ラインの娘   作:ほいれんで・くー

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20. 絶叫する騎士アラン

 魔王は、至極穏やかな口調で私に言った。

 

「どうだね、騎士アランよ。どうか()の提案を聞き入れてはくれないかね。ただ余の言ったとおりにすれば良い。そうすれば余は君を友人と認めるし、それになにより、君のお父上の無念も晴れるではないか。何も難しい話ではない、単純な計算だ。どうか合理的に考えてくれたまえ……」

 

 簡素な灰色のローブを纏い、長大な杖を手にした魔王は、ただ薄く微笑んでいた。その表情からは怒りも憎悪も、侮蔑すらも感じられなかった。

 

 これまでの記憶と、様々な想念が、その時私の中で駆け巡っていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 降誕暦一五七五年、魔王の漆黒の軍勢がリヴシェ王国へ攻め込んだ。それは六月二十九日の払暁(ふつぎょう)のことであった。その日はちょうど、私の十八歳の誕生日だった。

 

 これまで十年に渡り、王国と魔王軍は陸に海に激闘を繰り広げてきたが、直近のこの一年間は互いに兵馬を休め、軍備を増強することに努めていた。そのため、国境線での小競り合いを除けば目立った戦闘はなく、王国の民たちはつかの間の、しかしまやかしの平和を楽しんでいた。

 

 しかし、騎士である私たちは決して安穏とした日々を過ごしてなどいなかった。騎士は王国軍の精華にして真髄である。その誇りを胸に私たちは日夜鍛錬に励み、武具を磨いてきた。

 

 私たちはまことに意気軒昂だった。「いつでも来るが良い! 次こそお前たち魔王軍の終焉の時だ!」 騎士たち全員が固い必勝の信念を抱いていた。

 

 決して油断などしていなかった私たちだったが、それでも魔王軍は狡猾だった。自らが優れた魔術師でもある魔王は、大魔法を発動して天候を操作し、国境一帯に数歩先も見えないほどの濃霧を張り巡らせた。それに隠れて敵軍は一斉に国境線のオードラ川を渡河し、侵攻を開始した。

 

 魔王軍は間を置かず、東部国境防衛の要であるシュマバ要塞を完全に包囲した。

 

 朝、意識は眠りの中にありつつもただならぬ気配を感じ取った私は、目を覚ますや防具も身につけず、寝台から下りるやただ長剣一振りだけを掴んで、急いで居室を出て大広間へ向かった。

 

 号令をかけずとも自然に集まった私たちを満足げに眺めて、司令官は厳かに言った。

 

「諸君! 敵が来た。物見の報告によれば、我々を囲む敵軍はおよそ二万。中央には三つ首の魔竜の旗印が見える。魔王本軍だ」

 

 些かも表情を変えることなく、司令官は言葉を続けた。

 

「言うまでもないことであるが、このシュマバ要塞は王国防衛の最重要拠点である。ここが陥落すれば、王都まで敵軍を遮るものは何もないのだ! 王国軍主力が到着するまで、我々は最後の一人となっても、いや、死しても尚ここを守り抜かねばならない!」

 

 訓示の後、ミサが執り行われた。司祭からの祝福を受けて死後の幸福を約束された私たちは、やがて解散すると戦いの準備にとりかかった。

 

 大広間を出ようとしたその時、私は司令官に呼び止められた。司令官は下級騎士からの叩き上げで、実戦経験豊富であり、なにより私の父と朋友の関係だった。私は彼を深く尊敬していた。司令官は親しげに私に言った。

 

「騎士アラン、今日は貴君の誕生日だったな。いくつになったのだね?」

 

 私は胸を張って答えた。

 

「神の御加護がありますように、司令官! 私は本日をもって十八歳になりました!」

 

 立派な顎髭をしごきつつ、彼は私の肩に手を置いて言った。

 

「十八歳か。もはや戦場に神意を実現するに足る、立派な騎士であるな。だが、先にも言ったが、決して死に急ぐことはない。貴君の兄上の仇を討とうなどとは考えてはならぬ。慎重に、よくよく自重して、この防衛戦を戦い抜いてくれたまえ……」

 

 私は二年前の大会戦で兄ヨゼフを失っていた。友軍本隊が包囲される危機に瀕した時、兄は仲間と共に敵陣へ正面から突撃し、陽動としての大任を完遂したが、そのまま行方不明となってしまった。

 

 兄が騎士として理想的な死を遂げたことを喜びつつも、私はそれ以上に悲しみ、かつ悔しさを感じていた。

 

 私の家は王国の騎士階級の中でも最下層に属していた。その暮らしは常に貧しかった。父は私が幼い頃に戦死し、代わって兄が一家をなんとか養っていた。「戦争で功績を挙げれば、必ず王国は俺たちを取り立ててくれるさ」と兄は常々言っていた。だが、その兄が戦場でこれ以上はないほどの献身を示したにもかかわらず、王国はなんら私たち一家に報いることがなかった。

 

 理由は、ただ「騎士ヨゼフの死体が見つかっていないから」だった。死んだことがはっきりと確認できないのならば、兄は捕虜となってまだ生きているかもしれず、そして魔王軍の捕虜になるという人間世界への裏切りの可能性がある以上、兄の功績を認めることはできないというのである。

 

 これが単なる口実であるのに疑いようはなかった。私たちのような末端の騎士は、明らかに王国首脳部から軽く見られていた。同会戦で拙劣な指揮をし、結果として友軍壊滅の危機を招いたと噂されている老将軍が、戦いの後に勲章を授けられ、しかも所領まで増やされたこととは比べるべくもなかった。

 

 兄を失い、王国からの冷遇に憤懣やる方ない私を更なる悲劇が襲った。流行り病で母と妹がこの世を去ったのである。私は天涯孤独の身となった。幸いなことに、このシュマバ要塞の司令官に私は見出されて、当面の糧と生きる目標を与えられた。

 

 司令官はなにかと私に目をかけてくれた。時折彼が見せる、何かを悔やむような、あるいは何かを蔑むような表情が気になったが、とにかく私は彼を信じていた。王国への忠誠心こそ薄れてしまったが、私はこの要塞を死地として魔王軍と戦い、僅かながらでも兄の無念を晴らそうと決意したのだった。

 

 その日の正午から敵の攻撃が始まった。

 

 このシュマバ要塞の敷地は僅かに六百メートル四方で、籠る兵力は五百名足らずでしかない。しかし、天然の要害に位置し、また最新の築城技術によって建設された要塞であるから、私たちはなんら不安を覚えていなかった。たとえ十倍の敵軍が包囲することがあっても何も問題はなく、むしろ逆に皆殺しにすらできると確信していた。

 

 しかし敵はこの日、私たちの四十倍の兵力をもって押し寄せてきた。魔王が乾坤(けんこん)一擲(いってき)の大作戦に打って出たことは容易に推察できた。

 

 城壁から見える光景はことごとく敵軍に埋め尽くされており、一種の荘厳さすら感じられた。魔王軍は整然と陣形を組み、四隊に分かれて要塞を完全に包囲していた。

 

 私たちには他に有利なものがあった。それは、銃や大砲などの火器であった。それらの火器は、ここ四半世紀の間に世の中に登場した、いわば新兵器である。このシュマバ要塞には二百丁の銃と一門の大砲があり、大量の弾薬も集積されていた。

 

 人間世界においてもまだ珍しいこの兵器を、敵はまったく装備していなかった。敵は刀と槍と弓矢しか有していなかった。従って私たちは安全な城壁に拠りつつ、遠距離から一方的に敵を撃つことができた。

 

 その日、日没までに敵は夥しい死者を出し、戦場を魔族特有の青い血で染めた。それでいて敵は、私たちの要塞本体には傷一つつけることができなかった。正面の堀を少し埋められただけで、私たち守備軍は戦死者を一人として出さなかった。ただ、銃の暴発で兵士二人が負傷した。初日は私たちの快勝と言えた。

 

 夜になって、ささやかな祝勝会が開かれた。その席で、以下のような言葉が口々に叫ばれた。

 

「さりながら、城壁の背後からただ銃を撃ち続けるのは騎士たる者の戦いにあらず! 我ら騎士の本願は、馬を駆って敵陣を食い破ることにこそある! 司令官、今すぐ御下知を! 我ら夜闇の中を一丸となって敵本軍へ突撃し、憎き魔王の首級を挙げてご覧にいれる!」

 

 だが、司令官は夜襲を望む声を言下に否定した。我々の使命は王国軍の主力が到着するまでこの要塞を守り切ることであり、そのためには兵力を温存せねばならない。また、我々が今夜夜襲をかけることを敵も予想しているだろう……

 

 不満の声がないでもなかったが、私たちはその言葉に従った。

 

 次の日から敵の攻撃は本格化した。それは、誰も乗馬突撃など口にしなくなるほどの激烈さであった。私たちは昼も夜もなく防御と対応に駆けずり回ることになった。

 

 敵は何本もの攻城塔を組み上げ、要塞の城壁よりも高いところから矢の雨を降らせてきた。要塞の大砲は火を噴いてそれらを打ち倒したが、敵は怯むことなく新たな塔を建設した。そのうち大砲は砲身に亀裂が入り射撃不能となったが、幸いなことにその頃には敵も戦法の無益なことを悟り、攻城塔を建てなくなっていた。

 

 また敵は、地下に坑道を掘削して城壁を崩落させようとした。司令官はこのことを予期していたため、大事になる前に私たちはそれに対処することができたが、敵はそれにもめげることなく、数を生かしてあらゆる方向から地下戦法を試みてきた。

 

 熾烈な戦闘に私たちは疲労していたが、それでも未だに士気は高かった。この調子で戦っていれば、援軍が到着するまで要塞を守り抜くことができるだろう……私たちはそのように言って互いに励まし合った。

 

 だが、戦いが始まって一週間が経過したとき、要塞陥落の危機が思いがけず出来(しゅったい)した。

 

 その日の朝、突如として要塞に無数のネズミが出現した。子猫ほどの大きさがあるネズミ共は不気味な紫色をしていて、その目を赤く光らせ、糸を引く涎を口から垂らしながら、城壁内のありとあらゆる場所を走り回った。

 

 ネズミ共は人間を襲わなかった。私たちが剣を振るい、盾で圧し潰すのを意にも介さず、奴らは食料庫に殺到した。そこには長期の籠城戦に備えて、五百人の守備隊を優に半年は養い得るだけの穀物と干し肉と塩が蓄えられていた。ネズミ共は、それらを半時間足らずで喰い尽くしてしまった。

 

 やがて食欲を満足させたネズミ共は、一声鳴くや煙となって消えてしまった。明らかに、ネズミ共は魔王の魔術によって生み出されたものだった。正攻法では上手くいかないのを悟った敵が、兵糧攻めへと戦略の転換を図ったものと推測された。

 

 食われずに済んだ食料もあったが、それらをかき集めたところで微々たるものに過ぎなかった。未だ兵員は健在で、武器庫にはいくつもの新品の兵器があり、弾薬庫には火薬樽が山のように積まれているが、食料がなければどうにもならない。

 

 この事態を受けて、司令官は一人、半日も居室に籠った。飢え死にするまで籠城を貫くか、それとも、座して死を待つよりは、要塞を捨てて敵陣に突撃するか? 司令官の考えはその二つの間で揺れ動いているようだった。

 

 やがて、司令官は大広間に私たちを集めて言った。

 

「諸君。知ってのとおり、魔王の卑劣なる魔術により我々の兵糧が失われた。どんなに工夫して食いつないでも、あと四日で食料は完全に底を尽く。だが、このシュマバ要塞は王国と王都を防衛する最重要拠点である。我々がここを捨てて脱出することはあり得ぬ。たとえ愛馬を屠り、同輩の死肉を齧ってでも、我々は援軍の到着まで戦い抜かねばならない。しかし、このまま手をこまねいているわけにもいかない。そこで……」

 

 いったん言葉を切って、私たちをじっと見つめてから、司令官は言った。

 

「私は王子殿下に我々の窮状を訴え、援軍を催促する書状を用意した。私は誰か勇敢なる者にこれを託し、王都へ走ってもらいたいと思う。城外を十重(とえ)二十重(はたえ)に囲む敵軍を突破し、昼夜兼行で王都までの八十リーグを駆け抜ける自信がある者は、どうかいま、ここで名乗り出て欲しい」

 

 騎士たちは誰も名乗り出なかった。彼らは異口同音に「要塞に残るも、要塞を出るも待ち受けるのは死。ならば要塞に残り、最後まで戦い抜きたい。たとえ死を免れて王都に書状を届けることができたとして、万一ここが落ちることがあれば、余人の思惑はどうあれ、一生自らのうちに裏切者という恥辱を抱えたまま生きねばならなくなる。そのようなことは耐えられない!」と言った。

 

 常に泰然としている司令官も、この時ばかりはありありと焦慮の色を浮かべていた。

 

 それを見て、私は自然と大きな声で叫んでいた。

 

「私に、是非わたくしアランにその任をお授けください! 必ずや書状を届け、速やかに我らが要塞へ援軍をもたらしましょう!」

 

 私の申し出に、司令官は難色を示した。彼はどうやら、私を死なせたくないようだった。それでもなお懇願する私の熱意に押されて、結局、彼は私を使者にすることを決めた。

 

 司令官は私を居室に呼ぶと、書状を与えた。彼は王子殿下に申し上げるべき口上をも私に教えた。最後に、常に明朗な彼にしては珍しく、奇妙に言葉を濁しながら、彼は私に言った。

 

「私は……私は詫びねばならぬ。かかる事態を招いたこと、そしてなにより、貴君に対して……」

 

 私は答えた。

 

「王国の騎士たる者、常に覚悟しております。なにより、私が敬愛する司令官閣下のためであります。一命を投げ打ってでも、必ずやこの任務を完遂する所存です」

 

 司令官は何か言おうと口を開いたが、結局何も言わなかった。彼が飲み込んだ言葉がなんだったのか、私には分からなかった。

 

 まだ月明りが残る早朝、私は農民に身をやつし、地下水路から要塞を出ることになった。私の脱出を悟られないよう、仲間たちはそれに合わせて出撃し、敵陣へ陽動の突撃をかけた。

 

 遠くから聞こえる叫喚を耳にしながら、私は汚物が浮かんだ水面をひそかに進んだ。一時間後に私は要塞外に達した。

 

 敵兵はどこにもいなかった。私は走り始めた。

 

 丸一日間、私はただひたすらに走り続け、疲労困憊しながらもついに王都郊外に達した。そこにはすでに、友軍の主力と、各国の派遣軍の先遣隊の宿営地が築かれていた。本営の営門に近づいた私は、当初衛兵に敵の密偵かと疑われた。だが、やがて嫌疑が晴れると、王国軍総司令官たるオタカル王子に直接拝謁できることとなった。

 

 王子は無表情のままに私に言葉をかけた。

 

「若き身でありながら十死零生の大任をよくぞ成し遂げた。ちょうど我が軍は出陣の準備を完了したところである。要塞に到着するのは遅くとも三日後になろう。我が軍の総勢は四万である。これだけの兵力があれば必ず魔王軍を決戦にて殲滅できるだろう。まことに大儀であった。このうえなおシュマバ要塞に帰るには及ばぬ。ここに残り、心身の回復に努めるが良い」

 

 その言葉は、内容こそ親切を極めていたが、声音には何ら感情の色が見えなかった。ともすると、冷淡そのもののように思えた。王子は冷酷非情であるとは聞いたことがあったが、私は、これまでの決死行に対する報いがこの程度のものであるのかと思わざるを得なかった。

 

 そんな内心を秘しつつ、私は言った。

 

「まことにありがたき思し召しとは存じますが、これよりただちにここを発ち、シュマバ要塞に帰りとうございます。要塞の司令官と仲間たちは援軍来着を心待ちにしております。私がいち早く戻り吉報を届ければ、彼らは必ずや奮起し、最後まで要塞を守り抜くことができましょう」

 

 またあの重囲を抜けるなど、冷静に考えれば不可能である。ここに来ることができただけでも奇跡そのものといえた。戻ることは死を意味していた。だが、私はそう言わずにはいられなかった。

 

 王子は形ばかりに私を引き止めたが、私の決意が固いのを見るや「では、馬をやろう」と一言だけ言った。私は騎士の礼でそれに答えた。

 

 私は馬に乗ると、また暗い道を走り始めた。要塞まで十リーグに到達したところで、私は馬から下りた。ここからは、ただの農民を装わねばならなかった。

 

 敵の斥候に何度となくぶつかり、そのたびに私は草むらに隠れた。見ると、遠くの道を敵の輸送部隊が行くのが見えた。私はそれに何食わぬ顔をして加わり、敵の陣営の中にまで入り込んだ。こうする他に要塞に近づく方法はなかった。

 

 要塞は未だ健在だった。断続的な射撃音が聞こえてきた。

 

 荷駄(にだ)の傍らで、私がほっと溜息をついた、その時だった。

 

 声が響いた。

 

「アラン? お前は、アランではないか?」

 

 ふと目を上げると、そこには兄がいた。その頭には魔王軍特有の醜悪な意匠の兜を被っており、顔はやつれて目は落ち窪んでいるが、それは間違いなく、数年前に行方不明となった私の兄だった。

 

 私は、魔王の本営に連れていかれた。

 

 

☆☆☆

 

 

 これまでの経緯について尋問された私は、それらのいちいちに素直に答えた。魔王は言った。

 

「うむ、仲間のために生命を顧みずここへ戻ってくるとは、なんとも素晴らしい魂の持ち主だ。どうだ、()に仕えないか? 単なる騎士としてではなく、一隊を率いる将として君を取り立ててやろう。領地も与えるし、妻も選んでやる。無論、人間の妻をだ。余は人間の女たちも多数抱えているから、君の妻選びには苦労せん。そうだヨゼフ。兄である君からも、何か言ってやってくれないか?」

 

 魔王の傍に控えていた兄が、よく言って聞かせるように私に言った。

 

「アラン、立派な騎士よ。お前は充分に役目を果たした。これ以上王国に忠義を尽くす必要はない。これまで王国が私たちの懸命な働きに対して、何を返してくれたか思い返すが良い。そう、私たちは王国にもう充分なほど尽くしたのだ」

 

 なおも黙り続けている私に、兄は言葉を続けた。

 

「瀕死の重傷を負った私を、魔王様は手ずから術を行使して癒してくださった。のみならず、魔王様は私を一軍の将として抜擢した。王国の騎士であった頃には考えられなかったほどの厚遇だ。先ほどの魔王様のお言葉に偽りがないのはこれで明らかだろう。それとももしや、要塞の仲間たちのことを思っているのか? それならば言うが……」

 

 兄は私を、じっと見据えて言った。

 

「実はあの男、あの要塞司令官は、私たちの父の仇なのだ。私たちの父が戦場で死んだのは、あの男が父の隊を見殺しにして、自分だけ戦功を(むさぼ)ったからなのだ。これは私自身が調べたうえで、確証を得たことだ。不思議に思わなかったか? あれほどの地位にある男が、どうしてただの下級騎士であるお前に目をかけていたのか。それは、あの男の罪悪感がそのようにさせていたのだ」

 

 魔王が口を開いた。

 

「どうだね。これでもまだ要塞に帰ると君は言うのかね? 王国は忠義を尽くすに値せず、しかも要塞には父の仇がいる。一方、余の軍に加われば栄達し、唯一の肉親である兄と共にこれからもずっと安逸に暮らしていくことができる。どちらが良いか、考えるまでもないと思うが」

 

 しばらく、沈黙がその場を支配した。その間に、私は決意を固めた。

 

 私は言った。

 

「兄上、魔王陛下、私は決心いたしました。王国は私の生きるべき場所ではありませぬ。また騎士として、父の無念は是非とも晴らさねばなりません。私はこれより、魔王陛下の陣営に加わりたく思います」

 

 魔王は喜色を満面に浮かべた。

 

「そうか、そうか! よくぞ決心した! 余は君のような者を得ることができてまことに嬉しく思うぞ。数々の魔術を操ることができる余ではあるが、人間の心を操ることは未だにできぬからな。もし君が断れば、君を殺してしまわねばならなかっただろう。君のような優秀な騎士を生かして放免するわけにはいかないからな……さて、さっそくだが、一つ君に頼みがある」

 

 跪く私にそっと近寄ると、魔王は優しく私の手を取って言った。

 

「余は明日の朝、君を十字架に(はりつけ)にして、要塞正面の(ほり)まで運ばせる。安心したまえ、これはただの計略なのだ。そして、君にはこう叫んでもらう。『友軍主力は魔王軍別動隊に撃破された、援軍は来ない、これ以上の抗戦は無用である、速やかに開門して魔王の慈悲を乞いたまえ』 いいかね、そのように要塞の者に告げるのだ」

 

 私は快諾した。兄はどこか涼やかな目で、私のことを眺めていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 翌日は、雲一つない快晴だった。私はあらゆる衣服を剥ぎ取られ、十字架に縛り付けられた。十字架は堀の前に立てられ、要塞に向けて高く掲げられた。

 

 十字架の傍には、兄とその配下の魔族の兵たちが立っていた。強い日差しが私を焼いた。私は耐え難い渇きを覚えた。戦場は静けさに包まれていた。風の音だけが聞こえていた。

 

 やがて、城壁の上に人影が見え始めた。磔になっているのが私と分かったのか、次第にその数は増え始めた。半時間後には、城壁の上は人によって埋め尽くされていた。

 

 兄が私を励ますように言った。

 

「さあ、魔王様の仰せのとおりに叫べ。案ずるな、これは裏切りではない。これはお前と俺の、新しい人生の門出(かどで)なのだ。何も臆することはない。さあ……」

 

 私はそっと目を閉じた。

 

 どこかで雲雀(ひばり)が高く鳴くのが聞こえた。どこまでも世界が広く感じられた。

 

 そして、私は叫んだ。

 

「要塞の方々(かたがた)に申し上げる! 私は騎士アランである! 王都への使いの顛末(てんまつ)を、今ここに申し上げよう!」

 

 勇気を振り絞って、私は続けて叫んだ。

 

「王都にあって王子殿下は大軍を召集された! 四万余りの援軍は今、当地へ向けて進軍中である! 三日後には魔王の軍勢が打ち破られ、我らの要塞の包囲が解かれることは必定!」

 

 あっ! と左右で叫ぶ声がした。私はその声を抑え込むように絶叫した。

 

「我らの勝利は目前にあり! 今しばらく御辛抱されますように!」

 

 魔族の兵たちが怒りに満ちた声を発した。

 

「おのれ! この薄汚い人間が!」

 

 途端に幾筋もの槍が私の体を貫いた。真っ赤な鮮血が十字架の上から迸った。激昂した兵たちは私を十字架から引きずり降ろすと、何度も踏みつけにし、剣と槍で肉と骨を斬り刻んだ。

 

 さっさとトドメを刺してくれ。

 

 そんな私の無言の願いを聞き届けたのか、兄が長剣を鞘から抜いた。

 

 私は兄に向かって頷いた。兄も私に頷き返した。

 

 満足そうな、しかしどこか寂しそうな顔をして、兄は言った。

 

「……よくやった、弟よ。兄はお前を誇りに思うぞ」

 

 次の瞬間、ありがたいことに私の意識はぷっつりと途切れた。




※以下、作品メモとなりますので、興味のない方はここで読むのを終えられるか、もしくはお手数ですが後書きを非表示に設定してください。

らいん・とほたー「絶叫する騎士アラン」作品メモ

 2020年3月15日公開。

 通算二十本目となるオリジナル短編。エブリスタ主催の妄想コンテスト「そして私は叫んだ」に応募した作品です。

 なんだかんだと書き続けて、オリジナル短編もついに二十本目に到達しました。これまでで一番苦しかったのは「センチュリオン号の100日」の頃でしたが、最近はコツを掴んだのかはたまた手抜きを覚えたのか、けっこうすんなりと書けることが多くなってきました。

 この「絶叫する騎士アラン」も(時間が押していたということもあり)半日で書き上げることができました。その理由の一つには、アランにしっかりとしたモデルが存在していたことがあるかもしれません。お分かりの方もいるでしょうが、長篠の戦いの鳥居強右衛門がモデルです。

 次回もお楽しみに。

※加筆修正しました。(2023/07/04/火)

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