ワールドトリガー 《蒼の騎士》、軌跡の果てに 作:クラウンドッグ
「ふぅ〜〜〜っ…」
長く、深く息を吐く。深呼吸に似たようで違うそれはいったいどれだけ数を重ねたのか。見かねたクロウがにやつきながら、
「なんだ、緊張してんのか刀也?」
そうした本人に呼びかけた。刀也はそんな深呼吸ともため息ともつかない呼吸が多かったとここで気づいて、わざとらしく苦笑いすると肩をすくめた。
「さすがにな」
自他共に緊張しないたちだと認める刀也だが、この場面においてはさすがに心拍数の上昇を感じていた。
「おまえは?」と聞き返すと、クロウは真面目くさった顔で胸に手を当てる。
「おれは不死者だからな、
「とんでもねえブラックジョークぶっこんできたなこいつ」
クロウの心臓は煌魔城で魔王に貫かれて以降、鼓動を刻んだ事はない。不死者として甦ってからもそれは同じ。本当の意味で生き返ったわけじゃない。
ともあれ、そんなジョークで些かばかり緊張がほぐれた刀也。
ちょうどそんな時だった、予定していた来客が到着したのは。
「失礼するよ」
そう言って現れたのはボーダー本部長忍田真史。雰囲気は柔和であるが、どこか威厳を感じさせる佇まい。No.1攻撃手太刀川慶の剣の師であり、ノーマルトリガー最強の男。戦闘時はその姿に虎を幻視する事もあるという猛者だ。
「お呼び立てしてすみません」
忍田に劣らず柔和な微笑で迎え入れたのは刀也。直前の緊張が嘘のように平静を装っていた。
「大丈夫だ。……いい目をしているな。察するに話というのは、前に言っていたあの件か?」
「はい」と刀也は首肯する。
夜凪隊の隊室に忍田を呼び出したのは、クロウと刀也のーーー夜凪隊の悪巧みを成就させるためだ。
すなわち、遠征の最中に離脱するという作戦を忍田に認めさせるための。しかも黒トリガー2つを持って。
今日ここで、今までの努力が結実するか水泡に帰すかが決まる。
「コーヒーです。おかけになってくださいな、忍田本部長」
と陽子がコーヒーを注いだマグカップをテーブルに置く。数は3つ、忍田に加えクロウと刀也の分だ。
忍田は「ありがとう」と言って着席した。対面するのはクロウと刀也の2人でその後ろに陽子とグランは控えている。
「さて、まずは本題に入る前に……おめでとう。ランク戦の結果から君たちは今回の遠征の有力候補に選ばれている。ほぼ内定と言っていいだろう、全戦無敗という結果を出されては遠征部隊に加えるしかないというのが上層部の総意だ」
コーヒーを一口飲んで忍田は続けた。
「尤も、それが君たちの狙いなのだろう。唐沢さんや根付さんが言っていたよ、遠征に行きたいと公言している無敗の部隊を遠征に加えなければ隊員らの不信を招くとね」
やはりと言うべきか、上層部にはクロウや刀也の考えは読まれていたらしい。まあこちらは別段読まれても良い考えなわけだが。
しかし、それだけではむしろなおさら遠征中に夜凪隊という戦力を手放せない事実の補強になる。
だから、崩すとしたらそこだ。
遠征中に夜凪隊が抜けたとしても、その後のボーダーの総戦力が低下しないだけの、追加戦力。
「ありがとうございます。がんばった甲斐がありました」と忍田の賛辞を受け止め、本題に入るために雰囲気を一変させる。
切り出したのはクロウだった。
「前置きはこの程度でいいだろ。本題に入らせてもらうぜ、忍田の旦那」
忍田が「ああ」と目つきを変える。
「おれたちの遠征中の途中離脱の許可が欲しい。黒トリガー“七の騎神”、“Ⅶ"sギア”を所持したままでだ。こちらが差し出せるのは、おれたちが抜けた穴を埋めて余りあるほどの戦力。……どうだ?」
「話にならない」と一蹴して良い内容だった。すでにボーダー最強の部隊の一角である夜凪隊の遠征中の途中離脱を認めるだけでなく、黒トリガー2本も持った上となると、その戦力の損失は計り知れない。
忍田もそうだが、それ以上に本部司令である城戸が許すはずがない。
だが、そんな一蹴できるはずの内容を一蹴させないだけの材料を揃えてきているだろうと忍田は考える。故に、
「続けてくれ」
と言った。
ひとまず一蹴されなかった事に胸を撫で下ろしながら柔く口角を上げるクロウと刀也。予想通りとでも言いたげだ。
「こちらが提示できるものは3つ。まず1つ目は…刀也」
「ほいさ」と刀也がテーブルに出したのは一冊のノートだ。表紙にはでっかく㊙︎と書いてある。
「一発目にしょっぱくて申し訳ありませんが、このノートにはここ四年でおれが考案した技が書いてあります。どうぞご覧ください」
ノートを手渡された忍田はページをめくっていく。そこにはこの四年あまりで刀也が考案した戦技が書き連ねてあった。意外と達筆で図解もしてありそこそこ読みやすい。
ぱらぱらと流し読みする。時に目を細め、時に笑んで、最後まで読み終えると「悪くない」と言った。
「それで二つ目は?」
しかし評価はそれだけだ。刀也の四年はあくまで“悪くない”程度。しかし、これは刀也も予想済みで、おまけのようなものだ。本命は後の2つ。
「お次はコイツだ」
クロウがテーブルの下から出したのは百枚にも及ぶのではないかと思われる紙束。表題には“完璧万能手育成メソッド”とある。
「おれと木崎、荒船が協力してつくりあげた“完璧万能手育成メソッド”…これがあれば素人でもおよそ2年あれば完璧万能手相当の腕前になれる計算だ。確認してくれ」
紙束を手渡され、忍田は先程と同じようにページをめくった。
内容はそれぞれ攻撃手育成メソッド、銃手育成メソッド、狙撃手育成メソッドの三段を序文とし、そこから発展して戦術や立ち回りについて解説する文へと続く。
内容を吟味、というほどではない。忍田もボーダー本部長とは言えすべてのポジションに精通しているわけではない。ある程度基礎的な事は把握しているが、応用編となるとわからないのが現実だ。
だから。
「3つ目はこいつ、エネドラだ」
忍田が紙束をテーブルに置いたのを見てクロウが言った。「なに?」を目を細める忍田だったが、一呼吸する内に理解したようで、
「……君たちにどんな思惑があるかわからないが、トリガーを持って来いと言われた理由はわかった」
立ち上がる。「トリガーオン」の声音と共に忍田の姿がトリオン体に換装される。濃紺のスーツが黒いコートに変化する。久しく見ない忍田真史のバトルスタイルだ。
「君たちが出した手札……夜凪の戦技集やクロウくんの完璧万能手育成メソッド…それらをエネドラには叩き込んである。私にやってほしいのはその値踏み……そうだろう?」
「さすがに察しがいいな。その通りだ」
元より忍田にはトリガーを持参するように頼んでいた。それが今の慧眼に繋がったようで、忍田はそのまま隊の訓練ルームへと足を運ぶ。
次いで夜凪隊のメンバーも訓練ルームに入り、揃ったところで陽子が説明した。
「今から忍田本部長にはグラン……いや、エネドラと10本勝負をしてもらいます。その中で本部長にはエネドラの価値を測ってもらいたい。エネドラの戦力としての価値を」
「…いいだろう」
僅かに間があったが忍田は了承し、エネドラとの10本勝負が始まる。
エネドラは「頼むぞ」と3人から肩を叩かれて、「うぜーな」と悪態を吐きつつもやる気は出たようだ。
刀也の“㊙︎戦技集”に加えてクロウの“完璧万能手育成メソッド”のすべてがエネドラにはインストールしてある。
先の完璧万能手育成期間2年というのも、エネドラのデータを基に算出したものだった。
そんなエネドラだが、クロウや刀也、陽子とも模擬戦をしていて、その勝率はクロウには4割、刀也には2割、陽子には7割といった所だ。
クロウは完璧万能手としての上位互換であり、ほぼ全ての戦術を読まれていて、刀也は“超直感”なんて反則じみたサイドエフェクトがあって、陽子だけには勝ち越しているが、忍田の戦闘スタイルは陽子が最も近しいらしいため自身半分不安半分といった感じだ。
陽子と忍田に共通するのは、近接に強く戦術理解度が高いという点。しかし、忍田は天才的と言われる陽子よりも遥かに格上だ。
その忍田に完璧万能手としての手腕や初見殺しがどこまで通用するのかが問題となるわけだ。
やがて勝負が始まり、クロウや刀也は固唾を飲んでそれを見守る。
「なんか…自分が戦えないってのがなんとも歯痒いな」
「私はいつも感じてるよ。ま、歯痒さというよりは予想を超えた現実に圧倒されるばかりだけどね」
観戦しながら刀也がむず痒い表情で言うが、反応したのは陽子だ。現場で戦える陽子だからこその意見ではあるが、続く褒め言葉で刀也の気持ちもいくらか和らぐ。
「ま、今は何言ってもしょうがねえ。エネドラ……グランはおれたちの最後の切札…これに全部がかかってる…が、おれたちはもうできる事はやったはずだぜ。あとはもう見守るだけだ」
クロウの開き直った言葉に「それもそうだけどなぁ」と情けない声を出す刀也。
人事を尽くして天命を待つ、とは言うが本当に人事を尽くしたか不安になるのも人情というものだ。
やがて一本目が終わる。忍田の旋空孤月がエネドラのスコーピオンを叩き切り、腕を切り落とし、胴体を両断する。瞬間三閃の離れ技だ。
「んだアレ。速すぎだろ」
「瞬間三閃の旋空孤月。太刀川でも二閃が限界なのに、さすがにノーマルトリガー最強の男は違うわな」
旋空孤月の一閃だけなら刀也が上だが、連続する斬撃を比較すれば忍田が上回る。だがそれはあくまで忍田の実力の一端でしかないのがえげつないところ。
「まあ瞬間七閃とかやる達人もいたけどねー」と目を遠くする刀也に「誰だ?」と聞くクロウ。
「リィンさん」
答えは半ば予想していたもので「あぁ…」と理解を示すだけに留まった。無想覇斬ーーーリィンが納めた七の型の剣技だ。
そう会話をしている内に3本目まで終わる。
戦果はエネドラの1勝2敗。悪くない滑り出しだろう。
1勝を挙げたスパイダーとメテオラを絡めた狙撃はこれまでの訓練の成果が出ていた。これにはクロウも刀也も陽子もガッツポーズ。
続く4本目、5本目は負けてしまうがそれなりに渡り合っていると言っても過言ではない。
しかし6本目、7本目と忍田が奪取し、「あれこれヤバくね?」という雰囲気が出始める。
競り合ってはいるが、競り勝てない。イイ線いってるが、及第点ではない。そんな評価が下されるのでは、と戦々恐々とする夜凪隊だったが。
8本目、9本目、10本目とエネドラが連続奪取し、胸を撫で下ろす。
忍田 ○×○○○○○×××
エネドラ ×○×××××○○○
結果は忍田の6勝4敗。エネドラは勝ち越す事こそ出来なかったものの、ボーダーにおいてノーマルトリガー最強の男を相手に良くやったと言える戦果を残した。
☆★
一見平然としているように見えて落ち込んでいるエネドラに声をかけて、テーブルに戻る。
忍田はトリオン体から生身に戻っている。黒のコートから濃紺のスーツへ。しかしトリオン体の時の覇気はそのままで、思わずクロウすら唾を飲み込んだほどだ。
その忍田は座るなり、
「すばらしい強さだった、エネドラ。それによくぞ彼をここまで育てたものだ、夜凪隊」
そう笑顔で言い放つ。しかし、その笑顔は一瞬で真面目なものへと引き締められ、「それで」と続いた。
「君たちはこの成果を……エネドラを切札として使えるつもりなのか?」
エネドラと勝負をしている内に忍田は夜凪隊の考えを見抜いていた。そもそも答えは初めから出ていたのだ。
3つ目の交渉材料はエネドラ。
様々な戦技と完璧万能手相当の技術を身につけたエネドラというデータだ。
そういえば、鬼怒田が言っていたと思い出す。
「夜凪隊の奴ら、ちっとも試作トリオン兵の実運用データをアップロードしに来よらん!」
書類を提出するだけマシだがーーーと鬼怒田の言葉は続いたが、それは決して“面倒だから”などという理由ではなく、ここで武器にするためだと理解した。
しかし、そんな事は許されるはずがない。
夜凪隊はあくまでのエネドラの試験運用をボーダーから委託された身分だ。それによって得たデータはボーダーに還元する義務がある。
そのため、忍田は「エネドラを切札として使えるつもりか?」などという言い回しをしたのだ。
それを聡い夜凪隊の面々が理解していないはずがなく、
「もちろんです」
だから、そう言い切った夜凪刀也に面食らう思いをした。
「エネドラがこれまで蓄積した経験から来る実力は、おそらく総合力では太刀川とも伍するでしょう。それがおれたちの最後の切札です」
「当然のように君は言うが、それは不可能だ。夜凪隊はあくまでエネドラの育成を委託されただけの身分……その所有権はボーダーにある」
「ええ、ええ、その通りですとも」と芝居じみた様子で刀也は受け答えする。忍田の圧などどこ吹く風といった体で、エネドラの所有権はボーダーにある事を肯定した。
「ですけどね、忍田本部長。エネドラの経験データをどうするかなんて取り決めはしてないんですよ」
夜凪隊が切札とするのはエネドラそのものではない。忍田相手に10本中4本取れるだけの実力を備えたエネドラの記憶データだ。
「ふざけるな。取り決めなどなくともその所有権はボーダーにある。当然の事だろう」
一喝。しかし夜凪隊の面々は誰一人として揺らぐ事なく。
「そうですね。当然です。あたりまえです。ーーーークソ喰らえです、そんなのは」
雰囲気が、一変する。
「あなた方は我々に何の契約も持ちかけなかった。口約束すらしてない。エネドラの記憶データの取り扱いについて。大元に還元するのが当然だと、あたりまえだと考えてたからです。甘っちょろいんですよ。大人なら5W2H*1くらいはっきりさせておくべきでしたね」
言外にエネドラの記憶データはただではやらない、という意志が込められていた。もちろん忍田はそれを理解していて、
「もしここで君たちの提案に乗らなかったらどうなる?」
「ショックのあまり交渉材料すべてをうっかり焼却炉に投げ込んでしまう可能性がありますね」
尋ねるが、そんな馬鹿げた答えに乾いた笑い声がこぼれた。
すでに半分以上陥落しかけているが、何とか起死回生の一言を模索する忍田に、クロウが追い打ちをかける。
「忍田の旦那。確かに刀也の言う事は筋は通らねえ。だが理屈は通る。あんたらが面倒臭がって省略した確認って手順……そのツケだと思ってここは素直に負けを認めちゃどうだ」
クロウの言葉に忍田は大きくため息を吐いて、「わかったよ、こちらの負けだ」と敗北を受け入れた。
それを見てピリついていた刀也の雰囲気も霧散する。隊室は一気に柔和な雰囲気になりかけるが、
「だが、それと君たちの離脱を許可するのは別だ」
そんな忍田の一声にまた雰囲気は引き締まる。
今までの会話はあくまでも“エネドラの記憶データ”を天秤に乗せるまでのものだ。
“㊙︎戦技集”、“完璧万能手育成メソッド”、“エネドラの記憶データ”の3つが、“黒トリガー込みのクロウ・アームブラストと夜凪刀也”と釣り合いがとれるか、あるいは勝つか負けるかは未だ忍田の中で決定していない。
「……Ⅶ"sギアの適合者、まだ見つからないって聞きましたけど、どうなんです?」
しばらく沈黙があり、考え込む忍田に切り込んだのは刀也だった。それは迅から聞いた情報だ。
「難航している」と忍田は答え、今度はクロウがポケットから“七の騎神”のトリガーを出してテーブルに置く。
「それにこいつもおれの他に適合者はいねえ。Ⅶ"sギアにしろ七の騎神にしろ、半年くらい前までは戦力の勘定に入ってなかったんだ。元に戻るだけ……いや、エネドラの分は相当プラスされるって考えれば儲け物だと思うがな」
「それはあくまで前までの話だ。夜凪隊は今後ボーダーで中核をなす部隊になる。トリオン兵の運用なんて爆弾を抱えるより現行の体制を継続した方が良いと考えるのは私だけじゃないはずだ」
忍田の言う事は尤もな事実。民間人からすればトリオン兵=近界民なわけで、その近界民をボーダーが操ってるとなれば、最悪はこれまでの全てが自作自演だったと断じられる可能性もある。
そんな正論にはクロウも刀也も一息には反論が思いつかず、しかしそれは意外なところから飛んできた言葉で反抗される。
「ケッ」と吐き捨てたのは昔の癖か、あるいは言葉を紡ぐ緊張を隠すためのものか。発言したのはエネドラだった。
「今のままでどうすんだ。確かにこの前のウチの…アフトクラトルの侵攻を防いだのは大したもんだと思うぜ。何せ小国なら陥落させるだけの戦力だったんだからな」
それこそついこの前攻め込んできたガロプラもあの程度の部隊で占拠した。
「だが、あれ以上の戦力が投入されたらどうだ。15本の黒トリガーを保持するアフトクラトルが全戦力で侵攻して来たら、玄界に対抗する力はあるのか?」
「もちろん我々も全力で応戦するが、正直厳しいだろう。……だが、そんな事がありえるか?それほどの戦力を遠征に注ぎ込めば本国の守りが手薄になるだろう」
「ああ、基本はありえねぇ。だがここ最近の近界はどこかざわついてやがる。アフトクラトルでもそれは同じだ。神の選定をうざがってとんでもねえ発想も、そろそろ出始めてもおかしくねぇ」
「……今まさに我々が計画しているような、過去に類を見ない大遠征が起きるかもしれないと?」
「いや、それ以上だ」
室内に沈黙が落ちる。忍田の問いかけに“それ以上だ”と断言したエネドラの脳裏には遠征前の一幕が蘇っていた。
ハイレインの部下であるエネドラにスパイになれと、玄界の情報を流せと言って接触してきた他家の領主。
話に乗ったわけではなかったが、それはエネドラがハイレインに切り捨てられた事で頓挫してしまったが。
「具体的にはどう言う事だ?」と忍田は聞くがエネドラは「知るかよ」と一蹴。侵攻時の性格からして伝えられていないのは事実だと思った忍田は再び沈思黙考する。
その間に夜凪隊の面々は目くばせをした。それこそは正真正銘、夜凪隊の最後のカード。
迅から得た情報だが、口止めされているわけではないので別にいいだろうという判断だ。
「忍田の旦那。もう迅から聞いているかもしれないが、そう遠くない未来にこの世界は滅ぶらしい。それを防ぐためにはおれたちをゼムリアに帰還させるのが最低条件だって話だ」
「なんだと…!?」
そう言って忍田は顔を上げる。表情は険しく、嘘は許されない雰囲気だ。「本当の話か?」と確認し、クロウも刀也も陽子も揃って首肯したため表情はさらに険しくなる。
「少し待ってくれ。迅に確認する」
忍田はポケットからタブレットを取り出すと迅と通話する。迅の方もこの展開が視えていたようで話は手早く終わり、再び夜凪隊と向き合った。
「迅からも確認は取れた。信じ難い話だが、先程のエネドラの話とも符号する。……しかし話が大きくなり過ぎて私の手には余る。城戸司令にも話を通すが構わないか?」
「いえ、城戸司令には迅から報告がいきます。忍田さんに今教えたのはあれが交渉の一押しになればと思ったからで、本来なら迅から話がいくはずでした」
「つまり、忍田本部長から城戸司令に話す事じゃないって意味だね」
刀也が語り、陽子がそれを簡潔にまとめる。それにクロウが「だから」と続く。
「今ここであんたに……次期遠征部隊長サマに決めて欲しいのは、夜凪隊の遠征途中離脱を許可するかどうかだ」
その言葉を受け止め、忍田は唸る。夜凪隊は忍田の決定だけを待っているのだ。まるで城戸など眼中にないかのように。
「もしここで、仮に私が許可すると言ってもそれが通るとは限らない。最終的な決定権は城戸司令にあるからだ。それはわかっているだろう」
そう、忍田がいくらボーダー本部長で、次期遠征部隊長と言えど、その決定権は司令である城戸には及ばない。
この場で忍田が遠征途中での夜凪隊の離脱を許可したとしても、城戸が許可しなければそれは認められないのだ。
そんな簡単な事を聡い夜凪隊の面々がわかっていないはずがない。
わかっていないはずがない、とわかっていながら続く言葉に忍田は驚愕した。
「その問題はもうクリアしてます。ここで忍田さんを説得したように城戸さんを黙らせる術をおれたちは持ってるんです」
「だから今ここで!あんたが決めるんだ、忍田の旦那、おれたちの遠征途中離脱を許すかどうかをな!」
刀也はすでに城戸を黙らせる術があると言った。
その言葉の不穏さには目を瞑るとして。
クロウはここで忍田に決めろと言った。
夜凪隊の遠征途中離脱を許可するか否か。
今まさに、世界の命運は忍田の決定に懸かっていると言っても過言ではない状況になっている。
事はすでにボーダーや三門市だけのものではなくなっている。“世界”と言った、クロウも刀也も迅も。そう遠くない未来で世界が滅びると。それを防ぐには夜凪隊の遠征途中離脱を認めるしかないと。
だったら忍田の答えは決まっている。
「夜凪隊の遠征途中離脱を、次期遠征部隊長忍田の名の下に許可する!」
☆★
忍田との話が一段落して、クロウと刀也は城戸司令と対面していた。
忍田は自らも同席し、城戸を説得する手助けをするつもりだったが当のクロウと刀也に止められて今は別室で待機している。
なぜ強力な助っ人であるはずの忍田の助力を拒んだかと言うと、それは単純に話が拗れそうだからである。
正義漢然とした忍田では受け入れられないような手段で城戸を黙らせるのがクロウと刀也の目的だからだ。
「なんだと…!?」
額の傷を撫でる余裕はなく、執務机を打ち据えた城戸にクロウと刀也は勝利を確信した。
否、勝利などこの会話を始める前から決まっていた。
今やっているのはただの勝利宣言だ。
「聞こえませんでしたか?」と余裕ぶって、演技じみた発言をしたのは刀也。
「A級からは太刀川隊、冬島隊、B級からは二宮隊が、城戸派から忍田派に鞍替えしました。あとは派閥なし自由派も加古隊が忍田派に乗り換えた事で大部分が忍田派に流れてます。ボーダーの実権は、忍田本部長が握りました」
城戸を黙らせ、忍田の決定権を高める手段……それはボーダー内のパワーバランスの調整だ。今までは城戸派が席巻していた派閥のパワーバランスを忍田派に傾ける。それがクロウと刀也が取った手段であった。
黒トリガーひとつでひっくり返る天秤。それが黒トリガーに匹敵するとされる遠征経験部隊、太刀川隊と冬島隊ともなれば天秤が忍田派に大きく傾くのも自明の理というもの。
「やってくれたな……夜凪刀也……!」
苦々しく刀也を睨みつけながら城戸は拳を握りしめる。それを「はは…」とそよ風の如く受け流しながら刀也は種明かしをした。
「実行はおれですけどね、提案はクロウですよ。2人目の完璧万能手ーなんて派手に売り出したのは目立つため。その裏でおれが各部隊に接触して鞍替えさせるって寸法でした。……まあ気づかないのも無理ないですよ、ボーダー自体がそんなに派閥争いが活発な組織ではないですし。唐沢さんの視線には時々冷たいものを感じましたけどね」
空閑遊真が現れた時のように黒トリガーなんてわかりやすいものがあれば露見したかもしれないが、今回の夜凪隊の手回しは裏工作とも言うべきもので城戸含む上層部が把握できるものではなかった。
ちなみに鞍替えさせた部隊には建前上、“次回の遠征部隊長は忍田さんだから城戸司令の命令とごっちゃなるのいややん?”と言っている。それに合わせて鞍替えさせる時期も遠征終了までとなっているが、それを城戸に言う必要はなかった。
「……そうか、まあいいだろう。今回は私の負けだ。要求はなんだ?」
刀也の種明かしが終わると、城戸は意外なほどあっけなく敗北を認めた。あくまで“今回は”と言っているあたり負けず嫌いが目に見えていて、おそらくは遠征でクロウらがいない間に派閥の立て直しを図るつもりだろう。
「要求というか報告なんですが、次回の大遠征…夜凪隊は途中で離脱してリィンさんとクロウの故郷であるゼムリアを目指します」
「“
クロウと刀也の説明に城戸もさすがに苦い顔をする。黒トリガー2つを失うのはかなりの痛手だ。
「ま、代わりになる戦力は補充できんだろ。エネドラも完璧万能手相当に育ってる。おれがここに来る前と比べたら差し引きプラスくらいだろうよ」
「トリオン兵の運用を提案したのも今回の事を想定してだったか。……抜かりない事だ」
トリオン兵の試験運用を引き受けたのは実績欲しさではなく夜凪隊が抜けた穴を埋めて余りある戦力をボーダーに補充するため。
実績欲しさなんてミスリードにばかり注目していた城戸は嘆息する思いだった。
「それに私が異議を申し立てても握り潰されるだけだな。実権を奪われるとはそう言う事だ」
仮に現有戦力で派閥間の戦争を引き起こしたとしても負けるだろう。天羽に“風刃”という2本の黒トリガーがあるとは言え忍田派には“Ⅶ"sギア”に“七の騎神”がある事に加えてボーダー本部の大半の部隊が集結している。城戸が動かせる風間隊、三輪隊、香取隊の3部隊では敗北は見えている。勝算があるとすれば玉狛と手を組む事だが、普段は真っ向から主義が反対である玉狛と組むとなれば今度は三輪隊や香取隊から反発される恐れもある。
というか、そもそも遠征を間近に控えた今に派閥間の戦争を引き起こすなど正気の沙汰ではない。その場合は実権だけでなく司令という地位すら失う事だろう。
八方塞がりとはこの事だ。勝負は始まる前に決しているとはまさに今のような状況を言うのだろう。
「惜しいな……」
そこまで思うと城戸は無意識に呟いていた。これほどの人材を失うのは惜しいと。
「まあまあ、おれは帰ってこないわけじゃないですし」
「なに…?」と城戸が聞き返すと、刀也は屈託なく笑って「はは、いやだって」と続ける。
「ここがおれの故郷じゃないですか。今回のは旅行ですよ、旅行。そのついでに友人を送っていくだけです。だからちょっと観光したらすぐ戻ってきますよ」
あまりにも軽く言うものだから、それはするりと城戸の心に響いて笑みを引き出した。
「フッ……旅行か。それはいい。存分に楽しんできたまえ。……一応形式だけだが認めておこう。ボーダー本部司令、城戸正宗は夜凪隊の遠征の途中離脱を許可する」
「ありがとうございます」と刀也は低頭し、クロウは安堵したように目を瞑る。
「……それにしても太刀川隊や冬島隊を切り崩すとは大胆な事をやるものだ。いったいどうやった?」
話が一息ついて空気が弛緩したところで城戸がそんな事を聞いてくる。純粋に疑問だったのだ。
太刀川や冬島が“忍田派に入ってー”で“うんいいよー”と返事をするとは思えない。
「そこはまあ、賭け事したり金を積んだり……これまで築いたイメージがパーですよ!これじゃ不惜身命ならぬ不惜信用って感じです」
「ハッ!」と大袈裟に自嘲した刀也に城戸は「真田か」と言う。
「ええ。まあ不退転ってのは同じですがね」と刀也が返事をして城戸と2人でくつくつと笑った。
この世界の歴史を知らないクロウは置いてけぼりだった。
☆★
やがて全ての話がまとまる。
忍田本部長を説得し、城戸司令を下して手に入れた“遠征途中離脱”の切符。
その切符を使うには遠征部隊に選抜されなければならない。忍田も城戸も了承しているため夜凪隊の遠征部隊入りは内定しているが、形式的なものとして遠征選抜戦に参加する事となる。
☆★
波乱は近く。
呪いはそこに。
魔人が迫る。
万丈は近く。
悪夢は甦り。
憧憬は地に沈む。
《蒼の騎士》は如何様な軌跡を描くのか。
《剣聖》の弟子は如何様な軌跡を辿るのか。
次章“明日への奇跡”
実はもっと忍田と城戸にごねさせたかった件。筆者の文章力じゃ無理だと判明しました。悪しからず。
あとアフトクラトルの黒トリガーの数が増えてるのは7年前で13本という事なんで今なら15本くらいあってもおかしくないかなーって感です。
というか!ついに!黎の軌跡の発売日が決定しましたね!
読者諸兄におかれましてはスプリガンエディションをすでに予約されたでしょうか?私はもちろん予約しました。マッハで。
ティザームービー見てうほうほ言いました。マジで。
《不遇》…もとい《不動》さんや《痩せ狼》さん、さらには《妖精》さんの参戦などうほりたい放題です。特に姫がプレイアブルっぽいのでさらにうほりました。
黒神一刀流でしたかね、あの剣術。あれが一体何なのかも気になる所です。
八葉一刀流が東方剣術の集大成という事なので、集大成された内の一つの剣術の線もあるかなー?とか考えるだけで楽しいです。