アイティオペアの砂漠に、やまない雨が降りしきっていた。
雨が降り始めてからすでに一週間が経過していた。無慈悲な陽光は陰鬱な雨雲に遮られ、地表に届くことなかった。熱砂は泥濘へ変じ、
無数の雨粒を受けて、天幕がボツボツと音を立てていた。天幕の下にいる私は、あまり嬉しくもない心地で雨音を聞いていた。私の目の前にはグラツィアーニ司令官がいた。彼は三本脚の椅子に悠然と腰掛けていた。私のグラスにピエモンテの赤ワインを手ずから注いだ後、彼はおもむろに口を開いた。
「砂漠に雨を降らせる。君から話を聞いた時は、そのようなことが可能だとは到底思えなかったが、なるほど素晴らしい成果だ。戦車でも航空機でも毒ガスでもなく、まさかとうの昔に歴史的使命を終えたはずの魔術が、我が軍の切り札となるとはね……」
蓄音機が低く歌を奏でていた。それは党の歌だった。ノイズ混じりの歌声は
「『……
司令官は軽くグラスを掲げた。彼の目は、そのグラスの中身と同じくらい輝いていた。
「これで、あのバドリオの鼻を明かすことができるだろう。ありがとう、マルコ・ロッシ君」
私もグラスを合わせて、赤い豊潤な液体をぐっと喉に流し込んだ。党の歌は最悪の部類に近いものだったが、この酒は掛け値なしに美味かった。上質なアルコールに助けられて、私は自ずから口を開いていた。
「司令官、魔術は未だにその力を失ってはいません。この『アンドロメダの涙』をご覧になればお分かりいただけるように、古い魔術も科学的な分析と体系化を施すことによって、敵国に打撃を与えるのに充分に強力な、現代的な手段となり得るのです……」
グラスをゆすりながら、司令官は静かに私の語るところに耳を傾けていた。私の話が一段落すると、彼はポツリと呟いた。
「……前の戦争の死者たちも、この雨を受けて喜んでいるだろう。この四十年間、我が国の兵士たちの遺骨はずっと異国の太陽に焼かれてきたのだからな」
司令官は綺麗に剃られた顎をつるりと撫でて、じっと私を見つめて言った。
「君のお父上もさぞやお喜びだろうな」
私は頷くと、視線を遠くへやった。地平線は止めどもなく降り注ぐ天の涙にけぶっていて、何も見えなかった。
それにしてもアイティオペア人たちは、いつになったら降伏するのだろうか? 私はさらにワインを飲んだ。加護を失った彼らにもはや勝ち目はないのに……ワインは、今度はあまり美味く感じられなかった。
いやむしろ、勝ち目がないからこそ降伏しないのかもしれない。私はふと、そんなことを思った。自分たちが降伏する相手がどのような手合いなのか、彼らはすでによく知っているのかもしれない。私は目の前にいるグラツィアーニ司令官を見た。司令官はグラスを傾けつつ、視線を遠くにやって、何事かを考えているようだった。彼は身綺麗で、清潔で、端整だった。おそらく彼は、史上もっとも装いの美しい侵略者だろうと私は思った。
そう、アイティオペア人たちは、侵略者に降伏しなければならないのだ。それはもっともおぞましいことではないか?
☆☆☆
私の父の世代にとって、第一次アイティオペア戦争は屈辱の代名詞だった。
十九世紀中頃から、エウロパの列強国はアフリカ大陸の植民地化を積極的に推し進めた。圧倒的なまでの工業力と軍事力を背景に、あるいは実力に訴え、あるいは利益をちらつかせ、あるいは部族間の争いに便乗して、各国は広大無辺なる熱帯の大陸を蚕食した。
サヴォイア王国は当時、この世界的ムーブメントに完全に出遅れていた。必死になって同民族間での争いを収め、王家を中心にして統一国家を樹立したその頃には、アフリカの殆どが他国の有するところとなっていた。
残った地域は、アイティオペア人の帝国だけだった。必然的に、王国の野望に満ちた視線はそこに釘付けとなった。権謀術数を巡らせ、膨大な資金を投入し、軍隊を送り込んで、我が国は彼らの国土から、辺境たるエリュトゥラー地方とソマリ地方を毟り取った。
次に目指したのは、アイティオペア帝国の本土だった。その砂漠の地下には豊富な天然資源が眠っていると目されていた。いや、それだけではなかった。地下だけではなく、その地上には、サヴォイア王国の民が人間らしい生活をするのに欠かせない、あのコーヒーの木が林立していた。それを栽培し、収穫するための人的資源も無尽蔵にあった。それはまだ私たちのものではなかったが、いずれ私たちのものになるべきものだった。そのように王国は考えた。
すべては順調に見えた。だが、それは誤りだった。あたかも意地の悪い女神が、一人の人間に限りないほどの幸運と成功を与え、幸福の絶頂を享受しているその瞬間に、すべてを奪い取って絶望の底に叩き込むような、そのような運命の急変を我が国は味わうことになった。
アドワにおける決戦で、サヴォイア王国軍はアイティオペア帝国に対して無惨にも完敗した。皇帝親衛軍を中核とした帝国軍が、我が軍を散々に打ち破ったのだった。
無慮一万人にも及ぶ我が軍の兵士が熱砂に屍を埋めた。そして、それとほぼ同数の兵士たちが
我が国、我が民族の二千年の長きにわたる歴史からすれば、この戦争におけるこの敗北は、これまでに無数に経験してきた敗北の一つに過ぎなかった。勝ちもすれば負けもするのが戦争であり、英雄も卑怯者もいつかは死に絶え、栄光も汚辱もうつろうものである。
それでも、我がサヴォイア王国の国民はそのように割り切ることがどうしてもできないのだった。それは、国民性の一つである高すぎる自尊心のせいであり、さらには、そこから由来する強烈なまでの差別感情のせいでもあった。
まさか、誇り高きローマの末裔たる我らが、アイティオペア人ごときに敗北するとは! あの褐色の肌をしたアフリカの未開人どもに、列強国たるサヴォイア王国が大敗を喫することになるとは! 国民たちは憤激し、歯噛みした。
実のところを言えば、私たちが彼らアイティオペア人を未開人などと見做すのは、甚だしいまでの思い違いだった。たしかに、アイティオペア人たちは近代的な工場も学校も持っていなかった。彼らは泥と藁で出来た粗末な家に住む人々だった。だが、彼らには歴史と伝統があり、そして何より、誇りがあった。自分たちが生まれ育った愛する祖国の地を北方の侵略者どもには決して渡すまいという、気高い意志を確固として彼らは有していたのだ。
私の父は、残念なことに、その事実をどうしても認めようとはしなかった。父は私を叱りつける時は、いつも義肢となった右腕を撫でながら語るものだった。
「よいか、マルコ。俺は二十歳の時、アイティオペア人と戦った。奴らは野蛮で、残虐で、しかも卑怯な連中だった。我が軍がアドワで負けたのは、決して奴らの実力がこちらより優っていたからではない。カエルとカタツムリを食うあのフランチャ人どもが、裏で軍事援助をしていたからだ。そうでなければ、精強なる我が軍が負けるはずがない! 奴らが援助などしなければ、俺もこの右腕を失うことなどなかったのだ……」
父の言うとおり、アイティオペア人を支援したのはフランチャ人だった。我が国のアフリカ大陸における勢力拡大を食い止めるために、彼らは大量の武器・弾薬を惜しみなくアイティオペア人の帝国へと送り込み、軍事顧問団を派遣した。
高い士気と揺るがぬ誇り、それを支える最新の装備……だが、「たかがその程度で我が軍が敗北するわけはない」と父は言った。
「奴らには、魔術があったんだ。いや、俺たちの使う魔術とは違う。俺たちのものよりも、遥かに大規模で、忌まわしい魔術だ。奴らは、悪魔と契約したのだ! いや、実際にそうしたのかは知らないが、そうとしか言いようがない! 悪魔の加護を受けた奴らには、銃弾も榴弾も、それに俺たち魔術士の魔法も、一切通用しなかった!」
細く筋張った左手で、父は杖を振り回しながら、喚くように言葉を続けた。
「アドワの戦いの時、俺は戦線右翼の魔術士大隊にいた。敵は散開して、砂漠の上を滑るようにして、俺たちの部隊へと一直線に向かってきた。俺たちは三列の横列を敷いて、奴らを迎え撃った。距離が五百メートルになった時、指揮官が号令を下した。俺たちは一斉に火球を発射した。火球はすべて奴らに命中した。だが、奴らには何も効果がなかった!」
小さい頃から何度も同じことを話されている私は、その光景を、あたかも自分自身が見たかのように思い浮かべることができた。父はさらに言った。
「続いて、歩兵隊が銃弾を浴びせた。しかし、それも効かない! 奴らの黒い肌は凶悪な太陽光を浴びて濡れたように輝いていて、弾丸をすべて弾き飛ばした! 奴らはなおも進んでくる。こちらの攻撃は依然として、まったく通用しない。砲兵隊が最後の手段として榴散弾を至近距離からぶっ放した。ようやく、何人かが倒れた。それでも、奴らを止めることはできなかった……」
ここまで話すと、父は義手を外した。今は肉と皮膚で覆われているその切断面を、父は私の眼前に突きつけた。
「見ろ、この腕を! 奴らは俺たちの陣地を蹂躙し、暴れ回った! 多くの戦友が死に、かろうじて生き残った者も、余さず捕虜になった。捕虜になった魔術士は、全員右腕を切断された! もう二度と魔法が使えないようにとな! 奴らは錆びた刀で、ノコギリで木材を切るように、何度も刃を往復させて俺たちの右腕を切り落とした!」
そして、左手の杖で、父は私の頭をしたたかに殴りつけた。頭蓋に鈍い音が響き、脳の奥で電流が弾けた。鼻腔にきな臭いものが漂った。父はなおも私を殴り続けた。殴りながら父は怒鳴った。
「痛いか! だが、あの時俺が味わった痛みは、今お前が感じている痛みとは比べものにならなかった! いや、俺の痛みや、無くなった右腕などどうでも良いのだ! 失われた祖国の誇り、傷つけられた民族の栄光を考えてみろ! ようやく国家を統一し、全世界にサヴォイア王国の武威を知らしめる機会を得たのに、それを野蛮人ごときのせいで台無しにされた祖国の無念を、マルコ、お前は分かっているのか!」
父は何度も、何度も杖で私を殴った。私はそれを、じっと無言で耐えた。しばらくして、父は息を切らし、殴るのを止めた。すると今度は私の頭を撫でながら、怒りと愛情がない混ぜになった奇妙に歪んだ面持ちで、父は静かに語り始めた。
「良いか、マルコ。俺はお前を一流の魔術士にしてやりたい。いや、お前は必ず一流の魔術士になるだろう。お前は俺の自慢の息子だからな。俺は、お前がいつか、あのアイティオペア人たちに復讐してくれるだろうと信じている。そのための魔術も、今はまだ研究中だが、いつかお前に授けてやれるだろう。だから……」
父は、叱られる直前まで私が読んでいた本を、暖炉の火の中へ投げ込んだ。隣に住む婦人が与えてくれたヴェルレーヌの詩集は、見る間に炎に包まれた。父は言った。
「こんな下らないフランチャ人の本を読むのはやめて、もっと魔術の修練に励め。祖国のため、それに何より、お前を愛する父のために、お前はもっと強くならねばならない。分かったな?」
私自身の自我以上に、父は私という存在を規定していた。小さい頃の私は、それをおかしいとは思わなかった。私は父に殴られ、怒鳴られ、持ち物を捨てられた。私は父のせいで友人すらも持てなかった。だが、それでも父から愛されていると私は信じていた。
おそらく父も、祖国に対して同じような気持ちを抱いていたのではないか? 今となっては私はそう思う。祖国は、父ら敗残者に対して、わずかな額の傷痍軍人恩給以外、何ら慈悲を施すことはなかった。むしろ、野蛮人に敗北しておきながら死に損なった卑怯者として、存在そのものを忘れ去ろうとしているかのようだった。それでも、父は祖国を愛さずにはいられなかった。それは父が、自分は祖国から愛されているという根拠なき信念を、つまり信仰を抱いていたからだろう。
そうでなければ、父は私を育てられなかったに違いない。祖国への捧げ物として、父は私を男手ひとつで育て上げたのだ。それは、ある種の信仰なしには到底不可能なことだろう。
父は私に魔術士としての教育を授けつつ、アイティオペア人を打倒するための魔術研究に没頭していた。
私が二十歳になった頃、研究が予想以上に進展したためか、父は興奮を隠さず私に言った。
「マルコ! いつもお前にはアイティオペア人どもが『悪魔と契約した』と言っていたな。あの、すべての攻撃を無効化する奴らの魔術について分かったことがある。アイティオペア人たちの伝説を調べていたら、こんな文言が出てきた。『やまない雨が破滅をもたらす』とな。これがヒントになった」
今ひとつ話が飲み込めない私をよそに、父はなおも話し続けた。
「アイティオペア人たちは元来、太陽とつながりの深い民族だ。神話の時代、太陽神ヘリオスの息子パエトンが、愚かにも父の愛を試そうと太陽の戦車を乗り回したことがあった。しかし、それはもちろんただの子どもが扱い切れる
顔を真っ赤にした父は杖を振り回しつつ、部屋を歩き回った。
「時が経って、アイティオペア人どもは太陽神への信仰を捨てた。俺たちと同じ神を信じるようになったからだ。だが、俺たちに攻め込まれて追い詰められた奴らは、フランチャ人どもの口車に乗せられて、また太陽神を崇めるようになったのだ!」
父は、机の上に拡げられていた小冊子を乱雑に掴むと、私に放り投げてよこした。その表題を見ると、フランチャ語で『戦略魔法の新たなる地平 アイティオペアにおける事例研究』と記されていた。
「その本によれば、フランチャ人はあの戦争の時、武器弾薬と顧問団だけではなく、魔術士も送り込んでいたらしい。そして、アイティオペア人たちが『無敵の戦士』になるように、戦略魔法を構築したのだ。太陽光を浴びている限り、身体能力と防御力を数倍に増強するという魔法を、フランチャ人は作り出した!」
私も、記事に目を走らせた。そこには、フランチャ人魔術士の指導のもとにアイティオペア人が「ヘリオスの加護」という名の魔法を発動させたこと、魔力の消耗が激しかったため五十九人の術者が死んだこと、術式はアドワの戦い直前に完成したことなどが書かれていた。
父は言った。
「俺たちの目指すことは決まった! アイティオペア人を屈服させるには、奴らから太陽の光を奪えば良い! 『ヘリオスの加護』を剥ぎ取るのだ! そのためにはまず……」
熱っぽく語る父を見て、私は一種の憐みのような気持ちを抱いた。
アイティオペア人を屈服させる? そんなことはもう起こり得ないし、その必要もない。それどころか、そんなことはそもそも不可能だった。
サヴォイア王国は数年前、エウロパ大戦において戦勝国となったものの、国内は荒廃していた。経済は停滞し、失業者が街に溢れていた。極右勢力と極左団体がテロ行為を繰り返し、国内の分断は目を覆わんばかりだった。とてもではないが、外征を行う余裕などなかった。父の野望は、いや、それはもはや妄執と言っても良かったが、果たされないまま終わるだろう。
それでも父は研究を続けた。私は、無駄とは知りつつも父を支え、彼の望むような息子となるべく努力を続けた。
己の健康を犠牲にして、父は研究をついに完成寸前にまで漕ぎ着けた。のみならず父は各方面に運動をして、私を国立魔術研究所の一員にまでした。父こそが悪魔と契約したのではないかと思われるほどの、異常なまでの熱意と働きぶりだった。
そして、私が三十歳になってから数ヶ月後、父は寿命を迎えた。父は臨終のその間際まで、私に向かって話し続けた。
「よいか、マルコ。必ずアイティオペア人どもに復讐するのだ。父の無念を晴らし、祖国の屈辱を雪ぐのだ。お前にはすでに、俺のすべてを授けた。俺の開発した『アンドロメダの涙』ならば、必ずアイティオペア人たちの魔術を打ち破れる。それに、今や祖国は偉大なる統領を戴いている。あの方ならば、必ずアイティオペア人を叩きのめしてくださるに違いない……」
喘鳴混じりの最期の言葉は、未だに私の耳に残っている。
「良いか……アイティオペア人にやまない雨を……奴らに破滅を……父の宿願を果たせ……」
父が死んでから五年後に、祖国は統領の指導のもと、アイティオペア帝国侵攻の
☆☆☆
父の世代とは比較にならないほどに、我が軍は見事に近代化を果たしていた。我が軍の総兵力は五十万で、航空機は六百機、戦車は八百
それでも、彼らは実によく戦った。彼らには、未だにあの「ヘリオスの加護」があったからである。第一次アイティオペア戦争当時にはなかった機関銃による射撃や、長距離砲の砲撃や、航空爆撃を受けても、彼らはなかなか倒れなかった。彼らは塹壕や小要塞にこもって頑強な抵抗を続けた。
それだけではなかった。彼らは果敢にも陣地を出て、幾度も突撃を敢行した。侵攻三日目、司令官の隣で、私はアイティオペア兵たちが我が軍の軽戦車部隊に立ち向かう光景を目撃した。
彼らは一個中隊ほどいた。彼らは見事な横隊を組み、太陽の光を浴びて煌く銃剣を突き出して、戦車に向かって真っ直ぐに疾走した。
こちらの十輌ほどの軽戦車は、射程に入るや一斉に射撃を開始した。戦車が装備する機関銃は曳光弾のシャワーを浴びせかけたが、アイティオペア兵たちはまったく怯まず、突撃を続行した。ついには接近戦となった。戦車は彼らを轢き、踏みにじり、押し潰した。だが、何輌かは手榴弾を投げ込まれて、黒煙を噴いた。
戦闘は半時間ほどだった。生き残ったアイティオペア兵たちは来た時と同様、一列の横列を組んで戦場から去っていった。後に残されたのは、無数の死体と擱座した数輌の戦車だった。砲隊鏡を覗き込んでいた司令官は眉をしかめつつ、呆れたように周囲の幕僚に言った。
「信じられん。生身で戦車と互角に戦うとは、奴らには悪魔でも憑いているのか?」
私はグラツィアーニ司令官に「ヘリオスの加護」について説明し、「アンドロメダの涙」の発動の許可を求めた。この魔法を用いることで、アイティオペアの砂漠地帯の天候を操作し、やまない雨を降らせることで敵軍の抗戦能力を奪い去ることができる。すでに術式は完成しており、後は司令官の許可を得るだけだと私は言った。
それでも司令官は首を縦に振らなかった。彼は諭すように、私に言った。
「『やまない雨が破滅をもたらす』という、その理屈は分かる。だが、私は是が非でも戦車と航空機という新装備でアイティオペア人を倒さねばならんのだ。それが我らが統領の望みでもあり、私の使命だ。これからの戦争は魔術ではなく、鉄とガソリンによって遂行されるということを、全世界に知らしめねばならぬ」
状況が変わったのは、他戦線での動きを司令官が知ってからだった。私たちがオガデンの要塞線に手こずっている間に、バドリオ司令官が率いる別働隊は順調に敵地を攻略していた。
グラツィアーニ司令官はある日の深夜、私を呼び出して、今までの非礼を詫びた上で言った。
「バドリオはきっと奴らに勝つだろう。彼は勝つためにはどんな手段でも用いる。国際世論も気にせずに毒ガス戦に訴えるだろう。さしものアイティオペア人の加護も、毒ガスには通用しまい。私も手段を選んではいられなくなった」
私の肩に親しげに手を置くと、司令官は薄く笑みを見せた。
「君のお父上の無念を、君の手で晴らしてもらいたい」
許可を得た私はすぐさま準備に取り掛かった。あらかじめ用意を整えていた甲斐があって、早くも三日後の正午から、大粒の「アンドロメダの涙」が、アイティオペアの砂漠地帯に降り注ぎ始めた。
雨はやむことなく一ヶ月間続いた。父の考えた通り、アイティオペア人たちから加護の力は失われた。あらゆる銃弾や砲撃を弾き返す鋼の肉体は、単なる血肉の詰まった皮袋と化した。私たちはほどなくして、敵の要塞線を突破した。敵の死体の山に、冷たい雨が降り注いだ。
一方、バドリオ司令官の別働隊は、メイチュウにて皇帝親衛軍主力を捕捉し、これを撃滅した。敗報を耳にしたアイティオペア皇帝は国外に逃亡し、帝国軍の組織的抵抗はここに最後を迎えた。
二週間後、グラツィアーニ司令官は未だに雨が降り続ける敵首都アディスアベバへの入城を果たした。それを迎えたのは、バドリオ司令官だった。彼は三日前に、私たちを出し抜く形で入城していたのだった。
その夜、空襲を受けて半壊したホテルの一室にて、グラツィアーニ司令官は私に言った。
「結局、君の魔法では『破滅をもたらす』とまではいかなかったな。私がもう少し早く決断していれば結果は変わったかもしれないが、まあいまさらそのようなことを考えたところで詮ないことだ……」
雨はそれからなお半月降り続けた。ようやく雨が止んだその次の日から、空はまた凶暴なアフリカの太陽が支配するところとなった。
一ヶ月ほど首都に滞在した後、私は本国へ帰還することにした。
飛行場へ車で向かっていたその時、私は予想外の光景に思わず目を奪われた。
驚くべきことに、郊外は見渡す限り鮮やかな緑色に覆われていた。それは長雨によって地中深くに眠っていた草木の種が目覚めたのだった。
車の運転手はプーリア出身の、のんびりとした性格の男だった。彼は言った。
「きれいな緑ですね。故郷を思い出しますよ。まさかアフリカに来てこんな光景を見ることができるなんて、まったく思ってもみませんでした……ほら、あそこを見てください」
運転手は左方向を手で示した。そこには、アイティオペアの子どもたちがいた。子どもたちは緑の中を走り回り、はしゃぎあって遊んでいた。明るい雰囲気だった。運転手は感に堪えないように言った。
「どこの国の子どもたちも可愛いものですね。のどかな光景です。やっと戦争が終わったんだなって、そう思いますよ」
私はそっと、小声で言った。
「少しは、罪滅ぼしになったかな……」
その時、何かが大きな音を立てて、フロントガラスに張り付いた。運転手が驚きの声を上げた。
それは、大きなサバクトビバッタだった。体長六センチほどのその昆虫は、潰れた胴体から緑色の体液をガラス表面に垂らしながら、脚と羽を痙攣させていた。
私は愚かにも、その一匹のバッタの死がどのような未来を暗示しているのか、その時理解することができなかった。
☆☆☆
私は息子を杖で殴りつけると、大声で怒鳴った。
「痛いか!? だが、その痛みなどアイティオペア人の舐めた辛酸に比べればどうということはない! さあ、立て! お前は一流の魔術士になって、彼らを救わねばならないのだから!」
息子は両目から大粒の涙を流した。やまない雨のように、それは途切れることがなかった。
あの戦いの後、アイティオペアは真の破滅を迎えた。
突如大量発生したバッタの群れがありとあらゆる農作物や草木を食い荒らし、アイティオペアは深刻な食糧危機に陥ったのだった。
それは聖なる書にも記述がある、
あれから二十年が経過した今でも、アイティオペアでは定期的に蝗害が発生している。
そのきっかけとなったのは、間違いなく私だった。
私の『アンドロメダの涙』によって芽をふいた大量の草木、あれがバッタの異常発生の原因であったとは、今や各国の学者によって認定されていた。
贖罪の念に私は駆られた。バッタを駆除する術式を構築して、哀れなアイティオペア人たちを救わねばならない。だが、十年前に起きた二度目の大戦によって健康を害した私には、それを為すことができない。
希望は、私の息子だった。妻が残してくれたたった一人の息子は、まだ幼いが素晴らしい素質を持っていた。きっと、私が作り上げた魔法を使いこなしてくれるに違いない。
私は、泣いている息子に言った。
「良いか、ルカ。お前が覚えるのは、『アンドロメダの涙』を改良した駆除魔法だ。特殊な魔力を込めた、やまない雨を降らせて、大量のバッタを一斉に死滅させる。これを覚えない限り、アイティオペア人を救うことはできない。だから、こんなものを読むのはやめろ!」
私は暖炉に、息子がそれまで読んでいた漫画本を投げ込んだ。見る見るうちに、漫画本は真っ赤な炎に包まれた。息子の目が大きく見開かれた。それを見て私の心も少しばかり痛んだが、しかしすべては可哀想なアイティオペア人のためである。
息子よ、アイティオペアの大地に、新たなるやまない雨を降らせて、父の宿願を果たしてくれ。
胸の奥で、私はそう呟いた。
※以下、作品メモとなりますので、興味のない方はここで読むのを終えられるか、もしくはお手数ですが後書きを非表示に設定してください。
らいん・とほたー「アンドロメダの涙」作品メモ
2020年6月28日公開。
通算二十一本目となるオリジナル短編。エブリスタ主催の妄想コンテスト「やまない雨」に応募した作品です。
三ヶ月ほどオリジナル短編の執筆から離れていたので、アイデアを出すのに苦労しました。やまない雨、恋愛物にしても良さそうですし、ファンタジーチックなホラーにしても良さそうです。
迷いながら散歩をしていた時、ふと「やまない雨によって何か大きな災害が起きた」というオチならばどうかと思いつきました。そこで頭に浮かんだのが、現在東アフリカ、中東、インドで猛威を奮っている蝗害です。たしか、あれは季節外れの長雨が原因だったはず……
蝗害とエチオピア、魔法、親子にわたる因縁、短編にしては少し詰め込みすぎた気もしないではありませんが、その分厚みのある内容になったかと思います。
次回もお楽しみに。
※加筆修正しました。(2023/07/05/水)