「パーティ、ですか?」
丸一日のレコーディングを終えた後の帰路。夜の都内を走る車の助手席で、疲れからかボーッと外を見ていた翼は、運転席の緒川からの言葉を思わず復唱した。
「はい。以前マリアさんと一緒に出演した、ロンドンのチャリティライブ。そのスポンサーが共同で開催するそうで、今回は翼さんにもぜひ参加してほしい、と」
「そういえば、あのときはオートスコアラーの襲撃があって、打ち上げは欠席になっていましたね」
魔法少女事変の発端の一つ、オートスコアラー・ファラの襲撃。アルカノイズによってシンフォギアが破壊されたこともあり、戦闘後はすぐに撤収したためライブ会場へ戻ることはなかった。
「トニー氏も来られますし、マネージャーとしては業界内のコネクションを広げるためにも出席すべきだと思いますが……」
緒川は少し溜めた後、こう続ける。
「ロンドンにはパヴァリアの残党が潜んでいるとの情報もあります。装者を狙った襲撃がないとは言いきれません。シンフォギアが万全ではない今、無理に参加する必要はないとも思いますが、どうしますか?」
アダムとの決戦の際、無理筋を通してリビルドに成功したシンフォギアであったが、その代償故か、出力の低下に悩まされていた。エルフナインの尽力もあり、徐々に復旧してきてはいるものの、未だ通常時の6割程度に留まっている。ノイズ相手ならいざしらず、サンジェルマンのようなパヴァリア幹部クラスの錬金術師に対抗できるとは言い難いレベルだ。もっとも、そんな人材がパヴァリアに残っているかは定かでないが。
ともかく、シンフォギアの不調は火急の問題ではある。しかし、歌手・風鳴翼としてはこの機会をふいにすることは躊躇われた。世界中の人に、自分の歌を聞いてもらいたい。そのために、海外進出すると決めたのは他でもない翼自身なのだ。故に、迷いは一瞬で消え去った。
「参加しましょう。私もまだまだ未熟の身。緒川さんの言う通り、海外の音楽関係者に顔を売るいい機会です」
海外での活動が増えたとはいえ、翼の知名度や人気は、世界的な歌姫であったマリアには未だ及ばない。今後、自分の歌をより多くの人々に届けるためには、そういったコネづくりも必要だということは翼も認識していた。
「そう言ってもらえると思ってました。航空券や宿泊場所の手配は既に進めています。また念の為、会場の外に隠密で警戒体制を敷いておきましょう」
翼の回答を予測していたのであろう。緒川はテキパキと段取りについて話し始めた。
だがそれは、翼にとっては少々腑に落ちない点を含む発言であった。
「……わかりました」
「翼さん?」
一瞬の、言い淀み。そんな翼のわずかな機微を察したのか、緒川は翼に問いかけた。
「いえ、何でもありません。当日の警備の手配、お願いします」
「何か、思うところがあるんですか?」
図星だ。緒川相手に、こういった隠し事はできないということなど、初めからわかっていた。それでもダメ元で隠そうとしたのは、無意識の不満の現れか。しかし、こう問い詰められては話さざるを得ない。
「……以前、ライブ会場をオートスコアラーが襲撃したとき、マリアの監視についていた二人は殺されていました」
ファラによる、翼をおびき寄せるためのマリアへの強襲。翼が現着した時、二人のSPは既に無残な骸となっていた。
「先日のパヴァリアとの闘争でも、作戦行動中にSONGの職員が何人も犠牲になっています」
バルベルデにおける、神の力を付与された兵器の顕現。松代の風鳴機関本部を跡形もなく吹き飛ばした、アダムの黄金錬成。いずれも、少なくはない殉職者を出していた。
「藤尭さんと友里さんも、一歩間違えれば死んでいたかもしれません」
身近な人達の命でさえ、いつ失われてしまうかも分からないという、恐怖と憂慮。これまで何度も味わってきたが、決して慣れるような代物ではなかった。
「その前のフロンティア事変も、ルナアタックも、その前の数多の作戦でも、合わせて何人亡くなったのかもわからないッ……」
自然、言葉に熱がこもる。多くの人々がノイズの蠢く戦場に引きずり出され、その命が奪われていった。自分がもっと確固たる防人であれば、そんな犠牲は出さずに済んだのではないか。翼の中で燻っていた、朧気な感情。その思いが急速に膨れ上がっていく。
「あのような化物やノイズの相手は、装者以外の者には荷が重い。無為に命を危険に晒させる必要はないのではないか、と思ってしまうのです」
――そうだ。化物の相手は、自分たちシンフォギア装者に任せておけばよい。戦う力を持たぬ者が戦場にしゃしゃり出てくるなど、そもそも間違っているのだ。
「ですから、緒川さんもあまり無理は――」
突然、身体が前へと引っ張られる感覚。翼はハッとなって、思わずフロントガラスの方を見やる。
何ということはない。ただ、車が信号の前で減速し、慣性を感じただけだ。
だがそれは、翼の昂ぶった感情を冷やすには十分だった。
眼前の信号が黄色から赤色に変わり、程なくして車は停止した。
そんな、思い上がったことを言うつもりではなかった。しかし、犠牲になった者達を偲んで話しているうちに、いつの間にか『弱者が戦場に出てくる必要はない』と言わんばかりの口調になってしまっていた。
「……すみません。私としたことが、驕りが過ぎました……」
翼は己の傲慢さを恥じ、俯いた。羞恥から、血が頬に上ってくるのを感じる。
気まずさ故、なかなか言葉が出ず、顔を上げることもできない。
車内を沈黙が領する。しかし、それも一瞬のこと。緒川は、普段と変わらぬ優しげな口調で切り出す。
「もしかして、僕が以前より前線に出るようになったことも、気にしていますか?」
これも、図星だ。いくら緒川が手練とはいえ、生身の人間ではノイズとのわずかな接触すら致命となる。翼の発言は驕りだけでなく、不安から発せられたものでもあった。
「確かに、翼さんの言うことも間違ってはいません。僕らのような、特殊な力を持たない者にとって、強大な敵を打倒することは難しい。本来、ノイズや錬金術師が犇めく戦場に赴くべきでは無いのかもしれません」
緒川の言葉に、そんなことはない、と言いかけたが、口に出すことはできなかった。先程、翼が言おうとしていたのは、まさにそういうことだ。否定など、できなかった。
「戦いの中で満足に抵抗もできず、無念の中で死んでいった者もいるでしょう」
――ああ、そうだ。だからこそ、私達シンフォギア装者がもっと強くあらねば、と思ったのだ。
「ですが、彼らは皆、自分の意志で、自らの大切なものを守るために戦っていたはずです」
緒川はそんな翼の考えを諌めるかのように、語る。
「それが家族だったのか、国だったのか、それともお金だったのかはわかりません」
「ただ、無為に死んでいった者などいなかったのだと、僕はそう思います」
緒川の言ったことは、飽くまでも想像に過ぎず、また根本的な解決でもない。だが、翼が冷静な思考を取り戻すためには、その言葉だけで十分だった。
わかっていたはずだ、装者だけでは全てを守ることなどできないことを。彼らのサポート無くして、作戦の成功などなかったことを。そして、彼らもまた防人であり、自ら戦うことを選んだ兵であることを。
だが、殉死した者達のことを思うと、どうしても、やり切れない気持ちに囚われてしまう。緒川の言う通り、その感情は決して間違いではない。それでも、一人の人間に為せることにはどうしたって限りがある。
緒川は、『翼さんが気にする必要はない』とは言わなかった。気にしない、というのは逃避であり、命を賭した彼らへの冒涜だ。そんなことは風鳴翼にとって許されず、そして許せることでもない。
――そうだ。為すべきは、死を背負って前へ進むこと。散っていった防人たちの命を尊び、明日の平和への糧とするために。
再び、車内を沈黙が満たす。だが、先刻のような気まずさが支配しているわけでは無い。
「すみません。少し、説教臭くなってしまいましたね」
そして、その沈黙を破るのは、やはり緒川であった。
翼は俯いていた顔を上げる。やや火照りが残っているものの、その顔に曇りの色はなかった。
「……いえ、言って頂けて、良かったです。おかげで、自分の立場を再認識することができました」
それは何よりです、と緒川が返す。
信号が青に変わり、今度は少し後ろに引っ張られるような感覚。それは、翼の背負うべき責務の暗示か。だがそれは、決して重荷となるようなものではない。何の根拠もないが、そんな確信があった。
「とはいえ、犠牲が出ることを許容するわけではありません。襲撃の可能性は低いですし、パーティに同伴するのは僕だけにしましょう。司令には僕の方から説明しておきます」
その言葉に、翼は目を丸くして驚いた。自分の考えを省みていた最中の、予想外の発言であったからだ。
「いいのですか?」
「さっきも言いましたが、翼さんの意見も尤もです。その考えを尊重できるよう、僕らも精一杯努力しましょう」
翼は、ありがとうございます、と礼を言う。
昔から緒川は、こういった配慮や気遣いが上手かった。これが大人というものなのだろうか、いつか自分もこんな大人になれるのだろうか、と翼は思案する。
一方、先程の緒川の言葉を聞いて、翼の中には、ある素朴な疑問が浮かび上がっていた。
聞こうか、聞くまいか。
少し悩んだが、翼は問うことを選んだ。
「一つ、不躾なことを聞いてもいいでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
「緒川さんは、何のために戦っているのですか?」
その瞬間、翼は緒川の雰囲気がほんの少しだけ変わったのを感じた。恐らく、長い付き合いでなければ気づかないほどの、わずかな機微。
不躾過ぎる質問だったのだろうか、と焦り、翼は発言を撤回しようとする。しかし――
「……何だと思います?」
翼の撤回を待たずに聞き返され、身体が強張る。緒川の顔を見ようとしたが、何故だか躊躇われた。
こういった駆け引きのようなやり取りを緒川としたことは、あまりなかった。先ほどとは別種の緊張に、再び頬が熱を帯び始める。些か恥ずかしさもあるが、解を求めずにはいられなかった。意を決して、尋ねる。
――私の、
「それでは、翼さんのパーティドレス姿を見るため、といったところでいかがでしょうか」
だが、翼が答えを聞こうと口を開いた瞬間、緒川は解を示してしまった。
翼は反射的に、運転席の方を見る。そこには、いつもの柔和で、且つどこか読み切れない表情の緒川がいるだけであった。
――私のパーティドレス姿、か。
上手くはぐらかされた気もするが、そう言ってくれることは素直に嬉しい。翼は「むぅ」と唸ったが、不承不承ながら了承した。
完全に、緊張し損だ。いいように弄ばれた気がする。それとも、先程の気まずい雰囲気を払拭するための緒川なりの気遣いだったのだろうか。考えても答えは出そうにないので、翼は思考をシャットアウトした。
だがそのかわり、ちょっとした仕返しをしてやろうと、翼は意地悪く微笑みながら、告げる。
「そのドレスは、緒川さんが見繕っていただけるのですか?」
子どもっぽい発言だっただろうか。後輩たちにこんな姿は見せられないが、この場にいるのは翼と緒川だけだ。少しくらいなら、いいだろう。
流石に予想外だったのか。緒川は一瞬驚いて目を見張ったものの、すぐに苦笑して返答する。
「僕のセンスで良ければ、喜んで」
「では、期待して待ってます」
偶には、こんな他愛ない会話も悪くない。
安心すると、急に眠気が襲ってきた。そういえば、一日中のレコーディングで疲れていたのだったと思い出す。それに加えて、あの緊張の耐えないやり取りを経たのだ。翼の疲労は、ピークに達していた。
「すみません緒川さん。少し、休みます……」
「ええ、着いたら起こしますから、ごゆっくり」
その言葉を聞いて、翼の意識は微睡みの中に落ちていく。
リディアンを卒業して半年。翼は来年には二十歳を迎え、区分的には『大人』側になる。防人として、いつまでも緒川に身の回りの世話をしてもらっていては、それこそ散っていった者に示しがつかない。
だが、残り僅かな『子ども』としての期間、多少の甘えであれば、許されるだろう。
片付けられる女になるのは、その後でもいい。