僕らの終わりに、陽だまりを   作:神話好き

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決着とフィナーレの一月

 決着の日はすぐだった。悩んで、挫けそうになって、何とか支え合って。そうしてたどり着いたはずの今宵この影時間の中でも、『タルタロス』は私たちの覚悟を意にも介さずに屹立し、仄暗い世界を睥睨している。ただ二ヶ所ほど以前と異なる点を挙げるのならば、一つは頂上付近を漂う黒い雲。この距離ですら背筋が凍る存在感を、見紛うことなど有り得ない。彼は、あそこにいるのだ。薄雲の切れ間から覗く月光を遮る黒が時折生き物のように躍動するのだから、きっとあっちも私たちの来訪を察知していることだろう。

「……来ましたか」

「…………」

 そして、二つ目。予想外で、けれど、目の当たりにしてしまえば、ああ、そうかと納得してしまう光景だった。お互いのことなど殆ど知らない。しかし、きっと彼らもあの人のどこかに惹かれたのだ。どこまでも愚直で、どこまでも脆く、呆れるほどに強い。私自身、まともと胸を張って言えないからこそ分かる。分かってしまう。異常者でありながら普通の幸せを求めて走り続けるのが、どれだけ困難で苦しい道なのか。その感情は、近い言葉を探せば羨望だった。

「意外ですね。私たちがこの場にいるのがそこまで不思議ですか?」

「……いや。確かに一戦交えようとするならば、対峙するのは今しかない」

「その通り。チドリを失った私たちでは先回りも叶いませんが、この場所で待っていれば少なくとも後手には回らないで済みます」

 禍々しい塔の元に集う影は十二。チドリちゃんがこちら側にいるけれど、荒垣先輩を除いた『特別課外活動部』と『ストレガ』の全員が集結した。どうやら今日は正しく決着の日らしい。目の前の彼らとの因縁。見上げた塔の上で待つあの人との約束。そして、その先に待つ絶対の滅び。これから私は全てに決着を着ける。着けなければならない。例え、その先に全員が報われる答えがなかろうとも。

「少しだけ話をしましょうか。ええ、もちろん彼の話です」

「タカヤ!」

「問題ありません。彼はむしろそれを望んですらいるでしょう」

「……話したところで理解なんぞ出来へん思います」

「話すこと事態に意味があるのですよ」

 苦虫を噛み潰した顔をするジンをタカヤが制する。彼の、日向春一の話。私たちが血眼になって調べた情報の殆どは、所詮主観のない文字の羅列だった。けど、長い知己である『ストレガ』は本当の意味で日向春一を知っている。あまりの衝動。教えてくれ、と叫びそうになる自分を抑えるのにとても難儀した。

「始まりは『エルゴ研』で仄めかされていた噂でした。曰く、人が死ぬ実験の全てはその検体への施術のために行われるテストである、と」

「…………」

 覚えがある。彼の部屋にあった資料の山で見つけた、非人道的と言うのも烏滸がましい実験の数々は、読み進めることすらひたすら苦痛だった。気の弱い風花ちゃんなんかは気絶しかけてしまったし、私も何度か吐きそうになった。

「ある日、『タルタロス』の放り込まれて、噂が真実だと知りました。血まみれで、手足があらぬ方向を向いているのにシャドウを殲滅し続ける彼を見た時、私は雷に打たれました」

「尋常やないで。年端もいかんガキが、生きるためだけに敵を殺す。大概おかしい研究所の中にぶち込まれて、狂っとると心の底から実感したんはそん時や」

「私たちが地獄だと感じていた場所は、まだまだ序の口だった訳です。しかし、それでも自分よりも下がいると知って、少なからず救われました。シャドウと殺し合いを強要されるあの場所で、ある意味、彼は救世主と呼べたでしょう」

 言葉節から感じるのは微かな畏敬。得体の知れなかったタカヤの思考の一端を始めて垣間見た気がした。

「しかし……」

 神妙だった面持ちが、にわかに愁いを帯びる。

「真に哀しいのは、彼が生まれ持ってしまった因子でしょう。貴方方も覚えがあるはずですよ。この人に関わったら大変なことになるという予感を。それこそが桐条鴻悦が彼を特別視までした滅びの因子だと私は考えています。そう、彼はある意味で極小のニュクスであるとも言える。フフ……、だからこそ、ある種の人々はどうしようもなく彼に惹かれてしまう。誘蛾灯に群がる羽虫の様に、彼へと向かう自身の足を止められない」

「違うっ……!」

「違いません。人は須らく自壊衝動を持っていて、たまたま貴方はそれが強かった。でなければ、ニュクスの欠片を宿すなど、有り得ないのですよ」

 鈍器で叩かれた気分だった。ずっと考えないようにしていた最後の蓋。即ち、私の行動が私自身の選択ではない可能性。認めてしまえば、根底から崩れ去って二度と立ち上がれないような気がしたからこそ、目を背け続けた不安の種は、決めたはずの私の覚悟を嘲笑い、じわじわと心を蝕む毒となる。

「……私からの話は以上です。これ以上の討論に意味は無いでしょう。どちらにせよ、争いは避けられない」

 スッと目を細めたタカヤに応じて、身構える。未だに心の片隅には先の難題が楔となって撃ち込まれてはいるが、動けない訳じゃあない。迷う暇があったら、前に進もう。少なくとも今の私は私だけであるはずだから。

「刹那の幸福を得るためだけに、あそこまで懸命になれる。素晴らしいと思いませんか?」

「ま、そういうこっちゃ。理解なんぞせんでいい。ただ………」

 そう言い放って言葉を切ったジンの瞳は不敵な表情に反して全く笑っていない。背筋が凍りそうな眼差しの先にいるのはチドリだ。

「アンタらが上に行く言うなら、身内の後始末くらいはさせてもらうで」

「…………そう。私を殺すのね」

「なっ!?」

 瞠目した順平君の口から驚きの声が漏れ、慌ててチドリを庇うように二人の間へと立つ。

「お前が『ストレガ』抜けてどっか遠くで勝手に生きてくんなら、別段咎める気はあらへん。けどな、それはアカンやろ。少なくともわいは許されへん」

 努めて冷静にしていたジンが、これまでになかったくらいに分かり易く、怒りをあらわにした。一気に緊張感が高まっていくのを肌で感じる。

「……今更、小うるさい説教かます気もあらへん。手っ取り早く潰させてもらうで、チドリ」

「それでも、それでも私は順平のそばにいたいから…」

 戦いの火蓋は、他でもない『ストレガ』同士の衝突によって切って落とされた。懸けるモノは命と矜持。ぶつかり合うのは意地と未来。鮮やかな炎と一際激しく猛る炎同士がぶつかり合い、爆発の轟音が響く中、私たちは確かに聞いた。

「来なさい。貴方たちが自らの生き方を主張するなら、私もそうするまで」

 痛みすら奔る鼓膜の振動よりも、目の前の存在に釘付けになった。総身に鳥肌を立ててしまう怖気を感じるほどの平静な声。狂気を超えた狂気は、遂に秩序を持ち、牙を剥く。

「知っていましたか?命を懸けて我欲を満たそうとする姿は、中々に胸を打つのですよ。所詮は傷の舐め合いの延長にある淡い関係でしたが、不思議なことにこの私が他人の為、今この場に立っているのですから」

 手を組み、祈るような仕草。タカヤの召喚は止める間もなく終了し、侵しがたい邪悪は、過去の相対とは比較にならない大きさとなり顕現した。

「行きますよ、ヒュプノス。恐らくこれで最期でしょう」

「……っ!」

 死ぬ気なのか、とは問いかけない。死力を尽くすと、そう決めたから。眼前で不気味なまでの神聖さと存在感を放つペルソナは、間違いなく手強いだろう。私たちはあの目を知っている。諦観とは似て非なる瞳。己が道に命を懸ける者の瞳だ。

「まったく……。やはり貴方は関われば破滅に魅入られてしまうようです。恨みますよ、ハル」

 命を燃やし、タカヤのペルソナが吼える。耳を劈く金切り声は、終わりを告げる福音のようだった。

 

 

・・・

 崩壊に向かって全力で進む体の機能に対する対処を、毎秒事に更新し、微細な感覚の変化を一つ一つ掌握していく。この作業にも慣れてしまった。鋭敏を通り越してパラノイアとの境目があやふやになってしまうほど膨大な情報量に耐えながら、階下の気配の到着を待つ。待ちくたびれて死んでしまいそうだった。比喩ではなく、後一週間待てと言われたら、まともに会話も出来ないまま戦って朽ち果てていたと思う。昔から常々感じていたが、土壇場での運だけは本当に悪運と呼べるレベルで良いらしい。

「……ああ、本当に良かった」

「なっ!?」

 警戒を厳としてここまで来た彼女たちが、それでも面食らってしまったのには訳がある。簡単な話だ。僕が彼女たちの想定よりもずっと弱く、シャドウと大差無い気配の主を僕だと認識できていなかっただけのこと。

「会話は、このままで失礼させてもらう。見ての通りこちらもいっぱいいっぱいなんだ」

 そう言って、先日背もたれ代わりに生やした木に凭れ掛かったまま来訪者へと視線を向ける。それぞれ負傷も見受けられるものの、重症を負った者はいない。こんな形で恩を返させてしまったのを申し訳なく思いながら、小さく目を伏せ礼を呟く。もう、会うことは出来ないけれど、餞別はきちんと受け取った。

「さて……。まずはよく来たと言っておこうか」

「自宅にあんな書置き残しておいて白々しいですよ、先輩。来ない訳、ないじゃないですか」

「ははは、確かに君はそうだろうさ」

 久しぶりに動かした顔面の筋肉が軋む。

「あの二人を相手取って脱落はチドリだけ、か。ひよっこ達が本当に優秀になった。春先からは考えられない成長速度だよ」

「……見てたんですか」

「僕には優秀な家族がいるからね」

「なんで……。なんで、あなたたちはそんなにもっ!」

「あまり、僕らを舐めてくれるな」

 同情なんて要らない。確かにまともじゃないし、死に急いでいるそうに見えるかもしれない。態々死ぬために苦難を受けるのも、まあ、狂っていると思われても仕方ないだろう。生きていれば希望はある、なんて戯言はあの地獄で何の役にも立たなかったと悟った時から、恐らく僕らは外れてしまった。だって、未来が無いなら、今と過去に縋るしかないじゃないか。

「哀れでか弱い敗者で終わるのは真っ平御免だ。憐憫も惻隠も、結局のところ意味なんて無い自己満足なら、僕は迷いなく武器を取る。僕が進む道は、己の力で切り開く」

「これが、こんな終わり方が幸せだなんて、認められる訳ないでしょう!あの日、夏祭りで、貴方は笑ってた!」

「ああ、だからこれはただの我が儘。他愛ない意地だよ。知っての通り、僕は一人じゃない。けど、あの陽だまりを知っているのは、僕だけなんだ。あいつらは僕が勝手に創って、たった十年足らずで死ぬ。情けないけど、僕がしてやれる事はもうそれくらいしかない」

 頭の中で声が響く。どうやら、あまり時間は無いらしい。諸々が、堰を切るまでのカウントダウンは既に秒読み状態。このままそこに至ってしまえば、段取りを一つすっ飛ばすことになってしまう。実に由々しき事態だ。

「平行線の議論は時間の無駄にしかならない」

 肺が目に見えて膨らむくらい大きく息を吸ってから、立ち上がる。意識を巡らせ、丁寧に。多少ガタがきているとはいえ、この体は二葉が作り上げてくれたモノ。理想を成すには十分すぎる性能だ。立ち眩みも気合で治め、懐から付着した血糊で赤黒く変色してしまった武器を取り出す。感慨深く、はないが、これでお別れだと思うと普段よりも妙にしっくりくる気さえしてくる。慣れた動作で弾丸を込める。スピードローダーなんて気の利いた物はないけれど、幾度となく熟した動作は遜色なく速やかだ。過不足なく六発がシリンダーに込められ、カチャリと音を立てて闘争の準備は完了した。ペルソナの召喚は必要ない。器はもう、完膚なきまでに壊れて漏れ出している。僕の半身は呼べばいつだって、そのおどろおどろしい異形を余すことなく披露してくれることだろう。

「決着をつけよう」

 銃口を相手に向け、宣言をすると同時にカロンは狂喜の叫びを轟かせる。一つだけ、依然と異なる個所を挙げるなら、左手が黒々と変異している点だ。本体である僕の影響を色濃く受けた腕は、言わずもがな同じような機能を持つ。便利な反面、なけなしの意地を以て、最初は手を貸さないでくれと皆に頼んであるため、制御には少々気を使わなければならない。

「お前たちにとってはニュクスの前座かもしれないが、僕らにとっては一世一代の大舞台。どうか失望だけはさせてくれるなよ」

 糸の切れた人形宛らの脱力から前傾姿勢をとり、敵陣のど真ん中を目指して駆ける。敢えて不利な状況を作れば、自ずと相手は最善を尽くす。少なくとも、桐条とアイギス、岳羽はそうだ。頭で分かっていても、積み上げてきた戦法を白紙に戻すのは容易じゃない。聡慧は時として、利点には成りえないのだ。

「薙ぎ払え、カロン!」

 一際大きな咆哮が大気を揺らし、櫂が大雑把に地面を削る。立ち上る土煙に遮られながらも、問答無用で一直線にこちらを目指す気配は二つ。いや、二人の後を間髪いれないタイミングで追従しようとしているのがもう一人。先ほどの三人が頭脳派だとすると、差し詰めこちらは本能派。特に天田とは勝手知ったる間柄だ。二人の内片方がコンマ数秒の差で早いのは、僕がこういう行動に出ることをなんとなく予想していたからだろう。

「お久しぶりですね、日向さん。早速で悪いですけど倒れて下さい」

「そうだな。最後の指導は減らず口の矯正とするか」

 槍の穂先と銃床がギチギチ音を立てて競り合いを演じる最中、憮然として敵意をぶつけ合う。上手くポーカーフェイスを取り繕ってはいるが、涼しげな顔の裏に隠れる驚愕が手に取るように感じられる。

「動揺すると口数が減るのはお前の悪い癖だ」

「本当に、人が悪い!」

 ジリジリと押し戻されていく槍の破損を危惧して、天田の方から距離を取ろうとする。惜しい。後、五秒もあれば厄介者をほぼ無力化出来たかもしれなかったのに。

「……一ヶ月丸々筋トレでもしてたんですか?」

「後先考えなきゃ、これくらいはどうとでもなる」

 火事場の馬鹿力もまた生き残るために必用だった技術の一つ。限界を抑えるリミッターなんてとうの昔にぶっ壊れている。

「避けろよ」

 バックステップの途中、未だに天田の足が宙に着いていない隙を狙って、九十度横へと傾けて構えた銃の引き金を引く。弾丸が発射された爆音が耳に届くよりも早く、反動で大きく弾かれた腕が鼻先三寸まで迫っていた真田の拳を受け止めた。無茶な動きと鉄拳と呼べる打撃で銃を落としかけるも、どうにか歯を食いしばって握り直す。痺れる腕の感覚からは信じられない威力ではあるが、防御したのは恐らくジャブ。ボクサーならば、ここでは終わらないはずだ。

「シッ!」

 大砲が来る。顔面へと目掛けて、タッチの差で間に合わせた防御など役に立たない強烈なヤツが。しかし……。

「まだまだ死線には程遠い」

 やることは単純明快。相手に殴られるのが嫌なら、自分で殴ってしまえばいい。痛いだろうけれど、目の前の右ストレートよりは数段マシだし、あわよくば予想外の動きに瞠目した隙に反撃へと転じられるやもしれない。

「相も変わらずふざけた戦い方だ!」

 己の拳で顔を真田の射程外へと叩きだすと、一拍遅れて耳元で勢いのいい風切り音がした。そんな馬鹿な。クリーンヒットを防ぐくらいの効果しか期待していなかっただけに、灰色の脳細胞を総動員するまでもなく、その意図へと行きついた。囮だ。偽装するような演技力など真田は持ち合わせていないが、決して馬鹿じゃない。こと戦闘に関しては天性のモノを持っている。なら、この状態が最も三人目が繰り出す攻撃の妨げにならない配置とシチュエーションなのだろう。

「そうだ、それでいい。それでこそだ、僕の敵!」

 歓喜で鳥肌が総立ちになる。求めていた闘争は、我と我をぶつけ合うだけの勝負は存外肌に合っていたらしい。これじゃあ、とてもじゃないが二葉や五月雨の事を笑えない。

「諸共だ!全て壊してしまえ!」

「チッ……!」

 頬を引き攣らせながら離脱を試みる真田の足を踏む。

「なに、少し痛いだけさ」

「離れろ、有里!天田!」

 声に呼応して背後にまで迫っていた気配の主が離れていく。最低限の成果だが、まずはこれで一つ。

「初手で片腕とは、高くついたな」

「……次は無い」

 一瞬にして世界から音が消え、気が付いた時には体は空中へと打ち払われていた。左腕を犠牲にしてガードを固めた真田に対し、無防備で自らのペルソナが振るう櫂の殴打を受けて襤褸雑巾状態になるまで転がってしまったが、それでも真田より早く臨戦態勢に復帰する。ともあれ、五体を投げ出して喚き散らしたくなる痛みと引き換えに真田の片腕は潰した。先は途方もなく長いしどこまでいけるか分からないが、せめて時間切れまでは僕一人で。

「……懲りずに行こうか、何度だでも。今までだってそうしてきた」

 全く同じ行動。脱力からのダッシュ。そして、そこからの土煙。こちらの意図をいち早く理解した桐条の表情が凍りつく。当然だ。こんなのはまさしく狂人の所業。よほどの死にたがりか頭のイカれた奴くらいしか、精神的なストッパーが掛かって実行できないだろう。

「ははっ!薙ぎ払え、カロン!」

 仕切り直しの宣言は高らかに濃密な狂気を振りまいて。この戦いの勝敗は偏に、彼女たちが全ての長所をそぎ落とされる前に、僕を屈服させられるかどうかにかかっている。

「心して来い。僕を仕留めそこなう度に、お前たちは近づくんだ。敗北へと、大きく」

 カチ割れた脳天から垂れる血を拭いもせず、更に奥へと突き進む。桐条との因縁浅からぬ身ならばこそ、最悪でも一度は言葉を交わす義務があると思ったからだ。

「アルテミシア!」

 召喚されたペルソナは以前と比べて変容し、内包する力は桁違いに大きい。未来の無い僕に対して進化を見せつけて来るとは、揃いも揃って眩しい奴らだ。

「どいつもこいつも強くて嫌になるね」

「……私一人では辿りつけない答えだった」

「だけど、まだまだ。君たちは本当の地獄を知らない。堕ちた先にしか見えない景色を、本当の意味で理解できない衝動が足りない」

 左手に纏わせた黒の河が形を成し、黒壇の槍が出来上がる。脆いし、それほど鋭利でもない代わりに無尽蔵で使い勝手がとても良い。

「復讐を遂げた今でも、僕は自分の道が間違っているとは思わない」

「間違っているさ。君はもっと誰かを頼って生きるべきだった。八方塞がりでも、足掻いているべきだった!」

 その憤りは、一体何に対してだったのか。父親の仇である僕に対する恨みか、はたまた父親の苦悩を見ようともしなかった悔恨か。他人である僕には知る由もないけれど、これで漸く桐条美鶴という人物に会えた気がする。

「優等生と生徒会長のケンカか。教師陣が見たら卒倒しかねないな」

「同感、だっ!」

 女王を思わせる美鶴のペルソナが鞭を振るえば、黒い結晶がそれを阻む。といっても、所詮は生身でペルソナに拮抗など出来はしない。直撃すれば骨ごと削り取られかねない勢いの鞭の軌道をちょっとだけずらし、肉を裂かせてやる。問題は、その先。剣と違い戻りの早い鞭に、銃弾を撃ち込む隙など叶わない。接触の度に崩壊する槍を作り直し、じっと期を待つ。お互い先手を取った方が大きな隙を晒すなら、均衡を崩すのは外部からの介入に他ならない。

「アテナ、押し潰すであります!」 

 突如影で暗くなった視界が上方へ巨体が出現した事実を教えてくれた。先に動き出すのは岳羽だとばかり思っていただけに、眉を顰めてしまったが、それならそれに対応するまで。強く拳を握り込んで槍を粉砕すると、飛び散った欠片を起点に何本もの柱を建てる。焼け石に水かもしれないが、一秒でも稼いでくれれば十分だ。

「…………」

「悪いが、君にかける言葉はまだ無い」

 黒い結晶の雨と共に落下してくるアイギスを見上げて、僕は言う。手元には既に復元された得物を携えて、目まぐるしく回る思考の渦は、戦い方のギアを一段引き上げる決断を下した。小手調べはここまでで終わり。二流の技能群と唯一絶対の自信を持つペルソナ操作。次いでこれまで培ってきた経験を踏まえて奴らを混乱の坩堝へと叩き込んでやる。

「大盤振る舞いだ!」

 勢いよく腕を振って、美鶴との戦闘でいい具合にできた裂傷から滴る血を飛ばすと、落ちた地点を禍々しく穢す。幾度もの研鑽で見出してきた小賢しい細工の数々、余すことなく披露しよう。どうせ、墓まで持ってく価値がある代物とは言い難いんだ、最後なら景気よく手札をぱーっと使い切ってしまおうじゃないか。

「各員不測に備えろ、本番が来るぞ!」

 了解、と全員の声が重なる。一様に言われるまでもないと緊張を奔らせ、僕の一挙手一投足に注目が集まっていく。そうして張り詰めた空気が限界まで膨れ上がった時、その真剣さを嘲笑うかのように伊織の足が刺し貫かれた。

「ぐ、あ、ああっ……!?」

「有里、天田、援護を頼む!」

 青天の霹靂。何が起きたのか未だに理解できないでいる伊織の呻きを聞いた美鶴の決断は早かった。アイコンタクトで岳羽を伊織の治療を指示し、応用力に長けたメンバーでこちらへと向かってくる。垣間見られる焦りの色。どうやら、今の不意打ちは相当効いたとみえる。総合的な力でいくら上回っていようと、驚かされて意表を突かれているうちはまだ僕の手の平の上だ。わざと勝負を急がせるように仕向けて優位を保っている様に振る舞ってはいるが、本音を言えば不利なのはこっち。ハッタリに、虚実混ぜ合わせて相手のペースを完全に取り込んでいるから気付けない。一年の積み重ねが、相手から見た僕を、瀕死の狂人から不死身の怪物へと押し上げてくれるファクターとなった。勝つなら、畳み掛けるなら、今ここしかない。願わくば、鍍金が剥がれ落ちる前に最後の最期まで走り抜けてしまえますように。

「歯痒いかもしれないけど、頼むよ。たった一分だけでもいいから、格好いいところみせたいだろ。これでも僕はお前たちの兄なんだからさ」

 自分自身にだけ聞こえるような声量で呟いたそれは、果たして届いてくれただろうか。ぼんやりとする頭は、事前にシミュレートした何万通りものパターンを回帰する作業で、僕の脳内はてんやわんやだ。最短距離で接近し、唇を噛みしめながら振るわれた有里の薙刀に頬を裂かれながらも、過去最高潮の集中は正確で確実に樹系図の末端を減らしていった。共闘など教えた覚えもないのにそつなく熟す天田の槍が脇腹を大きく抉り、引き換えに柄の中心を掴み取ることに成功。更に可能性は狭まる。ジリジリと、真綿で首を絞めるように詰将棋な戦況は続いていく。

「あと少し……」

 掴んだ腕を話さずに、手の甲に沿えた銃から弾丸を二発吐き出させる。景気よく空いた風穴を対価に、天田の武器は破壊。怯まずに槍の柄から手を放して、顎先を掠める軌道の軌道の蹴撃は逆に額で迎え撃った。変形こそしなかったが、響いた嫌な音は実質的に天田の無力化の成功を意味していた。

「あと、少し……。あと……っ!」

 虚ろを映す瞳も、髄を侵す耳鳴りも、引っ込んでいろ。せめて納得できるまでは。

「カーラ・ネミっ!」

「カロン!」

 苦し紛れの雷鳴をペルソナで圧殺し、降り注ぐ氷槍の群れを、最低限の急所以外で受ける。頭と心臓を護った腕はまだしも、足が動かない。比喩でもなんでもなく、地面へと縫い付けられてしまったらしい。ふと、視界に暗みがかかる。血を流し過ぎたからかもしれない。ああ、クソ。本当に間が悪い。この土壇場で目を瞑って命の取り合いとか、前代未聞過ぎて笑えてくる。達人様と違って心眼など持ち得ていないのは言うまでもないとして、それでも諦めるだなんて微塵も考えていない自分に苦笑してしまう。信じるのは、己の人生。従来のまま何も変わらない。

「これだけくれてやったんだ。腕の一本でも置いていくのが筋だろう!」

 凡その位置に狙いをつけ、またもや引き金を二度引く。しかし、真っ直ぐ。それも、織り込み済みな弾丸程度ならば、僕でなくとも対処は容易い。桐条美鶴は完璧に対応しきるだろう。一部の無駄も無く、完璧に。結果、ほんの数秒間だけは、僕と彼女の一対一の状況が出来上がる。

「これで……」

「これでっ!」

 霞む視界が辛うじて捕えたのは彼女の輪郭だった。酷い耳鳴りを抑え込んで凛とした声が鼓膜を揺らす。回避など儘ならない距離だ。遠近感も狂い始めていて正確には計れないけれど、そんなことはどうでもいい。兎に角、この瞬間に確信した。ぼんやりと見える薙刀がそのまま振り下ろされて、僕の胴を貫いたのなら……。

「僕の、勝ちだ」

 左手にぽっかり空いた穴から流れ出る血を固めて棘を作る。最悪な怠さに震えながらも腕を動かし始めた時、頬が弾けた。膝が笑う。なんだ、それは。参った。後は、返り血で固めて止めをさすだけだとばかり思っていたのに。

「……君は、心底、器が知れないな」

「私、怒ってますから」

「は、はははは……。この期に及んで平手打ちとはね。それは……、それは予想してなかったなぁ」

 もう一度一対一へと持ち込む体力は残っていない。かといって、このまま反撃に転じても致命傷は無理だ。仕留めきれない。

「詰み、か。やれやれ、幕切れがビンタとは、つくづく僕も間抜けというかなんというか。いや、この場合は君を褒めるべきかな?」

「……ご自由に」

「まあ、その、なんだ。済まない。そして、ありがとう。これは、これは仕方のないことだから、君は何も気に病む必要なんかないんだ」

 そこまで言って酷い喀血に襲われる。僕と関わってしまったばっかりに、彼女は大きな挫折を味わうだろう。責任くらいは取ってやりたかったけれど、今となっては反面教師になってやるくらいしか出来そうにない。

「重ねてもう一つ。君の人生を捻じ曲げてしまった僕を、許さないでくれると助かる」

「私なんかよりもずっと頭が良いくせにバカです、先輩は」

「なんだ、知らなかったのか?僕は最初からどうしようもない愚か者だったんだぞ」

「子供のまま、こんな所まで来ちゃって。何やってるんですか、まったくもう。これじゃあ、怒ってた私の方がバカみたいじゃないですか」

「ははは、返す言葉もない」

 心底疲れた。一ミリだって動きたくないし、すぐにでもまどろみの中へと落ちてしまいたい。よくもまあ、ここまでボロボロになってものだと感心すらしてしまう。相手は全員が戦闘続行できるのに対し、僕はこのザマ。結果だけ見れば惨敗である。万全だったなら、なんて言い訳にもならない。そもそも、万全でないからこそ僕のペルソナは絶大なのだ。是非もない。是非もない、けれど……。負けたのは、僕だけでいい。

「じゃあ、続きを始めましょう、先輩。……どんなにきつくても、最後まで付き合ってあげますから!」

 嫉妬してしまうくらい綺麗で暖かな微笑みだった。まるで太陽のようで……。きっと僕は憧れていたんだ。人を幸せな気持ちにしてやれるあの陽だまりに。

「君の様に、なりたかったよ」

 掠れた声で最大の賛辞を送った。さあ、終幕だ。待たせてしまったけれど、ここからは共に往こう。誰一人欠けることなく、皆で寄り添って。

 




次回に続きます。
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