僕らの終わりに、陽だまりを   作:神話好き

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君臨とフェアウェルの十月

 前回の『ダイス』の襲撃以降、私たちはその活動の殆どを麻痺させられた。一応、リーダーである私が本調子になるまでかなりの時間を要したのを初め、満月の夜に確保した少女、チドリの件で順平君と桐条先輩がかかりっきりになってしまったりと、それ以外にもやることがあったのが大きい。特に、チドリと言う名の少女は『ストレガ』に属している。頑なに黙秘を貫く彼女から、何かの情報は期待できないのだろうけれど、それは到底無理だ。希望があれば、人は飛びつく。飛びつかずにはいられない。そうして、半ば無理やり気味に聞き出した情報が一つ。曰く、『ダイスの残りの人とは戦いにすらならない』らしい。本当に、心の底からうっとおしそうに言ってはいたけれど、多分本当の事だ。『ストレガ』ではなく『ダイス』の情報を喋ったのは、恐らくそうしても問題が無いから。最初と二人目はともかく、今回の相手は、仮に策を練って全てが上手くいけば倒せたかもしれなかった。こちらが成長しているのかは分からないけど、兎に角状況次第では手が届く可能性があったのだ。……多分。

「……ぼーっとしてんな。暇ならとっとと寝ろ」

「あ、荒垣先輩」

 赤いロングコートとニットキャップと、やさぐれオーラ全開な雰囲気が特徴的な先輩。真田先輩や桐条先輩とは旧知の仲だったらしく、一か月くらい前からこの寮に入居した人だ。おっかない外見だけど、中身はビックリするくらい常識人。多分、特別課外活動部で一番いい人だと思う。まあ、当の本人は絶対に認めたがらないけど、何度か食事を共にしたりもしてるし、風花ちゃんの料理の先生役という体で、寮の皆に手作りのごはんを振る舞ってもらったこともある。たった一月、されど一月と言った感じで、なんとなーく気が合って、すぐに仲良くなった。

「病み上がりに夜風は堪える。満月が近けえんだ。……特に今回の敵は、前回よりも厄介らしい」

「らしいですね。あのチドリって子は嘘をつくタイプじゃないと思いますし。多分、そうなるんでしょう」

 はあ、と深く深く息を吐き出すと、自らの頬を叩く。腑抜けている。自分でも心底そう思う。敗戦が直接の原因ではないけれど、何事も目途が立たないのは苦しいものだと実感する。端的に言えば、勝ちの目が見えないのだ。今はまだ、向こうが気まぐれで、あるいは何かしらの意思を持って手を抜いているから立ち上がれているにすぎない。自慢するように、彼らはその実力を遺憾なく誇示した。それが、彼らのリーダーの意向だとも言っていた。ならば、そういうことなんだろう。理由は与り知らないけれど、彼らを統率している兄とやらは、これ以上なく仲間を大切に思っている。ああ、きっと、それしか……。

「そんな顔したところで何も変わらねえぞ」

「うっ……。分かってますってば」

 しまった顔に出てたか、なんて思いながら、見抜かれた気恥ずかしさをごまかすようにそっぽを向く。それでもちょっぴり気分は紛れてくれた。出口もなく、あのまま暗いことを考え続けてしまうよりはずっといい。

「……少しはマシな顔になったみてえだな」

「見惚れました?」

「アホ。その台詞を吐くには十年早え」

 正面のソファーに座りこんで、その手に持っていたコーヒーを置く荒垣先輩。数は二つ。本当に、細かい気配りでこの人に勝てる人物なんて存在しないのだろうと思わせる。時折見せる影が日向先輩とも被るが、どこぞの似非優等生とは違って、荒垣先輩はちゃんと猫を被っていないいい人だ。裏表なしって素晴らしい。

「先輩の悪口はいいですねー。なんか竹を割った感じで陰湿じゃない所が特に」

「……本当に寝なくて大丈夫か?」

「だから、大丈夫ですって。ただ、ちょっと知り合いに性格に難有りな先輩がいましてね……」

「今更だろ」

「いや、中でも別格と言いますか」

「どんな奴だ、それは……」

 この寮をして別格と評した私の言に、荒垣先輩の顔に呆れが浮かぶ。言わんとしていることは重々分かる。分かるけれども、やはりあの人は別格なのだ。性格どころか精神に難有り。だいたいこっちの方も、諦めてあげないだなんて大見得切っておいて何ら目途が立っていない有様である。

「ああ、そういえば荒垣先輩は知らないんでしたっけ?うちの学校には猫被るのが取っても上手い優等生がいるんですよ」

「そいつは……」

「あれ?その反応は知ってました、か?」

 しぼんでいく私の声と比例して、普段から険しめな表情が、更に険しいものへと変化した。違う。この反応は違う。私の意図したものではない。これは、荒垣先輩は、知っている。日向春一の本性を。

「悪いことは言わねえ。アレとは関わるな」

「それは……、分かってますよ。でも、知っちゃいましたから、目を背けるのはダメです」

「碌なことにならねえぞ」

「ありがとうございます、心配してくれて。でも、大丈夫ですよ。多分、私には必要な事ですから」

「……そうかよ」

「ええ。って言うか、先輩どこで知ったんです?あの人、相当用心深いはずなんですけど」

「偶然だ。特に知ろうとなんざしてねえよ」

 深く深く吐き出される息が、緊張度合のすさまじさを物語る。触れてはならないパンドラの箱。決して自分からは振り撒かず、開いてしまった人を後悔させる。特筆するべき部分があるとしたら、その底に希望だなんて大層な物が眠っていないところだ。救いがない。なさすぎる。人の形をした災厄であると、私は日向先輩を理解している。口には出さずとも、聞いてみれば恐らく本人も肯定するはずだ。虚ろに笑いながら。

「本当に、知ろうとなんざしてなかったのにな……」

 推し量る事すらできないほどの想いを乗せて吐き出されたその言葉は、闇夜に溶けた。何かを背負っているのは明白なのに、それが悲しいモノであることも分かっているのに、踏み込めない。怖気づいている訳じゃない。知り合ってまだ日は浅くとも、仲間だ。この身を擲ってでも何かをしてあげたい。けれど、その仲間の願いが、いつもどおりであることだから、私はいつもどおりの私でいよう。一緒にご飯食べに行ったり、料理したり、そんなそれなりに気の置ける後輩でいようと思う。後悔は……、きっとするんだろうなあ。

「ホント、世の中ままならないことだらけですよねー」

「違えねえ」

 

 

・・・

 十月四日。

「これはこれは、折角の筋書きが無駄になったのう」

 眩く輝いている月に照らされ屹立した己がペルソナを一旦消すと、既にぐずぐずと音を立てて消えていく大型シャドウだったものを一瞥する。数えきれないまでに千切られたそれらは、もはやヘドロと言った方がしっくりくるほどだ。

「呵呵。心配無用。こと儂に限っては、微塵の問題はあるまいて。遍く全てが誤差の範疇じゃ」

 顔の上半分を覆い隠してしまう大きなフードつきのパーカーに棍、そして右手にはハルより一時的に賜った召喚器。銘を『ステュクス』。大雑把に言うならば、銃口が六つある回転式拳銃である。所謂ゲテモノだが、当然発砲も出来る。しかし、これの本質はそこにない。

えげつない威力の銃撃すら霞んでしまう用途として、召喚の補助……、ではなくブーストを行うことが出来るのだ。人の身には過ぎたる力を宿してしまった儂は、そうすることで初めて十全に己がペルソナを掌握する。尤も、副作用を持つが故に滅多に使用はしないが。

「時間稼ぎと、その時が訪れると同時の決着、か。ふむ、やはり万事において抜かりなし。任せよ。満願成就はここに成れり」

 ここタルタロスへと向かう七人と一匹、そして離れた路地裏に向かう二人。レンゲオウから齎される情報から推測するに間もなく到着、加えてそれぞれのスタートはほぼ同時。けれど、やはり危惧は無い。一切の例外なく、この影時間に潜む者は釈迦の手の平の上に在るのだから。

「哀しい哉。どれほど思いの丈をぶつけようと、立ちはだかる壁は遥かに強固。往々にして生きるとはそういうものよな」

 天則、自然律、理。表す言葉は多々あれど、影時間においてのそれは即ち力の有無のみ。無情にして原初の理。貴き想いも、熱い情熱も、鉄の意思も、儂のレンゲオウは容易く打ち破ってしまうのだろう。なまじ、儂に召喚器を使わせる実力をつけてしまっただけに、彼らは何度も挑み、倒れる。その眼が絶望に曇ってしまうまで。

「よくぞ参られたのう。我らが敵様方よ」

「五人目……」

「呵呵。いきなりそう構えるでないわ。言葉を交わす時間くらいはあるじゃろう。儂はあれらのように戦闘狂でもないのでな」

 あからさまな虚言だ。しかし、彼らが確かめる術を持たない以上、真偽は大して関係ない。要するに儂は、喉から手が出るくらいに欲しいであろう情報をぶら下げて、こっちの思惑に乗れ、と言っている。それを理解しているのは桐条と有里、そして真田くらいだが、その三人が理解しているなら十分。

「眉一つ動かさない。これまでと違って、とんだ食わせ物だな」

「儂らは各々が役割を持っておる。二葉が遊撃、三日月が攪乱、四季が回復、五月雨が殲滅、そして儂が探知」

「それはまた……」

「随分と都合のいいチームですね」

「自らを常識で縛るでない。ペルソナは心の力。強く求め訴えれば、必ずや応えてくれる。なれば、儂らの有り様は必然よな」

 才能があった。などと評されてしまえばそれまでの話だが、文字通り血反吐を死ぬ寸前まで何度も吐いて手に入れた力。安く見られては堪らない。

「そうさな。探知タイプと聞いて気を抜かれても困る。一つ余興でも挟もうか」

 直後、不動を貫いていた観音像が緩やかに手の平を天へと向けた。

「そら、動いていいとも。動けるのならば」

 そう言って厭らしく口元を歪めてやる。前面に押し出した小馬鹿にする態度とは裏腹に脳には莫大な量の情報が流れ込み、気を抜けば意識を刈り取られてしまいそうだ。レンゲオウは衆生の全てを見通す神仏。そこに肖る儂の力も、当然準拠した形を取る。

「済度の時間じゃ。足掻く全てに安息を」

 限度いっぱいまで脳みそが稼働し、ようやくペルソナの恩恵を享受する。変質したのは纏う雰囲気と、何よりも視界。俗に言う天眼というやつだ。廃人化を防ぐため、理解できる情報だけしか受け取れないようにフィルターを掛けてはいるものの、筋繊維の一本一本から細かな感情の機微に至るまでを知る。

「鈍い鈍い。欠伸が出てしまいそうじゃ!」

 真正面から同時に六人と一匹を相手取る。さきがけに跳びかかってきたのは、やはり真田。牽制なしの右ストレートを上体を逸らして躱し、死角からの左フックも棍を当て僅かに軌道をずらした。一見紙一重の攻防。しかし、交わる視線に温度は皆無だ。不敵に笑い続けるこちらの底を見極めようと、極めて冷静に真田は観察を遂行せんとしている。

「終わりかのう?」

「そう急くな。やる気があるのは何も俺だけじゃない」

 バックステップで下がった真田に代わり、左右から剣戟が放たれた。大剣と薙刀による十字斬撃に、儂は更にのけ反ると、そのまま頭上に振り上げた棍を地面に突き立てると、棒高跳びの要領で跳躍する。

「重畳、重畳」

 心地よい浮遊感に見舞われながら、何かを掴むように手を握ると、そこには矢が収まった。敵もまた、逸脱者。半年間絶えず命を懸けた戦場に身を置いた歴戦の猛者である。

「足りぬな。儂に逼迫したいのなら、もう少し気張ること」

 そのまま何事もなかったかの如く着地をすると、無造作に掴んでいた矢を放り捨てる。同時に一歩右へ。気配を完全に殺していたコロマルの奇襲を躱すと、半身になって前方へ棍を伸ばした。効果は覿面。機械仕掛けの体躯を盾に突っ込んできていたアイギスの左足の甲を突き、バランスを著しく崩すことに成功。そのまま手首の返しだけを用いて足を払い、今すぐにでも第二撃に移行しようとしていたコロマルへの牽制とした。

「まだ!」

「お主が一番手玉じゃぞ。痛みを知らぬ機械人形よ」

 受け身すら取ろうとせず、倒れかけながらも手に仕込まれた銃を使用したアイギスだったが、その捨て身戦法も他愛ない。爆音と共に放たれた至近弾は五発。内、儂に当たる軌道は四発だった。咄嗟の射撃なのに軌道は確実に四肢を捉え、尋常ならざる正確さには舌を巻くしかないけれど、感情の機微が乗ってこその凶弾。インプットされた無力化するという命令に従うだけの物に、殊更恐怖など感じない。両足の太ももに両肩。儂は、タイミングを見計らい自らの足を払うと、風車の様に一回転をし、無傷のまま地に足をつけると、両手でバット風に持った棍を振るい、アイギス諸共コロマルを吹き飛ばした。

「曲芸師も真っ青な身のこなしだな」

「なに、こんなものは余技に過ぎぬとも。あくまで見通す力こそが儂の本懐」

 見に徹していた桐条の言葉は固い。お互い本気とは遠くとも、これまでの様に手強い敵であると理解しただろう。これまでの様に。少なくとも、自分たちが今まで一度たりとも勝利をもぎ取れていないこれまでの刺客と同等である、と。

「おお、うっかりしておった。言葉を交わすと宣言した手前、何よりも名乗りを先決するべきじゃったか」

 緊張したまま構えを解けない相手を嘲笑うかのように、無防備に両手を広げて見栄を切る。

「末弟、六道。救いをその身に宿す魂よ!」

 時は来た。幸か不幸かあちらの展開が予想よりも随分と早い。ならば、申し訳ないが、早急に決着といかせてもらおう。

「召喚器かっ!?」

 異形の銃が、自分たちのそれと同じ類の物であると気付いたのは桐条だ。特別課外活動部の中でも、最もペルソナが身近な半生を送ってきたからこそ、彼女が桐条であるからこそ、驚愕の声はいち早く、そして途方もなく悲痛だった。何故なら、それを作れるのは、他でもない桐条グループでしか有り得ないのだから。かつて屋久島で桐条武治が告げた罪は、十年を経て肩に手がかかるまでに肥大してしまった。信賞必罰。過去の因果から逃れることなど、何人たりとも叶わない。

「ペルソナの体を取っているといえ、神仏を従えるなど、どだい人の身には余る所業。故に儂らは命を削る」

 米神にぴったりと密着させた銃から漂う圧迫感が、次の瞬間には本当に脳漿をぶちまけた自分がいるのではないかとまで錯覚させ、指は僅かながら震えを見せる。だからどうした。ふん、と鼻をばかばかしそうに鳴らすや否や、思考を打ち切り引き金を引く。元より、自分にそんな躊躇いはいらない。

「レンゲオウ!」

 変化は劇的だった。光背が輝き、巨大な蓮華が足元を覆う。神々しいとは、まさにこれを表す言葉なのだと本能で感じ取れるくらいに、神聖で、荘厳で、貴くて、暖かい。先ほどまで控えていた状態が仏像だとするならば、今この場に鎮座ましまするは神仏そのもの。過言だとは露ほど思わない。事実、リスクを侵しつつこの状態にまでなったなら、無敵である自負もある。まあ、立っているだけでもかなりしんどいのだけれど。

「分不相応。未だに慣れんわ」

 役目を終えた『ステュクス』を丁寧に懐へとしまい込むと、棍を手放し、腕を組む。油断や慢心ではない。そも、ここから先の領域には必要が無いのだ。儂は、祈り、求め、訴えるだけでいい。

「我が兄弟たちより全幅の信頼を勝ち得たペルソナの力、とくと味わうがいい」

 時間を掛けるつもりはない。この後にもう一発、本命が控えているのだ。少しでも負担を減らしておかなくては。

「仕切り直し、などと残酷なことは告げまい。暫くは転がっていろ、じきに兄が力の一端を開放する邪魔にならぬように」

 一同が等しく眉を顰める。この場面にして有り得ない静けさは、それだけ彼らの警戒の色の濃さを示し、何一つ見落とさないという覚悟の表れでもあった。心地いい静寂だ。無謬の極地に相応しい。

「金剛杵」

 ゆっくりと滑らかに、無数にある手の一つが動き出す。到底早くなどない。しかし、彼らが回避行動を取ろうと認識できたのは、振り上げられたそれが、渾身の力で地面を抉った刹那になってからだった。耳を劈く轟音と辺り一面を白く染めた閃光は、もはやそれ単体でも兵器と言えるが、まずは一人、轟雷により岳羽ゆかりは戦闘不能に陥った。

「ペンテシレア!」

「紅蓮華」

 受け身はまずいと直感して、攻勢に転じたのは桐条美鶴が最も早かった。戦闘経験云々の問題ではなく、広い知識量からこちらの出来る事を推測できたが為の決断だろう。一般的な経くらいならいざ知らず、普通に生活していて仏教の知識を持っている高校生など、現代社会では稀である。流石の慧眼と言わざるを得ない。が、無意味だ。

「くっ……!」

 後の事を一切考慮しないで作り出しただろう氷塊は、より巨大な紅の華に包まれ跡形もなく蒸発した。

「宝戟、鉞斧」

 圧倒的な熱量が下がりきるのを待たずに、次なる一手を敢行する。軽く薙ぐような二手による連撃は、動けない桐条のフォローに回ろうとしていたアイギスをも巻き込み、二人を戦闘不能に。あっという間の出来事に困惑しつつも、戦闘経験が随一である真田がこちらの力に当たりを付けて声を上げる。

「敵意が無いのか!?」

「ご名答じゃ」

 レンゲオウの攻撃は、避けられないのではない。避けようと思えないのだ。

「惜しいのう。せめて拮抗できる力があれば、戦いにはなったものを」

 無情に手の平を合わせ、祈る。

「髑髏杖」

 繰り出されたのは禍々しい瘴気を放つ錫杖。尖端に取り付けられた髑髏は、風を切る度に深い極まりない音を立て、身をすくませてしまったコロマルと山岸を昏倒させた。残るは三人。

「澡瓶」

 続いて巨大な水差しが舞う。絢爛豪華な装飾が煌めき、次の瞬間その内容量とはとても釣り合いが取れない莫大な量の水が吐き出される。怒濤の津波。咄嗟の判断で、迫りくる水を凍りつかせた有里だけが事なきを得、伊織も真田も地に伏した。

「抵抗するか?」

「勿論!」

 闘志は未だ衰えを知らず。絶望してもおかしくない差を見せつけられて尚、折れないのなら、それは喜ばしい。一世一代の大舞台で、ハルの前に立つに不足があっては困る。欲を言うならばもう少し育ってほしかったが、止むを得ん。

「儂は他の兄妹と違って、もう主らと直接矛を交える機会を持たぬかもしれぬ。主役を張る器でもないのでな」

「どういう、こと?」

「二葉風に言えば、ノッてきた。本気を見せてやる、なんてところじゃ」

 有里の疑問を封殺し、聞こえるかも定かではない声量で真言を呟く。何度も、何度も。そのちっぽけな希望を容赦なく飲み込むために。

「三界、悉くを手中に収めん。合掌、大悲心陀羅尼」

 幻想的に蓮華が散り始め、呼応して周囲を取り囲むように数珠が奔った。次第に回転のスピードを増していくそれらは、個々が信じられない力を有し、臨界へと向けてひた走り続ける。終われば二、三日は寝込むだろう。補助を用いてこの有様だ。虚仮の一念もここらが限界か。

「さて、上手くやるのじゃぞ。言われるまでもないとは思うがのう」

 発動はド派手な爆発、ではなく、光の柱が幾重にも生まれるという味気ない技である。されど内包された奇跡は計り知れず、無音の極光が収まれば、善悪も強弱関係なく、ただ決着だけが残された。偏に風の前に塵に同じ。見回せば、既に倒れ伏した有里がいるだけ。

「……やりすぎだ、馬鹿者」

 浮上した意識。動作確認も後回しにて思わず口を突いたのは、そんな気の抜けたボヤキだ。まさか、本当に本気の本気まで繰り出すとは。

「けどご苦労様、六道。土産話を楽しみにしててくれていいよ」

 普段着なれない服装に違和感を覚えながらも、大切にしまわれた『ステュクス』を引っ張り出して銃口を眼前に据える。眉間がちりちりと圧迫感を覚え、いい加減息が詰まると感じたくらいで撃鉄は下ろされた。

「弟子の晴れ舞台だ。遅ればせながら責任を果たすとしようか、カロン」

 大気が哭いた。召喚器を媒介しても有する力の大きさも、特筆すべき特殊能力も増えてはいない。これは僕にとって、枷を外すための鍵。広すぎる河を、実用可能な範囲にまで縮小した僕の努力を一時的に無に帰すための物に過ぎない。

「遠慮は要らないよ。全部、解き放とう」

 憎悪で出来た奔流は、留まるところを知らずに僕の内からあふれ出す。どこまでも、どこまでも、壊れた花瓶から漏れる水の様に。際限など有りはしない。陰鬱な雰囲気の影時間の最中、とうとう形を持たぬ黒い水が、ポートアイランドを飲み込んだ。どうか、溺れてしまいなさい。絶望の闊歩するこの夜に。




すみません。少し忙しくて遅れてしまいました。
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