木組みの街へと帰ってきた次の日、僕は久々の故郷を満喫しようと思い、朝早くからぶらりと散歩に出たのであった。
「この街もずいぶん変わったなぁ~」
時刻はまだ朝の7時。まだ開いている店は数店舗しかなく、通りを歩いている人も少ない。これが何日か前だったならば、学校から離れたところに住んでいる学生が通学する姿がちらほらと見られたのだろうが、あいにく今は春休み。きっと普段から頑張っている学生達は、日々たまった疲れを癒やすためにまだぐっすりと寝ていることだろう。そう、うちのマヤのように……。
昨日、列車に乗ってこの街へと帰ってきた僕は、童話の中に入ってしまったような街並みの中を、お土産や貴重品などが入ったスーツケースをガラガラと引きながら、早く家族、特にマヤに会いたい一心でまっすぐ家に帰った。ちなみに、日課の連絡でこのことを翠と凛に言ったら、シスコンお兄ちゃんとからかわれてしまった……。自覚はしているので許してほしい……。
それで、家に着いた僕は、なくさないようにと上着の内ポケットに入れていた実家の鍵を取り出して扉を開けようとしたのだが、鍵を差し込もうとした瞬間、急に内側から扉が開いた。
「兄貴、お帰りなさい! って、大丈夫!?」
勢いよく開いた扉は鍵を開けようと一歩前に出ていた僕の体を直撃した。丁度取っ手の所がみぞおちに入ってしまい、そのあまりの痛さに悶絶しながらも、僕は心配そうにこちらを見ているマヤに向かって、
「たっ、ただいま」
と言った。しかしそれだけ告げると、僕は我慢をしきれずにお腹を押さえてうずくまってしまうのだった。慌ててこちらに駆け寄ってくるマヤの姿を見た僕は、あぁ、最初っから締まらないなぁ、と自分のあまりに見苦しい状態に向けて自嘲するのであった。
……それから数分たってようやく立ち上がるようになれた僕は、ずっと玄関の前で僕のことをおろおろとしながら待っていてくれたマヤに、
「よし、もう大丈夫だよ」
「本当?」
「あぁ、ありがとなマヤ。それと、ただいま」
お礼と改めてただいまを言うのだった。そして、それを聞いたマヤは僕に向かって、花の咲くような笑顔を見せながら、
「おかえり! シズにぃ!」
と、言ってくれるのだった。……僕がここを離れて以来、僕のことを兄貴としか呼ばなかったマヤが、シズにぃと言ってくれるなんて珍しい。思わず懐かしい気分になりながら、そのことをマヤに指摘すると、
「今日だけは特別なのっ!」
と、僕に抱きついてきた。中学生になってもまだまだ甘えん坊だななんて思いながら、僕の胸に顔をうずくめているマヤの頭を撫でてやると、マヤはえへへ~と言って、顔が見えなくても分かるぐらいに幸せそうにするのだった。
しばらくの間そうして頭を撫でていた僕だったが、このままでは何も出来ないので、名残惜しいがマヤの頭を撫でる手を止め、いまだ抱きついているマヤを引き離した。そして荷物を中へと入れようと、隣に転がっているスーツケースを手に取るのだった。
……ここまでが玄関先、家の中ではなく外での話である。
この後、マヤに買ってきたお土産を渡し、先に送っておいた衣類や生活用品の片付けも終わってほっと一息ついていると、
「シズにぃ、一緒にゲームしよう!」
と、マヤから呼ばれた。手には僕が大学に行く前にも一緒にやった、あのゲームが握られている。もう既にレトロゲーの域に達しているであろうそのゲームだが、マヤにとっては一番のお気に入りらしく、長期休暇の際に帰省した時には毎回一緒にやっていた。
……帰省しても仕事や弁護士になるための勉強で中々時間がとれなかった僕がマヤと二人で遊んだそのゲームは、きっとマヤにとっては大切な品なんだろうと思うのは自意識過剰かな?
「よし! 今日からはしばらく何もないからいっぱい遊ぶぞ、マヤ!」
「そうこなくっちゃ!」
こうしてマヤと数時間にわたるゲーム対決が幕を開けたのだが、結果は惨敗。新しくマヤが買ったらしいゲームは勿論、昔やっていたゲームですらボロ負け。唯一勝てたのは運が絡んでくるゲームだけという何とも情けない結果に終わったのだった。それでも、マヤが終始笑顔で楽しそうに遊んでくれていたからよしとするか。
「は~、今日は疲れたな~」
風呂に入って自室へと戻ってきた僕。早いけど今日はもう寝るかと思い布団に入ると、足の方に何やらもそもぞと蠢く物体があることに気づく。何が居るのかは大体予想が付いたので、ガバッと勢いよく布団を捲りあげると、そこには予想通り既に寝る準備が整っているパジャマ姿のマヤが居た。
「マヤ、一応聞くけどここで何してるんだ?」
「せっかくだし、今日はシズにぃにとことん甘えてやろうと思ってね!」
そう言って、にししっと笑うマヤ。もう、しょうがないなぁ。知り合いからよく妹には甘々だねと言われる僕は、隣にやってきたマヤと夜遅くまで色々なことを話す幸せな一時を過ごした。そしてマヤが話し疲れて眠った後、もう聞こえていないだろうが、マヤにおやすみと言って僕も夢の中へと旅立つのだった。
チュンチュン
……鳥のさえずりに起こされ、眠い目を擦りながら枕元の時計を確認するとまだ朝の6時。普段だったらもう少し寝ているのだが、窓を開けて日が昇ってきたのを見た僕は、せっかく早起きしたんだから朝の散歩に出かけるのも悪くないなと思い、隣でまだぐっすりと眠っているマヤを起こさないように、そっと布団から出るのであった。
こうして散歩に出ている訳だが、朝食も食べずに出てきてしまったのでそろそろお腹が空いてきた。
どこかにこんな朝早くにやっている店はなかったかと、古い記憶を辿りながらぶらぶらと歩いていると、少し先の方にあるお店の前に人が何人か並んでいるのが見えた。
一体何だろうと思って近づいてみると、そこには出来たてほかほかのパンを売っているパン屋さんがあった。
「あれ? ここ昔古本屋だったのに潰れちゃったんだ」
これでも文芸部に所属していて、現在小説家として仕事しているぐらいなので昔から本は好きだった。だから、ここにあった古本屋にはだいぶお世話になったのだが、この4年の間になくなっていたらしい。
この街も変わっていないようで変わっているんだなぁと一抹の寂しさを覚えながら、変わってしまったものは仕方がないので丁度良かったと思うことにして、お腹を満たすためにパン屋へと続く列に並ぶのだった。
朝食を摂った僕は、さすが外まで並んでいるだけあって美味しいなと、またここのパン屋さんへ寄ることを心に決め、あてのない散歩を再開した。
現在時刻は7時半ちょっと前。今日、唯一の目的であるラビットハウスへ行くにはまだ早い。
さて、これからどうしようかと歩きながら考えていると、ふと新しい小説のアイデアが浮かんできて、これは忘れない内にメモしておかなければと近くにあったベンチに座って、最近買ったスマートフォンにポチポチと打ち込むのであった。
「ん~! 流石に肩がこったな~」
大きくのびをして、そう独り言を呟く。慣れないタッチパネル式の文字に戸惑っている内に、いつの間にかかなり時間が経っており、既に時刻は10時過ぎ。これはやり過ぎたなと反省しながら、僕はラビットハウスへの道を歩き始めたのであった。
しばらくどころか、もう4年も行っていないラビットハウス。最後に行ったのは確か高校を卒業した日、凛も同じ大学を志望しているとはいえ、1年間離れてしまうのは間違いないので文芸部最後の思い出として行こうということになって以来一度も訪れなかった。
本当は休暇中に帰省したときには行こうと考えていたのだが、当時はあまりにも忙しくてラビットハウスに行く余裕がなかったのだ。だから今日ようやく行けるのを心の底から楽しみにしていた。
ラビットハウスで皆でわいわいやっていたときのことを思い出し、懐かしい気持ちに浸っていると、兎がコーヒーカップを持っている、あの独特の看板が見えてきた。
久しぶりだったけどマスターは元気かなと思いながら、入り口の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
相変わらずお客さんの少ない落ち着いた雰囲気の店内。またマスターがいつもの渋い声で迎えてくれるはずだと思って入ったのだが、聞こえてきたのは鈴の音色のように透き通った声だった。
そのマスターとは違ったタイプだが、同じように心を落ち着かせるその声を発したのはカウンターの向こうにいる少女だった。
「あの、お客さん?」
「あ、ごめんね。オリジナルブレンド1つで」
まだマヤとたいして変わらないであろう少女が働いていることに驚き、呆然と立ち尽くしてしまった。しかも頭に昔、ここで飼っていたアンゴラウサギを乗せていた。その少女は、僕の注文を受けると慣れた手つきで豆を挽き、サイフォンでコーヒーを淹れてくれた。
「どうぞ」
コトンと、少女の目の前に座っていた僕に一杯のコーヒーが差し出される。ありがとうと一言お礼を言ってカップに口を付けると、口の中には調和のとれたコクのある、マスターが淹れるのと遜色ない味が広がった。
カップを口から離しほっと一息つくと、僕はその少女に気になっていたことを聞いてみた。
「ところで、ここのマスターさんはお留守かな? それと君は……?」
「私はチノです。ここのマスターの孫です」
そうか、あのマスターのお孫さんだったのか。どうりでこんなに落ち着いた雰囲気を醸し出していたんだな。そう一人で納得していると、その少女、チノちゃんは続けて、
「……祖父は去年亡くなってしまいました」
……一瞬思考が固まってしまった。そうか、マスターは亡くなってしまったのか……。生きとし生けるものは皆死んでしまうのが自然の摂理なんだとは分かっているが、一言お別れぐらい言わせてくれたって良かったのに……!
いや、それは僕が悪いんだ。もっと前にここに来ていれば、もっとマスターとお話ししていれば! そうしたら、葬式にだって行けたかもしれないのに……。
心が張り裂けそうなほど悲しくなった僕は、気がつけば目から涙が零れていた。
「あ、あの、お客さん大丈夫ですか!?」
僕が突然泣き出してしまったことに慌てふためくチノちゃん。悪いことをしてしまったなと思い、袖で涙を拭って、
「大丈夫だよ」
と、笑いかけるのだった。それでもチノちゃんはなお心配そうにしているので、少しだけ昔話をすることにした。
「……昔、といっても4年位前のことなんだけどね、当時高校生だった僕はこの喫茶店が好きで、よく来てたんだ。一人で来るときもあったけど、部活の皆と一緒に来たりもしてね。それで、マスターにはいつもお世話になっていたから、知らない間に亡くなっていたって知ってちょっと寂しくなったんだ。大人なのに人前でぼろぼろ泣いちゃうなんて、笑っちゃうよね」
やや自嘲気味にそう言った僕。チノちゃんは急に語り出したことに驚いているのか、目を見開いている。ちょっと恥ずかしくなってきたので、アンゴラウサギ、そうだティッピーっていう名前だったな、の方を見てみると、驚いたことに泣き出している。
そういえば『うさぎになったバリスタ』では、マスターは兎になっていたな。そんなことをふと思い出して、無駄とは分かっていながらもティッピーに向かって、
「もう、そんなに泣いちゃってどうしたんですか。マスター」
と、呼びかけてしまった。場を紛らわす冗談にしては、ちょっと分かりづらかったかなと思ったので、冗談だよと言おうとすると、ティッピーとチノちゃんが驚きながら、
「「なんで、分かったんじゃ!(ですか!)」」
と言ってきた。え? 兎が喋った?
「相変わらずお前さんは感の鋭いのぅ~」
しかしこの渋い声といい、この言い方といい、これではまるでマスターのような……。まさか、本当にマスターが兎に化けているというのか?
「それにしてもシズ。久しぶりじゃの。」
「マスター? ほ、本当にマスターなんですか?」
「ああ、何故か、亡くなった後に人格がティッピーに乗り移ってしまったようなんじゃよ」
……事実は小説より奇なり。まさかこんな事が現実で起きてしまうとはな。でも、またマスターに会えて良かった……。
「マスター……ただいま帰りました」
「あぁ、お帰り」
優しい声でマスターは僕に言ってくれたのだった。
その後、マスターと僕はラビットハウスがバータイムになるまでの間、積もりに積もった話を長々と話すのだった……。
カランカラン
シズが帰った後の店内。チノとティッピーは彼について話をしていた。
「おじいちゃん、あの人が昨日言っていたシズさんなんですか?」
「あぁ、それにしてもあやつも青山も立派な小説家になったもんじゃなぁ……。まさか『コーヒーで学ぶ数学』を書いたのがあの小僧だったなんて」
「えっ、それじゃあ、あの人ってマヤさんのお兄さんだったんですか! ど、どうしましょう。私ちゃんと接客できていたでしょうか」
少々狼狽えているチノ。それを見たティッピーは、笑って、
「大丈夫じゃよ、あやつはチノのことを褒めておったぞ。まだ中学生なのに偉いなと」
「そ、そうですか。ほっとしました」
そう言って胸をなで下ろすチノ。マヤさんの言ったとおり、優しい人だったなと、心がちょっとぽかぽかしながらラビットハウスの片付けをするのであった。
これから先もシズはラビットハウスに通い続けるだろう。
ラビットハウスは高校生の時とは変わってしまっている。でもそこには変わらない美味しさと、姿が変わってしまっても暖かい人、それに祖父のことを敬愛しながら働く、心優しい少女がいる。
だから、通い続けるのだ。
私の子供の頃の話ですが、好きだった蕎麦屋さんが潰れてしまったことがありまして、それを知ったときには悲しくて、人目も気にせずわんわんと泣いてしまったことを覚えています。幼稚園に通っていた頃だったでしょうか。
『条河静の日常』第8話をお読み頂き、ありがとうございました。
次回の更新は明後日だと思われます。ちょっと2回、明後日に投稿すると言いながら次の日に投稿しているので確信は持てませんが……。
また、皆様お気に入り登録や感想・評価をして頂き、大変ありがとうございます。
これを見て、自分もまだまだ頑張らなきゃなと思う次第であります。
どうか、これからもこの『条河静の日常』を宜しくお願いします。