僕らの終わりに、陽だまりを   作:神話好き

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相対とエンカウントの五月

 最後の桜も見納めになって久しい今日この頃。棺桶だらけの町中でも一際大きなビルの屋上にて、儂はその身に宿る力を存分に振るっていた。

「ふむ。やはり討伐だけが目的とみるべきか。やはり予想の域を超えた動きはないの」

 背後に聳えるペルソナの千ある手の平の内の一つが標的の行動を余すことなく映し出し、精神状態、疲労、一挙手一投足に至るまでを教えてくれる。広域探査及び解析のスペシャリスト。それがあの家族の中で末弟である儂の受け持つ役割だ。

「しかし、お粗末じゃな。儂らに相対するのならば圧倒的に覚悟が足りん。呵呵、不愉快じゃ」

 春一が超常の者から告げられた大きな運命の流れとやらは理解できる。現に、今年に入って儂らを取り囲む環境はせわしなく変化を見せているからだ。些細な変化から大きなものまで多岐に渡るが、一番顕著な例を挙げるとするなら各々が備えを本格化し始めた事。そして、だからこそ儂は解せないのだ。いや、許せないのかもしれない。覚悟もなしに立ちふさがるなど侮辱でしかあるまい。

「…………どっち?」

「儂じゃ」 

 あらかじめ予測していた声に振り向くと、紅い髪と純白のゴシックロリータのドレス、そして感情の起伏を思わせない話し方をした少女がいる。彼女の名はチドリ。エルゴ研からの付き合いで『ストレガ』の一員でもある。ついでに言えば数少ない三日月の話し相手だ。

「スマンが三日月嬢は今寝ておる」

「別に、いい。ここに来たのもなんとなくだから」

「ならば重畳。これでも一応監視の任を負っているのでな」

 一瞬、視線を元に戻し進展がないことを確認すると、今度は体ごとチドリに向き直る。

「それがあなたのペルソナなのね」

「ん……。ああ、そういえばチドリ嬢はこいつを見るのは初めてじゃったか」

 儂もチドリも後衛のサポート同士だ。役割が被ってしまうため、同時にペルソナを出したことは無かった。

「そうとも。これが春一が儂に分け与えてくれた魂の欠片。何よりの誇りじゃ」

 今も異彩を放っている巨大な立像は、数えきれない手のひらを優雅になびかせている。それは、黄金の体躯に千の腕も以て、遍く衆生を救済する存在。

「名をレンゲオウ。過ぎた力じゃが、今はそれが在り難い。名ばかりの慈悲では救われなかった春一を救ってやれるからのう」

「……貴方たちはやっぱり不思議。もうすぐ死ぬのに、すごく生き生きしてるもの」

 ゆっくりと歩いて隣まで来たチドリが無表情のままにそう呟く。遥か離れた戦況を映す手の平を見た時に、ほんの少しだけ興味を引かれたようだけれど、それだけだ。この少女は未来にも過去にも希望を見出すことが出来ない。そもそもそんなもの知らないからだ。

「そうさな。どうせ見どころは暫く先になる。それまで儂の話をさせてもらおうか」

 似合わないと自覚していながらも、口を動かす。こんなもの、説法もどきですらない。が、それで何かが変わるのならいい。そう思ったのだ。それが良い方向であれ、悪い方向であれ。

「初めて耳にしたのは悲鳴じゃった。生まれたばかりの儂が産声を上げるのを忘れるほどに、それはそれは悲痛な叫びをな」

 今でも鮮明に思い出せる。それは日向春一の記憶の中でも、最悪の実験の一つだった。いや、苦痛を与えて反応を見る、なんてもの実験ですらないだろう。

「あっという間に状況を理解して、自分の存在意義を知った。その瞬間、怒りで頭のタガが外れてのう。尤も、予見していた二葉や三日月に取り押さえられたのじゃが……。まあ、これは省くとしようか」

 多少なりとも興味を持って、話を聞き洩らさないようにしているチドリの傍らに、レンゲオウの手の平の一つを持っていき座るよう促す。

「知っての通り、春一以外の五人は個性が強い。二葉、三日月、四季、五月雨、そして儂。各々が、持つ力も才能も性格もまったく違う。何故じゃと思う?」

「ハルから貰ったんでしょう。前に三日月から聞いたわ」

「左様。無から有なぞ作り出せん。あやつは自分の中の可能性を千切って儂らを作った」

 結果、春一自身には何も残っていない。どれほど努力を重ねようとも秀才の域を出ることが出来なくなった。では、そうまでして欲した我々の役割とはいったい何なのか。

「親も未来も奪われて散々なぶられて、掃き溜めのような地獄の窯の底にいながら、それでも求めたものは話し相手じゃったよ」

「話し相手……」

「辛い役目は一身に引き受けて、未来まで無くして。そんなあやつだからこそ、儂らは今生きておる。程なく死ぬと分かっていてものう」

 十分すぎるほど多くを貰った。その上、最後の願いまでも果たさせてくれるという。これ以上ない終わりじゃないか。

「最初で最後の我が儘も、きっと徹頭徹尾儂らの為じゃ。それでもいい。あやつが何かを願って儂らに頼ってくれるのなら」

 辿りついた場所で、心の底から笑っている大切な家族を一目見れるのなら、消えてなくなってしまっても構わないのだから。

「……さて、戦況も頃合いじゃな」

 レンゲオウの手の平が映し出す画面には女教皇の大型シャドウと相対する三人の姿。以降はお互い言葉を発する事もなく、事の顛末までを過ごしたのだった。

 

○○○

 桐条美鶴との一件以来、学園での僕を取り巻く環境が変化した。平賀曰く、それまで一度も負の感情を見せたことが無かったせいで、あの時の不機嫌はとてもインパクトが強かったらしい。おかげで度々向けられる好奇の視線が非常にうっとおしくて参ってしまった。具体的に言うと、用事もないのに図書室に避難してしまうくらいに。

「あまり好ましい変化とは言えないな……」

 二葉や五月雨と違って、僕にはこの変化を微々たるものだと笑い飛ばせるくらいに心が強くない。見通しも立たない。なら、どうするか。

「あ!おーい、皆。ここ空いてるよ!」

「ちょっと、静かにしてよ。ここ図書室だってば!」

「ゆかりっちの方が声デカくない?」

 ああ、更に頭痛の種が増えていく。ぱらぱらと等間隔で本のページを捲っていた手がぴたりと止めて、耳を澄ましてみると、聞き覚えのある声が近づいてくる。軽く視線を外して辺りを見回してみるも、やはり空いている机は一つ見当たらない。僕の座っている隣の場所がそうだ。肺の中にある空気を全てため息にしたい衝動を抑えながら、落ち着けと自分に言い聞かせる。

「隣、失礼しま…す…ね……」

「……構わないよ」

 図書室の隅っこの一角。人目に付きにくいこの場所の空気が、時間が止まったのかと錯覚するほどに凍った。有里は椅子を引いたまま動かないし、岳羽は尋常ではない冷や汗をかいている。伊織順平、有里のすぐ後にあの寮に入った男子生徒に至っては若干白目だ。

「僕の事は気にしなくていい。テストも近いことだし」

「は、はい」

 事の発端は、またもや件の桐条美鶴事変である。本邦初公開の僕の不機嫌は、ワイドショーで放送されたのかというくらいに予想の遥か上な反響を呼んだ。優等生同士の反目、などと吹聴され、根も葉もない噂や憶測が飛び交った。これは、そんな独り歩きしたしょうもない噂の余波だ。

「変に反応しても周囲を喜ばせるだけだ。僕の事はいないとして普通に勉強すればいい」

 蔓延っている噂では、目下のところたどたどしく席に着いた三人組は桐条美鶴の手下となっている。それに真田を加えた岩戸台寮メンバーは日向春一と敵対していると言う構図の、僕としては笑えない噂だ。出まかせのはずなのに、核心をついているところが特に恐ろしい。

「それじゃ、お邪魔しまーす」

「ああ」

 再び本に目を戻すと同時に、ぎこちなくも着席をした音が聞こえた。幸いなことに、この場所はあまり目立たない。後は、適当な時間が過ぎたのを確認してからこの場を去るだけなのだが。

「……話があるなら手短に頼む」

 軽く目頭を揉んでから、そう言い放つ。一ページ捲るごとに視線を感じていては、おちおち読書もままならない。

「えっと、その……。そうだ!話変わりますけど、日向先輩はどうしてこんな場所にいるんスか?」

「話変わってないね」

「はい。そうッスよね。あはははは……。ゆかりっち、後頼んだ」

「あっ!コラ順平!」

 即座に真白く燃え尽きた伊織は座ったまま動かなくなり、岳羽はお手洗いと叫んで逃げた。よって、取り残された有里と僕の一対一での会話が半ば強制的にセッティングされてしまった。ポーカーフェイスには自身がある僕の額にも、一筋の冷や汗が垂れていくのが分かる。差し障りのないコミュニケーションならともかく、踏み込んでくる会話は苦手中の苦手だ。ああ、キリキリと胃が痛む。

「一応言っておくけれど、僕は噂なんかこれっぽっちも信じてない。必要以上に畏まらなくていいから」

「そ、そう言ってもらえると助かります。よく分からないうちに噂が広がっちゃって……」

 申し訳なさそうに苦笑する有里を見ながらふと思う。二葉に影響を受けるまでもなく、僕は目の前の少女に興味を持っていた。あんなものを宿していながら、感情豊かで明るく振る舞っている事実は驚嘆に値する。回りくどい言い方をしなければ、彼女こそが最も手強いかもしれないのだ。

「しかし、君は実に堂々としている。僕に話しかけてくる下級生は大概、あそこの彼みたいになるんだけど」

「うーん。桐条先輩とか真田先輩に比べれば話しかけやすいと思いますけど」

「そこそこ有名な弊害でね。関わると些細な出来事でも噂になる。丁度今回の件みたいに」

「だから、必要以上に仲良くなるのを避けてるんですか?」

「……へえ」

 やはり聡い。日向春一を前にして物怖じしないのは、本質を見据えて向き合っているからか。

「君、やっぱり面白いね。どうしてそう思ったのかな?」

 

 

・・・

「君、やっぱり面白いね。どうしてそう思ったのかな?」

 私は今、人生最大のピンチを迎えている。つい思い浮かんだ疑問を口にしてしまい、見事に地雷を踏み抜いてしまった。考えなしな自分が嫌になる、などと軽口を叩ければどれだけよかったのだけれど、そんな暇はない。未だピンチは継続中である。

「その目、が」

「目、か。だけど普段は……。ああ、なるほど。あの時、あの場所に君もいたのか」

 凄い、と素直にそう思う。まだ、全然何にも言っていないようなものなのに、私の言いたいことを正確に理解している。でも、何故なんだろう。瞳は強い意志を宿して輝いているのに、その奥にはどろりとした暗い淀みがある。

「これは参った。看過されるとは露ほども思っていなかったよ」

 普段の優しげな雰囲気に反して、厳しい視線が私を射抜く。これが、これこそが日向春一と言う人間の仮面の下の素顔なのだと理解した。

「やっぱり、ネコ被ってたんですね、先輩」

「踏み込んでくる人が殆どいなかっただけさ」

 涼しい顔でそういってのけると、手に持っていた本を閉じて机に置いた。本格的に話し込むつもりらしい。の、望むところだ。

「あまり目立つのは好きじゃなかったから、僕の素を知ってる人間は学園内では平賀くらいしかいないはずだった。別段、それで窮屈とも感じなかったしね」

「……何故、ですか」

「そこまで手を回す余裕がないからだ」

 こちらの渾身の問いかけもあっさりと受け答えられ、ぼかされた答えは私の頭を更に混乱させていく。この人と相対するなんて、今の自分には土台無理な事だ。そんなことは最初から分かっているとも。だけど、人と人がぶつかり合うのに、そんなものは要らないんだから。

「いや、しかし目、か。なるほど。以後参考にさせてもらうとしよう」

「えっ?」

「気付いていないのか。今の君は先ほどまでとはまるで別人のようだぞ」

 慌てて手鏡を取り出そうとしていると、がたりと椅子の音がした。視線を向ければ、すでに本を手に持ち立ち上がってしまっている。見上げた構図は、きっと現在のお互いの立ち位置を表しているのだろう。

「ありがとう。なかなか有意義な時間だったよ」

「……いえ、こちらこそ」

 振り返らずに去っていってしまった日向先輩を呆然と見送りながら、私は私の中に新たな目標を見出した。

「いつか、絶対やっつけてやるんだから」

 軽くあしらわれたのを思い出して頬を膨らませながら、私はそう呟いた。

 

 

・・・

 じゅう、と何かが焦げ付く音を最後に、『タルタロス』の長い廊下に静寂が訪れる。蠢く影は悉く切り伏せ、今この階にいるのは俺だけだ。

「他愛ないな」

 獲物である小太刀を握る右手を軽く動かすと、今しがた屠ったシャドウの体がバターのように千切れた。とんでもない業物、なんて訳では無い。よく見れば分かるが、周囲を歪める熱を発し薄い赤色の膜を纏っている。

「一旦、休憩とするか。あの化物が出現するまではまだ暫しの余裕がある」

 こびりつくシャドウの残骸を蒸発させ終えた小太刀をタクトのようにもう一振りすると、背後に控えていた老齢のいかにな体の魔術師がその魔術と共に掻き消えた。

「…………ふう」

 何の変哲もない状態に戻った小太刀の刀身を見て、ため息が漏れる。剣も用いて戦う俺だからこそ分かる微妙な歪み。アレは威力だけ見れば一級品だが、戦闘の度に武器を壊してしまうのが悩みの種だ。この小太刀も残念ながらもう長くは使えないだろう。かっこいいのに。

「ふむ。まあ、よかろう。どちらにせよあの化物を相手取るのに加減は出来んからな!」

 仕舞いにくくなってしまった小太刀を無理やり鞘に押し込め、一応周囲を見回しておく。六道が起きている今、あまり心配はないだろうが、念のため。俺の魔術付加はなかなかに精神を消耗するので、本命までの間にザコと戯れるのは御免被りたい。

「ん?……そうだな。そうしよう。ふははははは!たまにはいいことを言うではないか、愚兄よ!」

 両腕を組み、壁に背を付け瞼を閉じた。春一兄様が作った俺たち家族共通の暗示。これでイメージを保ち続ければあの部屋へと繋がってくれる。

「お?」

「食らえぇ!」

 目を開けると同時に粗野な声とドロップキックが俺を出迎えた。

「甘いぞ!」

 が、そんなものは予測の範疇だ。進歩のない愚兄を上体逸らしで躱し、ソファーに突っ込んだのを満足いくまで見届けてから、室内の様子を見回す。

「愚兄が生き生きしていると思ったら、三日月と四季は寝てるのか」

「四季は噂騒ぎが収まるまでは起きないって言ってたよ」

「三日月嬢はつまらんから寝る言ってと、ついさっき眠りについたわい」

「む。そうか。しかしそうなると粗野な兄が野放しになってしまうではないか」

「こっちの台詞だ、こっちの」

 俺が席に着くのにやや遅れて、ソファーを直した二葉が席へと戻ってきた。

「ま、一先ずはお疲れさん。あんだけ派手にぶちまけときゃ流石に反応あるだろ」

「まだ仕上げが残っている。けど、本当にいいのか?久方ぶりに本気でやれそうな相手だぞ」

「物理攻撃しか出来ねえ俺様じゃあ時間がかかるし、何より地味ーに終わっちまうだろ」

 そうぼやくように言った二葉だが、その表情に悔しさの色は無い。意外なことに、奴の頭の中にはきちんと脳みそが収まっているのだ。それはもう心底意外なことに。

「ハル兄様」

「ああ。本気でやってくれて構わないよ。アレが手加減の効くような相手じゃないことくらいよく知ってるからね」

「心得た」

 本気。その言葉は俺たちの間において、奥の手を解禁してもいいと、そういう意味合いを含んでいる。俺の受け継いだ才能は魔力操作。それだけはこの世界の誰よりも上だと自負している。その一端が先ほどのシャドウ退治にしようしていた魔力付加だ。刀身から柄に至るまで薄い魔法の膜で覆い、飛躍的に威力を増加させる技術。まあ、かっこいいからやってみたらできただけなのだけれど。

「それにしても、随分思い切ったの。儂はもう少しばかり静観するもんじゃと思っとったわい」

「僕もそう考えてたんだけど……。最近、予定通りに事が運べない場合が多いからね。このまま静観して先手を取られるのだけは避けたかったんだ」

「だから証拠を仄めかして引きずり出すって?いいね。そういう強引な方が俄然好みだ」

 メラメラと闘志を燃やす愚兄に賛同するのは誠に癪なのだが、俺としても新しいプランの方が気に入っている。こそこそ隠れて逃げ回るべきはあっちだ。決して俺たちではない。

「呵呵。そう逸るな、二葉、五月雨。気持ちは分からんでもないがのう」

「六道の言うとおりだ。その意気込みはまだとっておいてくれ。もしも、今回の一件で反応がなかったなら、今度はもっとはっきり現実を突き付けてやるつもりだからね」

「いいねえ。なら、そん時は俺様がやらしてもらおう」

「任せる。二葉なら絶妙なラインで手加減もできるだろうから」

 嬉々としてはしゃいでいる二葉に冷たい視線を注いでいると、ちりん、と聞き覚えのある鈴の音がした。

「来たか!」

 痙攣したかと思うくらいに体を跳ね上げ、立ち上がる。間違いない。この背筋が寒くなる鈴の音は奴だ。

「ではな、兄様!戦果を期待していてくれ!」

 景気よく高笑いを上げ自分を奮い立たせると、すぐさま瞼を閉じて意識の浮上を試みる。

「待たせたようだな化物。今、消し炭にしてやろう」

 逸る気持ちを抑えきれずに目を見開くと、そこにはぼろきれを着て、不気味な容姿とはアンバランスな銃を持つ巨大で黒い死神がいた。こちらの命を奪いたくて、今か今かと興奮しているそいつを視界に収めると、俺の口角は自然と吊り上ってしまう。他のメンバーが気づいているかは知らないが、ハル兄様を除いた兄弟たちには少なからず戦闘狂の気がある。見せびらかしたいのだ。物を貰った子供がそうするように、賜ったこの力を。

「久々の全開だ。燃え盛れよ、ゾロアスター!」

 炎でできたローブを纏い、そのペルソナは顕れる。それだけでシャドウの死体が発火し、足元に置いておいた小太刀など、鞘ごとだらしなく歪曲し始めていた。

「顔を洗って出直すがいい、死神。未だこの身は目的を達していない故に」

 紡いだ静かな宣言を合図に、双方動き出した。偏に、相手を打ち滅ぼさんとするために。

 

 

・・・

「これって……」

 意気揚々としながらやってきた『タルタロス』探索は、開始とから程なくして暗雲立ち込める事態に陥っていた。散乱したシャドウの死体に近づくだけでダメージを受けそうなすさまじい熱。極めつけとしては、見せしめのように磔にされた死神のシャドウ。あまりに残虐で、途方もなく異常な事態だ。昨日まで探索を進めていた場所と、到底同じ所とは思えないほどに。

「全員、周囲の警戒を怠るな!」

 あまりの出来事に呆然自失としていた桐条先輩だったけれど、慌てて我に返り喝を入れつつ指示を飛ばす。だけど、そんな指示は必要ない。だって、この光景を目の当たりにして無警戒でいられる人なんて、いないだろうから。

「これより索敵を開始する」

 無音の廊下がより一層緊迫感を後押しして、張り詰めた意識は早くも限界寸前だった。最も怖いのは、この惨状が何かの意図の元に作られたということだ。本能のままに人を襲うシャドウなんかよりもずっと恐ろしい。一刻も早くこの場を後にしたい一心でどうにか折れそうな膝を支え、祈るようにただひたすら待ち続ける。

「まだ、ですか?」

 堪えきれなくなったゆかりちゃんが桐条先輩に問いかける。

「落ち着け、岳羽。今、現在の地点から出口までの道のり及びその周囲の索敵が完了した。警戒を保ちつつ、出来るだけ速やかに帰還しろ。こちらは引き続き警戒を続ける」

 三人で何も言わずに目配せすると、脇目も振らず一目散に走り出す。示し合わせるまでもなく、一秒だってここに居たくはなかった。あれはきっと何かのメッセージ。過剰な演出でもって、お前たち以外にも何かがいるぞ、と知らしめるためのものだろう。

「なんなのよ、もう!」

 強がりで声を張り上げながら必死に走って。肺の中の空気が全部なくなってしまうくらい、走って。唯一の幸運は、何者かが一掃したため襲ってくるシャドウがいなかったこと。おかげで滞りなく、先輩方の待機する大階段までたどり着くことが出来た。気が抜けた反動か、ゆかりちゃんや順平君なんかはすっかり青ざめてしまっている。私だって気を抜けばへたり込んでしまいそう。それでも立っていられたのは、きっと目標が出来たから。微妙に感慨深い一日は、こうして幕を下ろした。

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