羽黒と司令官による甘い元旦を送る
ただそれだけ

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元旦

 静かな朝。

 

 外では太陽が地上を照らす。

 

 陽のないところで生きていける生物は少なく、外で囀る鳥も、今絶賛布団の中で寝ている者も同じだ。

 

 その者は寝ている途中に寝返りでもうったのか、掛け布団が乱れていた。それを甲斐甲斐しく戻す者がいることに気付く様子はない。

 

 ただその女も寝起きで動きが鈍かったからか、僅かに寝ている男の腕に触れてしまい、小さく息を漏らした。

 

「う、うぅぅん……はぐ、ろ?」

 

「すみません司令官さん。起こしてしまったようで」

 

 羽黒と呼ばれた黒髪の女は、慌てて身を起こす。

 

「ふぁ~あ。いや僕の方こそごめん。えっと確か初日の出を見ようって約束してたよね」

 

「それには及びません。今回のために方々色々手を回されたのは知っていますから」

 

「まいったな。羽黒の慰安のつもりなのに僕ばかりゆっくりしてるようで」

 

 寝癖のある頭をかき、申し訳なさそうに言うが、羽黒はクスリと笑ってから首を横に振るう。

 

「私達艦娘は人より強いですから。精神の疲労はあっても肉体の疲労はありません。そ、それに私は、その、し、司令官さんの傍にされ入れたら、それだけで元気になれますので」

 

 前半は落ち着いた面持ちだったが、後半は赤面しながら言ってくる辺りに、今度はこちらが笑みを浮かべることとなった。

 

「こら、二人っきりの時は名前で呼ぶように言ったでしょ。僕らは夫婦なんだから」

 

「あ、ぅ。すいませんしれっ――――庄司さん」

 

 名を呼ばれた浅海井庄司(あざむいしょうじ)は満足そうに頷く。

 

 今二人がいるのは大分県にある由布院のとある旅館。深海棲艦との争いはある程度終息していっているが、それでも沿岸沿いはまだ危険である。そのため山中にある施設を軍が買い取り、保養施設として当てている。

 

 今日は一月一日。元旦。

 

 この年末年始に合わせて休暇申請を出し、作戦を繰り上げたかいあって、倍率の高いこの日に旅館の使用を許可されたのだ。

 

 元々は自分のところにいる艦娘全員と来る予定だったが、仮とはいえケッコンをしたばかりの自分達に気を使ってくれ、二人で行くようにと押し出された。

 

 新婚旅行など当然する暇などなく、今も夫婦とはいえ正式に認められたものではないため、あくまで新婚旅行の予行練習を兼ねた慰安旅行というのが目下のお題目である。

 

 ただ庄司としては今回は一回目の新婚旅行と考えているため、一日の、そして新年の始まりである初日の出は羽黒と是非見ておきたかったのだが、寝落ちという情けない結果を若干不甲斐なく思う。

 

 ただいつまでも引きずっていては折角の旅行が台無しになるため、気分を切り替えて行くことに。

 

「お食事をお持ちいたしました」

 

 丁度良いところで朝食が届いたようだ。

 

 軽く返事をしてから布団を端に追いやり、テーブルを引っ張り出す。

 

 昨日の夜にも頂いたが、大変美味しいものだった。時世が時世だけに絢爛豪華な食事とはいかないが、それでも一つ一つに仕事が丁寧で、味わい深いものだった。それは朝食にもいえ、米粒一つからお吸い物、川魚、だし巻き卵、ほうれん草のおひたしとどれも文句のつけようのないものだった。

 

「見てください庄司さん。このお米立ってますよ。食感も一粒一粒はっきり感じられます」

 

 向かいで食べている羽黒も終始ニコニコしながら一つ一つ丁寧に口へ運び、咀嚼していく。

 

 見ているだけでこっちも嬉しくなり、自然と箸が進む。

 

 あっという間に食器から料理は消え、二人は食後のお茶を啜る。

 

「普段は海の魚しか食べてないけど、川魚も美味しかったなぁ」

 

「はい。皆さんとも一緒に食べさせてあげたかったですね」

 

「そうだね。戦争が終わったら皆で来ようか」

 

「はい。そのためにも頑張らないといけませんね!」

 

 言っていることはやや血生臭いが、浴衣姿の羽黒が言うといまいち締まりが悪い。そのアンバランス差がおかしくて、思わず頬が緩んでしまった。

 

「どうかされました?」

 

「いや。今日も羽黒が可愛いなって思ってさ」

 

「か、かわ――――いきなり何を言うんですか!」

 

「でも事実だし。そんな人と結婚できるだなんて僕は幸せ者だね」

 

「それだったら私だって幸せ者です。司令官さんに。庄司さんに選んでいただけました。他にも素敵な人はいたのに、私を」

 

 そこまで口にして、自分が言った言葉の意味を理解してか、急に口を噤み、赤面し始める。庄司もそれにつられて頬が熱くなるのを感じ取った。

 

 このままだとお互い顔を見ただけで赤面しあい日が暮れてしまう恐れがあるため、思い切って腰を上げた。

 

「よ、良かったら食後の散歩でもどうかな」

 

「は、はい! ……喜んで」

 

 立ち上がろうとする羽黒の手を取り、手をつないだまま外へ出る。

 

 窓から見た景色と同じく、晴天が広がる空は、世界が一年の始まりを祝福しているようだ。

 

 風も無風に近く、日も温かいことから、浴衣の上に襦袢を着るだけで寒さ対策は十分だった。ただ下駄で出てきたのは失敗だったか、足先だけは少々冷たい思いをしているが、そのかわりに繋いだ右手は、体のどの部位よりも暖かかった。

 

「静かですね。でも人の温もりを感じる町です」

 

 羽黒の言う通り、人の流れは酷く少ない。それでも人にいる気配はあちこちに存在した。

 

 深海棲艦の影響で海辺は人が住めなくなった代わりに、山の中の町は人が増えたのだろう。幼い頃親に連れてこられた時は、空気も気配も冷えるような感じだったのを覚えている。

 

「人の営みって良いね」

 

「はい。私もそう思います。いつか庄司さんと二人で」

 

 羽黒との身長はあまり変わらない。故に少し横に目を動かせば彼女の視線とぶつかり合う。その瞳が閉じられたことに一つ心臓が大きな鼓動を告げた。

 

 握った手の温もりは増し、話さないようにより強く握りしめられる。それに応えるように強く握り返し、庄司は羽黒の口元へ顔を近づけ、

 

「よ、そこのお二人さん。お汁粉はどうだい」

 

 咄嗟の判断で顔をそらした。

 

 それは羽黒も同じだったようで、風圧が感じられる程度には勢いよく振り向いたようで、そのせいか首元を痛めたのか軽く抑えていた。

 

「この寒い中で飲むお汁粉はまた格別だよ。今だとお二人さんと同じで熱々だ」

 

 面白いことを言っているつもりかもしれないが、こちらは熱々どころではない。現に羽黒は見られていたであろうことに、グラグラと煮立ちそうなほど赤くなっていた。

 

 元日早々働いているのは立派だが、できれば空気を読んで欲しいものである。

 

 自分も顔に熱を感じ取りながらもまた今度と受け流し、羽黒の手を引いて歩く。こうなると暫く口を聞けなくなるのは経験で知っているため、落ち着くために少し歩いた先にあった茶屋へと入った。

 

「すみません甘酒を二つ下さい」

 

 特にメニューは見ずに、店先に張り出されていた甘酒を注文し、ストーブを囲むように置かれた長椅子に腰を下ろす。

 

 程なくしてお盆に載せられ二つの湯呑が運ばれたが、受け取らずに庄司が座っている左手に置いてもらうよう促す。

 

 持ってきてくれたオバサンも最初は怪訝そうにするも、繋がれた手を見て破顔。奥に居た親族の下へと向かった。恐らく噂話をされているのだろうが、先程までに比べたら可愛いものと、片手で湯呑を取る。

 

 湯呑越しでもわかる甘酒の温かさは、さらけ出している左手には些か火傷してしまいそうな錯覚を覚えるほどだが、ジワジワと慣らしていくと、それだけでホッと一息つけた。

 

 それは羽黒も同じだったようで、数分振りに視線がぶつかった。

 

「もう大丈夫?」

 

「はぃ……」

 

 消え入りそうな声だが、それでも反応できるだけ上等である。むしろ復帰まで最速ではなかろうか。

 

 項垂れ、横顔が髪の毛で隠れてしまった羽黒に甘酒を渡す。

 

「今は艤装も外してるし寒いでしょ? 一緒に温まろ」

 

 言われるがままに羽黒は受け取り、そこでまだ手を繋いでいたことを思い出したのか、ついに離す。

 

 確かに不便ではあったが、離されることにやや残念な気持ちになる辺り、自分が邪な考えをしているのではと一瞬頭をよぎるが、気のせいだと吹き飛ばす。

 

「これ飲んだら着替えに戻ろっか」

 

「はい。人の状態ですとあまり長時間の行動は厳しいですね。艦娘だと暑いとか寒いのは気にしたことなかったので予想以上です」

 

 やはり羽黒も冷えを感じていたのか、甘酒を美味しくいただき、茶屋を後に。退店間際に笑顔で送り出されたが、明らかに営業スマイルとは別のものだっただけに、内心苦笑する。

 

 一旦宿に戻り、普段着へと袖を通す。

 

 鎮守府にいると軍服しか着ないため、久々に着る普段着は新鮮であると同時に、自分が恥ずかしい格好をしていないかと不安が出てきた。

 

 昨日ここまではそれこそ証明のために軍服だっただけに、今が正真正銘私服を羽黒に見せる瞬間でもある。

 

 セーターにスラックス。今は脱いでいるがトレンチコートもある。何処もおかしくはないはずだと自分に言い聞かせる。

 

 因みに羽黒は中居に連れて行かれた。

 

 軍人が。それも提督が宿泊できる宿は安全のために場所が限定されている。そしてその限定された場所では艦娘のために衣服が幾つも用意されている……らしい。

 

 庄司もそのような話を聞いただけで本当にそうなのかは知らないため、言われるがまま待機している。

 

 羽黒と別れて早一時間が経とうとしているが、来る気配はない。

 

 自分も寝癖がないか、衣服がおかしくないかと何十度となく鏡でチェックしていると、入り口から声がかかった。

 

 居住まいを正し、入って良いことを告げると、襖がスラリと開かれ現れた。

 

 上着は自分と同じセーター。その上にロングコートを羽織っている。下は寒さ対策も兼ねてかロングスカートを履いており、普段見ているタイトスカートとは遥かに違う印象を植え付けてきた。イヤーマフラーも準備している辺り、可愛さが加算され、誰もいなければ確実に立ち上がって抱きしめにいった自信がある。

 

 それほどに今の羽黒はいつもより数割増して見惚れるほど可愛かった。

 

「あ、あの、庄司、さん。何処かおかしなところがあったでしょうか? それとも好みじゃありません、か?」

 

「お客様。失礼ですが女性がおめかしをした時は褒めて差し上げるのが宜しいかと」

 

 二人に言われて自分がボーッとしてしまっていることに気付き、意味もなく慌てて立ち上がる。

 

「ごめん。なんて言ったら良いのかわからない」

 

「やはり変、でしたか……」

 

「違う! 違うんだ。その、あまりに、か、可愛くて。なんて言ったら良いのか。どう口にしてもチープに聞こえて。そう思えるくらい今の羽黒は可愛いよ」

 

「ほ、本当ですかっ」

 

 詰め寄る羽黒に思わず何度も頷く。

 

 近づかれたことで、今まで嗅いだことのない匂いが羽黒からし、更には、

 

――あ、化粧もしてるんだ。

 

 薄っすらと違和感ない程度に化粧がされており、それに気付いたことで心臓が激しく動いたのがわかった。

 

――あぁ、僕は今日、また羽黒に惚れちゃったんだな。

 

「羽黒。本当に綺麗だ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「ところでその化粧は自分で?」

 

「いえ、これは中居さんが」

 

 羽黒が振り返る。そこには羽黒を連れて行った中居がまだおり、静かに腰を折る。

 

「僭越ながら私がさせていただきました。と言いましても艦娘の皆様は大変肌がお綺麗ですので、ナチュラルメイクに仕上げております」

 

 どこか羨ましそうに言っているように聞こえるがどうでも良かった。今は羽黒の事以外は犬に論語状態だからだ。

 

「これからお出かけになりますか?」

 

「はい。少し歩いてまわろうかと」

 

「でしたら金鱗湖などが宜しいかと。美術館などは生憎と開いておりませんので。後は今年はまだ雪も然程降っていませんし、ドライブに水分峠や狭霧台もオススメですね」

 

 観光スポットなど全く知らなかった庄司としては大変ありがたい教えに素直に従い、持ってきておいた地図に赤ペンでマークをつけていく。

 

 中居には礼を述べてから夕食までには戻ることを告げ後にした。

 

 まずは徒歩で行ける金鱗湖へ向かうことに。

 

 昔はあった自動販売機は現在存在しないため、旅館から渡された温かいお茶の水筒を手に歩いていく。

 

 由布院駅近くの旅館から向かうため少々歩くことから、道に迷わぬよう時折地図を見る、振りをしつつ羽黒の横顔を盗み見る。

 

 元々芯の強いのは知っていた。それでもまだ花を連想する可憐さというものを持っていたのだが、今自分の隣にいる者は最早芸術の域に達する美しさを醸し出していた。彫刻のような完成された美と言うべきなのだろうか。だが彫像のような冷たさはない。

 

 これをどう言葉にしたらよいのかぐるぐる頭の中を回転させていると、一つ思い浮かんだものがあった。

 

「庄司さん。そこ右じゃありませんでした?」

 

「あ、女神だ」

 

 羽黒の言葉も耳を素通りし、自分の思いが言葉として外に出た。

 

「女神? 妖精さんのことでしょうか?」

 

 隣を歩く羽黒が小首をかしげてくる様が尚更可愛い。

 

「いや。羽黒が綺麗すぎてなんて言ったら良いんだろうって思ってたんだけどさ。女神様ってのが思い浮かんだんだ」

 

「それは大げさすぎます。私はそんな大層な者じゃ」

 

「ううん、他の誰かなんて関係ない。僕にとっての女神様なんだ。羽黒は」

 

「それを言うなら私にとって庄司さんこと神様です。私を造ってくださって。そしてお嫁さんにまでしていただいて。私は大変幸せです。そんなことができるだなんて神様以外有りえません」

 

「いやいや羽黒こそ」

 

「いーえ、庄司さんこそ」

 

 二人で言い合いしながらも譲らず終いには、どちらとともなく吹き出した。

 

「強情だね。羽黒は」

 

「これでも武勲艦ですから」

 

「そうだった。それにしてもこれを傍から見たらいわゆるバカップルに見えるのかな?」

 

「私はバカでも構いません。庄司さんの隣にいられるならそれで」

 

 そっと羽黒が手を握ってきた。

 

 普段の羽黒ならばこんな積極性などないはずだが、これが旅の効果なのだろうかと一人嬉しく思う。

 

 行く道を間違えながら時折地図と睨めっこをし、二人でゆっくりと歩きながら目的地を探す。

 

 時間にして三十分といったところだろうか。目的の金鱗湖にたどり着いた。

 

 真っ直ぐ来れたならば距離的には一キロあるかないかといったところか。

 

 湖自体はそれほど大きいものではないようで、視界を動かさなくとも端から端が見える程度のものだった。ただ薄っすらとだけ水面に煙が立っており、周りとの景観も含め幻想的な雰囲気を醸し出している。

 

「特別見応えがあるわけじゃないけど、なんか良いね」

 

「はい。なんでしょう。とても穏やかで、ずっと見ていても飽きないような、そんな不思議な場所です」

 

 一度外周をぐるりと回り、視点の違いを楽しんでから、木製の古ぼけたベンチに腰を下ろす。

 

 由布院という地は盆地で周囲が山に囲まれているためか、空気そのものが違う。酸素が濃いととでも言えば良いのか、そんな不思議なものを感じ取れる。

 

 旅館の方より貰ったお茶を羽黒とお互いに注ぎ合い、肩を触れ合わせながら景色を眺める。

 

 そこでふと気づく。羽黒から香ってくる匂いが化粧品や旅館の匂いではなく、香水によるものなのだと。とはいえ羽黒の人柄や、景観にも邪魔をしない程度のもの。とても落ち着くいい香りがしていた。

 

 特に会話をすることはない。

 

 ただお互いがお互いの存在を確かめ合うように手を重ね、肩をこすり合わせ、景色を眺め続けた。

 

 それから二時間は見続けていただろうか。

 

 日が出ていても一月。温まるためのお茶も切らしたことで寒さを覚えたところで一度時計に目を落とす。

 

「あ、もう一三〇二(ひとさんまるに)か。お昼過ぎちゃってるね。何処かで昼食にしようか」

 

「そうですね。でも今はプライベートの時間ですから十三時で大丈夫ですよ、庄司さん」

 

 羽黒に指摘されて気付く。慰安だなんだと自分で言っておきながら、当の本人が仕事気分が抜けていないのはなんとも滑稽だ。これも一種の職業病なのだろうかと苦笑を浮かべてから腰を上げた。

 

 何処の店が開いているか旅館の人に聞き忘れたため、取り敢えず一旦旅館まで戻っていると、見覚えのある店の前を通ることに。

 

「おぅ、お二人さん。今度こそどうだい。お汁粉。お昼がまだなら丁度餅つきが終わったところでね、ぜんざいだって出せるよ」

 

 羽黒と顔を見合わせる。

 

「僕は大丈夫だけど羽黒は?」

 

「私も問題ありません」

 

「じゃあおじさん。ぜんざいを二つお願いします」

 

「あいよ。餅は何個にするかい」

 

 まさか選べるとは思わず、昼食代わりと言うこともあり、庄司は三つ。羽黒を二つを頼み、店内で待たせてもらうことに。

 

 中は甘酒を飲んだお店より狭く、二人用の席が二つあるだけだったが、他に人がいないため窮屈することもなくくつろげた。

 

 餅ができたてと伺っていたため直ぐにやってくるのかと思ったがそうでもなく、十分は間を開けてから提供された。だが、それに不満を抱くことはなく、むしろ

 

「あ、餅が焼かれてますね」

 

 羽黒の言う通り両面餅が焼かれており、香ばしさが増して食欲を駆り立てた。

 

「ん、あつ。あちちち」

 

「駄目ですよ庄司さん。そんなに慌てては。私が冷ましますから少し待っていて下さい」

 

 そういって羽黒は自分の分の器を端に置いてから庄司のを奪い取り、そして息を吹きかけ始めた。

 

 突然のことに思考が停止する。「本当にお熱いねぇ」などと店のおじさんに囃し立てられるがそんなことさえどうでも良かった。両手でお椀を持ち、息を吹きかけている。ただそれだけで絵になった。

 

「これでもう大丈夫だと思いますよ」

 

 羽黒が器を渡してくるが、庄司は以前思考が回っておらず手が出ない。

 

「庄司さん?」

 

 不思議に思った羽黒が小首をかしげたところでやっと気が付き、差し出されたものを受け取ることができた。

 

「どうかされました?」

 

「ごめん。羽黒が冷ましてる姿があまりに綺麗で、写真を撮れたらなって思って」

 

「そ、そうでしょうか。よかったです。もしかしたら不快だったのでは少し心配でした」

 

「ううんそんなことない。むしろ今度またやって欲しいくらいだよ」

 

「でしたらまた次回にでも」

 

 羽黒が言う通り、お汁粉部分の熱は程よい温度まで下がっており、ゆっくり飲む分には問題なかった。さすがに餅までは冷えていないが、端から少しずつ齧っていけば食べられないことはなく、二人して時間をかけて食していく。

 

 甘いものは得意でも不得意でもないが、このぜんざいはおかわりができそうなほど美味しかった。兎に角小豆の甘さがクドくないのだ。後味がスッキリしているからこそするりと入っていく。そのため冷め始めた最後の方では喉の奥へと次々に消えていき、容易に完食できてしまった。

 

 正直出てきた時は餅が一つあたり大きく全部食べられるか不安だったが、杞憂に終わったようだ。

 

 羽黒も丁度食べ終えたところだったようで、箸をおいて一礼していた。

 

「あ、庄司さん少しじっとしていてくださいね」

 

 何事だと聞くよりも先に、羽黒はさっとポケットからハンカチを取り出し、口を拭ってきた。

 

「え、え? なんで?」

 

「口元、ついてられましたので」

 

 言われて口に触れるが、既に除去された後のため残ってなどいない。

 

 子供っぽいところを見られ気恥ずかしさもさることながら、ハンカチについた羽黒自身の匂いが鼓動を早くさせる。

 

 自分の心臓よ落ち着けと念仏のように心で唱えつつ、表向きなんでもないかのように出されたお茶を口につける。が、

 

「あ、それ私が飲んでいたお茶……」

 

 動揺していたようで、羽黒のお茶を飲んでしまい、入ってはいけない方に液体が流れていったのがわかる。

 

「――――んんっゴフッゲフッ」

 

「だ、大丈夫ですか庄司さん!」

 

「だ、ゲホッ。器官に、入っただけだから、ゴホッ」

 

 幸いいきなり戻すようなことはなかったが、羽黒に背中を擦られるのは些か情けなくも思った。ちょっぴり役得とも思っているが。

 

「こほっ。羽黒ありがとう」

 

「いえ、まだ苦しいようでしたら無理をなさらないで下さい」

 

 そう言いながらお茶を渡してくれ、素直に受け取り確かめるように飲んでいく。

 

 少し喉の奥が痛い気もするが、羽黒に介抱されたおかげか、器官に入った直後に比べるとかなり落ち着いたようだ。

 

「うん。大丈夫。ありがとう」

 

「軍人さん。まだ苦しいならお茶のおかわりいりますかい」

 

「いえ、本当に大丈夫です……何故軍人とわかったのですか?」

 

 艦娘は同じ見た目の者がいるためそのせいだろうかと思い、軽い気持ちで問うたが、帰ってきた答えは違っていた。

 

「いえ、この時期は親族が帰ってくるぐらいで。近くにある元自衛隊基地の方々も殆が実家へ帰られる。ここは狭い町、他は顔の知っている近所付き合いの方しかいない。ですから知らない顔ぶれがいるならば軍人さんである可能性が一番高いからですな」

 

「そうでしたか。となるとやはりこの時期に他の軍属も来られるんですね」

 

「はい。そのために私のように元旦に店を開けているものがいるわけですわ」

 

「お気遣い感謝します」

 

 庄司は深く頭を下げた。

 

 この人とて年始をゆっくり家族と過ごせるはずなのに、それを自分達のために時間を割いてくれているのだから、感謝の言葉しか出ない。

 

「いえいえ、好きでやっていることですんで」

 

 社交辞令か本音か計りかねる言葉ではあるが、ここは素直に本音であると受け取り、ぜんざいが美味しかったことを告げ、旅館へと足を向けた。

 

「新年から小さいですがイベントが沢山ですね」

 

「全くだね。ゆっくりのんびりしたかっただけなのに」

 

「でも私は楽しいので問題はありません」

 

「僕もだ。予定外ではあるけども。全然嫌じゃない……けど……ふぁ~」

 

 旅館に戻って一息ついてると、小さいながらも欠伸がこぼれ落ちた。

 

 まだこれからだというのに寝てなんていられない。コーヒーでもないか女将か中居に訪ねに行こうと腰を上げたところで羽黒に呼び止められる。

 

「しょ、庄司さん。もしよろしければ。もしよろしければですが、今羽黒の膝が開いてますがどうでしょうか」

 

 何ということだろう。新年早々色々起きすぎて幻聴でも聞こえだしたのだろうかと自分の耳を疑った。しかしうっすら桃色の頬のまま上目遣いで見てくる羽黒の表情。そして太ももを指すようにジェスチャーしており、これは夢でも幻でも、ましてや妄想でもなく、現実として眼の前に差し出された膝枕(てんごく)だった。

 

「じゃ、じゃあお願いしようかな」

 

 無論断る選択肢など存在しない。大分海軍本部からの呼び出しがあっても蹴る自信はあるし、もし今深海棲艦が攻めてこようものならば、素手で倒せてしまいそうほどだ。

 

 今この時この瞬間。何人たりとも邪魔などさせない。

 

「それじゃあ、失礼します」

 

 内心の意気込みとは裏腹に、体はギクシャクしながらも羽黒の太ももへ後頭部を乗せる。いつの間にか仕舞われた布団を引っ張り出すわけにもいかないため、着ていたコートを掛け布団代わりに使う。

 

 羽黒からは気になるところでもあったのか、かけたコートの端を伸ばすようにしてくれ、その行動だけでもドキリとさせた。

 

――こんなに心臓バクバクで寝られるのかな?

 

 見下ろしてくる羽黒の視線が新鮮でずっと見ていたい気もしたが、気がつくとウトウトし始めていた。

 

「庄司さん、おやすみなさい」

 

 額に手を置かれたのを最後に、そこで意識はぷつりと切れてしまった。

 

 

 

 ――――――――――――

 

 

 

 なんて可愛い寝顔だろうと羽黒は思う。

 

 元々顔立ちに幼さを見せてはいるが、それでもやはり軍人としての教練を終えていただけあって、キリッとしている時の方が多く、それだけ常に気を張っているのだろうと思う。

 

 当然四六時中そのようにしているわけではないし、気を張っているにも段階があることはある程度わかる。そして気を張る理由が、艦娘がそばにいるからということも。

 

 自分と提督がケッコンをしてからはしなくはなったが、金剛の愛情表現の時は特に気をつけているフシがあった。それだけ司令官が我々艦娘を一人の女性として見てくれている証拠でもあるのだろう。唯一例外は初期艦の叢雲相手にだけは気を張っている素振りはない。

 

 それだけ苦楽を共にしたからなのは百も承知だが、全く嫉妬をしていないとなると嘘になる。でも二人が付き合ったりケッコンしても違和感がないだけに、その雰囲気には憧れさえあった。

 

 自分もああなれたらと。

 

 だからこそ今回の旅行では頑張って、司令官と一緒にいることが当たり前になれるよう色々チャレンジをしている。

 

 自分から手を差し出したのも、朝キスをしようとしたのも、そしてこの膝枕も。

 

 本当は初日の出を見ながらキスをするというのが羽黒の一番の目的だったが、司令官が疲れて寝てしまったのは致し方ない。残念ではあるけども。

 

 それは来年のお楽しみということにしておけば、また次の年も隣にいられるのだという安心感のようなものが生まれる。

 

「好きです」

 

 聞こえないだろう想い。

 

 それでも口から零れることは止められなかった。

 

「大好きです、庄司さん。他の誰よりも、ずっと」

 

 どこまでも愛おしく、大切な人。

 

 もしこの人を失ったならば自分がどうなるかなんてわからない。

 

 そんなことには絶対にさせないと心に誓いながらも、優しく頭をなで続けた。

 

 

 

  ――――――――――――

 

 

 

 次に目が覚めた時、自分がどのような状況でいるか完全に忘れてしまっていた。

 

「はぐ、ろ?」

 

「あ、起きられましたか」

 

 眼の前に見下ろしてくる羽黒の顔があり一瞬焦るが、寝る前のことを思い出し、ゆっくり上体を起こす。

 

「ごめん完全に寝ちゃった」

 

「そのための膝枕ですから」

 

 それもそうかと一人納得する。

 

 羽黒の太ももの感触や匂いをもうちょっと愉しめば良かったかもと後ろ髪を惹かれたが、煩悩を振り払う。

 

「ありがとう。ところでどれくらい寝てた?」

 

「一時間ほどでしょうか。季節が季節だけに陽が落ち始めている時間ですね」

 

「っとじゃあ急いで出かけないといけないね」

 

 掛け布団代わりに使っていたコートを着直し、羽黒に手を差し出して立ってもらおうとしたが、足元がおぼつかないのかフラフラとし、倒れかかってきた。

 

「羽黒大丈夫!?」

 

 受け身を取りつつ何事かと慌てて羽黒の顔を覗き込むと、痛そうに表情を歪めていた。

 

 誰からかの攻撃かと周囲を警戒していると、羽黒が恥ずかしそうにつぶやく。

 

「あ、足が、痺れてしまいました……」

 

 言われてみれば当然である。

 

 艤装装備時なら兎も角、現在の羽黒は人と同じ状態。寒さも痛みも感じれば、一時間も正座をし続ければ足が痺れもするだろうと。

 

 配慮の足りない自分に凹みつつ、落ち着くまでお茶でも淹れて待つことに。

 

 お茶を飲みつつ足を擦る羽黒の姿が扇情的で、できるだけそちらを見ないように心がけた。

 

 二人してお茶を飲み終えた頃には痺れも取れたようで、外へと出ていく。

 

「今から水分峠に向かわれるんですか?」

 

「うん。せっかくだからね。あそこは名道にも数えられたくらいの道なんだって。ほら、僕らが通った時って夜間だから景色なんて見えなかったじゃない? それに夕暮れ時に走るのは今日しかできないしさ」

 

 遅くなったのは自分のせいなのだが、言っていることはあながち間違いじゃないだけに、自信をもって告げる。

 

 ここまで来るのに使用したジープに乗り込み、ドライブへと出かけた。

 

 結果だけを言うならば最高である。

 

 冬であるため山の青がなく、枯れた色をしていたが、それでも左右に大きく広がる山の間を走るのは、気持ちがいいものである。夏ならばオープンカーで走ると更に絵に描いたような光景を体験できること間違いないだろう。

 

「凄かったですね庄司さん!」

 

 羽黒もご満悦なようで、来たかいがあったというもの。隣でずっとわー、わー、と興奮して声を上げていたのは記憶に新しい。

 

「わー、ここからの景色も凄いですね。由布院全体が見えます」

 

 現在いるのは狭霧台。

 

 長い山道の途中にあるちょっとした休憩スポット。

 

「それに夕日も綺麗です」

 

「だね。オススメで紹介された理由がわかるよ」

 

 町並みのみならず山肌までもを、落ちかけた陽の光が赤に近いオレンジ色に染め上げている。

 

 昔はこれを見るために人が観光で訪れていたと聞いたが、それもまんざら嘘ではなさそうだ。この景色ならば納得がいく。それだけのものが目の前には広がっていた。

 

 ただ夕日とは時間が限られたもの。

 

 見るにつれ辺りは徐々に暗くなっていき、空には星が見え始めていた。

 

「終わっちゃいますね……」

 

 羽黒の寂しそうな横顔が、悔しくて、自然と方を抱き寄せていた。

 

「しょうじ、さん?」

 

 彼女はちゃんとここにいる。自分の傍に。

 

 戦場では自分のできることなど高々知れているが、こうして手を伸ばせば届く範囲にいる時くらいは隣で支えてあげたい。ずっと。

 

「羽黒、改めてあけましておめでとう。今年も。これからもよろしくね」

 

「庄司さん……はい。はい! 末永くお願いしますっ」

 

 更に身を寄せ、お互いに体温を預け合う。

 

「羽黒」

 

「庄司さん」

 

 互いに名を呼ぶ。

 

 自分の大切な存在を。

 

 二人の距離は徐々に縮まり相手の呼吸が顔に触れるところまで近付く。

 

 そして冷えていく空気とは裏腹に、二人は誰もいない高台で熱い口づけを交わした。

 

 


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