「うぅ~……。今日は一段とさっみーな……」
季節が秋から冬に移り変わろうかという時期。
既にこたつを出してぬくぬく生活を決め込んでいた竜胆は、外気に晒されて寒暖差に思わず身を震わす。
その足取りはぎこちなく。だが、これから行われるイベントの事を考えれば多少軽くなった。
毎年行われる遠月学園の一大イベント――月饗祭。
竜胆からしてみれば美味い料理を沢山食べられる……程度ではあるが、その魅力は何と言っても 若き遠月生の料理を誰でも食べる事ができる点であろう。
一番の目玉は勿論、遠月十傑の料理。
卒業到達率が1%にも満たない遠月で、更に厳選された生徒のみが許された領域。将来が約束されているも同然で、そのほとんどが例外なく料理界に名を残していることからも、一足早くその料理を味わってみたいと誰もが考える。
また、この遠月学園は原石の宝庫だ。
中等部生も数多く参加するこの月饗祭は、現段階で注目されておらずとも、将来プロになる可能性を秘めた者は多い。
そんな未来の十傑候補を見つけようと、注目株が集まる山の手エリアのみならず。目抜き通りエリアや中央エリアにも一般客に紛れ、お忍びで食の重鎮が食べ歩くというのはよくある話だ。
事実、この月饗祭が切っ掛けでプロになった者も多く。生徒にも客にも、双方に利益がある。故に、遠月生でありながら月饗祭に出店をしないというのは、寧ろ少数派だ。
そんな少数派の一人である竜胆は、客側として毎年参加している。
今年の彼女の目標はいつもと同じ様に、全店舗を制覇すること。そして今日は月饗祭が始まってから五日目――つまりは最終日。
実は既に、全店舗を制覇し目標は達成している。
だから今日は新作料理が出ていないか適当に見て回って、今注目されている照紀と創真の売上勝負を見届けようと考えていた。
そしてその後は――。と、そこまで考えた所で、竜胆は隣を歩く青葉を見た。
「なぁ青葉。今日ぐらいはさ。最終日なんだし、私……今まで頑張ったから……」
「ダメです」
「うっ……。でも、今日で他のメンバーも最終日で戻ってくるから……」
「今日で終わるからこそ、疲労が一気に出るんですよ。それに、まだ片付けとかもあるんですから、休ませてあげる為にも今日こそ頑張るべきじゃないですか?」
今回の月饗祭で出店していない十傑には竜胆ともう一人、青葉がいた。
そして十傑――遠月十傑評議会とは、学園の最高意思決定機関。当然、この月饗祭を運営しているのは十傑である。
何が言いたいかというと、仕事をしなければならない。そうでなくとも、日夜十傑が整理しなければならない書類というのは溜まっていく。
月饗祭が行われている今現在。手が空いている十傑は竜胆と青葉のみ。
先程の二人の会話はつまり……そう言う事である。
……竜胆には仕事が分からぬ。竜胆は、遠月学園の十傑である。定例会の席に着き、青葉お手製のお菓子を食べながら内容は聞き流してきた。けれども割り振られた書類の山に対しては、人一倍に敏感であった。
竜胆は基本的に、十傑の仕事を司に
――あれは、月饗祭初日の出来事。
同じ十傑のメンバーで出店をしていない青葉に、竜胆は一緒に回ろうと声を掛けたのだ。
それまでの竜胆から見た青葉の評価は、瑛士のような人物。温厚で優しい仲間だと思っていた。
だが、その評価が彼女の中で一変したのは言うまでもない。
何故なら瑛士は自分の仕事を
逃げようとも考えた。しかし今の季節、森で夜を明かすのは厳しい。どこかの施設に隠れてやり過ごそうとも考えたが、結局はダメだった。
――竜胆先輩。逃げたらどうなるか、分かってますよね?
青葉がやる時はやる男だと、そう竜胆が実感した瞬間だった。
「何で私が……」
それでもやはり、やりたくないとごちてしまう。
「新聞部の人達が手伝ってくれるとは言え、各店舗の売上集計やフードチケットの整理とか、他にも色々あるんですからね」
「分かってるけどさ」
分かっている。もう身に染みて分かっている。
けれども、やりたくないものはやりたくないのだ。
そんな子供のような反応をする竜胆を見た所で、青葉は切り出した。
「まぁでも。今日ぐらいはいいですよ」
「……え?」
「竜胆先輩が頑張っていたのは ちゃんと見てましたし。新聞部の人達とも話は付けて、昨日の内に大体は終わらせてあります。だから今日は、ゆっくり楽しみましょう」
働いたらその分、休みも必要だ。
そして誰よりも、青葉がその頑張りを認めたかった。
「ありがとう青葉ー!!」
「ちょっ! 竜胆先輩!?」
感極まった竜胆が青葉に抱き着く。
ただでさえ十傑の二人は目立つというのに、道端で突然そんなことをすれば余計に目立つのは必然。
何とか竜胆を引きはがすも、その時には既に多数の生徒に目撃されていた。中にはスマホを構えている者もおり、撮影された可能性もあるだろう。
「そんじゃ行こうぜ!」
だが竜胆は特に気にした様子もなく、上機嫌のまま青葉の腕を掴んで歩き出す。
青葉も終わった事は仕方ないと付いて行った。
「それで、今日はどうするんですか?」
二人の月饗祭は基本的に青葉が竜胆に合わせている。
昨日までは全店舗制覇を目的に練り歩いていたが、それも達成した。
「今日は取り敢えず目抜き通りから順に新作をチェックして、久我と幸平の売上勝負でも見に行く予定だ」
「了解です……っと? ……あー、その前に、一回もも先輩の所まで行ってもいいです?」
「うん? いいけど、何でだ?」
スマホを取り出した青葉が苦い顔をしながら提案し、竜胆に画面を向けた。
「ちょっと、機嫌を損ねちゃったみたいで」
そこに映っていたのは先程、竜胆が青葉に抱き着いた瞬間の写真と。
【青にゃん。これは何かな?】
と言う、ももの個人メッセージだった。
〆〆〆〆〆
月饗祭 最終日。
初日に赤字を出し、だが四日目の売上で照紀に勝った創真だったが。前半で伸び悩んだこともあって、通算の売上金額では追い付けないかと日の暮れ始めた空を見て思った。
「頑張ってるなー幸平創真。でもその様子じゃ、通算の売上で勝つのは無理そうだな」
「おー、竜胆先輩。それに青葉も」
創真の予定では三日目までは健闘し、四日目で圧勝してそのまま通算売上で勝つと言う大雑把なものだった。
今日最後の
初日から味にはそこそこ自信があった。
と言っても、えりなに幾度も試食してもらって「及第点」と評されたモノだったが。
じゃあもっと詳しくアドバイスしてくれよと頼んでも、それでは模倣にしかならないと突っぱねられてしまった。
――アドバイスした所で、それは私の限界に過ぎないのよ……。
恐らく本人は聞かせるつもりはなかったのだろうが、その独り言は確かに創真の耳まで届いていた。
そこから久我照紀というネームバリューと実力に苦戦しつつも創意工夫をし、仲間の力も借りて何とか今日まで来ることができた。
「そうだ幸平。屋台閉めたら一緒に行こうぜ、司瑛士の模擬店」
「まじっすか」
唐突な竜胆の提案に息を呑む。
遠月十傑 第一席である司瑛士の料理。興味が無い訳がない。
「青葉も当然来るだろ? 私の奢りだぜ」
「お誘いありがとうございます。でも、今日はちょっと遠慮しておきます」
当然承諾されると思っていたのにと、首を横に振った青葉を意外そうに竜胆は見つめる。
「今日はもう十傑の仕事はないはずだろ? それとも実はあるのか?」
少し心配そうに問いかける竜胆に、違いますよと青葉は微笑んだ。
「今日は、久し振りに母さんと会えるんです」
〆〆〆〆〆
「遠月茶寮料理學園……。ここに来るのも随分と久し振りだわ」
「うむ。まさかもう一度、戻って来るとはの」
リムジンの車窓から見える景色。そこは二人にとって、良くも悪くも様々な事があった場所だ。
期待と不安。二人の女性はどちらも同じ感情を抱え、そして同じ目的の為にここまで来た。
――果たして我が子は、元気にしているだろうか。
「青葉……」
「えりな……」
〆〆〆〆〆
――月饗祭もいよいよ大詰め。
最終日の夜。目抜き通りエリアと中央エリアは既に店じまいが行われているのに対し、山の手エリアはこれからが本番と言わんばかりに 煌びやかに輝いている。
その内の一つ。山の手エリアで通算売上二位である薙切えりなの模擬店では、残すところ後一組の予約客を待つのみとなっていた。
「えりな様、もうすぐ月饗祭もフィナーレですね。ご予約のお客様は残り一組だけなので、最後まで頑張りましょう」
「ええ、そうね」
後一組。結局あの方――才波様はいらっしゃらないのだろうかと、今回の月饗祭で最後まで空席だった席をえりなは眺めた。
出会いは子供の頃。若菜がえりなの専属料理人となって間もない時だ。
若菜の事は勿論尊敬しているが、一度だけ食べた才波様の料理はやはり より印象深い。
今だからこそ分かる。才波様も、遥か高みに存在する料理人だったのだと。そして可能であればもう一度、あの方の料理を――。
「いらっしゃったみたいですね。お出迎えしましょう」
僅かな期待を胸に、えりなは緋沙子と共に来店されたお客様の元へと向かう。
入って来たのは二人。けれど、どちらも女性だ。
才波様ではないかと少し気落ちしながらも、最後まで全力でもてなそうと切り替える。
そしてお客様の顔を見て、声を聞いて、えりなは驚きに目を見開いた。
「久しいのう、えりな」
「わー。えりなちゃんだ。緋沙子ちゃんも大きくなったねー」
「お母様!? それに、若菜さんも!?」
驚きのあまり、予想以上に声が出てしまった。
会話を楽しんでいた他の客も何事かと視線を向け、その道を行く食の重鎮たちが口々に言葉を漏らす。
「お母様。と言う事はもしや、薙切真凪……養生していたはずでは」
「それだけやない。現遠月十傑の名を見てまさかとは思っとったが、あの見覚えのある風貌。それに若菜っちゅーことは、あの伝説の!?」
ざわつく店内に、えりなは軽率だったと思い 頭を下げる。
事前に来店すると聞いていればこうはならなかっただろうが、あまりにも唐突だったので仕方ないだろう。
「お客様。突然大声を出してしまい、申し訳ありません。最後までディナーをお楽しみ下さい」
一先ず緋沙子が二人をテーブルへと案内する。
本来であればコース料理を作る為、えりなは厨房へと入るのだが、今回はその後を付いて行った。
最後のお客様と言うのもあるし、何よりえりなは真凪の体質をよく知っているからだ。
今の自分が料理をお出しした所で、お母様の口には合わないだろうと。
「お前も座るがよい。予約しておいて何だが、料理を用意する必要はないぞ。ゆっくり話そうではないか」
「お母様……。その、お体の具合は……」
「あぁ。今ではこの通り。全て若菜のおかげじゃ」
それを聞いて、えりなはやはりかと思うと同時に、ホッとした。
薙切真凪。その正体はえりなの実の母親にして、もう一人の神の舌。薙切家では代々神の舌を持つ者が生まれる。しかし、二代続けてと言うのは例が無かった。
そして神の舌は例外なく、皆が料理に絶望する。えりなの知る真凪も、並大抵の料理では口にすらできず、プロと称される料理人の品でさえ喉を通らないはずだった。
それが今、血色が良くしっかりとした足取りで歩けているというのは、余程の事がなければあり得ない。
絶望した神の舌に対し、ここまで回復できる料理を提供する技量。今の自分では、そして大抵の料理人では不可能なそれを可能とする若菜は凄いと、えりなは改めて思った。
「時にえりなよ。若菜の息子である芳賀青葉という男を知っておるか?」
「はい、それは勿論。今は同じ屋敷で暮らしています」
久しぶりの再会で柄にもなく緊張し、喉が渇く。
そこへ丁度、緋沙子が紅茶を運んできてくれたので、えりなはこれ幸いと口に含み――。
「ならばもう、初夜はすませたのか?」
「――――ッ!!」
狙っていたのではと疑いたくなるようなタイミングで真凪に言われ、吹き出すのを何とか堪えたものの、激しく咳き込むえりな。
「真凪さん。それは直球すぎますよ」
「よいではないか。それにこの反応では、まだのようだしの」
「しょっ、初夜って! 私と青葉くんはまだ夫婦じゃありません!」
「おや、まだとな?」
「あらあら。えりなちゃんもすっかり乙女ね~」
「言葉の綾ですっ!」
からから笑う真凪に、頬に手を当てる若菜。弁明するえりなに、顔を真っ赤にしながら控える緋沙子。最早、周囲の客などお構いなしだ。
「悪かったな、えりな。だが良い案だと思うぞ? まだこの眼で見なければ断定は出来ぬが、青葉は神の舌の救世主――神の手じゃ。関係を深めれば、確実に絶望する未来は防げる」
「……神の手など、聞いたことがありません」
「確かに。だが現に、こうして神の舌が回復しておる。この様な事例は、過去に一度も無い。それが何よりの、神の手が存在する証拠じゃ。――それとも、あれかの?」
「その身を捧げ、共に歩むだけの価値ある男を、他に見つけたのか?」
その時だった。扉が開け放たれ、えりなにとって見覚えのある二人の男子生徒が入って来たのは。
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