「準備はいいですか?」
「大丈夫ですよ」
巨大な鋼鉄の獣の狭苦しい体内に、四人の女性が箱詰めになっていた。
そのうち一人はブリザードのノンナ、プラウダ高校の誇る名砲撃手であり、プロのスカウトからも注目されている選手だ。
そんな有望株である彼女の呼びかけに応じたのは、長身のノンナに対して異様なほどに背の低い小柄な少女。
黒く長い髪を後ろで束ね、分厚い防寒着を纏うその者の名を天翔エミ。
プラウダの支配者であるカチューシャに気に入られているとして知られ、そしてもう一つ、とある特徴によって上級生からも危険視されていて、『ポリニヤのエミーリヤ』の二つ名で恐れられている。
そんな二人を含めた四人組の乗り込んだIS-2は、客観的に見て窮地に追い込まれていた。
高台から狙撃の役割をカチューシャに任じられたIS-2はその命令に従い事前調査にて目をつけていた高所に陣取ったのだが、そのとたん周囲に潜伏していた戦車4輌に包囲を敷かれてしまったのだ。
「ここは向こうの地元ですから、事前にここに我々を配置するのを読んでたのかもしれませんね」
「本当にいいんですか? 連絡を入れなくて」
「問題ありません」
通信手が不安げに尋ねるもノンナは気にするそぶりもなく静かに照準器を覗き込んだ。
「無駄に不安を煽る必要はありません、速やかに障害を排除し任務を遂行します」
「報告しなかったらそれはそれで後でカチューシャに怒られるかもしれませんがね」
「……報告しないでおきましょう」
「怒られたいんですか?」
「……そんなことはありません」
「はぁ、そうっすか」
「では……いきます」
ノンナがそう言った瞬間に、IS-2の外側で身のすくむような恐ろしい衝撃が炸裂した。
徹甲弾がわずかに狙いを外し近くに着弾したようだ、無論これは相手の攻撃。
操縦手が速やかに敵の攻撃方向に合わせて昼飯の角度を取る。
その旋回方向に合わせて砲塔も回転すると、瞬く間にIS-2の砲塔の切先が向かってくる戦車のうち1輌へと向けられる。
四方に展開したこれらを素早く減らす、ないし殲滅しなくては機動力の低い重戦車での近接戦闘を強いられ、少なくとも手痛い損傷は避けられないだろう。
背後を取られてしまえば機動力の差からして最悪の場合
後ろは傾斜のきつい崖なので逃げ場もなく、ここを陣取られてしまえば狙撃ポイントを逆に奪い取られてしまう。
試合を左右しかねない重要な局面だ。
静かにノンナが息を吐いた。
群がってくる鋼鉄のハイエナのうち1輌に狙いを定める。
そして、主砲が放たれた。
真っ直ぐに飛翔したIS-2の徹甲榴弾の牙が、敵戦車の正面装甲を真っ向からぶち抜き致命傷を刻みこむ。
『グリズリー、行動不能!』
「右方向に旋回」
照準器の中で敵戦車が白旗をあげるのを確認したノンナはそれに喜ぶこともなく淡々と指示を告げる。
慌てて操縦手がそれに従い再びIS-2が大きく動く。
砲塔は素早く旋回し再び敵戦車を照準器内にとらえる。
しかし相手方に動揺は見られない。
──それも当然だ。
IS-2という高い火力に堅牢な装甲を持つ強力な重戦車は、しかし致命的といってもいい一つの欠点がある。
それは、弾の重さだ。
IS-2最大の武器である主砲、122mm砲はその凄まじい射程距離と火力の代償として、使用する弾頭が大型化することによる装弾数の減少に加え、一発につき25キロという桁外れの重さになってしまうという弱点を抱えていた。
当時の装填手たちの多くが苦しんだであろうこの専用弾では、どんなに手慣れたものであろうと一発につき十秒近くの装填時間を要するだろう。
そしてそれは多数対単機の戦いにおいては到底許容できない隙を生んでしまう。
ゆえに、敵戦車たちはその隙に敵に接近しようとまっすぐに突撃させる。
──その数秒後に再びIS-2の主砲が火を噴くまでは、だったが。
再び炸裂音が大気を揺るがし、その矛先を向けられていた戦車が着弾と同時に吹き飛ばされ、亀のようにごろりと倒れ臥す。
しばし時間が止まったように他の2輌は硬直し、
「はい装填完了」
「
再びIS-2の主砲が唸りを上げた。
呆然と立ち尽くしていた戦車の足元の地面を弾けさせた徹甲榴弾。
崩れる地面に巻き込まれて大きく体勢を崩した敵戦車、無事なもう1輌は錯乱した様子で慌てて後退していく。
そうこうしているうちに再びIS-2の主砲が装填され、足をとられていた戦車の側面装甲を破砕し白旗を上げさせる。
「素晴らしい仕事です、同志エミーリヤ」
「これしか取り柄がないですから」
「謙遜を……残る1輌も速やかに撃破します、追ってください」
「了解しました」
操縦手が46tもの巨体を操りゆっくりとキャタピラを駆動させる。
あまりの異常事態に錯乱しながら逃げ惑う最後の1輌を視界に捉えると、ノンナはあっという間に狙いを定めてしまった。
あとは、引き金を引くだけ。
逃げ惑う非力な逃亡兵に対し、無慈悲な鉄槌が撃ち放たれた。
『ノンナ! そろそろ敵部隊が予定してたポイントに到達するわ、準備はいいわね?』
「……? 敵は予想通りの行動をしているのですか?」
『そうだけど?』
「……さっきのショックでまともに無線もできなかったりして」
「ありえそうですね……」
「あんな速度でIS-2が連射してきたらそりゃ驚くだろう」
「あなたが言いますか」
『ちょっとなに駄弁ってんの! もっとしゃんとなさい!』
「申し訳ありませんカチューシャ。 では、敵部隊への攻撃を開始します」
『任せたわよ! せっかくエミーリヤを貸してあげたんだから、5輌くらいはぶっとばしなさい!』
「ではあと1輌ですね」
『へ?』
「ふぅ……」
「お疲れ様です、ノンナさん」
「ええ、いえ、そちらこそ」
試合を終えて、すっかり熱がこもった車内から逃げるようにキューポラから顔を出すと、一足先に外へ出ていたエミが労いの言葉をかけてくる。
「体は大丈夫ですか?」
「え? なんでですか」
「あれだけの重量のものをずっと持ち上げていたわけですから。 今のうちにストレッチをしておかないと」
「まあそれはもちろん、でも普段はもっと重い物でトレーニングしてますから」
平気な顔でそんなことを言うエミにノンナは思わず嘆息を漏らす。
まぁ、ひとまずは戦車から降りよう。
火照った体を冷ますためにもノンナはキューポラから体を乗り出して、足を淵に乗せる。
しかし、踏み方が浅かったか、あるいは深かったか。
ずるりと、足元が崩れる感覚が襲う。
(あっ……)
やってしまった、とノンナは思った。
戦車の上でこけてしまうと、たいそう痛い目にあってしまう。
戦闘が終わったあと、俗に言うパンツァー・ハイが切れてしまった後というのは多くの人が油断してしまい普段は到底犯さないようなミスをしてしまうという。
普段では考えられないような装填速度に支えられてまさしく桁外れの戦果を叩き出したノンナは知らず知らずのうちにその状況に陥ってしまっていたらしい。
(あぁ、これは受け身をとれません……)
さながらスローモーションのように、転げ落ちた先にある硬質の戦車の装甲が迫ってくる。
慌てて突き出した腕も到底間に合いそうにない。
せっかく試合に勝ったのに、自分の不注意でそれにケチをつけてしまうとは……
のちに叩きつけられる痛みに備えて、ノンナはぎゅっと目を閉じた。
しかし、ぽすっと。
「大丈夫ですか?」
「……え、あぁ、はい」
優しく何かに抱きとめられた感覚がして、目を開いてみれば小さな同志がノンナの長身の体を軽々と支えていた。
おろしますよ、と告げられてそっと鋼鉄の機体の上に降ろされると、ふわりとした浮遊感を引き剥がすように冷たい感触が体の熱を奪い取ってくる。
「……エミーリヤ」
「はい? どうしました? どこか痛いですか?」
「少し、手を握らせてください、思ったよりその、動揺しているみたいです」
「えっ………………まぁ、それなら、はい」
幾分かの躊躇の後、エミはそっとその手をノンナに差し出した。
その小さな手のひらにはめられたグローブをノンナは素早く取り外すと、両手でぎゅうっと包み込む。
「……あの、ノンナさんグローブを外す意味は」
「ごめんなさい、少しだけ、こうさせてください……」
「……あ、はい」
「……ありがとうございました、Ты моя жизнь」
そうしてしばらくの間、ノンナとエミはお互いの熱を確かめ合うように手をつなぎあっていた。
「……あの、同志エミーリヤ、私たちも降りて外の空気吸ってよかですか?」
「え? ああもちろんいいですよ。 ていうか、たすけて……」
「今日は二人のおかげで快勝だったわ! ま、プラウダにかかればそれも当然ね!」
「光栄です、カチューシャ」
練習試合が終わりプラウダへと帰還した後、カチューシャはとてもご機嫌だった。
本日の練習試合の相手が試合の前から挑発行為を行なっていたことを根に持っていたのだろう。
それをぐうの音も出ないほどコテンパンにやっつけてしまったのだから機嫌がいいのも当然だった。
そもそも今回の試合相手の狙いは見え見えだった。
今年の大会で黒森峰を真っ向勝負で打ち負かし連覇を止めてみせたカチューシャを倒して、箔をつけたかったのだろう。
そのためにまずはプラウダの重鎮であるノンナを仕留める作戦を立てていたわけだ、裏目に出てしまったが。
相手の策略を全て踏みにじり実力の差で叩き潰す。
全てにおいて敵を圧倒するやり方はカチューシャの最も好むものである。
それらを完璧に成し遂げれたのだからご機嫌なのもいたしかたなしだ。
「それにしても9輌も撃破するなんて! やっぱりIS-2に二人を載せてみる試みは成功だったわね!」
「流石です、カチューシャ」
「これだけの戦果をあげてくれたなら、今度からは二人を同じ戦車に乗せての運用を基本としたほうがいいかもしれないわ!」
「それはいい案かと。 同志エミーリヤの力をお借りできるのであれば、今まで以上の戦果を上げることをお約束しましょう」
「あれ、私の意思は……まぁ別にいいが。 カチューシャ、コーヒーのおかわりはどうだ」
「もらうわ!」
エミがカップに二杯目のコーヒーを注いであげると、ノンナが少し非難するような目で見てきた。
カチューシャが眠れなくなったら困るということだろうか。
その辺りはカチューシャの自己責任ということで、子供扱いしないことに決めているエミとしてはどこ吹く風である。
そのままいつも通りにミルクと砂糖を入れてから練ってやる。
「さ、どうぞ」
「ありがと! んー、やっぱこれよね!」
「ノンナさんも、どうぞ」
「Спасибо」
差し出されたカップを受け取った二人は静かに口をつけて香ばしい香りと味を堪能する。
これであとはマルメラードでもあれば完璧なのだが、今は夕食の時間も近いので我慢することにした。
「んー……やっぱり美味しいわ」
「それはよかった」
「……」
「どうした?」
「んーん、なんでもないわ。 ……ねえエミーリヤ、次の練習試合ではやっぱり私の戦車に乗りなさい」
「あれ、さっきの話の流れからしてしばらくはノンナさんと一緒に乗って練度を高める感じじゃ」
「い、いいの! 確かにノンナに貸してあげる時はあるけど、貴女は私の装填手なんだから! 私の方をお粗末にしちゃ本末転倒でしょ!」
「いや、別にいいけどさ……やれやれ、相変わらず唯我独尊だこと、ゲホッ、コホッコホッ」
「煩い! いちいち口答えしないの!」
真っ赤になって突っかかるカチューシャを適当にいなすエミーリヤを見て、ノンナは幸せそうに微笑んだ。
──このチームであれば、来年の全国も絶対に勝てるだろう
そんな確信を抱きながら、ノンナはコーヒーを口にはこぶ。
角砂糖が一つ入れられたほんのり苦い味わいは、ノンナの好きな味だった。
──月──日
ぼくは いま びょういんにいます。
──月──日
俺の胃は死んだ、ノンカチュに挟まれるのが当たり前の日常に耐えきれなかったのだ。
割と深刻なレベルでストレスがマッハ。
このままでは禿げるのも時間の問題では……?
──月──日
カチューシャもノンナも頻繁にお見舞いに来てくれる。
嬉しい、しかししんどさの方がでかい。
俺なんかのために泣かないで……余計に胃がキリキリするから。
ノンカチュを泣かせるとかピロシキ案件では?エミカスは訝しんだ。
次の次の回
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徐々に体の各機能が停止していくエミカス
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完全にノンカチュに征服されたエミカス
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マリー!(バシィ