた。

 戒莉の顔の怪我はもう治っていて、うっすらと痕が赤く残っている程度だ。それでも包帯をするのは、傷よりも目を光から守る為だった。

 戒莉は閉じていた目を、ゆっくりと開けていった。

「どうだい?」

「見えない」

 わずかの間もあけず、戒莉はそう答えた。

「そうか」

 

 

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