現在、夜の6時。既に日は沈み、暖かな色をした街灯の無機質な灯りが木組みの街を穏やかに照らしてる。
お互いが心の中で思っていたことを腹を割って話した結果、これまでよりももっと仲良しになった翠と凛は、結局凛は文芸部の編集者なので、翠の文章が稚拙だろうと書きかけだろうと、まず最初に見せるべきだというところに落ち着いた。ちなみにマスターには完成版の原稿を見てもらおうということになった。
そう決めた後に本題である、部誌の原稿を書き上げるという事に入ろうとしたが、残念なことに、
「話が弾む気持ちは分かるが、もう日も暮れたことだし、今日はその辺で切り上げて帰りなさい」
という時間切れ宣言を、マスターから孫を見守るお爺ちゃんのような優しい笑みで言われてしまったので、帰る支度をして一言、
「また来るよ、マスター」
「また来ますね、マスター」
「マスター、どうもありがとうございました。また来ます!」
と、僕、翠、凛の順番でそれぞれマスターに挨拶をしてラビットハウスを出た。
その後、翠と凛とは家が逆方向にある僕はラビットハウスの前で二人と別れたのだった。
家に帰る途中、今日は色々あったけど楽しかったから時がたつのが早かったな、なんて考えながら歩いていると自分と同じようにこれから帰るのであろう人で混み合っている広場の中から、
「え~! まだ帰りたくな~い!」
と、幼い少女の声が聞こえてきて、あぁ、楽しい時間があっという間に過ぎてしまうのは幼い子供でも、来年の頭に受験を控えている高校生でも同じなんだなぁなんて妙なことを納得しつつ、遅くならないうちに早く帰ろう、と帰路を急ぐのだった。
「ただいまー」
我が家に帰ってきた僕は、玄関の扉を開けて帰宅を告げる言葉を発した。すると居間の方からドタドタという何かが走ってくる音が聞こえてきたと思ったら、次の瞬間、
「シズにぃ、おかえりー!」
と、妹のマヤが僕の胸めがけて飛び込んでくる姿が目に映った。
元気いっぱいなのはいいことだけど、そろそろお淑やかさも学んだ方がいいんじゃないかなと心の中で苦笑した僕は、妹を受け止めるために腕を広げた。
ポフッ
何とも可愛らしい音を立てて僕の胸に抱きついてきたマヤ。早いものでもう小学3年生になる。ちょうど、マヤが産まれてきたときの僕と同じ年齢だ。
「へへっ! シズにぃが帰ってきたら絶対にぎゅ~って抱きついてやろうと思ってたんだ~!」
その愛らしい台詞に、一瞬シスコンの道に目覚めてしまいそうな錯覚を覚えたが、なんとか持ち堪えることが出来た。翠と凛からは、もう十分シスコンだと言われているが、それは気にしないことにしている。
ところで、心も体もどんどん成長していっているマヤだが、何故かここ最近はどんどん甘えん坊になっていってる。どうしようか、このままだと来年度、僕が遠くの大学に行くために一人暮らしするようになったら耐えられない。マヤではなく僕が。
そうやって頭の中で少し先の未来のことを妄想して悶えていると、マヤから、
「どうしたのシズにぃ? どこか具合でも悪いの?」
と、胸に抱きついたまま、下から顔を覗き込むようにして心配そうな顔でそう言われたので僕は、
「いや、なんでもないよ」
と言ってマヤの頭を撫でてやるのだった。さすがに妹離れできるか心配だったなんてマヤには到底いうことはできない。
誤魔化すように撫でた僕だったが、マヤは気持ちよさそうに目を閉じて、幸せそうな顔をしている。
そんな顔を見た僕は、あぁ、もうシスコンでも良いかもしれないと気持ちが傾くのであった。
……どうやら僕は頭の具合が良くないようです。別に勉強が出来ないわけではないですし、偏頭痛持ちであるわけでもありません。ただちょっとだけ妹に関しての部分が壊れかかっているだけなんです。けれども、これは手術をしても治せない不治の病です。
頭の中でシスコンという病気についての考察をしながら、マヤの頭を撫でている手を止めその代わりに両手でマヤを抱っこして居間へと移動するのであった。
時間は過ぎて夕食後、マヤに一緒にゲームしようと誘われた僕はテレビに繋ぐゲームで、アクション系に分類される人気キャラクター達が一堂に会して、そのキャラクター達の世界観をモデルとしたステージ上で戦うゲームを行っていた。
「よっしゃー! また勝った!」
「本当にマヤは強いな」
「だって、シズにぃに負けないようにいっぱい練習したもん!」
8年ほど前に買ったゲームで、昔は男友達ともよく対戦していたんだが、今では勉強に時間をとられたり、小説を書くのに夢中になっていたりしてまるでやらなくなってしまった。
きっとゲームソフトを保管している箱の中で眠っていると思っていたんだが、いつの間にかマヤが取り出していたらしい。
それにしても、いくら自分にも3~4年のブランクがあるとは言え、マヤがとんでもなく強い。こちらの動きを完璧に読み切っている。マヤは何に対しても好奇心を示すので、飽きっぽい性格さえなんとかなればどんなことでも上手くできるだろうとは常々思っていたが、まさかこれほどとは……。恐ろしいまでの才能を感じた。
「メグったらね、これやったらいっつも私の事、あと一発ってところまで追い詰めるのに最後はミスって落ちちゃうんだよー」
メグちゃんっていうのはマヤと幼馴染みの、天然で純粋なおっとりしている女の子だ。マヤとメグちゃんは以心伝心で、お互いに考えていることがなんとなく分かるそうだ。
でもまさかメグちゃんがそんなにゲームが上手いとはな……。あれ、もしかして僕が下手なだけなのか?
ちらっとマヤの方を見ると、大きくのびをしているのが見えた。
「ん~! よしっ! シズにぃにも勝ったことだし、お風呂に入ってくるか!」
どうやらゲームの時間はもう終わりのようだ。妹に負け越して少し悔しいが、これ以上やったところで敗北を重ねる未来しか見えないので、良い頃合いだろう。
「ねぇ、シズにぃ? 今日は一緒にお風呂入らない?」
不安そうにそう尋ねてくるマヤ。これには少し驚いた。しばらく一緒にお風呂なんて入っていなかったのに。
これはいくらなんでもおかしいなと思った僕だったが、さすがに小3になってまで一緒に入るわけにはいかないだろうと考え、風呂には一人で入ってきなさいと言うのであった。
カリカリ……パタン
「ふぅ、これでとりあえずは今日の勉強は大丈夫だろう」
時刻は現在23時30分。1日の学習時間が2時間というのは、受験生としては到底足りるものではないんだろうが、それでも模試の偏差値は志望校を優に超えているので大丈夫だろう。先生にもお前なら大丈夫だろうと、お墨付きをいただいていることだしな。
さて、床に就くかとベッドの布団を捲るとそこには眠たそうに目を擦っているマヤの姿があった。
「……マヤ、ちょっと奥に詰めてくれないか。僕が入りきらない」
風呂の時に続いてこう立て続けに近くに寄ってくるということは、本当に何かあっただろう。それを聞いてあげるのは僕の兄としての役目だろう。
「どうしたいんだい、マヤ? 今日はやけに甘えん坊じゃないか」
マヤは返事の代わりに僕にぎゅっと抱きついてきた。……しばらく待っていると、マヤが口を開いた。
「シズにぃはさ、大学に行ったらこの家から離れちゃうんでしょ?」
「あぁ、確かにここからじゃ通えない距離の大学を目指しているから、一人暮らしをしようと思っているな」
それを聞いたマヤは悲しそうな顔をして、今にも涙を流しそうな程瞳を潤ませている。
「シズにぃがさ、ここからいなくなっちゃうんだと思ったらさ、えぐっ、さみしくて悲しくてさ、ひぐっ、だからシズにぃに思いっきりくっつけばだいじょうぶななるかなって思ってたんだけど、うぅ、やっぱりだめだったよ」
あぁ、なんだ、僕だけじゃなくてマヤも不安だったんだ……。それに気づいてやれなかったなんて、僕は兄失格だな。そう自分を咎めた僕は、なるべくマヤに優しく言葉かけるのだった。
「でもねマヤ、僕はもう二度と帰ってこない訳じゃないんだよ。長期休みの時は毎回絶対帰ってくるし、なにより大学の4年間が終わったらそれからは、僕はずっとこの家にいるつもりだよ。だから大丈夫」
「ほんとう……?」
「嘘じゃないさ、それにねマヤ。マヤも寂しいだろうけどね、僕だってマヤと同じくらい寂しいんだよ。」
これはまごう事なき事実である。
「シズにぃも寂しいの?」
「あぁ勿論さ。だからね、僕が寂しくないようにマヤは手紙を送ってくれないかな? そうしたら、きっと僕も頑張れるに違いないよ。僕もそうしたら手紙を送り返すからね。」
「うん……うん! 分かったよ!」
「よし、じゃあ約束だ」
そういってくしゃくしゃと頭をかき回してやると、もうマヤの顔からは悲しい表情がなくなっていた。
それからマヤと一緒に指切りげんまんをして、そのまま同じ布団で寝るのだった。
「おはよう兄貴!」
朝起きると、開口一番にマヤからそういった言葉がでできた。
「おはようマヤ……えっと兄貴っていうのは何だ?」
「シズにぃが新しいことをするんだったら、私も新しいことをしてみようと思ってね! いいでしょ兄貴!」
まさか、昨日まであんなに甘えん坊だったマヤから兄貴なんてかっこいい言葉がでてくるとは思わなかった。本当に子供ってあっという間に成長していくんだなと心から痛感した。
嬉しいような寂しいような、言いようのない感情に身を任せて頭をガシガシ掻いた僕はとりあえず、
「わわっ! どうしたの兄貴!」
マヤをぎゅ~っと抱きしめるのだった。
ついこの間まで、よちよち歩きの赤ん坊だと思っていた妹がいつの間にか小学校に入学していて、兄離れするような年になっていたんだと実感させられた日だった。
……楽しい日々はあっという間に過ぎてしまうことを考えると、僕は妹が出来てからいままで、毎日が楽しい日々の連続だったんだろうなと、幸せな感情が心の中から溢れ出てくるのであった。
「マヤ、」
「どうしたの兄貴?」
「ありがとう」
「……えへへっ、どういたしまして!」
本当に子供ってあっという間に成長してしまいますよね。私たちの親もそういった気持ちを味わったのでしょうか?
さてまた明日か、早ければ今日の夜にでも新しいお話を投稿する予定ですので宜しくお願いします。
『条河静の日常』第3話、お読みいただきありがとうございました。彼の物語はこれからもまだまだ続きますので、これからもどうぞ宜しくお願いします。