ルーナ・ラブグッドと闇の帝王の日記帳   作:ポット@翻訳

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91「信じる」


91「信じる」

 

 ピーターは魔法のトランクの底で丸まった。閉じ込められて以来、ネズミの姿で齧って出れないかと何度も試してはみたが、みじめに失敗し、歯が一本欠けるだけに終わった。少し痛みはあるが、それほど不都合はない。ここに入れられて以来、クラウチがいろいろな呪文(ヘックス)をかけてきたのに比べれば大したことはない。

 幸い、向こうは真剣に危害をくわえるつもりはないらしい。今のところは。

 

 自分が(おとり)であることは分かっている。狂った死喰い人と死に損いのヴォルデモートの二人組のところへ、主人をおびきよせるための罠。だが、トムが来るわけがない。そのことにあの二人はいつ気づくのだろうか。いくら改心しようが、あの少年はやはりトム・マールヴォロ・リドル。用済みのネズミのことなど眼中にない。いや、だれの眼中にもない。

 ピーターの友だちでさえ、結局はみな、そうだった。ピーターが暗黒の糸に絡めとられて連れ去られるのを見逃すくらいに。

 シリウスはピーターのことを臆病者だと言った。自分の身かわいさに友だちを売ったのだと。

 そうではなかった。

 欠点はいろいろあったにせよ、ピーターはグリフィンドールだった。だれにも負けないくらい勇敢だった。臆病者ではなかった。

 

 ピーターは信奉者だった。

 もちろん最初はちがった。ジェームズとシリウスとリーマスとあれだけいっしょにいて、彼らが『頭がどうかしてる闇の帝王』をけなすのを聞かされていたのだから。

 だが、そこにグレゴリー・グラードがやって来た。グレゴリーは、スパイとして送りこめる人物を探している、と言った。当然闇祓いではいけない。全員闇陣営に顔が割れている。目立たなくさりげない人物、密かに抜け目ない人物で、しかも隊列にまぎれて気づかれず、記憶にも残らないようなだれかが必要だ、という。疑おうという気を起こさせないような人が必要だと。

 もちろん、このことはだれにも秘密だ。「秘密を知る人が増えるほど、秘密は漏れやすくなる」とグレゴリーは言った。だからだれも知らなかった。ピーターが当初、光のためのスパイとして闇陣営に入ったということは、だれも知らなかった。

 一年後グレゴリーが襲撃を受けて死んだ。ピーターは逃げ場がなくなった。深く入り込みすぎた。抜け出ようにも、潔白を証明してくれる人がいなくなった。

 すべてそのときから始まった……と言えればよかったのだが、そうではなかった。そのときにはすでに、ピーターは絡めとられていた。ほとんど自分でも気づかないまま。

 以前は関係を持とうとすら思わなかった人たちの群衆にかこまれ、さまざまな約束と富の魅力に幻惑され、ピーターはすでに転落しつつあった。

 闇の陣営には信じられないほどの財力があった。すべては並み居る純血一族のおかげだった。きらびやかなもの、謎めいたものがたくさんあった。毎晩のように贅をこらした宴が催され、言い表せないほどの興奮があった。資産というほどのものを何ら持たない若い青年にとって、十分な魅力があった。

 だが彼を動かしたものは、別にあった。彼を動かしたのは話のほうだった。絶え間なく話にのぼる、新世界。よりよい世界。ピーターは引きつけられた。いつからか、その話に聞きいりはじめた。本気で耳を傾けるようになった。

 軽がるしく心変わりしたわけではないし、意識して決めたわけでもない。

 ある日スパイが眠りにつき、つぎの日起きると死喰い人になっていた。

 そして彼は信じた。

 

 子ども一人。

 子ども一人で済むのだ、と聞かされた。

 ある子どもを討ち取れば、この戦争は終わる。

 勝利がやってくる。この死と困窮に満ちた隠遁生活も終わる。約束された新世界がやってくる。

 たしかに、卑劣なやりかたではある。

 ジェームズを最低のやりかたで裏切ることになる。だがピーターが理解する闇の帝王のビジョンをジェームズは理解していない。

 理解してくれるはずがない。

 所詮子ども一人。この一大事業と比べれば、ささやかな犠牲。

 その考えはまちがっていた。

 ピーターは今はもう気づいている。

 トムと会話できた機会は限られてはいたが、それでもあの狂気の中心にいる男の実態を知るのには十分だった。

 そう、狂気だった。

 栄光などない。よりよい世界などない。一大事業でも何でもない。

 一人の男が自分の怒りと失望をばらまきながら暴走し、世界をまっぷたつに引き裂いただけ。

 すべては無意味だった。

 

 ドンという音が上から聞こえてきて、牢屋がわりのトランクのなかで物思いにふけっていたネズミを一瞬おどろかせた。乱闘の音のような気もしたが、トランクを封鎖する魔法にはばまれてほとんど聞き分けることができない。ピーターはため息をつく。きっとまた、クラウチが癇癪(かんしゃく)を起こしてアジトを吹き飛ばしでもしたのだろう。

 

 おれはただのネズミだ。ピーターは幾度となく自分にそう言い聞かせた。

 助けなど来ない。

 

 


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