『紅い河を下れ』 天涯Ⅳ   作:清夏

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「夢」

 夢、か。

 また寝てしまった。

 あんな目にあっていながら、眠れるのは、ラッキーだ。

 

 右腕が痛い。ちがう、これは右じゃないのかも。もしかしたらこれは腕じゃないのかも。

 みんな痛い。そうだ。どこも、みんな痛い。

 

 また、逃げそこなった。

 また、逃げてしまった。

 

 逃げて、捕まって、殴られて、また逃げて、捕まる。

 それで、また殴られて、蹴られる。

 それでも繰り返し、繰り返してしまう。

 なんで、逃げるんだろ。

 なんで、逃げたんだろ。

 どこへ、逃げようとしたんだろ。

 

 嫌だ。ここは、嫌だ。

 ここには、居たくない。

 ここは、僕の居たいところじゃない。

 だから逃げる。

 行くところなんかなくても、ここじゃないところへ行けば、幸せになれるのだろうか。

 

 幸せになんて、なれるんだろか。

 

 痛い、痛い、痛い。

 幸せなんてところじゃなくてもいいから、どこも痛くないところへ行きたい。

 できれば日に一度くらいはご飯が食べられて、何時間かゆっくり眠れて、殴られたり、蹴られたりしないところがあれば、行きたい。

 そういうのが、幸せなのかも。

 

 また、眠くなってきた。

 そうか、眠れば痛いのも忘れる。

 寝ていれば、幸せ。

 ずっと、眠っていたい。

 目が覚めて、また痛くなるなら、このまま、ずっと……眠ってしまいたい。

 

 

 でも、僕が幸せになってもいいのだろうか。。。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 あの後、戒莉は眠るつもりはなかったし、眠れないとも思っていた。だが、実際のところ寝てしまったし、夢らしき痕跡が頭のどこかにある。どんな夢だったかを、戒莉は思い出すことはなかった。覚醒した直後には、『痛い』という感覚がうっすらとあったが、それもあっという間に消えうせて、言葉だけが残った。

 戒莉はゆっくりと身を起こし、天幕の中に真佳の姿のないことを確認した。

 ひとつ、息が落ちる。

「なんで」

 なぜ、真佳はあんなことを言い出したのか。戒莉には、その心の内も分からなかったし、それがどうしてこの時期であったのかも理解できない。そして、一番よく分からないのが、戒莉自身が真佳の誘いに対してなぜあそこまで拒絶を示したのか、だ。

 あんな言い方をする必要があったのか、その一点において、戒莉は後悔に傾いていた。

 

 

 

 適当に身支度をして、戒莉が天幕から這い出した頃、まだ朝は明けきってはいなかった。うっすらとした闇が、そこかしこにたむろしており、うっかりすれば足元をすくわれそうだ。

「おはよう」

 声のする方をはっと振り返るが、そこには戒莉が思った人物は立って居なかった。

「おはよう……」

 戒莉は、鸚鵡返しに挨拶をする。

「まだ眠い? もう少し寝てたら」

 親切な顔で漢将はそう勧めるが、そんな気にはなれないと戒莉は薄く笑った。

 すると、漢将は驚いたという表情を突然に見せた。

「どうした?」

 漢将の反応の奇妙さに、戒莉は異変でもあったかと、自分の背後を振り返って探った。だが、何もそれらしいものを見出すことはできなかった。

「いやあ、笑ったから」

 漢将は、頭をかいた。

「なに?」

「戒莉が笑うのを見るのは、心臓に悪いんだな」

「なんだ、それは」

「戒莉も自分で自分が笑うところを見た方がいい」

 変なことを勧める漢将に、戒莉はただ首を傾げるばかりだ。

 

「それより、真佳を見なかったか?」

 辺りには、それらしき人影はない。

「ああ、焚き火のところだよ」

 漢将は、さっきまで自分がいた方向を示した。ちょうど、章羊一家の大きな天幕の陰にかくれていて、ここからは姿を確認できない。

「可愛そうに、天幕を追い出されて結局一晩中あそこにいたよ」

 真佳に同情を寄せる口ぶりだが、漢将の真意は戒莉をからかうことにある。

「俺は、追い出してない」

 つとめて冷静に、戒莉は応えてみた。

「かなりしょげてたけど。なにがあったのか?」

 にたりとする漢将の顔。

 戒莉は、その興味深々という様子に嫌気がさした。

「真佳は何か言ってたのか?」

 質問返し。

「別に大したことは言ってないよ。でも、ずっと『俺はバカだ』とか、『なんでこんなことに』とか繰り返してたよ」

 漢将の言葉で、真佳が落ち込んでいる様がありありと見えるようだ。

 ひとこと謝ろうかという心が戒莉の中で頭をもたげたが、彼を救ってやる言葉を何も持ちあわせていないことが、戒莉の足を止めた。

 

「相手が望むものを呉れてやるだけが、人とのつきあい方じゃなし。まあ、もう少し気楽に生きてみることだよ。戒莉も真佳も」

 何か知っているような口で、漢将は笑った。

 

 

 

 

 

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