マヤとゲームセンターに行った日から、数日経ったある夜の事。僕は凛から一通のメールを受け取っていた。
内容としては、仕事があるので明日の朝一で来て貰えないかというものだ。
「これは、副業の方かな」
僕の言う副業というのは、税理士として代理で確定申告をしたり、行政書士として会計記帳業務を行ったりというもので、今回だとこの時期だから多分、年次決算処理の業務だろう。
ちなみに本業は小説家だからな。
「そうか、もう4月になったのか」
そういえば、明日はマヤの始業式だっけと思いつつ、明日から始まるであろう年1回の業務の為にも、僕は早い時間に床に就いたのであった。
ピピピピ ピピピピ
翌朝、相変わらず6時半に設定してある目覚ましに起こされた僕は、着替えて、顔を洗って、家族の分も含めて朝食を作る。そして、朝食を作り終わると大体7時過ぎになり、マヤが起きてくる。
「ふわぁ~あ、おはよう兄貴……」
「おはよう、マヤ。朝食は出来ているから、顔洗ってきたら食べようか」
「うん……」
マヤはまだ寝ぼけている様子で、半分夢の世界の住人になっているようだ。これはきっと昨晩夜更かししていたんだろうな。
今日から学校だというのに、そんな調子で大丈夫かと思っていていたが、自分も中学生の頃は朝弱くて、中々起きられなかったことを思い出したために、余裕で間に合う時間帯に起きているだけ、マヤの方がよっぽど立派だなと思わざるを得ないのであった。
「ねぇ、兄貴はどこか出かけるの?」
朝食をもぐもぐと食べながら、僕に尋ねてくるマヤ。
「あぁ、今日は会社の仕事があってね」
「へぇー、兄貴って会社で働いていたっけ?」
どうやらマヤは、僕が小説家である事は知っているみたいだが、翠と凛と小さな出版社を経営している事までは知らなかったらしい。
マヤのその反応に若干の寂しさを覚えたが、会社を設立したのが大学生時代で、その時僕達はこの街を離れていた事を考えれば、それは仕方がないのかなと思うのであった。
「まぁ、詳しくは端折るけど、そういう事だから、マヤと一緒に出発しようかな」
「じゃあ、兄貴と一緒に行けるんだね!」
嬉しそうな顔をしてそう言うマヤ。
マヤは、今はこんな可愛い事言ってくれているが、きっと思春期に入ったら、兄貴なんて嫌い! って言われてしまうんだろうな。考えただけで、悲しくなってきた。
自分の心の中で、そんな一人芝居を繰り広げながらも、朝食を食べ終わった僕は、歯を磨いて、携帯と財布を持ち、翠と凛の家もとい会社に行く準備は整った。
丁度、それと同じ位にマヤも制服姿で玄関に現れて、僕達はいってきますと告げて、活気の出てきた街に繰り出すのであった。
「マヤ、学校は楽しいか?」
「もちっろん! メグもチノも一緒だし、とっても楽しいよ」
「そうか、友達は大切にするんだぞ」
僕がそう言ってマヤの頭をぽんぽんとすると、マヤは眩しい笑顔で、うん! と答えるのであった。
僕も、翠や凛などの友達に支えられながら、今、自分のやりたい事を出来ているので、友達の大切さは人一倍知っているつもりだ。
だから、ラビットハウスでの勉強会の時も感じたが、マヤにもそういう友達が増えたようで、安心している。是非これからも、仲良くやっていって欲しいものだ。
まぁ、この前のあの子達の様子を見ている限りでは、きっと大丈夫だろうけどね。確証は無いけど、大人になっても仲良しな気がする。
さて、取り留めのない話をしながら川沿いの道を歩いていると、赤髪をトルネードにした少女、メグちゃんの姿が遠くに見えてきた。
「おーい、メグ! おはよう!」
マヤが声を掛けると、メグちゃんもこちらに気が付いたようで、
「あ、マヤちゃん、おはよう~! それに、お兄さんもおはようございます」
と、挨拶をしてくれた。
本当にメグちゃんもいい子だな、と心の中で感動しつつ、僕も挨拶を返すのであった。
「お兄さん、今日はどこかにお出かけですか?」
「あぁ、兄貴ってば、会社に行くとか言っててさ」
「会社? お兄さんって小説家さんじゃあ……?」
メグちゃんの質問にマヤが答えて、更に疑問が増えたらしく、メグちゃんは首を傾げている。何か勘違いされても困るので、ここは素直に答えておこう。
「僕が小説を出している出版社はね、僕を含めて社員が三人しか居ないんだ。だから、僕も物書き兼経理として働いているって訳」
「へぇー、兄貴ってそんな事してたんだ」
「お兄さん、凄いんですね~」
マヤもメグちゃんも、僕の答えに納得した様子であった。
ただ、僕が凄いかっていうと、それは違う。だって、会社のほとんどの事務を引き受けてくれている凛や、書いた小説が映画化する翠の方がずっと凄く、ずっと頑張っていると思うから。この場では言わないけどね。
と、そんな話をしていると、向こう側からチノちゃんが歩いてきた。
「おはよう、チノ!」
「チノちゃん、おはよう~」
チノちゃんは、マヤとメグちゃんと一緒に僕が居るのに気付くと、少し驚いたように体をぴくっとさせている。どことなく兎っぽいな……。
「おはようございます、マヤさんにメグさん。それにシズさんも」
「おはよう、チノちゃん。それじゃあ僕は別方向だから、学校楽しんできてね」
待ち合わせ場所にチノちゃんも揃って、マヤ達は中学校へ登校するみたいなので、僕はそう言ってチノちゃんがやって来た方向へと、また歩き出すのであった。
しばらく歩いていると、マヤ達の通っている中学校の制服を着た生徒に交じって、僕の通っていた高校の制服を着た生徒も見かけるようになってきた。
あぁ、僕があの制服に袖を通さなくなってから、もう5年も経ったのかと思うと、何だか高校生の頃が懐かしくなってくる。
僕がそうやって昔を懐かしんでいると、前方に見覚えのあるツインテールの少女の姿があったので、声を掛けてみた。
「おはよう、リゼちゃん」
「誰だ! って、シズか。ちゃん付けは止めてくれよ」
「ははは、分かったよリゼ。それにしても、よく一回しか会ってないのに僕が分かったね」
自分で言うのも何だが、これリゼが僕の事を覚えていなかったら、普通に事案だよな。我ながら随分と危ない橋を渡っていたもんだ。
「訓練してるからな。それに、普段世話になっている参考書の作者だし、そりゃ記憶にも残るさ」
「それは作者冥利に尽きるってもんだね。ありがとう、リゼ」
本当に作者としては、こうして実際に読んでくれている読者さんの話を聞くほど嬉しいものは無いな。
そんな会話をリゼとしていると、向こう側からこれまた見覚えのある、亜麻色の髪の少女がやって来た。
「あ、リゼちゃんまた会ったね……って、ドーナツをくれたお兄さん!」
どうやら、あの子も僕の事を覚えていてくれたらしく、少女はそう言ってこちらに駆け寄ってきた。
「偶然だね。……あの時は、道案内してやれなくてごめんね」
「あ、お兄さんの教えてくれたラビットハウスに行ってみたら、なんとそこが私の下宿先だったんだよ!」
それは何という偶然なのでしょうか。
僕がそれを聞いて驚いていると、リゼが、
「なんだお前ら、知り合いなのか?」
と尋ねてきた。
だから、その少女と会った経緯を話そうとしたのだが、僕が口を開く前に少女が、
「このお兄さんは、私がこの街に来て迷っていた時に、最初に声を掛けてくれたんだよ!」
と、紹介をしてくれた。
「へぇー、そうだったのか。やっぱりシズって優しいんだな」
「そういうリゼちゃんは、お兄さんとどこで知り合ったの?」
これまでの話の流れで割と確信していたが、リゼと少女は知り合いらしく、会話に花を咲かせている。その会話を盗み聞いているようで悪いが、一つ分かったのは少女の名前はココアというらしい。
ココアちゃんは、リゼのブレザーとはまた違って、セーラー服に桃色のカーディガンを羽織った、可愛らしい姿をしていた。
彼女の下宿先がラビットハウスだという事は、あの高校の方針からすれば、彼女はラビットハウスで働いているのであろう。そう考えれば、あそこでバイトをしているリゼと知り合いなのも、辻褄が合う。
「あ、いけないもうこんな時間! じゃあリゼちゃん、お兄さん、またねー」
「あぁ、またな」
「ココアちゃん、学校楽しんでくるんだよ」
朝というのは誰にとってもそうだが、特に学生にとっては忙しい時間帯であり、立ち止まって話し込んでしまった僕達はまた各々の目的地に向かって、やや急ぎ目に歩き始めるのであった。
「リゼも学校楽しんでおいでよ」
「上級生として、下級生の手助けができるように頑張って来るさ」
リゼがふっと浮かべた笑みに好感を抱きながら、僕は会社へ、リゼは自分の高校へと歩を進めるのであった。
今日も動き出した街は、夜の間の静寂を打ち破るように、次第に賑やかな雰囲気を醸し出してきた。
澄んだ空気に入り混じって、ふんわり漂ってくる桜の香りは、それだけで今日という日を華やかにしてくれる。始業式や入学式が行われるには良い日だろう。
それに、今日は朝から色々な人と出会う事が出来て、柄にもなく高揚してしまった僕は、飛び跳ねそうな心を抑えながら街をうきうきと歩くのであった。
遠くの親戚より近くの他人、なんて諺もある事ですし、近くの人々で助け合えるような環境が整えばいいな、と思っている作者です。
『条河静の日常』第17話をお読み頂き、ありがとうございました。