書いているうちに「あれ、マリアさんこんな強キャラだったっけ?」と思いましたが、酒の力と、藤尭相手ならこのくらいは、ということでご容赦を。
藤尭周りの設定は、ちょっと妄想入ってます。
図らずも、前作と対になるお話になったと思います。
落ち着きのある、仄暗い照明。
華やかな、ジュニパーベリーの香り。
小気味良い、シェイカーの音。
二週間ぶりのオフの前夜。藤尭は行きつけのバーのカウンターで一人、酒の味を楽しんでいた。
決して、気取っているわけではない。
父の昔なじみがマスターをしているこのバーは、自宅の最寄駅のそばに店を構えており、仕事帰りに来るには最適なのだ。
尤も、ここ数週間は本部で働き詰めで、来れていなかったのだが。マスターにも、「おや、朔也くん。引っ越しでもしたのかと思っていたよ」なんて皮肉を言われてしまうほどである。
とはいえ、やはりこの店は居心地が良い。客の入りそこそこで、混雑することはまずない。マスターには悪いが、このくらいの静けさが藤尭にとっては丁度良かった。
だが、そう思った直後、入り口の方から鈴の音が聞こえた。
「いらっしゃいませ」
来客を知らせるマスターの声。
騒がしい学生でなければいいのだが、と一瞬関心を向けるも、すぐにカウンター奥のボトルに目を移す。
うちにもボトルラックでも置こうか、などと藤尭が考えていると、
「隣、よろしいかしら?」
不意に話しかけられ、思わず声の主の方を向いてしまう。
まず目に入ったのは、肩の高さで切り揃えられたブロンド。次いで、知的な雰囲気を醸し出す眼鏡。そして、少々露出の多い胸元。
そこに居たのは、ネイビーのパンツスーツを身に包んだ、いかにもキャリアウーマン、といった出で立ちの女性だった。
藤尭が驚いて硬直しているのを意に介さず、女性は隣の席に座る。
藤尭自身、所謂『バーでの出会いから始まるドラマ』といったものに憧れがなかったわけではなかった。だが、まさかこんな唐突に、しかも外人女性相手とは考えもしていなかった。
狼狽する藤尭を知ってか知らずか、女性が続けざまに話しかけてくる。
「何を飲んでらっしゃるの?」
「ジ、ジンライムですけど」
再び話しかけられたことでようやく意識が現実に戻ってくるも、若干声が上ずってしまった。
「じゃあ、私も同じものを。マスターお願いできるかしら」
「畏まりました」
平然と注文を処理するマスター。少しは助けてくれないものだろうか。
「ええっと」
動悸が治まらない。だが、ここは気の利いた一言でも言わねば、と意を決して話しかける。
「す、素敵な夜ですね」
――やってしまった。キザ過ぎる上に、意味がわからない。
藤尭のクサすぎるセリフに、女性は吹き出して笑い出す。
「ぷっ、ふふっ。ごめんなさい、ついからかい過ぎちゃったわ」
笑っているときの女性の声色は、先ほどとは異なっていた。いや、動揺していて気づかなかったが、もしやこの声は、
「……マリアさん?」
「ご明察。最初は話しかけるところまでのつもりだったのだけれど、面白くてつい、ね」
マリアだとわかった途端、藤尭の動悸は嘘のように治まった。
完全に、手玉に取られていたようだ。同僚に恥ずかしすぎるセリフを言ってしまったことは刺さるが、それよりも気になるのは、
「何でそんな格好を?」
マリアにコスプレの趣味はないはずだ。それがバリキャリのような格好をしているのだから、藤尭の疑問も当然である。
「ちょっと任務があったのよ。素のままだと流石に、ね。」
確かに、マリアは超の付く有名人だ。
全米No.1の歌姫だったかと思えば、世界に宣戦布告したテロリスト。しかしその正体は、アナキスト組織に潜入していた国連所属のエージェントでした。と、世間的にはまるでアニメのような設定の人物。注目されないわけがないのだ。実際、フロンティア事変の後はゴシップ誌が賑わい、テレビでも彼女の特番が何本か組まれたほどである。変装するのはむしろ当然と言える。
「でも、その髪どうしたんだ」
マリアの地毛は腰まで届くほどのロングヘアだったはずだ。
「これはウィッグ。自前の方は頑張って隠してるのよ」
「へぇ、ますます“本職”っぽくなってきたんじゃないか」
そのうち、本当に本職になるのではないかと思ってしまうほどに。
「お褒めの言葉、どうも。しかしまあ、女性への耐性がないって聞いていたけれど、あんなに動揺するとは思わなかったわ」
「だ、誰が言ったんだ、そんなこと」
聞き捨てならない。確かに初対面の女性は苦手だが、そんな噂を流布されては、流石に男が廃る。本部で広まる前に、歯止めをかけねばなるまい。まずは友里あたりに探りを入れるか、と考えるが、
「えーと、本部の女性職員は大体言ってたわね」
「さいですか……」
どうやらその必要はなかったようだ。藤尭の細やかな抵抗は、露と消えた。
「おや、そちらの美人さん。朔也君の知り合いかい?隅に置けないねえ」
少々落ち込んでいるところに、先程は助けてくれなかったマスターが、ニヤニヤとした表情を浮かべながら煽って来た。
「ただの同僚ですよ」
「なんだい、朔也君にも春がきたのかと思ったんだけど」
「余計なお世話です」
この人もこの人で、昔からお節介なのだ。こちらの女性経験の無さを把握されている点は、少々やりづらい。早いところ、話を変えなければ。
「それで、マリアさんは何でまたこの店に?」
やや不貞腐れた声色になりつつ、藤尭が尋ねた。この店はマリアの住んでいるマンションとは離れているはずだ。
「今日の仕事場がこの辺りだったのよ。任務が終わって家に帰る途中だったんだけれど、雰囲気の良さそうなお店を見つけたから、入ってみたの。そしたら貴方がいたってわけ」
「なるほど。全くの偶然ってわけか」
「そ。別にあなたを付けてくることが任務じゃないから、安心して」
「そうでなくてなによりだよ」
SONGのエージェントに目を付けられた日には、命がいくつあっても足りないだろう。
軽い冗談を言い合っていると、マスターがグラスをマリアの前に置いた。
「ジンライムです」
「ありがとう、頂くわ」
マリアがグラスを手に持ったのを見て、藤尭もグラスを持つ。
「それじゃあ、任務お疲れ様。乾杯」
「ええ、乾杯」
互いに少しだけグラスを持ち上げ、酒に口につけた。
「でも、ちょっと意外。あなたも、こういう洒落たバーに一人で来るのね」
「似合わなくて悪かったね。ていうか、意外って思われるほど、マリアさん俺のこと知らないだろう」
「ごめんなさい、悪気はなかったのよ。ただ、確かに私は貴方のことをよく知らないわ。本部でもあまり話したことないでしょう」
確かに、マリアが正式にSONGに転属してまだ数ヶ月。他装者達や女性職員との交流はあるようだが、藤尭とマリアの接点は、事務的な会話程度であった。
「まあ、あなたは私のことをそれなりに知っているんでしょうけど」
皮肉げにマリアが言った。ここでの”知っている”というのはプライベートの話ではなく、パーソナルな情報のことだろう。
元FISの三人はフロンティア事変後の取り調べで、自分自身のことを洗いざらい話している。FIS本体および『白い孤児院』の全容は未だ不透明だが、彼女達が知っている限りの情報は、SONG職員には既に周知されていた。
「……否定はしないよ」
そう、知っている。ここで気の利いた一言も出てこない自分のことも、よく知っている。
「まあ私のことは置いといて。それじゃあ、今日は私があなたのことを知る日ってことでどうかしら」
突然の提案に、藤尭は面食らった。
「何でまた」
「あら、同僚なんだから、お互いのことを知りたいと思うのは当然じゃない?」
それも人によっては一理あるが。にしても、
「随分と物好きなことで。別にいいけど、ここじゃ『込み入った話』はできないよ」
いくら知り合いの店とはいえ、機密事項を口に出す訳にはいかない。こちらの意図は、マリアも当然理解しているはずだ。
「わかってるわよ。じゃあまず、休みの日は何してるの?」
「えーと最近だと――」
その質問を皮切りに、他愛のないやりとりが始まった。
趣味の話。料理の話。家族の話。装者達の話。本部職員の噂話。etc……。
どの話もそれなりにマリアの興味を引いたようで、会話が途切れることはなかった。話が面白かったのか、マリアが盛り上げ上手なのかは定かでないが。
そんな質疑応答を1時間ほど続けていると、酒もすすみ、良い具合に酔いが回ってきた。
その頃には、流石にマリアもネタが尽きてきたようで、質問に詰まるようになっていた。
「あとは……そうね……、ああそうそう、これ聞こうと思ってたのよね」
「何?ここまで来たら、何でも答えるよ」
自分の話を楽しそうに聞いてくれるというのはやはり気分のいいもので、藤尭もサービス精神旺盛、といった状態であった。だが、
「SONGに入った経緯。ああ、当時だと二課ね。やっぱり、自衛隊とか、警察からの転属なのかしら」
瞬間、藤尭の身体が強ばる。
決して、予想できない質問ではなかった。だが、その話に触れられる可能性を、無意識に頭の中から排除していた。
「……そういう人がほとんどだろうね。友里さんとかもそうだし」
何とか平静を装って、返答する。しかし、
「その言い方だと、貴方は違うの?もしかして、スカウトとか?」
マリアは的確に、正確に、核心をついてくる。これだから、女性というものは恐ろしい。
「カッコよく言えばね。実際は、そんな良いものじゃなかったけど」
「へえ、すごいじゃない。経緯の方は……気になるけど、ここじゃ話せないわよね」
「察しが良くて助かる。ホント、自慢できる経緯じゃないんだよ」
「その割には勿体つけるわね。経緯は無理として、じゃあ動機ならどうかしら?」
「動機、ね。それこそ、仕様もない、ありきたりな話だよ」
今でも、脳裏に焼き付いている。初めて本部に来た、もとい連行されたときの情景が。
――二課の本部コンピュータへハッキングを成功させたのは、お前が初めてだ
――教えてください。シンフォギアとは、あの子達が纏っていたものは、なんなんですか
――知ってしまえば、お前はもう元の生活には戻れなくなるが?
――はい、それでも構いません
――いいだろう。では、この瞬間を以て、お前は人類守護の砦の一部となった
その言葉を聞いたとき、不安よりも先に、心が踊ったことを覚えている。
「そう。それまで何者にもなれないと諦めていた自分が、誰かを救うための存在になれるなら、こんなにいいことはないと思った」
人類守護の組織。そんな漫画やアニメのような存在が、現実に存在していたことに、心が震えた。
実際、初めの頃は装者二人をサポートする仕事にやりがいを感じていたし、自分が役に立っていることを純粋に、嬉しく思っていた。
「けどまあ、現実は甘くなかったよ。入って一年後、だったかな。奏さんがさ……」
天羽奏の殉死。その現実が、二課全員の心に重くのしかかった。 恐らく、誰よりも辛かったのは、翼や緒川、そして弦十郎であっただろう。
ガングニールおよびネフシュタンの喪失。ノイズによる大量の犠牲者。ツヴァイウイング活動停止。問題や影響は多々あったが、何よりも藤尭に突き刺さった事実は、皆を守るために戦っていた17歳の少女を、守れなかったことだった。
「女の子が命がけで戦っていたのに、自分は安全な場所で状況報告とデータ処理をしていただけさ」
自分自身に対する、激しい憤りと無力感。あの時の感覚が、今でも纏わりついて離れない。
知らず、グラスを握る力が強くなる。
「この間のバルベルデでも、マリアさんたちに守られなければどうなっていたか。情けないったらない」
アルコールの所為か、つい感情的な言葉が漏れてしまう。これ以上は、雰囲気が悪くなりかねない。
「ごめん、ムキになりすぎた。この話はもう――」
藤尭は話題を変えようとする。だが、
「意外ね。あなたはもう少し、思い切りのいい人だと思っていたわ」
マリアは、それを許さなかった。
「……どうして」
何故、話を続けたのか。何故、そんなことを思ったのか。
純粋な疑問が湧き、つい聞き返してしまった。
そして、純粋な疑問には、純粋な答えが返ってくる。
「だって、作戦行動中に迷っている貴方をみたことがないもの」
答えは、藤尭の認識の外側にあるものであった。
「それは……、自分のやるべきことがあって、そのための手段もあるんだ。あとは、がむしゃらに実行しているだけだよ」
そう、自分にはそれしかできないのだから、ただ突き進むしか無い。
だが、それは飽くまで藤尭にとっての認識。
「私ね、たとえやるべきことがわかっていても、そのため手段があっても、迷いなく進める人なんて、そう居ないと思うのよ」
マリアにとっては、その在り方自体が、特異なものであるかのようだった。
「でも貴方や友里さんは、途中で状況が変わっても、それで動揺したとしても、すぐに修正して、元の軌道に戻すことが出来る」
買いかぶりすぎだ、とは口に出さなかった。彼女がありのままに感じたことを否定したくなかったのか。自分でも、よくわからない。
「だから初めてその姿を見たときにね、本当に、羨ましかったの」
自分が羨望の対象になるなど、想像だにしていなかった。世辞ではないかと、一瞬疑ったほど。だが、彼女の憂いを含んだ声と表情が、本心であることを物語っていた。
「私は、迷って、迷って、結局、自分の本当にやるべきことを見つけたのは、最後の最後だったから」
フロンティア事変のことだろうか。確かに、あの頃のFISの行動は迷走していたように感じられた。計画の要であったマリアの迷いが、そのまま表れていたのだろう。
なおも、マリアは語る。
「あなたはその力で、多くの人を救ってきたはず。直接的でないことが多かったかもしれない。だとしても、私達は何度も貴方達に助けられたことを知っている」
そう、実感がなかった。確かに任務をこなしていたはずなのに、奏の死を目の当たりにして以来、自分の成果を認めることを、どこかで拒んでいた。
「私達が貴方達を助けたこと。貴方達が私達を助けたこと。その2つに、貴賤なんて無いわ。だから、貴方はもっと自分を誇っていいと思うの」
故に、マリアの思いは藤尭にとって、全てに勝る救いとなった。
目頭が熱くなるのを感じ、慌てて俯く。
「……なんてこった。君は俺なんかよりよっぽど、俺のことを理解しているよ」
――そして、俺は俺のことすら満足に理解していなかった。
「他人のことって、自分のことよりもよく見えるものよ」
事実、そういうものなのだろう。だとしても、それを口に出してくれたこと自体が、礼に足るものであった。
「ありがとう。少し、気が楽になった」
「思ってたことを言っただけよ。でも、どういたしまして」
カラン、とグラスの中の氷が音を立てる。ずっとグラスを握っていたせいで、解けたのだろうか。何れにせよ、その音はこの話を終わらせるタイミングとしては丁度良かった。
気持ちが落ち着くと自然に、はぁ、とため息が漏れる。理由は恐らく、
「しかし、年下にこうも諭されるってのはどうだかね。それはそれで自信なくすよ」
プライドの問題だ。年上とか年下とか気にする辺り、藤尭自身、面倒くさい性格だとは感じているのだが。
そんな藤尭の心情を知ってか知らずか、マリアは微笑みながら告げる。
「あら、さっきも言ったけど、私はあなたのこと頼りにしてるのよ。今日もね。」
「いやいや。そこまで、気を使わなくてもいいよ」
今日、助けられたのはこちらの方だ。流石にそれは世辞にも程がある。
そう思って口にしたのだが、マリアの顔は不服そうであった。
「ふーん。じゃあ少しだけ、私のことを教えてあげる」
そう言うと、マリアはわざとらしく、意地悪そうな表情を作った。
「本当は、こういうバーみたいなお店は初めてなのよ?」
「……え?」
いや、年齢を考えればそうだとしてもおかしくは無いのだが。あまりにも様になっていた所為か、行きなれているものかと思わされていた。その辺りは流石というべきか。
「お酒もあんまり強くないし、今だって結構酔ってるし」
確かに、薄暗い暖色系の照明の所為で気づかなかったが、マリアの頬は赤らんでいた。それに、普段よりも表情や言葉遣いが緩くなっている気もする。
「でも行ってみたかったから、ホントは友里さんに連れて来てもらう約束してたんだけど、予定も中々合わないし。だから、勇気を出して一人で行ってみることにしたの」
バーへの憧れ。このくらいの年頃なら持っていてもおかしくはないものだが、マリアもそういった願望があったのかと思うと、途端に年相応の可愛らしさが見えてくる。
そして、
「それで、ちょっと緊張しながら入ったんだけど、偶然あなたを見つけたから。これ幸いと思って隣に座っちゃったってわけ」
とどめの、てへぺろ。およそ普段のマリアからは考えられない仕草だが、いやはや酒というものは恐ろしい。
参った、完敗だ。男への殺し文句としちゃあ上出来。ここまでくると照れよりも、感心が勝る。
世界的歌姫から、こんな極上の励ましを受けたのだ。自信を取り戻さないわけにはいかないだろう。
全く、今日はペースを握られっぱなしだ、と呆れる。
――だから、少しくらいは主導権を得ておきたい。
「じゃあ、次は俺がマリアさんに質問する番だな」
「さっき少しだけって言ったじゃない。それに、私のことはよく知っているんじゃなかったかしら?」
再び皮肉げに、だが先程よりもわざとらしく、子供っぽい表情でマリアが言った。
そう、知っている。そして、気の利いたことなど言えないのならば、思ったことをそのまま口にすればよいことも。
「それは記録された情報だけだよ。そんなもの見たところで、知ったうちには入らない。俺は、今ここにいる君のことが知りたいんだ」
――まずい、またキザ過ぎるセリフが。やはり俺も酔いが回っているのか。
二度目は流石に失笑しているだろうと思い、マリアの方を向く。だが、藤尭の目に入ったのは、マリアのジトーっとした視線。そして、どこか困ったような表情。
照れている?いや、それはないか。顔が赤く見えるのは、酒のせいだろう。
「貴方って本当に……。まあいいわ、好きなだけ聞いて頂戴。ただ――」
「ただ?」
「『込み入った話』はできないわよ?」
示し合わせるでもなく、互いに、ふふ、と笑い合う。なんて、仕様もないやりとりだろう。明日には恥ずかしくて、忘れたくなっているかもしれない。けれど、酒の席ならば許されるものもある。だから、
「オーケー、了解だ。それじゃあ――」
まずは、好きな料理から聞いてみることにしよう。