いや、本当はもっと亀更新のはずなんですけどね……。
広い屋敷の中。その部屋だけは、他から隔離されているかの様に存在する。
長い廊下の先にある扉を押し開けると、暗闇に光が差し込む。この部屋には窓がない。そう思う度、少し息苦しく感じる。
けれども中へと歩を進め、中央のテーブルの上に設置された蝋燭に火を灯す。
――これで明かりが確保できた。
扉を閉めると、蝋燭の淡い光が辛うじてテーブルの周りを照らし出す。
そして蝋燭と向かい合うように席に着いた少女、薙切えりなの顔もまた 映し出された。
テーブル、蝋燭、ナイフやフォークといった食器類。そして屑籠。この部屋には、それだけしか置かれていない。
蝋燭の灯りを暫く見つめていると、後ろから扉の開く音が聞こえる。
けれど 振り向くことはしない。
一歩。また一歩。
そしてえりなの隣に立った者は、手に持っていた皿をテーブルの上に置いた。
ナイフとフォークを持ち、皿に乗せられたソレを口へと運ぶ。
人間には『視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚』の五感がある。
その中でも情報を知覚する時に最も使うのが視覚だ。その割合は全体の八割。料理に関わる味覚・嗅覚は、全体の一割にも満たない。
では、視覚情報が限りなく少ない状態ではどうなるのか。蝋燭一本しかないこの部屋において、えりなの味覚は……嗅覚は……より一層 研ぎ澄まされたものとなる。
――不味い。
たった一口。えりなが皿に乗ったソレを評価するのには、それだけで充分であった。故に、躊躇いなくソレを屑籠へと捨てる。一級品と称される、最高級の食材をふんだんに使ったソレをだ。
不味い。つまりこれは餌だ。餌は屑籠へ。そうしなければ、お父様に怒られる。
またドアが開き、ソレが机に置かれ、屑籠へ。
ドアが開き、机に置かれ、屑籠へ。
開き、置かれ、屑籠へ。
不味い。不味い。不味い。不味い。不味い! これは餌だ! 餌は屑籠へ。私は人間だ! 餌は家畜の食べ物だ。だから私は……。
一口食べ、その美味しさに思わず手を止めた。
ゆっくりと後ろを振り向けば、決まって彼女が立っている。芳賀若菜。薊が雇い、えりなの幼少から料理を作ってくれる料理人。
専属ではないが、その付き合いは長い。
初めて会ったときはそう、まだアリスと一緒に過ごしていたあの頃だ。
あの時は楽しかった。若菜はいつもお昼前に現れ、昼食と間食、夕食を作ってくれた。雑談に花を咲かせることもあった。どうすれば美味しい料理が作れるかと問うこともあった。アリスと料理対決をした時には、審査員をしてもらうこともあった。
そう言えば、北欧へ行ったアリスは今どうしているのだろうか? 手紙を書いてくれると言ったのに、あれから一度も手紙は届かない。
私と喧嘩したから? 私を嫌っていたから? 私がアリスの料理を不味いと言ったから?
アリスのあの言葉は、全部嘘だったの?
視界が歪む。
頬に何かが伝っていると気付いた時には、若菜に優しく抱き締められていた。
温かい。いつまでもこの感覚を味わっていたい。だけど、やることがあるから。
若菜を軽くを押し退け、テーブルに置かれた料理を食べきり、空になった皿を渡す。
部屋にはまた、えりな一人となった。
後ろでドアの開く音が聞こえると、また一皿 テーブルに置かれたソレを食べる。
不味い。つまりこれは餌だ。餌は屑籠へ。そうしなければ、お父様に怒られる。
またドアが開き、ソレが机に置かれ、屑籠へ。
ドアが開き、机に置かれ、屑籠へ。
開き、置かれ、屑籠へ。
不味い。不味い。不味い。不味い。不味い! これは餌だ! 餌は屑籠へ。私は人間だ! 餌は家畜の食べ物だ。だから私は……私は……。
――どうすればいいの?
〆〆〆〆〆
朝。
柔らかなマットレスとふかふかな羽毛布団に包まれ、意識が覚醒した青葉は目覚まし時計を見る。
時刻は朝7時。目覚ましのセットはしていないが習慣となっており、いつもこの時間までには体が起きてしまう。
だが、起きるといっても本音はまだ寝ていたい。このまま体を預けてしまい、二度寝をすればさぞ気持ちいいだろう。
が、今日は生憎と予定があった。
二度寝をしたい気持ちを振り払い、モゾモゾとベッドから這い出すと外出用の衣服に着替える。
「母さん おはよう」
「おはよう 青葉。冷めない内に食べましょう」
居間に入るとエプロン姿の若菜に挨拶し、テーブルに着く。
ホカホカの白米に卵焼き。お味噌汁や鮭の塩焼きなども付いたバランス良い温かな朝食。
青葉にとって当たり前な朝食を終えると、今日の予定について二人は話し始める。
「今日だよね。俺が母さんの仕事場についていくのって」
「そうよ。お迎えがもうじき来るみたいだから、ちゃんと準備をしておいてね」
今日は青葉が若菜の仕事場に行く日だ。
そこで若菜の雇い主である薊、そしてその娘であるえりなに料理を振る舞う。
3歳の誕生日から決まっていたことではあるが、遂にこの日が来たかと実感する。まだ実際に会ったことはないが、美食至上主義であるという薊やえりなのことは既に若菜から聞いていた。
果たして自身の料理が二人を満足させるものなのか。料理を若菜以外に振る舞うのも初めてであり、青葉は少し緊張していた。
「俺の料理……美味しいって言ってもらえるかな」
「慣れない環境かもしれないけど、いつも通りやれば青葉なら美味しい料理を作れるわよ」
キッチンにある誕生日に貰った包丁をケースに入れると、インターホンが鳴る。
どうやらお迎えが来たようだ。最後に改めて身だしなみを確認し、家を後にする。
玄関の前にはサングラスと黒服に身を包んだ男。そして如何にも高級そうな外車が止まっていた。
「若菜様、青葉様、お待ちしておりました。本日運転を務めさせて頂く者です。どうぞ お乗りください」
「ありがとう」
慣れた動作で車に乗り込む若菜に続き、ドアを開けてくれた人に軽く会釈をして青葉も乗り込む。
中には広々としたソファが広がり、備え付けのテレビモニターや透明なガラステーブルにグラスと飲み物が置かれている。
ふと窓の外を見れば、いつの間にか景色が流れ走り出していた。振動もなく、ソファの座り心地も快適だ。
暫く二人で談笑し、目的地まで後少しと言うところで若菜は改めて青葉を見た。
「さて……突然だけど、青葉に伝えないといけないことがあるわ」
先程までとは打って変わり、真剣な表情をした若菜。
それに答えるように、青葉も気を引き締める。
「どうしたの?」
「えりなちゃんの事なんだけど――」
そこで若菜は、初めて薊とえりなの現状について話した。
曰く、薊はどうしようもなく美食至上主義であると。
娘であるえりなに閉鎖的空間で料理を食べさせ、英才教育を行う。
多くの者にとって、それは普通ではないと感じるだろう。
けれど、薊にとってはそれが普通なのだ。愛する我が子を、自身の思う料理人へと育て上げる。いや、薊の思う自称料理人にならないように教育しているというべきか。
それ程までに薊の中には完成された料理人とその料理があり、今の世にある料理の多くはそれに反していた。
「でも、ここにえりなちゃんの気持ちは一切考慮されていないわ。例え、えりなちゃん自身や他の誰かが反論しても、薊さんは この世界に毒されているからそう考えてしまうんだ。だから本当の美食を教育してあげなければならない って言いそうだけどね」
「じゃあ、えりなちゃんは今も?」
「そうね……。きっと、薊さんの教育を受けていると思うわ」
――だから。
「だから青葉には、えりなちゃんを救ってほしいの。ただ薊さんから引き離すだけだと、彼女はずっと囚われたまま。青葉の料理で二人を認めさせ、彼女と友達になって寄り添ってあげてほしい」
車が止まる。ふと窓の外を見れば 立派な屋敷が建っていた。目的地に着いたのだろう。
普段は閉じている鉄格子の正門。その前に車を停めた運転手がドアを開けてくれる。
促されるまま外へ出ると、青葉と若菜を迎える為に立っていた男が此方に話しかけてきた。
「ようこそ、僕の薙切邸へ。そしてお久し振りと言った方がいいのかな、芳賀青葉くん」
身長差で見下ろされるその姿は威圧感があり、何処と無く近寄りがたい雰囲気がした。加えてその男の青葉を見る目は、歓迎というよりも興味に近いだろうか。
お久し振りと言われて記憶の中を探るが、少なくとも青葉はこの男に出会った覚えはない。
「薊さん。確かに青葉と会ったのは二回目だけど、それはこの子が生まれて直ぐの頃でしょ」
返事に困っている青葉を見て、すかさず若菜が補足してくれる。
「フフフ。流石に覚えてはいないか。だけど、初めましてというのも何か違うと感じてね。決して 意地悪するつもりではなかったんだ」
クツクツと笑い、膝を曲げて青葉と視線を合わせると右手を差し出す。
一瞬何事かと思ったが、それが握手をする行為だと気付き、手を差し出した。
温かみのない、冷たい手の感触が伝わってくる。
「では初めましてと言うことで、自己紹介をしておこう。僕の名前は薙切薊。いずれこの世界に、真の美食を広める者だ」
薊はそう言い放ち、ニコリと微笑んだ。
〆〆〆〆〆
薊に屋敷を案内される中、話題に上がるのはやはり青葉について。そして同じ年頃のえりなについてだ。
「今日は青葉くんの料理が待ち遠しくてね。僕のえりなに勝る子はいないと思っているが、若菜の子ならもしかしたらと期待する気持ちもあるんだ。えりなの料理を食べたことがある若菜は、青葉くんの料理と比べてどちらが美味しいと思っているんだい?」
「当然、青葉の料理の方が美味しいです」
「ふっ、即答か。だとすれば 非常に楽しみだけどね」
その会話は非常に穏やかなものであった。
薊はえりなを悪いように扱っているのではなく、本当に大切にしているのだろう。少なくとも、それは薊の中ではだが。
「薊さん。えりなちゃんは何処にいるの?」
確認も込めて、青葉は先程から姿の見えないえりなの居場所を聞いてみる。
「えりなは今も仕分けの最中だろう。彼女も今日の主役だから、案内を終えたら連れてくるよ」
それに対し、にこやかに薊は受け答えした。
だがその言葉の節々に、どこか不穏な気配を感じさせられる。
“仕分け”というのが何を表しているのか。その意味を薄々感じながら、後を付いていく。
招かれたのは広い部屋だった。中央に置かれた白いテーブルクロスの掛かった長机と並べられた椅子。机には蝋燭が三本立つキャンドルスタンドが複数設置されており、天井から下がるきらびやかなシャンデリアと合わさって、幻想的な空間を作り出していた。
この屋敷の食堂とみて間違いないだろう。
薊はチラリと腕時計を確認し、此方へと向き直る。
「少しここで待っていてくれ。今からえりなを連れて来よう」
部屋には青葉と若菜の二人が残された。
若菜は軽く息を吐き出し、呼吸を整えてから声を掛ける。
「青葉。今から薊さんが連れてくるのが 薙切えりな。あの人の娘よ。私は普段から料理を振る舞っているから大分心を開いてくれているけど、青葉には冷たく接するかもしれない。だけど許してあげて。そして出来ることなら、あの子と友達になってほしい。これから料理を作るのは青葉だから、判断は任せるわ」
その言葉から間もなく、先ほど潜った重厚な両開きの扉が再び開かれる。
そこにいたのは薙切薊。そして、その隣には青葉と同い年ぐらいの身長の少女。
髪は光の当たり方で金色にも薄茶色にも見えるロングヘアー。発育はまだしていないが、顔のパーツを見れば将来有望な容姿を手に入れるだろうことが分かる。
だがその顔は暗く、覇気がない。
若菜の姿を見つけ、僅かに顔が明るくさせたのも束の間、その隣に立つ青葉を見て 顔を俯かせる。
「挨拶しなさい」
薊に促され、少女は一歩前に出ると両手で軽くスカートの裾を持ち上げ頭を下げる。
「若菜さん、いつも有難う御座います。そして初めまして、芳賀……青葉さん」
「えりなちゃん、そんなに畏まらなくていいわよ。青葉は年下なんだし、気軽に下の名前で呼んであげて」
「……分かりました。よろしくお願いします、青葉くん」
えりなは一度薊に目配せし、改めて頭を下げる。青葉もそれに続き、自己紹介を返した。
見たところ、えりなに決定権はないように思える。事あるごとに薊に確認を取り、その様子はどこか怯えているようだ。
「では青葉くん。今から料理を振る舞ってもらうんだが……何か聞いておきたいことはあるかな? 調理場所や食材は、此方で最高のものを用意しているから気にしないでくれ」
青葉はえりなを見る。
その表情はとても5歳の子供がするような表情ではない。笑顔を見せたのは若菜を見たときだけ。
今 青葉に向けている申し訳なさそうな顔は、一体なんなのだろうか。
「では、薊さんやえりなちゃんは何が食べたいなどのリクエストはありますか?」
「ふむ……僕は特に無いかな。えりなは何かあるかい?」
えりなは口を開こうとし、けれど つぐみながら。数瞬の後、漸くその言葉を発した。
「…………青葉くんの
いい加減な料理で、不味いなんて言いたくない。
つまり、いい加減でなくとも不味いと言う様にも聞こえる。
いや、実際そう言ったのだろう。
えりなは美食家だ。何より若菜の料理をほぼ毎日食べている。加えて『神の舌』と評される味覚の持ち主が、たかが4歳である青葉の料理を美味しいと感じられるのか?
普通に考えれば否だ。
何十年と研究して完成させたプロに、4歳の子供の料理が勝るはずがない。そのプロですら、えりなの舌を満足させられない者もいるというのに。
そして、そう発言したえりなを見て理解した。
先程から見せている何処か申し訳なさそうな顔。それは若菜に対して向けているものだ。支えられ、お世話になってきたのに、その子供である青葉の料理を不味いとこれから告げるのだから。
「リクエスト、承りました」
「…………」
「俺の出せる、最高の必殺料理で 必ず美味しいと言わせてみせます」
不味いなんて言わせない。言わせるわけにはいかない。
何よりも、食べる前から不味いと決めつけているのが気に入らない。子供だから? 料理の経験が浅いから? そんなものは関係ない。
ならば振る舞おうじゃないか。『神の舌』に美味しいと言わせる料理を、この手で。
「では、厨房に案内しよう。付いて来たまえ」
薊に先導され、青葉は一人 厨房へと向かう。
暫く廊下を歩き、辿り着いた厨房を見渡して少し違和感を持った。
並べられた作業場や調理器具など。その全てが本来の大きさより一回り小さい。
少なくとも、市販されているようなものではないだろう。
「ここは普段、えりなが使っている専用の厨房だ。子供用に特注してあるから、君にも扱いやすいだろう。各種食材は最高級のものを最高の状態で用意してあるが、もし何か欲しいものや分からないことがあれば、そこにいる使用人を使ってくれたまえ」
えりな専用の厨房。
そんなものまであるのかと半分呆れながら、食堂へと戻る薊に礼を言う。
いちいち台を移動する手間が省けて楽なのは事実だ。
冷蔵庫や作業台に用意された食材はどれも一級品。芳賀家にはスーパーで買った食材も多いが、ここにはそれが一切ない。
これで仮に不味い料理を作れば、食材のせいにはできない。いや、薊の事だ。食材が最高の物でなければ、最高の美食は出来ないと考えているのかもしれない。
青葉は唯一この厨房にない、誕生日の時に貰った包丁をケースから取り出すと柄を握り、研ぎ澄まされた刃を見て振る舞うべき料理を考える。
今回は初めて若菜以外に振る舞う料理。そして、何か調理に制限があるわけでもない。
美味しい料理を作って納得させる。
……いや、ただ美味しい料理を作るだけではダメだ。それに、青葉が真に料理を振る舞うのは薊ではない。薙切えりなだ。
薙切えりなに美味しいと言わせ、その冷たく閉じてしまった心を引き戻す。そんな温かな料理を……。
「えりな様は普段、仕分けと称されて様々な料理人の得意料理を口にしていますが、その関係で食は肉や魚に偏り、精神もかなり疲労されています。良ければ参考にしてみてください」
声がした方を向けば、そこには薊の言っていた使用人が立っていた。
今まであまり意識をしていなかったが、よく見ればその容姿はえりなと同い年ぐらいの少女だ。
淡いピンク色の髪を襟首まで伸ばし、その真剣な表情とえりなの事を様付けする姿勢は、どこか大人びて見える。
教えてくれた情報に感謝し、再度青葉は思案する。
肉や魚に偏りがあるなら、メインは野菜が良いだろう。
ならば、振る舞うべき料理は――。
次回は恐らく使用人の少女視点から。料理描写も少しあるかと思います。
原作を知っている方や”前菜”の内容を覚えている方は誰か察していると思いますが、原作だと少女はまだえりなとこの時期には出会っていません。そもそも出会った経緯が書かれていないような?
今後も原作改変をするかもなので悪しからず。
前書きでも書いたように亀更新詐欺をしていますが、次こそは投稿が遅れると思います。なので気長にお待ちください。
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