ワールドトリガー 《蒼の騎士》、軌跡の果てに   作:クラウンドッグ

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最後の勝負に向けて

 

イシュメルガは消え去って、マクバーンは追い払った。万々歳の結末だ。

 

しかしそう喜んでいられない事情が夜凪刀也にはあった。

 

 

 

というのも、マクバーンが襲来する以前に受けていた遠征選抜試験で、刀也はこれ以上ない失態を晒した。あるいは何らかのミスであればまだ良かったかもしれない。

刀也が晒した失態とは、トラウマだ。遠征艇に乗ると過去を思い出して我を失う。

それは遠征隊員に選ばれざる理由として充分過ぎた。

 

 

迅は今回、マクバーンを追い払った功績で失態を打ち消せなんて言ってたが、これは打ち消せる失態ではない。治療すべき精神的な傷なのだ。

しかし例え治癒したとして、そんなリスクを負う隊員を遠征部隊に選ぶだろうか?

 

刀也は自分なら選ばないと結論している。それは上層部も同じだろうと。

だから失意のまま、マクバーンに関するすべての報告をクロウに丸投げした。

 

上層部ーーー城戸たちの前でその報告が終わり、いざ退室、という段で忍田に呼び止められる。

 

 

なんでしょう、なんていつもの笑顔で応対する事すら難しい。見てわかる憔悴、あるいは諦観。普段の不敵な様子を知っているだけに痛々しく思えた。

クロウが報告する横で暗い表情なのはわかっていたが、それでもなお、息を飲む。

しかし気圧された様子など見せずに忍田は切り出した。

 

 

「君たち夜凪隊が遠征部隊内定を取り消された事は知っているか?」

 

 

事前に迅から聞いていた刀也はわずかに目を細め、クロウは「なっ」と驚く。

 

 

「どういう事だ」

 

「おれのせいだ」

 

 

問いただすクロウに短く告げる刀也。振り返るクロウに視線は合わせず、しかし忍田らの話はここで終わりではないと踏んでいた。

 

 

「詳しい事情については…夜凪くんから聞くといいだろう。ともかく夜凪隊は遠征部隊の内定が取り消された。しかしまだ道は残されている」

 

 

「遠征選抜試験を実力で突破しろって事か」

 

 

クロウの即答に忍田は「そうだ」と首肯する。

 

 

「そしてもうひとつ……黒トリガー使いとして、遠征部隊入りするという選択肢」

 

 

黒トリガー使いとして、遠征部隊に参加する。

それは遠征選抜試験を実力で突破するという選択肢よりよほど現実味があるように思えた。

実際遠征でトラウマが再発する…という点を除いて考えれば、トラウマが再発するかもしれない試験…よりは黒トリガー使いとして遠征艇に乗る…というのが簡単だ。

 

しかもクロウの“七の騎神”や刀也の“Ⅶ"sギア”は他に適合者がいないという状況で、少し前までは戦力の勘定にも入っていなかった。それに遠征そのものも過去に類を見ない大規模なもの…黒トリガーを投入してもおかしくはない。

ランク戦での奮闘やマクバーンの撃退で夜凪隊を認めてくれているのか、上層部はこんな提案をしてくれているのだ……と、そんなストーリーが頭の中で出来上がっていく。

 

 

「我々は今回の遠征で黒トリガー使いを2人投入する事に決定した。その候補が君というわけだ、夜凪」

 

 

忍田の言葉を引き継いだのは城戸。そして言葉は刀也に向けられていた。刀也だけに。

 

 

「俺はどうなるんだ?」

 

 

遠征部隊に無条件で選出される、2人の黒トリガー使い。その候補は刀也だと忍田は言った。

クロウはどうだ?刀也よりむしろ条件はいいはずだ。

 

 

「君は確定だ、クロウ・アームブラスト。先程の報告を聞くに、その黒トリガーにももはや危険はないのだろう」

 

城戸の回答を聞いて「なるほど」と理解する。確かに黒トリガー“七の騎神”は……すでに相克を終えて《創の騎神》という破格の戦力となった。これの有無で遠征の明暗が分かれるのでは、というほどだ。選ばない手はない。

と、納得してから疑問が逆転する。

 

 

「待て。確定は俺だけか。刀也はあくまで候補止まりなのか?」

 

 

「そうだ。遠征に投入する2人の黒トリガー使いの内の1人は未だ確定ではない」

 

 

クロウと城戸のやり取りを聞いて刀也は思考する。ならば、他の可能性はなんだ?

迅は…おそらくない。未来視というサイドエフェクトはボーダーを守る上での切札だ。遠征に投入して帰ってこなかった場合のリスクが大きすぎる。ならば天羽か?これもない。天羽の黒トリガーは範囲殲滅には適するが、今回の遠征の目的はあくまで捕虜の奪還であり侵略ではない。

あるいは風刃の他の適合者やボーダー本部が保管する他の黒トリガーに適合者が現れた可能性もあるが……

 

 

「空閑ですか」

 

 

空閑遊真…玉狛支部の黒トリガー使い。近界民。

ボーダー本部の派閥争いに負けたと思っている城戸の心情を考えれば、それが自然な答えだと思えた。

クロウや刀也と言った忍田派の実力者に加えて、空閑という玉狛支部派の戦力が遠征で三門市にいない間に、刀也に懐柔された隊員らを城戸派に引き戻す。

 

 

「いいや、違う。遠征に投入するのは“七の騎神”と“Ⅶ"sギア”で確定だ」

 

 

そんな刀也の予想を、現実は軽々と超えていく。

 

ありえない。それはどういう事だ。認められない。難航していたのではなかったか。リィンが自分以外を認めた?城戸の言葉はつまり、“Ⅶ"sギア”に刀也以外の適合者が現れた事実に他ならない。

 

 

「Ⅶ"sギアに刀也以外の適合者が現れたってわけか……」

 

 

クロウも刀也と同じ解に至り、忍田と城戸はそれを首肯した。

 

 

「1人だけだがな。夜凪、君にはその人物と争奪戦をしてもらい、その勝者が黒トリガー使いとして遠征に参加する事となる」

 

 

1人だけ。それはほんの少しだけ救いにはなったが、現実的な救済ではありえない。

城戸がこんな提案をしてくる時点で、その1人の候補者が刀也と比較できるレベルの強者である事が明らかだからだ。

遠征に参加する事に異議がでない人物。無名のC級ではありえず、ぱっとしないB級でもないだろう。なら、考えられる最悪は何だ、誰だ?

 

 

「風間ですか?あるいは太刀川?三輪だったり?まさか迅なんて事はーーーー」

 

 

 

 

 

 

「忍田くんだ」

 

 

 

 

 

それを聞いてまず思ったのは“ふざけるな”だ。いや、湧き上がった感情と言うべきか。

ふざけるな。おまえはもう持っているだろう。ボーダー本部長という肩書きも、ノーマルトリガー最強なんていう評価も。その上、リィンと自分の絆…その証まで奪おうというのか。

 

そんな恨みがましい視線を忍田に差し向ける。忍田は一瞬だけ目を逸らしたが、またすぐに刀也と視線を交わす。

「くそ」と刀也は口の中だけで悪態を吐く。怒りや憎しみは、立ち上がるための原動力にさえなればいい。それ以上は剣を振る上で不純物になる。

 

そうやって無理矢理に感情を落ち着けたところで、納得と対策を組み上げていく。

それはそうだ。もし風間や太刀川が起動できるなら、適合者探しが難航するはずがない。まず試すべきボーダーの主戦力だからだ。だが忍田はノーマルトリガー最強とは言われているがすでに管理職。すべての候補が空振りした後に試したとすれば話は通る……という納得。

そして対策。……対策?忍田真史相手に対策だと?秘蔵の初見殺しで……ダメだ。すでに上層部には刀也の初見殺しの技の数々を書き連ねた㊙︎ノートは献上してある。効果は見込めない。なら忍田の手出しの出来ない中間距離から射撃で……バカかおれは。Ⅶ"sギアって近接用の黒トリガーの奪い合いだ。遠距離チクチクで勝っても認められはしない。

 

 

なら、どうする。

 

 

 

「条件があります」

 

 

意識してではなく、唇は音を紡ぐ。

 

 

「条件などつけられる立場のつもりかね、君は。第一試験であれほどの醜態を見せておいて!」

 

 

声を荒げて厳しい視線を寄越す根付に「まあ聞いてくださいよ」と柔らかく告げる。

 

 

「まず第一に、その争奪戦において忍田さんはⅦ"sギアを使用する」

 

 

 

さあどうだ、これはインパクトあるだろう。なんて他人事のように思考して。

 

 

「第二に、夜凪隊をA級に昇格させる事」

 

 

次に本命の条件をねじ込む。

 

 

「第三、争奪戦の日時は5日後……第一選抜試験が終わった後とする」

 

 

そして日時の決定までを行った。これについてはほとんどおまけ…というか、目眩しのようなものだ。

 

 

今から一次試験に戻ってトラウマ再発なんて冗談じゃないし、忍田相手の対策も練りたい。そのための時間と、A級への昇格だ。

 

 

「何が狙いだ?」と城戸は案の定聞いてくる。忍田が勝つ公算が高い…つまり上層部側の条件が良すぎるという事だろう。

 

「本当は嫌ですけどね。でも、こうでもしないと第二、第三条件を飲むはずがない」

 

 

と口では言っておく。忍田に黒トリガーを使わせて勝算なんてあるわけがない。それが上層部の総意だ。刀也とてそう思う。まさしく鬼に金棒と言ったところか。しかし、刀也はこれが有利に働くと直感したのだ。だから、思考より直感を信じた。

 

 

「第二の条件……A級への昇格は試作トリガー……例の八葉一刀流とかの剣技を使うためか」

 

 

A級隊員はエンジニアと共にトリガーを試作する権利を持つ。刀也の八葉一刀流の剣技もそうして試作されたものだ。B級ランク戦に参加するためにB級隊員に降格したため使用権は剥奪されてしまったが。

 

さすが鬼怒田はそこらへんの理解は早い。エネドラの件で付き合ったのもあるのか、刀也の考えそうな事がわかるのだ。

 

「それにA級は、遠征選抜第一試験は免除されている。…正確には第一試験を受ける隊員たちの評価に回っているが。それに第三条件は、間違っても第一試験を再受験しなくてもいいためのものだね?」

 

 

そして唐沢が相変わらずの慧眼で“A級昇格”の条件の裏に隠された意図を見破る。

これと鬼怒田が言ったのも含めて3つの狙いがあるが…3つ目に関しては、あまりにもお人好し過ぎるし、刀也と忍田の争奪戦にも関係しないし、現実可能かどうかもわからないため口にしない。

 

 

「小賢しい」と根付が吐き捨てる。その通りだと刀也自身も思う。こんな悪知恵でしか大人に対抗できない。だから手段は選ばない。

 

ややあってすべての条件が認められる。第一条件と第二、第三条件ではつり合いはとれないが、刀也の失態を黙してもらうためと考えれば納得できる…という筋書きだ。

これから争奪戦までは夜凪隊はフリーとなった。遠征選抜試験には関わらず防衛任務にもアサインされない。黒トリガーの争奪戦を行うのだから、それくらいの猶予期間はあるべきだという上層部の結論だ。

 

ちなみにクロウと刀也が抜けた第一試験の穴はエネドラが埋める事になった。すでに完璧万能手の実力を得ているエネドラならばクロウや刀也と比較してと大差ないとの判断らしい。

 

 

そうして話し合いは終わる。

決まった事は、夜凪隊を即時A級に昇格させる事、争奪戦の日時、争奪戦において忍田が黒トリガー“Ⅶ"sギア”を使用するという事。

マクバーン撃退により判明したのは、ゼムリアが近界に実在する国であるという事と黒トリガー“七の騎神”から危険が取り除かれたという事。

 

 

 

「退室したまえ」と指示されて、クロウと刀也は部屋を出る。

 

 

「おつかれさま〜」

 

 

そして、迅と遭遇した。

 

 

「待ってたよ、2人とも」

 

 

☆★

 

 

それは正確には遭遇と言うべきではない。待ち伏せられていた…と言うのが正しい表現だった。

 

立ち話もなんだという事で夜凪隊室に招待し、いつも通りインスタントのコーヒーを用意した。

 

 

話の内容は、やはりと言うべきか。謝罪と今後についてだった。

 

 

「過ぎた事だから言っても仕方ねえしな。…今のこの未来が視えてなかったってのは少しばかり腹が立ったが」

 

 

 

迅の謝罪にクロウはそう答えた。迅が視ていた最良の未来ーーーーそれ以上の最高の未来をクロウが勝ち取った事に触れた後の言葉である。

 

実は迅の謝罪内容については、先程の報告で上層部から刀也たちに伝えられていた。

それはどうしようもない違和感、必ず抱く疑問だ。

 

マクバーンに当てられた戦力がどうして刀也とクロウだけだったのか。

 

防衛任務についていた太刀川隊を撃破した程の相手だ。B級中位以下を当ててもやられるだけ、という論はわかる。街中に放たれた人形兵器を撃破するために戦力を分散させなければいけないのもわかる。今は遠征選抜試験中で部隊を動かし難いのも。

しかし。それでもだ。あの魔神をたった2人で相手しろ、だなんて無茶振りが過ぎる。まるでどうにかなるという確信でもあったと言わんばかりだ。

 

そして、そんな確信を抱かせるに充分な異能者をボーダーは擁している。

ご存知“未来視”のサイドエフェクトをもっている迅悠一だ。

 

迅曰く、“マクバーンにぶつけるのはクロウと刀也のみで良い。否、その2人でなければ事は上手く運ばなかった”と言うのだ。

未来視によって観測された数多の未来ーーーー枝分かれしたそれらはほとんどが“マクバーンの勝利”であったらしい。クロウがイシュメルガに侵蝕されようがされまいが、だ。

しかし結果は迅の未来視ですら見通せなかったもの。すなわち、クロウがイシュメルガの悪意を斬り祓い、《創の騎神》によってマクバーンを撃ち破るという現在(いま)

 

迅が予見した“マクバーンの勝利によってイシュメルガ諸共七の騎神を奪い去られる”という未来には繋がらなかったわけだ。

 

 

 

 

「………あれ?」

 

 

と、そこで刀也は違和感に気づいた。

迅の未来視では魔神マクバーンと騎神イシュメルガの戦闘はマクバーンが制して、その黒トリガーを持ち去るというストーリーだった。

 

口にしたが早いか、疑問はすぐに形になる。

 

 

「待てよ……それじゃあまさか…違うのか?」

 

 

「うん。違う」

 

 

主語のない話題の提起。その会話を予め視ていたのか、迅は即答する。

 

 

「そうだな。違う」

 

 

その聡さゆえクロウもまた刀也の懸念を肯定した。

 

そうだ、考えてみれば当然の話だ。

それを防ぐにはクロウと刀也がゼムリアに至るのが最低条件だったはずだ。

だから、あんな神話のような戦いが。魔神と騎神の戦争が世界を滅ぼすわけではないと。

 

あまりにも非現実的なバトルを目撃したせいで、あの魔神マクバーンと騎神イシュメルガの戦いこそが迅が未来視した世界滅亡の事件なのだと思っていた。

出撃したのがクロウと刀也だけだったり、ゼムリアから使者が来たり、イシュメルガが蘇りかけたりしたが、それらは世界の滅亡には繋がり得ないのだ。

 

 

「つまり、世界滅亡の危機はまだ終わってない?」

 

 

「そうだね」とまたすぐに迅は首肯した。

 

 

「だから、ここからが山場だよ。ヨナさん」

 

 

山場。その意味を理解する。つまりは忍田との黒トリガー争奪戦だ。勝てば黒トリガー使いとして遠征に参加。負ければ遠征には不参加…すなわち世界の滅亡だ。

 

すでに迅もボーダー上層部には世界滅亡の件は話していた。しかし、それでも遠征資格のない者を遠征に参加させるのはボーダーという組織的に不可能なのだ。

遠征第一試験を途中離脱した刀也にはすでに“黒トリガー使いとして遠征に参加する”という選択肢しか残されていない。

 

 

「わかってる。これが最後の勝負だ」

 

 

このチャンスを不意にはできない。世界の滅亡を阻止するという意味でも。この機会を用意した上層部の好意を無碍にしないためにも。Ⅶ"sギアをこの手に取り戻すという事にかけても。

 

 

☆★

 

 

 

クロウは廊下を歩いていた。迅との話し合いを終えて、今は忍田に会いに行くところだった。

 

 

その中で、クロウは先程のやり取りを思い出す。

 

 

「それは…ヨナさんの流儀じゃないね」

 

 

「おれもできる限り力になるよ」と迅は言った。何せ“世界の滅亡”を防ぐためだ。

しかし刀也は「いや今回はいい」とすげなく断ったのだ。

それに目を細めた迅の台詞だった。

 

 

迅の語る刀也の流儀とは“勝つためにはなんでもやる”という在り方だ。

 

 

「そうだな。…その流儀が正しいかどうか、もうわからない。そのやり方があったからおれはここまで来れたと思ってた。B級ランク戦や上層部との交渉もそうで……でも今はこうだろ…?」

 

 

淡々と言っていた。しかし悲痛な叫びのようでもある。今の刀也は病室で泣いたあの時と何も違わない。自分を否定したままだ。

 

 

「おれはおれの正しさを信じられない」

 

 

 

「だから、今回はいいんだ」と刀也ははにかんで続けた。

バレバレの虚勢に、だからこそ追及ができず。迅とクロウは押し黙る。

 

 

「……そっか。ならこれで話はおしまいだ。じゃあおれは行くけど……忘れないでね、ヨナさんに世界の存亡が懸かってるって事。クロウさんだけじゃダメなんだ。2人揃ってゼムリアに行ってもらわないと」

 

 

「わかった。最善を尽くす」

 

 

そうして迅が退室していく。それを見届けてクロウもコーヒーを呷ると席を立った。

 

 

「俺もちょいと用事があってな。少し留守にするぜ」

 

 

「おれもやる事があるから。じゃあまた」

 

 

クロウに続いて刀也も立ち上がると隊室を出て行った。刀也の“やる事”というのが少し気になったが、クロウの用事も外せないものだ。

おそらく今なら大丈夫だろう、と忍田にアポをとってから本部長の執務室に向かった。

 

 

 

☆★

 

 

 

「聞きたい事がある。“第0次近界遠征”とか噂されてるボーダーの触れざるべき汚点(アンタッチャブル)についてだ」

 

 

ソファに腰を沈めると、クロウは対面の忍田に向けて単刀直入に話を切り出した。

 

忍田本部長の執務室は執務机や来客対応用のテーブルやソファなど必要最低限の物があるだけで、忍田の質実剛健を表すと言うよりは質素であった。エレボニア貴族に見られた華美な装飾ややたら高そうな絵画や壺なんかは間違ってもない。

 

そんな質素な部屋の空気が一瞬にして引き締まった。忍田は眉根を寄せて、いつもより低い声音でクロウに問うた。

 

 

「誰に聞いた?」

 

 

「噂だって言ったろ」と軽口じみて言う。忍田の雰囲気は少しも和らがず、この話の狙いについて語る。

 

 

「聞きかじった情報を統合するとこうだ。その昔、第0次近界遠征というのがあって、失敗した。その生き残りがアンタと東、そして刀也だってな。……俺は刀也の劣等感っつーか…過剰なまでの自信のなさはそこに起因すると睨んでる。そのトラウマを何とかしない限り、あいつは前にも後ろにも進めねえってな」

 

 

クロウの玄界への登場は、ただ緩やかに腐っていく刀也を立ち上がらせただけ。4年前の惨事から刀也の時は止まったままだ。前進も後退もできずに立ち止まっている。リィンの夢に己が願いを預けてしまっている。

加古の存在が刀也が己を肯定するよすがにはなっているが、それはあまりにも細い糸だ。

 

だから、追及すべきは刀也がそうなった原因。

そう思い立ったからクロウはこうして忍田に頭を下げたのだ。「頼む、教えてくれ」と。

 

 

幾ばくかの沈黙の後に「仕方ない」と忍田はため息を吐いた。

 

 

「本来なら城戸司令の許可がなければ話せないが……君たちの悪巧みのおかげで今や実権は私のもの…事後報告で良いだろう」

 

 

クロウと刀也の悪巧み……城戸派を切り崩してボーダーの勢力を忍田派に傾けた件については、忍田本人には事後報告だった。

忍田自身がそのやり方を好まないであろうからだ。しかし、そういった意味でも上層部はクロウらに一杯食わされた形であり、忍田はその敗北感で以って実権を受け入れた……という経緯があった。

 

 

「あれは4年前の話だ」とソファに背中を預けて忍田は口を開いた。

 

 

「第一次近界民侵攻で多くの市民を攫われた我々は、その奪還を試みようとしていた。そのためにどんな国が侵攻してきたのかを調べる必要があった。その調査部隊を派遣したのが……」

 

 

「今は第0次近界遠征と呼ばれる、失敗した遠征…ってわけか」

 

 

刀也によると成功した場合は公表され第一次近界遠征とされるはずだった遠征だ。

 

 

「そうだ。遠征部隊の隊長は私が務めた。夜凪君も部隊の一員で…あくまで調査だけの予定だったため若手の有望株だった東なども選出された。部隊の総人数は7人…いや6人か」

 

 

そこで一瞬だけ表情を歪めた忍田。しかし今は関係ないと割り切ったのか、すぐに続けた。

 

 

「部隊はまず旧ボーダー時代から友好国であった国に、情報収集と補給のため立ち寄る事になった。門を開き、遠征艇がその国に侵入すると同時に襲撃に遭って遠征艇は撃墜された。襲ってきたのは三門市に侵攻したと思われる国家が追跡を逃れるために放ったトリオン兵だった」

 

 

「おい、そいつは……追手の追跡ルートを見越して妨害を設置したって事か…?」

 

 

「そうだ」と忍田は首肯する。だとしたらその侵攻国とやらは外道だ。追手を撒くために関係のない国を巻き込むなど。忌々しい《鉄血》の手腕を思い出す。

 

しかし、トリオン兵とは。腕の立つトリガー使いでもなければ、黒トリガーが立ち塞がったわけでもない。今やノーマルトリガー最強とまで呼ばれる忍田の相手になるとは到底思えなかった。

 

 

「やられたよ。死にかけた」

 

 

クロウのそんな疑問を見抜いたのか、忍田は先回りして答えてみせた。しかしその答えはクロウの予想したものとは違った。

 

 

「当時は未熟者で…と言い訳できないほど、アレはとてつもなく強かった。一体で国ひとつを滅ぼしうるほどの存在だった。あの時以来、目にしていないから採算度外視のワンオフものだと信じたいが」

 

 

「おいおい……どんだけだよ、そのトリオン兵ってのは」

 

 

「そうだな……今のボーダーで言えば、A級を総動員して何とか、という相手だろう」

 

 

にわかには信じ難いが、話を聞くだにとんでもないとわかる。

普通のトリオン兵が哨戒用や強襲用の人形兵器だとしたら、件のトリオン兵はゴルディアス級と言ったところだろうか。それこそ神機アイオーンに匹敵するような。

 

 

「だが…アンタが今ここにいるって事は、そのトリオン兵は撃破されたんだろ?」

 

 

「ああ。私はトリオン体を破壊されて気絶していたから実際に見たわけじゃないが、おそらく夜凪くんがⅦ"sギアを起動させて倒したんだろう。尤も、そうと理解したのは彼が先日Ⅶ"sギアをお披露目したからだが」

 

 

「なるほどな」と情報を飲み込んだ。確かに、エネドラをトリオン兵として運用するための交渉の際にⅦ"sギアを出した時に忍田がそんな事を言っていた記憶はある。

 

 

「そんな事があって、生き残ったのは私と夜凪くんと東くんの3人…すでに艇も破壊されて遠征は失敗だった。帰りは友好国から遠征艇を借り受けてこっちの世界に戻ってきたわけだ」

 

遠征艇を借り受けたと軽く言うが、ボーダーにおいてそれはかなり重要なものだ。それはきっと近界の国々にとってもそうだろう。しかもトリオン兵の襲撃で大きく国力が下がった状態ならなおさらのはず。それでも貸し出してくれたのは、ボーダーが救世主だったから。滅亡に瀕した国に現れた英雄に国主をはじめ民衆もいたく感謝した事だろう。

 

 

「そして、第0次近界遠征は隠蔽される事となった。偵察隊を出したにも関わらず何の成果もなく、隊員も喪った。旧ボーダー時代から使用していた遠征艇も破壊されてしばらく遠征も不可能になったし、第一次侵攻をやった国の特定も出来なかった。……私から話せるのはこのくらいだ」

 

 

忍田の話はそれで終わりだった。以前に刀也から聞いた内容とほとんど同じ。今回は中身がより鮮明になったというくらいだ。

 

しかし、刀也の語った内容との食い違いもあった。それが何を意味するのか…クロウの内側では考察が出来上がりつつあった。「最悪だ」と口の中でつぶやいた。

それは、今この場で口にすべきではない。その事実はおそらく、忍田にとって衝撃的で、ボーダーにとっては隠匿すべきもの。

遠征を控えた現状で、組織を波立たせるわけにはいかない。

 

そのためクロウは疑問をぶつける事もできず、「参考になったぜ」と席を立った。

 

 

「今の話、刀也にも確認とっていいか?」

 

 

「構わない」と返事を受けて、部屋を出ようとしたクロウを忍田が呼び止める。

 

 

「夜凪くんがああなった原因は君が言った通り“第0次近界遠征”だろう。その過去を乗り越えるのに役に立つかわからないが……、遠征後に彼と話したら“死んだやつらを助けられたかもしれなかった”と言っていた」

 

 

「……そうか。わかった、その情報…役立たせてもらうぜ」

 

 

「頼んだ」と忍田は言って、今度こそクロウは退室した。

向かうのは夜凪隊室だ。おそらく忍田が“そう”なら、東だって“そう”だろう。刀也が“そう”でない理由はわからないが、第0次近界遠征の内容を詳らかにするには刀也と話すのが一番だ。

 

忍田に刀也と第0次近海遠征について話す承諾は得たし、最低限の情報も知れた。

 

あとはーーーー刀也を過去と向き合せるのみだ。

 

 

 

 

 

☆★

 

 

クロウが忍田から“第0次近界遠征”について聞き出している頃、刀也は開発室で鬼怒田と向き合っていた。

 

 

「鬼怒田さん、少しお話が」

 

 

それは、先程刀也が忍田との黒トリガー争奪戦において出した条件の第二。

その狙い。裏の裏。すなわち表。A級への昇格は“試作トリガーを使える”という特権。

 

 

「ガイストと少し前に試作していた“アレ”ーーー組み合わせられませんか?」

 




黎の軌跡めちゃんこ面白かったです。

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