騎士見習いの立志伝 ~超常の名乗り~ 作:傍観者改め、介入者
ここから青葉が思い描く未来が、少しずつ変わっていきます。
開幕2連勝への期待がかかる、東京ヴィクトリーではないほうの東京のクラブが注目を集めている。
リーグジャパン第2節。ETUの対戦相手は、昨年の最少失点数を誇る広島サンアロー。WBの運動量と、中盤のロングフィードに特徴のある近年上位争いを演じる強豪クラブ。
リーグ屈指のディフェンスを誇る彼らを前に、ルーキーコンビはどのような戦いを見せるのか。
試合前、森川監督と握手を交わす達海監督。
「今うちは若い奴が頑張っているからな。ま、いい経験をさせてもらうぜ」
「達海————威勢のいい時は言えるだろう。だが監督だけは冷静であるべきだと思うが」
開幕戦は苦心しての勝利だった広島。森川監督は努めて冷静にコメントを返す。一方、打ち合いを制した彼は気分がいいだろうと感じた。
その達海だが、
—————あの試合は一歩間違えれば大敗だったんだ。無理にでも鼓舞しなきゃいけねぇんだよ。
と、心中で思っていたりする。
試合は戦前の予想通り、広島は高い位置からボールを奪いに行き、注目のCMF青江のロングフィードと、佐藤久の抜け出しを狙う戦術。そんな彼とマッチアップするのは————
『ああっと、また止めた!! 佐藤の抜け出しを防ぎました!! 18歳の飛鳥!』
ロングフィードへの理解が深いCBの飛鳥が、その飛び出しを悉く制圧する。彼は、佐藤ではなく青江の動きを完全に見切っていた。
————モーションで分かる。けどこれは、蒔き餌。本命は—————
その時だった、攻勢に出るETUは逢沢がボールを奪われる。
「うわっ!」
強烈なスライディング。高校サッカーではファウルの判定を受けかねない当たりの強さ。しかし審判はそれを流す。
—————守備の仕掛けが早い。寄せが磐田とは大違いだ————
駆を潰した後、ETUの左サイドで起点を作りながら攻めあがる広島。彼らは逆サイドにボールを展開したが、中々攻め入ることが出来ない。
青葉のポジショニングが障害となっているのだ。STとWBの間に入りながら、どちらにも反応できる絶妙な位置取り。リトリートによる守備が効いていた。
そして彼にボールが渡った時の威力は、蹂躙された磐田が身をもって証明している。
————武器ってのはただ使うだけが役割じゃねぇからな
強引に狭いエリアでパスをつないだり、ロングボールを蹴ることでボールがロストする展開。そもそもがそんな状態を続けるとなると、集中力も削られていくだろう。
達海は、広島が疲弊する時間、隙が出来る瞬間を狙っていた。広大な右サイドへのサイドチェンジを多用しない広島のプレーぶりが、あのルーキーを恐れていることを証明している。
————絶妙な、中間ラインから飛び出すプレスの鋭さ
森川監督も、一人で二人を同時に見続けているルーキーを見て、迂闊に攻めることが出来ない現状を嘆く。
やっているのは本当にリトリートだ。単純に見れば青葉の守備はどこか消極的に見える。しかし、青葉の撤退守備は本陣を整える時間を与えている。
そして、本陣が整えばプレスを食らう確率は高くなる。もっと悪ければカウンター時に青葉にボールが渡るのだ。それだけは防ぐ必要がある。
左WBとSTの間に入る右サイドハーフの怪物は、驚くほど理知的なポジショニングをしているのだ。
だからこそ、達海は指示を送った。
—————右サイドは全部左の清川に預けろ。で、宮水は上がるふりをしろ。
サイドチェンジできる機会があれば、すべて清川へとボールを供給しろという指示。そして宮水はスペースへと走りこむ。
このチームで切り替えの速さを最も体現している彼だからこそできる戦術。
絶好のカウンターの機会を阻止するため、広島は恐れている左サイドをケアするだろう。怪物に蹂躙されないよう、人数を当てて右もブロックを構築するだろう。
当然、青葉の攻め上がりに対する消耗は重くなっていく。
—————指示はこっちで出す。見逃すなよ、村越?
そんな作戦を試合前に聞かされた村越は、相変わらずやり方がえげつないと思う。相手は必要以上にあのルーキーを警戒し、自分たちはペースを握ることが出来る。
この試合、素人目に見て青葉は消えているだろう。だが、青葉は無表情で指示を守っている。そして、そんな彼に対し、清川への逆サイドへのサイドチェンジが通った瞬間、もしくは椿が開いて右に起点を作るなどした場合、チェイシングの圧が強くなる。
対する広島側は、青葉を使ってこないことに違和感を覚えていた。しかし、徐々に前半から疲弊していく選手たちを見て、森川監督がその狙いを悟る。
—————しまった、これは達海の罠だ。
かといって、右サイドのケアを緩めれば、あの怪物に号令を送るだろう。確実に仕留められると。
出来ることは今のようにサイドチェンジに遅れないようにすること、願わくばロングフィードの前に止めること。
——————だったのだ。
左サイド、清川はパスコースを消されていたことをホルダーになる前に見切っていた。あれだけ同じようにプレスをすれば、嫌でもタイミングはつかめる。
こちらの右サイドをケアしつつ、左へと偏っている状況。この展開で彼が何度もその動きを狙っていた。
—————ちゃんと抜け出せよ、世良!!
清川のロングフィードが発動。クロスボールへの精度の高い彼は、敢えて中盤を飛び越えて、一気に前線の世良へとボールを供給したのだ。
宮水に引っ張られ、横に間延びした、さらには陣形の矢印が横へと流れている広島の急所を突いた縦一本。
—————お前に振られるタクトは多いぜ、キヨ
そして、二人の狙い通りに、彼の下へとボールが通った。
『縦一本抜けたァァァ!!! 完全に独走状態!! 世良が縦に進みます!! 決められるか、決めたぁぁァァァ!!! ETUカウンターで先制!! 前半の30分!!』
長く我慢していた広島の糸は、ここで断ち切られたように見える。彼らの表情からは、許してはならなかった先制点、自分たちの想像を超えたプレーが今起きたと感じていた。
—————中盤の俊足椿を使わず、右サイドの宮水も使わない。見せ札として、か
勝負師として、ストロングポイントで威圧しつつ、本命ルートで確実に息の根を止める。
「ははっ、いいリズムとタイミングなら、やっぱあいつは難なく決めるな」
笑顔の達海監督は、アシストの清川とゴールを決めた世良に対し、サムズアップで応える。
なんとこれで、世良は2戦連発。彼個人の能力で打開したわけではないが、達海の戦術に彼はマッチしていた。しかし2戦3発というのは、FWにとって最高の滑り出しといえるだろう。
一方、元祖抜け出しを得意とする佐藤は飛鳥とのマッチアップで中々前を向かせてもらえず、抗う術もなくボールを刈り取られる。
—————高卒でこれだけ動けるのか、彼は!?
一体どうすればここまでの寄せの速さとプレッシャーを短期間で会得できるのか。彼は信じられないものを見ている気分だった。
—————青葉と駆の個人技、ロングフィードは落下点が重要だ。それさえ掴めれば、
足で劣っている相手の抜け出しはほぼ止められる。むしろ、飛鳥が訓練させられているのは、椿や青葉、宮野を使っての抜け出しのサンドバックだ。
達海は徹底的に飛鳥を鍛えていた。その巻き沿いでほかのDF達も同じような訓練を受けさせられる。だからこそ、スピードのない選手の抜け出しなど、飛鳥の苦ではないのだ。
音を立てて崩れ落ちる西国の堅牢な城壁。前半から畳みかけるETUは、疲弊しきった広島相手に青葉を解禁する。
それは、早くも勝負を決めてこいと檄を飛ばした達海の号令。
『仕掛けて、躱した!!前を向いた宮水一気にスピードアップ!!』
ボールを貰った瞬間、中への絞りを警戒した相手選手をあざ笑う、片足での変則ダブルタッチを披露する青葉。
————なろっ!! 縦に行かせるか!!
スピードに乗れば一気に喉元まで迫る怪物を前に、動かなければならなかった。しかし、
ここで青葉のボディフェイント。サイドに流れるかと思えば、中に絞るような動き。それに相手選手は釣られない。間違いなくサイドに流れてスピードアップしたいと青葉が考えているから。
————釣られないぞ。お前がフェイントを多用するのはわかり切っているんだ!!
しかし、どちらも不正解。つり出されない相手選手を通り過ぎる青葉の中への切れ込み。
————圧が弱かったな、どちらも不正解だ。
しかし、その動きを読んでいたのは青江。抜き去った瞬間となる無防備な状態を狙ってきたのだ。
————いくら早かろうが、この空白はドリブラーの弱点だ。
そして青江はついに青葉を捉えた。が—————
青江は自分の力ではない何かによって、青葉と接触した瞬間に前のめりに倒れる。
————なに、が—————
青葉とぶつかった際、確かに手ごたえはあった。一瞬だけ奪えると確信出来ていた。なのに、その手ごたえは別の力によって流され、青江は独りでにバランスを崩した。
それを見ていた飛鳥は苦笑する。
—————島の合気道ディフェンスの応用。強いて言うなら、合気道オフェンスか
攻撃にも防御にも転用できる体裁き、手捌き。島の十八番を完全に奪う青葉の完全習得と応用展開。相手の力を利用し、受け流し、無力化する。一回りも年上の選手の圧力をまるで気にしない。
青江が崩れたことで、広島は中盤にスペースを作ってしまう。後は、もう彼にゴールを奪われるだけの作業だ。
スピードに乗った青葉のドリブルを前に、彼にフェイントすら使わせない広島の守備陣。タッチ数も加速度的に増えていき、間合いに入った瞬間に彼らは抜かれていた。
————トップスピードで出来るタッチ数なのかよ、あれは
————化け物め、どんな体幹をしてやがる!!
最後は飛び出してきたキーパーをあざ笑うラボーナ。右足で振り抜くと見せかけての左ヒールで横転したキーパーの横を通り過ぎるボール。
そのままゴールラインを割り、キーパーは絶望的な表情で青葉を見上げることしかできなかった。
『誰も止められない~~~!!!! ETU、瞬く間に追加点!! 前半33分!! 二試合連続となる宮水の得点で、リードを2点とします!!』
衝撃的な5人抜きのゴール。最後はおしゃれなゴールをPA内で決めて見せる青葉。味方もドン引きなゴラッソに、駆がまず祝福の声をあげに行く。
「凄いよ、青葉! 最初の駆け引きもそうだけど、青江選手を抜いた時の体裁きは島選手顔負けだね」
「アレは便利だ。ま、使い過ぎるのは良くないがな」
「うわぁ、やっぱりすごいや、青葉君は」
そして遅れて入る椿。自分もスピードを生かしてあんな突破をしてみたいと思うようになった模様。
ベンチでは
「いやはや、まさかあの状況から一人で決めきるなんて—————スーパールーキーですよ、彼は」
松原コーチは、規格外なプレーを見せた青葉に賞賛を送るしかなかった。あれを自分のチームの誰かにやれと言われてもなかなかできることではない。
「ま、広島の選手が前半30分で、予想以上にヘロヘロになっているのもあるんだけどな。昨年のうちにみたいに、ね?」
悪魔すら凍り付かせる獰猛な笑みを見せる達海。松原は、今後彼を敵にしないと心に決める。
「こうなったら一方的だ。勝ち点3、余裕をもって摘み取らせてもらうぜ」
この試合は、広島サポーターにとってのトラウマ試合に数えられることになる。
右に左にカットインを許し続けた広島は、堅守を誇った守備の壁が崩壊し続ける。
「あのルーキーを行かせるな!! 外で止めろぉぉぉ!!」
ウイングバックが難なく躱される風景が見慣れたものとなっている広島のセンターバックが叫ぶ。このままでは先ほどのリプレイだと。
そして、右からの高精度の高速クロス。大外の逢沢に通り、切り返してからのカットインから角度をつけ、
「なっしまっ————」
角度がついた分、クロス、シュートと何でもありな場面。世良がニアサイドに走りこんだために、中央にスペースが空いた。
マイナスに折り返したクロスボールに合わせたのは——————
『流し込んだぁぁァァァ!! ETU追加点!! 今シーズン初ゴール!! ミスターETU村越!! 今期は第2節でのゴールとなります!!』
『宮水もファーサイドに張って、世良選手がニアに相手を引きつけて、まるでベテランに点を取らせようとするかのような動きでしたね!!』
『これでETUは5点目!! 後半23分が経過しても衰えぬ攻撃力!! 点差を5点とします!!』
今日これで世良が1ゴール、青葉が2ゴール、駆が1ゴール、そしてミスターETUにも得点が生まれる等、決めるべき選手が決めて見せたETU。
試合終盤には椿にも待望のゴールが生まれ、そのままタイムアップ。ETUはクリーンシートの上、6発大勝。守備陣が安定したことで、開幕当初の隙も狙うことが難しくなっていく。
特に、今日のCBの飛鳥と杉江、ともにチーム内で実力を見せている選手によるコンビは、ラインコントロールが見事だった。下がり過ぎず、上がり過ぎず、攻撃陣を助けられる絶妙なポジションにディフェンス陣を押し上げる。そして、カウンターは上がったことでコンパクトになった中盤で難なく潰すことが出来た。
敢えて言うなら、後半も形だけは青葉をチェイシングしたことで、バテバテの広島相手にそれほどの脅威はなかったと言える。
攻撃はリーグ屈指。特に通年でディフェンスに定評のある広島が大量失点という信じがたい光景は、リーグ通を悩ませる。
今期は混戦が予想された群雄割拠の年になると思われていた。長期政権で円熟期を迎えようとしている鹿島、元祖攻撃力は十八番の川崎、昨年王者東京ヴィクトリー。
さらに言えば、堅守速攻を誇る広島、ブラジル人トリオが君臨する名古屋。
サッカー王国の強豪清水に、昨年の最多得点数を誇る大阪。
曲者が率い、若き才能を抱えた磐田。
この昨年の上位にひしめく強豪たちの削り合いとみられていた。
しかし、その一角でもあった磐田と広島がまず沈んだ。その後、残留争いに巻き込まれた広島は、一度も上位争いを演じることなく、残留が目標のシーズンを送ることになる。
そして、彼らに成り代わって上位争いに割って入るのは、オフシーズンの話題を独占した浅草のクラブだった。
—————2戦連発!! 今度は複数得点!! 和製フェノーメノ宮水!!
まるで弱点がない。このルーキーは今までの天才たち、怪物たちを軽く凌駕しているのではないだろうか。
今シーズンの開幕戦で見せた攻守における獅子奮迅の活躍。その実力をさらに確信させる幅のあるプレーをこの第二節で見せつけた。
試合後、広島の森川監督はルーキー宮水の選手像についてコメントを出していた。
「普通のドリブルが上手いというか、シュート精度が高いという括りでは説明できない。彼はまるで中盤の選手の様に器用で、同時にストライカーの如く危険な選手でした」
これこそが、宮水選手の恐ろしさを体現した言葉だろう。器用になんでもできてしまう。黒子役で味方を助け、時には個人技でゴールを奪い続ける。捉えることが難しいのだ。
「間合いが独特で、今まで対戦してきたことのない選手」
そう語るのは、ボランチの青江だ。独特の間合いと聞くと、南米選手を思い浮かべるかもしれないが、そう言ったムラが彼にはあまり見られなかったという。
「分かっていても止められない。触ることすらできなかった。足が届かない場所にボールを運ぶから、届いても全部ファウルになってしまう。もしくは受け流された」
歴戦の実力者にしてロングフィードの名手が語るルーキー像は、あまりに異質で、長年リーグで活躍してきたどの選手にも当てはめることが出来なかった。
曲者倉敷率いる磐田、リーグナンバーワンの堅守を誇った広島をねじ伏せたETU。第3節は、サッカー王国の雄清水との激突。16歳の無限の可能性は、その試合で輝くのか。
江ノ島高校では、そんなプロでの活躍をしている宮水に対し、それほどの混乱は起きなかった。「ああ、またゴールを奪ったんだな」という認識だ。
そんな青葉はというと、
「えっと、【私は、2回遅れてクロスを上げてほしい?】」
「違うわよ、【私に、2テンポ遅れてクロスを上げてくれませんか?】だよ。テンポのtempoと回数のAantal kerenがごちゃ混ぜになっているわよ? 覚えた単語をそのまま使った感じだったわね?」
「うっ、しまった。英語みたいに意味が複数ある————というか、テンポって日本語そのままだな」
「和製外来語が多いしからね。しっかりと単語を叩き込めば、相手に意味は通じるわ。日本語のように、案外複雑ではないし」
「英語もそうだが、シンプルなんだよ、文章が。日本語は長いし、それに慣れているから覚えづらかったよ、最初は」
苦笑いする青葉。現在彼の頼み込みで、有里にオランダ語を教えてもらっているのだ。彼のプランではオランダ一部の強豪への移籍から、イングランドへの移籍を検討しているため、最初に所属することになるリーグの言葉は覚えておきたいのだ。
「けど、青葉君が考えるプラン通りにはならないかもよ? 海外オファーといっても千差万別。活躍すればするほど、オランダだけのオファーとは限らないだろうし」
ドイツであったり、イタリアであったり。もしくはフランスへのルートになるかもしれない。
現在通信教室で勉強中の駆は、スペイン語とポルトガル語の違いに悪戦苦闘中なのだ。本人曰く、「なんで同じ系統なのに微妙に違うんだ!!」と訴えていたという。
「そういえば、駆がスペイン語とポルトガル語の違いで混乱していたな」
「まあ、もうあれは日本で言うところの関西弁と標準語みたいな感じだよね。こうしてみると、ラテンや英語圏の国って、単語は違っても文章のスタイルに共通点があるものなのよ」
まるで教師のように青葉に語学を教える有里。仕事の合間を縫って時間を作ってくれる彼女には感謝しかない青葉。
—————教えてくれるようになった理由は、敢えて聞かないほうがいいだろう
心境の変化か、オランダ語を教えてくれるようになった彼女に何かあったのだろうか、と思う青葉。むしろ、彼女はクラブの戦力低下を不安視する側の人間だったはずだ。
「—————恵まれているな、俺は」
「え?」
彼の呟きに反応する有里。試合の中では魅せることのない穏やかな表情で、青葉は言葉を紡ぐ。
「こうして、語学に詳しい人が身近にいる。時間の合間を縫って教えてくれる。本だけだと会話が出来ないから、雰囲気も掴めにくい。だから、貴女にお願いした」
「まあ、3年前までだったら、そうではなかったかな? 広報や営業にもそれなりの人数が集まってきたし、クラブハウス新築の夢だって諦めてないし」
数年前から地元採用、スタッフの伝手を駆使し、地道に後進を育てる必要のあったETU。
栗澤コーチの出身地でもあった東京町田市は、長年彼がクラブに在籍していたことから、出身選手がジュニアユース入りするなど、ETU第二のホームタウンとして新規サポーターの受け皿となっていた。ちなみに、彼は中学時代まで町田市の学校に通っていた。
後藤はこの機会を逃すべきではないと考え、町田市でのETU選手によるイベントも企画。看板選手でもあった栗澤もこの動きに賛同し、その垣根を広げていったのだ。
そのおかげもあって、町田市でもサッカー熱が上昇。その町田市が担う相武経済圏内の他の市にも知名度が広がり、栗澤の知名度はETUの生命線となっていた。
また、栗澤が当時高校サッカー時代に在籍していた八王子桐蔭高校の中心選手だったこともあり、八王子市内でも伝説的な扱いとなっている。これは、3大会連続日本代表入りを果たし、二度のベスト16のメンバーであったことも影響している。
「——————まあ、経歴や影響力を考えると、栗澤さん凄いな」
ETUが成り上がる基盤のきっかけは、彼に起因していることに驚愕する青葉。
「ETUの重心と呼ばれた選手なのよ。村越さんの前までは、栗澤さんが目立っていたし」
「もし達海さんが来なかったときは、栗澤さんが監督候補だったりもするのよ。本人は否定していたけど」
俺より先に監督やりたそうにしている奴がいるだろ、と笑っていた栗澤。
オランダ語の勉強が終わり、青葉は一人神奈川のアパートに戻る際、色々なことを考えていた。
——————なんで達海さんは、あのタイミングで移籍したんだろう
青葉には不思議に思えてならなかった。直前に故障し、フィジカル面で問題を抱えているにもかかわらず、フィジカル自慢が集うプレミア移籍を決めたのか。
——————俺ならしない。タイミングが悪すぎる。せめて冬までに体を治して、我慢するべきだった。あの時のETUには何があったんだ?
達海は口では適当なことを言っているが、責任感もあるし、勝負事を途中で放り出すような人間ではない。あのチーム状況で抜けるにはそれなりの理由があったはずだ。
————イングランド蹴ったあいつに花を持たせるために、万全の準備をするだけさ。
————クリさん本当に楽しそうですね。達海さんが戻って笑顔が増えた気がします。
コーチたちも達海就任に対する不満はなかった。副会長がいろいろ喚いていたらしいが、青葉にとってはどうでもいい話だ。コーチ陣は彼に対して絶対的な信頼を寄せている。しかし、あの過激なサポーター、ユナイテッド・スカルズは達海監督のことを認めていない。
今でこそ結果を出しているが、負けが込んできた瞬間に不満が噴出してしまうかもしれない。あそこまで選手起用に口を出されたら戦術が崩れてしまう。
それだけの人望と実力を持つ選手なら、さらに上のレベルに挑戦したいと思わないはずがない。そう思っても許される。達海監督にとって、あのタイミングが最善だったのだろう。
その達海の決断。どうやら永田会長と栗澤コーチらは知っているのだろう。しかし、彼らは口を閉ざしたままだ。
—————まだ年若い君が聞くべきことではないよ
—————達海は世界に羽ばたく実力があった。それだけだ
————辛気臭い話は無しだ、青葉。何があっても俺たちが守るからな。タケのように、後ろ指を指されないよう、ちゃんとチームを作り上げて見せる。
そんなはずはない、きっともっと深刻な何かがあったんだ。しかし、サッカーを見ていれば糸口が見えるかもしれない。記憶を思い出し、あの頃のサッカーを見つめ直した青葉。
それは、王子にパスが集まる昨年のサッカーと全く同じだった。違うのはチーム成績。誰も彼の代わりにリーダーシップをとらない。勤まらない。
椿や世良のようにアクションを起こす選手が少なかったように見える。そして、ETUの注目は達海に集中する歪な状態。
怪我明けの達海が最後後半途中に出場したこと、続くリーグ戦でヴィクトリー戦にフル出場したこと。それが監督の意図なのか、誰かの意図かは分からないが、怪我明けの選手にさせる起用ではない。
万全ならば、達海の程の選手をスターターで使うだろう。それをしなかったのはなぜか。すなわち彼は万全ではなかったということだ。
その一連の出来事を繋げると、青葉は一瞬背筋が凍った。彼はわかってしまったのだ。
———————けど、その後の凋落を説明するには、十分すぎる
有り得るだろう真実。その後、当時の会長は達海を裏切り者として糾弾し、辞任。来シーズン、放り出された会長の椅子には、現在の永田会長が座った。
—————話を聞きたい。当時のGMに。
当時のGMだった男に、話を聞きたい。今の自分の推論を間違いなければ、達海猛は裏切り者ではない。そんな汚名を背負う必要なんてないし、それは誤解なのだ。
—————でもその前に、面と向かって監督と——————
次の日、練習に参加した青葉は、片付けの後に達海のもとを訪れた。その際、彼を追う影があることに彼は気づけない。
「失礼します、宮水です」
「お、練習以外で用があるのかよ、俺今忙しいんだけど?」
監督の寝床になりつつある彼の自室を訪れる青葉。突然彼がやってきたことに驚く達海。どうやら、次の清水戦の映像を見直すつもりの様だった。
「それは、すいません。でも、ちょっと気になることが、あるんです」
「ん? 珍しいな、お前のそんな様子」
歯切れの悪い青葉に怪訝そうな顔をする達海。自信満々な彼らしくない。少し気になったので、話だけは聞いてやることにする。
「———————監督が現役時代の頃のETUで、何があったんですか」
「———————————————————————」
青葉の問いに、達海は無言。ただ鋭い目線で青葉の様子を窺うだけで、その心情は見えない。ただ、彼に対する失望の色が見えた気がした。
「———————おかしいことだらけなんですよ、怪我明けの後半途中の出場、その後のヴィクトリー戦のフル出場」
自分の疑念を吐いた青葉。嫌われること覚悟でぶつかることを決意した彼は止まらない。
「海外移籍後の当時の会長の突然の辞任、その後の彼の言動————ッ。何もかもがおかしかった。その後の崩壊も、突然過ぎた—————」
達海は冷たい視線を向けたままだ。自分が今相応しくないことを口にしていると、理解していてもなお、止まれなかった。
「栗さんたちは、何も話してくれなかった。だから—————」
「それ、今のお前に関係があるの?」
冷たく、突き放すような言葉だった。短い言葉に秘められた拒絶の言葉。踏み込んでくるなという物言い。鋭い青葉にはすべてが真実に近かったのだとわかってしまった。
単なる憶測の確信ではない。純然たる事実がそこにあったことを突きつけられたのだ。
「お前の仕事はボールを蹴ることだろ? 昔話に首を突っ込む暇はねぇだろ?」
その言葉が、今の彼を取り巻く環境を考えれば、青葉は止まれなかった。
「でも!! 監督は裏切り者なんかじゃなかったじゃないですか!! あの頃が歪だった!! だから、それを治すには監督が————」
青葉の物言いに達海は目を細めた。何を彼が考えているかが分からないが、何かが彼の心に響いたのかもしれない。
「俺は海外で、やりがいのあるチームを見つけた。ETUよりもね。それが答えだよ。フットボーラーなら当然の行動さ」
珍しく矛盾を含んだ言い訳。青葉の頭は冴えに冴えていた。
「だったら、どうしてイングランドでオファーを受け取らなかったんですか!? 5部のチームで2部のチームを倒した!? そんな芸当が出来る監督が、どこにいるって言うんですか!! そんな監督に、オファーが来ないはずがない。そのチームの契約延長だって!」
「クラブを愛してなきゃ、けんか別れみたいな去り方をしたチームに、戻るはず、ないじゃないですか!!」
「——————腹を括れよ、“後輩“」
静かに、達海は青葉に言葉を突きつける。
「もう一度這い上がろうとしているこのクラブを勝たせて、お前は活躍して、海外にステップアップするんだろう? 昔このクラブにいた、終わっちまった奴相手に、うだうだ悩む時間なんかねぇんだぞ?」
厳しい口調の達海の檄。監督を取り巻く環境にやるせなさを感じる彼が前に進むためにも、どんな理由であれ、夢に近づく力を与えるために。
「達海さんは、それでいいんですか? 達海さんたちの過去は—————何も、何も—————ッ!」
自分がそんな風に動いていいのかと、このまま何も知らないまま、監督が裏切り者と思われ続けたまま。もしかすれば、自分もいつかそう呼ばれてしまうのではないかと。そんな未来が脳裏をよぎってしまった。
「—————心配すんな。お前は数年後、海外で思いっきり暴れてくればいい。そして、お前が元気にプレーしている姿が、このクラブをもっと明るくするんだ」
何か、目の前の達海は青葉を見て話しているように、感傷に浸っているような気がした。
「——————だったら、俺だってチームを強くするために、言いづらい事だって言う。誰か一人に依存しない戦術を——————」
青葉は、達海に依存し、彼の移籍と同時に崩壊した二の舞をさせないと、覚悟を決めようとする。江ノ島で後輩や仲間たちが守ってくれているように、ここも同じにするのだと。
だが、青葉は知らない。あれは江ノ島だからこそ実現できた結果だった。恐らく彼が他の高校に言っていた場合、彼は高校3年間をアマチュアで過ごすことになっていただろう。
戦術青葉のまま、成長しなかっただろう。
「それをお前が必要以上に背負うことはないんだぜ?」
困ったように、達海は笑みを浮かべる。彼は今、この目の前の少年が村越に似ているなぁ、と感じていた。
「いつか、誰かが言っていたんだけどさ。クラブっていうのは一つの木みたいなもんらしいぜ」
思い出したように、達海は昔聞かされた内容を口にする。その時の達海は、先ほどの愁いを帯びた表情から多少明るくなっていた。
「木、ですか?」
達海は、クラブは決してブレてはならない一貫した信念がなければ、簡単に崩れてしまうということを、そしてそのクラブを支えるのは日々の理想であり、それはクラブに携わる者、サポーターたちだと。
難しい話だった。青葉にとっては、理解の難しい内容ではなかった。しかし、サポーターに対する懐疑的な感情が芽生えていた彼にとって、踏みとどまるきっかけになるかもしれないと、彼自身は感じていた。
定期的に環境を整理し、適度な水を与えることで、木は成長する。そして、青葉を芽吹かせたり、花が咲いたりする。
「——————だから今度こそ、ETUの幹はしっかりとしたものにしないといけないんだ。けど、お前の人柱なんていらない。そんな覚悟があるくらいなら、出場した試合は全部勝つぐらいの意気込みを持ってほしいなぁ。勿論、独りよがりなプレーは厳禁な」
「監督——————」
だが、最後の最後。達海は優しい口調で語るのだ。
「選手寿命は短い。まずは目いっぱい、お前の思う通りに駆け抜けてみろよ。“新生ETU”の希望の星」
その後青葉は肩を落とし、クラブハウスを後にする。愁いを帯びた表情を見せる彼に、一部のファンからは心配の声も上がったが、大したことにはならなかった。
その夜、達海は栗澤に電話を掛けた。
「珍しいな、お前から連絡をくれるとは」
「まあ、な。中々鋭い若輩者がいると、苦労するってことさ」
「———————なにがあった?」
栗澤の声のトーンが変わった。
故に達海は話した。青葉が自分と当時のETUの内情に、憶測だけで辿り着いたことを。
「おいおい。あいつはエスパーか?」
驚きを通り越し、苦笑いするしかない青葉の洞察力に舌を巻く栗澤。
「サッカーを通じて養った眼、というべきか。お前が持っていた眼とは違った力があるようだし」
「俺が見渡せるのはピッチの上さ。その出来事をピースで繋ぎ、真実にたどり着くなんて芸当出来るかよ。けど、まだ終わってなかったんだな、あの時代は。ったく、聡いにもほどがあるだろ、青葉の奴」
栗澤は苦い顔をしていた。彼はキャンプの際にスカルズのサポーターを見て、心苦しい表情を見せた青葉を見てしまった。あの後、話しかけることなく紅白戦が始まり、激動のシーズンが始まった。
「—————岩城監督の言った通りだ。彼はサッカーという物差しを用いて、色々な点に気づけるのだろう。あいつがマルチロールなのも当然だ。そして、ドリブルで抜けきる実力があるのも」
彼が江ノ島に入学したことで、江ノ島は瞬く間に再建された。彼は一人一人のサッカー選手としての本質に気づいたのだ。だから、伸ばすべき方向に辿り着き、彼らは彼の思惑通りにその思考に至れた。そして、彼らは彼の想像を超えてきている。
自分がどうすればチームに貢献できるかという意識が、江ノ島には根付いたのだ。エゴの強い選手が集まりやすい攻撃のポジションで、あそこまでの連携ができるのも納得だ。
江ノ島は今後、ルートに乗ったのだ。ETUと江ノ島を結ぶことで、今後江ノ島にはプロを目指す選手が集まってくる。宮水と逢沢という光にあこがれる選手だって出てくる。
「まさにお前みたいなやつじゃないか、あいつは。有里ちゃんが言っていたぜ。新規サポーターの垣根が広がっていったのは、栗澤さんの知名度とエピソードだってさ」
ニヤニヤしながら栗澤を茶化す達海。若い女性が好きな栗澤としては、褒められてうれしくないわけがない。
「止してくれ。俺は目の前の道を進むのに必死だっただけだ。まあ、色々あったけどな」
揶揄わないでくれ、と歯切れの悪い栗澤。しかし、それほど嫌がっている様子もない。
「そういや、今の奥さんのファンに感謝されたことがあったよな? 貰ってくれてありがとうって。いやはや、アイドルと結婚して感謝される光景とか、俺初めて見たぜ」
尚も止まらない達海の軽口。栗澤も首に手を当てながら苦笑いをするしかない。
「お、おい!! その話はいいだろって!! あの後クラブハウスで、マジで同じことを言われ続けた身にもなってくれ!! お前も所帯を持てば分かるんだよ!!」
「そういうもんかねぇ」
「そういうものなんだよ、達海。けど、今後青葉の様子は気に留めておけよ。あいつはもう気づいている」
栗澤は冗談気な話を強引に終わらせ、達海に忠告する。多感な時期にショッキングな内情を知る必要はなかった。今後青葉は、必要以上にETUを背負うかもしれない。
「—————わかってるよ」
達海はひねくれ者だが、青葉の心情は理解できる。まだまだ達海に理解を示さないサポーターがいる現状に、青葉が人知れず心を痛めていたことも。そしてそれは、当然その光景を目にした栗澤も知っている。
「—————俺とヨシは、もうお前のような選手を生み出したくないんだ。怪我で全部が崩れる瞬間を、見たくない」
青葉は見ていただろう。達海が終わった瞬間を。そして、その光景が彼をこのクラブに導いてしまったのかもしれない。
「—————あいつにはさせたくないな、あの経験は。でも、俺のことはもう割り切れよ。全力でプレーして、その結果壊れたんだ。クリとヨシが気に病む事じゃない」
「達海—————」
栗澤と前田は、達海は今頃日本を牽引する選手になっていたはずだと信じてやまない。だからこそ、達海一人に大きな業を背負わせてしまったことを気にしている。
「だから、せめて俺と同じ状況にはしないために、誰もが魅力的なチームにして見せるさ。その為に、俺はこのクラブに帰ってきたんだからな」
かつてのクラブの星は、そのはるか先を見据えて過去を振り切っていた。
日本代表で彼のパスを受け取り、ゴールを決める。
それが最初の彼の夢だった。
16巻のアレはバッチリ青葉は見ています。