ピピピピ ピピピピ ポチッ
枕元で鳴るスマホに手を伸ばして、アラームの音を止める。窓の方を見てみると、まぶしい朝日が部屋の中を明るく照らしていた。その太陽の高さから、今は大体6時半くらいだろうと見当をつけて止めたアラームを見てみると、デジタルの文字は6:31と出ていた。
あー、惜しいと一瞬思ったが、アラームを設定した時刻が6時半だったことを思い出すと、何を当たり前の事を言っているんだと、少々恥ずかしい気持ちになった。
「さて、起きますか!」
そんな恥ずかしさを振り払うようにして独り言を呟いた僕は、身体を布団から起こして大きく伸びをし、早く朝ご飯を食べてしまおうと、居間へ向かうのであった。
今日はラビットハウスでの勉強会だから、朝はしっかり食べないといけないなと思いながら、朝ご飯の献立をどうするか悩んでいると、誰かが起きたのかトントンと足音が聞こえた。その音の軽さから、きっと、マヤが起きたんだろうなと推測していると、居間の扉が開いて、
「ふわぁ〜、おはようシズにぃ……」
大きなあくびとともにこちらにやってきたマヤ。シズにぃと呼んでいることから、まだ半分夢の中にいるんだろう。
後でこれを指摘すると、きっとマヤは顔を真っ赤にして恥ずかしがるんだろうな。ちょっと見てみたい気もするが、その後が怖いのでやめておくとしよう。
「おはようマヤ。朝ご飯は何がいい?」
「ん〜? じゃあシズにぃのそばめしー」
そばめしか、そういえば昔はよく夜食や小腹が空いた時のおやつとして作ってたっけな。
そして作るとほぼ必ずマヤが、ひとくちちょうだい! ってやってきたんだよな。まぁ、ひとくちと言いながらも半人前くらい食べてたが……。
でも、おいしいって言って食べていたマヤは大変可愛らしかった。
「そばめしな。分かった、今作るよ」
冷蔵庫の中を確認すると、材料、といっても焼きそばとご飯さえあればそれなりに形にはなるのだが、一通り揃っていたので、昔のことを思い出しながらそばめしを作ることにした。
そばめしというのは、基本的にはソース焼きそばとご飯を一緒に炒めるだけの料理なので、簡単に作ることができる。
10分程あればすぐに完成するので、そばめしが好きな僕は、司法修習で各地に行っていた時にもよく作って食べていたもんだ。
焼きそばをおかずにしてご飯を食べるこの炭水化物の重ね食べは、頭を動かすためのブドウ糖を多く得る手段としては適しているはずだ、と自分に言い聞かせることにして、食事バランスの悪さを見てみぬふりしていたのを鮮明におぼえている。
当時は毎日毎日、死ぬほど忙しい日々を送っていたので、こんな食事でも大丈夫だったが、今あの時と同じような頻度でそばめしを作っていたら、すぐに肥満になることだろう。
そう考えると僕もそろそろ健康に気を遣い始めないといけないなと思い、憂鬱な気分になるのであった。
そうこうしているうちに、焼きそばとご飯がいい具合に混ざりあってきた。火を止めて、用意した皿に移してあげれば、ほら完成だ。
「マヤー、できたぞーって、寝てるな」
待っている間に眠くなってしまったのか、絨毯の上で丸くなって二度寝しているマヤ。気持ち良さそうに寝ているところ申し訳ないが、そばめしもできたことだし起こさせてもらうとしよう。今日は用事もあるしな。
「おーいマヤ! 起きろー!」
その声にもぞもぞと身体を動かすマヤであったが、まだ起きるにはいたらなかったのか、そのまま動きを止めてしまう。
仕方ないので、今度は別の方法でと再度声をかけた。
「今日はラビットハウスで勉強会だろー! 早く起きないと遅れるぞー!」
さすがにその言葉は効いたらしく、慌ててがばっと起き上がってきた。
「今、何時!?」
「まだ朝の7時過ぎだから慌てることはないぞ」
「あ~、びっくりした~」
そう言って、ほっと胸をなでおろすマヤ。きっと遅れるという言葉を聞いて、遅刻寸前だと思ったんだろう。自分もそうやって起こされたことは多々あるが、本当に心臓に悪い話だ。やってて何だが、少し申し訳ない気持ちになった。
「ほら、そばめしできたぞ」
「え! そばめし! やったー、ちょうど食べたいと思ってたんだ~」
これはきっと自分でそばめしが食べたいと言ったのを忘れているな。でも、幸せそうな笑顔でそばめしを食べているマヤの顔を見ると、それを言うのは野暮ってもんなのかなと心の中で思うのであった。
朝ご飯を食べた後、昨日一日かけて復習した中学生時代のノートを軽く確認して、ここを質問されたらどう答えたら良いだろうかと頭の中で予行演習しているとマヤから、
「兄貴ー! 早く行こうー!」
と呼ばれてしまった。時計を見ると、9時ちょっと過ぎ。勉強会は10時から始める予定なので、少し早い気もするがそろそろ行ってもいい頃だろう。
携帯をポケットに入れ、大学生の時から愛用しているやや大きめの肩掛けバッグに、自分のノートと筆箱、それに何も書いていないルーズリーフを入れる。あぁ、そうだこれも持って行こうと、『コーヒーから学ぶ数学』を本棚から取り出して、バッグの中に突っ込む。これで準備完了だ。
「よし、行くか!」
待ちきれなかったのか既に玄関の前にいたマヤに声をかけ、僕とマヤはラビットハウスへと歩き始めるのだった。
カランカラン
「いらっしゃいませー」
ラビットハウスで僕たちを迎えてくれたのは、チノちゃんでもマスターでもなく、紫色の髪をツインテールにした可愛らしい女の子だった。高校生っぽいし、バイトなんだろうか?
そう思っていると、奥の方からチノちゃんが出てきた。手には春休みの課題と思われる冊子を持っている。
「やっほー、チノー!」
「マヤさん、それにシズさんもいらっしゃいませ」
「なんだチノ、知り合いか?」
ツインテール少女はチノにそう尋ねた。
「はい。こちらが私のクラスメートのマヤさんで、その横の男の人がお兄さんのシズさんです。シズさんは、おじいちゃんが居たときから来てくれている常連さんなんですよ」
「へぇ~そっか。私はリゼだ、よろしくな」
そう言って、こちらに手を差し出してくるリゼちゃん。こちらも手を差し伸べて握手に応じると、彼女はそのスタイルの良い身体からは想像も出来ないような力で握ってきた。痛いというほどではないものの、そのがっしりと握ってきた手を考えると、きっとリゼちゃんは何か運動をやっているのかな?
そう思って尋ねようとした瞬間、後ろの扉からカランカランと扉の開いた音が聞こえた。
「お、おくれちゃった~」
息を切らせながら店内に入ってきたのは、マヤの幼馴染みのメグちゃん。マヤからよく話にはあがっていたが、こうして会うのはマヤとメグが小学生の時以来だ。
「リゼさん、あちらがメグさんです。メグさん、このツインテールの方がうちでアルバイトをしているリゼさんです」
この後、皆で軽く自己紹介をしたのだった。それにしても、リゼが軍人の親父さんの影響とはいえ、護身術とかを習っているとは思わなかった。可愛いけれども凜々しいとは、パワフルな女の子だな。
さて、話が逸れたが本題に戻ろう。
店番は完全にリゼちゃんに任せるらしく、チノちゃんも今日は私服だ。ティッピーもカウンターでコロコロと転がっている、ってマスター楽しいのかな……。
チノちゃんもマヤもメグちゃんも、既に春休みの課題を机に広げて準備をしている。僕もさっさと準備しないと……って何をすればいいんだ? 人に勉強を教えたことが少ないから、どうしたらいいのか分からない。
思わぬ弊害に頭を悩ませていると、マヤが、
「それじゃあ兄貴は、私たちがわからない問題があったら質問していくから、それに答えてね! それでいいでしょ、チノ、メグ」
「はい、いいですよ」
「いいよ~」
そう言うと、三人は黙々と宿題に取りかかるのであった。あれ、もしかして僕要らない子ですかね。
ちょっと凹んでいると、リゼが全員分のコーヒーを持ってきてくれた。
「はい、これ飲んで頑張れよー!」
「「「「ありがとう!」」」」
コーヒーを一口啜ると、いつもと変わらない美味しい味が口いっぱいに広がった。ほっと一息ついていると、早速チノちゃんが遠慮がちに質問してきた。
「あの……シズさん、ここの問題なんですけど……」
「あー、そこはね、展開したときに出てくる側面の扇形の弧の長さが、底面の円の円周の長さと一致するから……」
「なるほど! わかりました!」
いきなり空間図形とは恐れ入った。しかもこれ、普通の中学1年生だったらかなり難しめの問題だと思うんだが……いつの間にかこんなに難しくなったんだ。
学習内容の変化に驚いていると、次はメグちゃんから質問が来た。
「お兄さん~、この問題なんだけど……」
「えーと、その問題は、油の中に入っている箱の体積分の油の体積を引いてあげれば大丈夫だよ」
「そっか~!ありがとう、お兄さん」
理科の浮力の問題だ。しかも、水じゃなくて油だからちょっとややこしい。よくこんな問題、皆できるよなと感心していると、マヤから質問が飛んできた。
「兄貴ー!これ、どうやって解くの?」
「どれどれって、あぁ、これは年代を覚えておけば簡単だよ。そうだな……723年は、何さ三世一身法。743年は、無しさ墾田永年私財法、なんていう風に語呂合わせで覚えれば、年代順に並べるのは一瞬だ」
「そっかー、なるほど! ありがとう兄貴!」
歴史で、時代順に並べろという問題。ちなみに問題文には、平城京遷都、三世一身法、墾田永年私財法、平安京遷都だった。これならまだ普通くらいの難易度だが、もっと難しくなるとここに国分寺建立の詔や古事記、日本書紀の年代などが入ってくる。
この後も次から次へと質問が飛び交い、次にコーヒーを飲めたのはお昼休憩に入るときなのであった。
「わ~、これ美味しいね~」
「ほんと、すっごい美味い!」
「美味しいです……!」
リゼの作ってくれたナポリタンに舌鼓を打つ三人と僕。本当にこれは絶品で、文句のつけようが無い味だった。もういっそのこと、ここを食事処に変えてしまったらどうだろうかと半分本気で思ってしまったほどだ。
「将来、リゼはいい嫁になるな」
皆から寄ってたかって褒められたことに照れているのか、リゼは顔を真っ赤にしている。その反応がまた可愛いなと思っていると、恥ずかしさに耐えられなくなったようでリゼは店の奥の方へと逃げるように去っていった。
リゼがこちらに戻ってきたのは、それからしばらく経ってからだった……。その間に一人も客が来ていないのは、本当にラビットハウスらしいやと、心の中で思った僕であった。
そろそろ時刻は3時をまわろうとしている。昼ご飯を食べた時間を除いたとしても、もう4時間は勉強しているだろう。さすがにもう集中力も切れてくる頃だし、そろそろ勉強会を終わった方がいいんじゃないかと思っていると、三人が同時に、
「「「終わった~!」」」
と、言うのであった。え、あの量をもう終わらせたの!? と驚いていると、どうやら今日はおおよそ2教科終わらせるか、3時までやろうという話だったらしい。それにしたって疲れただろうと思い、僕は三人に何か奢ることにした。
「リゼー、三人にケーキを頼むー! 今日の支払いは全部僕だから、遠慮しないでね」
「え、いいの!」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 私の分は自分で出しますから!」
「勉強教えて貰った上に、奢って貰うなんて悪いよ~」
チノとメグは遠慮しているみたいだが、別にケーキを食べたくないわけではなさそうだ。
「今日は、皆頑張っていたから特別だよ」
そう言って、三人にはご褒美のケーキをあげるのであった。最初は遠慮がちだった二人も、食べ始めるとすぐにとろけそうな程幸せな笑顔を浮かべて、ぺろりと食べてしまうのだった。
「さて、勉強会も終わったようだし僕はそろそろ帰ろうと思うけど、三人はこれから遊びにでも行くのかい?」
そう聞いてみると、どうやらこれからおしゃべりタイムにしようという話だったらしく、まだここに居るとのことだった。
「それじゃあリゼ、お会計お願い」
「ああ、しかし4人分ともなると結構な金額になるが良かったのか?」
「勿論。だって学生が勉強という本分を全うしようと集まっているんだぞ、ここは何が何でも大人が払ってやるべきだろうさ。それに、これでもそこそこ稼いでいるからな、これぐらいの出費だったら問題ない」
それに中学生の女の子達に払わせているようでは男が廃るというものだ。
「ちなみに何の職業に就いているんだ?」
「小説家だ」
「へえー、ちなみにどんな本を書いているんだ?」
「きっと、一番有名なのは 『コーヒーから学ぶ数学』だろうな」
これで知らないと言われたら若干傷つくな……。と思ったが、どうやらそれは杞憂だったようで、
「何! あの本ってシズが書いたのか! 私もあの本は凄く分かりやすいから使わせてもらってるぞ!」
と、大変な好評を頂いた。意外と周りにも使っている人っているんだな〜と自分の本なのに、客観的な反応しか出てこない僕であった。
「ありがとうございました」
ラビットハウスから帰る道の途中、今日は色々と面白かったなと思いながら歩いていると、そういえばこの街に戻ってきてから毎日が楽しいと感じるようになったっけと、やっぱり故郷っていいな〜と思うのであった。
勉強、仕事をいかに効率的にできるかというのは、子供から大人まで不変の命題だと勝手に思っています。
『条河静の日常』第10話を呼んで頂き、ありがとうございました。
最近何かと忙しい日々を送っている、というのは言い訳に過ぎませんが、それでも投稿したら見て下さる皆様の事が、私は大好きです。
本当にいつもいつも、ありがとうございます!
そして、どうかこれからも宜しくお願いします!