ラインの娘   作:ほいれんで・くー

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17. 勇者ユリウスの弁明

 歴史を顧みると、権力者たちがいとも容易く、残酷でにわかには信じられないような命令を発する場面にしばしば遭遇する。

 

 食うに困って一斉蜂起した農奴たちを皆殺しにしたり、宗教改革者を火刑に処したり、魔術を用い魔族と通じたという嫌疑で、市のすべての女を生き埋めにしたり……

 

 私たちはそんな彼らを、血も涙もない、内的葛藤や苦悩もない、魔族以上に魔族的な人間であるとみなしがちである。高貴な生まれが却って彼らの魂を損なわせ、富裕な境遇は彼らの性情を腐らせ、豊かな学識は性格を傲慢にすると私たちは考える。だから彼らは数千、数万の人間の命を、あたかも食卓から食べカスを落とすかのように、眉一つ動かすことなくこの世から抹殺するのだと思ってしまう。

 

 しかし、私は知っている。彼らもまた私たちと同じ人間であり、悩み苦しみつつ、命令を発したのだと、私は知っている。言いたくなかったことを言い、言いたかったことを言わないで、彼らは懊悩(おうのう)のうちに命令を発したのだと、私は知っている。

 

 いや、彼らの全てがそうであったわけではないかもしれない。彼らの中には喜んで民を死へと追いやり、笑って酒杯を傾けつつその様子を眺めた者もいるかもしれない。私はそれを否定しない。

 

 それでも、私が側近くお仕えしたオタカル王子は、決してそうではなかったと私は断言できる。

 

 オタカル王子は、歴代のリヴシェ王国の統治者の中でも飛び抜けて冷酷無情だと言われている。彼は厳格な法治主義者で、肉親すら利用するほどの策略家で、かくほどまでに味方からも敵からも怖れられ恨まれたことはない存在だと評されている。だがそれでも、オタカル王子は私が全身全霊を以てお仕えするにふさわしい方だった。

 

 その日の早朝だった。私はあることを急報するべく、王子の寝室へ向かった。

 

 一週間前、かねてより戦争状態にあった東方の魔族たちが大攻勢を発起した。私たち王国首脳部は、不眠不休でその手当てに追われていた。寄せられてくる各種情報を吟味・統合し、それに基づいて部隊を派遣し、軍需物資を輸送し、予備役に動員令をかける……仕事は無限にあり、無限に増えていったが、それを捌けるだけの人間はいなかった。なにより、私たちには時間がなかった。

 

 だが、オタカル王子はこの難局に際して、迅速で的確な命令を出し続けた。母君譲りの美しい金髪と緑の目を持ったオタカル王子は、生来病弱で背丈と筋肉に乏しく、肌は常に蒼ざめていた。しかし、その断固たる態度には目を見張るものがあった。ある連隊を捨て石にして戦線を整理することを命令した時、王子は涙ひとつ浮かべず、他のいかなる命令とまったく同じ口調で、それを私に書き取らせたのだった。

 

 ようやく一息つけるという朝だった。私はひりつくような喉の渇きを覚えながら、寝室の扉をノックした。王子からは短く返事があった。私は中に入ると、王子に言った。

 

「殿下、ユリウスが王城に出頭して参りました」

 

 ちょうどその時、王子はカップを傾けて朝の茶を楽しんでいる最中だった。私の言葉を聞いて王子は一瞬手を止めたが、いつもの通りの冷静さを保ったまま答えた。

 

「ユリウスが? 亡霊ではないだろうな」

 

 亡霊という言葉に、幾分かの辛辣さが感じられた。私は答えた。

 

「著しく消耗しているとのことですが、たしかに生きております」

 

 王子は私を見ていた。静かながらも烈しい色がその瞳にあった。王子は短く尋ねた。

 

「一人か?」

 

 私は頷いた。

 

「ただ一人でございます。伴も連れず、ただ一人で城門に現れました」

 

 王子はまた尋ねた。

 

「何と言っているのか?」

 

 私は答えた。

 

「殿下にお会いして話がしたいと。ただそれだけを訴えております」

 

 ここまで話してから、王子は少し考えるような素振りを見せて、やや低い声で私に言った。

 

「……聖女はどうした。あの、アネシュカは?」

 

 私は、当然その問いがなされるであろうことを予想していた。それでも、声が掠れるのを抑えることができなかった。

 

「……姫殿下は、おられません。ユリウスも、そのことに関しては口を(つぐ)んでいて……」

 

 王子はカップをそっと置いた。カップとソーサーが擦れる微かな音が妙に私の耳に残った。王子は静かな、いつもどおりの口調で言った。

 

「とにかく、会おう。ユリウスは今どこにいる?」

 

 この方ならば、すぐに会おうと言うだろうと私は思っていた。私は王子が久しぶりに味わう、ささやかながらも平穏な朝を台無しにしたのだ。私は少し目線を伏せて、答えた。

 

「ひとまず地下牢に収容しております。これよりお目見えの支度を整えさせるので、今より一時間後にはここへ連れて参ることができます……」

 

 だが、王子は言った。

 

「いや、連れてくるまでもあるまい。今から私が直接会いにいく。コンラート、お前もついて来い」

 

 王子は立ち上がると、部屋着に上着を羽織っただけという簡素な服装のまま部屋を出た。私も王子のあとに続いた。王子の足取りは常と変わらぬはやさだったが、私にはどこか急いているようにも感じられた。

 

 地下牢に向かう途中、王子はいつものように戦線について私に質問をした。

 

「シュマバ要塞はどうなった?」

 

 シュマバ要塞は一週間前から魔族軍に重囲されていた。私は答えた。

 

「依然、持ち(こた)えております。援軍の行軍も計画通りで、三日後には要塞外縁に到達するものと思われます」

 

 王子はかすかに頷いた。さらに王子は尋ねた。

 

「オロモウツの状況は?」

 

 オロモウツでは数日来激戦が展開されていた。私は答えた。

 

「報告によりますと、魔族の火力魔法が特に熾烈を極めているようです。それに耐えかねて、我が軍に脱走兵が出始めているとの報告が……」

 

 王子は言った。

 

「オロモウツにはさらに火砲を送ってやらねばなるまい。それから、脱走兵は軍律に則り、全員処刑せよ」

 

 なにも変わらない。王子は、表面的には、いつものままだ。峻厳なる統治者としての振舞いと言動、それは別段不思議でない。

 

 たとえ、今から会いに行くのがあのユリウスであっても、王子はなにも変わらない。私はそのような王子に怖れを抱くのと同時に、それ以上に敬意の念を感じた。

 

 私などは、ユリウスという人物を考えるだけで、強い怒りと憎しみと、それと同じくらいの敬慕の念を覚えるというのに……この方は、なにも変わりないのだ。

 

 地下牢は暗く、湿っていた。突然の王子の来訪に衛兵たちは慌てたように威儀を正して敬礼した。王子は軽く答礼して、奥へ奥へと進んでいった。

 

 ユリウスは、そこにいた。彼は地下牢の最奥、重犯罪者が収容される独居房の一遇でうなだれていた。

 

「ユリウス、久しいな」

 

 王子は何ら気負うことなく、まるで旧知の親友に対するような、穏やかな口調で話しかけた。

 

 問いかけにユリウスは、ビクリと体を震わせた。彼は惨めにも震えた声で答えた。

 

「お、王子……い、いえ、殿下」

 

 私はあまりにも変わり果てたユリウスの姿を、心のどこかで呆れながら見ていた。

 

 見る者すべてを魅了する、あの男らしく英雄的な風貌はどこへ消えてしまったのか? 今のユリウスは浮浪者のように(やつ)れ、かつ垢に(まみ)れて汚れていた。気高い意志を有していたあの鷹のごとき目は白濁し、戦場においてどれほど魔族の矢弾と魔法に晒されても決して曲げることのなかった背は、ドブネズミのように卑屈な線を描いていた。

 

 だが王子は、見るも無残に落魄したユリウスの姿に気を取られることはないようだった。王子は言った。

 

「待て、かつては『俺』と『お前』で呼び合った仲ではないか。いまさら私の心証を良くしようと改まった言葉遣いをするのならば、私はお前に失望するぞ」

 

 思いがけぬ王子の言にユリウスは目を見開いた。彼は深く息を吸い込むと、その吐息と共に言葉を漏らした。

 

「……殿下。いや、オタカル。ありがとう……」

 

 王子は顔色ひとつ変えなかった。王子はしばらくユリウスを見つめた。何も感情の乗っていない目だった。ユリウスは居心地が悪そうに体を小刻みに動かした。

 

 やがて、王子は言った。

 

「あれから何があったのか、話してくれないか? お前が出奔したあの時から、いったい何があったのかを、今ここで話してほしい」

 

 ユリウスは、一つ大きな深呼吸をした。そして、存外スラスラと、淀みのない口調で、彼は話し始めた。話し続けるうちに、その濁っていた目は輝き、背筋はまっすぐに伸びていった。

 

「……俺は、あの日、アネシュカと一緒に王城を密かに抜け出て、それから国境へ向かった。世間では俺が戦いに嫌気が差して、いつの間にか関係を持っていたアネシュカと共にどこかへ逃げ出したなどと噂していたらしいが、そんなことは決してない。俺は魔族共と魔王を倒すための仲間を集めて、遠いルーシの魔王城へ向かったんだ」

 

 王子は軽く頷いて先を促した。ユリウスは言った。

 

「仲間は続々と集まった。剣技に長けたヤーヒム、元チュートン騎士団兵士長のクラーマー、治癒術に秀でた修道女マリアンヌ、槍の使い手ドラホミール……みんな、素晴らしい仲間だった。俺たちは立ち向かってくる魔族共を倒し、いくつもの山と川と谷を越えていった。時には三つの首と七本の尾を持つ黄金のドラゴンを倒し、地獄の番犬の群れを退けて、ついに俺たちはルーシの魔王城、あの血で塗り込められた真紅の不夜城に乗り込んだ」

 

 ユリウスは語り続けた。

 

「俺たちは戦った。ヤーヒムとドラミホールを失いながら魔王の親衛隊を退け、魔族の新兵器である合成獣をクラーマーとマリアンヌを犠牲にしながらなんとか倒し、ついに魔王の玉座の間にまで到達した」

 

 ユリウスの話は、にわかには信じがたいものだった。百年前、漆黒の瘴気を纏って忽然と現世に出現した魔王、その本拠地たる王城に、いくらアネシュカ姫が一緒だったとはいえ、このユリウスは僅かな仲間と共に侵入し、魔王の喉首まで迫ったという……私は息を呑んでその話を聞いていた。横に立っている王子に、私は一瞬だけ目を向けた。王子は変わりなかった。冷然とした表情を崩していなかった。

 

 ユリウスは言った。

 

「俺とアネシュカは、力の限り戦った。魔王は一度刺されても死なず、二度首を跳ねられても死なず、三度胴を斬っても死ななかった。アネシュカの魔法も、四度奴を灰に変えたが、それでも奴は復活した。それでも俺は、最後まで戦うつもりだった。次第に魔王も力を失い、剣筋も衰えた。勝機が見えたと思った。だが……」

 

 ユリウスは口ごもった。口に出すだけで死にそうになるほどつらいことを言い出すための決心、それがつくまで待っているようだった。

 

 王子も私も、口を挟まなかった。私たちは彼の次の言葉を辛抱強く待った。

 

 ややあって、ユリウスは口を開いた。

 

「だが、魔王は禁術を用いて、別の形態へと変身した。理性のない、純粋な邪悪を体現した巨大な魔獣へと魔王は姿を変えた。俺は奴の暴威に翻弄された。体力も気力も消え果て、血を大量に失い、もはや奴の攻撃を受けることも避けることもできなくなった。その瞬間、アネシュカが俺の前に立って守ってくれた」

 

 一瞬、王子が微妙に体を揺らしたように感じられた。しかし王子は何も言わなかった。ユリウスは言った。

 

「アネシュカは魔力障壁を張りながら、俺に言った。『ユリウス、あなたは逃げて、再起を図ってください。私がそのための時間を稼ぎます』と。俺が答える間もなく、アネシュカは移動魔法を発動して、俺を魔王城の外に逃した。俺はもう一度魔王城に乗り込もうとした。だが、傷は重く、それに奴らの警戒もそれまでとは比べものにならないぐらい厳重になっていたから、断念せざるを得なかった。俺は飲まず食わずでルーシの大地を西へと戻った。そして、ようやく、この王城に戻ってきたんだ……」

 

 しばらくの間、沈黙がユリウスの独居房を支配した。

 

 私は、ユリウスの話をどう判じたものか、考えあぐねていた。

 

 このユリウスという男、元は貧しい平民の出でありながら、類稀なる戦闘の才能と、なにより人々を惹きつける天与の資質を持ち、義勇軍を率いて颯爽と戦線に参加したことで一躍世に名を知られた者だ。五年前、王国軍の主力が魔族の包囲を受けて壊滅の危機に瀕した時、ユリウスの義勇軍は敵の本営を奇襲し、逆転勝利の立役者となった。

 

 次第にユリウスは「王国の勇者」と呼ばれるようになった。「勇者ユリウス」と、私もかつてはそう呼んだものだった。

 

 オタカル王子とユリウスは、大の親友同士と言っても良かった。

 

 王子は、緒戦で戦傷を負って人事不省となった国王の摂政として、混乱した王国をなんとか導いていこうと苦闘の日々を送っていた。強権的で、すべてにおいて国法を優先させる王子に対して、貴族たちは非協力的で、民衆も相次ぐ戦時増税と徴兵に反発を強めていた。

 

 唯一の妹であるアネシュカ姫との不仲も、王子の孤立を深めた。私は、二人が睦まじく会話をしているのを見たことがなかった。王子は聖女である妹君を戦意高揚の道具として利用し、妹君はそれに表立っては反抗しないものの、王子を訪問もしなければ手紙の一つも出さなかった。

 

 そんな中で王子が出会ったのがユリウスだった。ユリウスはその英雄的な働きで民衆から圧倒的な人気があり、貴族たちもその軍才を目当てにユリウスに接近していたから、王子がユリウスとの関係を深めることは政治的に大いに利があったが、それ以上に、二人は人格的に互いを認め合っていた。

 

 私は、王子がユリウスを「生涯にただ一人だけ持つと言われている、運命的な親友」と評したのを知っているし、ユリウスが王子を「身分を超えた真の友情で繋がった仲」と語っていたのも知っている。私が直接この耳でそれを聞いたからだ。

 

 二人の友好関係は二年前のモラヴァ大会戦で最高潮に達し、それから急速に冷めていった。

 

 理由は、対魔王軍への今後の方針を巡ってだった。人間世界の総力を結集しても、モラヴァにてなお魔王軍を撃滅することが叶わなかった以上、これからは内政により力を入れて戦力を蓄え、戦略を練り、兵器と戦術を改良してから戦いに臨むべきだと王子は考えた。

 

 その王子にユリウスは反発した。それまでにもユリウスは何度も、独裁的に法を制定し国政を運営する王子に苦言を呈していた。反対派を投獄し、時には追放までした王子に対して、ある日ユリウスは「お前こそが真の魔王だ!」と叫んだ。宴の最中、公衆の面前で彼はそう叫んだのである。明らかに二人の仲は冷え込んでいた。

 

 その後で、ユリウスは出奔したのであった。アネシュカ姫を連れて、ユリウスは王国から姿を消した。

 

 王族の略取は国法により死罪である。聖女を我がものとすること、これも国法により死罪である。ユリウスは王国の勇者から一転して、重罪犯となった。

 

 ユリウスとアネシュカ姫の出奔事件を、貴族たちは大いに利用した。王子の権威を貶め、絶対支配に楔を打ち込むために貴族たちは盛んに言い立てた。「臆病風に吹かれた勇者ユリウスと、王国の至宝たる聖女アネシュカは、人倫と正義を踏みにじり、人間世界を捨て、聖なる戦いから逃亡した」 彼らは続けてこう言った。「王子はそのような男と友人だったのであり、そのような女の兄なのである」

 

 事件の後、王子は明らかに変わった。それまでの王子は、世間一般の見方とは異なり、実際はどんなに対立する相手であっても、まず言い分を聞き、話し合って、どうしようもなくなってから法的措置を採っていた。しかし、ユリウスとアネシュカ姫が消えてからは、王子は暗殺や処刑といった後ろ暗い手段を躊躇わなくなった。それまで王子は「一度でもそのような手段を用いれば、歯止めがかからなくなる」と私に言っていたのだが、もはや王子はそれを隠すことなく常用するようになった。

 

 ある晩、常になく深酒をした王子が、ふと私に漏らしたことがあった。

 

「……私はユリウスが憎い。アネシュカを連れ去ったあの男が憎い。もとより私とアネシュカとは仲が悪かった。私がどれほど優しい言葉をかけて、心を込めて贈り物をしても、アネシュカは笑顔一つ見せなかった。おそらくは貴族共が何か吹き込んでいたのだろう」

 

 王子が自分の心情を明らかにするなど、滅多にないことだった。王子はさらに話し続けた。

 

「私が国政を預かるようになってから、妹は私に会おうとさえしなくなった。私も私で、妹を聖女として利用した。道具として可能な限り妹を利用した。だから、恨まれて当然だろう。それでも、私は妹を愛していた。どれほど嫌われていようとも、私は妹の幸せを祈っていた。聖女ではなく、肉親として彼女のことを大切にしていた……」

 

 そこまで言ってから、王子はしばらく沈黙した。だが、瞬時に怒りが煮えたのか、王子は顔をさらに蒼白にして、叫ぶように言った。

 

「だが、そんな妹を奪ったことよりも、私に一言も言わずに去っていったのがなにより憎い! ユリウス、あの男! 私はあの男を親友だと思っていたのに! 魂と魂で結ばれた友だと思っていたのに! 私ははじめ、例の噂などは信じていなかった。あの男に限ってそのようなことは決してないと。だが、最近では噂を信じるようになっている。そのほうが私の気が休まるからだ。信じ続けるというのは、なによりも辛いものだ。そして私は、そのような辛さから逃れようとする私自身が、そう、弱さへと流れようとする私自身が憎い!」

 

 私は王子へかけるべき言葉が思い浮かばなかった。王子の苦悩の深さは、私が想像以上のものだった。王子は言った。

 

「もし、ユリウスがもう一度私の前に現れることがあったら、私はこう言ってやるのだ、『お前を決して許しはしない』とな」

 

 私もそれ以来、ユリウスを深く憎むようになった。誰よりも忠誠を誓い、身命を捧げてお仕えするこの方を、また、この方の純心でひたむきな心を、ユリウスは蹂躙した。奴には煮えたぎった鉛を飲ませ、皮を剥ぎ取り、車裂きにしてやっても、なお足りない。

 

「お前を決して許しはしない」 私は何度も心の中でその言葉を繰り返した。そうだ、私も王子と同様に、彼を許しはしないだろう……

 

 そう思っていたはずなのに、実際にユリウスを目の前にし、その語るところを聞くと、私は、怒りも憎しみも抱いていない私自身に気がついた。

 

 ユリウスの話の真実性を保証するものは何もない。本当は魔王城になど行かずに、ユリウスはアネシュカ姫とどこかに隠遁(いんとん)していて、なんらかの事情で生活に困窮し、今回こうして恥知らずにも王城へ助けを求めに来たのかもしれない。

 

 だが、鉄棒の向こうで俯いているユリウスを見ると、そのような考えも自然と消えてしまうのだった。ユリウスという男は、憎んでも憎み足りない男ではあるが、しかし男の中の男である。決して虚偽の供述をする男ではない。

 

 それでも、私は王子の側近である。王子の判断の材料を提供するのが私の役目だった。

 

 私はあえて冷淡な口調で、ユリウスに尋ねた。

 

「お前の話を信じるだけの証拠はどこにもない。ただお前だけがお前の話を信じている。何か(あかし)となるものがあれば、少しは信じられようが……」

 

 ユリウスは私に微笑んだ。彼は言った。

 

「証拠ならある。この傷だ。見て欲しい」

 

 彼が薄汚れたシャツを捲ると、そこには、腹部を横に走る醜い傷があった。黒く、無数の細い虫が蠢くように律動する傷跡だった。傷跡からははっきりと魔力の波動が感じられた。

 

「変身した魔王から受けた傷が、今も治ることなくここに(うず)いている。宮廷魔術師に魔力を鑑定させると良い。紛れもなく、これが魔王による一撃の跡だと分かるだろう」

 

 私は、王子の様子を窺った。この傷を見せられて、王子はなお怒りに燃えているのか? それとも侮蔑か、あるいは憐憫を抱いているのか?

 

 耳に痛いほどの沈黙がその場を支配した。私も、ユリウスも、王子も、何も言わなかった。

 

 数時間が経過した気がした。実際には数分にも満たなかったのだろう。

 

 王子が口を開いた。発せられた言葉は、重々しく響いた。

 

「お前が敵の本拠地に乗り込み、魔王と剣を交えたことは信じよう。その傷が何よりの証拠だ。しかし、一つだけ聞く。聖女は、アネシュカはまだ魔王城にいるのだな? 人類の至宝にして切り札たる聖女は、まだ魔王城にいるのだな?」

 

 ユリウスは力なく頷いた。彼は言った。

 

「そうだ。彼女は魔王城にいる。おそらく囚われの身となっているだろう。アネシュカは決して自害はしない。そもそも、聖女の加護のせいで、彼女は自害しようとしてもできないのだ。魔王も、彼女は殺さないだろう。聖女の力は、魔王にとっても利用する価値があるからだ。戦いの最中でも、魔王はしきりとアネシュカに降伏するよう呼び掛けていた……」

 

 突然、王子の怒声が響いた。

 

「では、なぜお前は生きてここにいるのだ、ユリウス! なぜ、お前だけが生き残ってここにいる!」

 

 今まで見たことのないほどの、激情の発露だった。それに直面して、私はその場にへたり込みそうになった。

 

 ユリウスも目を閉じて、じっと口を噤んでいた。

 

 やがて彼は、意を決したように昂然と顔を上げた。

 

「オタカル、俺がここに来たのは、ただ単に言い訳と命乞いをするためじゃない。俺は、アネシュカからの言葉を伝えに来たんだ」

 

 ユリウスの思いがけぬ言葉に、王子は呆気に取られたようだった。

 

「妹が?」

 

 私も意外に思った。あのアネシュカ姫に限って、王子へ特別に言い残すことがあろうとは、私には考えられなかった。

 

 ユリウスは言った。

 

「俺を転移させる直前、アネシュカは言った。『兄様に、どうかお体を大切にしてくださいと伝えてください。今まで言えなかったけれど、私は兄様を深く愛しておりました』と」

 

 それを聞いた瞬間、王子はよろめいた。私はすぐに王子の体を支えた。王子の体は軽かった。かつてはもっと、重さがあったはずだった。

 

 王子は手を頭にやり、必死に目眩(めまい)を抑え込んでいるようだった。王子は肩で息をしていた。

 

 やがて王子は、か細い声で言った。

 

「本当に、あのアネシュカが、そのようなことを言ったのか? この私に対して?」

 

 ユリウスは力強く頷いた。

 

「そうだ。だからこそ、俺はここまで帰ってきた。アネシュカとの約束を果たし、アネシュカの言葉を伝えるために」

 

 続けて、ユリウスは言った。

 

「弁明はした。アネシュカとの約束は果たした。オタカル、後はすべて、お前に委ねる。俺はすべて、お前に従おう」

 

 私に支えられながら王子は、じっとユリウスを見つめた。

 

 ユリウスは聖女を連れて王国を出奔した。これは紛れもない国家反逆罪であり、極刑に処せられるべきである。しかしながらユリウスは、人類の怨敵である魔王を、失敗したとはいえあと一歩のところまで追い詰めた。これは紛れもない偉業である。

 

 これを王子は、どのように判断するのだろうか? 許すのか、それとも許さないのか? かつてのように仲間としてユリウスを迎え入れ、今日からまた共に歩むのか? それとも統治者として彼を処刑場へ引きずり出し、錆びた斧で首を刎ねるのか?

 

 私はその時、王子が握り拳を作ってはそれを()き、また作っているのに気付いた。

 

 今、この方の中では、相反する二つの言葉が(せめ)ぎ合っているに違いない。

 

 一つの言いたい言葉と、もう一つの言いたい言葉。それを同時に言うことはできない。どちらかを言えば、残されたどちらかは永遠に「言えなかった言葉」として、精神の迷宮を彷徨うことになる。

 

 息を呑んで、私はその瞬間を待った。

 

 しばらくしてから、王子は呻くように言った。

 

「……ユリウスよ、王国の勇者よ。私はお前を許すわけにはいかない。王子として、この国を導く者として、国法を犯し聖女を連れ去ったお前を放免するわけにはいかない」

 

 ユリウスは、王子の言葉を正面から聞いていた。彼は顔色をまったく変えなかった。

 

 王子は言った。

 

「私はこう言わなければならない、『お前を決して許しはしない』と」

 

 言い終えると、王子は静かに独房に背を向けた。去り際に、王子はただ一言だけ言った。

 

「さらばだ、我が友」

 

 去っていく私たちの足音が、地下牢全体にうつろに響いた。ふと顧みると、ユリウスは立ち上がって、私たちに向かって静かに(こうべ)を垂れていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 一週間後、ユリウスは地下牢から脱獄した。

 

「手筈通り、ユリウスは無事に脱獄いたしました」

 

 私がそう報告すると、王子はここ数年で初めて見せる、満足した表情を浮かべた。

 

「良かろう。言えなかった言葉は、精神の迷宮を彷徨うことになる。ならば、それは迷宮から救い出してやって、具体的な姿形を持たせてやらねばならぬ。私はユリウスを放免してやった。それで良いのだ」

 

 私は言った。

 

「しかし、よろしいのですか? ユリウスはきっと、殿下を恨んでいることでしょう」

 

 私の懸念に、王子は少しだけ恥ずかしそうな顔をして答えた。

 

「それはない。私の真意を、きっとあいつも分かっているだろう」

 

 王子は窓の外へ顔を向けた。王子の顔は、生気に溢れていた。王子は言った。

 

「なにせ、私の友なのだから」

 

 ユリウスが魔王を討ち果たし、聖女を連れて王国に帰還したのは、その二年後のことだった。




※以下、作品メモとなりますので、興味のない方はここで読むのを終えられるか、もしくはお手数ですが後書きを非表示に設定してください。

らいん・とほたー「勇者ユリウスの弁明」作品メモ

 2020年1月05日公開。

 去年の5月以来書いていなかったオリジナル短編、その復帰作です。2020年の書き初めともなりました。

 妄想コンテスト「言えなかった言葉」応募作として書いたので、最後どのように話の決着をつけるか、という点で話を考えました。こういうのは恋愛か友情に絡めると話に深みが生まれると相場は決まっているので、今回は友情というテーマで書いてみました。普遍的な価値観について書くことができたので私としても勉強になりました。

 舞台のモチーフはチェコ、ボヘミアです。何本か書いてきて分かったのですが、私は中欧や東欧が好きなようです。

 今回はハーメルン投稿にあたりあまり書き足しを行いませんでした。やはり字数制限8,000字なのに12,000字を書いてそれを縮約するというのは、話が駆け足になってしまって良くないですね。今回は最初から8,000字として設計したのですっきりと収まりました。

 次回もお楽しみに

※加筆修正しました。(2023/07/02/日)
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