あの二人はダンブルドアが来ることを予想していなかった。
どんな予想をしていたにせよ、不安定な精神状態のクラウチとますます狂ったヴォルデモートでは、十分に実力を出すこともできていなかった。もちろん向こうも明確な殺意をもって血気盛んに激しく戦ったが、調整不足と準備不足は明らかだった。
手紙にはトムに単独で来るように、とあった。だからそのつもりで待ち受けていたのかもしれない。トムのまわりに新しい協力体制ができていることを知らず、トムがホークラックスから人間にもどったのもスネイプが乗り込んだおかげだったということも忘れて。いや、あのときは正体に気づかれなかったのだろうか? 少なくとも、顔が分からない程度にしか目撃されなかったのだろうか?
ともかく、スネイプが来るのは想定内だったとしても、ダンブルドアの存在は想定外だったようだ。
容赦ない戦闘が繰り広げられ、激しい撃ち合いが続いた。
地平線に太陽が見えかけたころ、スネイプとダンブルドアは勝った。
……
「闇祓いが来るのをここで待たせてもらいます」
ダンブルドアはセブルスのほうを見て、目を丸くした。
「何のために?」
セブルスはお返しに目を回して見せた。
「何のため? ヴォルデモート卿を捕えたのですぞ。骨折り損に終わるのでは納得できない」
そう言って顎を振り上げ、反論してみろという態度をとる。当然ダンブルドアは反論する。
「セブルス、それはどうかのう? おぬしも元死喰い人の身。そもそもどうやってここにヴォルデモートが潜んでいるのを知った、と問われれば、説明できないのではないか? なにせ一般には死んだと思われていたヴォルデモートじゃ」
「ヴォルデモートは生きのびる手段を見つけていた。そしてまだ忠実な部下のままだと見込んでわたしをここに召喚した。あいにくわたしは反旗をひるがえした。そういうことにすればいい」
「セブルス……」
「アルバス、わたしはそれだけの仕事をしてきた! 何年も忠実にあなたに仕え、戦争終結前後にも、この一年のあいだにも、いくどとなく危険に身を晒した。それだけの仕事の報賞を、ぽっと出の、またどうせグリフィンドールの闇祓いに横取りされてはたまらない。わたしにもこれくらいの権利はあるでしょう?」
ほとんど絶望的といっていい声色で、ダンブルドアに理解を求めた。
ダンブルドアはまだ納得していなかったが、深く嘆息して、それ以上の反論を控えた。
「よろしい。それでは幸運を祈る。魔法界の救世主になるということがどういうことか……おぬしにそのための準備ができていることを祈る」
「あなたもここで待てばいい」
「いや、それは遠慮しておく」
ダンブルドアはセブルスがやろうとしていることを聞いて不安を感じざるをえなかった。セブルスが賞賛されるべき人物であるのはたしかだが、この世界でヒーローになることがどれだけ負担であるかをダンブルドアはよく知っている。それが何十年も前のグリンデルバルトとの戦いの教訓だった。有名であることから来る重圧。だからこそこれだけの苦労をして、ハリー・ポッターがハリー・ポッターの名声に押し潰されず普通の少年時代を過ごせるようにと策を講じてきたのだ。
「落ち着いたころにまた会おう」
「ありがとうございます」
セブルスは平静に戻ってうなづき、バチンと音をたててダンブルドアが消えるのを見届け、ペティグリューが入っているトランクを手にした。過去の経緯からして、こそこそ逃げ出される心配がなくなるまでこのままにしておいたほうがいい、という判断だった。
……
セブルスは無言で部屋のなかを歩きまわった。床の上で意識を失っている二人の体にときどき目をやるが、ぴくりともしていない。ダンブルドアのおかげで当分はこの状態がつづきそうだが、相手がヴォルデモートとあっては、念を入れて監視するにこしたことはない。
ダンブルドアが闇祓いたちに通報し、闇祓いがここに到着するまでにはもうしばらく時間がかかる。そのあいだセブルスは、何と言って彼らを迎えようかと、思いを巡らせた。
となりの部屋からドサっと音がして、セブルスははっとして即座に臨戦態勢になった。長年の経験でつちかわれた直感を信じるなら、あれは闇祓いではない。
忍び足でドアのほうに近づき、その片がわの影にはいって少しでも襲撃を防ごうとしつつ、杖をかまえた。相手の正体は何であれ撃つ用意はできている。ちらりとのぞいて暗い部屋のなかを見ようとすると、何とドアのすぐ向こうに黒い人影があり、顔をあわせるかたちになった。
人影は両手をおろした姿勢だった。手に杖を持ってはいるが、かまえていない。セブルスはほとんど本能的に、この優位を相手に渡してはならないと思って、先制攻撃をした。強烈だが致命的ではない一撃で、相手は部屋の奥へ吹っ飛んだ。
侵入者は奥の壁に当たって床に落ちた。それがずるりと落ちながら、さらに黒ぐろした影に変わった。低いうなり声がしたかと思うと、黒い大イヌが激怒して、セブルスのほうにまっすぐ飛びかかってきた。
セブルスは機敏に左によけ、間一髪で荒あらしい牙をまぬがれることができた。イヌは飛びこんだ場所にあったカーペットに足をとられ、一瞬体勢をくずした。
その一瞬の隙にセブルスはもう一撃呪文を発して、相手をもう一度壁へたたきつけた。
相手は激昂してうなり声をあげ、それが雄叫びに変わってから、人間に戻った。そしてほぼ同時に杖を手にして、今度はしっかりとかまえていた。
窓の壊れた雨戸から朝日が入りこみ、侵入者の顔がはじめて見えるようになった。相手はほからなぬシリウス・ブラックだった。衝撃とともにさまざまな感情がセブルスの心中を駆け抜けた。
少し前の時点であれば、セブルスはまず殺すことを考えていただろう。許されざる呪文を使ったとしても、魔法省は見逃したはずだ。こちらは史上最悪の闇の魔法使いを捕らえた立役者であり、相手は殺人を犯したお尋ね者だ。自衛のためだという言いわけは立つ。だがごく限られた数の人間は、逃亡犯シリウス・ブラックが無実であると知っている。残念ながらセブルスはその一人だった(といっても、なかなか信じがたいことではあったが)。死の呪いを使ってやりたいのはやまやまながら、まっさきに選択肢から外さざるをえない。
ブラックは攻撃呪文を杖にのせて飛びかかってきた。セブルスは脇に飛んで間一髪でそれをかわした。
かなりの自制心をもってやっと、セブルスは反撃を失神呪文にとどめた。そう簡単には当たらないが、連射することで補った。
ブラックもよけながら攻撃をつづける。セブルスは距離をとり、すばやく物陰に入って、またそこから撃ちまくった。どちらも技量を存分に発揮して戦った。ただ、セブルスは致命傷のある呪文を使うのだけは避けた。
おかしなことに、ブラックも当面は同じ方針のようだった。
ソファの影からセブルスが無造作に放った一撃のあと、予想外に大きな衝突音がした。どさりと崩れ落ちたところから、苦痛のうめき声がして、あとは無音になった。おそるおそる顔を出してみると、何とブラックが床に気絶している。その上に倒れた書棚がかぶさっている。どういう巡り合わせか、最後の一撃は狙いをはずれて書棚に当たり、それがちょうどブラックの頭をめがけて倒れたらしい。
……
その三十時間まえのこと。
シリウスは影から影へと飛び移り、道を急いでいた。石畳だが肉球のある足のおかげで音は出ない。鼻を地面に近づけると、匂いはごく微量ながら、よく集中すれば何とか行き先をたどることができた。
ホグワーツでピーターを捕らえる計画は失敗した。ピーターには逃げられ、シリウス自身も
それからは生きのびることと闇祓いの追っ手をかわすことが第一となり、狩りに戻るのが遅れた。唯一のなぐさめは、もうハリーのそばにピーターがいないということだけだった。
ここにたどりつけたのは偶然だった。ほんの数日まえ、食料を探しているときのことだった。忘れたくても忘れられないあの匂いが思いがけず流れてきた。匂いの跡はやや古く弱かったが、シリウスにはそれを十分に補うだけの決意があった。飢えのことも忘れ、狩りを再開した。
匂いを追ってエディンバラのすぐ南にある村へたどりついた。そこにあのネズミが人間の姿で、こそこそと道を歩いていた。あいつに日の当たるところを歩く権利があるとでもいうのか、あの裏切り者に卑怯な殺人者でないふりをさせていいのか、とシリウスは思った。
まさに飛びかかろうとしていたところで、だれかが先を越した。見たところ死喰い人の一人で、狂人のようだった。その男は闇の帝王が云々とぶつぶつ言いながらピーターをつかまえて、姿現しをして消えた。
シリウスは二通りの解釈を検討した。
一つ目は、ピーターを捕らえたあの死喰い人が、ピーターが不慮の事故でヴォルデモートを破滅させた張本人であると知っていて、復讐をしようとしていた可能性。(その可能性を恐れるばかりピーターはネズミの姿でこれまでの年月隠遁をつづけざるをえなかったのだろう。そう思うとシリウスは胸のすく思いがした。)
二つ目は、あの死喰い人がピーターの仲間で、いっしょになにかたくらんでいるという可能性。
荒っぽい取り扱いからしておそらく一つ目が正解だろうが、可能性に賭けてはいられない。それに、死喰い人よりシリウス自身のほうがよほどペティグリューを憎む権利がある。あいつの息の根を止めるのは自分でなければならない。行方さえ分かればこちらのものだ。
姿現しした人物のあとを追うのは困難で、手間のかかる呪文を必要とする作業だ。だが不可能ではない。
それから三十時間後、シリウスは古い家の敷地に到着した。
それから五分後、窓から忍びこみ、明かりのない部屋に忍びこんだ。
それからさらに五分後、戦闘となり、頭部を痛烈に打たれ、シリウスは気絶した。
……
セブルスは一度だけ子ども向けアニメを見たことがあった。いや一度ではなく、父親に連れていかれたマグルの祖父母の家でだが、何度か見たことがあった。どれもたいてい何の意味もないくだらない番組で、ほとんど内容は覚えていない。子どもなら見て楽しめるが、大人が注意をはらうものではない。
こんなときになって、なぜかそういった番組の一つが脳裡に浮かんだ。雑な絵のキャラクターがなにか決心しようとしていて、心のなかの葛藤が視聴者にむけて天使と悪魔のすがたで描かれている。天使と悪魔は肩の上から、そのキャラクターをそれぞれ説得しようとしている。
セブルスの肩の上は天使も悪魔もいないが、もしいたとすれば、さしづめこういうやりとりになる。
(悪魔): 手を出すな。じきに闇祓いが来れば、やつはアズカバンに連れ戻される。それがお似合いだ。
(天使): お似合いだと? 無実の男がか。
(悪魔): 無実なものか。学校時代、やつはおまえの仇敵だっただろう。
(天使): それにしてもアズカバンに送るほどのことか? いじめが罪だとして、十二年も服役すれば十分すぎるだろう?
(悪魔): やつはおまえを殺そうとした。
(天使): やつは若く愚かだった。深く考えずにやっていたのだろうし、殺す気すらなかったとしても不思議はない。
(悪魔): いや、殺す気満々だった。なのに見逃された。
(天使): 十二年。やつも
(悪魔): 当然だ。苦しんだのはおまえも同じだ。
(天使): 正直になれ。おまえだって一点の曇りもない人生だったとは言えないだろう。
(悪魔): だまれ。おまえはどちらの味方なのだ?
(天使): おまえこそだまれ。わたしはセブルスの良心だ。もっとよい人間になりたくないのか? 毎年毎年子どもたちのわがままに耐えてきたのもそのためではないのか?
(悪魔): テストステロンの悪夢のごとき十二年間。ブラックの罰のほうがましだったとさえ言える。アズカバンもあれに比べれば息抜きの旅行のようなものだ。
(天使): もうすぐ闇祓いが来る。アズカバンに値する罪をブラックは犯していない。そのことは分かっているだろう。また誤った選択をして良心を傷つけて生きていきたいのか? また後悔の種を増やしたいのか?
(悪魔): 眠れなくなるのが心配なら、取り越し苦労だぞ。
(天使): 嘘だな。
(悪魔): 羊を数えればいい。きっと眠れる。
(天使): おまえはペティグリューを救った。あれだけのことをしたペティグリューにもやりなおすチャンスがあるなら、ブラックにもあっていい。
(悪魔): よくない。
(天使): いい。
(悪魔): よくない。
(天使): いい。
(悪魔): よくない。
(天使): いい。
セブルスは低くうなって鼻すじをつまんで、いつから自分はこんなバカげた想像をするようになったのだろう、と思った。最近付き合っている生徒たちの影響だろうか。
それ以上考えるまえに、セブルスはブラックを床から持ち上げて、トムの隠れ家へと
贖罪というのはつくづく骨が折れる。