五月最後の日。燦々と降り注ぐ太陽が心地いい神社の境内で、その雰囲気をぶち壊すように何度も何度も打撃音が鳴り響いていた。
「く……ふっ!」
普段ならば誰もいないこの時間帯に、武器を構えて打ち合うあまりにも場違いな人影が二人。一人は僕。六道から借りた棍を構え、相手の動きの全てを俯瞰すつように観察している。そしてもう一人は。
「いきます!」
槍を撓らせ迫りくるのは、まだ成長しきっていない体躯の少年。天田乾だ。事情も知らぬ他人がこの光景を見たら驚愕か、はたまた通報されてしまうだろう。無垢な少年と言ってもいい容姿の天田には、この状況はあまりにも相応しくない。しかし、その技量は秀抜だ。おそらく同年代で比肩しうる者など存在しない。
「とはいえ、まだ僕には届かないな」
上方から襲いくる槍に合わせて持ち手に一発、緩んだスピードに付け入るように回避。それと同時に足を払う。一瞬、苦々しい表情を浮かべた天田だったが、すぐさま槍を引き戻し、石突きを地面に当てダウンするのを防いだ。
「まだまだ!」
乾坤一擲。天田は一歩バックステップを踏んだと思いきや、次の一歩で全く正反対の前傾姿勢をとり、渾身の力で槍を放つ。元より、この突きを放つ距離を空けるための後退。捻じりを加えて、更に加速した穂先は真っ直ぐに喉元を目指して疾駆した。
「惜しい」
本当に惜しい。もしも、狙いが急所じゃなければとうとう一撃をもらってしまうところだった。どう足掻いても秀才止まりの僕では、この突きの軌道を見切ることなど出来なかったことだろう。
「あっ……!」
首元に真横に置いた棍は、読み通りに槍の侵攻を阻み、反動を殺しきれずに前のめりになった天田が復帰する前に今度こそきれいに足を払った。
「これで詰みだ」
うつ伏せに倒れた天田の顔の横に棍を突き立て、そう宣言する。
「……また、負けちゃいましたか」
「突きで急所以外を打っていたら、倒れてたのは僕の方だったさ」
ごろんと寝返りを打ち、寝転がったまま呼吸を整えている天田に対して、今日の評価を告げる。
「最後の気力を振り絞って、急所以外を狙っていく。そんな狡猾さが備われば、お前は僕なんか相手にならない使い手になる」
「普通考え付きませんよ、そんなの」
呆れたようにぼやく天田を見ながら、それもそうかと思い直す。物心ついたころからシャドウやなんやと戦わされてきたせいで、戦闘に関しては常人とは異なる思考パターンが出来上がってしまっていたらしい。比較対象がいないので、何とも言えないが。
「しかし、そうか。僕の教えられる技術はもうないみたいだな。後は心理戦なんかの駆け引きを仕込んだら全部伝授したことになる」
「日向さん。見かけによらずスパルタでしたし」
「上品な教え方は知らなかったからな。それに、もしかしたら時間が足りるかも定かじゃなかった」
実際、ギリギリもいいところだ。いや、二年かそこらでこれほどまでになったのだから僥倖だと考えるべきか。
「時間……。それってどれくらい残ってるんですか?」
「心配しなくても、お前の稽古を付け終わるまでは大丈夫だ。相手次第だけど、思いのほか長丁場になるかもしれない」
先日の一件で上手いこと釣れてくれればいいけど、現実はそうならない気がする。特に、最近のハプニングの多さを鑑みればなおさらだ。
「一つ、聞きたいことがあるんです」
ようやく呼吸も平静を取り戻し、立ち上がって土ぼこりを払いながら天田は言う。握りしめた槍の軋む音で、大したことではないと取り繕っているのが丸わかりだ。
「全部、日向さんは終わった後どうするんですか」
絞り出すような声だった。縋るように、助けを請うように。先ほどまで僕と打ち合っていた人物とは到底思えないほどに、天田の声は弱々しかった。
「最近、思うんです。ボクは復讐を遂げたらその後どうしたら良いんだろうって」
鬱屈とした感情を隠そうともせず、弾けた弱音は堰を切ったように溢れだした。こうなってしまえば止めることなど叶わない。内に溜まったよ淀みを全て吐き出してしまうまで。
「ほんの最近までは未来を考える事なんて、なかったんですよ。それこそ暇さえあれば槍を振り回してるような生活でした。不満なんてなかったし、何より強くなれることが嬉しかった」
紡がれる独白に口を挟むことなく、例え一瞬でも目を逸らすことのないように努める。これは天田乾という少年にとって、きっと大きなターニングポイントになると思ったから。
「きっかけはすれ違った誰かの愚痴だったかもしれません。人生にもゴールがありゃいいのに。そんな言葉がふと耳に付いたんです。意外と的を射た言葉だと思いませんか?残り時間の分からない持久走は、すごく疲れます。だったら……だったらゴールを勝手に決めてるボクは、楽な方に逃げてるだけかもしれない。それはなんとなく嫌です」
滔々と語られる言はよどみなく。見果てぬ未来へ向けた眼差しは、未来を持たない僕にとってほんの少しだけ眩しく映った。
「僕は」
張り詰めた沈黙が訪れてしまう前に声を上げる。
「肝心なものは納得できるかどうかだと思っている」
「納得、ですか?」
「そうだ。全てが終わるその時に納得して終わることが出来たなら、後悔はない。世間一般がどう思ってるかは知らないが、少なくとも僕はそう考えて生きている」
一見立派な言葉が出てくるのは、もしかしたら終わりがそう遠くない、天田風に言えばゴールが見えてる僕だからかもしれない。
「一応答えはしたけど、偉そうに人を導く碩学を気取るほどに、僕は偉くない。選択するのは自分自身の意思だ。誰にも流されるなよ、天田。その先には後悔しかないからな」
ベンチ近づき、置いてあった細長い袋に棍を収納すると空を仰ぐ。何の変哲のない青空をいったいあと何度見ることが出来るのだろうか。来る、清算のその日までに。
○○○
どちらが声に出すともなく天田との稽古は解散になり、その帰り道にポロニアンモールへ寄ることにした。忙しくて会う暇が無かったとはいえ、四月以来彼女に会いに行っていない旨を謝罪するためである。稀に寝起きの枕元に催促の手紙が置かれていることがあり、申し訳ないことにそれがとうとう十通を超えてしまったのだ。回を増すごとに文字数がガンガン増えていき……。いや、やめておこう。思い出すだけで良心の呵責に押しつぶされそうになる。
「土産に三日月チョイスのお菓子持ってきたけど、どうなんだ?そもそもあの人は食事をするのだろうか……」
何分、こういった事態は初めてなので様式がてんで分からない。困ったことに僕の人生経験は、非日常の分野以外非常に薄いのだ。
「いや、まさかこんなことで頭を悩ませる日が来るとは。喜べばいいのか、情けないと落ち込めばいいのか」
脳内では五人全員が目を充血させてのお祭り騒ぎである。僕の一挙手一投足に歓声が上がり、普段はストッパー役の三日月や四季すらも役に立たない。少しいらっと来たので来月分の小遣いは全員減額してやるとしよう。
「まあ、いいさ。どうせ青い扉は僕一人しかくぐれない訳だし」
家族どもより自らに言い聞かせるようにそう言うと、足を速める。目的の場所はすぐそこだ。小走りとも取れるスピードで路地裏に駆け込み、ほっと胸をなでおろしてドアノブに手を掛けた時、それは起こった。ガチャリ、と音を立ててドアが開いたのだ。僕はまだ手に力を入れていないにも関わらず。そうして一人の女性が出てきた。全身を青で包まれた精巧な人形のような顔立ちの彼女はエリザベス。
「そろそろいらっしゃる頃だと思い、いてもたってもいられなくなりましたので」
「……申し訳ない。もっと早くに会いに来れればよかったんだけど、いかんせん先月から色々あってね」
「いったい何の話をなされているのでしょうか?本日、お呼び立てしたのは私事によるもの。感謝こそすれ、謝られるような覚えはございません」
「君はそう言うと思ったけど、今回は素直に謝罪を受け取ってくれないか。それが僕の為にもなるから」
「かしこまりました」
相変わらずの丁寧な一例をすると、こちらを、いや、僕の後方にあるポロニアンモールの一角を見据える。釣られて振り返ってみると、どことなくエリザベスに似た雰囲気の男性と共に歩く有里の姿があった。そこはかとなく嫌な予感が脳裏を埋め尽くしていく。
「それで、本日ハル様へのお願いというのが、外の世界の案内。そして同時に私の弟が大事なお客様相手に粗相をしないよう見張りを行いたいのです」
「お客様、ね」
四月の時点で大方予想はついていた。有里美奈子は、エリザベスやイゴールの言う大きな流れとやらの中にいる。それもおそらく中心人物だ。僕も少なからず興味を持ってるし、その特異な人格は学校でも異彩を放っている。交友関係を調べてみたところ、癖のある人に気に入られる傾向が強いらしい。ここから見えるアレもその一環だろう。
「僕はエスコートなんかしたことない、それにここを回るなら少し変装をしなきゃならない。それでもいいなら、喜んで引き受けよう」
「ありがとうございます。私、ハル様ならばそう仰って下さると思っておりました。御懸念されている着替えにつきましては、すでに準備してありますのでご安心を」
「…………」
暫し呆けてしまったのには理由がある。どさり、と音を立てて地面に置かれた洋服一式には見覚えがあったのだ。
「僕の見間違いじゃなければ、これって四季のじゃないかな」
「はい。これでしたらサイズを含め見繕いの必要がありませんので、こっそり拝借してまいりました」
「いつの間に……。今朝までは確かにあったぞ、それ」
髪型をオールバック気味に整え、黒いアンダーリムの眼鏡を装着する。これで外見的には四季と殆ど差異はなくなった。声音まで完璧にとはいかないけれど、面と向かって話すわけでないから、これで十分だろう。あの男性に尾行がばれない保証は微塵もないが、そこはエリザベスにどうにかしてもらうしかない。真正面から全開で臨めば、良い戦いの末にきっと敗北する。そうはっきりと感じ取れるほどに、僕の目に映るあの男は強い。
「ご心配なく。テオドアは私の弟。無暗にハル様を害することなどありません」
「手紙を届けに来るたびにドアを剥ぎ取る君に言われても、全然説得力がないぞ」
以降、二カ月に一度くらいのペースで行われることになる混沌とした尾行もどきの祝福すべき第一回目は、残念なことにこうして幕を開けてしまったのだった。
・・・
私は常に他人を振り回す側の人間と言われていた。時折、お前が言うなと感じる事もあったが、概ねは自覚もある。人の心に踏み込むのは怖いから、自分のペースのに巻き込む。そんなものが私の編み出した処世術だった。踏み込む勇気すらなかったから、相手に来てもらう。矮小な臆病者の知恵は、何の因果か私を人気者へと押し上げてくれた。そんな資格なんか、きっとないのに。
「どうなさいました、有里様」
「ううん。なんでもない」
軽く頭を振って懸念を振り払うと、気持ちを切り替える。私は今、目の前にいる全身を青に包んだ若干胡散臭めの自称ベルボーイの彼、テオドアに外の世界を案内している最中なのだ。事情により初の外出なテオドアを、他の事に気を取られて疎かにするなど、いくらなんでも失礼すぎるではないか。
「で、とりあえずポロニアンモールにある場所の案内は大体終わったけど、まだどこか見たいところあったりする?」
「そうですね。予定よりも僅かながら早く終わってしまいました。出来ればもう少しだけお時間を頂けるないでしょうか。早く帰り過ぎてしまうと、姉上の会合を邪魔してしまうかもしれませんので」
「へえ、テオ、お姉さんいるんだ」
なんとなく興味を惹かれてその言葉を口にした瞬間、これまでどうにかクールガイを装って来ていたテオドアが、首を稼働限界ギリギリまで背けて目を逸らした。いや、もはや逸らしたとかいうレベルじゃないんだけど。
「あの……」
「何か?」
「いるんだよね?お姉さん」
ひょい、と体を乗り出して背けた側へと回り込むと、覗き込むように目を合わせる。
「……ええ、ええ。いますとも。それはそれは恐ろしい姉上が」
「テオ?」
後半に行くにつれぼそぼそと聞き取りにくい声量で、なおかつ見事な震え声だ。まるでお手本のような狼狽の仕方に対して、私の好奇心もまるでお手本のように沸きあがった。ついでにいたずら心も沸きあがった。こうなってしまっては、もう誰も私を止められない。
「いーなー!私、兄弟とかって憧れてたんだ!」
「そう良い物でもございませんよ。姉は弟にきな粉を大量に食べさせる習慣がありますし」
「……え?」
「……え?」
いったい、何を言っているのかは分からないけれど、テオドアがそれを本気で言っていることは理解できる。しかしなるほど、よく考えてみればテオドアの姉が普通なわけなかったか。
「じょ、冗談ですよ。会話には適度なユーモアが必要ですからね」
「ああ、ユーモア。ユーモアね。そりゃそうだよね。きな粉大量に食べたりしたら、喉詰まって大変なことになっちゃうもんね」
「そうですとも。口の中がカラカラになってしまいます」
憮然として言い放つテオドアを見ていると、微笑ましい。言葉を変えれば、イジリ甲斐がとてもある。夕焼けも相まって赤く染まった頬が特にいい。
「む。どうやら、時間のようです。名残惜しいですが、そろそろ帰還させていただきます」
「ええっ、早くない!?まだ時間があるって言ってから二分くらいしか経ってないんだけど」
「申し訳ありません。ですが、門限がありましてね……」
足早に去ろうとするテオドアの腰元にしがみつくも、あえなく引きずられてしまう。むう。このままでは折角の面白い話がうやむやにされてしまう。由々しき事態だ。
「あ、そうだ!今夜は『タルタロス』に行くことにしよっと」
そうすればベルベットルームで存分に……。ふふふ。今から楽しみだ。そんなこんなで、これから数度行われることになる奇妙なエスコートの第一回目は幕を下ろしたのだった。この後、意気揚々と乗り込んだ影時間で自分たちに降りかかる災厄など、考える事もなく。
・・・
さあ、始めよう、と皆で決めた。ならば俺様は務めを果たす。寸分の狂いもなく、完璧で、傲岸不遜に笑いながら。
「少しは手ごたえがあるといいんだがね」
弱い者いじめは極力御免被りたい。しかし、これまでの奴らを念頭に置いて考えればそれも期待薄だろう。だからと言って舐めてかかるような愚行は有り得ないけれども。
「大丈夫だっつーの。なんなら、一発も貰わずに這いつくばらせてやるよ。これでも俺様は次男なんだぜ。お前らは肩の力抜いて、アクション映画でも見てるつもりになって主役様の活躍に一喜一憂してりゃいい」
近づきつつある五つの気配を前にしても、やはり依然問題は無い。
「言われるままに戦ってる走狗なんぞ、俺様の敵にはなりえねえ」
自らのペルソナを身に纏い、拳を固く握り込む。準備はそれだけで完了。覚悟など、とうの昔に決めている。出来うる限り、全ての泥を被り道をつける覚悟を。俺様のペルソナはドッペルゲンガー。この体を共有する家族にとって、痛みを押し付けるためのもう一人の自分になってやりたいと願ったのだから。
「よお、待ちくたびれちまったぜ」
『タルタロス』のエントランスにある中央階段の最上部に腰を掛け、嘲りの声を投げかける。これで正式に戦争の開幕だ。
「何者だ!」
「くはっ!何者だ、だって。おいおい、てめえらには危機感てモンがねえのか?」
あからさまな挑発を口にしながらゆるりと立ち上がると、揺らめく影がその勢いを増し始める。
「ド派手に痕跡残しといたのを見て見ぬふりするのが悪ィと思うぜ。怠慢のツケで、今日はぶっ飛ばされるワケだが……。まあ、自業自得ってことで納得しとけ」
「……こちらは五人だ。お前一人で勝てるとでも思っているのか?」
「純粋な武人でないにしたって、俺様を前にしてそんなことが言える時点でお察しって感じ。少しはそこのボクサーを見習ってみたらどうだ?」
それに、奴らの知る由は無いが数の上ですら六対五でこちらが有利。有里たち二年生組は大型シャドウを倒してるみたいだけども、この場で俺様の障害に成り得るのは真田明彦ただ一人しかいないだろう。歪んだ願いだろうが、アレはアレで深い渇望である。哀しいところは、その力はより大きな力によってならば簡単に叩き潰すことが出来るということ。つまり、俺様の勝ちは揺るがない。
「美鶴、それからお前らもだ!一瞬たりとも気を抜くな。奴の身のこなし、尋常じゃないぞ!」
「……それほどか?」
「立ち上がるだけの単純な動作に、思わず見とれてしまうくらいにはな。格闘か、あるいは武器を隠し持ってるのかまでは分からないが、仕掛けてくるとしたら間違いなく近接戦闘だ」
張り詰めた空気がより一層重みを増し、お互いに些細な動きすら見逃さぬように眼光で火花を散らしていく。いい緊張だ。ようやくそれらしい雰囲気になってくれた。
「どうせすぐ終わるだろうし、最初に言っとくわ」
両手の指と首の骨をコキコキ鳴らしながら、ちっとも気負うことなく階段を降りていく。ここから先は一切の私情を挟まない。だから、その前に一言だけ。生まれたその日から絶える事なく湧き上がる嚇怒を、積み重た研鑽は大切な家族のために。過去と未来で、ハルが往く道に立ちふさがる全てに向けて、激情のタガを躊躇いなく外した。
「死んで詫びろや、クソ共が」
腹の底にマグマでも入ってるんじゃないかと思えるほどに、その言葉は熱を持っていた。纏った影が呼応して猛り狂い、体積を何倍にも広めていく。その実、頭だけはこれまでのどんな時よりも冴えている。家族のために戦うと決めた俺様にとっては、奥の手なんぞ、封印するまでもなかったのだ。だってほら、こんなにも力が漲る。
「とりあえず数を減らすか」
戦いになりそうなのは、先だって述べた真田。動きを止めよう程度の考えながら、一応武器を向けてくる桐条。そして、どうにか膝を折らずにいる有里。後の二人は論外だ。事前の心構えも無しに人へ武器を向けられる有里が異常なのだろうが、一度闘争の場に立ったなら、そんなもの無い方が悪い。
「私情は挟まないと決めたが、やっぱムカつくもんはムカつくなあ」
予備動作を感じさせない動きは、生粋の武人である真田以外の視界から姿を完全に消失させた。それが意味するのは、舐められていた、ということだ。ルーキーといえど、最新の注意を払って観察していれば、今程度の動きには対応できて然るべきだろう。
「伊織!」
「退場だ。とっとと寝てろ」
真田の喚起も虚しく、黒い拳は伊織順平の鳩尾に突き刺さり、意識を刈り取った。四肢が力を失い崩れ落ちる伊織の首根っこを掴むと、そのままエントランスの端っこへと放り投げておく。これで、残り四人。
「次、舐め腐った真似しやがったら、骨の一本や二本は粉砕してやんよ」
「安心しろ。次に倒れるのはお前の方だ」
その言葉は、自らを奮い立たせるためでもあるのだろう。真田や桐条は言うまでもなく、先ほどまで伊織と同列に並べた岳羽ゆかりですら、召喚機を米神に当ててこちらを睨みつけている。だが、最も不気味なのは有里だ。気持ち悪いくらいの自然体で、何を考えてるのかさっぱり分からない。
「ポリデュークス!」
「ペンテシレア!」
ペルソナを携えて油断なく構える敵に対して、取るべき行動は決まっていた。
「次はてめえだ」
岳羽を指さし堂々と宣言すると、一歩踏み出す。真正面から最短の距離を踏破すればいい。怯えた奴に人を射ることなど出来ないから。
「やらせはしない!」
進路に割って入るように真田が駆け込み、足を狙って桐条が放つ無数の氷柱が飛来した。前傾姿勢を更に前へ。
「ドッペルゲンガー」
名を呼んだ瞬間、黒い靄は爆散し半径二十メートルほどまで広がった。作り出されたのは即席の煙幕。この場の全員の視界を完全に閉ざす暗闇の中、俺様だけは自分のペルソナから齎される知覚を頼りに獲物へと迫っていく。
「やはり、ここを通ったな」
「へえ……。俺様も大概バカだが、てめえも同類かよ」
煙幕焚いといて真っ直ぐに進むなんて愚直な物好きは、そうそういないと思ってたが、まさか相手も突っ込んでくるとは。
「悪かったよ。前言撤回。てめえは敵だ」
道を譲るつもりは毛頭ない。これまでも、これからも。
「せいぜい気張れや。そんでもって光栄に思いな。これが俺様だ」
すっ、と姿勢を獣のような前傾姿勢から戻すと、構えを取った。特定の武術を学んだわけでもない自分が、何度も何度も積み重ねて編み出した体術。本能で襲いくる対シャドウ用なため、両手の手甲で首を覆い、いつでも動きだせるように脱力しながら垂直に小さく跳ねるという奇異な構えだ。
「かかってきな。現状の距離を教えてやる」
言うや否や地を蹴って前進し、真田の領域に踏み込むと、再びその場で軽く跳ね始める。一定のリズムを崩さずに、ただ静かにその時を待つ。本来、ペルソナを運用して初めて完成するこの体術は、それ無くとも初見で破られるほどヤワじゃないと自負している。何しろ十年以上の積み重ねだ。それも生死を掛けた状況での濃い経験則を、俺様は持っているのだから。
「―――……いくぞ」
奇妙な構えを前にして攻めあぐねるのを嫌ったか、真田は目つきをより鋭くしてそう呟く。矢継ぎ早にパンチが数発。所謂様子見のジャブだ。的確に避けにくい場所を狙って来る分厄介ではあるものの、威力やスピードはシャドウの化物共には及ばない。総評を下すならば、可もなく不可もなく。これなら、五月雨が惨殺した死神の方が手ごわいだろう。
「小手調べが済んだなら、さっさと攻めて来い。じきに、煙幕も薄れる」
言葉ではなく視線で返答し、今度はその一発一発に必殺の念を込めたパンチを放つ。お上品なボクシングとは程遠い連撃は、それでもこの身を脅かすことはない。だから、そう。真田がどれだけ巧みなフェイントを織り交ぜて奮闘しようとも、この結果は最初から決まっていたこと。
「つくづく怪物だな」
時間にして数分の格闘の後、呻くように言った真田はすでに殆ど無力化されていた。足を狙えばいつの間にか足をやられ、腹を狙えば気づいたら悶絶している。まざまざと俺様との差を見せつけられて、しかし、それでも折れなかったことだけは称賛に値するか。
「心より先に体が折れたか。いいねえ。細々とした事情がなけりゃあ本気でやってやりてえくらいだ」
「……俺は弱いのか?」
「違うっつーの。俺様が強いんだ」
決着は、至極あっけなかった。足の止まったボクサーに、自分よりも早い相手の攻撃を避けられるはずもなく、蛇のように曲がりくねった拳がその顎先を正確無比に打ち抜いた。
「順序は狂っちまったが、まあいいや。これで残るは」
そのまま真上に掲げた右手の手刀を振り下ろす。
「えっ……」
「二人だ」
確かな手ごたえと、か細い呆けた声だけを残して、特にこれといった事もなく岳羽ゆかりは戦線からはじき出された。
「もういい。戻れ、ドッペルゲンガー」
広がり過ぎた知覚を処理し続けるのは、なかなかに精神を消耗する。もって十分。それ以上は元の感覚を思い出せなくなってしまい、かなりデンジャーでリスキーだ。対人において無類の強さを発揮する俺様のペルソナは、覚悟を糧に強くなる。
「有里。ここから逃げろ」
「……嫌です」
「明彦を難なく倒すような奴だ。君に気を回す余裕はない」
「あの人、目的は分かりませんけど、命は取らないみたいですよ。だったら私、当たって砕けます」
場違いな微笑みを桐条に向けて、有里はとんでもないことを口走った。流石にハルが興味を持った奴だ。ぶっ壊れてやがる。
「相談は終わったか?」
「私たちに時間を与えるとは、随分と余裕があるのだな」
「昨日今日戦い始めたルーキーに打破できるほど、俺様は甘くねえんだよ。今この瞬間、全ての裁量は俺様の手の平の上にある」
「ならば、目的は何だ。何故、私たちを害する行為を取った」
「御膳立て」
短く言葉を切ると、有無を言わさず会話を断ち切った。これ以上、与えてやる情報は無い。後は、こいつらが何者かによって全滅させられたという事実を作り出し、一先ず役目は終了だ。
「仕上げるぞ、ドッペルゲンガー」
家族の書いた筋書きを実現させる。光栄にも開幕を承ったんだ。誇れる足跡を残してやりたいじゃないか。俺様の頑張りが、きっと他の家族にとっての拠り所となるから。
「ふっ!」
肺一杯に貯め込んだ空気を短く吐き出すと、人外を思わせる動きで桐条へと迫る。速く速く、お世辞にも格闘家向きなんて言えない体を精一杯酷使して。
「ペンテシレア!」
真田も桐条も、その武威はやはり天才の域にある。ハルが直々に稽古を付けている天田ですら、一段階格が違うだろう。レイピアによる刺突と刺突の合間に出来る僅かな隙を、ペルソナが放つ氷の槍が潰していく。しかし、何よりも警戒すべきは有里だ。気持ちのいいくらいバカっぽく、時折捨て身で突っ込んできては玉砕しては転がる。まるで、十手に一手くらいの確率で駒が勝手に動くチェスをやってる気分だ。
「くっ!」
「そろそろ詰みだ。諦めて腹筋でも固めとけ」
理詰めの土俵に上がった時点で桐条美鶴は詰んでいた。こちらの頭脳労働班を打ち崩すのは、俺様をねじ伏せるよりも数段難易度が高いのだから。
「チェックメイト、だったっけ?ま、どうでもいいか」
苦し紛れの刺突を掴み取って握力に任せてそのままへし折ると、体勢を可能な限り低くして桐条の足を払う。前のめりに自由落下を始めたその脇腹を、限界まで振りかぶった拳でぶっ叩いた。メキリ、と骨の軋む音とそれなりの感触だけを拳に残して、桐条美鶴は舞台を降りた。
「大凡、十五分ってとこか。真田明彦の評価を少し上方修正、桐条美鶴、伊織順平、岳羽ゆかりの三人は据え置き。そんでもって、有里美奈子。喜べ、てめえは最優先撃破目標に格上げだ」
「ええっ!?私、やられてばっかだった気が……」
「それだよ、それ。仲間を全員ボコッた俺様を前にしてその態度、いくらなんでも異常が過ぎる。精神構造どうなってんだ?」
ペルソナの複数所持なんかは些細なオプションだ。有里美奈子の特別は、誰よりも死の近くに存在していたという経験によって培われた価値観そのもの。誰も逃れられない滅びを間近に十年近く過ごしたのだ。自分で言うのも癪だが、俺様程度に恐怖を覚えることは無いのだろう。転じて、それは疑似的な不屈の精神にもなる。もし、こいつが力を付けたのならば、俺様に、ひいてはハルに、その刃が届くかもしれない。早々に潰せと本能が叫ぶ。計画を遂行しろと理性は叫ぶ。
「ままならねえな」
即断即決。悩むまでもなく、計画に一切の支障があってはならない。
「最後の時、てめえがあいつの前に立たない事を心から祈るよ」
畏怖を込めて、手札を一枚切る。
「集まれ。ドッペルゲンガー」
全体的に体を包む影が薄くなり、その代わりに黒い渦が蠢くように発生した。体表を留まることなく動き回るそれは、やがて足へと到達し、その刹那に爆発的な加速が発生した。
「あばよ」
振り下ろさせる拳を薙刀の柄で見事受けた有里だったが、いつの間にか腹へと移動していた黒い渦から生えた黒い腕によって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるとそのまま動かなくなった。
「ふ……ふふ……ふははははは!よっしゃ!完璧だぜ!」
緊張のスイッチを切ると、死屍累々状態のエントランスで小躍りしながら高笑いを上げる。ああ、窮屈だった。やっぱり慣れない態度は取るもんじゃねえな。余計に肩凝った。
「見てたかよ、ハル!俺様はつえーんだ!安心して前に進もうぜ!」
喉を焼き切る叫びの宛は、見上げた先は遥か彼方。全部、全部上手くいったなら、きっとそこで皆と笑いあえると信じて。