思い出に耽る時間は、記憶に残る出来事の量に比例していると思う
ガタンゴトン
今、僕は列車に揺られている。窓の外を眺めれば、ビルが乱立する都会の人工的な風景から段々と、視界いっぱいに広がる緑が美しい、自然豊かな風景へと移り変わっていくのが感じられる。雪解けもそろそろ終わり冬から春へと変わるこの季節、3月の麗らかな春の日差しはぽかぽかとシートに座っている僕のことを暖めてくれるのであった。
この列車の目的地は、木組みの家と石畳の街。今日僕は、およそ半年ぶりくらいに実家へと帰省するのだ。ただ帰省といっても、もう僕が高層ビルが建ち並んでいる都会へと戻ることはないだろう。
僕と翠が木組みの街を離れてから早4年。同じ大学の違う学部に進学した僕と翠は、4年前のあの日、ラビットハウスで交わした会社設立の誓いを成し遂げるために、大学の合格が決まったときからあちらこちらで奮闘した。凛も手伝ってくれようとしたのだったが当時彼女は受験生だったので、気持ちだけ受け取って勉強に専念して貰うのだった。そうして、偶には後輩にも良いところみせなきゃと翠も僕も頑張った甲斐があり、凛が僕たちと同じ大学に入学してすぐに、無事会社を立ち上げることができたのだった。
……現在この列車の中には、翠も凛もいない。僕だけが一足先に帰省している。何故かというと、二人ともまだ仕事が残っているからだ。その仕事というのは、うちの出版社から初めて出した翠の作品『うさぎになったバリスタ』を映画化しよう! という高校生時代には夢にも思わなかった話についてだ。
『うさぎになったバリスタ』は毎年何十万部と売れるベストセラー小説として、3年前の発売に関わらず未だにその名を全国に轟かせている。そして、その人気っぷりに惹き付けられた数々の企業が、直接こちらにコラボや映画化の提案などをしてきたのだった。
それらの提案をされた当初、僕たちは大学に通いながら仕事を両立させている状態であり、サークルに入る余裕すらない程忙しかったので、この提案を受けてしまったら大学に行くことさえままならないのではないかと感じ、その場ではそれらの提案を全てを見送ることにした。
それでも先方は諦めきれなかったのか、いつでもいいので時間が出来たらこちらに教えて下さい。とありがたいことを言ってくれたので、翠が大学を卒業した後すぐに連絡して、映画化企画を立ち上げるのであった。
……ただし、今の話はつい1週間前のことなので、いくら会社を立ち上げてから敏腕経営者として活躍している凛でも、企画を煮詰めるにはもうしばらくの時間が必要だろう。
そういえば、さっき大学を卒業して……と言ったが、実は僕、大学を中退してしまっている。これは学業不振や出席日数が足りない、といった理由ではなくやむにやまれぬ事情があったのだ。
会社を立ち上げると決めた後、会社の代表は誰にするかという話になったのだが、それは凛が一番適任だろうという僕と翠の意見によって、少し恥ずかしそうにしながらも、任せて下さい! と凛も言ってくれたので、そのまま決定した。
その後、代表は凛に任せるとはいえ、僕も何か出来ないかと一人家でネットを見ながら考えていたところ、とあるサイトで、弁護士になれば行政書士・弁理士・税理士・社会保険労務士の登録もすることが出来る。と大変魅力的なことが書かれてあったので、これだ! と思った僕は、弁護士を目指してその日から受験勉強そっちのけで司法試験の勉強を必死にするのであった。
……弁護士になるには法学部に入って、法科大学院に進まなければいけないと思われがちだが、その他にも司法試験予備試験というものに受かりその後司法試験に受かるという方法もあるのだ。大学院に行くほどにお金と時間の余裕のない僕は、己の頭の良さに感謝しながら死にものぐるいで大学に入ってからも勉強した。
結果として僕は大学2年生の5月に、無事司法試験に合格するのだった。
しかし、弁護士というのは司法試験に合格するだけではなれない。試験合格後1年かけて、法律実務に関する幅広い知識と実技を学ぶとともに、法律のプロフェッショナルとして必要な職業意識と倫理規範についての教育を受ける必要があるのだ。これを司法修習というのだが、この時全国各地に行かなければいけないので、どうしても大学を休まなければいけない。
休学するという手もあったのだが、それで大学を卒業するのが1年遅れてしまっては元も子もないと思った僕は、家族や翠、凛に相談して大学を辞めることを決意した。
しかも、司法修習生は準国家公務員というくくられ方をするので、副業をすることが禁じられている。よって僕は会社を辞める必要があった。こっちが本業だ! と叫びたい気分になったものだが、ここまで頑張った成果を水の泡にするのも癪だったので、泣く泣く会社から一旦解雇されて1年間全国各地を飛び回る僕だった。
まぁ、そこで頑張ったおかげで現在僕はうちの会社の経理や財務を一手に引き受けることができるようになったのだが、あの時は複雑な気分だったものだ。
ちなみに、もしも訴訟が起こったときでも弁護士を雇う必要なく、僕が弁護人となることができる。できれば一生縁のないものでありたいがな。
というわけで大学を辞めて弁護士となった僕だったが、別に弁護士として仕事をするために資格を取った訳ではないので、弁護士として名乗る資格を得たその日に翠と凛の元へと戻り、1年の間で大きく成長していた愛しの我が社に再入社するのであった。
こんな1年間会社を辞めていた僕だが、本業である小説家を辞めた訳ではない。むしろ、翠よりも本を出しているくらいだ。
といっても、翠より売れているわけではないがな……。それでも、『うさぎになったバリスタ』のような化け物染みた記録には遠く及ばないとはいえ、世間からは高い評価を頂いている。ただし、僕が出した本の中で一番高い評価を得ているのは小説ではなく、面白半分で書いた参考書だ。
翠に続き僕も1冊小説を出した後のことだ、三人でホームパーティーでお祝いをしている時に軽い冗談で書いていた参考書を凛に見せたところ、
「条河先生……これ、出版しましょう!」
と、何か良い感じの反応をもらってしまったので、どうにも冗談と言い出せないまま出版する流れとなってしまった。さっき冗談とか面白半分でとか言ったが、書いてある中身は間違いなく本当のことだから安心してほしい。
凛は会社で仕事をするようになった時から、仕事モードに入ると僕のことを条河先生、翠のことを青山先生と呼ぶようになった。でも時々素が出てしまうようで、社外の人が居る前で翠ちゃんやシズ先輩と呼んでしまったことも何度かある。その時の慌てて赤面しながら訂正する凛の姿は、あまりに可愛らしくその後の交渉は、いつもより円滑に進むのだった。
その他に何か変わったこといえば、翠があまりふらふらと出かけなくなったことだろうか。
高校生の頃はいつも凛と、学校全てを使った追いかけっこを繰り広げていた翠だったが、大学に入ってからというものの何かと忙しい毎日だったのでそんな時間を取る暇なく、また凛は翠よりももっと忙しい日々を送っており、過労で倒れたこともあったくらいだったので、そんな凛に気を遣ってか二人が追いかけっこをする日々は終わりを告げたのだった。
今となっては思い出になるが、元気に働いていた凛が崩れるようにして床にぺたんと座り込んだときは本当に焦った。凛は大丈夫だと明るく振る舞っていたが、青白くいかにも具合悪いといった顔をしていたのですぐ病院へ連れて行くと、過労という診断が下された。
大学に行きながら、編集者として僕たちの作品を読み、さらには代表社員として暇を見つけては色々なところへ出向き宣伝活動を行うという八面六臂の活躍を見せていた凛の体には、その小柄な身に合わない重圧が押しかかっていた。
それに気づかず凛に頑張らせすぎてしまっていた僕たちは、凛にしばらくお休みをあげようということで意見が一致し、丁度夏期休業に入ることもあって凛には1ヶ月間実家でゆっくりしてもらうのだった。
この時、翠と僕は4年生で、既に僕は学校を辞めていたこともあり、凛が受け持っていた仕事を全部引き受けたのだが、あまりの激務に、凛はこんなに大変な思いをしながら僕たちを支えてくれていたんだ、という尊敬の念と、倒れるまで仕事をやらせてしまったことに対しての申し訳ない気持ちがわき上がるのであった。
1ヶ月後、会社へと戻ってきた凛は何か決意した表情をしていた。
気になって聞いてみたところ、思いがけない答えが返ってきた。
「私、大学辞めてこの会社に専念することに決めました」
何ということだろうか。動揺しながらも詳しく話を聞いてみると、どうやら1ヶ月の休暇の間に親と話し合って、学業が仕事に支障をきたすようならいっそのこと大学を辞めてしまえばいいという結論に落ち着いたらしい。
いくら何でも仕事が忙しいからって、大学を辞めることはないだろうと言ってみる僕だったが、
「これでも私、3年生なんですよ? 先輩より最終学歴上なんですから!」
と返されてしまい、ぐぅの音もでないのだった。確かに僕は2年生の10月に辞めているから、一つ下の凛に学歴の上では負けてしまっている。それに気づいて内心落ち込んでいると、
「だから、心配しなくて大丈夫です! もう私だって成人したんですから、自分のことは自分で責任持ちますので!」
……これは僕の完敗だな。いや、そもそも凛が決意した時点で勝負にすらなっていない。
一つ下の後輩だと思っていた少女は、いつの間にか僕を追い抜かして成長していたようです。
あぁ、まったく凛は凄いよ。そう思わざるを得ない日でした。
こうして、僕たちは時に笑い、時に泣き、偶に失敗もあったけれど、木組みの街を離れて4年間、三人で支え合いながらやってきたのだった。
思い出に浸っていると、いつの間にか窓の外は、懐かしい幻想的な街の風景へと変わっていた。
「まもなく終点です。どなた様もお忘れ物のないようにお気を付け下さい」
車内に流れるアナウンスは、長いようで短かった列車旅の終わりを告げる。
家に帰ったら、まずはマヤにお土産を渡そうかな? なんて考えながら列車を降りた僕は、軽い足取りで木組みの街の中を、ゆっくりと歩いていくのだった。
「これからまたよろしくな、木組みの街」
故郷というものはいつになっても懐かしいものです。
『条河静の日常』第6話をお読みいただき、ありがとうございました。
次のお話からは、いわば原作のところへ入っていく予定となっております。もしお暇がありましたら、読んでいって下さい。
さて、次回の投稿の話ですが、明日になるか明後日になるかちょっと分かりません。遅くとも明後日の夜には投稿するつもりでいます。
ネタが尽きたという訳ではないのでご心配なく。
こんな小説ですが、これからもどうぞ宜しくお願いします。
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