「くはっ!」
ムーンライトブリッジ。いかにも安直なネーミングの大橋は影時間の中でも堂々としており、今も眼下で繰り広げられている戦闘の余波にもビクともしない。腹の底を焦がす灼熱が夜風の冷たさを完全に凌ぎ、猛る闘志は、暴力的なまでの勢いで煙を吹く己がペルソナがかくも雄大に語っている。待ったかいがあった。あの日、潰してしまわなくてよかった。緊張よりも、歓喜で手が震えてしまうのを抑えられない。欲求不満だった。俺様は正しく飢えていた。でも、もうそんなのはどうだっていい。俺様は獣で、目の前にって、なら貪り食らうまでのこと。本能の赴くままに。
「食い荒らすぞ!ドッペルゲンガァー!」
勝敗は決した。いや、言い訳はするまい。ただ、もうこれ以上は待てそうにないのだ。人を肉片に変えるに十分な高さのアーチの上から、躊躇いもせずに飛び降りる。吐き出された真っ白な吐息とドッペルゲンガーの発する黒い煙が二本の線が絡まりあって、溶けていく。移り変わるほどに景色は多くなかったし、何より視線は落下先にいる奴らに釘づけだった。
「はっはァ!こっぴどくやられてんじゃねーの、テメエら!」
「……二葉、ですか」
「おーおー、しけた面してやがるぜ。自分から特攻嗾けといて、そりゃあちっとばかし情けねえぞ」
「やったら引っ込んどき。助けて言うた覚えはないで」
「ダメだな。無理無理。玉砕すんなら文句ないけどよ、諦めはご法度だぜ。特に、うちのリーダーの前では」
目を見開き仄めかす程度に威圧する。どうにも要領が悪い。参謀なら絶体絶命の窮地にあっても、普段通りクレバーでなければならないのに。
「これしきのピンチで降参ですー、ってか?寝言言うな。悔しかろうが納得してからくたばりやがれ」
フン、と鼻を鳴らして一瞥すると、再び敵へと注意を向ける。反応があまりに静かなのは、恐らく顔を隠していないから。三日月や六道、それに四季のような変装の手練手管を俺様は持ち合わせていない。いくら纏う雰囲気が違っていても、顔や声は元のハルと似ている。それは兄弟が似ているくらいのイメージだろうが、この場で観衆の目を引き付けるには十分なインパクトを備えていた。
「っつーワケで、とっとと行け。流石の俺様も我慢の限界だ」
「……借りは必ず返す。そう伝えてもらえるか」
「生憎、俺様は強いんでな。他人の心配してるヒマがあったら早くどっか行け。近くに居る奴は全部敵の方が分かり易くていい」
押し寄せる昂揚を前に抵抗するだけの理性は既に風前の灯。敵を打ち破る殻として生まれ、目の前にその本分を全うさせてくれる敵がいる。集中力は未だかつてない鋭敏さまで高まり、そよぐ髪の一本一本の動きにすら意識の内に。陳腐な表現になるが、俺様は五体を己の支配下へと置いた。
「……待たせたな、ひよっこ共」
猜疑の視線を一身に受け止めながらも堂々と『ストレガ』の二人を見送ると、改めてペルソナを背後に控えさせて言う。本当ならば今すぐにでもおっぱじめちまいたいところだが、それじゃあ困惑を抱えたまま戦うことになる。そんなのはダメだ。折角の今日、この時間は、そんな余分なモノの介在を許さない一時にしたい。純粋なまでに相手を倒すことだけを考えてぶつかり合うのだ。素晴らしい。それでこそ、当てもなく練り上げ続けた成果をお披露目するに相応しいではないか。
「半年。武道において半年なんざ大した期間でもないハズだが……、なかなかどうして、牙を持つようになったか」
「……どういう事だ?」
「あァ?」
突然の噛み合わなさに小首を傾げるも、こっちの参謀方の声を聞いて得心する。
「なんだ、まだそこか」
ハルの杞憂は杞憂に終わったらしい。というよりも、あれだけ念入りに隠滅した日向春一に関する資料を短期間で見つけ出せたらそれはもう奇跡だ。まあ、俺様たちの存在も奇跡っちゃあ奇跡なので、もし見つけられていてもあまり驚かなかったかもしれない。
「ふ、双子、なんてオチじゃねーよな……?」
「でも、全く同じ顔なんて」
「ま、聞きたいことはあるだろうさ」
周囲から物音一つしない影時間の中、どよめきだけが木霊する。困惑も結構。猜疑も結構。それはこれまでの道が、完全だったという証だから。
「目の前に情報源がいるんだぜ。ここから先は拳で語ろうや!」
雷声。絶叫とは比べるべくもない覇気を纏った空を揺らす咆哮は、この場にいる者の総身を貫いた。野生を色濃く有するコロマルだけが怯まず臨戦の意を表し、勢いよく逆立てられた尾が甲高い風切り音を立てる。それが合図となり我に返った奴から順に武器を構え始め、一秒と掛からずに臨戦へと至った。
「気張れよ。間違っても前回みてーな体たらくは御免だぜ」
開幕の一歩。ただ相手に接近する行為すらも、神経を極限まで尖らせる。視線、呼吸、反射運動の一つ一つの合間を計り、空白の時間を一歩で突っ切るのだ。踏み込んだ足が地面に触れた瞬間に癇癪玉を踏みつぶしたような音が響き、一拍の後に首を持っていかれそうな加速に突入した。筋肉が軋みをあげるほど拳を握り込む。反動をつけるべく逸らした上体を力づくで固定し、正中線を真っ直ぐ進撃する。狙いは宣言通り、前回と同じく伊織順平。
「ク、ソ……がっ!」
危険が迫っているのに動いてくれない足に悪態をつきながらも、伊織は動く両手で剣を振るう。雑に、しかし渾身で。両手持ちにした大剣を、思いきり振り下ろした。
「いいじゃねーか。……いいじゃねえーかよ!」
右手甲を用いて高速で迫りくる剣先を叩き、ほんの少し逸らすと、左足を軸にして右足を引き、剣に対して平行になる。切っ先が地面に触れ、かきん、という金属音を認識するや否や更に前進。伊織の足の甲を踏み付け、顎をかちあげる。が、十全の成果を得る事は出来なかった。寸前まで俺様の腕があった虚空を穿つ矢。あと一息で打ち抜ける絶妙なタイミングで妨害が入ったのだ。
「順平君、伏せて!」
救援が早い。気配は三つ。声の主の有里、メンバー内でも屈指の俊敏を持つ天田。そして……。
「リベンジマッチだ。付き合ってもらうぞ!」
真田明彦。瞳には確固たる決意を。剥き出しにした闘志を轟々と燃やし、背負ったあらゆるモノを拳に乗せる。大層重いことだろう。だが。それはこちらも同じ。二葉。二番目。最初に生み出された俺様は、常に不敵で、無敵で、ありとあらゆる困難を切り開かなくてはならない。そんな小さくて安いプライドだけが、不屈の自分を作り出す。
「ドッペルゲンガー!」
自ら仰向けに倒れ、馬鹿でかい剣を盾代わりにした伊織に致命傷を与えるのは困難と判断し、淀みない仕草で振り返る。視界に移ったのは銀の彗星。ただただ早い。天田の繰り出した突きに対する評価はそれだ。必要なもの以外を全てそぎ落とした極地、とでも言おうか。非力だろうと、未熟だろうと、速度だけでねじ伏せればいい。分かり易くハルの弟子だ。乱暴すぎて、武道に精通している者からしたら噴飯ものの笑い話も、愚直に大成すればこれ以上なく強力。ただし、同格までの相手ならばの話。
「悪ィな。俺様は天才なんだ」
真っ直ぐ突きだした拳を穂先に当てると、同じ速さで腕を引いて完全に勢いを殺す。冷静に腹の内を探ろうとする視線を交わし、上方からの薙刀を合図に距離を取った。
「逃がさない!」
「馬ァ鹿。逃げねえよ」
バックステップ中の体をピタリと静止させたのは背中から生えた黒い棘。俺様のペルソナ、ドッペルゲンガー。お蔭様で相手の想定よりも僅かに早く構えを取ることに成功し、攻守の形勢は一秒待たずに逆転した。袈裟切りの軌道を奔る薙刀に合わせて体を捻り、がら空きの脇腹目掛けて後ろ回し蹴りを。有里の両足が浮いたのを確認してから正拳突きの構えへと移行する。
「ペンテシレア!」
拳の進行上に突如現れた氷塊。構わない。依然、問題なしだ。
「狙いは良いんだろうさ……、相手が俺様じゃなければな」
腰を落とし、分厚い氷の寸前から技を始める。寸勁。またの名をワンインチパンチ。十分な距離を必要としない大砲を前に、宙に浮いた氷など砲弾も同じ。努力の果てに砕けない硬度と、ピンポイントに魔法を展開できる技量を得たのだろう。いかにもお利口さんな一手など、この五体は真っ向から凌駕する。
「ふ、う……っ!」
呼吸を整え、体内に数多存在する力の流れを統合し、地面を踏み付けた反動を幹として、荒れ狂うベクトルに意思を乗せる。大凡一メートル四方の大きさの弾丸は、余すことなく拳から放出された力を受け取り発射された。咄嗟の機転で氷塊に身を寄せた有里は慣性が尽きるまで吹き飛ばされ、追撃を思考する間も無く真田が鋭いステップで接近。構えは完全なるボクシングスタイル。真っ向勝負をお望みだ。
「嬉しいねェ。相も変わらず我が強い」
「その笑み、いつまでも続くと思うな」
口元が大きく裂け、揺らめく吐息は宛ら蒸気のようだ。程よい昂揚が適量の緊張を導き、お互いが間合いに入ると同時に右ストレート同士がぶつかり、弾けた。間髪入れずに左同士がぶつかり、またしても。息をするのも忘れ、手が痺れても応酬が続く。鈍い打撃音が幾度も響き、打ち合いの均衡は真田から崩された。ダッキングをしながら前に出る。インファイトの更にイン。相手の鼓動が聞こえてきそうな距離で、それでも被弾は許さない。アッパーはスウェーで躱し、フックはヘッドスリップで無効化。重さよりも速さに比重を置いた連撃が薄皮一枚のところを通過していくスリルを味わいながらも、次なる接近の気配を察知した。無粋極まりない奴だ。いや、アレに細かい感情の機微を読み取れと言う方が酷か。
「あえて言うぞ。舐めるな、だ」
小さく速いステップがなりを潜め、柔独特の足運びへと転調させる。第六感。違和感。呼び方などどうでもいいが、相殺されないままに顔面へと吸い込まれていくパンチを真田は引いた。日本に生まれ武を育む者だったから、畑は違ってもそれが何なのかを知っていた。相性が悪い。打撃を主とするボクシングが勝つとすれば、相手の動きを上回る必要がある。少なくとも、今はまだ不可能。一旦体勢を立て直して仕切り直し。真田はそう判断した。
「退け、アイギス!」
「人の形をしていた自分を恨め」
影から黒いガスが立ち上り、一瞬にして周囲を包む。前回の様に広範囲でない分、視界は完全に零。飲み込むのは自身とアイギス。人との違い。頭脳の判断を待ってから動くまでの隙間の硬直に腕を掴むと横に引っ張る。飛び退くのに失敗し若干前のめりになったアイギスの顎を目指して斜め上方に手を伸ばすと、すれ違うように前進。接触と同時に機械の体躯が浮かび上がり、後頭部から地面へと叩きつけられた。
「堅ってーな、おい。常人なら一発終了の技なんだが」
そう言って、動く手で銃口を向けようとしてくるアイギスを無造作に放り投げる。
「……何かを修めていると当たりを付けるくらいはしていたが、よもやボクシングまで俺と互角とは」
「おう。誇っていいぞ。テメエ、まず間違いなく天才だよ」
パッと見ケガ人は二人。伊織は機動に支障が出るくらいに足を、有里は全身まんべんなく打ち身。アイギスに関してはぶっちゃけよく分からん。さっきのだってリタイアさせる心算だったのだ。これ以上となると四肢をもぎ取るしかないが……。まあ、最悪橋から落とせばいいか。
「フェンシング、ボクシング、弓術、薙刀、槍術、んー、出鱈目もいいとこだが一応剣術とでも呼ぼうか。得物は門外漢だが、そいつを破壊する術ならいくらでもあんだぜ。ホント偉大だよな。人間様の歴史ってヤツは」
足の捌き方。合理的な筋肉の動き。滑らかに練られた套路。強さに対する飽くなき人の妄執を懲り固めたような、そんな存在の権化こそが俺様だ。自分でも頭がおかしいと思うくらいに多くの武術を修めた。幸運なことに表に出ていなければ睡眠も要らないし、無茶無謀もお茶の子さいさい。人知を超えた密度のイメージトレーニングの成果はすさまじく、体が出来上がるまでの間に日々感じていたもどかしさ
など忘れてしまった。断じて許容することなど有り得ないけれど、あの地獄で環境によって培われた特殊な修練が、俺様を高みへと押し上げた。なら、精々有効活用してやろう。目指す場所への道を、切り開く力を。
「嬉しいねえ。滾る戦いは本当に久しぶりだ」
「貴様、戦闘狂の類か」
「かははっ!本気で言ってるのかよ桐条美鶴。何処をどう見ても今更だろう、それは。でなけりゃこんだけ戦闘に向いたペルソナになってねえっての」
哄笑が静寂を押し返す。
「俺様のドッペルゲンガーは不定形なペルソナ。何かになれるってことは、何にだってなれるってことなんだぜ。ま、あまり頭の良くねえ俺様じゃあ限界はあるが……、イメージが完璧ならその範疇に無い」
揺蕩うペルソナが集まり、人型へと変化していく。何度も何度も、生まれてから想わない日はなかった。原寸大の、理想の自分。恐らく、ドッペルゲンガーの名を冠した最大の理由が、ここにある。
「……六道の奴は確かに無敵だ。五月雨の炎も脅威的だし、四季の野郎も三日月も正面切って戦いたくねえと思うよ。あいつらに任せときゃ万事解決すんだろう。だがな、俺様はそれに甘んじてられるほどに、丸くもねえ」
影が、その形を確定させていくにつれ、声が二重になっていく。
「いくぜ、相棒」
「おうよ、相棒」
奥の手。切り札。俺様の持ちうるそれは、知られたところで痛くもかゆくもない。そも、始まりは組手相手が欲しいな、くらいの気持ちを袂にしたモノだった。ペルソナが困難に立ち向かうための殻で、もう一人の自分だと言うのなら。何かの拍子にふと考えた案が、空白をぴったりと埋めたのだ。元からそのための力だったと錯覚してしまうくらい見事にピースは嵌った。
「は、はは……。もうなんでもありだな。流石にそれは予測していなかった」
「単純な話だ。頭で考えるよりもずっと分かり易い」
「そう。願うまでもなく俺様は既に持っていたのさ。困難に立ち向かうための、武という名の殻を!」
場を驚愕が支配する。不敵な笑みから竹を割った口調に至るまで、完全に同一な存在。もう一人の自分。ドッペルゲンガーは伝承に従いその姿を変えていた。
「ま、テメエらみたいに回復したり氷出したり出来ないのが難点っちゃ難点だが、元々あっても使わねえだろうし」
「体術と身体強化くらいしか取り柄なかったし。俺様が二人いるんだ。ちんけなデメリットなんか霞んで見えるぜ!」
両腕を組み、己がペルソナと並び立つ。再現度は家族全員からの折り紙つきだ。何しろ、俺様自身長時間使用すればどちらが本物だか分からなくなってくる。体に負担もないし、兎に角時間内に敵を倒せばいいのだからハルのアレに比べれば可愛いものだ。
「ここまでの道のりは厳しかったろう?一生懸命考えて、皆で一丸となって乗り越えて来たんだろ?」
「認めるよ。テメエらは強い。個人が持つ才覚も、気持ちも、努力も生半可じゃねえ」
「だがな、そんな場所、俺様たちは十年も前に越えてんだ!あの悍ましい地獄で、クソみてえな蠱毒の中で、翌日生ゴミとして廃棄されちまわねえように」
「思い知れよ。何があったのか。テメエらは知らなきゃならない。今を縛る因果となった、十年前の全てを。深い闇の底で眠りこけてる真実を」
そろそろ時間も尽きる。お遊戯は終わりにして幕引きとしよう。もう直接争うことはないのなら、せめて決着だけはつけていく。
「天巡る星の数ほど素振りをした。強いことで存在理由を示そうと、そう思ったんだ」
長い長い独白も終わり、ぽきぽきと音を鳴らして拳を握る。本番だ。一歩間違えれば同じ高みにいる奴ら。なら、俺様も持てる力の限りを尽くそう。
「露払い頼むぜ!」
「アイアイサ―」
特殊な歩法で地面を水の上を滑るように移動する。なんてことはない。開幕直後に行った意識の空白を突くものに比べれば基礎もいいところ。八極拳の歩法の一つで名を活歩という。ただ、早い。無論、奴らも対応してくるだろうが、今の俺様は一人じゃない。比喩ではなく、文字通り援護をしてくれるもう一人の自分がいる。
「カーラ・ネミ!」
身の丈を越えた巨体を誇るペルソナが、道路を削りながら躍り出る。いい度胸だ。俺様の道を遮るとは。
「すみません。貴方も倒します」
「くはっ!やってみろっつーの!」
眼前に聳える機会染みた体が迎撃の準備に入るが、遅い。顕著に出たのはつなぎの差だ。動き、止まり、攻撃する。その三工程における次の行動までに移り変わる速さ。短距離走でもしたら俺様の方が遅いだろう。だが瞬間的な速さでなら、この場の誰にも負けやしない。
「吹っ飛びやがれ、デカブツが!」
地面が足の形に凹む無駄のない震脚から、伝わる力を両手の掌へ。完全に決まった。そう思った瞬間に、敵の胸部を完全に破壊する双掌は空を切り、その間から喉元目掛けて槍が迫る。接触のタイミングでペルソナを消したのだ。狙いがクレイジー過ぎて正直ビビった。ハルの奴、とんでもねえのを育てやがったな。
「術理では、俺様に遠く及ばねえ」
円運動の要領で下方から穂先を受け流すようにカチ上げ、伸びきった体を再び沈める。目線は天田と同等。間髪入れずに地面へと二つ目の足跡を刻み、抉り込む肘撃を放った。今度こそ間違いなく衝突、刹那にも満たない時間だけ拮抗。俺様が入れば肋骨を粉砕する打撃は石突きで受け止められたのを認識し、天田が防御に成功したのを認識するよりも早く、体は次の一撃のために動く。誰もが水を纏っている中、一人だけ何の負荷も受けていないかの如くに、時間の流れが狂う。最高潮の集中が生み出す極地。反応ではなく反射。経験が最適解をノータイムで紡ぐが故の、圧倒的な速さ。積み重ねた努力の結晶だ。
「こういう速さもあるんだぜ」
肘を突きだした構えを解くと、その勢いのまま肩口から天田目掛けて体当たりをかます。脇から腰までを使った、点ではなく面の打撃。全体重と、加速のエネルギーをそのままぶつけられた天田は成す術もなく弾き飛ばされた。脳が揺れ、視界が霞む。そんな深刻な状態であっても、生き残る意思は一級品。橋げたから投げ出されるのを阻止するために、地面へと槍を突き刺す。ガリガリとコンクリート諸共槍が削れ、下半身が投げ出されながらもどうにか止まった。
「大人しく寝てろ。後がつかえてるもんでな」
「天田!」
安全のために後ろへ半歩だけ下がり、それぞれの位置を把握する。天田の救援に二人。新たに迫るのが三人。指揮とサポートが一人。
「あァ……?」
足りない。対人特化の自身にとって、最も戦いにくい相手がいない。闘志をまき散らす真田よりも、中距離からの弾雨よりも、消えた気配の主への警戒を厳とする。
「今だ、コロマル!」
「ワン!」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。伊織が放った燃え盛る炎の球が霧散し、中から白い獣が踊り出る。アイギスは左方を、真田は右方を抑え、退路は塞がれた。
「チェックメイト、だ。覚えておけ」
「根に持ってたのか。氷なんぞ使ってる割に案外熱い御嬢さんだ」
余裕は崩さない。内心冷や汗続きの綱渡りだとしても、俺様の戦いは常にそんな感じだ。体張ってなんぼ。リスクを侵して上等。そんなことを、考えて、いたのに。
「……はっ、くははっ!」
声が、聞こえた。最も聞きたかった声で、ただ一言。使え、と。意味するところは一つしかない。
「応とも、万事任せやがれ!」
膝裏を蹴られ脱力気味に反り返れば、鼻先をもう一人の俺様の拳打が通過する。
「ナーイスタイミングだぜ、相棒」
コロマルの奇襲を体重差にものを言わせた正拳で跳ね除けたのを確認すると、邪魔にならない様、太ももに装着してきたホルダーから素早く召喚器を取り出し、米神に添える。早鐘を打つ心臓の音を意に介さず押し流すのは、心からの歓喜の声。日の目を見ないまま朽ちる事を良しとした力。理由は簡単。ハイリスクハイリターンのお手本と言っても過言ではないほどリスキーなのだ。少しのミスで命を失ってしまう。切り札などと到底呼べる代物ではない。それを、使えと言う。言ってくれる。
「喜べ!特別オーダーだ。全部、俺様の全て、ここに置いて行ってやるよ」
反り返って天を仰いだままの姿勢で乱暴に引き金を引くと、本当に頭蓋を打ち抜いたかのように逆の米神から黒い煙が吹き出し、体全体に細かなノイズが走った。血は滞りなく全身を巡り、筋繊維はよどみなく収縮を繰り返し、臓腑は休むことなく稼働を続ける。これがどのくらい有用なのかは分からない。実戦投入したことがないからだ。子供が拳銃を渡されて戦えと、言われるくらい無茶な話。詰まる所経験済みってワケだ。問題ない。
「俺様を食え、ドッペルゲンガー!」
こちらに意識を裂かせない牽制のために飛び回ってくれていたペルソナの姿が掻き消え、瞬く間に隣へ再構成される。突きだされた現身の拳に己が拳をこつんと宛がえば、指先から徐々に間隔が曖昧になっていく。侵食。この現象はそう言って差し支えないだろう。伝承曰く、ドッペルゲンガーは主と成り替わるそうだ。なら、存在を奪われた方はどうなるか。
「……修正」
「何、でありますか……?」
傍から見たらこの土壇場でペルソナを消す不審な行為を前に、アイギスの下した判断は兎に角先手を打たせないことだった。人を撃つ行為に躊躇いは無い。弾丸は限りなく正確に四肢の付け根を貫通した。ただ一つ誤算があるならば、俺様が銃弾を脅威としなかった点だ。
「嘘!?反応が…、変わった?」
「へえ、すげえな。覚醒からたった半年足らずでそこまで識別できんのか」
「こんなに曖昧……。まるで、シャドウみたいな」
「シャドウ。シャドウねえ。強ち間違っちゃいねえが、あんなのと同等だと思われるのは甚だ遺憾だぜ」
そう言って膠着状態の中を悠々と歩く。目的地は、奴らのど真ん中。即ち死地へと自ら赴く。
「……一つ」
銃撃の無意味さを悟ったアイギスが、接近しようと足を動かす。
「……二つ」
機械の怪力に任せて拘束を試みたアイギスの腕が空を掴む。同時に合わせてこちらの軸足を苦無で薙ごうとしたコロマルも同様に。
「……三つ」
最後に真田のアッパーが胴を貫通。連撃、防御、回避。次の展開は三者三様だったが、もう遅い。人体を透過するという理解不能な現象に、少なからずぞっとしてしまったなら、身を固くしてしまったなら、それは致命的な隙になる。
「所詮俺様は夢幻。朧のような存在さ」
コロマルの腹部に足を引っ掛けて上空に放り、ピーカーブースタイルで守りを固めた真田の両腕の間を貫手で強引にこじ開け、喉を突く。その直後、冷たい鉄が頬に触れた。アイギスだ。良くも悪くも迷いがない機械の部分を前面に押し出し、頑丈な体を実験台にして暴きに来たのだろう。鋼の拳は確かに唯一の弱点を捉えようとして……。
「取った!」
首をほぼ垂直に曲げて受け流し、貫手から返す手で伸びきった手を固定すると、投げを行う。視点とされた負荷にアイギスの肘は軋みを上げるが、一度地面から足が離れてしまえばどうする事も出来ない。軋みは破砕音へと移行し、落下してきたコロマルへ衝突させた時には、あらぬ方向へ曲がっていた。これで、三人。接近してくる不穏な気配からして俺様の出番も丁度ここまで。
「最後だしネタばらしくらいはしてやんよ」
脂汗を流し、気力だけで倒れない真田に敬意を表し、俺様は言う。
「こいつはさっき山岸風花が言った通り、自身を曖昧にする技さ。ミスった時の代償は途轍もなくデカいが……、そこに目を瞑ればほぼ無敵モード。その辺は身を持って実感したろ?」
愉快そうに笑いながら滔々と自慢話を語り、人差し指を立てて額を二、三ノックする。
「この間、俺様の全てはイメージを源として展開される。一瞬でも、意識が飛べば即お陀仏だが、逆に言うなら頭さえ無事なら何でも無効化できるって寸法だ」
聞こえるか聞こえないかの声量で、真田はただ一言、そうか、と言って崩れ落ちる。
「じゃあな。端役にしちゃあ豪華すぎる舞台、ありがとよ。二度と会うことはねえだろうが、ま、楽しかったぜ」
思わず漏れた苦笑は自嘲か定かではないけれど、多分、そう悪いものではなかった。壁と成り得る敵の存在は、本当に得難い。誰にも負けない存在であろうとしながら、それを示すためには脅かす敵の存在が不可欠で。けれど、それももう必要ない。もう、十分だ。こいつらは強かったし、俺様はもっと強かった。そんなちんけな記憶が誰かの頭に残ったなら、他に望むべくもない。
「……後は任せたぜ、五月雨」
音もなく、影と濃厚な敵意を携えてそれは来た。十字架に釣られ、こちらを見下ろす大型シャドウ。どうでもいい。だから、これは下準備であって闘争ですらない。
「見事な手並だ、二葉兄様。後はゆっくり見ているといい」
火柱が、大型シャドウを容易く飲み込む爆炎が天を突く。火の柱。第二の太陽。身を焦がす炎熱。どれを取っても正しく天変地異としか言いようのない風景を背に、俺は立つ。
「さて、戦力も半壊しているところ申し訳ないが、もう少しだけお付き合いいただく」
腕組みしたまま灼熱に囲まれ、上衣と、その下にあった包帯が音を立てて燃焼していく。途方もない覚醒感。拷問染みた高揚感。あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、薄暗い影時間を白熱の光が染め上げる。
「第二幕、開幕だ。死力の限りを尽くそうぞ!」
閃光の如き眩さに耐え切れず目を閉じた『特別課外活動部』の面々が次に目を開ければ、大型シャドウは跡形もなく消し炭になっていた。慎ましやかな、而して荘厳さを孕んだ火花だけを残して。