静かな電子音だけが鳴り響く部屋の中。
真っ白なベッドの上に、1人の少女が横たわっている。
真っ白い髪に血の気の失せた紙のような肌色。
一目で見ても明らかに生気の失せた様子を伺える。
ぼんやりと開いた瞳は、虚空を眺めるばかり。
しかし、その右手だけは確かな意志のもとに、自分の手を包む誰かの両手を握り返している。
「……お医者さん」
「……はい、なんでしょうか」
「優花里さんと、2人きりにしてもらえますか?」
「ええ、わかりました。 失礼します……」
白衣をまとった医者は、頭を下げてから静かに部屋の外へと出ていった。
残っているのは、白い少女と、傍に寄り添う女性だけ。
「……へへ、2人っきりだね」
「はい。 そうですね、エミさん」
嬉しそうに微笑む少女とは裏腹に、女性、秋山優花里の表情は曇ったものだった。
まもなく、目の前の少女、エミの命の灯火は消える。
その最後の瞬間を看取ろうというのだ、浮かばれるはずもなかった。
「優花里、さん……おかしいなあ、たくさん話したいことがるんだけど、いざとなると何から、話せばいいのかな」
「いいんですよ、ゆっくり少しづつ話してください」
「それだと間に合わないかもしれないからね」
「っ」
言葉に詰まって、優花里はキュッと少しだけ力を込めて、エミの手を握った。
弱々しく握ってくる感触が、先ほどよりも、弱い。
「じゃあ、まずはありがとうって言おうかな。 ありがとう、優花里さん。 君のおかげで私は、自分が誰かを愛するってことの、重大さを知ることができた」
「重大さ……」
「うん、 重大さ。 難しくて、とても表現しにくいけれど、見てることと触れることはこんなにも違うんだって……どちらが良いのかはわからないけれど、でも、これはすごく暖かくて、恥ずかしくて、幸せなものだったんだ」
だから、ありがとう。
その言葉が切なくて、胸が締め付けられて、瞳が潤む。
「そして、次に……ごめんなさい。 私は、あなたを置いて、逝ってしまう。 優花里さんを置いて、勝手に消えてしまう。 そのことがとても悲しくて、つらい。 ごめんなさい」
零れた涙が頬を伝って、ベッドを濡らす。
痛いほどに手を握ってしまって、でも彼女は何も言わず、ただ微笑むばかり。
「エミさん……っ」
「……優花里さん」
名前を呼ばれるだけでこの上なく切ない、苦しい、辛い。
今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。
でも、ずっとここにいたい。
分裂した思考が脳髄を焦がす。
避けようのない恐怖が、絶望がすぐそばまで迫っている。
嗚呼、どうか、今この瞬間で永遠に時が止まってほしい。
時計の針を止めて、この死を永遠にないものにして欲しい。
願いが通ずることはないとわかっていても、そう思ってしまう。
「……優花里さん、それとね、私は貴女にひどいことを言いたいの」
「え……」
不意にそんなことを言われて優花里が顔を上げると、苦しそうな表情をしたエミが、こちらをまっすぐに見ていた。
「優花里さん……私が持っていた、家の鍵……それと一緒に束ねてある小さな鍵はね、私の机の鍵の引き出しを開けられるんだ。 その中にあるものを、君に見てほしい」
「そこに、何が……」
「それで、気に入らなかったら、それを捨ててほしい。 いや、むしろその方が……安心するかもしれない。 あれは、醜いものだ……私のエゴの産物だ……だから、受け取るかどうかは、よく考えてほしいんだ」
「……わかり、ました」
何をいっているかは、よくわからない。
ただ、それでも、とても大切なことを言っているとわかった。
だから、エミの瞳を見つめ返しながら、優花里はしっかりと頷いた。
「……それとね、もう、ひとつ……私と、その、あの」
「なんですか?」
「……キスを、一つ」
その言葉だけ、少し恥ずかしそうに頬を染めていうものだから、優花里は少しだけ笑った。
椅子から立ち、腰をかがめて、その白い少女の唇に、そっとキスを落とす。
鈍い動きで食んでくる動きに、優しく答えながら、長い、長い口づけを交わす。
「……ぷは」
「ふぁ……」
永遠にも感じられる愛しい時間は、静かに終わりを告げた。
そっと唇を離すと、潤んだ瞳で見上げてくるエミがいる。
たまらなく愛おしくて、その体をそっと掻き抱いた。
「……優花里さんはあったかいなあ」
「貴女も、暖かいです」
「えへへ……」
エミの細い両手もまた、優花里の体をそっと抱いた。
弱々しい心臓の鼓動が優花里の体に伝わり、溶けていく。
今、こうして生きている。
彼女は生きていて、そしてもうすぐ──
「……死にたくないなあ」
ポツリと、そんな言葉が皮切りだった。
「……優花里さん、私怖いよ……死にたくないよぉ」
「エミさん……」
「まだ、私……やりたいことが、たくさんあったんだ……優花里さんと、もっとたくさん美味しいご飯食べたり、外国に旅行したり……戦車だって、まだ貴女と一緒に戦いたかった……」
優花里は、エミが弱音を吐いたのを始めて見たかもしれない。
エミの体が静かに震えて、その飴色の瞳から涙が溢れ出していく。
「まだっ……まだ優花里さんと、一緒にいたかった……やだ、死にたくない、優花里さんと離れたくない……! 貴女を幸せにしてあげたいって、そう思ったのに、まだ、私何もできてない……!」
「エミさん……」
「こんな、嘘まみれの私を好きになってくれて、だから、たくさん恩返ししたくて……やだよ、死にたくない、死にたくない……!」
「エ、ミさ……」
「死にたくない、死にたくない、優花里さんから離れたくない!」
か細い声で力一杯叫びながら優花里の体を抱きしめて、幼子のようにぐずる。
堪らなくなって、優花里もエミの頭を胸に抱いて祈る。
神様がいるのなら、どうか。
どうか奇跡を。
彼女と私を離れ離れにしないでください。
「……ごめんなさい、最後の最後に見苦しくて」
「……」
「……秋山優花里殿、幸せになってくれ」
「……」
「エミさん」
「エミさん」
「エミさん」
慎ましやかなお葬式になるはずだったのに、随分と大ごとになってしまった。
大きくため息をついた優花里はぐったりとテーブルにもたれかかり、だらしなく手足を伸ばした。
「エミさんは交友関係が広すぎます」
少しだけむすっとした愚痴を吐いて、そして優花里は目を閉じた。
あれから目が回るような忙しさだった。
身寄りがなかった彼女の葬式は自分が主導でやらざるを得ず、父や母、チームメイトたちの力も借りてなんとか無事に開くことができた。
知り合いだけを招いて静かに終わらせる予定だったのだが、黒森峰にいた頃の仲の良かったメンバーだとか、忘れもしない、あの大洗学園艦の命運をかけた戦車道全国大会で戦った相手たちに、大学選抜との戦いで集ってくれた戦友たち、なぜか島田や西住の一家など。
それ以外にも、etc.etc……あまりにも多くの人数が集まってしまい、悲しみに暮れる暇もなかった。
誰もが皆一様に、彼女の死を嘆き、悲しんだ。
特に彼女とは親友と言っていい間柄だったみほやエリカ、それにライバルとして知られていたダージリンともなるとそれはそれは……自分が慰める役になるとは思ってもいなくて、優花里は少しだけ苦笑した。
しかし、その嵐が去って一人きりになると、否応無く実感してしまう。
2人で暮らしていたこの小さな家に、今はもう、1人しかいないことを。
「……家の片付けも、しなくちゃ」
そうは言っておきながら、優花里はエミの私物を整理する気にはならなかった。
なんとなく、手を出したくないと思った。
それをしてしまったら、自分が彼女はもういないことを認めることになってしまう。
今だに彼女の死という現実を受け入れていない自分が滑稽で、嘲笑するような笑いが漏れてしまう。
それがきっかけというわけでもないが、優花里はふと死に際に言われたセリフを思い出した。
「そうだ、机の……」
エミの遺言、エミの持っていた鍵束の一つ、小さな鍵で開く鍵付きの引き出しの中身。
それをやり遂げなければならない。
そうおもった優花里はゆったりと立ち上がると、気だるげな足取りで部屋へと向かう。
懐を弄れば、チャリンと音を立てて鍵束が引っ張り出された。
「これ、ですね」
エミが使っていた小さな作業机、その仲の、一番上の段の鍵付きの引き出し。
そっと鍵を差し込んでひねる。
あっけなく引き出しの錠は解除された。
(中に、何が)
エミが最後に自分に託そうとしたもの、それがなんなのか。
まるで予想がつかないまま、優花里はそっと、その引き出しを引いた。
「──────」
中には、小さな箱と、一枚のカードが入っていた。
黒くて手触りのいい布に覆われた小箱を、そっと手にとって開いてみる。
中には、小さくとも神々しくきらめくダイヤモンドと、真っ白なパールがあしらわれた銀の指輪が収まっていた。
「これ……」
言葉が、出なかった。
いつの間にこんなものを用意していたのだろうか。
これを自分に渡すとは、つまり、これは。
優花里は、もう一つテーブルに収まっていたカードを手にとった。
真っ白いカードの片面は真っ白で、もう片方には宝石言葉と、一言だけ。
『ダイアモンド・永遠の絆
パール・貴女の誕生石
私が貴女の伴侶となることを許してくださるのなら、私が貴女と永遠の愛を誓うことを許してくれるのなら、どうかそれを受け取ってください。
天翔 エミ』
「ぅ、ぁ」
涙がこぼれでた。
もう一生分泣いたと思っていたのに、それでも堪えられなかった。
膝から崩れ落ちて、そっとその小箱とカードを胸に抱く。
「なんで、なんで……いまなん、ですか……!!」
きっと、エミは優花里を死にゆく自分に縛り付けるのが嫌だったんだろう。
だからこの指輪を送るのをためらって、でも、どうしてもこれを渡したくて、だから死に際にあんな言葉を言ったのだ。
これを受け取らず、新しい幸せを追い求めてほしい。 でも、もし受け取ってくれるなら……そんな、淡い希望を込めて。
「生きているときに、渡してくださいよぉ……!!」
優花里は初めて、エミの優しさを恨んだ。
そんなことをするくらいなら、生きている時にその愛を誓って欲しかった。
自分が断るわけがないのだから、だからこそ貴女の言葉と共にこれを贈って欲しかった。
優花里は泣いた。 延々と泣いて、エミの悪口を散々言った。
そして、涙が枯れて、泣きつかれて、ようやく静かになった時。
優花里はそっと、小箱の中の指輪を取り出して──────
自分の左手の、薬指に差し込んだ。
「……永遠の愛を、貴女に誓います。 ずっと、ずっと一緒です、天翔エミさん」
人知れず、その指輪にそっと口づけを落として、世界一悲しい婚姻の誓いは終わった。
そして、その数年後。
世界大会に出場したとあるチームの装填手が、世界最速の装填速度を叩き出して多くの人々を仰天させることとなる。
その力の源は何かを問われた時に、その選手はこう言いった。
「最高の装填手の教えのおかげです」
そう言った彼女の左手には、まばゆく輝くリングがはまっていた。
次回書くとしたら割と真剣に狭義の意味でハッピーエンド書くかもしれない。
保証はない。
次の次の回
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徐々に体の各機能が停止していくエミカス
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完全にノンカチュに征服されたエミカス
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マリー!(バシィ