人生は出会いから始まる物語
翠と凛の家から帰る途中、どうやらアルコールが抜けきっていなかったらしい僕は、また痛み始めた頭をおさえながら、公園のベンチに座って一休みしていた。
「あいたたた……。本当にお酒なんて飲むもんじゃないな」
木陰にあるベンチに深く腰掛けながら天を仰いでいると、春風に揺れる木の葉の隙間から、春の暖かな陽の光が零れ落ちているのが見えて、あぁ、もうすっかり春になったんだなぁ、と回らない頭で考えるのであった
「そういえば、翠と会ったのも凛と会ったのも、今日みたいなよく晴れた日だったっけな」
翠とは1年生の時、同じ学級で、初めて見た時はミステリアスな美少女だなんて思ったものだが、文芸部で同じ部活に入ってからは翠に振り回されっぱなしだった。
特に翠が他の部活へふらふら行って遊んでいるのを連れ戻すのは苦労したものだ……。当時はまだ翠キラーである凛が中学3年生の為高校に居なかったので、同じ学年の僕が翠を探しに行っていたのだが、全く見つからずに下校時間になる事も結構あった。
それ以来僕はどんな人でも外見で判断してはいけないということが大変良く分かったのであった。
そんな翠だが、実を言うと凛が文芸部に入ったのは彼女のおかげだったりする。
あれは確か僕たちが2年生に上がって、新入生達が入学してから1週間しない内の出来事だった。当時1年生だった凛を翠が手を引っ張って無理やり文芸部の部室まで連れてきたのだ。
これはどうした事かと事情を聞いてみたら、翠が言うぶんには、
「この子が、部活なんて無意味な事だなんて言うもんですから、部活というものの良さを教えるために引っ張ってきました!」
との事で、僕ともう一人の先輩はたいそう頭を抱える羽目になった。その後、その翠が連れてきた後輩に、何故部活を嫌うのかと聞いてみたら、彼女の答えは、
「部活動をしている時間なんて、人生の無駄遣いです! だから、そんな時間があったら勉強でもして、今後のために有効活用するべきです!」
といったものだった。
お互いに険悪なムードを放っている同級生と後輩をどうにかしないとと悩んでいると、隣に居た先輩は既にこの人達とは関わりたくないモードに入っていて、結局その場は僕が仲裁するのであった。
まぁ、それからどうなったかといえば、翠が渋る凛を自分が散々1年生の時にふらふらしていた部活群へと連れ回し、仮に部活が人生の無駄遣いだったとしても、その無駄遣いの時間は決して無駄になんてならない人生の宝物だよ、と言ったらしい。
その言葉が決め手となって、凛は翠の所属している文芸部へと入部したのであった。
……これは、後に凛が直接言っていた事なんだが、凛は僕らの母校の特待生試験に合格するために、それこそ死にものぐるいの努力をしていたらしく、勉強が全てにおいて最優先事項だったんだとか。
だから、凛は『将来のため』という言葉で自分を偽って、自分のやりたい事を我慢していたみたいだ。
正直、僕はその凛の気持ちは痛いほどよく分かるし、翠がそんな凛をどんな気持ちで見ていたかも容易く想像が出来る。
だからこそ、僕はこの凛の話を聞いた時に、何も言えなかった。だって二人の考えは、どちらとも僕の思想の一部なんだから……。
「……一人でいると、つまらないことばっかり考えてしまっていけないな。結局、考え方は人それぞれなんだから、こんな事思ったところで意味なんてないのに」
ただ、僕が自信を持って言えるのは、翠も凛も僕の大事な親友であり、どちらが欠けていても、今の自分は絶対に無かったということだけだ。
「さて、20分近くここに座っている事だし、そろそろ行くか」
そうして僕は、若干沈んでしまった気分を回復させるために、街中の方へと歩き出すのであった。
「まだ春休みだから、学生も多いな」
街を縦断している川沿いを歩いていると、あと数日しか残っていない春休みを満喫しようとしているのか、それとも春の陽気にやられたのか、楽しそうな雰囲気を纏っている学生が多く居た。
そういえばそろそろこの街に、他の地域から高校生達がやって来る時期だなぁなんて思いながら、たまたま目に入ったドーナツ屋さんで、昼ご飯前の軽食でも摂ろうかとドーナツを買っていると、すぐ先の橋で何やら地図と睨めっこしている少女がいるのが見えた。
「噂をすればなんとやら、かな?」
売り子さんから袋に入ったドーナツを受け取って、おそらく道に迷っているのであろう少女の方へと歩みを進め声をかけてみた。
「道に迷っているのかい?」
少女はその言葉を聞いて、地図から目を離し僕の方へと振り返った。
「えへへ、そうなんです。春からこの街の高校に通うんですけど、下宿先を探していたら迷子になっちゃって」
「あぁ、やっぱり高校の新1年生だったのか。木組みの街は道が複雑だから、慣れていないと迷っちゃうんだよね」
「へぇ~、そうなんですか!」
毎年この少女のように街中で迷子になる子はいるだろうに、学校や役所は対策を立てていないのだろうか? あれ、そういえば初めは翠も迷子になっていたような……。
「私、香風さんっていう家を探しているんですけど、知っていますか?」
香風? あれ? 聞いたことはあると思うんだけど、思い出せない……。というか僕もこの街に住んでいるとはいえ、ご近所さんと小中の友達以外で知っている名字なんてほぼ無いよな。
思い出せそうで思い出せない名字に頭を悩ませていると、少女が申し訳なさそうに、
「え、えっと、分からないなら大丈夫ですよ! ありがとうございました!」
と言うもんだから、自分から声をかけているのにも関わらず何もできなかった事を歯痒く思いながら、そっと手に持っていたドーナツを差し出すのだった。
「何も力になれなくてごめんな……。せめて、これだけでも食べてくれ! それと、道を聞くならラビットハウスという喫茶店に行ってみるといい。きっと教えてくれるはずだから! じゃあ、これからの高校生活が楽しいものであることを祈っているよ!」
僕が何故急にこんな風に言いたいだけ言って逃げたのかといえば、周りから突き刺さる、こいつ不審者じゃないかみたいな視線が痛かったからである。
このご時世、こんな僕みたいな冴えない男が未成年に話しかければ絶対こうなるって、少女に話しかける前に気づけたはずなのに、何で僕は話しかけてしまったのかぁぁ! あぁ、でもあの名も知らぬ少女は困っていたようだし、悪いのは明らかに香風さんを知らなかった僕だよなぁぁ!
上のような自己嫌悪に陥り、僕は早歩きでその少女の元を足早に去るのであった。心の中で、亜麻色の髪の少女よ、本当に申し訳無かった……、と思いながら。
「なんか、不思議な人だったな~」
その少女、ココアは今会ったばかりの若い男の人の事を思い出していた。
見ず知らずの自分に、優しく話しかけてきてくれた青年の姿は、たとえ道案内に失敗していても、期待と不安が入り混じっている状況の彼女にとっては十分に嬉しいものであった。
そういえば、訳分からないままに何か受け取っちゃったな、と貰った小袋の中身を見てみると、そこにはまだ少し温かい出来たてのドーナツが入っていた。
「わ〜! 美味しそうなドーナツ!」
ココアは貰ったドーナツを食べて英気を養い、青年に教えてもらったラビットハウスへと向かい始める。
この街って綺麗でかわいくて、住んでいる人も優しいな。うん、ここなら楽しく暮らせそう!
そう考えながら、春を祝福するように咲いている桜並木の下を歩くココアなのであった。
「はぁ……」
「どうしたんですか? 溜息なんかついて。幸せが逃げちゃいますよ?」
同じ頃、ようやく起きた凛は遅めの朝ご飯を摂りながら、深い溜息をついていた。
「私には青山先生と条河先生が居てくれるだけで幸せですから、問題ないです」
「あら? もしかして凛ちゃん、まだ酔ってます?」
「……別に、私の本心からの言葉です」
凛は恥ずかしそうにしながらも、素面でそう言った。
「最初はあんなにツンツンだった凛ちゃんがこんな事を言うなんて、あの頃は思ってもみなかったですね〜」
「うっ……」
「ふふっ、考えていたのはその事ですか。酔った拍子に思い出してしまったんですか?」
翠の言葉に、可愛らしく唸りながら頷く凛。溜息の原因はどうやらそれについてのようだ。
「あの時に翠ちゃん、いえ、青山先生が私を引っ張っていってくれなかったら、きっと私は今ここにいなかったでしょう。だから私は青山先生に感謝しているんですよ」
「それは、嬉しいですね。でも、感謝しているのは凛ちゃんだけでないですよ。私だって、シズ君だって、凛ちゃんには感謝しています」
口には出してはいないものの、ここに居ない静の事も翠と凛は感謝しているというのが、二人の雰囲気が伝えている。
「ですから青山先生、お願いですから尊敬もできる先輩になって下さい。つまり、そろそろ逃げ出さずに原稿を書いて下さい!」
「そこに行き着いてしまいましたか〜」
この結論を告げてきた凛に、翠は、こんなに強かな子に育つとも思ってなかったなぁ、とも心の中で思うのであった。
桜が美しく咲き誇る季節。木組みの家と石畳の街では、一人の少女との出会いから生まれる物語が幕を開けようとしていた……
人生の出会いは一期一会、でも袖振り合うも多生の縁。いつでも出会いは大切にしたいものです。
特に春は出会いの季節、偶にはこの2つの言葉を思い出してみるのもいいのではないでしょうか。
『条河静の日常』第15話をお読み頂き、ありがとうございました。