日向春一処刑イベントの輝かしい第一戦目は、最も警戒していた美人さんとだった。名前はマーガレット。立場としては、エリザベスとテオドアの姉に当たる人物だ。二人に比べると落ち着いていて妖艶な空気を漂わせる雰囲気に加え、常識を知りつつ無視してるといった破天荒な人。そして、何より強い。不敵な笑みも、内包する力に裏打ちされた余裕の表れなのだろう。侮られてようやく対等。だがまあ、挑む側には慣れている。
「貴方の才能。それはとても稀有な物ね。因果な物と言い換えてもいいわ」
「全く同感だよ。出涸らしの後に残ったのが、こんな物とはね」
「あまり自分を悪くいうものではなくってよ」
エリザベスの無垢なそれとは違い品格を感じさせる微笑み。駄目だ。会話のペースすら握れない。あらゆる面で慢心しないで向き合ってくれるのは、喜べばいいのか悲しめばいいのか複雑だ。
「復讐だけしか残っていない人生で、それでも僕には矜持が一つだけある」
「それは、何?」
とっくに察しているだろう。それでも会話を楽しむように、マーガレットは僕に促す。
「何、簡単だよ。家族にカッコ悪いところ見せたくないのさ。僕を慕って、信じて、敬ってくれているあいつらに、僕はそれに足ると示してやりたい」
「素敵ね。つまり貴方は、年相応の小さな意地で私の前に立つと言うのね」
「そうだ。でも、ほら。君も家長なら分かるだろう?」
「あらあら、そんな事言ってしまっていいのかしら?私も負けられなくなってしまったのだけれど」
「望むところさ。元より、僕は弱者。挑む者。いつも通りにやるだけだ」
楽しい楽しい談笑は終わり。僕は、張り付いた仮面を引きはがすべくその手を顔へ。マーガレットの吊り上った口角を掌越しに見据えながら、米神に罹った指に力を込める。そこにある見えない何かを、握りつぶすように。
「おいで、僕の愛しい半身」
瘴気を掻き分け前進。死をまき散らし君臨。神社で暴発しそうになった時とは訳が違う。戦うための意思を持って、そいつは姿を現した。
「カロン」
名を呼べば、耳をつんざく狂喜の叫びを上げる。冥府への道行を司る在り方は、まさしく僕の現身以外に有り得ない。掛け替えのない家族に最良の死を与える事しかできないこの身に、このペルソナが宿ったのは必然だ。大きな船を自在に繰り、身に纏った襤褸でさえぶかぶかに見えるほどに痩せていて、それでも僕は僕のペルソナと自分は殆ど同じモノだと言い切れる。理屈ではなく、感覚で。
「……すごい同調。納得したわ。我が主ですら舌を巻いたと言う貴方の才能」
「それしか出来なければ、それくらいは極まるものだよ」
指先に感じる空気の流れまでもを、共に享受する。家族を得るために全てを擲った僕に残された最後の才能。目指した平穏には程遠く、呆れるほどに過去に縛られているおんぼろな武器。
「始めよう」
今度こそ、主導権を奪い去る。一手一手、これでもかと頭を働かせ、か細い可能性の糸を手繰り寄せて紡ぐ。そんな戦いこそが、僕の本懐である。
「君に精神攻撃が効くとも思ってないんだよね」
片鱗だけで荒垣真次郎に畏怖を抱かせたカロンだが、その実強いという訳ではない。ただただ、異様で不気味が過ぎる。理解できない狂気に侵されていただけ。要は超スゴイはったりだ。哀しいかな、言うまでもなく圧倒的な格上や自分と同等以上の異常者相手には効かない。
「ジークフリード!」
精悍な武人のペルソナから発せられた爆炎が、悪意の河を飲み込もうと広がっていく。自分の優位を誇示するためのあからさまな挑発のつもりだったのだろうが、その程度で僕の河は揺るがない。どす黒い水の反乱は一向に止まらず、剰え逆に寝食を始めた。
「へえ……!」
いい方向に予想を裏切られたマーガレットが嬉しそうに笑う。覚えのある雰囲気。二葉に近しい戦闘狂の表情を浮かべて、彼女は躍動を開始する。本当に、認識すらままならない速さの踏込は、一足で僕の懐へ。そのまま、何度も何度も拳を、足を繰り出していく。無慈悲に、無感情に、一切の下限なく、眼前より襲いくる脅威を、腕を組んで見据える。一撃でも掠めれば死ぬほど痛いだろう連撃を防ぐために、持てる神経を総動員してその軌道を読み切ること専念したのだ。
「素晴らしい」
「称賛はもっと惜しみなく頼むよ」
僕が単身でも彼女の眼鏡に叶った因子。それは、ペルソナ操作の才能だ。コンマ一ミリ違えることなく、刹那のラグも存在しない完全な同調こそが、僕に残された唯一の才能。精密で大胆で老獪なマーガレットの連撃は、一つ余さず頭上に控えるカロンの櫂に阻まれたのだ。
「私の攻撃に先んじるペルソナ操作だなんて、そんなの、妹達でも無理よ」
「持たざるからこそ見えてくる境地もあるのさ」
「不思議ね。力を管理する私と、力を切り離した貴方が戦えるなんて」
「君と僕が対極なら、お互いに極地とも取れる。別段、不思議じゃないよ」
水面下で、幾重にも意識を張り巡らせての会話。正直、気が気じゃないけれど、強引にいっても返り討ちに合うのが目に見えている。兎に角、後の先を。勝機があるとすれば、その一点に懸けるしかない。が、それは向こうも承知のはず。だからこその膠着状態だ。
「やめ、よ。こういった趣向もいいけれど、今日は思うままに踊るわ」
「……エスコートは不慣れなんだけど、ね!」
情熱的。今のマーガレットにこれほど似合う言葉もないだろう。映画の主役のように生き生きとしていて、柄にもなく熱に充てられてしまった僕がいる。誰だって。認めてもらえれば嬉しいだろう。自己評価が低い僕は尚更に、期待に応えてやりたくなるのも自然な流れ。
「ロキ!」
発動が早すぎて、ペルソナの姿は大凡にしか把握できなかった。いや、今はそんな事どうでもいい。思考を無駄に裂いてはならない。マーガレットは真っ向勝負を挑んできた。早く、より早く。威力など二の次な魔法の行使がそれを物語っている。
「全て、撃ち落とす」
一瞬にして視界を覆い尽くした氷の槍。互いにぶつかり合うそれらの軌道を把握し、最も無駄のない動きで櫂は動く。捌いて捌いて、開けた視界には既にマーガレットの姿は無い。背筋が凍る。なんて早くに、僕の弱点を看過しやがるんだ。
「だけど、甘い!」
「あら?」
突如、薄い皮膜のように僕を包んだ河の一部を見て、右斜め後ろから声がした。本当に、残り一メートル程度の距離しかないとは。つくづく、格上だと思い知らされる。
「欠点を補う術くらいあるとも」
「いいわ。そうこなくっちゃ!」
単純に、僕を封殺したいのなら簡単な方法がある。所詮、操っていつに過ぎないのだから、認識されなければいい。ただ、それだけ。まあ、実行できるのは一部の人外のみだけど。
「食らいなさい!」
声のする方へと振り返り終わる前に、次の一手は放たれた。物量、奇襲、と来て、お次は力押しらしい。マーガレットが召喚した刀を持った色白な鎧武者のペルソナからは、そう思わせるに十分な圧を感じた。ここだ。ここしかない。策はここに成った。
「カロン!」
黒々とした河を纏い、櫂の尖端が槍の如く変化する。宛ら黒曜石の槍のような、それで、一直線に彼女の肩へと吸い込まれる。乾坤一擲。出し惜しみは無しだ。
「さて、持ってくれよ僕の体……!」
当然、捨て身の代償は払わなければならない。こちらの防御を抜く前提の力づくだ、さぞ痛いことだろう。ああ、一秒先が来なければいいのに。噛みしめた歯の感触が分かるくらいに鋭敏になった世界で、遠慮の欠片もなく最大級の攻撃が僕を襲った。
「か、なり、痛いけど。い、一杯食わせたぞ」
衝突の際にしたのは鈍い打撃音。額はいい具合にカチ割れ、口元からは血がだらだら垂れていて、それでも耐えきったのだ。
「……お見事よ。一杯食わされたわ」
臨戦態勢を説き、ふう、と浅く一息をついたマーガレット。その右肩は、カウンターで入った槍の一撃でお世辞にも大丈夫とは言い難い有様になっている。
「まさか、耐久特化のペルソナだなんてね」
「トライ&エラーが得意技なんだよ、僕は」
じゃなければ、辛抱強く十年近くを持ったりしていない。耐えて、耐えて、何度も相手に打ちのめされながら最後には勝つ。と言うより勝つまでやる。
「自信無くすわ。これでも渾身だったのだけれど」
「二度とは御免だね。あんなに痛かったのは久々だよ。首から上が吹っ飛んだかと思った」
「吹っ飛ばすつもりだったもの」
マジか。気合入れておいて本当に良かった。
「私の攻撃を全部防いで見せたのも、弱点を補って見せたのも、全部ブラフ。この私相手に相打ち上等だなんて」
「褒められるような技なんかじゃないぞ。ただ、胸糞悪い実験のせいで痛みに慣れ過ぎてるからこそ出来る芸当さ。否応なしに、身に付いてしまった。ま、ペルソナとの相性だけはいいがね」
上手く躱すことなんて出来ない。完全に防ぐ事も出来ない。だから、弱さで武装する。嘲りを受け、侮られ、肉を切らせて肉を切る。間違っても骨なんか断てないまでも、耐久勝負なら一日の長は僕にある。
「二度と勝てる気はしないけど、今回ばかりは僕の勝ちだ」
「ええ。お見事でございます。付け入る隙もなく、私の敗北よ」
宙ぶらりん状態な腕を気にも留めずに、マーガレットは微笑む。時間にして、ほんの十分足らずの、二度とは味わえない戦いの味を噛みしめるように。
「あの子もいい人を見つけたわ。少しだけ羨ましい」
「いい人って言うなら、弟君も大したもんだよ。彼女も相当に数奇な運命を持っているだろうからね」
「アレは特別。貴方の輝きとはベクトルが違うわよ。例えるなら、彼女が太陽なら貴方は花火」
「それはまた随分な格の違いだ。いずれ前に立つ身としては気が重い」
「白々しい。そもそも、あの子に勝つことが目的ではないのでしょう?」
「これでも、男の子なんで」
冗談めかして核心を避ける。その先、計画の終わりを口に出すにはまだ勇気が足りていない。経験豊富な僕と言えど、未だ死は未体験だ。人並みに怖い。
「倒れる前に、お礼を言っておく。憎しみ以外でカロンと肩を並べられたのは、初めてかもしれない」
戦闘が終わってから数分が経っても一向に内へと戻っていく気配の無いカロンを見上げながら苦笑する。魂を千切り過ぎた代償に、僕のペルソナは一度召喚してしまうと、抑制剤を使うか意識を飛ばさない限り、その存在を保ち続けてしまう。僕にまだ、復讐以上の強い想いがあったなら、あるいはもう一人の家族として生を受けたかもしれなかった。しかし、それは出来ない。カロンが悪意の河とセットである故に。恨むためだけに生まれる命を作り出すことは許容できないからだ。
「約束通り、後の事は頼んだ」
「お任せください」
結びつきすぎた同調を断ち切る方法はいくつかあるが、今回は最も手っ取り早い方法を選択する。一番負担が少ないのは、ボコボコにされてノックダウンすることだけれど、何分、馬鹿みたいな耐久力を持ち合わせているので時間がかかってしまう。そこで、今回用いるのは、名付けてオーバーフロー。やることはそのまんま。頭を酷使して意識を飛ばすだけだ。パソコンの電源を正規の手順ではなく電源ボタンを押すようなもののため、その際若干記憶が混濁するのが難点であるが。
「また会える日を楽しみにしているわ。……うふふ」
途切れゆく意識の最中、僕が聞いたのは怪しげな笑い声だった。
○○○
「…………」
そして、話は現在に繋がる。
「なるほど、平賀はドタキャンしたのか」
鼻の下を伸ばした男どもの勧誘を眼光のみで退け、茂みの中で携帯を確認するとメールが届いていた。文中にゴメンが二十回も使われた超大作だ。ここまでされると、逆にこちらが申し訳なくなってしまう。……じゃなくて。今は、どうやってホテルに戻るかを考えるなくては。
「しっかし、遠いな。なんだってまた海から二キロも離れたホテルにしたんだ」
愚痴を垂れ流し、がさがさと落ち葉を踏み分け、この服意外と動きやすいんだな、なんて考えながら歩いていると、ようやく林道らしい場所に出た。前途多難ではあるけれど、まずは迷子脱却完了だ。
「幸い、体調だけは万全。もういっそ人気が無くなる時間帯まで森に居ようかな」
「あれあれ?こんなところに人がいるっぽい?」
ハイテンションな声を先頭に、四人の女性と鉢合わせた。なるほど、屋久島はこのためか。なら、残念だけど戯れている時間はない。
「三日月」
誰にも聞こえないくらい小さく名前を呼ぶ。他の誰にも分からない刹那の内に、日向春一は切り替わっていた。声音、雰囲気、目つき。よくよく見ればかなりの部分が異なるのに、誰もその事実に気付けない。元々、一人の人間だった故の特権だ。
「……ねえ、ちょっと、どう見ても厄介事なんだけど」
「そう?似合ってると思うけど」
「いや、しかし。暑くは無いのだろうか?」
私、三日月は意識がクリアになるまでの間も、相手の観察を怠らない。まずは自分の持ち得る武器を、その後に相手の戦力を計る。
「厄介事と思うならば、早々にこの場を去ればいいでしょう。追いかける気なんて毛頭ありませんから」
スパークする視界が平常に戻ったころに、口を開いた。四人。上限一杯、対処できるギリギリだ。召喚器を必要としない私には速さと、一方的に相手を知っているという二つの大きなアドバンテージを得ている。ついでに言えば、舞台も良い。一度ペルソナを召喚すれば、逃走など至極容易い。
「不躾ですね。そして不愉快です」
抑揚のない声で威圧するように。二葉や五月雨と違って、私には敵意以外存在しない。必然、声音は冷たくなる。
「済まない。こちらとしても、こんなところで人に会うとは思ってなかったんだ」
「自分たちは嬉々としてここにいるのにですか。傍若無人ここに極まれりですね」
「ちょ、ちょっと、アンタ。そりゃ、厄介なんて言ったのは悪かったと思うけど、何もそこまで言わなくたっていいじゃない!」
激高する岳羽の声を涼しい顔で受け流しながら、ハル達に許可を求める。どの道、顔合わせとやらも真っ向勝負を得手としない私は対面するまでもないのなら、今ここで。……ああ、やはり話が分かる。
「おかしなことを言いますね、岳羽ゆかり。敵に気を使うなど、阿呆のすることです」
「全員、離れろ!」
「助かります。三日月のパーソナルスペースは結構広いので、正直不快で堪りませんでした」
桐条を筆頭に、大きく一歩後ろに距離を取る彼女たち。ようやく自分の距離を取ることが出来て、息苦しさがほんの少しだけ緩和される。
「よもや、こんな場所での顔合わせになるとは」
「顔合わせ……。つまり、貴様が三人目か」
「予定では五人目でしたが」
「ご、五人目ですか?ってことは……」
「少なくとも私たちが知らないメンバーがあと二人、いや三人はいるってこと?」
「でしょう、ね」
飛び退いたきり、私以外の誰もが動けないでいる。まがいなりにも今日までの経験から、迂闊に動くことの愚かさを知ってはいるようだ。
「賢明です。僅かでも連絡を取る素振りを見せたら腕の一本は諦めてもらうつもりでした」
「……本気のようだな」
「二葉や五月雨は些か甘いところがありますが、三日月の矢に慈悲はありません。躊躇いなく貴方たちの体に血の徒花を咲かせましょう」
凍りつく相手を見やりながら、頭を回転させ続ける。ハルの考えは別にして、私
自信はこの顔合わせを仕込みの場所だと考えていた。特に、奇襲が得意な私にはこの上なく有用な恐怖の刷り込みを出来るからである。来るべき日に最善を勝ち取れるように、私はこの場を有効活用する。
「あの人の目的のために殺すことはしません。このようなチャンスを逃すのは非常に、非常に残念ですけど」
「貴様がリーダーではないのか!?」
桐条美鶴の困惑は理解できる。私に手綱を付けられる誰かを想像できないのだろう。同感。私自身、ハル以外に傅く姿を想像できない。それに、そもそも手綱など付いてはいない。日向春一という肉体で完結している『ダイス』は組織にして組織に非ず。個人にして個人に非ず。されど、統率は完璧に取れている。ものすごく摩訶不思議な集団だ。
「三日月にはリーダーの器なんてありません。兄さんに比べれば、とてもとても」
「……なら、なんで仲間にだけ戦わせて本人が直接前に出てこないのよ。おかしいでしょう」
「無知蒙昧が寄せ集めの脳みそであの人を理解しようとしないでもらえますか。虫唾が走る」
奥歯をかみ砕きそうになりながらも、激情をそっと理性で和らげる。私が己に定めたルールに則って、それは許されざる行為なのだから。
「これ以上の問答は不要と判断しました。何処へなりとも立ち去ってください。無論、不意打ちなどを警戒しなくて結構です。続きはいずれ、貴女方の前に立った時に」
言いたいことを言い終わると、一度目を伏せてから迷いなく歩き出す。真っ直ぐ、堂々と、誇示するように。硬直したまま動けない彼女たちの間を気負うことなく通過した。
「来る絶望に向けて準備をしておくことをお勧めします。貴女方に出来るとこなど、精々それくらいのものですから」
さて、それではここではないどこかで、台無しになったバカンス気分を取り戻すとしましょうか。多分、これが最後の旅行になる。なってしまうから。
「ねえ、ハル。聞こえてますか?」
誰も見えなくなるまで歩いて、鳥の囀りすら聞こえない場所で空を仰ぐ。木漏れ日が程よく眩しくて、暖かい。以前からよく話に聞く、ハルが目指す場所のイメージにちょっと似ているのかもしれない。だったら、なんて救われない。たったこれだけのモノを、命懸けでなければ手に入れられないハルの人生に華を添えてあげたい。家族の中で、二葉はハルの代わりに喜び、四季は怒り、五月雨は楽しみ、六道は哀しむ。憎悪以外にあまり強い感情を見せないハルに代わって、四人はより顕著に鮮烈に心を示してくれる。取り決めた訳でもなくそうなったのは、とても在り難い話だった。
「三日月は掟を破りません。ですが、思い出が欲しいとも思っていますよ」
私が自信に課した制約は、ハルと同じでいる事。その枷を以て縛るのは、私ではない。自らを蔑ろにし過ぎる傾向のあるハルだ。これでもかと言うほど身を削って生み出した私たちは考えに考えた。結論がこれ。私を大切だと思うならば、自身を大切にしなければならない仕組みの核を、私は務めている。卑怯にも、そこの居心地の良さに甘んじて。
「今だけは笑って、それが終わったら思い知らせてやりましょう。奪った現実を突き付けて、まんまと勝ち逃げしてやるんです」
私の弓は体制への叛逆者。世界がこうも理不尽を強いるのならば、穿ち射殺し自由を勝ち取る。世界の終りまで、ずっとそうしていく歩くのだ。永い家路を共に。
・・・
逃げ込むようにして桐条所有の別荘に転がり込んだ私たちは、限界を超えて笑う手足の震えを止められないでいた。今までの相手は、戦いの中で想いを感じることが出来た。だが、今回は違う。ガラス玉のように綺麗で澄んだ瞳は、私たちなど見ていなかった。自分と、それから仲間以外を認識しようともしない瞳。普通とは言えなくとも、常識に折り合いをつけながら生きてきた私たちに比べて、彼女の世界は小さすぎた。両手の指で足りるくらいの範囲しか、要らない。初めて目の当たりにした排他的の極みは、吐き気を催す悍ましさを孕んでいた。
「これは、どうもアイギスの紹介どころではなくなってしまったようだね」
「理事長……」
「ああ、そのままでいいよ。しかし予想外だったね。まさか屋久島でこんなことになるとは」
「……真偽のほどは分かりませんが、あちらも偶然だと言っていました」
「ふむ。それはまた……、どんな確率なんだろうね」
理事長兼特別課外活動部の顧問を務める幾月さんは、呆れたように呟く。何かしら会話をすることで重苦しい雰囲気を少しでも改善しようとしているのだろう。あの場で彼女、三日月と対面した四人が四人とも少なからず憔悴している。無論、私も例外ではない。他の三人に比べればましだけど、そう、驚きが一番強い。世界を広げようとしている私は愕然としてしまった。
「順平君たちは?」
「今、細心の注意を払いながらここに向かってるよ。残念ながら、もうバカンスどころの騒ぎではないみたいだ」
「た、確かに。あの子、静かな言葉だったけどかなり危ない雰囲気出してたし、正直、もう二度と会いたくはないです……」
げんなりとしながらも、ゆかりちゃんが復帰した。未だ、震えている風花ちゃんを見て、しっかりしていなくてはならないと思ったのだ。強がりでも、心底怯えてしまっている仲間のためになるなら、是非もない。それは本来、リーダーである私の役割ではないのか。
「そんな顔しないの。私だって助けられっぱなしじゃないんだから」
「ゆかりちゃん……」
感動で溢れそうになる涙を精一杯堪えて、自分の頬を勢いよく叩く。情けない自分に気合を入れて、目を背けてしまわないように。
「よーし!そうと決まればこうしちゃいられないね!」
「あ、有里?」
「桐条先輩!昨日の今日でアレなんですけど、もう一回お父さんと話をしましょう!」
あえて注目を集めて、私は言う。空元気上等。私が怖いのは、何も知らないままに終わってしまう事だ。今、何かが動いていて、誰かがその裏で声なき嘆きを漏らしているのなら、私たちは知らなくてはならない。負けっぱなしのこちらが言えることではないが、『ダイス』と名乗った彼らは桐条と言う巨大な組織の前にして、あまりにもちっぽけな存在だ。自殺行為にしか思えない。しかし、狂ってなどいない。ならば、そうまでしてでも成し遂げたい何かが、きっとあるはずだ。
「お父様に進言してみよう。ただ、確約は出来ないぞ」
「その必要はない」
重厚な声に一番驚いたのは桐条先輩だった。常軌を逸した多忙さを知っているが為、『ダイス』がそれほどに重要な案件だと否応なく理解させられたからだ。
「連日、済まない。だが、昨日の映像記録と同様、これもまた目を逸らすことは許されないのだ」
機能に比べてどこか弱弱しく話す桐条先輩のお父さん、桐条武治。現桐条グループ総帥。そして、その陰からひょっこり顔を出す順平君と真田先輩がいた。
「潔く引いておいて良かったな、伊織」
「……はいっス」
開口一番、私たちの疲れ果てた姿を見て項垂れる順平君。なんでも、あの子を口説こうとしたらしい。意外に度胸があるようで、ぶれない姿勢はある意味尊敬に値する。
「お父様」
言葉を発しないまでも順平君を見て微笑むまでに回復した風花ちゃんを確認すると、桐条先輩が話を促す。
「これからする話は、昨日の話のように証拠染みたものが存在しない。言わば憶測に近いものであると念頭に置いてほしい」
悔恨、懺悔、後悔。重々しい口振りで、とうとうパンドラの箱は開かれた。
「結論から言うならば、『ダイス』と言う組織の狙いは私だろう」
「なっ!?」
「詰問は後程受ける」
今にも跳びかかりそうな勢いの桐条先輩を目で制し、表情一つ変えずに話を続けていく。
「十年前。私は桐条鴻悦が行った実験に立ち会った。先日見せた映像と同じものだ。戦慄させられた。目を血走らせた大勢の研究者が参列する中、年端もいかぬ子供が混じっていたのだから」
「子供……」
「資料は念入りに破棄され、今となっては詳細を知る者はいない。ただ、彼が今も生きているのなら、君たちと同じくらいの年齢だろう」
「何者なんですか?その少年は」
「……『タルタロス』と双璧を成す罪があるとすれば、それは彼の事だろう」
そう言って、私たちの手に一枚の資料を手渡した。所々焼け焦げ、今にも崩れ去ってしまいそうに脆く劣化した紙だ。小難しい文章が延々続くその端々に鏤められた悪意は相当なもので、気を抜けば持つ手が震えてしまいそうになる。
「それは、他の資料に紛れて偶然にも私の手元に紛れ込んでいたものだ」
「なに、これ」
掠れきった声は、もはや蚊の羽音と大差ない音量だ。舌が上手く回ってくれない。ここに書いていることが事実だと言うのなら、この少年は片手で数えられるギリギリの年齢から、すでに命を懸けてシャドウと戦っていたらしい。
「尤も、名前や経歴は一切不明。手がかりは特殊にカスタマイズされた回転式拳銃だけ。生死すら定かではない。だが、もし生きているのなら、『ダイス』と名乗る組織に属している可能性は大いにある」
「それが本当なら、あの人たちを結び付けてる絆は、復讐……なんですね」
嫉妬してしまいそうになるくらい強くて太い信頼も、猛々しく力強い意志も、私は甚だ理解など出来ていなかった。健全な魂は健全な肉体に宿る、とまで極端な話でなくとも、途方もない努力の末に得たであろう彼らの力は、きっと尊い願いに基づいた物だと、勝手に思い込んでいたのだ。失敗した。他人に関わるだけが取り柄の私は、完膚なきまでに打ちのめされて、どうしようもなく自分が情けなくなってしまう。
「……『ダイス』の件、以後も続けて報告を頼む。以上だ」
進んだ先に光は無く、それでも時間は容赦なく進んでいく。後悔しても、自分自身の選んだ道だ。問題は山積みだけど、まずは話し合いから始めようか。一人で受け止められない事実を、皆で受け止めるために。