大敗も大敗。たかだか三十分と掛からず、たった一人に全滅を喫した私たち特別課外活動部だっただ、それでも世界は待ってはくれなかった。それぞれ、少なからず思うところがあっても、一人では決して解決できない。この決意は、きっと共有しなくてはならないものだから。
「あの!」
少し離れた場所で黒い煙を上げて薄れゆく大型シャドウを見据えながら、私は声を張り上げた。
「一度、皆で話をしませんか?」
暫くの静寂の後、意を決した私の言葉は皆に届いた。あるいは、そう思っていたのは私だけではなかったのかもしれない。まだ二ヶ月くらいしか過ごしていないけど、このメンバーとなら、乗り越えられると、そう思った。それまでが、昨日の影時間での出来事だ。そして、今。
「礼を言うよ。本来ならば私から切り出さなければならない話だ。不甲斐ない」
五人全員が集合した寮の広間にて、あの敗戦から実に八日を経て、ようやく向き合う場を得たのだった。
「気にしないで下さい、桐条先輩。私がそうしたいと思ったから言っただけです」
「それでも、だ。どうにも踏ん切りがつかなかった。恥ずかしながら、自身の事だけで精一杯だったよ」
学校での気張った態度ではなく、力の抜けた笑みを作る桐条先輩。皆、似たようなものだ。あの蹂躙を経験した五人の誰もが、恐れ、悔い、憧れを抱いた。単身、敵地に乗り込んで、五人を相手に圧倒した。そんなものはお伽噺や漫画の中くらいしか有り得ないと思っていたのに、彼は難なくやってのけた。それも、恐らく加減をして。
「……強かったな」
「ああ。あれほど一方的にやられたのは初めてだ」
口火を切ったのは先輩方だった。
「俺は、これでも自己鍛錬において一切妥協したことは無い。半生を修行に費やしてると言ってもいい」
いっそ清々しいのだろう。私にも分かる。名前も知らない彼は、こちらの全力を迎え撃った上で、完膚なきまでに粉砕したのだ。ご丁寧に一人一人順番に。
「体格は俺の方が勝っていたはずだ。年齢も、もしかしたらな。声が若かった」
淡々と、思考をそのまま羅列したように言葉は逸る。
「俺だってボクシングでは一応十六戦無敗だ。同年代で抜きん出てる自覚はあるさ。だったら。だったら、そんな俺を歯牙にもかけなかったあいつは、一体どれだけ積み重ねてきたんだろうな」
見つめる手の平に、どれほどの想いが乗っていることか。そこに至るまでの道のりが、いかに厳しい物だったのかを理解出来るからこそ、彼をただの敵と断じることが出来ないのだろう。
「奴は必ずまた現れる。目的は見当もつかんが、必ず。それにきっと仲間もいるはずだ。自分をバカと称したあれに計画が立てられるとも思えん」
「げ、あれ以上にヤバいのがいるんスか……?」
「可能性の話だ。単身、乗り込んできたということは、最も力があるからかもしれない。どちらにせよ判断の材料が少なすぎて雑多な推論の域を出ないが」
「でも少なくとも、こないだのシャドウ磔はあの人じゃないですよね。炎っぽい攻撃とかしてこなかったし」
限りなく猟奇的にシャドウを殺したあの出来事すら、彼らに前座に過ぎなかったのだ。あれだけの事をしておいて、成したかったことがただの警告だなんて誰が思うか、と叫んでやりたかった。アレは紛れもなく脅迫という行為だ。考えようによっては、意外と抜けてる集団なのかもしれない。信頼し合って、助け合って、笑いあって、一緒に歩んでいく。例えば、今この場にいる皆のような仲間がいて、私は与り知らないどこかへと直向きに走り続けている。そういう集団だとしたら。
「今度会ったら、もう少し話をしてみたいですね……」
「それが出来るほどに、世界は上手く回ってないよ。どこかで一つ間違えれば、奴もここにいたかもしれない。志を共にしたのかもしれない。けれど、一つ間違えることはなかった。なかったんだ。残念なことにな」
もしも。その言葉は毒だ。もしも、あの時そうしていたら。もしも、あそこで違う道を選んでいたら。もしも……、もしも十年前にあの事故がなかったなら。描いた浅薄な絵図にある自分は、何の変哲もなく平穏で、酷く虚しいようにすら感じる。私は、世界に色を付けることが出来ない。関わってくれた人たちから、ほんの少しずつ分けてもらって初めて、私の世界は完成するのだ。今まで、そうして生きてきた。そして、きっとこれからも。だからこそ分かる。あの人の色は、宝石のように鮮やかに輝いていた。
「だが、そうだな。捉えられたのなら、話は別だろう。奴とて人間だ。一度捉えて分厚い壁で作られた部屋に幽閉すれば、流石に逃げることは出来ない……、と思いたい」
「あはは……。はあ、本当にやりそうで怖いっスね。壁ぶち抜いたり」
「ちょっと、順平。冗談は冗談っぽくなきゃ笑えないのよ」
神妙な面持ちだったゆかりちゃんと順平君も復帰して、ようやくいつもの喧騒が戻ってきた。芽吹いた気持ちは未だ弱々しく、バラバラで曖昧なままだけれど、それでも私は、私たちは彼の行きつく果てを見てみたいと、そう思った。
・・・
二葉がシナリオを寸分の狂いもなく遂行してくれてから、つまり今月に入ってから初のハプニングは、例に漏れず唐突で精神を削るように起こった。まあ、予想の上の事態が起こるだろうと思っていた分、最近は慣れたものになってしまっているが、今回はヤバい。束の間の平穏が瓦解するとか、そういうレベルじゃない。
「……おい。どうかしたのか」
「なんでもない。少しばかり考え事をね」
散歩がてらに寄り道をしたのが間違いだったのか。それとも、あまり話しかけられたくないからと、四季の眼鏡を借りてしまったのが原因なのか。どちらにせよ自業自得。自分としたことが、余程気が抜けていたらしい。
「さて。しかし、考えてみたものの、何を聞かれるのか皆目見当もつかないな。荒垣真次郎と日向春一の間に接点なんてなかったと思うけど」
「……だろうよ。俺は優等生なんざとは対極にいるような存在だ。テメエが本当にただの優等生だったなら、一生話さなかったかもな」
閑散とした境内で、互いに相手を射殺さんばかりの視線を交える。
「最近の不良は、皆こんな感じなのか?だとしたら、か弱い優等生には些か荷が重い。外出を控えようかな」
「くだらねえ冗談は止めろ。ったく、アキの野郎もこんなのを見過ごすなんて、どうかしてやがる」
鍍金はすでに剥がれつくした。よもや眼鏡から、四季と僕の関係を疑う洞察力を、高々一不良が備えているだなんて、これっぽっちも考慮していなかった。
「知らなければいいことなんて、世の中には数えきれないくらいある。そうは、思わないかな?お互いさ」
「知っちまったものから目を背けるのは話が違えだろ」
「いいや、違わないね」
綺麗事は僕らを救わなかった。ならばこそ、必用なのは茨の道を平然と進む意思である。どうにも意識に欠けているが、それでも四季のお気に入りだ。余命知って足掻く者の先達として訓示をしておくのも吝かではない。それに恐らく、荒垣真次郎は天田乾にとっての重要なファクターになる。
「死ぬために生きてるんだろう?ああ、分かるとも。無理やり薬で命を繋いで、その時を待つだけしかできないのは歯痒いものさ」
「……何を訳の分からねえ事言ってやがる」
「激励だよ。仮にもあいつに手解きをしている身としては、君には腑抜けていてもらうと困るんだ。それでは、あいつは納得できないまま終わってしまう」
驚愕に見開かれた瞳には、もはや余裕の色は無い。心底追いつめられた人間の顔だ。核心を目前にしてようやく分厚い面の皮が剥げたか。
「詳しい事情までは知らないけど、天田がまだ不安定だった時に漏らしてたよ。光る馬だってさ。直接は見てないけど、君がそうだよね」
復讐をされるため。ただ、そのために抑制剤を求め、仲間から距離を置いた。あまりに不器用で奇特な生き方の奥に、苛む罪の重さが透けて見える。理想の死を追い求めて、復讐するものとされる者。相反していそうで、最も近くにある。今、目の前にいる男を御すのは、自分自身を律するのと同じくらいに簡単だ。楔を打ち込んでやればいい。抜こうとすれば即、致命傷になりかねない楔を。
「一度、深淵を覗いてみるといい」
ずずず、と何か恐ろしいものが這い出てくるような悪寒が走る。今や異界と化した雰囲気の神社で召喚機を介さずに、それでも禍々しくはっきりと。僕のペルソナはゆっくりと輪郭を帯びてゆく。狂気を繰り、憎悪を捌く冥府の渡し守。船上より見下ろす彼に、いかなる瘴気もその身を害するに能わない。襤褸を纏い取り繕った容姿は、化物染みたこの身でも未だに人であらんとする深層心理の表れか。終わってしまった魂を、導き誘うその名は。
「落ち着きなさい」
ともすれば修羅場と言い換えてもいいこの場所に、凛と落ち着き払った声が通る。急激に頭が冷えた。どうやら、柄にもなくはしゃぎ過ぎたみたいだ。
「世話を掛けたね、タカヤ」
「そう思うのでしたら、早いところそれをしまってください」
「ん……。了解した」
肩の力を抜き、自然体へと戻るに伴って、背後で揺らめいていた巨大な気配は掻き消える。まずは深呼吸だ。己を理性で塗りつぶせ。
「これでいいかな?いや、覚悟を決めさせるにはこれが一番手っ取り早いと思ったんだけど……」
「呆れましたね。身を削ってまでそうする価値が、彼にあるとは思えませんが」
痩身に白髪、そして何より目を引くのは、半裸によって露わにされた両腕を埋め尽くすようなタトゥー。彼こそが『ストレガ』のリーダー格である。
「しかし、参ったな。どうにも突発的に抑えが効かなくなる。まだ誤魔化しは効くけど、そろそろ限界が近いね」
「分かっていたことでしょう」
「頭で理解しているのと、言葉にするのとでは大分違うよ」
そうですか、とタカヤは無表情のままに呟くと、荒垣へと向けて歩を進めた。
「運が良かったですね。まともな精神の持ち主にとって、ハルのペルソナは猛毒ですから」
「……なら、平然としてやがるテメエも異常者ってワケかよ」
「そうでないと言った覚えはありませんよ」
脂汗を額に流しながらも、普段の姿勢を崩さない荒垣へ袋が手渡される。言うまでもなく抑制剤だ。先ほど目の当たりにしてしまった、僕のように成り果ててしまうかもしれないそれは、しかし目的のために必要不可欠なもの。必然、使わざるを得ない。近い将来に訪れる、逃れられない破滅に恐怖しながら。
「ああ、それと。ジンから四季へ伝言です。注文のされていた物が手に入ったと言っていました。時間があるときにでも取りに行って下さい」
「まったくもっていいタイミングだ。まだ四季の出番は先だけど、準備期間があるに越したことはないからね」
思わぬ朗報に、心なしか気持ちがほぐれた。これでようやく、厳粛な脳内会議で顔合わせの順番を討論することが出来る。
「では、私はお先に」
タカヤは用事を済ませると速やかに神社の出口へと歩いていく。元々、僕たちの
会話になどはさしたる興味もないのだろう。変人中の変人である自分から見ても、かなりの変人である。それも出会った頃から一切ブレないのだからそれはもう生粋だ。
「それじゃあ、こっちもそろそろ話を纏めようか。あまり、長話をして誰かに見られたりでもしたら、お互い好ましくはないからね」
「俺に選択権なんかねえだろうが」
心底恨めしそうな視線を浴びせてくる荒垣だが、実際のところ選択権があるのはあちらさんだ。今にもぶっ倒れてしまいそうな僕は、得意のポーカーフェイスがばれない様に祈りながら、虚勢を張るしかない。燃費最悪過ぎてまともに使えないペルソナを宿すとは、我ながら何と言ったらいいのか。
「心配しなくても、もう何もしないよ。僕だってまだ死ぬ訳にはいかないんだ」
漸く戻ってきた雑多な生活音が心地いい。そして、それは荒垣も同様なはずだ。
「死にたくないと思うからこそ、死の覚悟は重さを持つ。努々、忘れないでくれ。半端な結末は天田に何も齎してはくれないと思うから」
生きることの輝きに向き合っていてこそ、影はその深さを増す。真面目に生きてない奴を、僕は決して認めない。平凡であれ、怠惰であれ、醜悪であれ、生きたいと一片でも願っているならば、その軌跡は少なからず光り輝いて関わりを持った誰かを照らすのだ。素晴らしい。破滅の未来を願ったマッドサイエンティスト共には、どうあがいてもたどり着くことの出来ない境地だろう。
「メメント・モリ。死を想え。全てはそれから始まる」
何かを吹っ切ったような荒垣の表情を視界に収めると、僕はゆっくりとその場を後にする。まずは早々に帰宅して、泥のように眠ろう。そうして起きた後は、家族と話し合いを。もう殆ど輝く事の出来ない僕の、最後の意地を通すために。
○○○
「と、いう訳でェ!これより、第一回桐条勢力ボコボコにするぞ会議を開催しまーす!」
「呵呵。ようやくじゃな」
「はい。三日月は暇過ぎて死ぬかと思ったくらいに待ちました」
翌日。いや、はっきりと時間が分かっていないから断言は出来ないけれど、兎に角、今は睡眠を取った後だ。起きると同時にこの場所にいたので、何時なのかも知らない。まあ、散々気にしてくれた家族を顧みずにペルソナを行使しようとした僕としては、それを咎めるつもりなど無い。むしろ、こういった賑やかなのは歓迎だ。
「大体、何故馬鹿が進行を務めているのだ。こういう大事な場をまとめられる脳みそなど、持っていないだろうに」
「いやあ!昨日までブツの届く当てがなくて隅っこで膝を抱えてた四季クンには言われたくねえな!」
「貴様ァ!」
何度も何度も繰り返し見た光景が、今もまた目の前で展開されていく。もう、昨日の後遺症は出ていない。一時はどうなる事かとひやひやもしたが、万事なるようになってくれたようだ。
「ふふ。じゃあ、二葉と四季が落ち着くまでの間に、現状確認だけでも済ませちゃおうか。その方が賑やかでいい」
「あの乱痴気騒ぎを許容するとは、ハルの物好きにも困ったものですね」
「憎しみのない言い争いは、見ていて微笑ましいだろう?」
「四季が血涙を流してますけど……」
「さっきの言葉がよっぽど効いたみたいだな。愚兄に役立たず呼ばわりされる屈辱は計り知れんぞ!」
わなわなと全身を使って表現する五月雨と、僕を含めた全員を一歩引いた場所から愉快そうに眺める六道を一瞥すると、僕は口を開く。
「目下のところ、対策を講じなければならない事案は二つ。一つ目は先日の大型シャドウ討伐の際にペルソナを覚醒させた少女について。そして、もう一つ。これは最重要課題なんだけど……」
ガシガシと頭を掻きながら思案して、ようやく絞り出すように言葉を紡ぐ。
「有里美奈子。アレ、思ってたよりもヤバいね。僕にとっての天敵もいいところだ。流石にあんなモノを十年近くも宿してただけの事はあるよ」
やってみなければ分からないけれど、やってみてダメでしたでは済まない。こうなってくると、やはり貧弱な己の器が恨めしい。
「怪物、化物、人外。あの研究所でいろいろ言われたけど、やっぱり本物は違うねえ」
「殺す気がないから大丈夫、などと。三日月には頭の螺子が飛んでいるように思われました」
「儂も概ね同意見じゃて。然らば、まずは認めるところから始めるべきじゃのう。あの小娘はたった一点であれ、ハルに勝る牙を持っていると」
「だが、ハル兄様よ。逆に良かったではないか?相手の利点がどこにあるのか把握できたのは、大きな収穫だ。破れかぶれでかかって来るよりも余程いいぞ」
「うん。そうとも言えるね」
どちらにせよ、直接相対するのは仕上げ間近になる予定。即ち、僕が限界を超えても問題なくなってからだ。それなら、大丈夫。奥の手が切れれば、僕は負けない。孤独に負けて魂を切り分けた脆弱なこの身でも、共に歩んでくれる者がいるのだから。
「まあ、これは先延ばしにしてもいいかな。とりあえず今は、もう一つの方をどうするか決めるのが急務だ」
探知系ペルソナを覚醒させた人物、山岸風花。足りなかった部分を補うように、ぴったりとはまるピース。それを今回の一件で奴らは手中に収めた。
「六道はどう見る?」
「ふむ……。覚醒したてに負けるほど耄碌しとらんつもりじゃが、あの一戦だけではなんとも言い難いのう。火事場の馬鹿力なのか、はたまたコンスタントにあの実力を出せるのか。そのあたりをはっきりさせなくてはならんな」
「なら、七月分は見に回ってもらう。表に出ないままになってしまうが、それでも六道なら出来るだろう」
「言わずもがな。此度の勅命、見事遂げてみせようぞ」
気持ちのいいくらいからっとした笑い声をあげて、六道は一歩下がった。
「となると、来月の顔合わせは正面切って戦える二葉か五月雨に任せる感じになる訳だけど」
「二葉は既に顔合わせを追えていますから、自動的に五月雨で決定ですか」
「すまないね、三日月。今回は我慢してくれると助かる」
「事情があるのなら、仕方ありません。三日月はあそこで馬鹿やってる人たちとは違うので、お小遣いで手を打ちましょう。クレバーに」
ぐっ、と小さくガッツポーズをとる三日月。意外に強かである。
「……服か?」
「服です」
「そうか……」
体は共有しているのだ。三日月が服を買うということは、日向春一が着るということに他ならない。六道開発の不可思議ななメイク技術によって、僕だと分からない程度には美人になるのだけれど、あまり気乗りはしない。まあ、女装で気乗りしてしまったら、人間としてどうなのかと思うので恐らく僕は正常だ。
「……自分で買いに行くこと、いいね?」
「ハルは話分かりが良いから好きです」
満足のいく答えを得たのか、三日月は珍しく鼻歌混じりに、未だ続く抗争を沈静せんと動き出した。これで残るは五月雨一人。眼帯に隠された上からでも感じ取れるほどに、その双眸を輝かせ、僕の命が下されるのを今か今かと待ち望んでいる。互いを知るからこそ、五月雨の望むように頼みではなく命令の体を取ろう。
「五月雨。必ず勝て。そして思い知らせてやるんだ」
「仰せの通りに。この部屋から安心して見ててくれ、ハル兄様。俺の力は誰にも負けないからな!」
「ああ、もちろん。楽しみにしているとも」
五月雨は、僕に対して恩に報いれていないという負い目を持っている。兄弟の仲で比較的遅い生まれが、僕の一番辛い時に何も出来なかったなどと、見当違いのコンプレックスを生じさせてしまったからだ。ただ、話をしてくれるだけで、僕は幸せだと言って聞かせても、心の奥底には小さな蟠りが常在してしまった。だから、僕は命令を下す。これ以上ほんの少しでも苦しまないでいてほしいから。僕らの敵を礎としよう。
「加えて、一つ。追加でオーダーだ」
「おっ?」
間の抜けた声を上げた五月雨へ、挑発的で魅力的な命令を。
「もしも、魔力付加を奴らが攻略してくるなんて事態になったら」
「おおっ!?」
大凡の察しがついたようで、困惑は歓喜へと様変わりし、声が上ずって弾んだ。
「全力を見せてやれ。僕は意外と我が儘でね。お前たちを、僕の大切な家族を誇らせてほしいんだ」
「ああ……ああ!ありがとう、ハル兄様。良い感覚だ。今ならなんだってできそうだ!」
楔は砕けた。後は心行くまで暴れるのだろう。なら僕は、それを特等席で見届けよう。遥か遠い目的地への道行は、それでも苦痛などと思わせない。この過程すらも、きっと大切なモノなのだから。