絶え間無く続いていた振動が不意に途切れ、自分の機体が母艦から切り離された事をニコ・クロフトは知った。
姿勢制御用のサブスラスターを吹かしてムサイ級ヒュンメルから更に距離を取ると、火器管制システムの再度チェックを行う。小隊の合流地点に向かってバーニアに点火すると、メインカメラが攻撃対象を捉えた。漆黒の闇に浮かぶ銀のシリンダー、羽化を控えた昆虫のように三枚の翅を拡げ、太陽の光を反射して光り輝いている。
宇宙コロニー《 アイランドイフィッシュ》サイド2ハッテに建設された首都バンチでもあり、それは遂に独立戦争に踏み切ったジオン公国軍の初戦の攻撃目標の一つでもある。
ノーマルスーツの中で心臓の鼓動が高鳴っている。機体に接続されているセンサーがその身体的な変化を記録している筈だ。生体モニターは案外と厄介なものだな、とニコは思った。後で笑い話のネタにでもなればいいが、それはこの実戦を無事に生き延びて帰還出来ればの話だ。
自機と併走する僚機のソフィア・カミンスカヤ少尉のMS06CザクⅡが、コロニー周辺に展開するジオンの艦隊を指差している。
「ねえニコあれ見てよ。もう海兵隊が制圧したみたいよ、私達の出番なんてないんじゃないの?」
本来ならばそれはニコ達グリフォン小隊が属するランバ・ラル中佐率いるMS大隊が先鞭をつける筈だった。ところが開戦の一週間前に突然指揮官の配置替えがあり、ラル中佐は降格の上に予備役として後方の教導大隊に異動、更迭されたのでは?との噂が流れていた。
開戦直前のデギン公王を招いた御前会議に於いて、何か一悶着あったらしい。しかし関係者には厳重な箝口令が敷かれており、一介のパイロットに過ぎないニコ達にまではその情報は伝わってはいない。
「ソーニャ、あらかた戦闘は終わったようだが油断するな。戦闘コード37が発令されている、周囲の警戒を怠るなよ」
軽口を叩くソーニャを戒めるように小隊長のルドルフ・イェーガー大尉が釘を刺した。
コード37、戦闘区域に於ける敵性の艦艇や機体は、軍・民間を問わず全て撃滅せよとの命令だ。
その必要があるのだろうか、とニコは訝った。そもそも《 アイランドイフィッシュ》は人類が宇宙に進出した初期に建造された、第一世代に当たるコロニーの中でも最大の規模を誇る。近年に建造されたものよりかなり大きく、その収容人口は二千万人に近い。それだけの居住者を避難させるだけでも相当な時間が掛かる筈だが、海兵隊は既にコロニーを制圧し手中に収めていると言う。
開戦直前のラル中佐の更迭といい、何か釈然としない事案が続いているような気がする。いや気の所為だろう、とニコは頭を振った。
初の実戦で緊張か高揚しているだけだ。生体モニターには表示されない精神の昂り、それはそうだろう、なにしろこれは紛れもない本当の『戦争』なのだから。
小隊長のイェーガーの指示を受けて自動操縦を解除するとニコは操縦桿を振って機体をロールさせた。青いロービジ塗装を施されたMS06Cで編成された小隊の中で、自機の斜め後方に一機のMS05ザクスナイパーが見える。その機体と同じく旧型だが一撃で巡洋艦クラスを撃沈する事も可能なMN-76対艦ライフルを携え、今は自分と同じように火器管制のチェックをしているのだろう。
オリガ・エレノワ。半年前にグリフォン小隊に転属になり、初めてその姿を見た時の事を鮮明に憶えている。肩まで伸ばした美しい黒髪が、艦内の気圧調整の風に吹かれて柔らかく揺れていた。自己紹介をした後、ちらりと一瞥をくれただけで目線を合わせる事もなく「よろしく」と短く応えたのが強く印象に残っている。それはソーニャが酒飲みで常に騒がしい為に、余計にそう思うのかも知れない。
「火器管制オールグリーン。オリガ・エレノワ、予定通りクェジェリン暗礁宙域外縁にて哨戒・索敵に入ります」
「了解。オリガ、ラファールを連れて行け。連邦のMSを目撃したとの情報もある、接敵した場合はすぐに増援を呼べ」
「ダー」
慣性で飛行する編隊からオリガのザクスナイパーが加速しながら離れて行く。バーニアから眩い光を発しながら美しい弧を描き、やがて二機のザクは暗礁宙域の中へ消えて行った。
「オリガめ、作戦行動中はジオン公用語を使えと言うのに」
「小隊長、それにしても妙ですね、ちょっと静か過ぎます」
誰もが感じていた違和感をヤンネ・ラトバラがぼそりと呟いた。先程まで大規模な戦闘があったにも関わらず、海兵隊の無線が殆ど入って来ない。チャンネルを変えているのかも知れないが、同じ戦闘区域で作戦行動を共にする以上、友軍がそれぞれの通信チャンネルを変えて連携する事は不都合が多い。それとも海兵隊は我々攻撃軍には聞かれたくない行動に従事しているのか?と勘ぐりたくもなる。
「ラトバラ、海兵隊からの応答はないのか?」
「はい、何度も呼び掛けていますが反応ありません」
「クロフト、コロニー外壁に展開している海兵隊のMSが見えるな?」
「はい、何か作業をしているようですが」
「このような状況では仕方あるまい。接触して通信チャンネルを合わせるように伝えろ。ソーニャを連れて行け、ラトバラは通信を続けろ」
「ヤー、コマンダー」
バーニアを吹かしてコロニーの後方から接近すると、後方ドック周辺で作業している工兵部隊を視界の隅に捉えた。一基の大きさが巡洋艦程もある核パルスエンジンを何基も取り付けようとしているようだ。
核パルスエンジン?コロニーをこの宙域から移動でもさせるつもりなのか?ニコがそう考えていると、同じように不穏な空気を感じたのかソーニャが呟いた。
「ねえ、やっぱりおかしい。このコロニー自転していない、と言うかもう止まりそうじゃない?」
宇宙コロニーは遠心力を使った擬似重力を得る為に、かなりの高速で常に回転している。海に浮かぶタンカーがエンジンを停止しても、タンカーはその質量と慣性によって数キロは進み続ける。それと同じ理由で例え自転機構に不具合があっても数日は回転し続ける筈だ。ソーニャが言うように、グリフォン小隊の誰もが感じているように何かがおかしい。一体海兵隊は何をしているのか。
ニコは逆噴射して減速し、コロニー外壁の継ぎ目がはっきりと視認出来る程の低空飛行に入った。眠気を誘うように整然と並ぶ外壁パネルを眺めながら、不意に父親とモビルポッドに乗って行った修繕作業を思い出していた。
ムンゾコロニー公社の技師だった父親の仕事場に、長期休暇の度にニコは入り浸っていた。そのお陰でハイスクール最終学年の半ばにはコロニー公社から内定を貰ってもいた。コロニー外壁の設置やメンテナンス、マニピュレータの細かい操作などはその時に覚えたようなものだ。
あの時あんな事がなければな、軍に入る事もMSを操縦する事もなかったのに、とニコがぼんやりと考えていると突然耳元で誰かの声が弾けた。
「ニコ、避けて!避けなさい!」
反射的に機体をロールさせると巨大な構造物が眼前のぎりぎりを掠めて行く。すぐに上昇して機体を立て直して振り返ると、そこにある筈のないガスタンクのようなものが設置されていた。何故ならコロニー外壁はデブリの衝突に備えて、極力突起部位を排除された連続した平面で構成されているのが常だからだ。
核パルスエンジンの設置などで気を削がれていたとは言え、誰かの声がなければ間違いなく激突していた。一体誰だろう、あの声はオリガかも知れない。しかし暗礁宙域で待機しているオリガからこの場所まで見える筈がない。望遠の倍率を上げてでもしない限りは。
様々な憶測が脳内を駆け巡って行く中、ふと足元を見ると通称「川」と呼ばれる巨大な窓の上空にいる事にニコは気付いた。太陽光を取り込む為に何層にも耐宇宙線コーティングを施された超強化ガラスのむこうに、ほぼ無重力状態のコロニー内部がうっすらと見えた。
擬似重力を失ったコロニー内部では、エレカや様々なものが宙を舞っている。ノーマルスーツのヘルメットには瞳孔センサーが組み込まれており、瞳孔の大きさにより自動で対象を拡大する機能が付いている。
「ソーニャ!クロフト!今すぐ戻れ、戻るんだ!」
異変を察知したイェーガーの叫びはほんの二秒ばかり遅かった。何故ならその時にはニコとソーニャのモニターには、最大限に拡大された恐るべき真実が映り込んでしまっていた。
擬似重力を失ったコロニーの中で無数の塵のように浮遊していたのは、夥しい数の事切れたコロニーの住人達だった。その多くが苦悶の表情のまま微動だにしない。中には幼い我が子を抱えた母親の姿もあった。関節と言う関節が全て深く折れ曲がっている。それは神経に作用するガス中毒の症状を明らかに呈していた。
ガスを、毒ガスを使ったのか?手っ取り早くコロニーを制圧する為だけに?
アドレナリンが全身を駆け巡り、早鐘のように心臓が脈打っている。
自軍の海兵隊が取った戦術、行為が信じられない。人は目的の為にここまで人に対して残虐になれるのか。茫然と立ち尽くすニコの目の前をソーニャのザクが駆け抜けて行く。
「うわああああああああぁぁぁー!」
凄まじいまでの感情を爆発させたソーニャのザクⅡが、手にしたマシンガンをフルオートでガスタンクを破壊しながら海兵隊に向かって突進して行く。
「これが無抵抗の民間人にする事か!外道がぁ!」
「ソーニャ止めろ!もう手遅れだ、そんな事をしても住民達はもう───」
「うるさいうるさいうるさい!幾ら友軍と言えこんな事が許せるか!」
ソーニャは全弾を撃ち尽くしたマシンガンを躊躇いなく捨てると、腰からヒートホークを引き抜き海兵隊のザクにすれ違い様に斬り掛かった。斬りつけられた海兵隊員は噴射器を盾にソーニャの斬撃を躱すと、爆砕ボルトに点火して背中のボンベを切り離した。そして剪断された噴射器をヒートホークに持ち替えると、その刃先に熱を入れた。
「何だ貴様!宇宙攻撃軍が何故ここにいる?我々の作業を邪魔だてすると為にならんぞ!」
ヒートホークを互いに構えながら相対する二機のザクの間にニコは割って入ると、ソーニャの前に手を翳して後退を促す。
「頭を冷やせソーニャ・カミンスカヤ!こいつらが武装していたら今頃蜂の巣だぞ!」
「退けニコラス、格闘戦ならこんな雑魚ども私の敵ではない!」
ナニ、俺達が雑魚だと?様子を見ていた他の海兵隊機が色めき立った。非常にマズい状況だ、確かに一対一の格闘戦ならソーニャはいい勝負をするだろうが、何しろ相手の数が多過ぎる。イェーガー大尉とラトバラがこちらに向かっている筈だが、まだその姿は見えない距離にいる。
「その肩の部隊章、ランバ・ラル大隊のグリフォン小隊だな?噂のエリート部隊って奴か、気にいらんな」
噂のエリート部隊?海兵隊員の物言いは気になるが、今はそんな事に構っている場合ではない。
「いいだろう、我が海兵隊の御旗の元、ティエリ・グロムルの名に於いて勝負してやろう。その思い上がったプライドを叩き潰してやるぞ小娘!」
「ソーニャ挑発に乗るな、相手の思う壷だぞ!」
接近するイェーガー大尉のザクが視界に入った。あと数秒だけ持ち堪えればいい、ニコがそう祈るように考えていると、ソーニャのザクのモノアイがちらりと動いた。その瞬間ニコは、物言わぬソーニャのザクがにやりと笑ったような気がした。
激しい衝撃と共にソーニャのザクが遠ざかって行く。いや違う、ソーニャのザクに体当たりされ、弾き飛ばされたのだ。
ニコはメインバーニアを吹かして機体を安定させるが、その間隙を縫ってソーニャは海兵隊機に向かって突進して行く。駄目だ、間に合わない───二体のザクが振り上げたヒートホークを互いに振り下ろそうとした瞬間、ニコの真横を火花と共に何かが駆け抜けて行った。
息を呑む刹那の後、切断されたザクの腕が宙を舞う。
「あぁ、ヤンネ───何て事を」
「ラトバラ無事か?応答しろ、ラトバラ!」
ニコの側方から最大出力で駆けつけたヤンネ・ラトバラは、減速が間に合わないと見るや、コロニー外壁にザクの足元を叩きつけるようにめり込ませた。そしてその摩擦と逆噴射によって急激に減速しながらソーニャと海兵隊機の間に割り込んだのだ。それと同時に左腕で海兵隊機の、右腕でソーニャのヒートホークを受け止めると言う神業をやってのけていた。しかし正確に相手のコクピットに狙いをつけたソーニャのヒートホークは、ラトバラ機の右腕を切断した上に胸部の装甲に深く食い込んでいる。
茫然と立ち尽くすソーニャのザクを遅れて来たイェーガーが引き剥がした。依然としてヤンネの応答はない。胸部装甲にめり込んだヒートホークを恐る恐る引き抜くと、その割れ目から完全に硬直したヤンネ・ラトバラの姿が覗いていた。
「おい、ラトバラ無事なのか?無事なら応答しろ」
「───すみませんイェーガー大尉、連邦とやる前に機体壊しちまいました───」
「無事なのだな、何故直ぐに応答しない?」
「手の届くところにヒートホークの刃先があるんですよ?そりゃあね、言葉も無くしますよ」
「まったく無茶な事を。自力で動けそうか?」
「ええ、正面のモニター類と足底部の偏向ノズルは駄目ですが、駆動系統は問題なさそうです。ただ───」
「何だ?」
「───『元帥』にまたどやされるな」
「整備長には私が話をつける、オリガ達と合流してバックアップに回れ。通信と索敵出来るだけでも十分だ、行け!」
「ヤー!」
暗礁宙域に向かってゆっくりと上昇して行くラトバラ機を見送ると、別の海兵隊機が近付いて来た。イェーガー機と同じく、その機体の頭頂部には部隊長を示すブレードアンテナが付いている。部隊長は先程の海兵隊機と『お肌の触れ合い会話』で状況を確認しているようだ
「さて、ソフィア・カミンスカヤ少尉、自分が何をしでかしたのか判っているのだろうな?」
ソーニャの返答はない。無理もない、感情の爆発に頼ったとは言え、同じ小隊のヤンネを危うく蒸発させてしまうところだったのだから。
「まあいい、話は後でも出来るからな。我々もオリガ達と合流して哨戒任務に戻るぞ」
「ちょっと待て、本来の任務に戻るのは構わないが、その女の身柄はこちらに引き渡して貰おう」
「貴様誰だ?」
「この海兵隊ケルベロス中隊を預かるミラン・シュタール大尉だ。我が隊のグロムル曹長が世話になったようだ。まさかこのままただで済むとは思っていないだろうな?」
ケルベロス中隊。オルトロス中隊と双肩を成す、猛者揃いで知られるジオン海兵隊の中でも、更に精鋭を選りすぐった特務戦隊だ。今や海兵隊機は作業を完全に中断し、その手には噴射器ではなくそれぞれがライフルに持ち替えている。
「シュタール大尉とやら、こちらも一機のMSが損傷しているのだぞ。悪い事は言わん、それで手を引いておけ」
「手を引け、だと?我々に何ら瑕疵はないのだぞ!大人しくその女パイロットを引き渡せ」
「悪いがそれは断る。処罰はこちらで検討する、諦めろシュタール大尉」
「イェーガー、ならば力ずくででも連行するまでだぞ!」
「ほう面白い、それなら俺が相手をしてやろう」
イェーガーは自らの言葉が嘘ではない事を示す為、持っていたASR-78対艦ライフルの遊底を引いて薬室に弾を装填して見せた。対艦ライフルは連射は効かないが、MSならば一撃でそして確実に破壊出来る。
「部下が部下ならその上官も上官と言う訳か。まあ開戦直前に更迭されたランバ・ラルの部下では致し方あるまいが」
「貴様、我が上官ランバ・ラル中佐を愚弄する気か?」
「国の存亡を賭けた戦いに於いて、ギレン・ザビ総統の立案した作戦に異議を唱えるなどとは正気とは思えん。連射の効かない対艦ライフルに弾を篭めたところで脅しにはならんぞイェーガー」
「部隊の長である貴様を潰せば後はカミンスカヤが言うように雑兵に過ぎん。どうしたシュタール、早く遊底を引いて見せろ」
ニコはシュタールの歯軋りが聞こえて来るような気がした。イェーガーの気迫がシュタールを圧倒している。
「大尉、目標を捉えています。いつでもご命令を」
「オリガ・エレノワ少尉、ここは私が片をつける。いいか、まだ手を出すなよ」
「ダー、待機を続けます」
オリガ・エレノワに狙われている事を知って、じりじりと間合いを詰めていた全ての海兵隊機の足がぴたりと止まった。グリフォン小隊の名をジオン軍内に知らしめているのはイェーガー大尉でもソーニャ・カミンスカヤでもなく、オリガ・エレノワに他ならない。
開戦より半年程前、ジオン船籍の輸送艦ハイデルベルクが連邦軍の軽巡洋艦コンスタンティンの追跡を受け、ジオン宙域目前で停船させられる事案があった。
厳しい経済制裁の最中に禁輸品目を積んだ輸送艦が拿捕され、ジオン公国軍司令部に衝撃が走った。何故ならアルカナ級輸送艦からムサイ級への改装は始まったばかりであり、連邦と正面切って事を構えるにはまだ準備が全く整ってはいない。
ジオンの独立機運を武力侵攻によって押さえつけたい地球連邦と、早期開戦は避けたいジオンの命運がハイデルベルクの臨検の結果に掛かっていた。
そしてその時、ハイデルベルクに一番近い場所で、偶然にもグリフォン小隊が訓練を行っていた。とは言っても使える武装はオリガの持つ旧型のMN-76対艦ライフルだけ、しかも近いとは言っても有効射程の三倍近い距離は離れている。
しかしオリガ・エレノワはやってのけた。オリガの放った一撃がコンスタンティンを撃沈した瞬間、ジオン本国総司令部では地鳴りのような歓声が沸き上がったと言う。
後にジオンは領宙侵犯に拠る違法な臨検であり、女性士官オリガ・エレノワによる正当な攻撃であると発表した。しかしその事実を信じられない連邦政府は、コンスタンティン遭難事故はデブリ衝突に拠るものとして処理し、武力侵攻は回避された。オリガは早期開戦の危機からジオンを救った英雄としてサイド3に帰還し、その名声は現在に至っている。
その一撃必中のオリガ・エレノワに狙われているのだ、海兵隊に動揺が走るのも無理はない。
「部隊に狙撃手がいるからと言っていい気になるなよイェーガー。どうした、撃てるものなら撃ってみろ!」
最早開き直りとも取れる挑発をするシュタールだが、シュタールもまた一部隊を率いる長である以上、部下の手前もう後戻りは出来ないのだろう。それまで押し黙っていたソーニャがすっと前に進み出た。熱を失っていたヒートホークの刃先は再び赤く輝き出している。
「ほう、本当にやるつもりかグリフォン小隊。我がジオン海兵隊に刃を向けた事を後悔させてやるぞ」
一触即発、永遠にも似た数秒がゆっくりと過ぎて行く。誰かが不用意に動いた瞬間に、至近距離での銃撃・格闘戦が展開される事になる。
まさか連邦軍と対峙する前に自軍の海兵隊と事を構えるとはな。ニコはゆっくりと安全装置を解除すると、目の前にいる海兵隊機を対象に捉え、瞬きをして照準をロックした。
相手の機内ではロックされた事を知らせる警報音が鳴り響いている筈だ。じりじりと過ぎて行く緊張に耐えられなくなった海兵隊機がぴくりと動き、グリフォン小隊の三機がまさにケルベロス中隊に襲い掛かろうとしたその時、背後で閃光が瞬き、コロニーの外壁が地震のようなその振動を伝えた。
「一体何事だ?ラファール、状況を確認しろ」
「イェーガー大尉、旗艦ワルキューレより入電。コロニー後部に展開している工兵部隊が攻撃を受けた模様。核パルスエンジン一基に被弾、損傷の程度は不明。大隊本部よりクェジェリン暗礁宙域の索敵を強化せよとの事です」
「ラファール少尉了解した。これよりポイント505/310にて合流し索敵を開始する。合流前に接敵した場合は追跡に努め、我々との合流を待て」
「ヤー!」
「今の通信の通りだ、カミンスカヤ、クロフト、暗礁宙域に向かうぞ」
「待てイェーガー、尻尾を巻いて逃げるのか?」
海兵隊員達の下卑た笑い声がオープン回線から聞こえて来る。イェーガーはシュタール機の足元に対艦ライフルを撃ち込んでその声を黙らせると、遊底を引いて排莢し次弾を装填した。
「勘違いをするなよミラン・シュタール。大隊本部からの命令だ、残念だがお前達と遊んでいる暇はない」
「何だと?」
「しかし我が指揮官ランバ・ラルを侮辱した事は忘れんぞ。オリガ聞こえるか、援護しろ。我々に向かって発砲する機体があれば全て撃滅しろ、責任は私が取る」
「ダー」
警戒態勢を取りながらグリフォン小隊がコロニー外壁から上昇して行く。安全な高度に達するとメインバーニアに点火した三機の青いザクは暗礁宙域の中へと消えて行った。
開戦初日に同士討ちと言う、最悪の事態を辛くも回避した事で、海兵隊員に安堵が広がった。精鋭揃いのケルベロス中隊長ミラン・シュタールに対して、ただの一歩も譲らなかったイェーガーの度量を認める者さえいた。しかし面白くないのはそのミラン・シュタール本人だろう。
自機の足元に撃ち込まれた際、何故反射的に反撃しなかったのか?オリガ・エレノワに狙われていた所為なのか?
シュタールは大勢の部下の前で自身のプライドを踏み付けられたように感じていた。
「グロムル曹長!」
「はっ、何でありますかシュタール大尉」
「このままでは貴様も腹の虫が収まらないだろう、連中の跡をつけろ」
シュタールは自分が持っていたライフルをグロムル機に押し付けた。
「暗礁宙域はミノフスキー粒子の濃度が濃く通信は使えん。私の言っている意味がわかるな?」
「あの女パイロットを連れて来ればよろしいんで?」
「女パイロットなどどうでも良い、連中に灸を据えて来い。海兵隊に刃向かうとどうなるのかを教えてやれ」
「はっ、了解しました!」
「クローゼ軍曹を連れて行け、あと何機かつけてやりたいが我々はこの作業を急がねばならん」
「いえ、クローゼが居れば充分であります」
「もし後々問題になれば、私が直接ガラハウ少佐に掛け合ってやる。頼むぞティエリ・グロムル曹長」
グロムルはモニター越しに敬礼すると、クローゼ軍曹を伴いグリフォン小隊の後を追って暗礁宙域へと向かった。シュタールはそれを見送ると振り返り、残った他の海兵隊員に向かって激を飛ばした。
「お前達何をしている?もう間もなく連邦の宇宙艦隊かルナ2を出立してこちらに向かって来るのだぞ。とんだ邪魔が入ったが予定の時間内に作業を終わらせろ。その後は連邦相手に存分に暴れさせてやる」
「はっ、了解しました!」
シュタールは海兵隊員の作業を監督しながら、ふと振り返って暗礁宙域を見上げた。後はグロムルとクローゼが上手い事やってくれればいい。そう思いながらも、シュタールは心の片隅に消えない靄がずっと残っている事を認めざるを得なかった。
クェジェリン暗礁宙域に向かって慣性飛行をしながら、ニコは操縦桿を握る手が汗でべっとりと湿っている事に気付いた。そして自分はとんでもない思い違いをしていたものだと自嘲気味に笑みが漏れた。グリフォン小隊の中の爆弾はてっきりソーニャなのだと思い込んでいた。しかしイェーガーは更に想像の上を行く核弾頭のようなものだ。
普段の飄々とした素振りからは想像出来ない、叩き上げの職業軍人の真髄を垣間見たような気がした。この男から見ればソーニャなど小猫同然なのかも知れない。
「クロフト、お前の父親はコロニー公社の技師だったな?」
「はい、そうですが、それが何か?」
「海兵隊がコロニー外壁に何か吹き付けていたが、あれが何かわかるか?」
「恐らくですが耐熱コーティングかと思います。本来なら大気圏突入用の機体に塗布するもので、通常コロニー外壁に使用するものではないと思いますが」
「やはりな、私もまさかとは思ったが───」
ニコはイェーガーが言わんとしている事を、既に自分で答えている事に気付き、驚愕した。
「まさか、《 アイランドイフィッシュ》を地球に落とすのか」
「え、ウソ、嘘でしょ?ねえ大尉そんな事って───」
「いいか、ソーニャ良く聞け。核攻撃にも耐えうる地球連邦の拠点ジャブローを、質量兵器で宇宙から攻撃すると言う作戦立案は何年か前からあった。その点についてはラル中佐も反対はしていない、寧ろ積極的に推し進めていた方だ」
つまりその時点以前にジオンは地球連邦との戦争を、既に現実的な事案として考えていた事になる。
「連邦が一番恐れているのは、宇宙からの質量兵器に拠る攻撃だろう。だからこそソロモンやア・バオア・クーの要塞化を半ば黙認して来た。ジオンにとって重要になればなる程、質量兵器として使用されるリスクか下がる訳だからな」
「だからと言ってその代りにコロニーを使うなんて」
「そこが軍上層部の狙いなのだよ。守備の手薄なコロニーを制圧し、直接ジャブローを攻撃する。しかしこの作戦には高い障壁が幾つか存在する、わかるかクロフト」
「例えば突入時の進入角度やその中で生活する住民の処遇、ですか」
「一つはその通りだ。恐らくラル中佐はその住民の処遇に於いて、毒ガス使用について異議を唱えたのだ。非武装の民間人に毒ガスを使うなど、それは戦術ではなく只の虐殺に過ぎん。根っからの武人ランバ・ラルがそれを認めるとは到底思えないのでな」
「武人と言えば、ドズル中将が許可されたのもちょっと自分には理解出来ませんが」
「恐らく、ギレン・ザビ総統とキシリア・ザビ少将に押し切られたのだろう、残念な事だがな。そこで、そこでだソーニャ・カミンスカヤ」
「はい、何ですか大尉」
「お前が先程取った行動は上官としてとても褒められたものではない」
「はい、それは自分でも理解しています。でも───」
「まあ聞け。ラル中佐は自身の立場が悪くなる事を顧みず、自らの信念に従って抗議したのだ。ソーニャ、お前も無抵抗のまま死んで行った者達の為に悲しみ、怒り、そして行動したのだろう?軍の規律には触れるだろうが、人として正しい反応をしたのだ。顔を上げて、ない胸を張れ、私はお前のような部下を持った事を誇りに思うぞ」
「あのう、た、大尉?」
「何だ、どうした?」
「私、オリガより胸あります!」
ちょっと!ソーニャいきなり何言ってんのよ!雑音混じりのオリガの珍しく焦った声が聞こえる。姿はまだ見えないが他の三機も近くにいるようだ。ヤンネとラファールは笑い過ぎて喘いでいる。
「何よ、本当の事じゃない。オリガ何そんなに焦ってんの?」
「ばかソーニャ、うるさい!」
この暗礁宙域は《 アイランドイフィッシュ》攻撃に備えて、開戦以前にかなりの濃度でミノフスキー粒子の散布が行われたようだ。合流地点でオリガ達を目視するまで、レーダーによる反応は断続的であり、その機影がはっきりとモニターに映る事はなかった。
「ラファール、どうだ異常はないか?」
「いやそれがですね、おかしいんです」
「おかしい?」
「ええ、レーダーが効かなくても動いている機体があれば、サーモセンサーが断続的であれ航跡を拾います。ところがそうした動きがありません、IFFにも反応なしです」
「つまり工兵部隊を攻撃した後、暗礁宙域からは離脱していないと言う事なのだな」
「はい、しかもここから核パルスエンジンまでかなりの距離です。ミノフスキー粒子干渉下で光学補正は使えないので、恐らくただの望遠だけの肉眼に拠る照準です。下手するとオリガにも匹敵するレベルですよ、かなりの腕です」
「厄介だな、観測手も一緒にいる筈だ。護衛も含めれば二機かそれ以上で潜伏している可能性が高いな。連邦のゲムと言う情報に間違いないのか?」
「ブリュンヒルデ小隊が目撃したそうですが、細かいところはまだわかりません」
「ブリュンヒルデの小隊長はアリア・ハーベラー中尉だな。接触して詳しく状況を聞きたい、ラファール連中の現在地を確認してくれ」
連邦初の量産型MSゲム、連邦側からはジムと呼ばれる機体は、徹底した生産性と整備性を重視して設計・生産されている。しかしジェネレータ出力に劣り、大気圏内での運用を前提に開発されたゲムは、機体の総重量に厳しい制限がある。その結果装甲を薄くせざるを得ず、ジオンパイロットからは『歩く棺桶』と揶揄されている。しかし部品の換装が比較的容易な為、ジェネレータ出力の開発の成否によっては、ザクⅡに匹敵又はそれを上回る性能も有り得ると予想されている。
「クロフト、以前お前が出した報告によればゲムの性能はザクⅡに遠く及ばないとの事だったが?」
「はい開戦前の先行試作機では機体制御に難があり、マニピュレータの関節強度、モーター出力共に特筆する性能ではないとの情報でした」
「各コロニーの防衛部隊に試験運用として配備が始まったばかりの筈だ。ゲムの宙間運用型が存在するとなると、連邦のMS開発に何かしらのブレイクスルーがあった事になるな」
「テストパイロットの間では、現時点では手動計算による数値補正が煩雑になる為、対艦ライフル並の口径の精密射撃には対応出来ていない、との意見で一値しています」
「イェーガー大尉、ブリュンヒルデと繋がりました、近くにいるようです。向こうからこちらにやってきます」
「一体どう言う事なんだ、我々は『幽霊』でも相手にしているのか?」
クェジェリン暗礁宙域にはコロニー建設の資材確保の為に運搬され、そしてその後余剰となって放置された小惑星やその破片が散乱している。散布されたミノフスキー粒子の干渉によりレーダーは殆ど役に立たず、その中に潜伏している敵を目視で発見するのは至難に思える。そんな中、傍らの小惑星から三機のザクがその顔を覗かせ、周囲を警戒しながらブリュンヒルデ小隊が現れた。
「アリア・ハーベラー中尉、早速で申し訳ないが現況を確認したい。連邦のゲム、それも狙撃型を視認したのか?」
「いえ、それはそのはっきりと確認した訳ではなく───」
どうもハーベラー中尉の歯切れが悪い。そんな中イェーガーはブリュンヒルデ小隊にオリガ機と同型のMN-76対艦ライフルを持つ機体がいる事に気付いた。
「では交戦した、と言う訳ではないのだな?」
「え、ええ。目標を完全に捕捉する前にもう移動していたようなので」
「それはおかしいな、この宙域で我が軍以外の動体は検知されていないのだぞ」
「それはこのミノフスキー粒子高濃度散布下の環境だからでは?」
「大隊本部からブリュンヒルデ小隊が連邦のゲムを現認したとの報告を受けたのだぞ。しかし現認も交戦もしていないのだな?教えてくれ、アリア」
「ですから先程も言ったように───」
「グリフォン小隊構えろ!」
やれやれ、海兵隊の次はブリュンヒルデ小隊か、先が思いやられるなと思いながらニコは正面のザクをロックした。
「イェーガー大尉、一体何の真似です!」
「ブリュンヒルデの狙撃手、ゆっくりと前に出ろ」
「こんな事をしてどうなるか───」
複数の相手にロックされた警告音が鳴り響くハーベラー機を手で遮り、ブリュンヒルデ小隊の狙撃手が前へ進み出た。
「名前は?」
「デニル・ヨンセン曹長であります」
「ヨンセン曹長、引き金からゆっくりと指を離し弾倉を引き抜け」
「デニル止めろ、お前の上官は私なのだぞ。弾倉など見せる必要はない!」
「ハーベラー中尉、ありがとう。自分も軍人の端くれです。責任は自分で取ります」
デニル・ヨンセンは弾倉を引き抜いてイェーガーに渡すと、コクピットの中で静かに目を閉じ指示を待った。
「オリガ確認しろ。この弾はお前と同型のものか?」
「はい、間違いありません」
「そうか、では弾倉を交換しろ。交戦していないのに弾薬が減っているのは不自然だからな」
「イ、イェーガー大尉、どう言う事ですか?」
「グリフォン小隊全員ロックを解除しろ。ブリュンヒルデ小隊は旗艦に戻り報告を行え。我々は暗礁宙域に残り狙撃型のゲムの『幽霊』と交戦しなければならん。アリア・ハーベラー中尉、何か質問は?」
「ルディ、あなた───自分が何をしようとしているのかわかっているの?そんな事をしたらグリフォン小隊の立場が───」
「先程ウチのお転婆娘が海兵隊とちょっと揉めてな、核パルスエンジン攻撃時に我々がコロニー周辺に展開しているのは他の部隊も確認している。我々に嫌疑が掛かる事はない、それになアリア」
イェーガー機のモノアイがヨンセン機を見ている。
「これからも暫くは厳しい作戦が続く。この距離からの狙撃を成功させるような優秀なスナイパーを、今失う訳にはいかないのでな」
イェーガーがブリュンヒルデ小隊と情報の摺り合わせをしているのを見ながら、ニコはこのルドルフ・イェーガーと言う男の評価を、改めて上書きせざるを得ないと考えていた。イェーガーほど大胆かつ繊細に、そして機転に富んだ対応が取れる指揮官は、ジオン広しと言えどそう居ないだろう。
「───我々は海兵隊の突撃後、殆ど時間を置かずにこの宙域に展開しました。そしてその行動の一部始終を目の当たりにしたのです」
「我が隊のお転婆も同じ理由で止める間もなく海兵隊に斬り掛かって行ったのだ。その気持ちは我々もわからんでもないのだがな」
「ふふっ、それなら私達もソーニャに感謝しなければいけないわね」
「───ん?なんでお転婆が私って事になってるの?グリフォン小隊には他にオリガだっているのに!」
二つの小隊の間でどっと笑いが起こり、ブリュンヒルデ小隊は手短に礼を言うと、旗艦との通信を行う為に暗礁宙域を離脱して行った。
「さて、一応形だけとは言え我々も捜索を行うぞ。二手に分かれて散開しろ、クロフト、ソーニャは私について来い」
ブリュンヒルデ小隊との話の辻褄を合わせる為に、暗礁宙域の索敵を再開する事になった。当該宙域には小惑星の欠片の他に、コロニー守備隊との激しい戦闘を窺わせる残骸が数多く漂っている。コクピットを包む圧力隔壁の向こうは、音のないひたすら冷たい死の世界だ。
あれ程煩雑にやり取りしていた無線が不意に途切れると、その中に独り取り残されたような疎外感が襲って来る。何故だろう、妙な胸騒ぎがする。ニコは予感めいた感情の揺らぎに困惑しながら、先行するイェーガーとソーニャの後を追った。
現時点でその可能性は低いものの、もし『コロニー落とし』が失敗した場合、核パルスエンジン狙撃が問題視され、調査対象になるであろうとイェーガーは踏んでいた。アリア・ハーベラーにとっては咄嗟に口を吐いて出たのかもしれないが、狙撃型のゲムとは面白い事を考えたな、と感心していた。何故なら、狙撃に特化したゲムなど現時点では存在していないからだ。
この世に存在していないのだから、誰も確認も証明も出来ない。裏を返せばブリュンヒルデの無実もまた証明出来ないのだが、同じように嫌疑を確定する事も出来ない。
テストパイロット出身のニコが断言したように、連邦のMS開発はジオンのそれに較べればまだまだ発展の途上にあり、成熟と言うレベルには達していない。
以前小惑星掘削の爆発事故によってMS05ザクが失われ鹵獲された際、連邦軍でもMSの開発を促す声が高まったと聞く。しかし近距離支援程度しか役に為に立たないと判断され、その上宇宙戦艦の新規開発並の予算要求に政府高官が激怒し、議会に却下された為に一度頓挫していた。
恐らく状況が変化したのは、ミノフスキー博士亡命に端を発したスミス海会戦だろう。
ランバ・ラル中佐を筆頭としたプロトタイプザク五機に対して、迎撃に出た連邦のMSガンキャノン十二機が壊滅すると言う連邦としては受け入れ難い結果になったからだ。
MS運用を軽視していた連邦軍は認識を改め、開発費が暴騰していた新型機の研究開発を凍結し、次期主力機GMの開発に邁進する事になる。
本来なら年明けの三月頃に予定されていた開戦が三ヶ月も前倒しにされたのは、連邦がゲムの開発に成功し試験運用が始まった事もその一因と言われていた。
「───ねえ、それじゃあさ、ゲムは潜在的な脅威に成りうるって訳?」
「可能性は否定出来ないだろ。連邦の技術開発は馬鹿にしたもんじゃないし、向こうには鹵獲されたザクのデータだってあるんだから」
「そうかなあ、連邦のキャノンタイプのMSを見る限りそうは思えないけど」
「現時点では、な。それにジャブローの正確な攻撃起点だってまだジオンは把握してないんだ」
「まあゲムが本格的な運用される前に戦争が終わればいいんだけどさ───あれ?」
一際大きな小惑星の横で、先を行くソーニャのザクがぴたりと止まった。そのモノアイが忙しなく左右に動いている。
「ソーニャどうかしたのか?」
「今、声が聞こえたような───」
「声?」
当然の事ながら真空の宇宙空間では音を伝達する物質がない為、声など聞こえる筈もない。ただ自分が乗っているMSのモーター音などを、ストレスの度合いに拠って人の声のように感じる事はさほど珍しい事ではない。
その小惑星は削岩機によって掘られた坑が無数にあり、ソーニャのザクはその一つを覗き込んでいる。
「まさか、ね───」
「ソーニャそろそろ引き揚げるぞ。イェーガー大尉と合流するんだ」
「私、ゲムなんかよりやばいモノ見つけちゃったかも───」
ザクが直立したまますっぽりと入れそうな横坑に、止める間もなくソーニャが入って行く。
「おいソーニャ、ちょっと待っ───ああ、くそ!」
ニコは苛立ち隠そうともせずにイェーガーに現在座標を知らせると、ソーニャの後を追って横坑の中に入った。
恐らくは鉱脈に沿って巨大な削岩機で掘り進め、資源を取り尽くした後に放棄されたのだろう。横坑はほぼ一直線に奥まで続いており、ソーニャのザクはその途中で岩盤にアンカーを打ち込んで機体を固定していた。
「ソーニャ何を見つけたんだ?」
「ほら、これ見てよ」
ソーニャがザクの前腕のサーチライトで前方を照らすと、そこに貨物用のシャトルがひっそりと佇んでいる。
「なんでこんな所にシャトルが?」
「赤外線で見てよ、機体の後部がまだ冷え切ってない」
「まさか、《 アイランドイフィッシュ》から脱出して来たのか?」
「イェーガー大尉に連絡は?」
「ここの座標を送った、すぐに来る」
「もしかしたら生存者がいるかも。私行って来る!」
「大尉が来るまでちょっと待てって、おい!───」
言うが早いかソーニャはコクピットハッチを明け、ライフルを手にしてもう外に飛び出している。
相手が武装して立て篭もっていたらどうするんだ?まったくあのバカロシア女!
ニコは乗機のザクのシステムを全て待機にすると、急いでシートベルトを外しソーニャの後を追った。
バックパックのスラスタを微調整しながら、ゆっくりと貨物シャトルに近付いて行く。使い込まれ古ぼけた機首の横を通過する時に、消え掛けた登録番号とモルゲンレーテと言う船名が何とか確認出来た。コクピット内は照明が消えて中の様子は伺い知れないが、計器類の照明がうっすらと反射して見える。間違いない、この船はまだ生きている。
「モルゲンレーテ、か。この船ジオン船籍っぽいな。ソーニャ、中から反応は?」
「呼び掛けているけど反応はなし。もう脱出したのかな」
「それはないな、まともな船乗りなら緊急時を除いてシステムを落としてから退艦するだろうし、救難信号も出ていない」
「ねえこの横坑さ、すぐそこで行き止まりなんだ。もしこの船が《 アイランドイフィッシュ》から来たのなら、ちょっとすごくない?」
ソーニャの言っている事をニコはすぐに理解した。もしソーニャの仮定が正しいなら、この船は追撃する海兵隊を振り切ってこの横坑の前で急減速し、後退しながらこの坑に収まった事になる。
「確かにな、もしそれが本当なら凄い腕だぞ。我が軍にスカウトしたいぐらいだ」
「まあただ単に戦争が始まった時にその辺飛んでただけかも知れないけど」
「暗礁宙域は正規航路じゃないからな、それならこの船が密輸船で武装している可能性が高い」
「どっちにしてもさ、船長に話を聞いた方が早くない?」
密輸船とも思われる船に突入するリスクはかなり高いが、ソーニャの提案には同意せざるを得ない。工兵部隊が核パルスエンジンを設置して移動開始するまではまだ時間が掛かるだろう。もし生存者がいた場合、恐らく機内の酸素がそれまで持たない可能性もある。
ニコとソーニャがライフルの装填を確認し、シャトルのハッチ爆破の準備に掛かった頃、横坑の出口にブレードアンテナの付いたイェーガーのザクが姿を現した。
「クロフト、状況は?」
「はい、ソーニャが貨物シャトルを見つけまして、これから最終通告の後、船内に入ります」
「了解した。シャトルが動き出す事に備えて私は機に残って警戒にあたる。応援は必要か?」
「いえ、貨物シャトルなので乗員は三か四人程度と思います。現状では必要ありません」
「そうか、何か異常があればすぐに退艦して乗機に戻れ」
ヘルメット越しにソーニャとアイコンタクトを取ると、ニコはライフルの安全装置を外した。
「こちらはジオン宇宙攻撃軍所属グリフォン小隊のソフィア・カミンスカヤ少尉である。貴船の運行目的及び状況を確認したい、これは最終通告である。もしエアロックハッチを開けない場合、爆破して───」
ソーニャが最終通告を読み上げている途中で、ハッチが解錠され扉が開いた。ニコはソーニャと顔を見合わせてこくりと頷くと、二人は恐る恐るエアロックに入った。
エアロック内が空気で満たされるにつれ、船内に通じている内側の扉のロックが解除された。
ニコはソーニャに自分を援護するように指示して、意を決して船内に飛び込むと、そこにはがらんとした貨物室が広がっていた。
「なーんだ、何もないじゃない。やましい事ないならさっさとハッチ開けなさいよ!」
遅れて船内に入って来たソーニャが悪態を吐く。ニコは船内に入る際、エアロックで加圧された事に違和感を感じていた。通常宙間運送の荷物は完全密封されており、貴重な空気を貨物室に使用する必要はない。
「ねえニコこの貨物室さ、船の全長に比べてちょっと狭いと思わない?」
やはりソーニャも同じ事を思っていたのだろう。二人は警戒しながら貨物室の奥に進み、その区画を仕切っていたパーテーションを開き、そして息を飲んだ。
「これは───」
百人かそれ以上の宇宙防護服を着た避難民が、物言わずにじっと縮こまっている。ニコとソーニャが手にしているライフルを見て、明らかに怯えている様子が見てとれる。恐らく海兵隊の毒ガス攻撃を受けて、脱出口を求めて宇宙港に逃げて来たのだろう。そこで備えつけの防護服を着てこの貨物船に飛び込んだのだ。
「ニコ、まずいよこれ。戦闘コード37があるし」
「そうだな、取り敢えず大尉に報告を───」
ニコがそう言い掛けた時、前方の操縦席に通じているドアが開いた。そして中から現れた乗組員らしき人物は両手を上げると、壁を蹴ってふわりと二人の側に近付いて来た。
「君は?」
「副操縦士のギグスだ。アンディ・ギグス」
「ギグス、か。武器は持っていないな?この艦の船長に会いたい。船長は何処に?」
「なあ教えてくれ、戦争が始まったのか?」
「そうだジオンが地球連邦に対して宣戦布告した」
「船長が出国の手続きをしている時に攻撃を受けた。この船には俺の他には機関士がいるだけだ」
アンディ・ギグスの話を要約すると、このモルゲンレーテ号は《 アイランドイフィッシュ》で荷物を降ろし、出港の準備をしている途中で海兵隊の攻撃が始まったのだと言う。取り敢えず避難して来た民間人を乗せるだけ乗せて宇宙港を出たのはいいが、そこで海兵隊に更に攻撃を受けてこの暗礁宙域に逃げ込んだらしい。
「この船を追い掛けて来た一つ目の巨人、あんた達が乗って来たあれだよ。ジオンのマークが見えたから俺はジオン国籍で、この船もジオン船籍だって言ったんだ。海兵隊?あの連中はお構いなしに撃って来たよ」
「それじゃあ殆ど一人で切り抜けてここに来たのか。あんたいい腕をしているな」
「そりゃあどうも」
アンディ・ギグスにしてみれば心中は穏やかでは居られないだろう。一介の民間パイロットから見れば突撃機動軍と宇宙攻撃軍の違いなどわからない。ましてやニコとソーニャはこの船を追い回したザクと同型のMSに乗って現れたのだ。更に出口にはこの船の進路を塞ぐようにイェーガー機が待機している。
「で、どうするつもりなんだ?あんた達もあの連中と同じなのか?」
「我々に攻撃する意図はない、この船には避難民もいるしな。なあギグス、何でこの船はここに留まっているんだ?」
「プロペラントが残り少ないんだ。逃げる途中でかなり激しく回避機動をしたし、補給する時間すらなかったからな」
「つまり加速でプロペラントを使い果たすと、今度は減速出来ないって事か」
「そう言う事だ、ついでに言うと避難民が着ている宇宙服の酸素もそう長くは持たない」
「参ったな、時間がないのか」
「待ってよ、この貨物室、空気が循環してるんじゃないの?酸素分圧も問題ないみたいだけど」
「ソーニャ、この船何処から来たと思ってるんだ?海兵隊に───」
ニコがそう言い掛けると、ソーニャががっちりとニコの腕を掴んだ。
「この人達、助けようよ!」
「ソーニャ、気持ちはわかるが俺達だけで決められないだろ?」
「ニコだって見たでしょ、あの惨状を。この人達みんなもっと酷い事を見て来たんだよ?幾ら戦争でもあんな事許されていい訳ない!」
ソーニャの感情が弾けてニコがそれに驚いていると、ソーニャは持っていたライフルをニコに押し付け、ノーマルスーツの襟元にあるヘルメットのシールに手を掛けた。そしてその封入を解くと、ヘルメットを外して避難民に向かってにこりと微笑んで見せた。
その場にいた全員が信じられない思いでソーニャを見ている。この船は毒ガス攻撃を受けた《 アイランドイフィッシュ》から来たのだ。
「ねえギグス、この貨物室の酸素は余裕があるの?」
「あ、ああ、普段使用しないからな。しかし、姉ちゃんあんた大丈夫なのか?」
「見ての通りよ。後はこの船を加速出来ればいい訳よね」
「加速すればってどうするつもりなんだ?」
「ザクがブースターになればいい。暗礁宙域を抜けるまでにザク二機のフルパワーで加速出来れば誰も追いつけない」
こいつ、凄い事を思いつくな、と驚嘆した思いでニコはソーニャを見つめた。必要に迫られたとは言え、常識的に考えればこんな発想はそうそう思い付かない。かなりリスキーではあるが、理論上は確かに不可能ではない。
ソーニャは肩を竦めて避難民達に向き直ると、ヘルメットを外しても安全であるとジェスチャーで示した。
「私はジオン公国宇宙攻撃軍ランバ・ラルMS大隊所属、グリフォン小隊の少尉、ソフィア・カミンスカヤである。私達はあなた達を傷つける意図はない、あなた達の身に何が起きて今此処に居るのか私は理解している。その事については深く哀悼の意を示したい───」
避難民は自分達の運命をソーニャに委ねるように聞き入っている。その殆どが女性と子供ばかりであり、老人は見受けられない。動ける者から宇宙服を着させて宇宙港に押し出したのだろう。
「───だが、私は軍人としての立場上、あなた達に謝罪は出来ない、これは戦争なんだ。しかし戦争だからと言って全てが許される訳ではない。我が同胞たるスペースノイドを無差別で攻撃するような、あんな事が許されていい筈がないんだ!あなた達は───」
悲痛とも言えるソーニャの訴えを、イェーガーとグリフォン小隊全員が静かに聞き入っていた。最終的な判断はイェーガーに一任する事になるのだろうが、ソーニャはその事を百も承知の上で無線を開けて話しているのだとニコは思った。
「───あなた達は生き延びるべきだ、そして真実を語るべきだと私は思う。先にも言ったように私はあなた達に謝罪する事は出来ない、ただその代わりにあなた達を現状から助け出したい。このソフィア・カミンスカヤの命に換えてでも」
避難民は困惑し、明らかに動揺が広がっているように見えた。自分達に無差別攻撃を仕掛けて来たジオン軍と同じ軍の女性士官が、今度は自分達を助けたいと言うのだ。半ば信じ難いと言う反応は致し方ないだろう。
ただ戦闘コード37が発令している以上、これはイェーガーでも頭を抱えるようなデリケートな事案には間違いないとニコは思っていた。
「いいじゃないか、悪くない。同じジオン国民としてあんたの言動は敬意に値するよ、カミンスカヤ少尉」
少し皮肉めいた言い方ではあるものの、ギグスはそう言って控えめに手を叩いた。
「それで、あのう───私達はこれから一体どうなるんですか?」
避難民の最前列にいた少女が口を開いた。傍らには小さな子供がその脚にしっかりとしがみついている。
「あの、私アオイって言います。ハッテの他のコロニーには行けないんですか?」
「ハッテ全域に海兵隊が展開しているんだ。連中に捕捉されれば直ちに撃墜される」
「それなら私達はどうすれば───」
「私達宇宙攻撃軍は海兵隊の後方支援で展開しているんだ。本来なら私達の艦に収容するのが確実なんだが、それも出来ない理由があってね───」
ニコがアオイにそう説明していると、ソーニャが身を屈めてアオイにしがみつく子供に手を差し伸べた。
「大丈夫、怖がらないで。みんなを安全な所に連れて行くから」
「───じおん、いやっ!」
「ちょっとフラン、そんな事言わないで。この人達は悪い人じゃないのよ」
「その女の子、フラン?あなたの妹なの?」
ソーニャは何気なく言った自分の言葉にすぐ後悔する事になる。
「いえ、知らない子なんです。親御さんとはぐれてしまったみたいで───」
恐らくフランの両親はせめて子供だけでもと、混乱の中フランをエアロックに押し出したのだろう。コロニー内の残酷な様子がフラッシュバックのように蘇り、ソーニャは唇を噛み締めそして立ち上がった。
「私ソフィア・カミンスカヤは約束する。あなた達を必ず助ける!」
「───イェーガー大尉、聞こえますか?」
「───ソーニャ、その件については、やはりジオンの艦に保護するのが現時点では一番安全ではないか?」
「はい、ですがコード37が発令している状況ではどんな扱いを受けるか───それでは私は彼らに安全を確約する事は出来ません」
「ふむ、それもそうだが───ザクをブースターに使うにはリスクが高過ぎないか?タイミングがズレたら貨物シャトルなど木っ端微塵になるのだぞ」
「勿論相応のリスクはあります。ですが試す価値は十分にあると思います」
「海兵隊がハッテ全域を掌握している以上、この宙域を脱出するのが最善と思われますが?」
ニコとソーニャの進言に、イェーガーは様々な可能性を頭の中で張り巡らせていた。何よりもこの行動は秘密裏に完結しなければならない。
「私はソーニャの考えに賛成するわ───」
イェーガーですら決断に悩むような重苦しい空気の中、オリガの遠い声がその沈黙を破った。
「───貨物シャトルなら水も食料もなく、プロペラントと空気も残り少ないなら、この宙域を出てリーアに向かうのが一番確実では?」
「自分とラファールも賛成です。やってみましょう大尉!」
「ちょっと待ってくれ、この宙域を出てリーアに行く前提みたいな話になってるが、そもそもサイド6は安全なのか?」
「それなら問題はない、リーアは攻撃対象に入っていないし、恐らくはこれからもないだろうよ」
「あそこの知事はやり手だからね、すぐに中立を表明すると思う。連邦もジオンも交渉するチャンネルは残して置きたいだろうし」
「なら決まりだな。この船も元々はリーアのパルダ経由でジオンに戻る予定だったんだ。パルダベイなら入港を拒否される事もないだろう」
「よし、では作戦行動に移るぞ、クロフトとソーニャはすぐに自機に戻れ───」
そう言い掛けてイェーガーは息を飲んだ。何故ならそこには居る筈のない、武装した海兵隊のザクが目の前にいたからだ。
「──何故海兵隊機が此処に?」
イェーガーの呟きを聞いたニコとソーニャは互いに顔を見合わせ、一瞬で全てを理解した。
海兵隊のザクは掘削坑の前に立ちはだかると、手にしたヒートホークをゆっくりとイェーガー機に向けた。
「こちらは海兵隊ケルベロス中隊のエヴァン・クローゼ軍曹である。グリフォン小隊だな?一体ここで何をしている?」
「所属不明機を発見した、今部下が機体を調べている。この暗礁宙域の索敵は我々に一任されている、海兵隊の出る幕ではない。下がれクローゼ軍曹」
「下がれ?妙だなイェーガー大尉殿、戦闘コード37が発令されているのをお忘れかな」
「下士官風情が上官である私に楯突くつもりか?海兵隊の関与する余地はないと言っている、元の任務に戻れクローゼ!」
「俺に与えられた任務はな、グリフォン小隊に灸を据えて来いとさ───グロムル曹長見つけましたぁ、奴ら何か隠してますぜ!」
イェーガーは思わず舌打ちをしながら後方モニターを見た。ニコとソーニャはまだシャトルから出たばかりで、二人が乗機に戻るまで時間を稼ぐ必要がある。しかしクローゼ機のヒートホークは赤く熱を帯び始めており、その猶予をイェーガーに与えるつもりはないようだ。
イェーガーが致し方なく銃口をクローゼ機に向けようとした時、それを察したクローゼが掘削坑の中に突っ込んで来た。
「へっ、やらせるかよ!」
ニコが自機にやっと戻った時、イェーガーは狭い坑内でクローゼの斬撃を、取り回しの良くない対艦ライフルで何とか凌いでいた。
「クロフトまだか、これ以上は下がれない!」
「ソーニャ行くぞ、おい何してるんだ?」
ソーニャは自機を固定する為に、岩盤に打ち込んだアンカーが抜けずいる。
「ニコ、アンカーが抜けない、抜けないんだよ!」
「ヒートホークでワイヤーを切断しろ、早く!」
ニコがクローゼ機を照準に収めようとした時、その後ろにもう一機の海兵隊を認めた。このままでは逃げ場のない坑内でシャトルごと斉射を受けてしまう。
「イェーガー大尉、いつでも行けます!」
ニコの言葉を聞いたイェーガーは、メインバーニアの推力を目一杯吹かしてクローゼを掘削坑の外へと押し出した。体勢を立て直そうともがくクローゼ機を、ニコはイェーガー機の背中越しに捉えた。そしてニコは標的をロックすると同時に躊躇う事なく引き金を引いた。
クローゼ機の胸部に三つの弾痕がつくと同時に、その背後から爆炎が吹き上がった。背後の射出口から機体の破片を周囲に撒き散らしながら、クローゼ機は宇宙空間を漂い、そして完全に沈黙した。
「クローゼ?───クローゼェェェ!」
目の前で僚機が撃破された事を知ったグロムルは、瞬時に反撃しようとライフルを構えた。イェーガーも同じく対艦ライフルを構えるのだが、ライフルはクローゼの斬撃に拠って激しく損傷している。
「よくもクローゼを───消えろグリフォン小隊!」
「イェーガー大尉、回避を!」
「駄目だ、シャトルに弾が───」
ニコはゆっくりと時間が流れて行くような奇妙な感覚に陥りながら、何故かオリガの思念が脳内に流れ込んで来たような錯覚を感じていた。
誰でもいい、私に撃てと命令してくれればそれでいい
一瞬オリガの心の声が聞こえたような気がした。ニコは《アイランドイフィッシュ》上でガスタンクを躱した時の声を思い出し、オリガがこの状況を知らない筈がないと確信を持った。
「オリガ──────撃てぇ!」
ニコがそう叫ぶと同時に、オリガが短く「ダー」と応えたような気がした。その瞬間、グロムル機が眩い光を放ち、夥しい破片と共に爆散した。機体中央に大きな穴を穿たれたグロムル機が、小惑星の欠片にぶつかって反転し力無く漂っている。
「ああ、何て事だ。同じジオンの軍が同士討ちするなんて───」
「アンディ・ギグス、と言ったか?君が気に病む必要はない。我々は攻撃を受け、ただ単にそれを排除しただけなのだからな」
「しかしそうは言っても───」
「我々は成すべき時に成すべき事をしたのだ───ラトバラ、グレネードを持ってここに来れるか?」
「ギグス、そろそろコロニーが移動を開始して、周辺に展開している艦隊が動き始める」
「ああ、わかった。モルゲンレーテの準備はもう出来てる。いつでも大丈夫だ」
「イェーガー大尉、海兵隊機はどうしますか?」
「海兵隊機は私とラトバラで爆破処理する。クロフトとソーニャの両名はモルゲンレーテの射出に集中しろ」
「はっ、了解しました」
二機のザクCはモルゲンレーテを挟み込むように対峙すると、ニコはメインバーニアの推力レバーに手を掛けた。
「ギグス、ソーニャ、いいか?タイミングが少しでもずれたらモルゲンレーテは宇宙の藻屑になる」
「ギグスはプロペラントの残量を計算しながら、暗礁宙域を飛び出す直前に燃料を切って。熱源なしで慣性飛行している内は恐らく追跡は受けない」
「シャトルが燃料噴射を切ったら、俺とソーニャが同時に離脱する。いいかソーニャ、時計を合わせろ」
「いずれにしても、こいつはギャンブルには違いない。ただこれしか方法がないなら、これに全てを賭けるしかないよな。頼むぜお二人さん!」
眩い光を発しながらモルゲンレーテのバーニアに火が入った。アンディ・ギグスはサイド6に向けて軌道を微調整しながら、推力を少しずつ開けて行く。
「なあ、クロフト中尉?」
「ん、ギグスどうした?」
「俺は無事にジオンに帰れたら、実は従軍しようと思ってる」
「ああ、そうだったのか。ギグス程の腕なら間違いなく歓迎されると思うぞ、まあ配属先にも拠るだろうが」
「それでその、MS?そいつに乗るにはどうしたらいいんだ?」
ギグスが柄にもなく照れた様子でそう言うと、ソーニャが堪らずにぶーっと吹き出した。
「ちょっと何よあんた、実はザクに興味津々て訳?」
「戦争なんかが始まったんじゃ、密輸稼業も商売上がったりなんだよ!」
「まあそうだな、士官学校に入ってMS教練を受ければ確実だが、戦争が始まった今なら下士官でも乗れる可能性は高い。何しろパイロットは今でも足りてないからな」
「まあ仮に下士官でも戦時任官された後に士官教育ってパターンもあるし、後は本人のやる気次第じゃない?」
「おい、でも間違っても突撃機動軍の士官学校には行くなよ?」
「どうしてだ?」
「海兵隊と一緒に汚い仕事をしたいのか?俺達は宇宙攻撃軍だ、間違えるなよ」
「ああなるほど、わかった宇宙攻撃軍だな」
「そう宇宙攻撃軍よ、アンディ・ギグス船長代理。また一緒に飛べる日を楽しみにしてるわ」
「了解した。モルゲンレーテ出力八十七パーセント、燃料カットまで十五秒」
「ソーニャ出力全開、最大戦速まで行くぞ」
「ニコ、フランが───」
フラン?ニコはそう言われてアオイの脚にしがみついていた小さな女の子をすぐ思い出した。
「───フランがこっち見てる、あの子私に手を振ってる!」
「モルゲンレーテ出力九十九パーセント、燃料供給バルブ遮断、暗礁宙域離脱まで十ニ秒」
「ソーニャ行くぞ───三、ニ、一、グリフォン小隊離艦する!モルゲンレーテ進路そのまま、貴艦の航海の無事を祈る!」
アイランドイフィッシュの避難民百余名の運命を乗せて、モルゲンレーテ号はリーア宙域へと飛び立って行った。ニコとソーニャはそれぞれの機体を減速しながらそれを見送ると、他のグリフォン小隊が待機している暗礁宙域を振り返った。
「ニコ、あの艦無事にリーアに行けるかな、大丈夫よね?」
「ああ、あのギグスの腕なら心配ないさ、大丈夫だきっと」
うんそうよね、とソーニャは呟くとモルゲンレーテが飛び去ったリーア宙域へと目を見やった。
「なあソーニャ、そう言えばよくあのタイミングでヘルメットを外したな」
「え?いくら貨物船だって空気清浄用のフィルターくらい付いてるでしょ?」
良く言えば無邪気とも言えるソーニャの何気ない一言に、それを聞いたグリフォン小隊の全員が絶句した。
「え、何よ?私何か悪い事でも言った?」
「あのな、あの手の貨物船に付いてるフィルターはな、あくまでも粉塵除去用で、毒ガスに対する効果は全くないんだぞ?」
「はぁ?───ちょっと、それ何でもっと早く言わないのよ!」
「止める間もなかっただろ!」
「危うく死んじゃうところだったじゃん!」
「それはこっちのセリフだ、ばかかお前は!」
グリフォン小隊の創設時から、最早恒例になりつつあるニコとソーニャの痴話喧嘩が始まったところで、暗礁宙域外縁で小隊の全機が集合した。
「まあまあ二人ともいい加減にしとけよ、ワルキューレから電信が入ってる。ヒュンメルに帰還してコロニーの護衛に付けとさ」
「ルナ2からティアンム艦隊がこちらに向かってるそうだ、恐らく大気圏突入時に会敵する事になる。各員これからが正念場になる、気を抜くなよ」
ヒュンメルの座標を確認してグリフォン小隊機が飛び立って行く中、ニコはクェジェリン暗礁宙域を振り返った。そしてそこが自らが辿る事になる、数奇な運命の始まりである事に誰も気付く事はなかった。