ジオン独立戦争 グリフォン小隊 虹のキセキ   作:Rosso

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重力の鎖

 

 

 母艦ヒュンメルに格納され何時間か振りにヘルメットのシーリングを解いて、オリガ・エレノワの口元に自然と笑みが零れた。

 クェジェリン暗礁宙域で海兵隊機を撃ち抜いた時、ほんの一瞬であれ、ニコ・クロフトと心が通じ合ったように感じたからだ。

 ニコは現在地を尋ねるでもなく、ただ単にオリガに「撃て」と言った。それはあの切羽詰まった状況下で、オリガがそれを把握している前提で成されたものだ。過去に両親を事故で亡くして以来、安穏と生きて来たオリガにとって、それは何にも代え難い人との絆を感じさせるものだったのかも知れない。

 

 帰艦後のブリーフィングでルナ2のティアンム第四艦隊の接近とその予想会敵時間が示された。そして先のアイランドイフィッシュ上で機体を損傷したヤンネ・ラトバラ以外は、可能な限り睡眠を取るようにイェーガーから命令が下された。ヤンネは自機損壊の罰として、予備機の05ザクを睡眠時間を削ってセットアップしろと言う事らしい。

 オリガはソーニャと相部屋でもある個室に戻ると、自分のカプセルの中に潜り込んで体を固定した。少しでも寝ようと目を瞑るのだが、そう思えば思う程余計に目が冴えるような気がした。気晴らしにソーニャに何か話し掛けようとしたが、その内ソーニャの寝息が聞こえて来てそれも叶わない。しかし静まり返った部屋の中ですやすやと眠るソーニャの寝息を聞いていると、いつの間にかオリガもまどろみの中へ引き込まれて行った。

 

 ───オリガは自分を取り巻く周りの風景が、赤く燃え盛っているのに気付いた。呼吸をする度に熱い大気が肺を焦がすように、重くのしかかって来る。

 オリガは完全に立ち竦み、その場から動く事すら出来ない。余りに多くの哀しみの念が、火災旋風のように渦を巻いている。誰かに助けを求めようと試みるのだが、喉は焼け焦げていて声は出ない。

 大気はひたすら重くその圧力でオリガは押し潰されて行く。やがて限界まで大気に押し潰され、狂気にも似た叫びと共に事切れる瞬間───

 

 オリガは目を覚ました。全身が冷たい汗でしっとりと汗ばみ、心臓の鼓動が早鐘のように高鳴っている。

 こんなに酷く不快な目覚めは今までの記憶にはなかった。時間は確認するまでもなく、眠りに落ちてから一時間も経って居ないはずだ。オリガは赤く燃え滾った空が落ちて来るような残像を思い出し、まさかとカプセルから飛び出した。

 個室に設けられた小さな窓から、遠く月上空を飛ぶアイランドイフィッシュが見えた。何基もの核パルスエンジンに拠って、地球に向かって何の問題もなく加速しているように見える。次の作戦行動開始までにはまだ時間がある、しかし熱に握り潰されるような悪夢の印象が意識から離れない。ソーニャは何やら寝言を言いながらまだ寝ているようだ。オリガは再び寝るのを早々に諦めると、ノーマルスーツに袖を通し、食堂を経由してヤンネ・ラトバラが作業しているであろう格納庫へ向かった。

 

 ニコはコクピットの中でプログラム修正を行うシモンとヤンネを覗き込みながら、不意に欠伸をしようとしてオリガの姿を認めた。オリガは手にしたシリアルバーをひらひらと見せつけると「はい差し入れ」と差し出した。

「オリガどうした、まだ寝ててもいいんだぞ」

「うん、さっきまで寝てたんだけど変な夢を見て───」

「変な夢?」

「何て言うかその───」

「ソーニャは?あいつはまだ寝てんのか?」

 オリガはどう説明していいものかと言葉を選んでいる内に、矢継ぎ早に返されて意気消沈し「ソーニャは寝言言いながらいびきかいて寝てる」とだけ応えた。

「そうなんだよな、いびきかく奴に限って妙に寝付き良かったりするよな」

「ねえプログラム修正まだ終わらないの?」

「いやもう終わるんじゃないか、なあシモン───」

 そう言い掛けたニコの表情が凍りつき、その視線を追ってオリガは恐る恐る振り返った。するとそこには寝ていた筈のソーニャが仁王立ちしており、ソーニャは壁を蹴って無重力の中を魚雷のように真っ直ぐに突っ込んで来た。

「オリガこらぁ!誰がいびきかいてるってぇ?」

 ソーニャはニコに体当たりするようにして慣性を相殺すると、間髪入れずに立ち上がりオリガの頬をつねり上げた。

「イテテ、おいソーニャ、その人間魚雷みたいな移動は危ねえから止めろって言ったろ!」

「うるさいわね、私がいないとすぐこれだ!」

「お前いびきかいて寝てたんじゃねえのかよ?」

「私いびきなんかかいてない!」

「だって私が部屋出る時ふがふが言ってたもん」

 それを聞いたシモン・ラファールがコクピットの端末から顔を上げると「ふがふがって、豚かよ」とボソリと呟いた。ソーニャはその一言にぴくりと反応すると、今度はコクピットの中に突進して行く。

「ちょっといいシモン?豚さんはね、ああ見えて体脂肪十パーセント以下の全身筋肉質なの。それにね、豚さんは私達の為に一生懸命に飼料を食べて頑張ってる訳。その豚さんを馬鹿にするような物言いは私ちょっと許せない、おいシモン豚さんに謝れぇ!」

 そう言ってシモンに掴み掛かるソーニャを見て、オリガはなんて酷い言い掛かりだと思った。シモンの呟きのどこにソーニャを逆上させる要素があったのだろうと考えると、オリガは途端に笑いが込み上げて来て腹を抱えて笑った。

「もう止めてよ、私お腹痛い」

「ソーニャいい加減にしろ、お前うるさいからもう一回寝て来いよ」

「いやよ!何か変な夢見るし、びっくりして起きたらオリガはいないしさ───」

 変な夢?それを聞いてオリガはニコと顔を見合わせた。

「───何か空が真っ赤に燃えていて、押し潰されそうになんの。すごい息苦しくってさ、まじびびったんだから!」

 ソーニャの言葉にオリガは凍り付きそうになった。ソーニャも同じ夢を見ていた?

「まあアイランドイフィッシュでイヤなもの見ちゃったからね、その影響かなとは思うんだけどさ」

 それは違う、とオリガは思った。何故ならソーニャは間近でアイランドイフィッシュの惨状を目撃しているが、オリガは直接的にはコロニー内部を目にしてはいない。

 偶然の一致にしては出来過ぎている気がした。そしてあの夢が暗示するような近しい未来の姿は、決して喜ばしい状況ではない。

「これから連邦の艦隊と対峙するって時によ、縁起でもねえ事言ってんじゃねえぞ」

 コクピットの後ろから現れたヤンネが冷やかしを入れる。

「もしかしたら予知夢とかだったりしてな。ソーニャ、まさかお前ニュータイプかよ」

「ふざけないでよ、私本当に息が止まるかって思うほどヤバい夢だったんだから!」

 ニュータイプ?ヤンネの冷やかしを聞いてニコとシモンは顔を見合わせると、途端にげらげらと笑い出した。

「オリガならともかく、ソーニャがニュータイプ?ないない、ありえねえよ」

「失礼ね、私がニュータイプで何の問題があるってのよ」

「お前みたいに脳みそも筋肉で出来てるようなニュータイプがいてたまるかよ」

 ソーニャはそれを聞いて不満げに「ふんっ!」と鼻を鳴らすと、05ザクの胸部装甲を蹴って自分の機体へと飛んで行った。

「そう言えばオリガも変な夢見たとか言ってなかったか?」

「あの私───」

「いやあ、終わった終わった。基準機と狙撃型って意外に変更点沢山あるのな、シモンいて助かったわ。ニコ、お前は何の役にも立たなかったけどな」

「狭いコクピットに男三人もいりゃ息苦しいだけだろ───で、オリガ何だって?」

「いや、いいの。何でもないから」

 力なく愛想笑いをするオリガを見て、ニコは眉をひそめた。ソーニャが夢を見た話をしてから、オリガはあきらかにそわそわして様子がおかしい。

「おいオリガどうし───」

 ニコの呼び掛けは格納庫に鳴り響く警報音とそれに続く艦内放送に掻き消された。

『グリフォン小隊各員に告ぐ、0400から出撃ブリーフィングを行う。サブブリッジに集合しろ』

「やれやれ、結局仮眠はなしか。みんな、サブブリッジに行くぞ」

 

 サブブリッジに集合したグリフォン小隊の隊員を見て、イェーガーは不満げに顔をしかめた。僅か数時間とは言え、与えた筈の仮眠を誰も取っていないように見えたからだ。

「衛星軌道上の偵察部隊から報告が入った。ルナ2からマクファティ・ティアンム少将率いる第四艦隊が、そしてルウム近海に展開していた第八艦隊がこちらに向かって来ている───」

 ニコはイェーガーの話を聞きながら、横目でオリガの様子を盗み見た。オリガはしっかりと正面を見据え、その様子はいつもと変わらないように見える。ニコは考え過ぎかと頭を振り、イェーガーの説明に戻った。

「───第四艦隊はコロニーの地球降下阻止の為、核魚雷を装備していると考えられる。我々の任務はコロニーから連邦艦隊を遠ざけ、その攻撃を封印する事にある。何か質問は?」

「我々の装備は対艦砲などに限定されると言う事ですか?」

「そうだ、しかし後の作戦との兼ね合いから核弾頭の使用は見送られる事になった。通常弾頭では厳しいものがあるが、撃沈が第一の目的ではないと言う事を各自頭に入れておけ」

「了解!」

「それともう一つ、個人的なスタンドプレイは絶対に許さん。任務を遂行する事で個人の戦績など勝手に付いて来る。我々グリフォン小隊はチームとして作戦に従事する、わかったなソーニャ?」

 ちょっと何で私だけ名指しなのよ?とソーニャが悪びれもなく呟いた。ニコはその物言いに半ば驚きながら「お前が一番危ないって事だろ、黙って言う事を聞いとけよ」と言うと、即座に脇腹にソーニャの肘が飛んで来た。

「どうしたクロフト、具合でも悪いのか?」

「いや、あの、さっき食べたレーションが体に合わなかったみたいで」

「まったく、機体の整備と同じく各自体調管理にも気を配れ。私からは以上だ、グリフォン小隊解散!」

 サブブリッジから格納庫に戻る途中で、ニコとソーニャの不毛な小突き合いが始まった。後方からそれを見ていたオリガは溜め息をつくと、小隊の後を追った。

 

 アイランドイフィッシュは核パルスエンジンに拠ってまず月に向かって加速し、月スイングバイに拠って更に加速して地球へと向かっていた。途中ルウム近海に展開していた第八艦隊の雷撃戦隊の攻撃を受けるものの、相対速度にかなりの開きがあった為に、攻撃は限定的であり殆ど影響はないと思われた。

 問題はティアンム率いる第四艦隊だった。第四艦隊は高度百二十キロの宇宙と大気圏の境とも言えるラインを、第一宇宙速度を維持したまま迎撃して来ると予想されていた。ティアンム艦隊を下方から攻撃しようとすると、減速した時点で地球の重力に捕まり、大気圏に引き摺り込まれてしまう。つまりティアンム艦隊は下方からの攻撃を殆ど気にする事なく、上方に対空砲火を集中させコロニーに攻撃を仕掛ける事が出来る。だがそれは諸刃の剣のようなものだった。むしろその当落選上を維持しなければならない連邦艦隊の方が危険度は高い。

 大気のない宇宙空間では核に拠る攻撃は効果が薄い為、そこまで高度を落とさなければいけない事情が連邦艦隊にはあった。またコロニーの降着目標がジャブローである事ははっきりしている以上、他の選択肢がティアンム艦隊にはなかったのだ。

 完全に虚をついたコロニー駐留軍との戦闘などとは、比較にならない激戦になると誰もが思っていた。

 連邦軍でも名将と名高いティアンム少将が、背水の陣を敷いてまさしく死に物狂いでやって来るのだ。ニコ達グリフォン小隊は狭いコクピットの中で、永遠にも思える待機時間を過ごしていた。

 

 突然格納庫内が慌しくなった。サイレンが鳴り響き、非常警告灯にはノーマルスーツ着用の文字が踊っている。

 与圧されていた格納庫の空気が減圧されるに連れてサイレンは聞こえなくなり、ゆっくりと圧力隔壁が開いて行く。遂にその時が来た、アイランドイフィッシュ周辺に展開している宇宙攻撃軍に出撃命令が下されたのだ。

 ニコは火器管制システムをチェックしながら、やはり物憂げなオリガの表情が気に掛かっていた。圧力隔壁が開いて外部シャッターが開放されるまで、まだ多少の猶予があった。ニコは意を決してコクピットを飛び出すと、オリガの乗る05ザクの元へ向かった。

「オリガちょっといいか?」

 オリガはシステムチェックを終えてコクピットハッチを閉めようとした時、ニコの存在に気付いた。

「ニコ?もう発艦する時間よ、どうしたの?」

「さっき様子がおかしかったからな、戦闘の前に不安は取り除いた方がいいかな、と思って」

 オリガはニコに見透かされている事を知って赤面すると、バツが悪そうにもじもじしながら生体モニターをオフにした。

「色々考えてたら、私わかんなくなっちゃって───」

「わからないって、何が?」

「例えばコンスタンティン撃沈の時はジオンの正義の為って思えたんだけど、アイランドイフィッシュ攻撃に関しては全然理解出来ないのよ」

 ニコはオリガの吐露に対して軽い衝撃を覚えた。何故ならそれはブリティッシュ作戦に参加した多くの将兵が抱える事になる、大いなる矛盾を内包した事実だったからだ。ジオンの軍上層部の真意が何処にあるのか、頭の中に疑問符を抱きながら作戦に従事しているのはほぼ間違いがない。

「でもわかってる、わかってるの。私はジオンの軍に所属するパイロットで、ただ命令に従って敵を撃滅するばいい。だけど───」

 つまりオリガはジャブローにコロニーを落とす為に、同胞である筈のスペースノイドを虐殺する事の何処に大義があるのかと言いたいのだ。

「───私がしている事が本当に正義なのか、本当にわからないのよ。もしかしたら、とてつもなく恐ろしい事に加担しているんじゃないかって」

 ソーニャ・カミンスカヤが感情のまま即応するのとは対照的に、オリガは極めて論理的な事象の捉え方をするのだとニコは感心した。思えばオリガ・エレノワはまだ二十歳にも満たない、少女と言っても差し支えのないあどけなさを残している。

「オリガ、アイランドイフィッシュで起きた事は残念だった。でも歴史にもしかしたらはないんだ、今ここでそれを悔いても彼らが生き返る訳じゃない」

「じゃあ地球の人達はどうなるの?あの押し潰されるような空が燃えて落ちて来るのよ───」

 ニコは目を見張り、そして自分の耳を疑った。「空が落ちて来る」とオリガは間違いなくそう言ったのだ。オリガもソーニャと同じ夢を見ていた?出撃前にオリガがこれ程神経質になるきっかけが、その夢の存在である事はほぼ間違いないように思えた。

「なあオリガ、それならこう考えてみてくれ。俺達ジオンは何の為に戦っているんだ?」

「分かりきった事聞かないでよ、ジオンの独立の為でしょ」

「そうだ、それなら今はあのコロニーをジャブローに落とし、この戦争を終わらせて独立を勝ち取るのが最優先されるべきじゃないか?」

「それはそうだけど、でも───」

 ちょっとニコ、何やってんのよ!さっさと出なさいよ、後ろ詰まってるんだから!オリガの反論は騒がしいソーニャの無線に掻き消された。

「考える事はいつでも出来る。切り替えろよ、連邦艦隊に足元を掬われないようにな。わかったか?」

 オリガは明らかに納得していない様子だったが、こくりと頷くとニコが機体から離れたのを確認してコクピットハッチを閉めた。

 ニコはオリガの発言に対して否定も肯定もせず、角を立てる事なく受け流しているように感じていた。小隊の副長と言う立場上仕方ない事なのかも知れないが、オリガにとってはその場凌ぎの的外れな言い訳としか思えなかった。

 切り替えろ、ですって?それが出来ないから困ってるって言うのに!

 オリガは収束するどころか更に加速して行く苛立ちを抱えて、漆黒の海へ飛び込んで行った。

 

 ムサイ級ヒュンメルの格納庫中央のウェポンラックから、ニコのザクCはA2バズーカを手に取った。そして今は開放されている格納庫の出入り口にザクの歩を進めた。

「グリフォン小隊ニコラス・クロフト、出るぞ」

 サブスラスターを噴射して母艦から距離を取ると、ニコはメインバーニアに点火して小隊の集合座標へ向かった。ヒュンメルと並走する何隻ものムサイ級からMSが次々に飛び出して来るのが見える。

 遅れて小隊に合流してすぐに、イェーガーが機体を接触させて来た。音を伝達する物質がない真空では、それぞれの機体を接触させる『お肌の触れ合い会話』が有効だ。通信を伴わない為に、その会話を他に聞かれる心配もない。

「クロフトどうかしたのか?」

「オリガが少しナーバスになっているみたいで」

「オリガが?珍しい事もあるものだな。まあアイランドイフィッシュの件もある、多少の動揺は致し方あるまい」

「そうは言ってもオリガはまだ若いですから、作戦行動に影響なければいいですが」

「ジオン女学校を二学年飛び級して来たのだぞ、オリガなら自分で答えを見つけるだろう」

「ならいいんですが───」

 イェーガーはニコの言葉をただの杞憂であると一笑に付す事もできた。しかしニコの憂慮には根拠があり、前例があったのをイェーガーも思い出していた。

 

 オリガがグリフォン小隊に配属されて程なく、ハイデルベルク号拿捕事件があり、連邦の軽巡コンスタンティンを撃沈したオリガは時の人となった。オリガの活躍はジオン士官学校の優秀さを立証するものとして、国内外に喧伝する為に積極的にプロパガンダに利用されたのだ。本来の任務とは掛け離れた業務に謀殺されたオリガは、次第に精神的に疲弊して行った。またその直後に唯一の肉親である祖母が亡くなった事も重なり、訓練に於いても精彩を欠く事が多くなった。

 天才的な閃きを持っていたオリガは優秀であるが故に、自らが招いた結果に拠って精神面での未熟さを露見する事になってしまった。しかし開戦が近くなり、その気配を掻き消したい軍が新兵獲得キャンペーンを取り止めると、オリガは本来の落ち着きを取り戻したように見えた。その矢先にこの開戦があり、そしてブリティッシュ作戦である。

 アイランドイフィッシュでソーニャ・カミンスカヤが見せた衝動と同様の事が、オリガに影響を与えたと考えても不思議ではない。そしてその危険性を予見しているのは他でもない副長のニコラス・クロフトなのだ。

「わかった、観測手でもあるラファールにオリガの行動をよく見ておくように強く言っておく、私も状況を注視しておこう。それで良いな?」

「はっ、ありがとうございます!」

 自機から離れてクロフト機が相棒でもあるソーニャの元へ飛び去って行く。その姿を見送りながら、イェーガーはふっと笑みをもらした。

 

 イェーガーはグリフォン小隊の核はオリガでもソーニャでもなく、このニコラス・クロフトだと思っていた。

 士官学校の成績は凡庸なものだが、テストパイロットを経験し機体の試験評価に於いては抜きん出た才能を持っている。そしてイェーガーですら手を焼くあのソーニャ・カミンスカヤを、何だかんだと言いながらも上手く手なずけている。

 イェーガーはニコの事を『水』のような奴だと思っていた。荒ぶるソーニャを液体のように包み、時には気体のように煙巻き、そして時には友軍の海兵隊ですら躊躇なく撃ち抜く氷のような非情さをも持ち合わせている。あの時、ニコがオリガに撃てと命じなければ、自分とソーニャは貨物シャトルごと穴だらけになっていてもおかしくない状況だった。

 イェーガーにとって不可解なのは、何故あの時オリガが目標を捉えているとニコが把握していたのか、と言う事だ。ニコはオリガに対して現在地の確認すらしていない。単純にその余裕が無かっただけかも知れないが、イェーガーとしてはニコが何らかの確信を持ってオリガに命じたような気がしてならなかった。

 小隊が帰還した後、イェーガーはその功績を称えようと二人を呼び止めた。ところがオリガは「誰かわからなかったが、撃てと言われたから撃った」と言い、ニコに至っては無我夢中で覚えていないと言葉を濁していた。

 そそくさと格納庫を後にする二人を見て、イェーガーは二人とも嘘を吐いていると看破していた。恐らくそれは一般的には理解し難い、言葉に起こすのが難しい事なのだろうと思っていた。つまり直感や第六感と言った類の精神的な閃きの事だ。

 戦局が膠着しそれぞれの技術や戦力が拮抗していた場合、最後の決め手になるのは直感や精神力になる事をイェーガーはよく知っていた。そしてそれは時間と共に誰でも獲得出来るものではなく、生まれ持った天性に拠る部分が大きいとも思っていた。

 些細なきっかけから、コロニー公社に内定が決まっていたニコ・クロフトを見い出し、そしてテストパイロットにまで引き上げたランバ・ラルの先見の明を、改めて感嘆せざるを得なかった。そしてイェーガーはこの戦争を通じて自分の命を救った部下達の行く末を、この目で見届ける必要をひしひしと感じていた。

 ニュータイプか、もしかしたらニコラス・クロフトのような奴の事を言うのかも知れんな。

「イェーガー大尉、アイランドイフィッシュが降下軌道に乗りました、ジャブロー直撃コースです!」

 イェーガーはコロニーに対し熾烈な攻撃を加える連邦艦隊の中心に舵を切ると、グリフォン小隊の先陣を切って突っ込んで行った。

 

「一体どうなってんだよ、連邦の艦隊に押し込まれてるじゃねえか!」

 ヤンネ・ラトバラが驚くのも無理は無かった。連邦艦隊を迎え撃った海兵隊機は一部を除き、その殆どが冷却材の入った外部タンクを背負っていた。耐熱コーティング作業が予定よりも長引いたか、連邦艦隊の到着が思っていたよりも早かった、又はその両方の理由で海兵隊機は余分なペイロードを背負ったまま迎撃に出たのだ。

「海兵隊の奴ら口ほどにも───」

 シモン・ラファールはメインカメラの望遠倍率を上げながらそう呟き、そして口をつぐんだ。

 MSの利点である機動性を犠牲にしながらも、背部に冷却タンクを背負った海兵隊機は果敢に連邦艦隊に攻撃を加えていた。

 アイランドイフィッシュの降下軌道を確定させる為にミノフスキー粒子は散布されておらず、その為に多くの海兵隊機は誘導ミサイルや対空砲火の餌食となっていた。しかし海兵隊はそれでも全く怯む事なく、執拗に連邦艦隊に波状攻撃を繰り返している。事実連邦艦隊は撃破しても撃破しても飛来する海兵隊に、底知れぬ恐怖を感じて恐慌状態に陥っていた。

「───いや、こいつらすげえ。これがジオンの海兵隊なのかよ」

 ある者は厚い対空砲火に阻まれて被弾し、ある者は対空防御の薄い艦底に潜り込もうと高度を落として、重力の鎖に絡まって墜落して行く。それでも海兵隊は食い下がり、絶え間ない攻撃を仕掛けている。被弾して損傷した機体を除いて、戦線から離脱する機体は一機たりともいない。それは厳しい訓練に拠って培われた、海兵隊の統率の高さを見事に現していた。

 連邦艦隊の先頭を航行していたサラミス級が遂にメインエンジンに被弾し、炎を噴き上げながら戦列から離脱して行く。サラミスが失速し大気圏に沈没して行くのを見届けると、海兵隊機は次々と他の艦に目標を変えて襲い掛かった。それは傷付いた大型の草食獣に牙を立てる、肉食獣の群れのようにも見える。

「何よこれ、何でみんな冷却タンク背負ってるのよ。何で外さないまま戦ってるのよ!」

 著しく機動性を損なう仕様で、次々と撃墜されて行く海兵隊機を見てソーニャが叫んだ。アイランドイフィッシュ上でソーニャと対峙した海兵隊機のように、何故爆砕ボルトに点火してパージしないのかと言いたいのだ。

「ソーニャ、それは出来ないんだ。格闘戦を見越して開発された06ザクと違って、汎用機である05ザクにはその設定がない」

「そんな、そんな事って───」

「我々グリフォン小隊は当初の目的通り艦隊の中心から後方の艦を叩く。我がジオンの理想の為に、その命を賭して散った者達の死を無駄にするな。行くぞ!」

 小隊長イェーガーの号令の元、グリフォン小隊は散開し対空砲火の雨の中に飛び込んで行った。

 

 ソーニャが危惧しその命を散らした海兵隊の働きは、決して無駄死になどではなかった。その証拠に執拗な攻撃に手を焼いた連邦艦隊は混乱し、その戦列を乱し始めている。コロニー攻撃に集中出来ないと判断したティアンムは、何隻かのサラミス級を迎撃に振り分け反撃に打って出ていた。

 連邦艦隊がコロニー攻撃と迎撃に艦隊を振り分けた事で、対空砲火は更に熾烈を極めた。戦端を切り拓こうと飛び込んだニコとソーニャでさえ攻めあぐね、連邦の艦に中々接近出来ずにいた。

「グリフォン小隊各員に告ぐ、連邦艦隊の進行高度が予想より十キロ低い、各自高度の維持に務めろ」

「一機でも多く地獄に道連れってか、趣味が悪いねえ」

「ソーニャ、ミノフスキー粒子の濃度が薄過ぎる。誘導ミサイルに気を付けろ」

「そんな事言ったって、何処から潜り込めばいいのよ!」

「どうしたソーニャ、怖じ気付いてるのか?」

「はあっ?誰に向かってもの言ってんのよ!」

 ソーニャの闘争心に火を付けるニコの言葉に、イェーガーはにやりとほくそ笑んだ。

「私はグリフォン小隊二番機、ソフィア・カミンスカヤだ!」

 ニコが立て続けに放ったバズーカの弾頭が、サラミスの艦橋近くに命中し爆炎を上げた。ソーニャはその間隙を突いて艦橋に取り付き、ヒートホークの刃先をメインブリッジに叩き込んだ。

「これだけコロニーに近いと連中も核魚雷を撃てない、ソーニャ主砲とメインエンジンを狙え」

「主砲とメインエンジン?───方向が逆じゃない!」

 命じたイェーガーとニコの脳裏に疑問符が浮かんだ。

「誰が同時にって言ったんだバカ、順番に片付けりゃいいだろ」

「ああ何だそう言う事?もう、早く言ってよ!」

 自動ファランクスに追尾されたソーニャはその対空砲を蹴り潰すと、艦から離れ様にバズーカをサラミスの主砲に命中させた。

「ちょっと誰よ、どさくさに紛れてバカとか言ったの。後で頭引っぱたいてやるから!」

 悪態を吐くソーニャにニコが応えようとした時、不意に高度の下限設定アラームが鳴った。

 

 シモン・ラファールはチャフやフレアを駆使して誘導ミサイルを排除し、オリガに最適な狙撃ポジションを作ろうと躍起になっていた。敵艦の高度や速度を計算しながら弾道を割り出し、最小のリスクで最大の効果が得られる場所を探索していたのだ。

 幾度目かの対空砲の火線を回避した時、シモンは同じように回避行動を取るオリガ機を見やった。小隊が合流して散開する時、シモンはイェーガーにその行動をよく見ておけと厳命されていた。

 ニコがオリガの不安定さを危惧しているとイェーガーは言ったが、シモンには別段変わったところはないように思えた。機体の動きも悪くない、無線のやり取りにも不安定さはまるで感じられなかった。

 ───まあオリガはジオンの英雄だからな、心配する気持ちは判るがちょっと過保護すぎやしないか?

 ソーニャが艦に取り付いて艦橋と主砲を破壊した後、サラミスの対空砲が前方へと一斉に偏ったのをシモンは見逃さなかった。そしてその時に異変は起きた。

 艦の右舷後方に回り込んだオリガは、慎重に狙いをつけ初弾を発射した。シモンは我が眼を疑った、ベストポジションに居る筈のオリガが狙いを外したのだ。

 シモンもオリガ自身も初めは不発だったのかと思っていた。オリガはすぐさま排莢して次弾を装填し、続けて何発か撃ったが結果は同じだった。

 高度百キロでは大気は希薄な為に殆ど影響はないが、重力の影響は実は地上とさほど変わらない。勿論オリガがそれを知らない筈はないし、疑似重力下のコロニー内部や月面上での狙撃訓練も経験している。例え初弾を外したとしてもオリガは直ぐに修正し、次弾以降は必ず的を撃ち抜いていた。そのオリガ・エレノワが狙撃に失敗したのだ、それも立て続けに何発も。

 シモンはオリガの持つMN-76の不具合を疑ったが、当のオリガはその原因が自身にある事に気付いていた。何度もフラッシュバックのように『焼け爛れた空』が脳裏に現れ、出撃前のニコとのやり取りも相まって、オリガは完全に冷静さを失っていた。

「シモンごめん、狙撃位置を変えるから───」

 オリガはぼそりとそう呟くと、止める間もなく対空砲火の中へ飛び去って行った。シモンは直ぐにオリガを追い掛けたものの、完全に見失い顔面蒼白になった。

 単独行動を厳しく禁じられている上、イェーガーにオリガの行動を見張っておけと言われているのだ。ニコが指摘したオリガの不安定さが、暴走と言う最悪の形で的中する事になってしまった。そして対空砲火を掻い潜りながらオリガを探すシモンの機体も、ニコと同じく高度下限アラームが鳴り始めた。

「やばいよ、オリガお前の機体はやばいんだって!」

 シモンは何度もオリガに呼び掛けたが返答はなかった。

 まさかオリガが撃墜されたとは思えないが、その可能性も捨て切れない。艦後方からの狙撃ポイントには限りがある、オリガと連絡が取れない以上シモンは虱潰しに探すしかない。

 シモンは「過保護」と簡単に割り切っていた自分の浅はかさを呪い、オリガ捜索の為に幾度となく対空砲火の中へ飛び込んで行った。

 

 ソーニャがメインブリッジを潰したサラミスは、生き残った将官に拠ってサブブリッジに操舵を移管し、しぶとく航行を続けていた。イェーガーが止めを刺そうとグリフォン小隊に号令を掛けようとした時、高度下限アラームが鳴った。

 連邦艦隊はジオンのMS部隊を引き連れながら、高度を高度百キロのカーマンラインまで少しずつ落としていた。

 撃沈には至らなかったものの、メインブリッジを破壊し、対空防御を無効化した事でイェーガーは満足していた。当初の目的であったように、サラミスの主砲をほぼ封印し艦隊の戦列から引き剥がしたのだ。更なる深追いは無用だった、戦闘能力を失った艦の乗組員を無駄に殺す必要もない。

 傷付いたサラミスを見送るグリフォン小隊の元に、シモン・ラファールの無線が飛び込んで来た。シモンと一緒に居た筈のオリガが「何処を探しても居ない」と言う。

「そんな馬鹿な話があるか!全員で探せ、探すんだ!」

 イェーガーの怒号と共にオリガの捜索が始まった。オリガの05ザクも高度下限アラームが鳴っている筈だ。オリガが生きているなら周辺のカーマンラインより上空に居る筈なのだが、やはり何処にもオリガの姿はない。

「シモンあんたオリガの観測手のくせに何やってんのよ!もしオリガに何かあったら───」

「ソーニャ止めろ、そんな事言ってる場合か!」

「だってオリガが、もしオリガが───」

「今シモンを責めて何になる、オリガが簡単に敵の弾を食らう筈ない!」

「じゃあ何処に居るってのよ!オリガは───」

 ソーニャのヒステリックな叫びと同時に、眼下のサラミスのエンジンが被弾し爆炎をあげた。ニコとソーニャの口論を他所に、サラミスの後方を注視していたヤンネのザクが指を差した。

「なあ、サラミスの後方にザクが居るけど、あれまさかオリガじゃないよな?」

 グリフォン小隊のザク全機のモノアイが、その指差す方向へ動いた。

「あんな低い位置にオリガが居る筈ないよな?なあ、誰かそうだって言えよ!あれ、オリガじゃねえよな?」

 

 オリガは『焼け爛れた空』の印象に苛まれ、立て続けに狙撃に失敗した事で出口のない迷路に迷い込んでしまった。コロニー落としは悪魔の所業ではないのかと自問自答した挙げ句、泥沼のような精神の深淵に引き摺り込まれていた。一方ではジオンの英雄と祭り上げられた自分に対する期待と、考えられる悲劇的な結果の救いようの無いジレンマに陥ってしまったのだ。

 シモンに何と言ってその場を離れたのか、思い出せない程オリガは混乱していた。

 ───右舷後方からの狙撃には失敗した、そうだ重力の影響を考えていなかった。距離が問題ならその距離を詰めてしまえばいい。

 撃沈に拘る必要はないと言ったイェーガーの言葉も忘れていた。連邦の艦は大気圏と宇宙の境ぎりぎりを飛んでいるのだ、艦のアシを止めれば勝手に大気圏に沈んで行く。

 ───ニコがコロニーをジャブローに落とせば戦争は終わると言った。あのニコ・クロフトが間違った事を言う筈がない。このサラミスを沈めてコロニーを落とす、それでこの間違った戦争は終わる。私が終わらせるんだ!

 オリガはサラミスの後方から接近し、対空砲火を掻い潜りながら狙撃ポイントを探した。弾道を計算しながらミサイルを回避し、また弾道計算をやり直すと言う行動を繰り返した。

 ───シモンは毎回こんな事をしてくれていたの?対空砲火を回避しながら狙撃ポイントを探して弾道計算と観測も?あの人もしかして天才なんじゃないの?

 オリガはそれまでシモンに委ねていた事を全て自分独りで経験する事で、改めてシモン・ラファールの存在の大きさを再発見する事になった。

 オリガは幾度となく接近を試みたが、最適な狙撃位置を確保できずにいた。そしてそんな時オリガは奇妙な事実に気付く。

 対空砲を避けて艦底の後方に回り込んだ時、全く攻撃を受けなかったのだ。しかもその位置からは艦底が丸見えと来ている。オリガは地上に背を向けるように仰向けに機体をロールさせると、対艦ライフルを構え弾道計算のキーを叩いた。

 

「なんて事だ、オリガその位置じゃダメだ。その機体じゃダメなんだよ」

 シモン・ラファールが弱音を吐くところなど、誰も聞いた事がなかった。そしてそれはオリガが置かれた状況が、窮めて困難である事をグリフォン小隊の全員が悟る事にもなった。

「シモンどう言う事なの?オリガの一体何がダメなのよ」

「06ザクならともかく、オリガの05ザクではあの高度を維持出来ない───」

「ウソ、そんなの嘘よ。だってオリガが下限アラームに気付かない訳ない」

「───推力が足りないんだ、恐らくずっと全開で飛んでいる筈だ」

「ふざけないでよ!それじゃあオリガは───」

「いずれプロペラントが尽きて地球に落ちる」

「シモン貴様ぁー!」

「止めろ!口論なんかしてる場合か、解決法をみんなで考えろ!」

 イェーガーはそう言ってその場を収めたものの、イェーガー自身良さげな解決法は思い付かない。

「大尉暫定ですがこの前ニコとソーニャがシャトルを挟み込んだように計算してみました。二機のザクCなら辛うじて高度は維持出来ます。ただ上昇するまでにプロペラントが持つかどうか───」

 ヤンネが弾き出した答えは、ソーニャにとっては死刑宣告にも等しい残酷な事実だった。例え一時的に高度を維持出来たとしても、プロペラントは無限ではない。それは誰か二人がオリガの元へ駆け付けても、全員助からないと言う可能性の高さを示していた。

「オリガ見えるところに居るんだよ?それなのに何で助けに行けないのよ!」

「ソーニャ、お前の気持ちも判るが───」

「イェーガー大尉やりましょう、考えてるだけでは時間の無駄です」

 ニコの言葉にイェーガーは激しく動揺し、言葉に詰まっていた。成功する可能性はゼロではないが、この試みに失敗した場合機体はともかく三人の部下を一度に失う事になる。

「もう無理、私耐えられない。軍規なんてどうでもいいわ、私行くから!」

「ソーニャ勝手な行動は許さんと言った筈だぞ!」

「じゃあどうしろって言うのよ!ここで指を銜えてオリガが燃え尽きるのを見学してろっての?冗談じゃないわ、私のオリガを見殺しにするくらいなら、一緒に焼け死ぬ方がましよ!」

 ソーニャがイェーガーに厳しく詰め寄ると、またサラミスの後部から爆炎が噴き上がった。それを見たヤンネは未だに狙撃を続けるオリガを指差し、そして叫んだ。

「オリガあいつ、まだ諦めてないんだ。オリガ・エレノワは生きる事を諦めてなんかいない!」

 

 オリガは前後に並走している筈のサラミスと、全く距離が縮まらない事に首を傾げた。メインバーニアはほぼ全開であるにも関わらず、寧ろ距離は離れつつある。

 不意に嫌な予感が胸をよぎった。オリガは視界の隅にちかちかと点滅する赤い光を認めて、意を決してそのスイッチに指を伸ばした。その途端にけたたましい警報音がコクピット内を満たし、オリガは酷く驚いて慌ててそのスイッチを切った。それは高度下限アラームの音量スイッチだった。

 オリガはその意味を理解すると、一気に血の気が引いて行った。帰還出来る高度の下限を下回っているのだ。そしてメインバーニアを全開にしても高度の下降は止まらない。つまり地球周回軌道から外れて、アイランドイフィッシュと同じく地上に向かって落下し始めていた。

 何て迂闊なのだろうとオリガは自分自身を責めた。しかしシステムチェックした時は異常はなかった筈だ。

 システムチェック?オリガは出撃前にニコが話し掛けて来た事を思い出した。ニコに動揺を悟られまいと慌てて生体モニターのスイッチを切ったのだ。そして高度下限アラームの音量スイッチはその直ぐ横にある。

 その事実を知った時、オリガは途端に大声で笑い出した。

 ───信じられない、こんな事ってある?

 一頻り笑い終えた後でオリガはふうっと息を吐いた。もうじたばたしてもどう仕様もない、プロペラントが尽きるまで飛んで後は落ちるだけだ。あの『焼け爛れた空』はこの事を示していたのかも知れない。

 そう言えばソーニャも同じ夢を見ていた筈だ、もしかしてソーニャも?オリガは頭を振ってその考えを無理矢理掻き消した。ソーニャはそそっかしいところもあるが、そんなミスはしない。そうだソーニャ・カミンスカヤはそんなヘマなんかしない。

 オリガはやっと出会えた唯一無二の親友ソーニャの事を思って泣きそうになった。もう全てを投げ出して重力に身を任せてしまおうかとも考えた。

 思えば何時の間にか無線は完全に沈黙していた。大気圏に突入して機体がプラズマに包まれると、MSでは通信の手段がない。そもそもオリガはシモンを振り切って来たのだ、オリガの位置など誰も把握していないかも知れない。例え知っていたとしても通信が使えない以上、助けを呼ぶ事も出来ない。そして誰かが助けに来たとしても助かる可能性は皆無に近い。

 オリガは溢れ出る涙を堪え、そして覚悟を決めた。

 助けには来られなくても、もしかしたら落ちて行く自分を誰かが見届けているかも知れない。

 ───不様な格好は見せられない、私はジオンの英雄オリガ・エレノワなのだから。

 オリガは正面に向き直り、再び弾道計算を始めた。そしてサラミスを照準に捉えて、弾倉が空になるまで撃ち続けた。そして遂に最後の弾を撃ち終えた時、ゆっくりと目を閉じて来たるべきその時を待った。

 突然機体に衝撃を受けてがくんと高度が落ちたような気がした。オリガは断熱圧縮が始まった事を悟って、機体の爆散が近いのだと思った。するとまた似たような衝撃があり更に高度が落ちた。オリガは流石に何かおかしいと思ったが、サラミスの破片でも当たったのだろうと無視した。

 ───オリガ?オリガ?

 今度は幻聴が始まったのだと思った。この高度で自分を助けに来るようなバカはいない。

 ───オリガ?オリガ?

 ちょっと待って───オリガは思い出した。自分の最も身近に極めつけのバカが居た事を。

 ───オリガ、ちょっと生きてんの?返事しなさいよ!

 オリガは大きく息を吸い込むと、慣れ親しんだその声にありったけの大声で返事をした。

「生きてるに決まってるでしょ!このばかソーニャ!」

 

 ソーニャがイェーガーに詰め寄っていた時、ニコは姿勢制御用のスラスターを操作して自機をソーニャ機にぴたりと寄せていた。

 ───ソーニャ聞こえるな、行くぞ準備しておけ

 ───ニコ?行くぞって、あんた本気なの?

 ───当たり前だ、オリガを見殺しには出来ない

 ───でもイェーガー大尉が

 ───失敗したら一辺に三人を失うんだ。イェーガー大尉の心情も察しろよ

 ───でもどうやってオリガを助けるのよ?

 ───心配するな、勝算はそれなりにある

 ───それなりかぁ、ゼロじゃないだけましだけど

 ───どうした、もしかしてびびってるのか?

 ───びびってる?誰に向かって言ってんのよ!

 いいぞ、乗って来た。ニコは独り拳をぐっと握り締めた。

「何回言えばわかるのよ、私はソフィア・カミンスカヤだ!」

『お肌の触れ合い会話』である事を忘れて、ソーニャは突然自分の名前を宣言した。イェーガーはぎょっとしてソーニャ機を見た、すると傍らにニコのザクがぴたりと寄り添っている。最早恒例になりつつあるソーニャの口上は、決断を渋るソーニャを焚き付けるニコの常套手段だ。クロフトめ、ソーニャに何か吹き込んだな?

 ソーニャのザクの背後がぽっと明るくなり、メインバーニアに点火したのをイェーガーは知った。ソーニャは相反するスラスターを噴いてホバリングしているが、飛び立とうとしているのは一目瞭然だった。

「ソーニャ、勝手な行動は絶対に許さんからな」

「ふうん、それなら単独行動じゃなきゃ良いって事でしょ?」

 イェーガーはソーニャが急に何を言い出したのかと眉を顰めた、その瞬間ニコのザクCが突然飛び立って行った。

「ソーニャ行くぞ、付いて来い!」

「あい了解!」

 ソーニャの動きに気を取られていたイェーガーにとって、それは完全に不意打ちになった。

「クロフト、ソーニャ、勝手な行動は許さんとあれ程───」

「大尉、いつか話した例のブーストを使います」

「例のブースト?しかしこの状況であれを試みるのは───」

「我々グリフォン小隊の信条は『成すべき時に成すべき事を成す』でしたよね?」

「あと『窮地に陥った仲間を決して見捨てない』でしょ?」

 イェーガーは二人の言葉を聞いて完全に出し抜かれた事を知ると、くくっと愉快そうに笑った。

「グリフォン小隊長として命令する、ニコラス・クロフトとソーニャ・カミンスカヤ両名はオリガ・エレノワの救出に全力で当たれ。なお失敗は絶対に許さん、全員必ず生きて帰って来い!」

 

 ニコは一直線に高度を落としながら、ソーニャに全ての武器を投棄するように命じた。もし上昇したところに連邦艦隊がいたらどうするのよ?とソーニャが聞くと、「ただ撃たれて死ぬだけだ」と事も無げにニコは応えた。ソーニャは一瞬躊躇ったが、例のブーストとか言う秘策をニコが持っている事を思い出し、予備弾薬も含めて全ての武器を投棄した。

「シモン、無線まだ取れるか?」

「ああ大丈夫だ、どうした?」

「残りのプロペラントから逆算して、何パターンかのランデブーポイントの抽出を頼む」

「わかった任せろ。ヒュンメルにも連絡をつけておく」

「ヤンネ!」

「な、何だどうした?」

「ヤンネはそうだな───オリガ救出をとにかく祈れ」

「祈れ?」

「そうだ、もし成功しなかったらお前の祈りが足りないせいだからな!」

 ニコとソーニャは急降下してオリガの高度まで下がると、微妙な軌道修正を繰り返しながら少しずつオリガに近付いて行った。何度もソーニャが呼び掛けてはいるが、三機のザクはプラズマに包まれ始めており通信は使えなかった。やはり直接接触して『お肌の触れ合い会話』をするしかない。

 この高度、この速度で手荒く接触すれば、瞬時に全員が弾き飛ばされるのは明らかだった。そして回復不能なスピンをしながら、大気圏に引き摺り込まれるのだ。

 ニコとソーニャは互いに距離を取り、まずニコがオリガ機に追いついて05ザクの脚をしっかりと掴んだ。そして続け様にソーニャが組みついてオリガに呼び掛ける。

 返って来たオリガの応えは「ばかソーニャ」の一言だった。

 

 オリガは機体を通じて伝わって来たソーニャの声を聞いて、夢でも見ているのかと思った。そして自分を救う為にこの高度まで下降して来たばかはもう一人いる。それは他でもないあのニコ・クロフトだった。

 ニコはオリガにも武器の投棄を命じた。オリガの持つMN-76は狙撃手の誇りとも言えるものだ。オリガはソーニャと同じ理由で一瞬躊躇ったが、直ぐに対艦ライフルを手放した。

 ソーニャだけではなくこの場所にニコが居るやと言う事は、少なからず助かる可能性があると言う事を示していた。でなければあのイェーガーが許可などする訳がない。

「オリガ、ザクの腕を拡げるんだ左右均等に」

 オリガはそれを聞いてニコの狙いをすぐに読み取った。クェジェリン宙域で貨物シャトルを加速させたのと同様の事を試みようとしているのだ。

 ニコとソーニャはザクの脇の下に潜り込むと、それぞれスカートの縁とバックパックをしっかりと掴んで三機のザクを結合させた。

「ソーニャ行くぞ、フルパワー!」

 三機のザクの集合体の推力に拠って、下降を続けていた高度計の数値がぴたりと止まった。そして苛立ちを覚える程ゆっくりとだが、確実に上昇へと転じて行った。

 もしかしたら本当に助かるのかも知れない。淡い仄かな期待が現実味を帯びて、確信へと変わろうとしていた。しかしその時、その希望を打ち砕こうと警報音がオリガのコクピット内に鳴り響いた。

「ニコ、プロペラントが───」

 推力の足りないオリガの05ザクは、高度を落としてからずっと全開で飛行していた。遂に噴射する燃料が無くなり、オリガのザクのメインバーニアから炎が消失した。

 明らかな推力不足に陥ったザクの集合体は、再び大気圏内に落下し始めていた。

「ニコ何か秘策があるんでしょ?何とかしてよ!」

 激しい熱と振動で死の恐怖に駆られたソーニャが叫んだ。今や三機のザクは完全にプラズマに包まれ、どんどんと高度を落として行く。

「ソーニャ、バーニアのリミッターを切れ!やり方は前に教えただろ」

 ソーニャはそれを聞いてニコの頭がおかしくなったのかと思った。

「本気で言ってんの?この状況でそんな事したら───」

「この状況だからやるんだ。いいからやれ!」

 確かにリミッターを解除すれば推力は明らかに上がる。しかしこれだけ熱の影響があると、バーニアが爆発する危険性は非常に高い。ソーニャは途中までリミッターを解除する作業を行ったものの、どうしても解除に踏み切れずにいた。そしてソーニャが迷っている間にも機体は降下を続け、断熱圧縮に拠って機体の表面温度は急上昇していた。

 機体表面の青い塗装は炎を噴き上げ、超高張力鋼スチールの装甲を溶かし始めている。熱膨張に拠って機体の各所から、不気味な軋みや異音が絶え間なく聞こえて来る。

 ザクのモノアイが割れて吹き飛び、メインカメラはその機能を失った。コクピット内のモニターはブラックアウトし、ありとあらゆる警報音が鳴り響き、制御不能な振動が機体を揺さぶり続けている。

 忍び寄る死の影が確信へ近付き、ソーニャは恐怖で完全に硬直してしまった。

「ソーニャ何してる、早くリミッターを解除しろ!」

「ソーニャお願い、ニコの言う事聞いてよ!」

「お前ここに何しに来たんだ、オリガ助けに来たんじゃないのかよ!」

 ───オリガを助けに?そうだ、オリガを助けに来たんだ。殺しに来た訳じゃない。リミッターを解除したら、その瞬間みんな吹き飛ぶかも知れない。オリガもニコも、そして自分自身も。

「ソーニャいい加減にしろ、俺一人の推力じゃ無理だ」

「だって失敗したらみんな───」

「このまま何もしなくてもみんな死ぬ、早くやれ!」

 極限の状況で極度の緊張を強いられた事で、ソーニャは完全に放心状態になり自分を見失ってしまった。

「ソーニャ、お願い!」

「俺達は心中しに来たんじゃない、オリガを助けに来たんだろうが!」

 振動が更に激しくなり機体の制御もままならない、限界がすぐそこまで来ている。

「このばかソーニャ、オリガはお前の妹みたいなもんだろうが!」

 ───オリガが、私の、妹?

 

 

 ソーニャがジオン女学校最終学年の学期半ばに、新しい編入生が入って来ると噂になった。やがて教師に促されて教室に入って来たその生徒は、名前をオリガ・エレノワと言った。ぼそぼそと消え入るような声で自己紹介するオリガは、小柄で驚く程華奢だった。

 もう卒業まで一年を切った学期半ばの編入は珍しい、聞けば二学年飛び級して来たと言う。

 へえ、あの子頭良いんだ。同じロシア系ではあったが、大人しそうな年下のオリガとは合わないだろうなと考え、ソーニャは暫く様子を見る事にした。

 二学年を飛び級して来たにも関わらず、オリガの優秀さは誰もが知るところになった。直ぐにに学年トップに踊り出ると、オリガはその位置を不動のものにしていた。

 オリガは当時の担任の点数稼ぎの為に飛び級をさせられていた。自分の意思とは関係なく二学年上に放り込まれた事で、オリガは周囲に見えない壁を作ってしまっていた。それが結果的に妬みや僻みを呼び込む事になった。

 陰湿ないじめがオリガに降り掛かった。オリガは黙って耐え続けていたが、ある日その事件は起こった。

 別室の授業から教室に戻ると、オリガのランチがぐしゃぐしゃに潰されていたのだ。オリガは立ち上がり、言った。

「群れなければ個人を攻撃出来ないような卑怯者の無能が、気安く私に関わるな!」

 オリガのその魂の叫びは、下手するとクラス全員を敵に回す可能性があった。しかしソーニャはその言葉を聞いて面白がり、オリガの元へ歩み寄った。オリガに嫌がらせを繰り返していたのは誰なのかソーニャは何となく知っていた。ソーニャはそのクラスメイトを机ごと蹴り飛ばすと、オリガに手を差し伸べ「おい、飯に行くぞ」と言った。

 校舎の屋上で無言のままサンドイッチを食べながら、突然オリガはぽろぽろと涙を流し始めた。

 慣れ親しんだ級友から大人の事情で切り離され、本当は孤独で寂しかったのだと泣いた。自分の事はどうでもいいが、年老いた祖母が折角作ってくれたサンドイッチを、粗末にされた事が許せなかったのだと言う。

 ソーニャは自分の弁当を差し出して「半分やるから食えよ」と言ったが、折角おばあちゃんが作ってくれたからと潰されたサンドイッチをオリガは泣きながら食べた。

 追い詰められたオリガは泣き寝入りして媚び従うより、例え孤立してでも誇り高く戦う方を選んだ。そしてその時からオリガはソーニャ・カミンスカヤの庇護の対象になった。

 

 ソーニャはソーニャでサンボのジオンの十八歳以下代表選手であり、素行の悪さと相まって学校内外である意味有名だった。ソーニャは体重差がそれ程なければ、相手が男でも組み倒す事が出来る。そのソーニャが味方についた事で、オリガに対する嫌がらせはすぐに収まった。

 焦ったのは学校の関係者だった。オリガは何度もソーニャとは関わるなと言われたが、全く気にしなかった。

 ソーニャ・カミンスカヤはそれまでオリガが出会った事がない破天荒な人物で、お互いないものを持っていると言う点で心地良かったからだ。

 やがて進路を決める時期が来て、突然オリガは士官学校に行くと言い出した。ソーニャは叔父のミハイルが軍にいる事もあって早期に士官学校入りを決めていたが、オリガは当然国立大学に進学するものだと誰もが思っていた。今度は学校関係者だけではなく、その進路選択に多大な影響を与えたであろうソーニャも大いに焦る事になった。

 軍と言うところは体を動かすしか能がない、自分のような人間が行く場所であって、お前みたいなガリガリが耐えられる訳がないとソーニャは断じた。

 国立大学に奨学金付きで入れる能力を持ったオリガが、わざわざ士官学校に行って脱落しそのキャリアに傷をつけるべきではないとも説いた。そしてソーニャは当時機密扱いであったMSの事を引き合いに出し、もしかしたら戦争になるかも知れないから絶対に止めろと釘を刺した。しかしその余計な一言が、オリガの意思を更に強固なものにしてしまっていた。

 確かにオリガは華奢で基礎体力に於いては男やソーニャはおろか、その辺にいる同年の女子にも適わない。しかしMSなら?機械に乗るのならそのマイナス分を十分に相殺出来るのではないか?

 各方面からのオリガへの説得は、オリガの鉄の意思の前に全て不調に終わった。かつての担任もやって来たが、自分の点数稼ぎの為に私の意思とは関係なく、無理矢理飛び級をさせられたと学校に暴露した。驚いた学校は元担任を問い詰め、失職に追い込んだ事でオリガは復讐を果たした。

 ソーニャと卒業は同じだったがオリガは飛び級をしている為、その時点では十七歳以上と言う士官学校の入学資格に達していなかった。そしてソーニャから遅れる事半年、満を持してオリガはジオン士官学校に入学した。

 先に士官学校を卒業したソーニャは、叔父のミハイルと懇意だったランバ・ラルの元に引き取られ、グリフォン小隊に配属される事になる。

 グリフォン小隊の人選にイェーガーが頭を抱えていたところ、ソーニャはどこからともなくイェーガーが狙撃手を探していると聞きつけた。ソーニャはイェーガーの元に行き、「丁度いい奴がいる」と卒業間近のオリガを推薦した。

 イェーガーはソーニャの友人であるとの理由から、当初は露骨に拒否反応を見せた。しかしソーニャが余りにもしつこい為に、一応ポーズとして士官学校からオリガの成績を取り寄せてみた。驚いた事にソーニャの言っていた事は嘘ではなかった。オリガは戦術理論や狙撃の成績が飛び抜けていた。しかし体力のなさが響いて全体の成績順位は低かった。士官学校の成績優秀者は上位から順にどんどん引き抜かれて行く。しかしオリガは体力面での点数の低さから全くのノーマークだった。

 これはもしかしたらとんでもない拾いものかも知れん。

 イェーガーは上官ランバ・ラルに連絡し、オリガ・エレノワを受け入れる事にした。そしてその数ヶ月前後にハイデルベルク号拿捕事件が起きる事になる。

 

 

 ニコが苦し紛れに発した一言が、ソーニャが自分を取り戻す引き金になった。

 そうだ、オリガをグリフォン小隊に引き込んだのは自分に責任がある。クェジェリン宙域でシャトルパイロットのアンディ・ギグスが言ったように、「助かる可能性がそれしかないなら、それに賭ける」しかない。

「私どうなっても───もう知らないからね!」

 ソーニャはそう叫びながら、リミッターを解除する最後のボタンを押した。

 白熱化したルナチタニウムのロケットノズルが限界まで開き、更に大量のプロペラントが供給された。それまで機体を押し出し続けていた光の帯が太くなり、強烈な加速がニコ達をシートに押し付けた。絶え間無く続いていた振動が激しさを増し、最早計器の数値を確認する事も出来ない。運用限度を越えたメインバーニアは高温に包まれ、ルナチタニウムのノズルでさえも溶け始めていた。

 厳しい加速と振動にソーニャは歯を食いしばった。ブラックアウトしたコクピット内ではあらゆる警告ランプが点滅し、種類を判別出来ない程多くのアラームが鳴り響いている。このまま空中分解するのではと言う程激しい振動に、恐怖に駆られたソーニャが叫んだ。

「何なのよこの振動、このままじゃ機体がばらばらになる」

「泣き言をいうな、ジオニック社の技術を信じろ!」

「そんな事、言ったって───」

 ニコの怒号とオリガの悲鳴が、ソーニャの焦燥を極限へと駆り立てて行く。淡い虹色の光を纏った三機のザクは、大気の層を突き破りながら未だに加速を止めない。絶えず爆散の恐怖に晒されながら、耐え続けていたソーニャの精神に限界が近付いていた。

「───ああ、そんな、まさか───」

 そして突然、静寂が訪れた。

 眩い白い光がコクピット内を満たし、ソーニャはその輝きに包まれ涙を浮かべた。

 

 

「遅いな、遅過ぎる。三人から連絡はまだないのか?」

「大尉、ニコとソーニャのプロペラントがそろそろ尽きる頃です。オリガはそれ以前に燃料が枯渇していると思われます」

 くそ!とイェーガーは独り愚痴た。難しい選択を迫られ、ほんの数秒だが迷い答えを完全に見失ってしまった。その間隙をニコとソーニャに突かれたのだ。

 小隊の長として決断を躊躇した失態をイェーガーは恥じた。その結果、二人を危険な救出行動に駆り立ててしまった。

 自分が即座に判断し行動に移っていれば、もっと楽にオリガを救出出来ていたかも知れない。オリガと残った部下の身を案じた挙句に決断を躊躇い、ただいたずらに時間を浪費してしまった。リスクを切り崩せない優柔不断さが招いた、致命的なミスだとイェーガーは自身を責めた。

 結果的に二人の背中を押し出す事にはなったが、その判断が正しかったのか未だに答えを見い出せない。そして過ぎて行く時間がイェーガーの希望を蝕んで行く。

 物思いに耽りながら軌道上を浮遊するイェーガーの眼下に、連邦軍第四艦隊の本隊が見えた。マクファティ・ティアンム少将が座乗する戦艦マゼランに、ジオン宇宙攻撃軍のMS部隊が襲い掛かっている。

「ブリュンヒルデとラーズグリーズ小隊ですね、かなり苦戦しているようです。援護しますか?」

「いや、サラミスを戦列から排除した事で我々のノルマは果たした。オリガ救出の為に戦局からの離脱も了解を得ている。ここは彼らに踏ん張って貰おう」

「大尉、護衛のサラミスが高度を下げて行きます。もう一隻も追従するようです」

 船体前方の上部甲板のサブスラスターを噴射し、艦首を下げた二隻のサラミスが艦隊から離れて降下して行く。

 何機かのザクが追撃しようとしていたが、下限アラームが鳴ったのか直ぐに追跡を諦めて元の高度へ戻って行った。

「サラミスが大気圏内に?耐えられるんですか?」

「連邦宇宙軍の艦に大気圏突入に耐えられる能力はない。腹を括ったのだな、コロニーに特攻するつもりだ」

「連邦の艦がカミカゼ攻撃をするなんて───」

「連中も必死なんだ、我々がジオンの理想の為に戦うのと同じく、連邦もまた彼らの正義の為に戦っている。あの姿をその目によく焼き付けておけ」

 前方の艦が戦列から離脱した事で、視界が開けたマゼランが遂に魚雷を発射した。幾筋もの白い尾を引いて核魚雷がコロニーに向かって行く。

「やはりこの大気の薄さでは効果が薄いようだな。ヒュンメルの現在位置は?」

「こちらに向かって来ています。ランデブーポイントまでおよそ三百秒」

「大尉、極地方の───いや世界中の発射基地から迎撃ミサイルの上昇を確認。二十、三十、物凄い数です、数え切れません!」

 地球連邦の最後の悪足掻きか、とイェーガーは唸った。高高度核爆発に拠る電磁パルスは、広範囲に渡ってインフラを瞬時に破壊する筈だ。対核設備のある軍事施設を除いて通信は遮断され、あらゆる経済活動が停止する。そしてその直後に降着するコロニーの影響を加味すれば、地上の生活は前世紀はおろか近代以前まで後退する可能性がある。それは自らの手に拠ってその事態を招いたとしても、それ以上にコロニー落着を阻止したい地球連邦の悲痛な意思の表れでもあった。

「電磁パルスが来る。対核仕様のザクとは言え、何かしらの影響があるかも知れん。我々も高度を引き上げるぞ」

「了解、ランデブーポイントの変更と修正座標をヒュンメルに送ります」

 オリガ、ソーニャ、そしてクロフト。一体どこに居るのだ?

 アイランドイフィッシュに向かって集束する無数の光点を見下ろしながら、イェーガー達は上昇して行った。

 

 

「───もしかして私、死んじゃったの?」

 唐突なソーニャの呟きに、ニコは思わず吹き出しそうになった。

「そうだ、天国にようこそソーニャ。安心して成仏してくれ」

 余りにも眩い光に白飛びしたサブモニターが、光度を自動補正しソーニャはその正体を知った。地球の夜の境界線の向こうから、太陽がその姿を現したのだ。

 メインバーニアのプロペラントが完全に枯渇した事で、ロケットエンジンは機能を停止し振動は消失した。

「神様にしては随分とブサイクな声ね」

「ブサイクな声って。なあ俺の声ってそんなに変か?」

「ニコ、ソーニャ、あの私───」

「オリガ、礼を言うのはヒュンメルに収容されてからにしてくれ。まだ完全に助かった訳じゃないからな」

 三機のザクは殆どの機能を喪失し、衛星軌道を漂流していた。落下軌道からは脱出したものの、いずれまた重力に引かれて行く事になる。そしてその時には重力に抗うプロペラントは残っていない。

「うん、判ってる。でも───二人ともありがとう」

 ソーニャは元気そうなオリガの声を聞いて安堵し、凄い事を成し遂げたのだと自画自賛して柔らかく微笑んだ。

「ソーニャ、ヒュンメルに救難信号を出してくれ」

「やだ、私もう何にもしたくない。ニコがやってよ」

「もう試したけど駄目だったから言ってんだろ───あっ、二人とも極地方を見てみろ」

 北極上空にオーロラが大きく張り出していた。エメラルドグリーンに輝く光のカーテンが、ゆらゆらと妖しく揺れ動いている。神々しい輝きを見てオリガはその美しさに目を細めた。

「オーロラだ、俺も直に見るのは初めてだな」

「はえー、なにナニ?何なのこれ、すっごいキレイ!」

 ソーニャは生まれて初めて見るオーロラに驚嘆し、コクピットハッチを開いて機外へ飛びだした。

「人類は宇宙に進出して宗教を捨てたけど、古代の人がこれを見て神の存在を信じた訳が判る気がする」

「『 空は暗く地球は青かった、そして宇宙に神はいない』か」

「そう、ユーリイ・ガガーリンね。本当はそんな事言ってないって説もあるけど」

「ねえ、オーロラの下に見える光の点は何なの?アイランドイフィッシュに向かってるみたい」

 ソーニャにそう促されてニコはサブモニターを見た。すると夥しい数の光点が、確かにコロニーに向かって集束しようとしている。

「迎撃ミサイルだ、恐らく戦略核だろう。あれだけの数だと電磁パルス障害が広範囲に起きるな」

「連邦軍も必死なのね、下手したら馬車の時代に逆戻りなのに」

「そう言えばソーニャ、お前もしかして機外に出てんだろ?」

 ショルダーアーマーのスパイクにしがみついて地球を眺めていたソーニャは、驚いて手を離しそうになった。

「何で判るのよ。仕方ないじゃん、サブカメラみんな壊れてるし」

「核爆発は直視するなよ。高高度核爆発のガンマ線は千キロは飛ぶぞ。ヘルメットのバイザー越しでも網膜が焼けるからな、失明するぞ」

 失明!と驚愕したソーニャは、慌ててコクピットに戻ってハッチを閉めた。

「あ、ヒュンメルから連絡が来てる。救難信号を受信してこっちの座標も確認したって。ランデブーまでおよそ五十分、大丈夫みんな助かるよー!」

 アイランドイフィッシュは重力に引かれて加速し、赤熱化しながら長く尾を引いて落下を続けていた。連邦艦隊の砲撃に拠っても辛うじて原型を留めていたコロニーは、核攻撃に拠って遂に外殻表面に穴を穿たれた。そしてそこから侵入した熱が亀裂を促進し、アイランドイフィッシュは大きく三つに崩壊を始めた。

 コロニーが空中で分解し空気抵抗を受けて軌道を変え始めた事で、ブリティッシュ作戦の失敗は確定的になった。

「そう言えばさ───」

 地球に降り注ぐコロニーの塊を眺めながら、明らかにロシア系である筈のソーニャが言った。

「───その『 ユーリイ・ガガーリン』てのは一体誰なのよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




初めましてRossoです、数ある作品の中から目に留めて頂きありがとうございます。今回から後書きにて解説や小ネタを投下して行きたいと思いますので、よろしくお願いします。

先ず設定については基本的にオリジンや各OVAを踏襲していますが、ジムの生産や配備の開始時期などで若干の変更があります。出来るだけ従来の世界観の中に収めたいとは思いますが、かねてから抱いていた疑問などについては私なりの解釈で展開して行きます。

改行が少なく読み難い部分があるかとは思うのですが、書き込みたい情報量が多いので───ガマンして下さい(泣)まあこれが私のスタイルですので、「それでも良いよ」と言うハードコアなガノタの為に書き続けます。

前回「蒼の衝動」に出て来たシャトルパイロットのアンディはある人物をモデルにしています。シャトル乗りで名前がアンディ───Zでシャトル発射の際に仲間を援護する為に地上に残り、戦死したロベルトの活躍に涙した方も多いかと思います。そうです、アポリー・ベイなんです。シャトル乗りのアポリーがMS乗りになるにはそれなりのきっかけがあっただろうと、私の勝手な都合で登場して頂きました。

最終話までのエピソードやプロットはほぼ固まっていて後は書くだけなのですが、二話を書き終えてとりあえず先は長いなと言う印象です。まだブリティッシュ作戦ですから。まあ時間を見つけては書き込みたいと思っています。

最後にこの物語は私個人の妄想全開のお話ですので、願わくば仏様のような寛大な視点で眺めて頂ければ幸いです。では次作をお待ち下さい、Rossoでした。

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